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DAI: Concept Arts

2014年9月30日 (火)

【DAI】マット・ローズ氏Tumblrから

 ごめんなさい、あたしゃやっぱ、こっちのほうがいいわ。

 DAのコンセプト・アーティストのTumblr。他にも色々載っているのでご興味あれば。

http://mattrhodesart.tumblr.com/

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 チャントリー。デザインはカークウォールぽい。
 ひとりだけ顔が抜かれているのは、誰だろう。筒井先生?(いや女性でしょ)

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 クナリだけど、ひとりだけヒューマンかエルフがいるのは、もしやあの方?
 女子クナリが小さく描かれていて、コンセプトがまだ固まっていなかったみたいだ。

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 仮面の帝国、オーレイですね。泣く子も黙る、つかよく見るとほんと怖い。
 おっさんの頭と体がデッサン狂ってますね。切り貼りしたか。

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 テヴィンター・インペリウム。ちょっち難しかったかな。
 左手の海龍のようなエンブレムがそう。

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 インクイジション。

 ローズ氏によれば、これらは、まだゲームになってすらいない過程から数多くのデザインが試されていたことを明らかにするため、そして各派閥(ファクション)のデザインの傾向がどのようになっているかわかるようにするため、という二つの意味で公開されたのだそうだ。

 

 

2014年1月 9日 (木)

【DAI】コンセプト・アート(1月7日)(追記)

 前回コンセプト・アート(1月7日)で、「命再び生まれる」がチャントリーの教えではないのであれば、何の教えだろうと書いたのですが、すぐ後からリード・コンセプト・アーティストのマット・ロード氏のTumblrにこんな追記がありました。

(ええと言っちゃ悪いのですが、さすがにプロライターが書いた詩文(ヴァース)と、素人さんの書いたものではクオリティがまるで違います。話の流れ上訳しますが、こちらもかける気合いと時間が全然違っている(上の詩文の訳は一時間かかりました。下のは三十秒くらい)ので、ご了承ください。

 こちらはすでに訳しておいたDA公式Twitterの詩文。

「ここなるは底知れぬ淵、魂皆がらの井戸。緑玉色の水面(みなも)より、命再び生まれ出づ」
 “Here lies the abyss, the well of all souls. From these emerald waters doth life begin anew.”

 こちらは素人さん(だと思う)のファンブログTwitterで追加されているもの。

「そして偉大なるアーラサンが埋もれしところ、かの民ら闇に呑まれ、再び現れること能わず」
“And thus was mighty Arlathan cast down, its people swallowed by darkness-never to rise again.”

(以下、マット・ローズ氏コメント)
「コンセプト・アーティストの究極的な願いは、完成ゲーム内のアートが対応するコンセプト・アートを凌駕することにある。このイメージの場合は間違いなくそうなった。DAIがリリースされた暁には、ゲーム内ヴァージョンをご覧になった誰しもが、このイメージのほうが控えめで古臭く感じると思ってくれるだろう」

“The ultimate hope for a concept artist is for the final in-game art to surpass its concept art. That has definitely the case with this image. Come Inquisition’s release, I think everyone will agree that the in-game version makes this image look restrained and quaint.”

 残念ながら、アーラサン(エルフの古代都市)に関するコメントではありませんでしたが、このイメージを元にした場所がゲーム内に登場することは間違いないと思われます(これから先当該コンテンツがカットされる危惧がないからコメントしているはずなので、メインプロットに登場することになるのでしょうか)

 アーラサン(Arlathan)は、古の時代にヒューマン(テヴィンター)によって滅ぼされたセダス先住種族であるエルフ文明(Elvhenan)の首都。伝説によればテヴィンター・マジスターの強力な魔法により都市全体が大地の中に沈められたとされている。
 果たしてこのイメージがそれにあたるかどうかは不明ですが、かつてアーラサンが存在していたとされるアーラサン・フォレストはアンティヴァの北部にある森林地帯。DAIのテリトリーには入っていないと思われるのですが・・・。ここまでカヴァーするほどコンテンツを増やしたりしているのかな?
 どうなんでしょ。

2014年1月 8日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(1月7日)

 DAI公式コンセプト・アートがかなり増えているので、あとでカテゴリー”DAI: Concept Arts”を作成しておきます。

Abyss

「ここなるは底知れぬ淵、魂皆がらの井戸。緑玉色の水面(みなも)より、命再び生まれ出づ」

“Here lies the abyss, the well of all souls. From these emerald waters doth life begin anew.”

