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2014年3月

2014年3月31日 (月)

Vivienne: Writing an Imperial Enchanter

 ヴィヴィアンを担当しているライター、メアリー・カービー氏のコメントと、「ネヴァラ大使へのレター」。 ***  「ヴィヴィアンを書くのが楽しかったわけは、キャラクターの強さを示すために色々な方法を試すことができたから。どんなメイジも敵を炎と氷で粉砕することができるけど、ヴィヴィアンの場合は口舌によって、対抗相手を政治的に、また社会的にメチャクチャにこき下ろすことができるから、氷などむしろ一番手ぬるい方法に思えてしまう。彼女は自分の職分に大変な誇りを抱いていて、インクイジションのとある(まだ名前のない)メイジとやりあうときは少しばかり・・・、激昂してしまう。良い意味で。ほとんどの場合は」 ***  親愛なる大使閣下、  これまでお目にかかる機会はなかったと存じますので、自己紹介をお許しください。私はファースト・エンチャンター・ヴィヴィアン、帝国宮廷のエンチャンターにして、女帝陛下の個人的相談相手を勤める者にございます。  今から三週間後、公爵の避暑地にて催されるサロンに、閣下がご出席されるとのお噂を耳にしました。このお噂があきれた恥ずべき嘘であることはもちろん論を俟ちません、大使閣下、というのも、閣下ご自身も他のネヴァラ大使館のどなたもお招きしていないわけですから。主催者である私としては、閣下が、エール三杯ひっかけて大きな気分になったどこぞの下層労務者のように、会合を台無しにされるおつもりのないことは信じております。  閣下がネヴァラン王室の七十三番目の王位継承者に過ぎないことは存じ上げておりますが、そのように低いご身分であるからといって、モントベリアード伯爵夫人の後を追いかけて、よしんば彼女が閣下にしかるべく応対されるだけのお時間を割くとお考えになるなど、身を貶めるようなことをされるべきではございません。あの方はそんなことはされませんから、親愛なるお方。あの方は自尊心を保つことができる殿方にしかご興味がございません。まず素面になられてから、お近づきになられてはいかがでしょうか?  申し上げる必要さえないと存じますが、大使閣下、世界は危機に見舞われております。大陸中で戦が巻き起こり、空は引き裂かれ、この世の終わりが到来すると口にするものも多ございます。このような混沌としたときに、平和の回復と秩序の再建について助力を惜しまないのが、権力を有する私共の当然の責務ではございませんでしょうか。すでに多くの生命が喪われている今、救える生命は救うべきではありませんでしょうか? それらに鑑み、私は閣下に心からのご忠言を差し上げたいと存します。私を軽んじていただいては困ります。私が閣下のお立場であれば、まるでこの世から急いで立ち去りたいかのように振る舞うことはいたしませんよ、親愛なるお方。ディーモンどもが自由に跋扈するようになれば、どのみちすぐにそうなるのですから。 衷心より マダム・デ・ファー ***     根が紳士なので、「慇懃無礼」な言い回しには疎いのですが・・・。慇懃無礼というか、これ脅迫文ですけどね。  原文が英語(カナディアン)なせいもあって、これでもまだだいぶ直截的なんでしょうね。読者(ファン)のレヴェルも考えて、意味がすぐにわかるようにしているのかもしれない。  実は私が最初に超訳していた文案のほうが、ずっと婉曲的にヒドイことを書いていたのですが(笑)。  日本語は、軽蔑や罵倒の語彙が少ないと(大陸人国・半島国人あたりが)言っているが、そしてそれは(明治時代にあらゆるローカルなコトバを排除して標準語で一新してしまったので、一部の地方のみで通じるものを除けば)事実だろうが、言葉としては意外にもこのようなヒドイことを言うのに向いているのかもしれません。敬語をこれでもかと使うことで逆に慇懃で無礼な感じが表現できてしまうから。 (標準語の創出は近代化・ナショナリズムを推し進める上で必須だった。あたりまえ。工場や軍隊の中でお国訛りのせいで言葉が通じなければ、どもならんわけだから。仏国だって、米国だって(英語が国家言語と決まっているわけではないが)標準言語を一旦整理して誰でも使えるようにしている。別の意味では悪名高いナチスもやっていますしね・・・。逆に英国はいまだ階級別に通じない言葉があるとか。そういえばロシアが今その部分でとても神経質になってますね)

2014年3月27日 (木)

Creating An Imperial Enchanter

 BioWare Blogのコンパニオン紹介の続き。こういう、たいして新味のない情報を小出しにしているのは、果たしてPR上有効なのだろうか。  雨乞いのネタに窮しているこちらにとっては、曲りなりにもDAジェニュインなネタがいただけるので、ありがたいっちゃありがたいのですが。  BioWare Blogを読むようなコア・ファンは喜ぶだろうが、結局彼ら/彼女らは放っておいてもゲーム買うんだし。BethesdaのPR責任者がFallout 3やNew Vegas、あるいはSkyrimのプロモーションについて言っていたように、(カジュアルを引き付けるなら)動画やスクリーンショットをバシバシ見せたほうがゼッタイいいと思うんだけど。画像は下のリンクからいくつか見れますけどね。 http://blog.bioware.com/2014/03/26/creating-an-imperial-enchanter/ ***   Dragon Age: Inquisitionのキャラクター創造には、大変な労力と専門家チームによるイタレーション(見直し、やり直しの繰り返し)が必要だ。ヴィジュアル化の最初の何段階かを経た後、キャラクターはその細部まで文句なしになるように、共同作業の過程を通じて磨き上げられる。  今月は引き続きヴィヴィアンにスポットライトを当て、彼女を創造したチームの活動を追ってみよう。 「ヴィヴィアンというキャラクターを創造するのは本当に楽しかった」と、シニア・アーティストのリオン・スワンソンが言う。「初っ端、最初のコンセプトを見た頃から惹きつけられた」  スワンソンによれば、ヴィヴィアンの最終デザインを決定する重要な要素のひとつがBioWareのコンセプト・アーティストたちだ。彼は特に、彼女のキャラクターが同スタジオの高い品質水準に間違いなく合致するようにするため、行きつ戻りつを何度も繰り返したことを記憶している。 「最終的には、この押し出しの強い新キャラクターに極めて印象的な外見を与えることができたと思っている」とスワンソンは言う。「滑らかさと力強さを示す姿と、黄金の飾りと繊細な布地が組み合わさったことにより、ヴィヴィアンの外見はとてもユニークなものとなった」  ヴィヴィアンの創造が完成した今、セダス世界に解き放たれることになる彼女について、スワンソンはどう考えているだろう? 「繊細な衣裳をたなびかせ、魔法の力を駆使して世界を動き回る彼女の姿は、パーティーの他の重装備のキャラクターたちと見事な対比になっているんだ。ぜひ楽しんでほしい!」 ***     DA2の別売り(特典)装備セットの一部、それからそのDLCであるMotAの敵役、オリージャンの悪の公爵プロスパーの衣裳・装備も、従来のDA世界観(フェラルデン文化?)に比べれば多少「エキゾチック」でしたが、MotAに登場したオリージャンのアサシン、ハーレクイン(Harlequin、仏:アルルカン)のデザインは、今までのDA世界観との間の手掛かりに乏しい風変りなものでした。  ヴィヴィアンの衣裳の造形は、その世界をさらにエキセントリックに推し進めていったという感じでしょうか。Blogにアップされている衣裳のヴァリエーションは、オートクチュール(いわゆるパリコレ)のパロディかと思うくらい、はっきり言ってやり過ぎ感バクハツですが、ヴィジュアル面でも他より一歩も二歩も先んじたいBioWareの矜持の顕われでしょうね。  これがフロストバイト・エンジンの描写力だって、確かに以前のゲーム、他社のゲーム・メディアも含めてあらゆる衣裳・造形が一気に陳腐でみすぼらしく見えてしまうようになった効果はあるかもしれません。ゲイダーさんによれば、ヴィヴィアンのファッション基準はMaleficent(新作ディズニー映画「マレフィセント」に登場する悪の魔女)だそうですが、あのディズニーまでが田舎くさく見えてくる。これ大事なことですけどね。

2014年3月26日 (水)

【DAI】Meet Vivienne, part 1

 BioWare Blogに、DAIコンパニオンについての紹介記事が今後定期的にアップされるのだそうです。
 そこで新コンパニオンが発表されるかどうかはわかりません、というか、それはないでしょうね。
 まず、ヴィヴィアンから。

http://blog.bioware.com/2014/03/24/introduction-to-vivienne/

 本文だけご紹介。

*** 

 マダム・デ・ファー(Madame de Fer、仏:マダム・ド・フェール)、「鉄の淑女」(the Lady of Iron)の異名は、まさにヴィヴィアンに相応しい。メイジたちのリーダーであり、また帝国宮廷の公式エンチャンターである彼女は、狡猾さと巧みな政略を用いてその地位までのし上がった畏怖すべき女性として名を知られている。ヴィヴィアンは、彼女の欲望を遮ろうとする如何なるものをも容赦しない。それには彼女を出世主義者と誹謗する者たち、彼女の権勢を削ごうとする者たち、さらには彼女が異を唱える叛乱に引き込もうとする仲間のメイジたちまでもが含まれる。ヴィヴィアンは狂気に駆られた世界に秩序を取り戻すため戦う・・・、何と言っても、取り残されて途方に暮れる者たちが身の回りにいる限りは。

Referred to as Madame de Fer, “the Lady of Iron”, Vivienne lives up to her title. A leader among the mages and official enchanter to the Imperial court, she is renowned as a fearsome woman who achieved her position through guile and deft political maneuvering. Vivienne allows nothing to stand in the way of what she desires-not those who claim she is a social climber, not those who seek to restrict her power, not even her fellow mages who would conscript her into a rebellion with which she disagrees. Vivienne fights to restore order in a world gone mad…so long as that leaves her among those left standing, once all is said and done. 
 
*** 

 どうも、DA世界で女性キャラがそれなりの地位を得るためには、狡猾さ(guile)とか、巧みな政略(deft political maneuvering)とか、非情な謀略(ruthless manipulation)とか、(相手に察知されないくらいの)巧妙さ(subtleness)とか、そんな才覚が必須のように感じられてしまう(後半ふたつは女帝セレーヌのこととして”The Masked Empire”に出てくる)。
 そしてDnDに詳しい方ならお判りのように、それらのコトバって「ローグ」キャラクターの特殊技能に使われるものなんですよね。DAシリーズの「タレント」の呼び名などにも登場しているのではないだろうか。
 
 「舞台が仮面の帝国オーレイだから」(男女とも同じ)という言い訳があるのでしょうが、どうもそうでもない感じがする。オーレイ社会ではおしなべて表面上「如才ない」(suave)という才能は必要としても、やっぱ女性が地位を得るのは並大抵のことではない。そのまま現代西欧社会を反映しているのではないだろうか。
 

2014年3月24日 (月)

Kindle版The Masked Empire

 Kindle版が出ないはずがないと思っていたのですが、大抵こんなタイミングなんでしょうね。
 パトリック・ウィークス氏のDA小説、”The Masked Empire”のKindle版がAmazonで予約可能です(私のKindleはJP版)。
 ペーパーバックは、Tor版(US)とTitan版(UK)の二種類がありますが、表紙も同じみたいだし中身が違うわけないんで、私はTor版を予約。デジタル版だけでは読み込むのがつらい。

 とりあえず、シノプシス(梗概)を紹介しておきます。固有名詞の読み方は暫定(できるだけ英語読み)。

***  

 オーレイの最も暗く危険な部分、剣の腕前が地位の重さを凌駕するところへ旅立とう。

 オーレイの女帝セレーヌは、その智恵と機転と非情な謀略をもって、セダス大陸の最強国の玉座に上りつめた。彼女が啓蒙の時代へと導いてきた帝国は今、テンプラー騎士団とメイジの間に迫り来る戦争のみならず、抑圧されたエルフの民の間に渦巻く叛乱の機運という内側からの脅威に見舞われている。オーレイを救うため、セレーヌはいかなる手段を弄してでも、その玉座から退くわけにはいかない。

 大公ギャスパードは、オリージャン・シェヴァリエの伝説の剣技を駆使して、女帝と帝国の名のもとに数えきれない戦いを勝利に導いてきた。だがこれまでの戦いは無駄だったのか。サークルが廃されて混沌が目前に迫る中、メイジ問題とエルフの暴動に対するセレーヌの懐柔策が、果たして帝国を無事保全するに足るのかどうか、ギャスパードは疑義を持ち始めた。今こそ新しい指導者が、シェヴァリエの信条に従い、オーレイを再び強大にできる者が必要とされているのかもしれない。

 ブリアラは、お互いが幼少の頃から長くセレーヌの侍女であり、その立場を巧妙に利用してオーレイ中のエルフの地位向上を図ってきた。彼女はセレーヌの無二の親友であり、密偵衆のリーダーであり、そして愛人でもあるが、政争が女帝に、ブリアラの同族たちの権利とオリージャンの玉座のどちらかを選ぶよう強いるのであれば、ブリアラ自身もまた、真の忠誠を向ける先を決しなければならない。

 セレーヌとギャスパードがオーレイの玉座を争うにつれ、いくつもの同盟が構築され、いくつもの約束が破棄される。だが最後には、森に潜む、または居留区で餓えを忍ぶエルフの民が、この仮面の帝国の運命を左右することになるのかもしれない。

*** 

 DAファンにはほぼ説明不要でしょう。居留区とはエイリアネイジ。オーレイのエイリアネイジは、セダス全土で最も待遇が劣悪であるといいます。

 「啓蒙の時代」(an age of enlightenment)と言っているので、セレーヌ以前が暗黒の時代(a dark age)に対応するわけですが、具体的な意味は”The Masked Empire”の第一章を読めばわかるようになっている。冒頭オーレイ大学を訪れたのも偶然ではなく、彼女はことのほか「数学」への関心が高く、また造詣が深い。

(補足)暗黒時代というと、まるで触れてはいけない黒歴史と勘違いする人がいますが、本来は単に光の時代の狭間という意味です。端的にはローマ帝国衰退からイタリアン・ルネッサンスまでの間。一般にその期間の歴史的記録が少ないので歴史家の研究が滞る(視界が暗い)という意味と、知的活動が軽視されて発展が停滞したに違いないと考えられる時代(暗愚)という意味。大帝国という巨大統治システムが崩壊すると、えてしてそうなりますよね。よってこの「定義」も循環論法くさい。
 最近では、ネガティヴに受け取られることを忌避して、「暗黒時代」という用語自体、用いない場合が多いそうです。
 啓蒙主義、啓蒙時代というと、これは(the (Age of) Enlightment)と大文字になって、フランス革命や産業革命につながる17世紀以降の思想のこと。理性主義。(補足終わり)

 彼女はチャントリーの教えを解釈することだけではなく(今でいう「神学」)、それ以外の学問、特に科学に価値を見出そうとしている。もちろんこの時代の科学の発展はテヴィンター帝国が最高峰ですから、政略的意味からもそれに対抗する必要があるのでしょう(ドワーフは科学と言うよりもエンジニアリングに長けている)。

 そして、もうひとつの意味での「啓蒙」も重要です。エルフとメイジの権利。「自由」と「平等」についての意識改革を推し進めようとしているわけです。
 
 一方、大公は伝統を墨守する勢力の旗頭、復古(ルネッサンス)派なんでしょうね。なんだか島国の明治維新みたいな話になりそうですが、虐げられているエルフの民はメイジとともに物語の「味付け」かと思ったら、重要なファクターになるようです。

 一カ所苦労したところ。やっぱせっかくだから「シェヴァリエ」はそのまま訳したい(笑)。ところが、下の原文をご覧になればおわかりのとおり” the tenets of the chevalier's code”が出てくる。どー考えても「騎士道の信条」ですね。昔ウォーゲームのタイトルに”the Code of Bushido”というのがあって、もちろん日本軍の戦いがテーマですが、そのままだと「武士道の道」。「武士道の掟(行動規範)」としても、「道」とは掟(行動規範)のことだからやっぱおかしい。リダンダンシー冗長局に摘発されてしまいます。
 テンプラー騎士団て訳も実は怪しくて(だってテンプラーは「騎士」だから)、テンプル騎士団なら日本語に馴染んでいる。シェヴァリエ騎士団は無理か。「シェヴァリエ騎士道の信条」っておかしいよね、「シェヴァリエ道」も変だよね、ということでさらっと上のようになりました。

*** 

Journey into the darkest and deadliest part of Orlais, where the weight of titles matters less than the strength of blades. Empress Celene of Orlais rose to the throne of the most powerful nation in Thedas through wisdom, wit, and ruthless manipulation. Now the empire she has guided into an age of enlightenment is threatened from within by imminent war between the templars and the mages, even as rebellion stirs among the downtrodden elves. To save Orlais, Celene must keep her hold on the throne by any means necessary. Fighting with the legendary skill of the Orlesian chevaliers, Grand Duke Gaspard has won countless battles for the empire and the empress. But has he fought in vain? As the Circle fails and chaos looms, Gaspard begins to doubt that Celene's diplomatic approach to the mage problem or the elven uprisings will keep the empire safe. Perhaps it is time for a new leader, one who lives by the tenets of the chevalier's code, to make Orlais strong again. Briala has been Celene's handmaid since the two of them were children, subtly using her position to help improve the lives of elves across Orlais. She is Celene's confidante, spymaster, and lover, but when politics force the empress to choose between the rights of Briala's people and the Orlesian throne, Briala must in turn decide where her true loyalties lie. Alliances are forged and promises broken as Celene and Gaspard battle for the throne of Orlais. But in the end, the elves who hide in the forests or starve in the alienages may decide the fate of the masked empire.

