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2015年2月 9日 (月)

雨請いの舞

 舞踏会。どう考えても、現代カナディアンもアメリカンも、もちろん島国人も、実際参加したことがある人はごく一部であるわけで、いまどきソーシャル・ダンスは紳士淑女の嗜みでもなんでもなく、著しく変質したものになった。映画「Shall we ダンス?」(1996)の「ダンス」がカタカナなのは、その照れ隠しだと思う。実はあちらでも(いつものハリウッドの都合でバッサリ「カット」されているらしいが)興行成績は優秀だった。その後ハリウッドでリメイクされたという話は記憶にありますが、受けたかどうかは知りません。
 舞踏会を言う"ball"はもともと仏語で、バレエ(ballet)つながり。「球」と関係ない。

 「舞踏」はれっきとした大陸語だったが、島国では「舞踊」(ぶよう)を用いることが流行して廃れ、"ball"の明治翻訳語として「舞踏会」が編み出された。現代島国では「日本舞踊」は言いますが、「日本舞踏」は言わない。「宮廷舞踏会」も「舞踊会」とは言わない。しいていうなら他には「暗黒」(やめとけ)
 そして驚くべきことに「舞」は元々「雨請いの舞」(雨乞いの踊り、rain dancing)のこと。甲骨文の時代には、「舞」にはすでに「雨かんむり」がついていたという。

 つまりウインター・パレスのボールルームにかこつけて、ただこれが書きたかったわけだ。

 「舞」の最古の姿は「無」であった。ものなどが「ない」という意味は音を借りて後からついたものだという(象形文字は、「姿形のないもの」を表現することが苦手なのだそうだ)。
 雨を請う相手はもちろん神。そしてお気づきのとおり、雨が重大な関心事ということは農耕文明(殷など)が背景にある(もちろん雨乞いは雨が降るまで踊り続けなければならない。いつまでも雨が降らない場合、それは踊り方が悪いとされ、最悪の場合踊り手は殺されるのだ)。

 以前も紹介したかもしれないが、カナダ・マギル大のミンツバーグ教授(元々は経営学者)によれば、カナダ原住民族は甲骨を「狩り場」の探索に用いた。雪深い山岳の森林に暮らす者たちは、冬の獲物が乏しいとき神(神々)に狩り場を尋ねる。祈祷師は獣の骨を焼く。現れた印は、でたらめに進路を選ぶ「ランダマイザー」の役割を果たす。もちろんその示す先に獲物がいる保証はない(ことを現代人の我々は推測する)。だが占い(卜い)を用いなければ、狩人たちは惰性によって以前徒労に終わったのと同じ狩り場を目指してしまう。そこで獲物を見つけることは間違いなくできない。占いは部族全体が飢え死にする危険を回避してくれる。部族の者たちは、もちろんそれが「神々の恵み」であると信じていた。

 
 舞踏も(それに付随する楽音も)、ついでに言えば文字(卜い)も、神(神々)との交流のために生まれた。皇族や王族は神権を付与されていると考えていたわけだから、宮廷舞踏会も当然その流れで行われるものであった(文字については、神権を付託された支配者王朝が成立の前提であった。故に島国にはしばらく後まで存在しなかった)。

 ソーシャル・ダンスが変質した(一部好事家の嗜みとなった)ということは、人々が神(神々)と疎遠になり、交流をやめたからだ。正確には、今や神は人々の内側に宿るので、自分勝手にいつでも対話できてしまうようになった。祭や宴の場は必要なくなった。まあ、あったとしても、ただの自分勝手な人たちの集まりになった(ネットの悪口なんて言ってねえよ)。

 一方で、詳しい知り合いに言わせると、島国でのバレエの人気過熱ぶりはものすごいことになっているそうだ。あちらのコンクールでもメダリストがぞろぞろと生まれており、ニュースに触れるたび「またか」と感じてしまうのも、さもありなんということらしい。知り合いに引きずられるようにして実際に上演を観に行くと、確かに極端に偏った客層(性別も、年齢も、何もかも)の方々のカルト集会のようになっている気がする。うーむ。

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