*** 

 おお、ついに湖沼が来ましたね!(笑) 森と泉に囲まれた遺跡。
 やっぱそうですよねえ。ファンタジーだからねえ。

 下に長々と書いていますが、何が言いたいかというと、死者の霊魂が現世に「再生する」(”Life does(dothは古語)begin anew.”)という発想はチャントリーの教えにはないということ。そこでは霊魂はヴェイルの彼方のフェイド、どこかメイカーのおわしますところに集う。

 (物語中での)最近の時代のエルフの葬送の儀も「フェイド送り」であるから、やはり違う。またクン(キュン)の教えに霊魂云々の話があるかというと、これはない。クンの教えはあくまでこの世の成り立ちを表す現世宗教であり、むしろ仏教的な、その中でも哲学的な部分の世界に近い(クナリは鬼神を語らず。神々(deities)の存在については一笑に付す)。

 であれば、上の詩文が伝えるのは古のエルフの教えなのでしょうか。それともチャントリー普及以前の(野蛮人時代の)ヒューマンの原始宗教なのでしょうか。

(以下、だらだらと根拠)

 チャントリ―の教えによれば、かつてすべての亡き魂(souls)は、メイカーがその定命(じょうみょう)の子ら(His mortal children、注)のためフェイドに創り給いしゴールデン・シティに呼び集められた。

 人の(テヴィンター・マジスターらの)愚かな侵犯により、ゴールデン・シティは腐敗と堕落に満ちたブラック・シティと化してしまう。定命の子らの行いに愛想を尽かされたメイカーはこの世界を離れていずこにかお隠れになった。

 それ以降、生前篤信であった亡き魂はメイカーそのお方の傍らに集うこととなり、そうでない者の魂は永久にオブリビオン(Oblivion、忘却界、ここではフェイドのこと)を彷徨うこととなった。

 それからはるか後に、メイカーの預言者にして妻でもあるとされる定命の子アンドラステが現れ、彼女曰く、メイカーから定命の子らに対するご容赦をいただくことに成功する。それを受けてメイカーはこの世界に一時帰還されるのだが、彼女が人々の裏切りによって処刑されると、再び愛想を尽かされてお隠れになった。

(注)チャントリーの教えでは「メイカーへの信仰を抱いている者ら」、すなわちヒューマノイド(エルフなどヒューマン以外も含むの意)のみ救済対象であると考えられます。犬猫など獣は除かれる(クリスチャニティが原罪を背負った人類しか救済しない、救済する必要がないと考えるのと一緒)。

 メイカーがお隠れになり、人の祈りをお聴き届けになられなくなったのは、決して人に対する罰ではない。チャントリーの教え、すなわち「チャント・オヴ・ライト」がセダス大陸の隅々まであまねく行きわたり、世界の至るところで詠唱され、メイカーの御耳にまで届くようになれば、メイカーは三度(みたび)帰還されて、この世界を楽園に変えるであろう、とカソリック教会、じゃないや、チャントリーは信じております。

 なお、魂を有しているのはこの世界(現世)の生き物のみである。メイカーが初めに創り給うた最初の子ら、フェイド界のスピリットたちは魂を持たない。スピリットは世界を自由に改変できるとはいえ、なせることはあくまでもすでにあるものの複製のみであり、想像力もなければ新たに何かを創造することもできない。メイカーはそのことにいたく失望され、フェイド界はそのあるがままに任せ、代わりにこの世(現世)をお創りになられた。