Prime Evil

 DiabloIII、やっぱいかんですねえ。サルのようにやり続けてしまいました。

 私が入手していたのはPC版US版スタンダード版DVD版ですが、しばらく遊んでいた途中でPCが壊れてしまったので、放置したままでした。クラウドの効用で進んだところからすぐ再開できましたが。
 週末デーモンハンター女子でようやく一周しました。しょせんNormalですから口開けてクリックでOK。敵は「プライム・イーヴィル」なのにあっけなく終了。

 やりながら思い出したのは、以前はネットワーク・コネクションの問題がときどき生じていたということ。こちらサイドのせいかどうかもわからなかったが、オフラインが選べないので如何ともしかたかった。今回ネットワークまわりの設定何も触らずにいたのですが、ものすごい混雑したシーンで一回だけ巻き戻しが発生しただけでずっと快適でした。

 物語は「売り」ではないとはいえ、・・・まあねえ。過去に比べるとちょっと明るすぎやしませんか(!)。
 主要登場人物が次々と悲惨な運命に陥っていくんですが、全体的に結構あっさりしてますしね。

 (パラディン、ちゃうちゃう)クルセーダー女子のヴィジュアルに魅かれて予約購入したエキスパンションReaper of Soulsはデラックス版ダウンロード版。ただしデラックス版はDiabloIII以外のBlizzardゲームを遊ばない私には、ヴィジュアル面向上以外に正直ほとんど意味がなかったようです。追加)キャラクターのスロットが、普通(ふたつ)よりみっつ多い。

 BlizzardはDiabloIIIについて、本編リリース後「毎年一個づつエキスパンションを出し続ける」と予告していたとか。マデンなどスポーツゲームはともかく、最近ではBFもCoDも、もちろんWoWも駆使しているアニュアライズ(年次展開)戦法ってやつですか。固定ユーザーの財布をいつまでもあてにしつづける阿漕なやり方ともいえますが、評価は具体的な中身とその分量によるでしょうね。

 本編の物語(誰も気にしちゃいないんだろうが)では、とっちらかったままの伏線(ルーズエンド)が沢山残ってますから、きっとレヴェルキャップ90か99?くらいまで、3、4作くらいはエキスパンションを出すつもりなのでしょう。あわせてクラスが一個づつ追加されるくらいじゃないとエキスパンションとは呼べそうにありませんが、きっとそうするんでしょう。
 RoSはPlaystation 4にも移植されるそうなので、順次日本語版も出るのでしょうね。

 私の個人的な問題は・・・、物語を追いかけたくても、エンジェルなど登場人物の見分けがよくつかない(笑)。

 良く考えたらDAIのリリース後はそっちにサルのようにかかりきりになるんだった。

 DAIも同様の戦法をとって、本編リリース後はセミ(セマイ)アニュアライズくらいで、こってりしたDLCをガンガン出してくるんじゃないかな。それとも念願のエキスパンション・パックか? 
 いかん、来年の話をするとアーチディーモンが笑う(その前に本編が予定通りリリースされるように祈らないと)。

(追加)

 えー、今気が付きました。マルチプレイもやらないくせに恰好つけてずっとアメリカズ・サーヴァーでプレイしていました。RoSのアンロックは、エイジア・サーヴァーが早いらしい(地球は回ってるからね!)。

 For Asia, the expantion will be available to play at 11:00 a.m. PDT on  March 24.

 For the Americas, the expantion will be available to play at 9:00 p.m. PDT on  March 24.

 つことで、本日深夜(今、トウキョウは24日20:00p.m.、PDTは4:00 a.m.)クルセーダーはエイジア・サーヴァーで、ちらっと見るだけだ。ま、あんまし変わんないか。

2014年3月23日 (日)

Dragon Age: Last Flight

 DA小説"The Masked Empire"が4月に発売というのに、その前に次の小説"Last Flight"の発売情報が出てしまっているという、出版社は同じTor Bookなのにちぐはぐなタイミング。BioWareからも目立った情報が出ていないようです。
 Amazonのようなオンライン・ショップの都合で勝手に情報が出ちゃうんでしょうね。

 8月発売予定だそうです。作者はLiane Merciel、私は読んだことはありませんが彼女は"The River King's Road "を書いている新進のアメリカン・ファンタジー作家(本業は弁護士?)のようです。

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 第五のブライトの終息後、新人ウォーデンとしてリクルートされた若きエルフ・メイジであるヴァルヤ(Valya)は、今次ブライトに伴って発生したダークスポーンの異常な現象を調査するため、過去のブライトに関する研究を命じられた。

 彼女は、第四のブライトに関する古地図の余白に記されていた走り書きから、古のグリフォン・ライダーの最後のメンバーのひとり、イセンニャ(Issenya)の隠された日記にたどり着く。

 イセンニャが記した暗い秘密を知るにつれ、グレイ・ウォーデンの輝かしい英雄譚に関する自分の知識のどれひとつとして、ヴァルヤはそのまま信じ続けるわけにはいかなくなっていった。 

 DA2のように「枠物語」形式のようですが、第五のブライトのあとで第四のブライト前の時代を振り返っているので、ふたりの女性の間に直接的な関わり合いはないはず。 

 さすがにDAのヴィデオ・ゲームにグリフォン再登場というわけにはいかないだろう、と以前は考えていたが、おんまさんは登場するらしいし、これはひょっとするとやる気ですかね?

 さて、小説本題とは別に、ここまである傾向が続くと指摘せざるをえないので、言ってしまいましょう。

 今回もどうやらそうですが、DA小説はファンタジー・ジャンルの中でも主要登場人物の女性占有率が異常に高い。「読者どんだけ女子だよ」っていう話なわけで、今回はDA小説五作目にして、ついに作者まで女性を起用することになった。

 読んでみなければどうとも言えませんが、「アン・マキャフリーもどき」と最初から誹謗されることがわかっているのに敢えて書く、その意気やよし。 

 と紹介しておいて、私はDiabloIIIの二周目に戻ります。

2014年3月21日 (金)

Excerpt of Dragon Age: The Masked Empire

 私事ですが、この4月からまた忙しくなってしまいそう。
 DAライターのパトリック・ウィークス氏著、DA小説”The Masked  Empire”は愉しみにしているのですが、読む時間はあっても紹介を書く時間に困りそうです。

 DA  Wikiに、下のリンクから第1章が読めるとのニュースが載っていました。

http://us.macmillan.com/BookCustomPage_New.aspx?isbn=9780765331182

 読んでみると、かなりディテールに凝った表現で、ゲイダーさんの小説の細部をバッサリ削ぎ落としたような味わいとはだいぶ異なります。

 第1章は、オーレイ大学を訪れた女帝セレーヌ(Celene、読み方は暫定、以下同じ)が、ディヴァインの密使であるシスター・ナイチンゲールと秘かに会い、カークウォールの事件に端を発したメイジとテンプラー間の抗争状態を打開するため、チャントリーが直接的な行動を取るべく促す、実際には脅迫するという場面。そうでなければ女帝自らが、帝国内の不穏勢力を宥めるために行動を起こさなければならなくなる。
 諜報戦のプロであるシスター・ナイチンゲールを上回るほど事情に通じていることを示し、女帝もまたバードとしての訓練を受けてきたことをうかがわせます。
 また後半には、幼少のころからセレーヌの側に仕えているエルフの女性、ブリアラ(Briala)が登場する。彼女は女帝の侍女でもあり、密偵でもあり、そして恋人・・・。

 作中セレーヌ一世の描写を少しだけ。

 女帝は、ロープのように数珠つなぎになった真珠を縁取りにあしらい、ヴァルモント家の色を示す紫水晶を配した黄金の複雑な紋様を織り込んだ、クリーム色のサテンのガウンを身に纏っていた。それですら彼女の女帝としての地位に許される、乗馬以外の公的な場面における最も簡素でくつろいだ装いであったが、そうであっても、一日中身に着けていたら背骨と腰を押し潰すのに十分なだけの重さがあった。彼女は小さなシルヴァライト製のベンチに、安堵や不快さが思わず顔に出ないように、いつものように注意深く腰を落ち着けた。
 

“The  empress wore a creamy satin gown trimmed with ropy strands of pearls and woven  with intricate patterns of gold set with amethyst to mark the colors of the  Valmont family. Her position as empress dictated that this was the lightest and  most comfortable gown she could wear in public except when she went riding, but  it nevertheless weighed enough to crush her back and waist by the end of the  day. She settled onto the small silverite bench, careful as always that no sign  of relief or discomfort betrayed  her.”

 んー(笑)。カラフルなうえに濃いですねえ。さらに彼女は、オーレイの上流階級の慣わしとして、公衆の前では顔の上半分を隠すマスクを身に着けている。これもまた、ゴージャス。

 (彼女のマスクには)月長石が散りばめられ、頬骨と鼻を示す部分は黄金で縁どられている。両目の周囲は沢山の小さな紫色のサファイアで囲われており、また染め上げられた多くのクジャクの羽根が流れるように後ろに拡がり、黄金と菫色の冠とともに彼女の頭を取り巻いていた。サファイアと羽根は、特定のガウンに合わせるために、または特別な場面を示すために着け替えられるようになっていた。女帝のマスクの下の顔は白粉で覆われ、唇は深紅色に塗られていた。

It  was inlaid with moonstone, and lines of gold suggested cheekbones and a nose.  Tiny purple sapphires ringed her eyes, and dyed peacock feathers swept back from  her head to ring her with a crown of gold and violet. The sapphires and feathers  could be replaced with other colors to match a particular gown or represent a  special occasion. Below the mask, the empress’s face was powdered white and her  lips were lined with deep red.

 どうも本当に、抄訳以外では紹介できない感じがします。

2014年3月19日 (水)

A Forgiving Index

 謝罪の裏返しで、容赦のインデックス。または勘弁、寛恕とか。権力者がやるのは特赦、恩赦。神(ジーザス)がなされたのは贖罪(Atonement)、教会がやるのは贖宥(しょくゆう、indulgenceまたはpardon)、昔は免罪と呼ばれていた。

 原文のインデックスはアルファベット順に並んでいますが、ここはやはり「容赦」(Forgiveness)を一番最初に載せましょう。

http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/AForgivingIndex

 *** 

容赦(Forgiveness)

「過つは人の性、許すは神の心」

"To err is human, to forgive, divine."
— Alexander Pope, An Essay on Criticism

 容赦こそ最も難しい行いかもしれない。なぜなら、最も手ひどい損害を与えた事柄こそ真に容赦されるべきであるから。

典型的なイソップ物語(その教訓):

1.たとえ復讐を願う真っ当な理由があっても、強行すべきではない。復讐の連鎖を繰り返すことになり、自分も標的と同じ化け物となってしまうから。真のけじめをつけるためには相手を許す他にない。

2.復讐はすべきではないが・・・、どうしても行うなら、自分が化け物になることなく、完全に正当化できる方法で正義を履行できる場合。通常は相手がアンチ(アンタイ)ヒーローであるか、完全な化け物の場合。

3.復讐することが可能なだけではなく、そう「すべき」場合。それにより感情的けじめがつけられるだけではなく、標的が巻き起こしたとてつもない騒動に、長く待ち望まれていた決着をつける公的な使命を果たすことになる。それに加え、一回こっきりで決着がつくので懲罰の連鎖をエスカレートさせることはない。

復讐を行った(行わない)場合の効果

・復讐を行わないことで、キャラクターは宗教的に浄化される(Turn the Other Cheek)。贖罪で得た人生(Redemption Equals Life)、悪から善への回心(Hell-Face Turn)などを伴う。もちろん「パウロの回心」が念頭にあるのでしょうが、日本で有名な物語は「恩讐の彼方に」ですかね。

・復讐を行わないことで、キャラクターは少なくとも短期間は感情的に破綻するが、長期的にはより良い心情を得ると思われる。ただし「農夫と毒ヘビ」(凍えていた毒ヘビを温めて救った農夫が即座に噛まれて独で死ぬ)の譬えが成立する場合は例外。アジアでは「カメと毒サソリ」の譬えが有名かな。

・復讐を行っても精神的または感情的な後遺症を伴うことはなく、あるいは抱えていた感情的な傷がそれによって癒えるかもしれないが、道徳的には破綻してしまう(If You Kill Him, You Will Be Just Like Him)。

・復讐を行うことが感情的な後遺症を伴い、かつ道徳的に破綻する。

・復讐を行わないことで標的側が増長し、反撃を恐れる必要がないことから何度も何度も繰り返し被害を受け続ける。

 以下は、残りの「お約束」をアルファベット順に。

残酷な慈悲(Cruel Mercy)

 かつての敵対者を始末するのではなく、むしろ生き永らえて一生罪を償わせる。または、自分が栄華を極める様子を死ぬまで目撃させる。相手に屈辱・恥辱、後悔・悔恨、慙愧(ざんき)、絶望などをできるだけ長い間味あわせること。死よりも悲惨な運命(Fate Worse than Death)。サイファイやファンタジーには永劫の牢獄なんてのがありますね。無論、自死すら許されない。
 Mass Effectシリーズにはいくつか例がありました。アリアはかつてのボス(クローガン)からオメガを乗っ取ることに成功するが、そのボスに屈辱を味あわせるため生きたまま敢えてそばに置く。
 ギャレス(アークエンジェル)は、かつて自分と仲間を裏切った相手を敢えて生き永らえさせることに合意する(場合がある。彼やシェパードの意志がどうであるかに係らず、結果的に相手は死ぬまで懺悔を続けることになる)。あるいはDragon Age IIのアンダースも、ホークの選択によっては一生罪を背負い続けることになるケースもある。
 「武士の情け」は、この対極にあると言えるでしょう。その場合、保全・挽回されるのは「名誉」です。

かわいければ何でも許す(Cuteness Equals Forgiveness)

 説明不要ですね。(男女問わず)かわいさは、非難や糾弾に対して常に無敵(インミューン)。
 この「裏」、かわいくなければ何をやっても許されない。これも真実。いや、なにもしなくてもそもそも存在自体が許されない。
 「かわいさ余って憎さ百倍」なんてのもこの変形。憎しみも結局は愛の一形態。「アンチ」は「ファン」の一種。

昨日の仇敵は今日の親友(Easily Forgiven)

 少年ジャンプ。それに限らずほとんどの少年コミック。これが成立してるから「少年」向け、そうでなければ「青年」向け、なんて分類法はどうでしょう。

不躾けな容赦(Flippant Forgiveness)

 「失敗したのかよ。まあしゃあない、許したる」
 または、「気に病むな、どうせ君には土台無理な相談だったのさ」

 話者の悪意の有無にかかわらず、勘弁してもらった(らしい)方が怒り出す場合ですね。それを「逆ぎれ」とまでは言わないが、許したと思っているほうはそう感じることが多いでしょう。
 そもそも容赦するべき事柄自体が存在しない(受け手が責められる謂われがない)、または勘弁した(と思っている)方が実際にそれを許す立場でもないし、その権利もない、などの場合。
 それにも係らず(そのことがわかっているのに)、「勘弁された方」が謝罪したり、容赦されたことに感謝したりすると、これは前回紹介した「皮肉に満ちた謝罪」(Backhanded Apology)に当てはまる。

許しはするが忘れはしない(Forgiven But Not Forgotten)

「愚か者は許しも忘れもせず、初心(うぶ)な者は許して忘れるが、賢い者は許しても忘れない」
"The stupid neither forgive nor forget; the naïve forgive and forget; the wise forgive but do not forget."
—Thomas Szasz
 
 済んだことは済んだこと(許して忘れる、Forgiven and Forgotten、上のEasily Forgiven)とは違って、相手の罪は許すがその行いの事実は忘れない。相手から一生忘れることのできないほどの手ひどいダメージを受けたが、道徳的または宗教的な立場からそれを許さざるを得ないのかもしれない。あるいは「三つ子の魂百まで」ということわざを思い出したのかもしれない。悪人は(またはドジは)いずれまた同じことをやる。Dragon Age 2でいうなら、「ローグは結局ローグ」(”Once a rogue, always a rogue.”イザベラ)、”rogue”を”slave”に変えれば「一度奴隷だったらいつまでも奴隷(根性のまま)」(フェンリス)。
 日本の恩赦(大赦、特赦、減刑など)では言い渡された刑は消滅するが、その判決の記録は消えない。あちらでいう”amnesty”(語源は「忘れること」)は刑が免除されるだけではなく、犯罪のあらゆる公的記録も消滅して全ての権利が回復される。”pardon”(語源は「許すこと」は、刑は免除されるが記録は消えない。

自らの死による容赦(Forgiveness Requires Death)
 
 そもそも悪法によって、またはでたらめな法治による冤罪で、あるいは為政者の悪意や罠によって死刑を宣告されたキャラクターが、甘んじてそれを受け入れようとする場合。
 ソクラテス(ソクラティーズ)。一部の「ハラキリ」。「走れメロス」のプロットはトリッキーに見えるが、実はこれ(人間不信という為政者の過ち(罪)を、自らの死をもって証明しようとする歪んだ形の容赦)。
 ハリウッド映画では、アメリカンなど先進国のキャラクターたちがそうではない国を気軽に観光旅行中、バッグからなぜか大量の麻薬(または重大犯罪の証拠など)が見つかり、即刻死刑などの厳罰を受ける場合。大抵自分ではめられる原因を作っているため、本人たちは徐々に死を受け入れ始めるが、周囲の助けでなんとかなってしまう(そうでなければ映画にならない)。

刑務所釈放カード("Get Out of Jail Free" Card)

 元悪玉(今は善玉)や魅力的なアンチ・ヒーローが、良くわからない(観客に示されない)理由でいつの間にか刑務所から出ている場合。理由はおそらく次の二段階からなっていて、(1)刑務所にいたのではそのキャラクターの出番が作れない、(2)せっかく回心したのにずっと刑務所に入っているのであれば、最初から誰も回心しない。
 (回心していない)真の悪玉が、シリーズ前回の最後で捕まってぶちこまれた終身刑務所から、次回冒頭で難なく脱走している(マグニートとか)のは別のお約束。

往け、この後ふたたび罪を犯すな(Go and Sin No More)

 元はヨハネ伝の有名なくだり、姦通の罪に問われた女に対するジーザスの言葉。直前は「なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て」。
 説明不要でしょう。大抵こう言われた者は二度と悪さをしないか、回心して(Atoner)贖罪の旅(Redemption Quest)に出たりする。
 ふと気がついたのは、ディクスン・カーの有名なある推理小説。探偵が鮮やかにトリックを解明するのだが、その探偵、刑事、警察の偉い人、街の偉い人などが集まって協議のうえ、殺人犯の罪をいきなり不問にしてしまう。もちろん被害者が道徳的には完璧に許し難い悪党で、初心(うぶ)とはいえ犯人のほうが善玉だった。
 これはきっと「探偵(刑事)知らんぷり」(Let Off by the Detective)というお約束にあたるだろう。良く考えたらアガサ・クリスティーのあの作品もそうだったか。

正気じゃない容赦(Insane Forgiveness)

 どれだけ深刻な悪事を働いた者もあっさり許してしまう。済んだことは済んだこと(Forgiven and Forgotten、Easily Forgiven)の究極の形。(観客も、作中人物も)どう見てもこれには納得できない。負けるが勝ち(Victorious Loser)、博愛主義のヒーロー(All-Loving Hero)などのキャラクターによくある資質。愚かにして善(Stupid Good)のキャラクターもよくやるが、大抵悲惨な結果を招く。

俺にも一発殴らせろ(My Fist Forgives You)

 それでおあいこだ。数えきれないくらい見かけますね。逆の場合なら「僕の頬もぶってくれ」。んー、「走れメロス」。有名なジーザスのセリフは後から出てきます。

同情への罰(Punished for Sympathy)

 誰かの悪事に対して間違いなく天罰を下すべきところ、相手への同情心などからかあっさり許してしまう者がいる。何を考えているんだ、許したお前も同罪だ!
 または、社会の中でひどい悪評がたっている者を、慈悲の心などで救った場合。
 あるいは、戦意を喪った敵の種族を皆殺しにせよと(または重要人物を殺せと)命じられた兵士たちが、慈悲の心からか、または自らの名誉の保全のためか、それに背いて見逃す場合。
 愚かにして善のキャラクターが往々にしてこのお約束の世界に陥る。

制限つき復讐(Restrained Revenge)

 誰かを赦免する前に、非常にあっさりした、表面上だけの復讐を行うこと。たとえば他愛もないイタズラ(プラクティカル・ジョークやプランク)をしかけるとか。あるいは懲罰のルールを「文字どおり」に解釈して、なんらダメージを負わない形で決着させるとか(肉を切り取られるとは書いてあるが、血を流していいとは書いてない)。何もなしで放免されるのが納得いかない被害者(登場人物)や観客に対する言い訳の場合もある。俺にも一発殴らせろ(My Fist Forgives You)の上位お約束。昨日の仇敵は今日の親友(Easily Forgiven)の下位お約束。
 映画「遠すぎた橋」では、負傷した上官の治療を強要するため味方の軍医(もちろん将校)に銃を向けた軍曹が、その軍医の申し出により十秒間だけ憲兵に身柄を拘束されて放免される。

左頬をも向けよ(Turn the Other Cheek)

 マタイ伝、「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」
 究極の慈愛の形とされていますが、悪党の反応は当然様々なはず。そのフィクションの世界が理想主義・冷笑主義の間のどこに位置づけられるかを計る格好の尺度になりうる。現実世界でも結果はまちまち。
 理想主義の例は「レ・ミゼラブル」。司教の恩義に背いて銀食器を盗んで逃げたジャン・ヴァルジャン。憲兵に捕まった彼に対して司教は、「それは差し上げたものであるし、彼はこれを忘れて行ってしまった」と言って銀の燭台まで差し出す。ヴァルジャンはそこで突然回心する。冷笑主義の例はイソップの「農夫と毒ヘビ」。

お帰り、裏切り者(Welcome Back, Traitor)

 裏切り者が最悪のタイミングで身分を明かし、主人公とその仲間たちを散々な目に合わせて立ち去り・・・、そして戻ってくる。マインド・コントロール、または一時的な誤解や勘違いから解放され、あるいは主人公から説得されて、今度は本心から主人公の仲間となる。仲間って大事ね! 昨日の仇敵は今日の親友(Easily Forgiven)の特殊形態。Star Warsのランド・カルリシアン。Avengersの誰かさん。
 ヴィデオゲームRPGにも数限りなく例がある。Dragon Age IIならAct2イザベラがそのまんま(プレイスルーによる)。Act3アンダースも場合によってはそれ。また、フェンリスが敵と味方を行ったり来たり。
 Dragon Age: Originsでは多少ひねっていて、ローゲインを最終段階で仲間にしようとする場合、アリスターだけは決して彼の裏切りを許さない。
 強烈な例としてMass Effect 2。その「丸ごと全部」がシリーズ全体でこのお約束を成立させるための布石。

***  

 日本人は謝罪大好きだが、クリスチャニティ世界では容赦(慈愛、博愛)の事例があまりにも豊富。ジーザス(神)そのものが贖罪のシンボルであるから。ここには聖書由来のものが数多くあり、さすがに「勝手訳」はまずかろうと対応に苦慮してしまいました。

 「最高の善とは最大の悪を回心(一般には改心)させること」というのもここのお約束に関連しているし、元は、パウロの目からうろこが落ちた(パウロの回心)というエピソードですね。

 ヴィデオゲーム(RPG)では圧倒的に「容赦」の場面が多いが、これは当たり前。主人公が謝罪するかしないかを選ぶ場面を描くよりも(ふつうに考えて物語の中でまで謝罪なんてしたくはないですよね)、相手を容赦するかしないかを選ばせるほうがずっと面白いに決まっています。
 
 悪のキャラクターを簡単に許す話がどうしてそんなにも多いのか。上述の宗教的な影響の他、物語創作上の要請がありますよね。主人公と同じくらい、あるいはそれ以上に気合を入れてせっかく造形した悪のキャラクターを一回こっきりで使い捨てるのはさすがにもったいない。その悪が強烈であればあるほどもったいない。よって「使いまわし」が得策となるが、その方法は(1)何度も何度もいつまでも復活し続けるか、(2)いっそ味方にしてしまう、のどっちかしかないわけですもんね。

 日本語では「水に流す」ということがありますが、これはなんでしょうね。蟠(わだかま)りや復讐の心に伴う怒りや憤りは穢れであり、清める必要があるという意味でしょうか。ちなみに「水くさい」は水っぽすぎて味も素っ気もない、そこから転じて人間関係が希薄過ぎる(薄情である)ということらしい。
 

2014年3月17日 (月)

Index of Apologies

 本当に申し訳ございません。BioWareがちっともネタを出さないから、みなさんがひとつも読みたくもないだろうTV Tropesの記事なんかでお目を汚してお茶を濁して自分の顔に泥を塗りたくっているこの不始末、この粗相。土下座ですか、いえいえ土下座で済むはずもございません。いっそ死んでお詫びをぉぉぉ。生きていてごめんなさい、生まれてきてすみません。

 日本人大好きな、お詫び、謝罪、アポロジー。何かに因縁つけられたら取り敢えず頭でも下げとけば、すぐマスコミが興味喪うし、仮にいつまでもマスコミから糾弾されたときには「だから謝っただろうが!」と逆切れする権利でも生まれる、とでも思っているのだろうか。  

 どの道マスコミと当事者(人身御供)の間だけに成立する物語ですから、国民には何の関係もありませんし、何か意見を述べたがるような奇特な一般国民もいるようですが、申し訳ございませんが埒外。それに塵芥ほどの意味もございません。
 あ、仮に本当のことを少し言いすぎたようでしたら謝罪いたします。

*** 

「謝罪は人生にとって最高の接着剤。およそどんなものでも修復できる」
 ‐Lynn Johnston 

 キャラクターが謝罪を行うことに関するお約束。
 もしこのインデックスが読者の期待はずれだったなら、何卒ご容赦いただきたい。あくまでお粗末なインデックスのひとつなものですから。
 容赦のインデックス(A Forgiving Index)を参照のこと。

・謝罪まじりの攻撃者(Apologetic Attacker)

 正義の主人公が悪者を倒すときに、あるいはなんらかの理由でそこまで悪くはない相手を気絶させるなど無力化するときに謝罪の言葉を述べること。ところが主人公によっては、どうしようもなく性格の破綻した職業的殺し屋や拷問者を攻撃する際にすらそうする場合がある。またそんなに正義でもないキャラクターが、やむを得ず回りの者を手当たり次第に攻撃するときにそうする場合もある。
 「悪く思うな」、「恨みっこなしだぜ」(”Nothing personal”)なんて決まり文句もここに入るのかな。

・やたらと沢山の謝罪(Apologises a Lot)

 とにかくやたらと沢山謝るキャラクター。そのうちやたらと沢山謝ること自体を非難されると、またそのことについても当然やたらと沢山謝り続けるのが定番。キャラクターがどじっこ(Dojikko)、かわいいあわてんぼ(Cute Clumsy Girl)などの場合に重要な資質。アスカに対するシンジ。
 謝罪ではないけど、自分が素晴らしいプレイをして褒められても、必ず何かを言い訳する「アリバイ・アイク」って大リーグ選手の話がありました。

・謝罪のための贈り物(Apology Gift)

 そのまんま。カップルの男性から女性になら花束(特にバラ)、または宝石。あるいは手づくりの料理、お菓子、チョコレート。アスカがシンジに買ったウォークマンもそうかな(弁償の意味もあるけど)。

・皮肉に満ちた謝罪(Backhanded Apology)

 国営放送。「先ほど番組内で不適切な表現がありましたので、ひねもすテレビ観て過ごすしかやることのない、そこら辺のしょうもない視聴者から苦情の電話やメールが来てるぽいので、そいつら受信料払ってんのかどうかすら怪しいが、取り敢えずお詫びしときます」 

「まあ、お前ごときにはなぜこの私が敢えて頭を下げるのか、その理由すら理解できんだろうがな」

・言葉も出ない感情の高ぶり(Emotionally Tongue Tied)

 ごめんなさい、このお約束自体は実は謝罪の場合に限らず、例えば愛の告白なんかも意味しているのでした。本心からの言葉こそ語るのは難しく、言い淀んだり、絶句したりするのが常。そんな言葉は自分のキャラクターと違うから、単にシャイな性格だから言えない、なども理由になる。

・ひれ伏す者(The Grovel)

 一度危機を迎えた恋愛関係(夫婦関係など)を修復するとき、(大抵男のほうが)長い長い謝罪の言葉やなんらかの行動を示して、(大抵女のほうが)それを受け入れるように乞い願うこと。それがうまく行くなら感動的なシーンにもなりうるが、失敗すれば許しを請う方にとって品位を毀損するような大きなダメージになりうるし、また容易に謝罪を受け入れるほうは相手に甘い人とみなされるというリスクを負う。現にドメスティック・ヴァイオレンスでは虐待、謝罪、虐待のサイクルが繰り返される。
 日本人大好きな土下座は、この一種でしょう。

・命じられた謝罪(Ordered Apology)

 「悪いこといわん、君、とりあえず謝っとこ」

 権威者(指導者、教育者、親その他)から、その場の人間関係を取り敢えず取り繕うために命じられた謝罪。大抵、謝罪を命じるものはその事件や出来事の真実(本当の加害者、原因などの真相)を確かめるような意識も才能も知性もなく、対象にはその場で一番目立つ者や、前科もち、犠牲にしてもあたり障りのない者が選ばれる。

 あるいは、恋人などその意見を無視できない相手から要請されて(謂れのないようなことに)渋々謝罪をしなければならない場合。

・先制謝罪(Preemptive Apology)

 これから相手に対して行おうとする無礼な、または敵対的な言動について事前に謝罪しておくこと。裏切りのシーンにはうってつけの「決まり文句」(Stock Phrase)。「許せ、ジャック」、「何を?」、「これからお前を撃たなきゃならんことをだよ」。だいたいそんなこと言ってるから、悪人の弾丸は大抵外れるのだ。

・拒絶された謝罪(Rejected Apology)

 半島国。「今頃謝っても遅い」、「ごめんで済んだらケーサツいらない」

・悪いのはこっち(Sorry I Fell on Your Fist)

 直訳は「君の拳にあたってしまってごめん」。通常は怪我をした本人が、自分が重荷になってしまって申し訳ないなどと言う場合。

 わざわざTDLに遊びに来た国賓級の要人を説明が面倒くさいから国外退去させた島国の元外相。あと島国の「なんとか談話」。あと戦国なんとかとかいうヴィデオを隠そうとした、こないだのゴミ掃除選挙で見事に落選した元政治家。自称暴力装置の遣い手。

・遅くなってすまん(Sorry I'm Late)

 Star Wars(1977)のハン・ソロ。または(彼が登場したあらゆる映画における)チャック・ノリス。あるいは登場したいくつかの映画のアーノルド・シュワルツネッガー、シルベスタ・スタローン、ブルース・ウィルスとかあそこら辺の役者たち。戦争関係の映画における戦闘爆撃機(Saving Private Ryan(1998))とか戦車(La vita è bella、Life is Beautiful(1997))、あるいはたまたま近くにいた輸送機(Air Force One(1997))。こう並べるとここら辺の時代のアクション映画の典型的「お約束」みたいですね。最近ではAvengersシリーズですら恥ずかしがって滅多にやらないかな。大抵のヴィデオ・ゲームの主人公。Dragon Age IIのAct2クライマックスのイザベラ(プレイスルーによる)。大抵の活劇アニメの主人公など。
 ポイントは、確かに遅くはなったけど事態には「ちゃんと間に合っている」こと。間に合わなかった場合(It’s too late!)はドラマが続かないか、全然別のドラマになっちゃったりする(遅かりし由良之助)。

・すまん、最早これまで(Sorry That I'm Dying)

 説明不要ですね。「愛してるよ」や、「妻(子供)に愛してると伝えてくれ」などの決めゼリフの出番のときでもある。思いつく例があまりに多すぎますが、個人的に好きなのは、やっぱAliens(1986)の少尉とヴァスケスの最期のシーン。「俺の屍を越えて行け」はこの変形でしょうか。

・お邪魔みたいね(Sorry to Interrupt)

 (ある登場人物に会うため)部屋などに入ろうとしたキャラクターが、意外にもそこで目当ての相手が別の登場人物と親しげにしている光景に出くわし、このセリフを吐いて去っていく場面。あちらのドラマではとても多いけど和製では少ないかも。居住空間の設計の違いのせいだろうか。三角関係ものでは必須シーンでしょう。アスカ、レイ、シンジでもあった気がする。

・謝罪せざる者(The Unapologetic)

 半島国に言わせると島国。私に言わせると×日新聞。

・悪いのはそっちだ(Why Did You Make Me Hit You?)

 直訳は「どうして自分に殴らせるようなことをしたんだ」

 先に殴ってしまったほうが、(大抵は口論の罵詈雑言で)殴るように仕向けた相手を糾弾すること。とはいえ、男性が女性を殴った場合と、女性が男性を殴った場合では、全く違う意味あいが生まれる。

 アメリカ合衆国。まず相手に一発殴らせて(撃たせて)、百万倍返しする。一発も殴られなくても、相手が殴りそうな顔をしたら百万倍、っていうかゼロは何倍してもゼロなので、いっぱい仕返しする。
 かつては、なにをかくそうこの島国。ルーズベルト大統領陰謀説。

*** 

 やっぱ、基本的に誰にも謝りたくないアメリカンが書いてるの読んでも、申し訳ないけど面白くないですね。
 実例も少なく、失礼にあたるかもしれませんが記事自体もあまり面白くもなく、今回はかなり私が脚色いたしました。そういう意味で今回についてはTV Tropesの純粋な成分が多少薄まっているかもしれませんので、その点お断りするとともに、また挙げた実例もだいぶ自分の趣味に偏っているのかもしれません。お気に召さない方もおられるかもしれませんので、ここにお詫び申し上げます。

 なお、私への苦情や中傷等のコメントを頂いた場合、なんの返答もなく即刻削除することは往々にしてございますので、その点予めご了承いただきたく、何卒無作法をご寛恕ください。

 

Reaper of Souls

 B様から話題に出されるまですっかり忘れていましたが、DiabloIII。

 なんか気になってディスク(PC版・英語版・スタンダード版のゲンブツを買っていました)を探し出して、以前途中までプレイしていたPCは臨終しているので、買い替えたPCにインストールしてみた。

 んー。いきなりウェルカム画面に「エキスパンション・パックもうすぐ発売」(笑)。”Reaper of Souls”。3月25日(現地)。
 普段は興味のあるRPGくらいしかネット情報をチェックしていないので、全く知らなかった。なんですかこの偶然のタイミングは。セレンディピティー?
(スクエニがこのタイミングで日本語版を出すのは、実は偶然ではないのかも。BlizzardとSCEはPS4版も出すとか言ってた記憶が。エキスパンションのPS3/PS4版日本語ローカライズのタイムラグから逆算するといい感じなのか?)

 しかも新クラスがパラディン、ちゃうちゃう、クルセーダー。
 でもってデフォルト・キャラクターのお姐さんのヴィジュアルが私にはストライクど真ん中。

 本編も満足にクリアしていないのに、気がついたらエキスパンションのダウンロード版を買ってしまっている・・・。
 でも解禁日までの間、クルセーダーは使えない様子なのであった(それなのにルートではクルセーダー専用品が落ちているのであった・・・)。

 個人的なテイストからすると、DiabloIIIのクラスは良く言えば「個性的」、悪く言えばエスニシティがちょっとキツ過ぎるのです。結局一番ヴィジュアルの気にならないデーモン・ハンターを多用しているのですが、それに比べてもクルセーダーは全然ましに見える。
(知る人ぞ知るように、Blizzardの各種PC版オンライン・ゲームの主要ターゲットは(ほっといても売れる)USではなくて例えばドイツと半島国。そういうのもテイストに影響しているんだろう)

 再開したとたんに難易度Normalなのにやたら死に続けるので、少し間をあけただけで自分こんなへたくそになったのか、おかしいなあと悩んでしまった。なんのことはない、固有スキル(フィート?)が全部、一番安いものに変更(リセット)されていただけであった。もちろんそれでは勝てない。キャラクター・データーはオンライン上に保存してあるはずなのにどうして。どうやらパッチで難易度システムが変更されたことに伴うためのようではある。気がつくまで何度も死んだけど、どうせNormalだしね。

 それから、これも再開してはじめて知ったのですが、リアル・マネーもゲーム内ゴールドのどちらもオークション・ハウスが廃止されるのだそうだ。しかも今週3月18日現地(笑)。なんだろう、この偶然。
 マルチプレイもオークションも何もしない私には関係ないけど(まず一回クリアしような)、色々ごたごたがあったんでしょうね。その分ルート生成が甘くなったりするのかしら?(どうやらPC版ではすでにパッチが当たってるようで、"Loot 2.0”、"smart-drop"ってのがそれかな。量を減らして質を向上させる、特定クラス専用品を比較的多く落とすなどなど)

 先の週末は、夕刻からちょっとしたライヴを観に外出しなければならず、インストールが終わってから大した時間はなかったのですが、コマギレ時間でも遊べるというのはそのとおりでした。
 そういうつくりは本当に便利です。意地悪く言えば、中毒性を落とさないように怪しい隠し素材を入れているレシピのようなもんでしょうけど。


2014年3月15日 (土)

Rule of Romantic

 取り敢えず「何とかのルール」シリーズはここまでにしておきます。他にあるのは、セクシー、あでやかさ、不気味さなど、今まで紹介していたルールと関連しているから。

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 ある要素に関する「疑念の意識的な保留」(Willing Suspension of Disbelief)の限界は、直接そのままロマンチック(romantic)の要素に比例する。 

 フィクションが恋愛を取り扱う方法はたくさんある。そしてまたクールのルール(Rule of Cool)、ドラマのルール(Rule of Drama)、可笑しさのルール(Rule of Funny)、そしておっかなさのルール(Rule of Scary)などと同様、観客が何かを十分ロマンチックであると見なすのなら、それがどれだけ非現実的でも問題にされない。とどのつまり、エンターテイメントであるのだから。 

 しかしそれらのお約束とは異なり、このお約束ではその事柄が不可能であることまでは必要とせず、単に「もっともらしくない」、または「とてもありそうもない」くらいである。 

 ここには、価値観の不協和(Values of Dissonance)が他の「ルール」のお約束よりも頻繁に関与してくるが、それは国境に影響を受けるにとどまらず、性別にも左右される。男性諸君は否定するだろうが、彼らだってロマンチックの観念を有しているのだ。それは典型的なロマンチック・コメディ(Romantic Comedy)や恋愛小説(Romance Novel)に描かれているものとは極端に異なっているのみならず、少なくともアメリカ文化においては、ずっと私的なものとして取り扱われる傾向がある。 

 このお約束は、シップ同志の戦い(Ship-to-Ship Combat)には実際には適用されない。それらの戦いをする人々は通常、自分たちの選び出したカップルの見栄えが良くなることにのみ興味がある。そのことは彼らが、自分たちの好みのカップルが成立することを支持するような非現実的な点を称賛する一方で、全く同じ点が自分たちの支持しないカップルの成立を助けるような場合には切り捨てることがしばしばあることから、容易に見て取れるのだ。