 フェイド界の部分で幾分ひねりが入っていますが、ようは創世記、天地創造からはじまるクリスチャニティ、ユダヤ教、イスラム教の正典をお手本にしている。

 次はチャント・オヴ・ライトから。

 言葉はなかった
 あめつちや うなばらやおおぞらを呼ぶものさえも
 まったき静けさのみありしところに
 メイカーの御声が鳴り響いた
 それがはじめの御言葉で
 その御言葉がありうべきものすべての形をなした
―挽歌(Threnodies)5:1-8より

There was no word
For heaven or for earth, for sea or sky
All that existed was silence
Then the Voice of the Maker rang out
The first Word
And His Word became all that might be
-Threnodies 5:1-8

 はじめに言葉(ロゴス)ありき。光の前に(世界の前に)言葉があった。言葉はすなわち神を示すとされる(ヨハネ伝福音書「太初に言あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき」、創世記「神光あれと言たまひければ光ありき」を指す)。

 ちなみに日本神話、「古事記」(天地開闢)ではすでにあめつち(天地)が分かたれていたところからはじまる。つまり世界の「はじまり」ではなく、あくまで国つくりにフォーカスしたお話。クリスチャニティのように天地創造と最後の審判というこの世界の始点と終点がはっきり定まっているのと異なり、始まりも終わりも不明。というか無頓着。考えもしなかったが正しいのかな。

 被創造物である人々が不出来なのですぐに愛想を尽かしちゃうのはあちらの創造主も一緒ですが、怒れる神のあちらはリセット・リブート、サーバー巻き戻しでもするかのように大洪水などでチャイにしてしまうのに対し、メイカーはひがみやすく、すぐに引きこもっちゃう。なにやら天照大神に似ていなくもありませんが、こちらは弟神のぐれっぷりに愛想を尽かしたわけで、言わば家庭内不和、骨肉の争い(受胎を経て生まれるわけではない神々には使えないか)ですからね。

 Mass Effectシリーズは巧妙にクリスチャニティ色を隠しているように見えて、もろそのまんまの世界観、思想観です。表面上でもヒューマニティの価値観を銀河中に押し付けてまわってるわけですし(教化ならぬ感化して回っている)、リーパーズ来襲の含意するもの、それからシェパード艦長ジーザス説まで考えれば自ずとわかりますね。

2014年1月 1日 (水)

【DAI】コンセプトアート(12月31日)

 あけましておめでとうございます。

 ちょうどよく、コンセプト・アートがアップされていたので。

Untouched

「人跡の未だ踏み入らざる地の、正義の焔に暴かれざる闇の中で」

"In places untouched by the feet of Man, in shadows unspoiled by the fires of Right."

 原生林・・・。まあ、現代のカナダ同様、オーレイにも沢山ありそうですが。

 カナダも(USのように)新年は元日のみお休みですかね。DATwitterのアップデートは表題の日付だったんだけど大晦日。仕事してたんだなあ。(Twitterの設定はよく知らないけど、今トウキョウ21時の時点で18時間前アップとなっているのでJP時間ではすでに元日でした)

 今年もよろしくお願いします。

(追加)

 上の和訳を修正したのでついでに。

 カナダというかUSでもカナダ国境に近いあたりの原生林など、個人的に足を踏み入れたことが何度かありますが(あっと、「原生林」(米:old-growth forest、英:ancient woodland)に「人跡未踏」という意味はなく、「人間の手がまだ触れない」、「伐採されたことがない」くらいの意味なはずです。一方で「こないだまで無人島で生活してたんだが」は(足を踏み入れた瞬間から)誤りで、それを言うなら「それまで人の居なかった孤島で生活してた」だとアメリカ風刺漫画の蒐集家でもあった星新一氏がかつて書いてましたね。「無人島マンガ」ではなく「孤島マンガ」)、って別にカナダやUSまで行かずとも日本にだって(人跡未踏の森林はたぶんもうないが)原生林はあるわけですが。そういう場所に足を踏み入れるときは、自分はきっと「森の民」だなあと自覚します。