 これは、19世紀の芸術的運動に関するいかなる事柄とも混同してはならない。 

 ドラマのルール(Rule of Drama)、あでやかさのルール(Rule of Glamorous)、セクシーのルール(Rule of Sexy)、および、いちゃつきと求婚(Flirting And Courtship)と比較のこと。

***  

 「価値観の不協和」(Values of Dissonance)は、上述の国境(あるいは文化)だけではなく、時代の違いによっても問題になります。

  それが顕著になるのは、他言語翻訳やリメイクの際に、キャラクターの性別・人種までも変更してしまう場合ですね。例えば和製作品がUSでリメイクされると、色々いじられる。

 時代が異なるため変更された例は、「宇宙戦艦ヤマト」なんかどうでしょうか。オリジナル(1970年代)では主要登場人物(んー、地球人の)に女性が一名しかいなかった(そして、当時そのことは日本ではノー・プロブレムであった)。実写リメイク(2010年)では登場人物の何人かが女性に変更されました。理由はひとつには時代の変化、もうひとつには(これすらも時代の変化に含まれると言えばそうだが)女性観客の興味を獲得しようとしたことでしょうか。

 「シップ」とは、フィクションの中における恋愛関係(リレーションシップ)のこと。「シップ同志の戦い」(Ship-to-Ship Combat)は英語の洒落で、海上戦闘とも宇宙戦闘とも全く関係なく、作中人物の誰と誰がくっつくのか、くっつくべきなのかについてファンの陣営が激しく主張し合う論争のこと。お好きにどうぞという感じです。

 

 

Rule of Scary

 個人的にこれだけは避けたい、と思っていたのですが、短いし、ついでだからやってしまおう。

*** 

 クールのルール(Rule of Cool)と可笑しさのルール(Rule of Funny)と同様に、おっかなさのルールもまた、十分に不気味なのであれば、論理的かどうかは関係ない、というものである。どうして偏執狂がホッケーマスクをかぶっているのか、どこで手に入れたのか、どうしてショットガンで顔を撃たれても生きているのかなどの問いは無関係だ。問題なのは、果たしてそれがどれだけ君を怖がらせるか(Nightmare Fuel)についてのみである。 

 おっかなさのための、もっとも効果的な処方箋は次。

・超常的なこと、または異常なことに、ごく平凡なことを組み合わせる(Uncanny Valley、不気味の谷)。もしすべてが不気味であれば、おっかないはずのものがそうでなくなる。 

・正気な者が用いないような調子(Last Note Nightmare)または要素(Bread, Eggs, Milk, Squick) を用いて話を終わらせる。人間は気違いじみた存在であることがわかる(Humans Are the Real Monsters) 。何か可笑しなことが、一段階あがって、おっかなくなる(そして依然として可笑しい)。例えば、「手品なんてどうだい? この鉛筆を消して見せようか・・・」(The Dark Knight、「ダークナイト」)

・人間の身体に直接影響を与えるような、何かおっかないものを詳細に見せる(または記述する)。恐ろしげに変化した身体(Body Horror)はこの一部であるが、それに限らない。例えば「マトリックス」(The Matrix)では人間を「生きた電池」として用いたり、ウイルス(ヴァイルス)を正確に描写したりする。見栄え優先の生物学(Art Major Biology)が、これの主要因である。

 下に列挙されたリストからお気づきになるはずだが、これは、映画(Film)の世界であまりに過剰に使われてきたお約束である。果たしてプロデューサーが論理などというたわけたものを気にしなかったのか(They Just Didn't Care )、または全ての些細な特異性を説明するだけの時間がなかったのか、その理由はこのメディアが存在する限り、論争の話題になり続けるだろう。

 色々あって(Hand Wave)、悪夢促進剤(Nightmare Fuel)も参照のこと。

 しばらくあとから気づく論理の穴(Fridge Logic)と比較のこと。画面外瞬間移動(Offscreen Teleportation)、及び恐ろしげに変化した身体(Body Horror)はこの下位お約束。

 失笑を買う真剣さ(Narm)、悪夢遅延剤(Nightmare Retardant)、かわいさのルール(Rule of Cute)の反対。

*** 

 今回は、今までにもまして関連お約束の適当な翻訳を思いつくのが大変でした。

 「色々あって」(Hand Wave)は苦しい。あちらの学者や技師の世界などでは、ホワイトボードを使って学説や技術などを説明するときに、ある部分を「ここで色々あって何とかなって・・・」と省略してしまうとき、片手をひらひらさせる(hand wave)のだそうだ。わかるかそんなの。

 「しばらくあとから気づく論理の穴」(Fridge Logic)とは、直訳すると「冷蔵庫(を開けて缶ビールが足りないことに気づいたとき同時に気づくさっき観た映画など)の論理(の穴)」のこと(それ直訳かよ!) 

 「恐ろし気に変化した身体」(Body Horror)はまさにそのまま。こなれてないように思うかもしれませんが、それ以外に言いようがないんだもの。丸ごと別の何かに変身することはもちろん、自分の身体にあり得ないものがくっついているなども含まれる。最初はちっちゃい出来物か何かだと思っていたのに、それがだんだん大きくなってきて・・・。 

 「失笑を買う真剣さ」(Narm)もそのまんまです。とても重大でまじめで真剣な場面のはずなのに、演出や演じ方が悪くて、またはメロドラマチックになりすぎて、あるいは過剰にやり過ぎて、受け手が思わず失笑してしまうこと。 

 「最後の調子」(Last Note Nightmare)と言っているのは、本当は最後の音符(an ending note)または和音(a chord)のこと。純粋に音楽の世界の「お約束」。でも上で言っているのは、最後の最後でおっかない事実(または誰かの正体)が判明することも含むのでしょう。

 かく言う私、おっかないお話は、本当にキライです。映画「キャリー」のリメイク(Carrie、2013)なんてPSNでも観れるようですが、とてもとても。そんなもの観てしまった日には、なにか物音がするだけでもおっかなくなってしまいますし、ものによっては長い間尾を引いてしまう。現に

 

 

2014年3月14日 (金)

Rule of Cute

 かわいさのルールも、ほぼ「お約束」の列挙と実例のみが記載されている。可笑しさのルールとはまた別の理由で、問答無用ですもんね。

*** 

「もし十分に可愛らしいのなら、意味はいらない」

 例えば、解剖学的にあり得ない(Waddling Head)生き物(Ridiculously Cute Critter)は、正しく用いられれるなら(Sugar Bowl)完璧に正当化できる。

 クールのルール(Rule of Cool)の下位お約束。あでやかさのルール(Rule of Glamorous)、ちっちゃーいのお約束(Tiny Tropes)と比較のこと。

 ブサイク(Gonk) ハリウッド的不器量(Hollywood Homely)(かわいくも美しくもないとみなされている者が、実はそうじゃない)、押しつけられた魅力(Informed Attractiveness)(かわいいし美しいとみなされている者が、実はそうじゃない)などと対比のこと。

*** 

 「これは事件です!!」

 ― ティオ・プラトー、「碧の軌跡」から

 ここも、可笑しさのルール同様に、多数列挙されているかわいさのルールに則ったお約束については省略します。
 「ブサイク」(Gonk)はほぼ文字どおりですが、フィクションのブサイクなキャラクターは(基本断らなければ主人公級の登場人物はイケメン・美形が当たり前だったりするので)現実世界よりも醜さの程度がとてつもなく誇張されているという意味。Gonk自体の由来は、随分昔に流行したブサイクさを売りにしたマスコット人形のこと。

 「ハリウッド的不器量」(Hollywood Homely)とは、(特に実写ドラマなどの)フィクション作中で登場人物が不器量であることを強調するため、黒縁メガネ(牛乳瓶の底)、おかっぱ頭、ニキビ・ソバカス、歯にブレイス(または乱杭歯、出っ歯)、すっぴんに見せかけた薄化粧などのシンボル操作を行う場合(例Ugly Betty、古い方のCarrie)でも、それを演じる俳優は、結局のところハリウッド映画(などマスメディア)に出演できる時点で、受け手の人々が普通の生活で出会う誰よりもはるかに「美形」であること。また登場する端役の「普通の人々」でさえ、日常生活で見かけることが滅多にないくらい「美形」であること。

 美少女アニメの世界などでは、通行人まで全部美形に描かれたりして(例Onegai My Melody、ただし登場するオタク男子どもだけ例外で全員残酷なほどブサイクに描かれる)、「誰もが漏れなくもってる可愛さ」(Generic Cuteness)が当てはまるかもしれない。

 「押しつけられた魅力」(Informed Attractiveness)とは(我ながら良い訳ではないが)、(実写ドラマなどの)フィクション作中で、その登場人物が作中では(イケメン・美形であることは言うに及ばず)類まれなる魅力の持ち主(しばしば「世界一の美女」などと形容される)であると設定されていることを、別の作中人物の発言などから伝達されて知るしかないこと。たとえ受け手が「どう考えてもそれは違う」と思っても、作中では類まれなる魅力がある人物として扱われたまま物語が進行するのをどうしようもない(例Star Warsのレイア姫、またはFFXのシーモア、あるいはBioWare社RPGのほとんどのプレイヤー・キャラクター)。

 小説、ラジオドラマなどヴィジュアルを伴わないメディアであれば、「まあ、そう言ってるからそうなんだろうな」と、受け手自身が魅力的と考える人物を想像すれば済むので問題は起きにくい。
 コメディやアニメの世界などでは「美形と聞いてたのと全然違うじゃん!」というミスマッチで可笑しさを引き出すことは(陳腐だが)十分可能です(例えばShrek、また「ぜんぜんブサイクじゃないじゃん!」というのも成立するので双方向で可能)。でもそれは別な話。

 こちらはゲイダーさんのいう”universally pretty”、「誰がどう見てもキレイ」が成立するのかどうかという話にも通じるネタですね。

 また、「かわいさのルール」は「萌え」(Moe)にも密接に関連するのはご想像のとおりです。

 上述のセリフはご存じキーアペンギンのくだり。ただし私はこの手の「かわいさ」にインミューン(完全耐性もち)で、むしろティオすけのほうが(むにゃむにゃ)。いや、エリィから浮気しませんよ!

Rule of Funny

 可笑しさのルールには、実例となる「お約束」の長大なリスト以外にほとんど何も書いていません。何か書けば書くほど「可笑しくなくなる」、そのことを知っている書き手が非常に賢いということだと思います。

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"If it's good for laughs, if it works, just do it." 

「笑いのためなら、そして笑えるなら、やればいい」

 Noah "Spoony" Antwiler, The Spoony Experiment

 継続性(Canon)、論理(Fridge Logic)、物理(Artistic License - Physics)、または常識(Violation of Common Sense)からの逸脱は、その結果として笑いを生むのであれば許される。

 これは、コメディにおけるクールのルール(Rule of Cool)の等価物であり、まさにその通りにコメディ・ショウの場でより尊重される。特にユーモア中心のアメリカン・アニメーションやウェブコミックス(Webcomics)で容易に行使されるが、受け手が、他の分野に適用可能なリアリズムがその分野では欠如していることを予期しているのがその理由である。
 楽しさのルール(Rule of Fun)と比較のこと。、

*** 

 この後、まさにアメリカン・アニメーションで多用される「お約束」のリストが続くのですが、それを一個づつ説明しても面白くも(Rule of Fun)可笑しく(Rule of Funny)も、ましてやクール(Rule of Cool)でもないので、ここまでにしておきましょう。
(もちろん、そのような「お約束」をこれでもかというくらい延々と列挙して、かつそれぞれに詳細な解説と例示を提示していること自体は、明らかに「常識」的な感覚から逸脱しているため、相当可笑しいことは言うまでもありません(TV Tropes Will Ruin Your Life))

2014年3月13日 (木)

Sliding Scale of Linearity vs. Openness

 前記事で予告したとおり、ヴィデオゲームがリニアリティ(一本道)とオープンネス(開放)をどのくらいの割合で含有しているかを計る六段階の尺度について。
 尺度自体のみ、抄訳します。

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1.ゲームプレイは完全にリニア(一本道)である。プラットフォーマー、スクロール・ゲーム、Battlefield、Modern Warfareなど大抵のFPSシングル・キャンペーン・シナリオ。レイルシューター(railshooters、一本道シューター)。

2.ゲームプレイはリニアだが、簡単な分岐やボーナス・ステージなどがある。オールド・スクールのFPS。Doom、Half-Life 2、Halo、Far Cryなど。FFシリーズの一部(X、XIII)。

3.メイン・ストーリーはリニアだが、AからBに向かう途中の道筋が多数選べる。サイド・クエストがあることもあるが支配的ではない。FFシリーズの多く、MGSシリーズのほとんど。サガ・フロンティア。

4.メトロイドヴァニア(Metroidvania)。サイドクエストがあり、世界探索も可能だが、メイン・ストーリーが優先する。世界はストーリーが進むにしたがって拡張されていくことが多い。Assassin’s Creed、Borderlands、Dragon Age: Origins、FFシリーズの一部(V、XII)、「メトロイド」シリーズ。「キャッスルヴァニア」シリーズの多く。

5.オープンワールドRPG(Open-World RPG)。数多くのサイドクエスト、かなり広い世界。メイン・ストーリーも分岐することがあり、マルチ・エンディングである場合が多い。「ゼルダ」シリーズ、GTAシリーズ、Mass Effectシリーズ、Falloutシリーズ、FFシリーズの一部(VI、X-2)、「ロマンシング・サガ」シリーズ。

6.やたらと広い砂場(Wide Open Sandbox)。メイン・ストーリーや目的が存在しないか、存在していても非常に弱い。MMORPG、TESのRPG、Minecraft、Sims、SimCityなど。

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 DAIの舞台も「広い砂場(群)」だそうですが、開発者は「強い」メイン・ストーリーが存在すると言っているので、「やたらと広い砂場」の定義には当てはまらない。上の尺度ではOpen-World RPGでしょうね。

 リニアリティのほうは「横道なし、探索なし、自由なし」(No Sidepaths, No Exploration, No Freedom)と表現されることがある。何ごとであれ「自由」が関係するととたんにむきになるあちらのゲーマーは(その条件反射的反応にこそ自由がないのではないかということは別にして)、故に「一本道」ストーリーがごく普通であったJRPGのことを「ダメ」とこき下ろした。同じゲーマーが「一本道」に近いシューターのことは「クール」と呼ぶ。

 MMORPG至上主義、Wide Open World至上主義というのも根は一緒で、要するにプレイヤー様に当然あるべき「自由」がないことに我慢ができないだけの話。まあ気持ちはわからんでもないが、結局はデザイナーたちの掌の上をぐるぐる回る孫悟空でしかないのですが。 

 上に例示したゲームを眺めればわかるように、どの尺度だって名作・傑作は成立しているし、成立しうる。プラットフォーマーやスクロールゲームは定義上リニアリティが強くなり、RPGは関連技術の深化と比例するような形でオープンネスを追究する傾向が高まっている(そして、その流行は後戻りしそうにはないので、残された一本道RPGと広い砂場RPGの世界の面積・容積的な乖離がどんどん拡大していくと思われる)。

 一方で、やたらと広い砂場は一般に多額の開発費用(すなわち数多くの開発者)を要するため、商業的失敗の許容水準が低い。だからどうしても保守的なつくりにならざるを得ない(MMORPGがWoWのクローン化する、どのオープンワールドRPGもSkyrimに似てくる)。さらに、プレイヤー側から見れば、これらのゲームは他のゲームに比べて膨大な時間をかけてプレイすることが可能である(つまり、飽きるまでの時間が他より長い)。時間占有率が高いゲームが生まれると、クローンや他の類似のゲームをプレイする理由がなくなる。少数の選ばれたゲーム以外の類似品の商業的な失敗確率があがる(MMORPGでは、あるいは当該ゲームにModコミュニティなどが存在していると、プレイヤー間のネットワーク効果が高まる(大勢集まるところのほうがなにかとお得)ので、選ばれなかった場合の悲惨さは増大する)。

 最近のKickstarterファンド・ゲームや独立系のRPGの(形式的な)オールドスクール派回帰の傾向(典型的にはアイソメトリック(ななめ見おろし式)、ターンベースト、限定的なヴォイス・オーヴァーなどの特徴を有する)は、結局そういう背景を反映しているのでしょう。主流のゲーム開発の方法論では画期的なアイデアを生むことが難しいうえに、大手パブリッシャーは商業的失敗を恐れるあまりそのような企画の採用に二の足を踏む。

 ごく少数それが目的化しているケースはあるかもしれませんが、一般には、誰も形式的なオールドスクール派のRPGを好んで創りたがっているのではないのだと思います。アイデアを実現するためにはそのほうが安上がりだから(すなわち少数の開発者で済むから、高価な開発エンジンのために余計な費用を必要としないから)、故に失敗しても大した被害ではないから。

 なお、「やたらと広い砂場」や「メトロイドヴァニア」なゲームを始めるにあたり、あまりに完璧な行動の自由が与えられることによって、逆に何をしていいかわからなくなり、その場で凍りついて(麻痺して)しまうことを、「流砂の砂場」(Quicksand Box)というそうです。やがて無目的に延々とあたりをうろつき始めたり、出会ったものを片っ端から殺し続けたり、壊し続けたり、最悪の場合は最初の場所から動かないままゲームを終了させる(そして二度とプレイしない)。プレイヤーが長い中断の後でゲームを再開したときに、進行状態を忘れ、ひどいときにはゲーム・メカニズムまで忘れてしまい(Now, Where Was I Going Again?、「えーと、どこ行く途中だったっけ?」)、「流砂の砂場」同様にただうろついたり、やはり最悪の場合にはその場でプレイをやめ、二度とプレイしなくなってしまったりすることもある。

 驚くなかれ、前者のように「麻痺する」人はかなりの数存在する。なんと公共のレヴューで「何していいかわからず、最初の街から出れず、何もプレイできずに終了」と告白する人もいる。それで☆一つとか、それは自分が悪いんだろう!

 そして驚くべきことではないが、私自身は後者、「んー、何してたところだっけ?」の常習犯である。大抵一人目の主人公はぶっ続けてプレイするのだが、二人目以降になると色々やってみたくて数人の主人公を並行してプレイしはじめたりして(MMORPGではこのことをAlt-itisと呼ぶのだそうだ)、とっかえひっかえやっているうちに(それを同時期に複数のゲームでやってしまうときもある)何がなんだかわからなくなり、かつリアルが忙しくてちょっと中断したりすると、もうあきまへん。インヴェントリーに入っているものをじっと眺めて記憶を呼び戻そうとしてみたりする。

 やたらと一杯入っているのだがどれも何の手掛かりも与えてくれない。途方に暮れて(文字どおり!)しばらく黙ってそれを見続け、やがて「ま、一度はクリアしたんだからいっか。もっとゆっくり時間があるときに考えよう」とつぶやいて静かにゲームからEXITするのでした(そしてしばらく経ってから同じことを繰り返す)。

Rule of Fun

 自分が愉しければそれでいい。そういうつもりで続けているわけですが、それこそ「楽しさのルール」。

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「もうすぐ死にそうなキャラクターが足を引き摺り、のろのろ動き、普通よりも効果的ではない動作を繰り返すのは『リアリスティック』かもしれないが、楽しくはない(Unstable Equilibrium)」

 ― David Sirlin、Street Fighterについて

 ゲームはプレイして楽しくなければならない。もちろん、綺麗なグラフィックや良きプロットも好ましいものだが、楽しさこそが肝要だ。ゲームが楽しければ沢山の不調和な点は見逃してもらえる。なんなら、黄色い丸(Pac-Man)はドットが大好きな理由、それから彼を幽霊たちが追いかけてくる理由、あるいはカエル(Frogger)が道路を横断しなければならない理由を説明(Excuse Plot)してごらん。説明することはできるだろうが、それはどうでもいいことだ。かつてゲームの目的は、一義的に楽しさを与えることだったのだ。

 このことは技術的制約がゲームの描くことができる深みや細部に制限を与えていた時代、最初期のヴィデオゲームで最も顕著であった。その頃、デザイナーはまずゲームを楽しいものにすることを真っ先に考え、それから理由づけをしていた。それに加えて、どのみち全てのゲームは基本的にはぶつかり合う沢山の長方形を描くだけだったのだ。デザイナーがその長方形の背後にどんな意味づけを隠そうとするかに関して、そんなに興奮してどうするんだい?

 もちろん、このことはヴィデオゲーム以外にもあてはまる。中世風の剣の戦いを本当の細部まで描き出そうとするテーブルトップRPG(Tabletop RPG)を創ることは可能かもしれないが、それを楽しいと感じる人は多くはないだろう(「本当の」剣の戦いは、通常極めて残忍であり、驚くほど短い間に終わるので、それ自体RPGの「楽しさ」にとってのアンチテーゼ(アンタイセシス、反対命題)なのだ)。故に、ヒットポイント(Hit Points)が生まれた。
 
 無意味でばかげた前提、変てこりんなストーリー、不気味なゲーム・プレイ・メカニズム、それらすべては、ゲームが楽しければ黙って頭を下げているしかない。これが楽しさのルール(Rule of Fun)だ。「これはショウで現実じゃない真言」(MST3K Mantra)、クールのルール(Rule of Cool)、可笑しさのルール(Rule of Funny、ちなみにこのお約束とは全く違うものだ(I Thought It Meant))なども参照のこと。

 楽しさのルールは、ゲーム・プレイのみならずゲーム・デザインにまで拡張して用いられる。鍛冶屋、仕立て屋、技師などであることはそれで楽しいかもしれないが、職業の細部(鍛冶の技術的側面、仕立てに要する時間)は決してそうではない。よって職業は、通常、沢山のしゃれた楽しいことがてんこ盛りで、実際の生産工程には相当な労力が必要とされるという事実は都合良く省略されるのだ。
 
 退屈と倦怠(tedium and boredom)は、いつでもエンターテイメントの伝統的な「敵」である。良いテンポで進み、沢山のアクションができるように上手にデザインされたゲームがプレイして楽しいのと同様、へたくそな脚本、またはへたくそなやり方で持ち込まれたコンセプトによって台無しにされたゲームはひどく非直感的でプレイヤーを飽き飽きさせることになる場合が多いだろう。

 「楽しさのルール」にその一部または全部を負っているお約束は次のとおり。

「許容可能な現実との乖離」(Acceptable Breaks from Reality)のほとんどは、邪魔くさい「リアリズム」なるものが、必要以上に楽しさを妨害しないようにするためのものである。
「すごいけど、無意味」(Awesome, but Impractical)。
「自慢する権利を得るためだけの報酬」(Bragging Rights Reward)。たしかに、「最強+1の剣」(Infinity+1 Sword)は必要ないかもしれないが・・・、でもクールだと思わない?
「ボタン連打」(Button Mashing)
「言い訳プロット」(Excuse Plot)
「偽の所要時間」(Fake Longevity)
「偽のゲームバランス」(Fake Balance)
「偽の難易度」(Fake Difficulty)。そう、通常は「楽しさのルール」を促進させる目的で導入されるとしてもだ。
「決め技」(Finishing Move)
「その使いみちは違う」(Not the Intended Use)
「プレイヤー自ら課した試練」(Self-Imposed Challenge)
「常識の侵害」(Violation of Common Sense)
「やたらと広い砂場」(Wide Open Sandbox)

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 んー、だいたいの部分は説明不要ですかね。
 「すごいけど、無意味」の究極の例は、Star Warsのデススター。
 「自慢する権利を得るためだけの報酬」を少し説明すると、極めて難易度の高い挑戦を突破して「最強+1の剣」のような究極装備を手にするプレイヤー・キャラクターは、定義上、すでにそのような装備を必要としないくらい強いはず。従ってそのような究極装備が存在する理由は、それを自慢する権利を獲得すること以外に何もない。
 「偽の」シリーズは、通常「水増し」とか「下駄をはかせた」とか「開発サイドのチートである」などネガティヴな意味に取られるのでしょうけど、たとえそうであってもゲームが楽しければ良いという意味。

 「その使いみちは違う」は開発者の悪夢。プレイヤーによって開発者が意図したものとまったく別の用途に供され、ゲーム・バランスなどを著しく狂わせてしまうアイテムその他のゲーム・フィーチャー(趣向)またはバグ。ゲーム・デザインを台無しにしてしまうゲーム・ブレイカー。

 ご想像のとおりMMO/MOには数多くの例がありますが、これを端的に示す例は、実はバグでもなんでもなくてデザインの穴を突いているもの。新米プレイヤー・キャラクターをものすごいスピードで育成するために上級プレイヤー・キャラクターが援助できる仕組みになっている場合。このズルのことを(MMO/MOリタイアしてしばらく経つので)日本語でなんていうのか忘れちゃいましたが、あちらではトウィンキング(Twinking)。最近のMMO/MOではこれを防止するデザインになっているのが一般的でしょうけどね。
 手軽な自動回復用アイテムなんてのもMMO/MOでは典型的な曲者で、パーティーで順番に回して使えてしまったりすると無限回復が成立してしまう。

 これを逆手にとって、目が覚めるような鮮やかなデザインが成立する場合もあります。あるMMO/MOの超難解レイドで、プレイヤーはあることができるアイテムを簡単に手に入れることができる。そのアイテムの使いみちはレイドの前段階を突破するためには必須なのですが、大抵はそこで用済みで「レイドボス攻略には無価値」と思ってしまう。ところが実は、その無価値と思っていた使いみち、まったくそのとおりに使わないとボスを倒せない(つまり正解であった)。アイテムを一旦使ったらなぜかもう用済みと考えてしまうプレイヤーの先入観を巧みに利用した優れたデザインだと感心したものです。

 「プレイヤー自ら課した試練」は回りくどい訳になっていますが、「やり込み大将」プレイヤーがよくやる、初期装備でクリアとか、最短時間でクリアとか、パーティーメンバーを使わずクリアとか、そんなやつ。

 「常識の侵害」は、現実世界では常識的に誰もやらない(やりたくない)ことが、ゲーム内では推奨されるだけではなく、何らかの見返りを得られるような場合。自傷行為や自殺行為の形をとる場合が多い。プレイヤー・キャラクターは得体の知れない科学者(魔術師)から彼/彼女が開発した得体の知れない新薬(ポーション)を試すように要請され、言われるままモルモットになる(普通はやらない!)。その結果、長い期間かなり悲惨な副作用に苦しめられるが、最後には感謝されて報酬(通常、まさにその新薬(ポーション)の副作用がなくなった完成品)を手に入れる。
 または、自宅の冷蔵庫の中の怪しげな(明らかに賞味期限をとっくに過ぎたような)食物・飲料を摂取する(普通はやらない!)と、キャラクターのスタッツが向上する。
 あるいは、クエストを解決する答えが「死後の世界」にあると知ったプレイヤー・キャラクターが、んーと、本当に死んでみる(絶対やらない!)。

 「やたらと広い砂場」(Wide Open Sandbox)はもちろんSkyrimなどTESのRPGが代表作で、大抵のMMORPGを含み、Sims、SimCityなどシミュレーション・ゲームの一部も含む。
 TV Tropesは、ヴィデオゲームが「リニアリティ(一本道)とオープンネス(開放)」をどのくらいの割合で含有しているかを計る六段階の尺度(Sliding Scale of Linearity vs. Openness)まで用意しています。それについては次の記事で簡単に紹介することにしましょう。

Rule of Cool

 “Rule of Cool”と言った場合の”cool”をなんとか訳そうとしたのですが、どれもクールじゃない、というかその苦労自体がクールじゃない・・・。例えば「いけてる」はすでに「いけてない」し、いまどき「さいこー」は「さいてー」だし、「かっけー」は音感が近いが「格好いい」と同様に一部の意味しか拾ってないし、一部の人にしか通じない(そしておそらくすでに古い)。日本人は何に驚いても「すごい」、「すげー」なので、それも避けたい。そういう意味では本当は意味が近いのかもしれないかもしれないけど。「素晴らしい」は意味もずれるし言葉が長すぎる。

 そこに含まれるほとんどの意味を表現する日本語をひとつだけ選べといわれると「クール」(kūru)以外に見あたりません。

 (ここでいう意味での“cool”はあちらのジャズ・プレイヤー発祥だというから、同じく周辺的存在だった芸者言葉から始まったという)「いき」(粋、意気)が意味的に一番近いのかもしれないけど、まず使わないし、仮に使ったとしても日本人が「古臭い」と受け止めてしまうとどうしようもない(し、現にそういう私ですら「いきだね」という表現は古臭く感じてしまう)。

 「ステキ」(素敵、語源は「かなわない」説がある)は比較的広い範囲の意味を拾うので悪くないが、残念なことにあまり多くの人は使わない(女性語と誤解されるからか)。またあちらで良く使う「ゴージャス」(素敵)と区別がつくのかとつっこまれるとキツい。クールな彼(彼女)とゴージャスな彼(彼女)は、どちらも意味が固定されていないにも係らず明らかに違う表現なのだが(でなければ”cool and gorgeous”とは言わない)、どっちもステキな彼(彼女)になってしまう。

 つことで、「クールのルール」だ。語呂もいいしね(悔し紛れ)。

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 ある要素に対する「疑念の意識的な保留」(Willing Suspension of Disbelief)の限界は、直接そのまま素晴らしさ(awesomeness)の要素に比例する。

 別の言い方をすれば、最も衒学的な観客以外の全ての者は、その結果がめちゃくちゃステキか素晴らしい(wicked sweet or awesome)のである限り、現実の束縛から自由であることを許容する。このことは観客一般に適用できるものの、その閾値は当然ながら個人ごとに異なる。

 クールのルール(Rule of Cool)は、フィクション世界のあり得なさに対するファンの間の議論を終息させることを企図した、また別の原則である。アニメーション・ディレクターのスティーヴ・ロウター(Steve Loter)が、自作品の論理的な一貫性に暫定的な齟齬があることを指摘しようとしたファンの質問に対する回答で引用したことがある。
 これは、べリサリオの格律である「あんまり近寄って観るな」(Bellisario's Maxim)や、「これはショウで現実じゃない真言」(MST3K Mantra)の補完物である。
 これは、科学法則の縛り(Mohs Scale of Science Fiction Hardness)を迂回するためのもので、最も頻繁に毀損されるのが運動の第三法則(Law of Inverse Recoil)であり、僅差の二番目が平方・立方の法則(Square/Cube Law、二乗三乗の法則とも)であろう。それに熱力学の第二法則が続く。それからもちろん、超光速航行(Faster-Than-Light Travel)を用いて遠く離れた惑星に数時間で到着すること(Casual Interstellar Travel)を阻止する相対性理論にも触れなければなるまい。

 注意しなければならないのは、クールのルールを行使できるのは、その結果が実際にクールな場合のみであることだ。同じく注意すべきなのは、ほとんどの論争(Flame War)が生み出される理由は、何が「クール」であるかに関する異なる意見があることだ。とは言え、クールのルールは極めて主観的なものである。このお約束を正しく行使することにしくじれば、壁との衝突(Punch a Wall)が待っている。

 主観的であるが故に、「山頂の死神がエレキギターを奏でる」様子が必ずクールとみなされるわけではない。ナイフや杭(ステーク)でヴァンパイアと戦うほうがよりクールなのであれば、主人公は銃を用いないかもしれない(Guns Are Worthless)。国中を旅する主人公に両親がくっついてくるのが変であれば、親なし症候群(Missing Parent Syndrome)が用いられるかもしれない。基本的には、クールのルールはストーリーが書かれるジャンルによって異なるのだ。このお約束が正当化される場合などひとつとしてないし、そもそもあり得ないと主張することもまったく可能であるが、ここでひとえに論ずべきなのは、このお約束が、意味こそ通じなくとも皆が喜んで受け入れたがる事柄に関するものである点であり、なぜならそのほうがクールだからだ。

 まったくもって完全なクールに関するガイド決定版(The Utterly and Completely Definitive Guide to Cool)を参照のこと。
 これは書き手の特権(Artistic License)の下位お約束(Sub-Trope)である。
 これは楽しさのルール(Rule of Fun)の関連お約束(Sister Trope)である。
 ニンジャ・海賊・ゾンビ・ロボット(Ninja Pirate Zombie Robot)、ルールはクール(Cool Of Rule)、可笑しさのルール(Rule of Funny)、おっかなさのルール(Rule of Scary)、ドラマのルール(Rule of Drama)、ロマンチックのルール(Rule of Romantic)、かわいさのルール(Rule of Cute)、男らしさのお約束(Masculinity Tropes)、ストーリーの付け合せ(Garnishing The Story)と比較のこと。
 観客はどうせバカ(Viewers Are Morons)との差異を対比のこと。

*** 
 上の記事自体も、例えば以前紹介したリカーシヴ・リアリティに関する傑作記事などに比べればあまり「クール」ではないのですが、文中にある「クールに関するガイド」は、ひとつも「クール」ではないので読まなくて良いと思います(私の主観ですが)。

 ここから、そもそもこうやって文章を書くことは「クール」なのか、という疑問が湧くわけですが。「クール」な物語は確かに存在するとしても、「クール」な物語を書くこと自体は実は「クール」ではないのかもしれない。

 むしろ、文中にある「あんまり近寄って観るな」(Don't examine this too closely.)とかそれだけで意味が分かるし、それこそクールのルールそのものじゃないのかと思うほど好きですね。しかもこのBellisario's Maximの記事の上述の文章にはすごく小さなアスタリスクが右肩に付いていて、クリックすると「人の話ちゃんと聞いてないんだね」(You don't listen very well, do you?)という文章が出てきて驚かせる仕掛け。「クール」(笑)。*いやいやここにはないから

 私が知って納得している「いき」の解釈は(男女関係など一部についてだけかもしれないが)、「ほどほどに」、「突き詰めない」ということ。「あんまり近寄って観るな」に通じると思いませんか?

 「いき」の反対が「やぼ」(野暮)で、たとえば「聞くだけ野暮」などと・・・、っと、これ以上はやめとくか(Captain Obvious)。

 

2014年3月12日 (水)

On Adaptations and Dreamcasting(翻訳はなし)

 ゲイダーさんも暇そうで、TumblrではDragon Ageの実写版映画(The Movie)を撮るならどんなキャストがいいかというネタをやっている。ご興味があれば下のリンク(The Bittersweetest Thingの当該記事)からどうそ。内容は彼の俳優の好みだけですから、さすがに訳出はしません。ご勘弁。

http://dgaider.tumblr.com/post/79174080921/on-adaptations-and-dreamcasting

(おまけ)ゲイダーさんがカッサンドラ役として挙げた女優さん。どこかで見た人だなあと思っていたら、Rinko Kikuchiであった・・・。
 ゲイダーさんてば、Pacific Rim(2013)にCanadianが登場しなかったのがどんだけ悔しかったのだろう(笑)。

 でも、人気作品の映画化は、前回の記事にあったように「オリジナル原理主義者」(Armed With Canon)の攻撃を間違いなく浴びることになる。そして日本アニメやゲームの実写化作品の惨憺たる失敗作の山(注)を眺めるとさすがに「やめとき」と思います。
(注)Street Fighter(1994)(Kylie Minogue万歳)、The Resident Evil一作目(2002)など少数の例外を除く。

 つうか、「原理主義者」(The Fundamentalist)とはオリジナル、すなわち「正典・原典」(canon)を文字通りに受け取り、それを墨守する者たちのことですから、「オリジナル原理主義者」って実はリダンダント、冗長な表現なのですが。
 彼ら及び(往々にして彼らと共通部分のある)一貫性至上主義者たちの巻き起こす論争は、もちろんマルチメディア時代がはじまる以前からありましたが、インターネットの時代にはもはや日常風景となりました。

 1980年代末から90年代に隆盛した日本の「トンデモ本」ブームも、前の記事で紹介したような(フィクションだから何やってもいいんだという)「お約束」に対する批判的思考実験に通じるものがあります。残念ながら後にはオカルト批判、疑似科学批判など違う世界に突入していってしまいましたが。90年代に立て続けに出版された(当時まだインターネットがそこまで普及していなかったのです)「サ○○○ん学会(研究会)」に代表される著者の出版物も物語の「お約束」や一貫性などを批判的に研究するものでした。

 ただし、どうも日本人は、個別作品への執着(コミットメント)または/及び愛着(アタッチメント)が高じてか、あちらのように個別作品については突き放して(デタッチメント)、ジャンル全体、あるいは類似ジャンル群全体にわたる百科大全形式の知の体系(TV Tropes Will Ruin Your Life)をものにしようという発想に欠けているようですね(Race Tropes)。彼我の大学そして図書館のあり方の差異に大きく影響を受けているのは間違いないのですが(Japan Takes Over the World、Tokyo Is the Center of the Universe)、その根底にはきっと信仰の問題があるのでしょう(Religious Stereotype)。

2014年3月11日 (火)

Anthropic Principle

 ドラマのルールの記事で何度もメンションされていた、表題の「人間原理」。
 実はこれがほとんどすべてのお約束の根底にあると言ってもいいのかもしれません。
 書き出しが、”For any given story, …”、「どのストーリーであっても」ですからね。
 

*** 

 どのストーリーであっても、どんなにありえそうにない、または不可能に違いないものでも、そのストーリー自身が発現しなければならないという基本的な原理がある。そうでなければストーリーは存在しない。言い換えるなら、「葛藤」(conflict)なきところに「解決」(resolution)はない。

 オリジナルの人間原理(Anthropic Principle)は、この宇宙の状態が、知的生命(例えば地球の人類)が存在する上でこんなにも完璧であることに対する理論的な説明である。なぜか? なぜならそれらの状態でなければ、我々はそもそもそのような観察を行うためにここに存在することすらかなわないからだ。よって我々が、そのどこかに知的生命の存在を可能とするような状態の宇宙に存在する確率は100%である。

 人間原理はフィクションに対しても似たように適用される。あらゆるフィクション宇宙(The Verse)には、それ抜きではストーリーが端的に存在できないような根源的な、公理のような原理があり、読者は作品を楽しむためにそれらの原理を許容しなければならない。このお約束の究極の表現は、ミノフスキー物理学(Minovsky Physics)である。これらの原理は実際に予め注意深く計画されており、現実の世界からフィクション宇宙への論理的な転換を保証しているのだ。