 先にDnD由来のファンタジーでは橋・河が舞台になることが比較的少ないが、湖沼が登場することは多いのではないかと書きました。やっぱ森と湖。昭和の歌謡曲ではないが、ファンタジーではそういうことになるんでしょうね。

 ちなみに「人間の手がまだ触れない」(Untouched by Human Hands)はサイファイ作家シェイクリイの短編集ですね。同名の短編もあってそちらは・・・、ってネタバレになるからやめとこう。しかし、これも表題の和訳が絶妙だな。上の自分の訳も反省してまた修正しました。

(追加の追加) 

 えー、上の"the fires of Right"はもちろんテンプラー騎士団(そのシンボルによる換喩)ですが、"the feet of Man"については注意がいる。DAワールドでは、(ヒューマンより遥か以前からセダスに住んでいた)エルフは分け入っていたはずだよね、という話になるわけで。

 まったく同じ理屈でカナダ・USならネイテヴィヴ・アメリカン(かつてのインディアン)が、アマゾンだってインディオなど原住民が、もしかしたら往来・居住していた(今もしている)かもしれないわけで。

 (DAのライターだってどこまで考えて書いているかしらないが)、こういうとき文明人(と自分で思ってるんですが・・・)視点は厄介ですね。

(さらに追加) 

 コンセプト・アーティストのマット・ローズ氏がTumblrでこのアートについてコメントしていた。ここでは、primordial forest、「原始林」と呼んでいますね。

「黄金比率の螺旋をひとたび見れば、眼に触れないようにできはしない。それを隠すに相応しい場所が、原始林以外にあるだろうか?」

"Once you see the golden spiral you’ll never un-see it. Where better to hide it than a primordial forest?"

2013年12月28日 (土)

【DAI】コンセプトアート(12月24日)

 DA Twitterのヴァース(詩文)付き新コンセプトアート(画像はBioWare Blogで公開されていたものの一枚)。

Fallenbridge  

「かくて彼らの白骨が全土を覆う、愚昧なるが故に滅んだ帝国の残滓として」

"And their bones shall spread across the land, the remains of an empire lost to folly."


*** 

 そろそろ正式公開されたコンセプトアートの数も揃ってきたようですが、依然としてDAIの全体像はさっぱりわかりません。この画像もどこの建物なのだろうか。詩文からみてオーレイのどこでもありうるわけですし。

 今までのものを見比べてみると、なぜか「橋」(陸橋らしきもの含む)が描かれている画像が多いようです。うまいこと立体感が出て絵の見栄えがするのも理由でしょうか。それとも、やはり西欧(というより元はバビロンやメソポタミア)では「橋」がそのまま「都市」(交易・移住)、「帝国」(軍事・外交)、そして「文明」そのものを強く含意するからでしょうか。

 ローマ帝国、クリスチャニティ世界では橋を架けるのは聖職者の仕事であった説まであります(ある程度は大陸国もこの島国もそうだったと言いますが、この聖職者の仕事説は本当かどうかはわかりません。土木建築の知識(大抵はアーチ橋ですからぶっちゃけ数学ですかね)を有している者は当時少なく、多くの場合はインテリ階層の僧侶であった、ということなんでしょうかね)。

 そもそも大した大河もなく、河川にはむしろ戦の際の防壁としての価値のほうを重視していたこの島国では、おかみが架橋を制限したこともあって関連技術も進展せず、つい最近まで「渡し」、「川越し」(かわこし)には人足(にんそく)や渡し舟を用いていた。「橋」に対する感覚はあちらとまったく違うのでしょう。どっちかってと演歌、講談、人情ものの舞台。