 例えば、「スラムドッグ・ミリオネア」(Slumdog Millionaire)では、主人公がTVクイズショウに出演することができ、そこで驚くべき成績をあげ、やがてショウそのものが真剣な取り組み(Serious Business)になっていくことが必要となっている。「ハウス」(House)は、グレゴリー・ハウス医師が薬物中毒を抱えたとんでもなくイヤな奴(Jerkass)であるにも関わらず、天才的診断医としての職を続けることができなければ成立しない。「スネークス・フライト」(Snakes on a Plane)は、飛行機にヘビがいなければ(snakes on a plane)成立しない(Exactly What It Says on the Tin、Captain Obvious)。「ガンダム」(Gundam)シリーズが成立するためには、巨大メカ(Mecha)が実現しなければならない。そしてすべての物理学者から永遠の憎悪を招こうとも、スペースオペラ(Space Opera)は超光速航行(Faster-Than-Light Travel)がなければはじまらないし・・・、その結果として登場するクールな宇宙船(Cool Starship)には(単にしかるべきマシンが信頼に堪えないもの(A.I. Is a Crapshoot)だという理由だとしても)搭乗員が乗り込まなければならず(We Will Use Manual Labor in the Future)、なぜなら無人の探査機を用いてわくわくするようなストーリーを語ることは難しいからだ(Most Writers Are Human)。アドヴェンチャー・ゲーム(Adventure Game)やRPG(Role-Playing Game)には、プレイヤーと一緒に悪の脅威の序列関係(Sliding Scale of Villain Threat)の間を切り抜けて、最終的にラスボス(Big Bad)をたった一回の戦いで打倒する誰かが登場しなければならない。そして上述のすべてのケースにおいて、これらのタイプの冒険が常時発生しているのであれば、そこは冒険にやさしい世界(Adventure-Friendly World)ということになる。

 これはある意味で、結局のところ重要ではない細部は意味が通じなくても構わないと考える「これはただのショウで現実じゃない真言」(MST3K Mantra)に反するものであり、人間原理(Anthropic Principle)では、ストーリーの特定の細部はそこにストーリーそのものが立脚するが故にとても重要であると考え、観客がショウを楽しむためにはそれら細部を信念を持って受け入れる(Willing Suspension of Disbelief)ことが致命的に重要であり、それ以外の視点から見てあんまり意味が通っていないとしても関係ないのだ。

・このお約束は、コミックブック(Comic Books)原作の映画(The Movie)やファンタジー(Fantasy)を批評する新米評論家が驚くほど頻繁にこきおろす(Defied Trope)ものであり、彼らはストーリーの前提そのものが現実的には不可能で、幼稚なガキみたいな単純化(Archetypal Character)に負っている、と批評の最初の一行でジャンル全体にダメ出しする。そしてそのようなストーリーを真に受けるのは、誰であっても定義上でたらめでガキっぽい者であると決めつけるのだ。お気に召さないショウへの不満(Complaining About Shows You Don't Like)と、偏見に満ちた強弁者(Bias Steamroller)を参照。

・反対に、プロットが実際のストーリーとして通用する必要があると考える狂信的なファン(Fan  Dumb)、過去のストーリーとの大筋での繋がり(Broad  Strokes)が求められるストーリーの側面についてうまく説明づけて安心したい(Doing in the Wizard)彼らにとっては問題となる。彼らは、文芸的な見地からの(Death of the Author)、キャラクター中心主義の見地からの、またはその他の(Epileptic Trees、メチャクチャな)解釈に基づく断固とした糾弾を行い、良きストーリー(Rule of Drama)になるかどうかなどには頓着せずに、厳密な一貫性(All There in the Manual)を至高のものと考える。また彼らが原作品の映画化を判断する際にも類似の基準(Armed With Canon)を用いる。彼らが変更案を出してもそれに対応する映画がない場合ですらそうするのだ。

・ときとして、根底に据えた前提に著者自身が不満を抱き、それに背くことがある。(調子の変更(Cerebus Syndrome)または偉い人のおせっかい(Executive Meddling)などのせいで)「一貫した」または「意味のある」ストーリーとするために基本的前提を変更する場合には、物語継続性のやり直し(Continuity Reboot)または前提の完全な刷新(Retool)が必要となる。「カンペキに良かったプロットが台無し」(They Wasted a Perfectly Good Plot)と比較のこと。

 このお約束は、ファン・フィクションの見出し(Characterization Tags)に「別の世界のお話」(Alternate Universe Fic)という注意書きを載せなけばならない理由であり、キャラクターだけを移植したフィクション(Transplanted Character Fic)が多くのファン・フィクション読者の不興を買う理由でもある。

 人間原理に関する現実世界(Real Life)の数多くの理論が、多重宇宙(The Multiverse)の、または存在するかもしれない代替宇宙(我々がいる宇宙と実質的な差異はほとんどないため、代替宇宙とみなされるために現実に存在する(Mind Screw)必要はない)の発想に負っている。それら理論は白昼夢と現実を混同する者(Daydream Believer)をわくわくさせる。著者がストーリーを編み出すに際し、自分自身の代替宇宙(Alternate Universe)を創造する物語越境(Transfictionality、Recursive Reality)と混同しないこと。

 ひも理論(String Theory、訳注:弦理論とも、これは現実世界の物理理論)が10の500乗程度の異なる物理法則体系の存在を必要としていると見なされていることから、このシナリオは現在数多くの物理学者から好意的に受け止められている。我々が恒星のただ中や深宇宙にではなく、比較的住みやすい惑星上に生まれたのはなぜかという疑問に対する説明も類似の議論によってなされる(そのように考えれば、この理論もロケット科学の世界なんかじゃなく、「だから?」という世界に思え始めてくる)。

 一面では、どれだけ起きそうにないように思われる出来事が描かれたとしても、ありうべき可能性の世界の中で発生しているようにみなされることがしばしばある。例えば、プロット冒頭でキャラクターが驚くべき出来事を体験した場合、その出来事が発生する確からしさが比較的低いとしても、キャラクターはその他にもなんら異常なことの起きない数多くの完璧に取るに足らない出来事を経験していると考えることができ、だからまさにその(異常な)出来事そのものが、そのエピソードが観客に対して提示される端的な理由とみなすことができる(別名、細部の節約(The Law of Conservation of Detail))。簡潔に言えば、描かれた出来事は、実際に起きたあらゆる出来事(またはキャラクター、場所、などなど)の中から任意の抽出方法によって出鱈目に選ばれたのではなく、単純に興味の対象となりうる出来事であると見なされただけである。起きそうにない出来事は現実世界でも起きるが、四六時中起きるわけではない。「起こりそうもないは、起こり得ないを意味しない」Improbable does not mean Impossible.)。もし誰かが最も興味深い人々に起きた最も興味深い出来事のみ選び出し、それについてだけ書くのであれば、たとえそれが普通の人間の生活であったとしても、読者にとっては異常なものに思えるだろう。だからといって、それらの出来事のもっともらしさが損なわれるわけではない。

 このように考えれば、真に空想的なストーリーでさえ、そのように定義された宇宙の中ではありうるものであると理由づけることもできる。例えばスーパーヒーローたちが継続的に囚われた者たちを救い出し、悪の企てをくじくのだが、それら事件がたとえ日々発生するものではないとしても、何週間おきにかは発生し、その間に面白いことは端的に何も起きず、故にそれらの出来事だけが読者に向けて語られているのかもしれないのだ。

 ドラマのルール(Rule of Drama)、チャンドラーの法則(Chandler's Law)、ドラマ保全のための足かせ(Drama-Preserving Handicap)、必要なイタチ(ウィーゼル)(Necessary Weasel)、許容可能な現実からの乖離(Acceptable Breaks from Reality)、冒険にやさしい世界(Adventure-Friendly World)と比較のこと。細部節約の法則(The Law of Conservation of Detail)は、「ワトソニアン」(Watsonian)的見地であるこのお約束の対となる「ドイリスト」(Doylist)的見地の役割を果たす(Watsonian Versus Doylist)。「これはフィクションで現実じゃない真言」(MST3K Mantra)の逆。

*** 

 白状すればガキの頃、ちょうどオリジナル・シリーズが始まったとき、ミノフスキー粒子は「現にある」と思っていました。もちろん、巨大(でもないけど)メカや宇宙艦が、場合によっては(光学的には増幅されているだろうが)目視可能距離で接敵するための仕掛けであることはわかっていたのです。ぱかしゅるな。

 それこそ上で言う「大抵の作者は人間」(Most Writers Are Human)お約束に準拠しているわけです。無人プローブ同志の砲撃戦や、完全にコンピュータライズドされた射撃管制システムでの戦いほどつまらないものはない。ガキだったけどサイファイ好きだったから、そのくらいは気がついていました。ホワイトベース(それからラー・カイラム)の対空砲座はそれぞれ搭乗員が操作しなければならない(We Will Use Manual Labor in the Future)。人手が足りないと艦長から「弾幕薄いぞ」と喝を入れられるわけだ。
(いまや現実の世の中のほうが歩兵以外あらゆる面でヴィデオゲーム戦争になってしまったわけですが)。

 そうではなく、現にミノフスキー博士がいて、太陽系にはなんらかの(宇宙航行には無害な)粒子が発見されていたと思っていたのです。半分は騙されていたわけだ。

 今回はさすがに注釈なしではきつい部分があるかもしれない。

 「調子の変更」と「偉い人のおせっかい」は、最近なら「明日ママが(略)」が恰好のネタ。前者だとストーリー・アークを跨いでいいなら「ルパン」シリーズ(宮崎の最終回は跨がなくてもそう)かしら。後者はオリジナル「ガンダム」そのものも危うく憂き目に会うところだった(「シャアが陰気くさいから数字が出ないのだ、さっさと殺せ」)。

 「物語継続性のやり直し」と「前提の完全な刷新」はあちらではバットマン。こちらでは「鋼の(略)」とか「ハンター×(略)」。

 「ドラマ保全のための足かせ」(Drama-Preserving Handicap)は、例えばこの世界に生まれたての敵を「まだ弱いうちに」倒しておこうとした主人公が、結局のところ力及ばずにそれに失敗し、手におえないくらい強大になってから戦わなければならなくなること。誰でも思いつくように真っ先に例示されるのは「ドラゴンボール」。「ドラゴンクエスト」などJRPGでも邪悪な存在が手が付けられなくなるほど強大化する前、あるいはこの世界に生まれ出る前の段階で葬り去ろうとするスキームを多用するが、大抵失敗して手に負えなくなる(笑)。

 「必要なイタチ」(Necessary Weasel)は、必要悪(Necessary Evil)の洒落。(イタチのような嫌われ者であっても)何事にも使える要所があるという意味。裏返して、同じお約束をただ漫然とそこら中で用いてはならないの意味。

 「ワトソニアン対ドイリスト」はお気づきのとおり、シャーロック・ホームズのネタ。 
 ワトソニアン(ワトソン)は、読者の抱く疑問に作者が物語の中で答える場合。Intradiegetic(物語内世界での(説明))。「主人公は崖から落ちて死んだのだ」
 ドイリスト(コナン・ドイル)は、作者が現実世界で自分の作品について答える場合。Extradiegetic(物語外世界での(説明))。「もう書くのに飽き飽きしたから主人公を殺したんだ」

 今までにも何度か登場した「これはショウ(フィクション)で現実じゃない真言」(MST3K Mantra)とは、あちらの深夜番組”Mystery Science Theater 3000”の主題歌(この記事末尾を参照)にちなんだもの。登場人物(男性ひとりとロボット二体)が、悪の科学者に捕まって、映画館風の場所でサブカル映画(和製アニメや和製怪獣映画などもよくやっていた)を強制的に見せられるという設定で、視聴者と一緒に観て、驚き、笑い、つっこみ、あきれるという趣向。結構な長寿番組でした。

"If you're wondering how he [Joel/Mike] eats and breathes / And other science facts / Then repeat to yourself 'It's just a show, / I should really just relax.'"

 もし君がこんなことを気に病むなら
 彼は食事や呼吸をどうしてるの
 他にも科学で説明つかないよ
 こう繰り替えして言ってごらん
 これはただのショウだから
 もっと気楽に見なくちゃね

2014年3月10日 (月)

Rule of Drama

 多少は雨乞いになっているのかもしれないので、続けましょう。TV Tropesから。

*** 

"And once again, Probability proves itself willing to sneak into a back alley and service Drama as would a copper piece harlot."

 「そしてまたしても、可能性が、まるで安手の売春女(copper piece harlot)のように裏道に忍びこみ、すすんで『ドラマ』にサーヴィスしたがっていることを自ら明らかにするのだ」
― Vaarsuvius、The Order of the Stick

 

 葛藤の起きる可能性があるならば、決してそれを無駄にしてはならない(Chekhov’s Gun)。

 ドラマも葛藤(Conflict)もなければ、そこにはショウもない(Anthropic Principle)。誰も文句を言わないような、不快なことが何ひとつ起きないショウは皆を退屈させる。だからこそドラマのルール(Rule of Drama)が必要になるのだ。

 どこにも葛藤が見当らないって? まあそう急がずに(Your Princess Is in Another Castle)。新しい不快な何かをどこからともなく出現させなければならない。これが、幸せなカップルの関係がそうそう長く続かない理由でもあるのだ(ライターが二人を引き離すことなく、うまいこと葛藤を生み出すことができるなら別だ)。

 レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)は、このことをかつて次のような下位ルールで表現したことがある。

 「迷ったら、男に銃を持たせて扉から招き入れよ」
 ― Chandler's Law

 基本的には、ドラマのネタが尽きたライターは、ドラマチックではない状況で無理やりドラマを起こす方法を捻りださなければならないということだ。そこで下手をうつと、不自然で、非合理で、またはひどくありそうもない、単に葛藤を延命させるためだけに存在しているシナリオとなってしまう。

 あるお約束がドラマのルールの産物であるか判別するためには、こう自問するが良い。このお約束を用いなかったら、これだけの下らないことがそもそも起きるのだろうか?(Anthropic Principle)

 ドラマのルールが適用されない唯一の場所は大団円(Dénouement)、ショウがそこで終わるべきところのみである。しかしそこにすら、続編へのつなぎ(Sequel Hook)を持ちこむことはできるのだ。

 許容可能な現実との乖離(Acceptable Breaks from Reality)と比較のこと(ヴィデオゲームの世界では、リアルさの代わりに楽しさを優先するためこれを用いる)。

 喜劇における可笑しさのルール(Rule of Funny)に関連している。人間原理(Anthropic Principle)も参照のこと。

*** 
 90%のお約束(TV Tropes)がこのお約束に適合するという、言わばお約束の親分・親玉。そうであるだけあって、記述もすっきりしていて基本原則の趣きです。これに匹敵するのは(ただし定義上はそのサブセットでもありうるのは)、文中にもある可笑しさのルール(Rule of Funny)をはじめ、楽しさのルール(Rule of Fun)、クールのルール(Rule of Cool)、おっかなさのルール(Rule of Scary)、ロマンチックのルール(Rule of Romantic)、かわいさのルール(Rule of Cute)などなどで、ネタにこまったらそこら辺を紹介しますと言ってくるんだろうなという読みのあなた。あんたはえらい。
 ただし、これらの原則的なルールはどれも短い。それだけで足りるかどうか・・・。

 「ドラマ」は訳さずにおきましょう。
 「人間原理」とは、「宇宙がこうであるのは、そもそも人間が存在しているから(観察できているから)」という宇宙論の発想。「宇宙がこうであるのは、神が(あるいは何らかの超越的存在が)造り給うたから」に反する考え方。

 The Order of the Stickは、DnD3.5の世界をベースにしたあちらでは著名な(ウェブ)コミックス。形式的にはオーソドックスなファンタジーなのに、辛辣なユーモア、冒頭引用にあるような物語そのものやRPG(特にDnD)の楽屋落ちネタなども多く、一部熱狂的なファンがいます。かくいう私もかつて印刷版をいくつか入手したことがありました。

 ちなみに、"copper piece" は、DnD3.5でいうところの通貨の最小単位、銅の塊のことです。

【DAI】法廷ではなく宮廷でしょうね。

 ヴィヴィアンの紹介文で、メイジの身分でオーレイの「上級法廷」(high court)の重職にあるのはおかしいと思っていたのですが、やはり「宮廷」(Imperial Court)が正しかったようです。関連部分を修正しておきました。
 「意味がおかしいと思ったら誤訳」という鉄則を守らなかったのが反省点。

 以下、言い訳。

 以前、ヴィヴィアンは「オーレイのファースト・エンチャンター」という設定がありました。もちろん小説Asunderで描かれたホワイト・スパイアの暴動(そしてそれに対するディヴァインの積極的関与)を理由に、セダス大陸中のすべてのサークルが即時廃止されましたから、DAIの物語の時点では厳密には全員「元」ファースト・エンチャンターなのですが。

 小説Asunderにはホワイト・スパイア(the White Spire、帝都Val Royeauxのサークル・タワーの別称)のファースト・エンチャンターが登場しました。
 セダス大陸のサークル・タワーは、その総数のみ示されて個別には曖昧な設定なのですが、オーレイにはホワイト・スパイア以外にモンツィマード(Montsimmard)にサークルがあったことがわかっている。Asunderの物語では、そちらのファースト・エンチャンターが誰だったかは明示されていない。

 でもですね・・・。「オーレイ宮廷のファッション番長」と呼ばれる彼女が、モンツィマードという田舎のサークルにはいないと思うんですよね。喩えるなら・・・(どこと喩えてもやばいからやめとけって!)。
 そこで私はこう考えてしまったわけです。

 オーレイにはファースト・エンチャンターが常時三人いるのではないかと。

 ホワイト・スパイア(ヴァル・ヨロー)。Asunder冒頭ではエドモンド、後にエイドリアン。
 モンツィマード。不明。
 そして、帝国宮廷そのものに仕えるメイジ団。

 三番目のメイジ団は、女帝セリーヌ(Selene I、セレーン)一世のお抱えという意味。そのリーダーが他のサークルにならって「ファースト・エンチャンター」と呼ばれることはありうるのではないか。
 ホワイト・スパイアやモンツィマードに幽閉されるメイジたちとは隔絶した立場・身分の(女帝の覚えめでたい)少数のメイジたちが宮廷に召集されていたというのはどうでしょう。
(ただここで「上級法廷」を持ちだす必要はなかったわけで、誤訳の部分の言い訳はできないのですが)

 もう一方の最高権力者、女帝に対して女教皇(さらっと書いてますが、この関係とても重要です)にあたるディヴァインには、メイジの統制と管理を担うテンプラーズを指導する重要な役割がありますから、自ら露骨にメイジ団を抱えることはできません。またこの女帝お抱えメイジ団の存在は、本来全てのメイジはサークルの監視下で統治・管理すべしというチャントリーの掟に背いていることになりますが、オリージャンの女帝とディヴァインの間の微妙な力関係を理由に黙認されているというのはどうか。そうなるとシーカーズの立場も色々錯綜しそうで面白い。

 DAOのごく一部のエンディングでは、モリガンがオーレイの宮廷メイジとなったのではないかという噂話が語られる(あのモリガンが、テンプラーの監視のもとホワイト・スパイアで暮らすことに我慢できるはずがありません)。
 それからDA2の物語で、特別な才能を見込まれてヴァル・ヨローに召喚されたというサンダルと、その父親がわりのボウダン。Asunderの物語でホワイトスパイアには登場しなかった。モンツィマードにいた可能性もあるかもしれませんが、素直に宮廷にいたと考えることもできます。

 DAIで女帝の運命が描かれるのかどうかもわからないですし(4月リリースの小説The Masked Empireに登場するそうですが、DAIの物語に影響するのかどうかも不明)、ましてや陛下ご本人が登場されるかどうかもわかりません。
 でも登場すると考えた場合、お抱えメイジだったヴィヴィアンが女帝の(おしゃれ委員長として)マブダチだったら面白いんじゃないだろうか・・・。(私の空想が正しければ、カッサンドラとヴィヴィアンの間も面倒な関係になるんですが、それも面白そうです)。

 空想ではなく妄想じゃないかって? 一応推理はしてるつもりなんですけどね・・・。

 

2014年3月 8日 (土)

【DAI】キャラクター・キット公開(ヴィヴィアン)

 ヴィヴィアンのキャラクター・セットが公開されていました。

 
http://blog.bioware.com/2014/03/07/character-kit-3-vivienne/

Vivienne_cover

To Vivienne, there are no impractical clothes, only impractical people. Her magnificent attire is a sign of her station, the jewel of the high court of Orlais where wealth, power, and beauty are inextricably linked.
A thousand arrows would pierce her breast before Vivienne would don beaten steel for so base an urge as protection. If one must wear armor, then have it flatter the form. Hide it beneath fine fabrics more becoming of one’s status, for steel alone will not protect you from the barbed tongues of Orlais.
To dress for comfort or purpose is a scandal—fashion and splendor are all that matter to Vivienne. Shower yourself in gold, let only the finest silks grace your skin, and wear a king’s ransom in pearls and silver upon your feet. Leave the stained tunics and rough cloaks to the commoners and their mud farms–a proper Orlesian climbs mountains in her evening gown, standing taller at the summit in her formidable high-heeled shoes.

 ヴィヴィアンにとって、非常識な衣装というものはなく、非常識な人々がいるだけだ。その荘厳な服装は、富、権力そして美が一体となって結びつくオーレイの上級階級の重要人物という彼女の地位を示している。
 千本の矢に胸を貫かれることでもなければ、ヴィヴィアンが基本的な防衛本能に心を委ね、打ち延ばされた鋼鉄の鎧を身につけることはないだろう。鎧を身に着けなければならないのなら、その形にはこだわらなければならない。その者の身分の高さを物語る繊細な生地の下に隠すべし。なぜなら鋼鉄だけでは、オーレイ社会の棘のある舌鋒から身を守ることはできないのだから。 
 寛ぎのためや何かの目的のために衣装を選ぶのは恥ずべきことである。ヴィヴィアンにとって流行と壮麗さ以外気に掛けるべきものは何もない。全身に黄金をあしらえて、最もキメの細かい絹のみ身に纏い、足元には王の身代金ほどの莫大な資金を用いて手に入れた真珠と銀を散りばめる。染めもののチュニックや粗雑なクロークは、泥まみれの農地を耕す庶民にでも着させておけばよい。真のオリージャンは、たとえ山岳に登るときにでも夜会用の外套を身に着けて、その頂上に立つ際にはおそるべきハイヒールを履いたまま、より一層高みから回りを見下ろすのだ。 

*** 

 上のリンクからダウンロードすることができるキャラクター・ガイドによれば、ヴィヴィアンのタイトルは「帝国宮廷のエンチャンター」(Enchanter to the Imperial Court)となっています。また、"Madame de Fer"、「鉄のマダム」とあだ名されているとか。既婚者なのか? 

 実際には胸のあたりに身を守るための小さな鉄板が隠されているのだそうです。白っぽく見える部分は、ホワイト・ゴールドだそうだ。白金(プラチナ)ではありません。とはいえ黄金が白いはずはないので調べると、(現代では)ロジウム・メッキを施してあるか、パラジウムとの合金なのだそうです。

 んー・・・。まあオーレイにも沢山メイジがいるから、そういう錬金術的なことはお手のものなのかな?

Vivienne_head_front

2014年3月 7日 (金)

【DAI】(蛇足)自画自賛

 読み直してみたら、3月5日の記事に、自分でこんなことを書いていました。

「BioWareが新情報を出すための雨乞いの踊りとしては、あんまり効果がないようですが、個人的に面白いので続けることにします」

 DAのツイッターでPR担当がDAIの新情報が出るとつぶやいたのが3月6日でした。

 DAIの新トレイラーが3月7日に公開されました。

 みんな! あたしを褒めなさい!

 こんなことがあるんだなあ(自分で雨乞いしといて信じてないのか)。

 

【DAI】Discover the Dragon Age

 昨晩呑んだくれていた私がおそらく一番出遅れていると思いますが、DAIの新しいトレイラーが出ていますね。
 セダス観光当局発みたいな。”Discover Canada”みたいな。

 DAのTwitter、facebook、BioWareホームページのBlog、別にそこに行かなくてももうどこにでもアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=fzuR1Fn_b48

 なんだよ、これだけかよ、とは思いつつも、たしかに描写の美麗さ・精細さには眼を見張ると言わざるをえません(といってもまだスマホのちっちゃーい画面でしか観ていないのですが)。

 小動物などがうろちょろしているのもMMO/MOではよくあるじゃん、と思いますが、実はこれが今回の動画の売りだったりするわけです。
 BioWare Blogの紹介記事(プロデューサーのお手紙)でも訳してみましょ。

*** 

 我々がDragon Age: Inquisitionの開発をはじめた頃、当初の目標のひとつが、世界を活き活きと描き出し、その広大で複雑な世界の中で誰を活躍させたいかをプレイヤー諸君に選ばせる、というものでした。これを達成したのは、膨大な数のエリア、破壊、そして我々がこれまで手にした最先端の次世代技術のほとんどを支えることができるフロストバイト・エンジンです。

 DAIはBioWareが世に出す最初の次世代ゲームです。そしてまた、これまでで最も野心的なゲームでもあるのです! そのことをありありと示す一番の方法は、プレイヤー諸君が旅する途中で発見することになる、驚くべきサイズと多様性を有した地域、生命、隠された場所をご覧いただくことの他にはありません。

 我々の新しい”Discover the Dragon Age”ヴィデオは、プレイヤーが冒険の途中で訪れることを選べる地域のごく一部しか描き出しておりません。ヴィデオの各エリアはそれぞれがリアリスティックなエコシステム(生態系)を有しており、捕食者、その餌食、派閥、そしてプレイヤーのインクイジション(審問団)を拡張するための機会を含んでいます。

 この世界のポピュレーション(生命の動態)は、プレイヤーが遭遇する相手を調節するエマージェント(創発、簡単に言うと「湧き」のこと)システムに基づいており、またそれはプレイヤーの行動に起因するそのエリアの均衡状態の変動に基づいています。プレイヤー諸君が目にするのは、盗賊に襲撃される街、オオカミの群れに追い立てられるシカ、クマを喰らう巨人、その他に数限りなくあるシナリオのどれになるかわかりません。

 アーティスト、デザイナー、プログラマー、アニメーター、オーディオおよびVFXスペシャリストならびに他の多くの者たちは、私の知る限り最も才能豊かな者たちであり、共に働くことはこれまでずっと私の喜びでした。彼らこそプレイヤー諸君が目にするDragon Ageの活き活きとした世界を実現した人々です。驚くべきグラフィック・システムを構築し、ごく自然に水たまりができるような天候変化、風で揺らぐクモの巣、そして我々がこれまでのBioWareゲームで創りだしたものに比べてもずっとリアリスティックな膨大な数の様々な素材を再現したのです!

 我々はDAIを開発するためのこれまでの取り組みを誇りに思い、またプレイヤー諸君が新しいヴィデオを楽しんでくれることを願います。いつものとおり、我々はBioWareフォーラム、フェイスブック、ツイッター、グーグル・プラスなどに送られてくるコメントを読むのを愉しみに待っていますので、ぜひ感想を聞かせて下さい!

キャメロン・リー
プロデューサー

*** 

 ご本人プロの書き手じゃないので、実際何言ってるか良くわからないところがいくつか(例えばエマージェント・システムのところ)ありますが、こちらで意味が通るように勝手に脚色・意訳しました。

 天候変化、クモの巣、そして様々な素材!というのは意図せず”Arson, Murder, and Jaywalking”になってるような気がしてしまいますけどね(もちろん、隠れた労力からいったら様々な素材の再現が大変なのはわかりますが)。

 雨の降らせ方は、これでリアリスティックなんでしょうか? 以前のプレイデモでも気になったのですが、黒澤明監督だったらなんて言ったでしょうね?(笑)

 エコシステム(生態系)に言及しているところ、Skyrim、あるいはMMO/MOなどのオープンワールドと何が違うかというと「プレイヤーの行動もインプットのひとつとして、ダイナミックに変化する」のがセールス・ポイントなのでしょう。
 ゲームのタイムスパンがまだわからない(DAOのように一年の物語なのか、DA2のように十年くらいにわたるのか)ので、果たしてどこまでリアリスティックなのかは謎です。「シカを皆狩ってしまったら餓えたオオカミの群れが旅人や村を襲いました」ならごく短いスパンでもリアリスティックでしょうが、「オオカミがいなくなったのでシカがやたらと増えました」が一年で起きるというのは無理がある。
 Dragon’s Dogmaのように、オオカミを何匹、何百匹退治しても一晩経てば同じ場所に無限に湧いてくるのが大変興ざめなのも事実。「オオカミは群れで襲います!」 何百回も聞いた。

 結局、いくつかの(結構膨大な?)シナリオ・パターンを用意しておいて、プレイヤーが差し掛かったところで、過去の行動も勘案してどれかがキックインするという感じでしょう。
(このアイデアは思いつくのは簡単で、ずっと昔から実際試みられてきましたが、無残なほど滑稽な結果に終わるのが普通。リアリスティックにやるのは相当面倒でしょうね)

 PR担当が、DAIは、Multi Region Open Worldのゲームだと言っていました。オクシモロン、形容矛盾(笑)。だって「リージョン」(地域)が別れていたら「オープン」じゃないじゃない。もちろんメタ(複合的)・オープン・ワールドって意味でしょうけど。

2014年3月 6日 (木)

【DAI】明日発表?

 Dragon Age Twitterから。

 “Your next opportunity to discover the Dragon Age is coming to Twitter tomorrow.”

 明日、といっても日本時間6日昼過ぎの時点で10時間は経っていますので、半日後。
 日本時間7日の深夜までには DAIに関する新しい「発見」の機会が与えられるそうです。ツイッターで。

 ツイッターで?
 なんかしょぼそうだなあ。
 
 滅多にみないfacebookを覗いてみると・・・。

 “Your next opportunity to discover the Dragon Age is coming to Facebook tomorrow.” 

 同じですね。

 DAチームのトップたち(エグゼクティヴ・ディレクター、プロデューサー、スタジオGMなどなど)がサンフランシスコに集結しているようなので、そのタイミングで何かを公表するゴーサインが出たということでしょう。

 サンフランシスコ? 
 EAのHQ(本拠地、正確にはシスコとサンノゼとのちょうど中間)ですね。
 結構重大な発表かも?

 マルチプレイ関係のニュースとか?
 もしや本編の発売日とか?
 それとも、やっぱヴァリックに顎髭を生やしたとか?(Arson, Murder, and Jaywalking)
 あるいはカッサンドラが長髪に(もういいって)

 それとも、まさか・・・(それ言ったらダメ!)
 くわばら、桑原、桑港。言霊はおっかないからね。

 

2014年3月 5日 (水)

Ancient Conspiracy

 BioWareが新情報を出すための雨乞いの踊りとしては、あんまり効果がないようですが、個人的に面白いので続けることにします。
 今回は前回記事にも登場した「古代の陰謀団」(Ancient Conspiracy)というもの。

http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/AncientConspiracy

*** 

クエスチョン:発祥は古代エジプト(Ancient Egypt)まで遡る、人類の歴史を左右できるほど強力な者たちが集結するたったひとつの陰謀団がずっと存在してきた。だが普通の人々は、自分たちの成功に手を貸すような彼らの存在を否定したがるのだ。

スーパーガール:地球温暖化(Global Warming)? 第三世界の軍事紛争? それとも俳優風情(Ronald Reagan)が公職に選出される(Arnold Schwarzenegger)こと(Arson, Murder, and Jaywalking)?

グリーン・アロウ:立ち飲みコーヒー店の拡大? 抗生物質の効かない病原菌? それともイケメンバンドの流行(Boy Bands)? 勘弁してくれよ、それで一体誰が得するっていうんだい?!

クエスチョン:誰が得するか、わからんのか?(Who, indeed?)

 ― Justice League Unlimited

 何世紀にもわたり歴史の影に潜んできた不可解至極なほど強力な集団。例えばイルミナティ(The Illuminati、啓明結社)やメイソン。それらの影響は広範にわたり、ヒーローたちを攻撃するため数知れないほどの悪の手先(Evil Minions)を抱えている。政府(The Government)、産業界(Corrupt Corporate Executive)、またはその双方を支配する彼らの目的は、(政治権力や富など)あっけないほどベタ(refreshingly mundane)かもしれないし、おぞましいほど超自然的(古の偉大なるものら(Great Old Ones、Eldritch Abomination)の召喚、世界終末の引き金をひくこと)かもしれない。陰謀に加担する一員、たとえその「指導者」を葬ったところで意味はなく、必ず他の誰かがその地位を引き継ぎ、集団の事業を間断なく継続すべく待ち構えている。彼らの何重にもなっている偽の顔の仮面(Multilayer Façade)を暴くことは不可能で、抵抗は無駄である(Resistance Is Futile)。

 ときには陰謀団の存在が暴かれることがあるが、結局最後のページ(または最後のシーン)では、真の陰謀団を秘匿するためにその陰謀団が犠牲になったことが明らかとなるのだ。そこから、もし陰謀団について知ることになれば、それは本当の陰謀団ではないという結論が導かれるが、これはもはや禅の思想の域である。

 古代の陰謀団(Ancient Conspiracy)は、ときには中立的か、または古代の守護者教団(Ancient Order of Protectors)のように善なる軍団であることもあるが、邪悪であるほうが多い(善なる軍団であればこそ、その構成員は大いなる善に仕えている(Knight Templar)と信じているわけだから、しばしば過激なほど邪悪な行いをなすこともあるのだ)。ときには(おもに過去の「イルミナティ!」三部作のような参考作品を「理解」している著者のシリーズで)、表面上の古代の陰謀団がすでに記憶から喪われてしまった古代の伝統教団(Ancient Tradition)から派生したものであることが、後になってから明らかになる。そのような場合、真の古代の伝統教団(Ancient Tradition)は主人公に謎めいた曖昧な形で支援を行うかもしれないが、自らは超然とし続けているだろう。

 そこでは知識深き者のみ加入可能(Only the Knowledgable May Pass)という掟が重要視される傾向にあり、潜入活動(The Infiltration)のときには特に重要になるかもしれない。

 このお約束は、致命的な失敗研究(Critical Research Failure)または作者の研究ご開陳(Shown Their Work)などと組み合わせることで面白いものになることがしばしばある。一方では、多くの著者が疑いもなく長い時間をかけて歴史や象徴(記号)体系についての書籍を渉猟し、完璧に事実に基づく前例を数多く投入し、そこから面白い物語を紡ぎだすことができるかもしれない。ところがそれらの同じ著者たちが、社会科学の慣わしについてひどく不完全な理解しかないことを暴露してしまうこともある。それにより、ある分野に係る著者の博覧強記が、別の分野に対する無知によって貶められるという非常に困った状況を生み出しかねない。

 古代の陰謀団は、しばしば陰謀論者の知識欲を惹き付けるため、一定の名前が繰り返し登場することになっても驚くべきことではない。テンプラー(テンプル)騎士団(The Knights Templar)とアラブの暗殺団(The Hashshashin、ハシュシャシンはアサシンの語源)はともに人気がある。他の作品(Values Dissonance)では、ユダヤ人(Once Acceptable Targets)が銀行を通じて世界を秘密裏に支配していることが当たり前に扱われている。フリーメーソンもときには登場するかもしれないが、実際には半・秘密結社であり、一般的には言うほどおっかなくもなく、せいぜい真の秘密結社の隠れ蓑に用いられるくらいであろう。これまでのところ最も普通に用いられるのはイルミナティ(The Illuminati)であり、古代の陰謀団としてあまりに頻繁に用いられてきたためにその呼び名が総称化し、歴史上のバイエルン(バヴァリアン)のイルミナティ(Bavarian Illuminati)との関連性は全く必要とされなくなってしまった。アダム・ワイズホプト(Adam Weishaupt、独:アダム・ヴァイスハオプト、イルミナティ提唱者とされる)の名前を引用されることはあるが、それもあてにはならない。

 TVシリーズに登場する際には、通常あらゆる物事の背後に潜む邪悪な黒幕(Big Bad)、他の全ての者の影の男のさらに影の男(The Man Behind the Man)が控えている。陰謀団が「曖昧にしか示されない全知の審議団」(The Omniscient Council of Vagueness)の形で現れる場合がとても多いはずだ。また、邪悪な計画(Evil Plan)や運任せの策略(Gambit Roulette)などを用意してる場合が多い。現代では古代の陰謀団が犯罪シンジケート(The Syndicate)と重なりあうのが普通である。恩恵をもたらす「古代の伝統教団」(Ancient Tradition)、および無害なくらい安全な「変な帽子同胞団」(Brotherhood of Funny Hats)と比較のこと。

 古代の陰謀団は「陰謀」(The Conspiracy)の下位お約束で、「権力を有する存在」(Powers That Be)の一部である。「霊感教団」(Path of Inspiration)はこのお約束の特殊形態であり、「ハリウッドの悪魔主義者」(Hollywood Satanists)は陰謀に加担していることも、そうでないこともある。非政府組織超大国(N.G.O. Superpower)はこのお約束の例になりうる。大人の陰謀(Adult Conspiracy)と混同しないこと。

*** 

 受け手のおぞましさ、無力感、絶望感を醸し出すために「古のときからずっと続く、もはや一般の人々にはどうしようもない陰謀」を用意するというのはまさに「お約束」でしょう。しかもシリーズ化にうってつけである。「政府の陰謀(団)」も限定的ですが同様の効果を生みます。「相手が何をやってるのか(狙っているのか、そもそも何者なのか)実のところわからない」というのは恐怖や不安の源泉ですね。