 意外にもDAワールドに「河川」が登場する場面は多くありません(渓流などはあります)。代わりに「港湾」はもちろん、「湖沼」が話題になることが結構多い。BioWareがカナディアンの会社だからでしょうか。カナダでは、あまり人が住んでいない土地に河川は多いようですが、それでも大海に流れ出すものは(大西洋側にセント・ローレンス川はありますが)少なく、湖に流れ込むものが多い。DAフェラルデンのカレンハード湖と周辺河川など、そのままカナダにありそうな地形です。

 DnDのthe Forgotten Realmsでも河川がクローズアップされる場合は意外と少なかったかな。Neverwinterの街中を流れる同名の河川は実は「温泉」ですし・・・。Waterdeepは名前に反して意外にも街中に河川はない(地下水脈が流れていたはず)。有名どころではCormyrもAmnも湖の国、Thayも山岳と湖の国。

 そこでJRPGには河川が登場するシーンが比較的多いと言えると恰好がよいオチがつくのですが・・・。たしかにそうと言えるようでもあり、そうでないようでもあり。
 なぜか色々なJRPGには「釣り」がお約束のように登場しますけどね。

 湖沼なら物語は創りやすいが(というかすでに原形になりそうなものが沢山あるが)、河川は難しいのかな。河川下りRPG、ドイツのCRPG、Dark Eyeシリーズにはまんまそのままのものがありましたが、流行らないか。
 3Dになって描写が結構きついのか。
(うろ覚えだけどポーランドCRPGのThe Witcherシリーズは結構河川に関するネタが多かったかな)

(蛇足)ハリウッドを中心とした映画の世界では逆にこれでもかってくらい河川や橋梁のお話が多いですね。戦争映画(A Bridge Too Farなど)は言うに及ばず、他にも相当数あります。動画だと河川は絵になる、風景が目まぐるしく変わるので飽きがこない、ボートが疾走するのは見ていて楽しい、河川は「人生」をコノートしているなどなど、理由が思いつく。

 The Dark Knight Risesの橋梁封鎖シーンなんて凄まじい迫力があった。「なんとかブリッジ封鎖できません」とか言ってる島国の映画と比べるのも失礼だね。(和製作品弁護のため、ジェームズ・キャメロンが腰を抜かしたという押井さんの映画の例のWyvern襲来シーン(こちらはベイブリッジ)をあげておきます。トウキョウ(ヨコハマ等込みでのメガロポリス)が河川の都市であることが今更のように如実にわかりますよね)

2013年12月18日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(12月17日)

  DAI Twitterの新コンセプト・アート。

Blackest_night

「ああ、メイカー、我が願い聞き届け給え。闇最も黒き夜に我を導かんことを」

“Oh Maker, hear my cry. Guide me through the blackest nights.”

2013年12月11日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(12月11日)

 とても久々ですが、Dragon Age twitterに詩文(ヴァース)つきのコンセプトアート。

Foulandcorrupt

「忌わしく邪なるは、彼より授かりし才をもて彼の子らに仇なしたりし者ら」

"Foul and corrupt are they who have taken His gift and turned it against His children."

 「彼」とはメイカー。天賦の才を悪用して同胞たちに撃ちかかるのは邪悪なるメイジたち。普通に読めばそういうことでしょう。もちろんチャントリー・テンプラー側にたった見方には違いない。メイジ側にたってテンプラーのことを指弾しているという解釈をしようとする向き もあるが、「天賦の才」という部分でちょっと弱い。テンプラー騎士のマジック・スポイル能力の源泉は定期的に摂取するレリウムであって、天賦の才ではないから。

 

2013年9月 2日 (月)

【DAI】新コンセプト・アート(8月29日)

 Twitter dragonageの新コンセプト・アート。

 (コンセプト・アーティストであるマット・ローズ氏のTumblrに適宜アップされているものは特にキャプションがないのでここでは紹介しません。次のそちらのブログをご覧ください) 

http://mattrhodesart.tumblr.com/

 

Throughabreach
 そらの綻びを潜り抜け、勇ましき者らいま赴くは、かつて夢見も憚られし地。

"Through a breach in the sky, the brave now walk where once we feared to dream."

 自分でも自信のない古文調・・・。現代語訳はこちら。

「中空の亀裂を抜け、勇者らが今向かうのは、これまで誰もが夢に見ることすら畏れていた場所である」

 フェイドですね。フェイドのことですね。またしてもフェイドに行くのですね。お約束のように向かうのでしょうね。あれだけでかいリアル世界のマップのほかに、さらにフェイドのでかいマップがあるのでしょうね。

 

 

2013年8月25日 (日)

【DAI】新コンセプト・アート(8月22日)

 新コンセプト・アート。

Seekthelight

 光追い求めよ、闇もっとも深きところ邪なものら蔓延(はびこ)るが故に。

 Seek the light, for the wicked take root in the darkest corners.

***

 最近のコンセプト・アートのキャプションは、聖書をリファーしてるんじゃないかと思うようなものが多く、(そうじゃないことを確かめるため)調べるのが結構面倒。"Seek the light..."からはじまるこれも、もろにクリスチャニティの教えと読めてしまいますものね。 

 そして、そっちに無いことがわかったら、今度はDAの「チャント・オヴ・ライト」にあるかどうかを確かめる。これもない。

 "the wicked"はDA2イザベラのクエストにありましたね。"No rest fore the wicked" 

 旧約聖書、「イザヤ(アイザイヤ)書」48:22。

 イザヤ書の出回ってる日本語訳は「神に逆らう者に平和はない」。
 イザベラ編には宗教的な意味合いはなく、そのまま使えないので「悪党どもには平安がない」的な意味としていた。
 

 今度は、闇に蠢(うごめ)く存在、闇に蔓延るというのだから邪なものら(集合名詞の複数形ですね)のことでしょう。「者」だとヒューマノイドになっちゃうけど、DAIの場合はそうではないだろうから「もの」で「存在」のつもり。

 たった一行にどんだけ時間かけてんだと。でも、むしろそういうもんですよね。 

 

 

2013年8月17日 (土)

【DAI】新コンセプト・アート(8月15日)

 BioWare ツイッターがぱらぱら小出しにするもんだから、ここの表題もかぶってしまうのですが、オフィシャリーに何枚目なのかわからないので、公表日付(現地)を入れることにします。

 前回とうって変わって、今回のキャプションは楽ちんですね(笑)。 と笑っていたらそうでもなかった。

Light_and_shadow_2

 光及ばぬところ、闇が栄える。

 In the absence of light, shadows thrive.

***

 楽ちんだなと思ったら、それはブービー・トラップ。 

 まずshadows が「影」だと変ですね。「光」なきところに「影」(かげ)はない。「陰」(かげ)はあるけど。「光陰」と並べるとこれは「太陽と月」、「昼と夜」、「月日の流れ」のことだからちょっと変だね。

 ここは「暗部」、「暗闇」、「闇」でしょう。広げると「不吉」、「凶兆」とか。

 下がより有名なヴァージョン。

"In the absence of light, darkness prevails." 

 こちらは「光」と「闇」そのものずばり。

 デル・トロ監督の映画"Hellboy"(2004)に引用されていたのが最近で、その元は仏教の教えだとか。

 ところが、日本でいう仏教の教えにこれはなさげです。もともと(日本の)仏教でいう闇は光の不在のことで、無明(むみょう、迷い、煩悩の源)のこと。光は智慧、というか教えそのものですね。つまり闇は「邪悪」ではなく「無知」(智慧の及ばないこと)。 

 DAIではもちろん、邪悪のことでしょうね。

***

 この文章は、チャント・オヴ・ライトの「哀悼の頌歌」の一節でした。

 Canticle of Threnodies 8:21

 残念ながら、この前後にあたる部分は示されていません。

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