 もっとも、物語を覗き見できる読者/観客/プレイヤーの特権がない場合、一般市民がそのような陰謀(団)の存在を知ることすらゼッタイありえないわけですが。もし知っているならあなたは一般市民ではないか、あるいは対象は陰謀(団)ではない(ただの勘違い、妄想、またはあなたが陰謀論者である)。んー、グレイの法則(前記事)によれば、妄想が現実だということも万が一ありうるのかあ。

 文中にある禅の思想の域とは、知覚できるものは実際には存在しない(偽りである)、言葉は迷いを生む、という否定を積み重ねていく(少なくともあちらでそう考えられている)発想を言っているのでしょう。

 ハリウッド映画は言うに及ばず、小説、TV、コミックなどに数限りなく実例があるでしょうが、まっさきに思い浮かぶのは「ゼーレ」ではないでしょうか(私はそうでした)。作者側は疑いようもなく「曖昧にしか示されない全知の審議団」(そして途中からはそのパロディ)として描いている。莫大な開発資金を投入することが可能で、国際社会も世界金融も楯突くことができない。最終的に人類世界のリセットを目指している。

 「陰謀団」(The Conspiracy)の要件に照らしてみると。

・秘密結社(Secretive):ゼーレの全体像は関係者にもごくわずかしか示されない上に、一般大衆にはその存在さえ明らかにされていない。
・敵対勢力(Villainous):ゼーレは主人公たち(誰まで入れるかもありますが、誰まで入れても)を手先に用いて目的を完遂しようとする勢力であった(結果的に裏切られる)。
・組織集団(Group):国際連合すら凌駕し、国連軍さえ意のままに操る、明らかに強大な組織集団である。
・邪悪な計画(Evil Plan):人類補完計画。その目標・目的は極めて明確でした。

 ただし(裏)死海文書の取り扱い(解釈)によっては、果たして「古代から続く」陰謀団かどうか議論があるところ(作り手は「太古から続く秘密結社」と設定している)。

 Dragon Ageからはアンドラステの信奉者たちが例示されています。もちろんチャントリーはもはや秘密結社でもなんでもありませんが(後述する「霊感教団」に近い)、あのアンドラステの遺灰の守護者たちは形式的には古代の陰謀団であったと言っても問題なさそうです。いまや山岳部に引きこもっているカルトなので実際に世界の権力を支配しているわけではありませんが、潜在的に世界を転覆しうることはあったかもしれません。

 DAシリーズはこれまでこの「お約束」を(おそらく意図的に)避けてきました。「古のおっかないもの」は出てきますが、付き従うのはせいぜい洗脳されたカルト、ギルド、あるいはダークスポーン。アンティヴァン・クロウが一番形式的な資格を備えているとはいえ、職業暗殺者である彼らには大福帳の管理(バランスシートはないだろう)以外の「邪悪な計画」が(今のところ示されて)ない。「陰謀団」や「邪悪な計画」が存在しないことがDA2のテーマでもあった。絶対権力はゼッタイ的に腐敗する。権力(帝国)は放っておいてもいずれ瓦解する。リアリティ重視路線。
 だからと言って、DAIもその路線を踏襲するのかどうかはわかりません。なにしろ今度の舞台のひとつは仮面と陰謀の帝国オーレイですから、あるかもしれないですね。

 Mass Effectのサーベラスは、私の知る限りイルーシヴ・マン以前の時代にルーツを有していない。重層的な仮面に隠された秘密結社、アライアンス/カウンシルの敵対勢力、イルーシヴ・マンすら全貌を把握できない融通無碍な大組織、目的はヒューマニティの銀河支配。上述の陰謀団の要件には見事に当てはまりますが、「古代の陰謀団」にはあたりません。そこらの惑星国家よりも強力な軍隊を有する「非政府組織超大国」にカウントしてもいいかもしれませんが。
 そしてイルーシヴ・マンさえも「洗脳」されて操られていた(はずである)ことが最後の最後に示されるのでした(The Man Behind the Man)。

 文中にある「霊感教団」(Path of Inspiration)は、DnD Eberronセッティングが命名の元で、DDOにも関連クエストがあるそうな。
 表面上は無害な(あるいは有益な恩恵を与える)ことを目的とし、その存在も世間一般に広く知られているが、真の目的が古代から慎重に築き上げられてきた邪悪な計画の完遂である集団のこと(Villain with Good Publicity)。
 メシア教会? エボン寺院? グレバドス教会? それともクリスタル正教? 色々な例を思いつくかもしれませんが、ここは木を見ずに森を見ましょう。

 民主主義、民主制ですね。
 私が言っているのではなく、古くはプラトン(プレイトー)が、つまりソクラテス(ソクレティーズ)が指摘しているのだそうです。
(あるいはそれとの戦いに敗れて消えた他の世界的イデオロギー(アイデオロジー)、または世界宗教にも置換可能でしょう)

(おまけ)
 文中の「お約束」を全部紹介しているときりがないのですが、ひとつだけ。”Arson, Murder, and Jaywalking”は直訳すれば、「放火、殺人、交通規則無視の道路横断(ななめ横断?)」。三つ以上(最低二つでも成立する)の実例を数え上げるときに、「中」、「強」ときて、最後本来「最強」でなければならないところ、いきなり「最弱」に落とすこと。
 失礼、言うまでもないおせっかい(Captain Obvious)でした。

(同じ場面で数え上げられているわけではないが、Mass Effect 3 最後のDLCで、シェパードが自分のアイデンティティを乗っ取られ、ノルマンディ号を乗っ取られ、さらには飼っていたハムスターが餌も貰えず放置されていて怒り心頭、なんてのも一例ではありますね)

2014年3月 4日 (火)

Hanlon's Razor

 前二つの記事に関連した、TV Tropesの記事から。

 http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/HanlonsRazor

*** 

 表題はファネイガルの法則(Finagle’s Law)の系(corollary、他の命題から直接導かれる命題)のひとつであり、コメディの台本などにおよそほとんど無限に近い形で用いられているようである。

「愚かさで十分に説明できることを、決して悪意のせいにしてはならない」
Never attribute to malice that which can be adequately explained by stupidity.

 「ハンロンのかみそり(Hanlon's Razor)」を無視することは、「そのジャンルだから許される」(Genre Blindness)お約束の最もよくある形である。しかしながら、グレイの色合いのルール(Rule of Shades of Grey、「どんなルールも例外なく適用されるわけではない、このルールを含む(Logic Bomb)」)に照らし合わせることによって、ハンロンのかみそりはしばしば次のように記される。

「愚かさで十分に説明できることを悪意のせいにしてはならない。少なくとも、最初の一回は」
Don't assume malice when stupidity is an adequate explanation. At least, not the first time.

 しかしながら、ブリッジス夫人のテスト(Mrs. Bridges Test、BBCの”Upstairs Downstairs”から引用された次の言説。「一度目は悪しき運、二度目は悪しき習慣」)をパスした場合、悪意の存在は合理的な仮説となる。その時点でDr. Johnny Feverのルールが適用されるか(「誰もが君を捕まえようとしているときには、被害妄想が真っ当な考え方(Properly Paranoid)となる」)、またはIan Flemingによって明言されたルールが用いられる(「一度目は全くの偶然、二度目は偶然の一致、三度目は敵の活動」)。

 これを度外視することは、古代の陰謀団(Ancient Conspiracy)、政府の陰謀(団)(Government Conspiracy)、または類似の敵役が登場するプロットにとっての前提条件である。強力で、秘密主義で、そして悪意に満ちた陰謀団の存在は、権力者の誰かが怠惰で、近視眼的で、衝動的で、または単にバカなために悪いことが起きてしまうという発想よりも、ずっとおいしいストーリーテリングを生み出す。もちろん、敵の奴らは悪とみなされるよりもバカであると思われるほうを好むだろう(Conspiracy Theorist)。嫌悪感のほとんどは、君が聴いた騒音を誰かが「ただの風だ」(It's Probably Nothing)と言ったときにもたらされる。

 以上から次のような系、グレイの法則(Grey’s Law)が導かれる。

「十分に高度化したどんな無能さも、悪意と見分けがつかない」
 Any sufficiently advanced incompetence is indistinguishable from malice.

 この法則は、無知であることそれ自体は悪意と考えないという前提に立脚しているが、「本当の」法廷で争う際にはその前提は通用しないことがしばしばある。また無知を装うための悪意ある行動の釈明にもならないが、それは現実にもよくあること(Truth in Television)である。(例えば警官には同僚の不始末を報告しない暗黙のルール(Blue Code of Silence)がある)

 ロマン主義と啓蒙主義の間における論争(Romanticism Versus Enlightenment)では、ハンロンのかみそりは間違いなく啓蒙主義の立場に立っている(もし最悪の出来事が愚かさ、無能力、無視の結果であるなら、教育とデザイン改良/バカ除けによってよりよい将来を築くことができるから)。オッカムのかみそり(Occam’s Razor)と混同しないこと。ただし最終的に両者はそれぞれ触発しあう関係(Invoked Trope)であって、例えば多くの陰謀セオリー(Conspiracy Theories)では、悪意に満ちた複雑なシナリオがあった場合、ふたつの「かみそり」のお約束とも、無能力がその原因となった単純な出来事のせいであると見せかけたがるだろう。「悪い奴らは遅刻しない」(No Delays For The Wicked)も参照のこと。

 トローリング(Trolling)の現象は、いかなる形態であっても、特にこの法則に背いていることに注意(もっともグレイの法則によれば、目的をもったトローリングもありうるのだが)。

注意:だからといって、このことは「悪い者は全員バカか邪悪」(False Dichotomy。フォルス・ダイコトミー、誤った二分法)を意味しない。とどのつまり、我々の誰であっても十割バッター(bats a thousand)ではないのだから。

 ポウの法則(Poe’s Law)、トロール・フィク(Troll Fic)も参照のこと。

*** 

 法則名はハンロンという無名の人物の発言にちなんでいるとのことですが、SF作家のロバート・ハインラインにこれと酷似した記述があるので、そちらが本家でハンロンはもじりではないかという説もある。さらにはアインシュタイン、ナポレオン・ボナパルト、ゲーテなどの言説にも類似のものがある。かなりの人が行き着く発想であるのかもしれない。

 オッカムのかみそりは、ご存じのとおり「必要が無いなら多くのものを定立してはならない」(“Plurality must never be posited without necessity.”)という問題解決にあたっての指針、格言。簡単に言えば「物事を説明できる二つ以上の仮説があるなら、簡単なものを選べ」ということになります。もちろん「常に簡単なほうが正しい」と曲解しないように注意。
 
 一方、上述のグレイの法則はSF作家アーサー・C・クラークの三法則(Clarke’s Three Laws)にちなむものとされている。ついでなので、「よそのWiki」から関連部分を引用してみましょう。

1.      著名な、だが高齢である科学者が何かが可能であると発言した場合、ほぼ間違いなく彼は正しい。同じ彼が何かが不可能であると発言した場合、まずおそらく彼は間違っている。
2.      可能性の限界を発見する唯一の方法は、その限界から少しだけ不可能のほうに踏み出してみることだ。
3.      十分に高度化したどんな技術も、魔法と見分けがつかない。
 
1  When a distinguished but elderly scientist states that something is possible, he is almost certainly right. When he states that something is impossible, he is very probably wrong.
2  The only way of discovering the limits of the possible is to venture a little way past them into the impossible.
3  Any sufficiently advanced technology is indistinguishable from magic.

 一番目、二番目はもちろん冗談まじりでしょう。一番目の結論は誰が発言したかに関係ないし、二番目はトートロジーですしね。
 三番目は非常に有名なフレーズで、それを題材にした小説をご本人も書いているし、他の作者でも多くみかけますね。このコンセプトを得意としていた作者のひとりにSF作家ジャック・ヴァンスがいましたが、最近刊行された「奇跡なす者たち」収録の「最後の城」なんかが面白いかも(というか最近はそれしか手に入らないのか)。

 ポウの法則は、エドガー・アラン・ポウとは無関係で、宗教的原理主義に由来する次のような発想のこと。

「何か極端な物事のパロディは本物と間違えられやすく、また本物が十分に極端に感じられる場合にはパロディと間違えられやすい」(気がついていないといけないので言っておくと(Captain Obvious)、これは一重に、パロディそれ自体がもとから極端なものであるのがその理由だ(Not So Different)。

 Mass EffectもDragon Ageもそうですし、他の多くのファンタジー・サイファイ・フィクションでも、出来事(事件)の裏には「愚かさ」ではなくほとんどの場合「悪意」があるのは、上述されているとおりそのほうがずっと面白い物語になるから。

 ただし、Dragon Age 2はそのコンセプト全体が「ハンロンのかみそり」で説明づけることもできます。当初カッサンドラは、カークウォールを見舞った一連の惨事がすべてホーク一味の悪意(あるいは背後に潜む黒幕が操るなんらかの陰謀)に起因すると考えていた。だが彼女はヴァリックの尋問を通じて、次第にそれらがホークまたは他の者たちの愚かさ、無謀さ、無関心さ、または単なる偶然や不運、あるいは不可抗力などによって引き起こされたことに気がついていく(もちろん、ヴァリックが「信頼できない語り手」(Unreliable Narrator)でもありうることに注意)。
 結局のところ、この事件にはどこにも本当の意味での「邪悪な黒幕」(Big Bad、アンダースがそれにあたるかどうかは異論があるところだが)が存在しないことが明らかになる。

 まあ・・・。結局、それが上で言う「よりおいしい」(juicier)物語になれなかった理由なのかもしれませんけど。

 またメタ物語的にいうと、Mass Effectの洗脳セオリー騒ぎなどは、まさにハンロン/オッカムの法則の格好のネタでしょうけどね。 

・主人公が洗脳されていたことの「証拠」とされるありとあらゆる事象が数え上げられることから、エンディングはそもそも(ゲーム内)現実の出来事ではなく、物語全体は最初からそういうコンセプトを意図して練り上げられたものであった。
・開発スタジオには最後の磨き上げをするだけの時間がなかった、および/または当初のエンディングでも十分世間を納得させられると考えた。

 どちらの「かみそり」で考えても、後者を選ぶことになるわけです。

 そして病膏肓に入ったあげく、何百ページもの自主修正企画を作成したファンには、ポウの法則が適用されるわけでしょうね。そこまでいくと大真面目だったとしてもパロディ、パロディだったとしても本気と見分けがつかなくなるわけですから。

Gone Horribly Right

 普通はもちろん、"Gone horribly wrong"。「おそろしくまずいことになった」とか「とんでもない失敗(間違い)だった」などの意味。これは放っておいてもいくらでも実例をあげることができますね。

 これが、"Gone horribly right"、というのですが、「おそろしくうまく行った」では面白くもなんともない。「お約束」(TV tropes)にはならないはず。一体なんのことか。

http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/GoneHorriblyRight

***

「我々は世界最強のポケモンを作ることを夢見ていた・・・、そして今完成した」

"We dreamed of creating the world strongest Pokémon... and we succeeded."

 フジ博士の最後の言葉、Pokémon: The First Movie

 "Gone Horribly Wrong"「とんでもない失敗(間違い)だった」の反対は、良いことだと思っていたりしないだろうか?

 それは間違っている。とんでもなく間違っている。

 計画を頓挫させるような予期せぬこと(Didn't See That Coming)が起きる代わりに、研究者は全ての手順を正しく遂行した。その結果は彼らが望んだそのまま、いや実際にはそれ以上であった。不幸なことに彼らはあまりにうまく行き過ぎたのであって、その成功が彼らを滅ぼすことになった。結果が激烈すぎた、強力過ぎた、あるいは自分たちの望むものがもたらす帰結まで十分に考慮していなかったことが判明するのだ。

 もたらされるものは、施設/都市/世界/宇宙を破滅(Apocalypse How)に導きかねない連鎖反応の暴走、目標を殲滅するのみならず深刻な(あるいは完全なまでの)巻き添え被害をもたらす兵器、または命令を墨守し過ぎる(Zeroth Law Rebellion) 気が狂ったスーパー兵士のプロトタイプ(Psycho Prototype)などだ。多くの場合、研究者たちはその結果を見て、そのような計画に最初から取り組むべきではなかったことを悟る。その潜在的用途(Just Think of the Potential)が邪悪/破壊方面にあまりに完全に偏っているため、計画の産物には破壊以外の如何なる用途もなかったのだ。

 おそろしくうまく行き過ぎた(Gone Horribly Right )結果が、即座にそれと知れるわけではないかもしれない。研究者たちが自分たちのスーパー・プロトタイプ(Super Prototype)をベースに造り上げ、市場に売り出した製品ライン丸ごと全部が、しばらく後になって彼らに牙をむいてくる(Turned Against Their Masters)かもしれないし、あるいは研究者たちが仕事に精魂込め過ぎて、例えば、惑星上の他のどの工場よりも二酸化炭素消費が勝っている、遺伝子工学によって建造された工場は、原料を供給し続けるために巨大な火災を巻き起こす。通常これは、研究が意図していた用途や目的が責めを負うべきであることを(強く)示唆するために、ファンタジー世界のイソップ物語(Fantastic Aesop)と組み合わせて用いられる。

 このお約束がもっとも端的に示されているのは映画「ジュラシック・パーク」(Jurassic Park )であり、そのままイソップ物語のやり方で描かれていて、イアン・マルコムのセリフにはこんなものがある。「あなたはあまりに長い時間、それができるかどうかばかり考えていたために、やるべきではないことには思い至らなかったのだ」

 「人工知能は大ばくち」(A.I. Is A Crapshoot)の例のほとんどがこれにあたる(コンピューターが君の友(The Computer Is Your Friend)も参照のこと)。これは「文字通り聞き入れるジニー」(Literal Genie)の下位お約束にあたり、登場人物が望んでいたものが、彼らの周到な計画でもその辛い努力によってでもなく、偶然または魔法によって棚ぼた式に手に入る「願い事を告げるときには慎重に」(Be Careful What You Wish For)とは異なり、科学的範疇に含まれるものである。「ヒトラーのための春」(Springtime for Hitler)、「うまくいかないわけがない」(What Could Possibly Go Wrong?)、「見事に壊してくれちゃったね」(Nice Job Breaking It, Hero)、 「自らの爆弾で宙に舞う」(Hoist by His Own Petard)などを比較参照のこと。また、このお約束に気が付いたあとにしばしば続くものには「こんな先のことまで考えていなかった」(Didn't Think This Through)がある。

***   

 さて、このお約束の実例としてMass Effectシリーズからいくつもあげられているのですが、おわかりになるでしょうか?

 私が思いついたものが載っていて、それはそれでうれしかったのだが、他にももっとわかりやすいものがいくつかあって、それはそれで悲しかった(笑)。 

 私が気づいたのは、リヴァイアサンが生んだキャタリスト(A.I.)、そしてキャタリストが生んだリーパーズの元型ですね。リヴァイアサンの指示があまりにうまく(文字通りに)履行されてしまったため、リヴァイアサン自体までリーパーズに取り込まれることになってしまう(それでも種は保存していることになるので最初の指示には背いていない)。 

 これはバッチリはまったと思ったのですが。もっとすぐに気が付かなければならないものがありました。

 Mass Effect 2のシェパードそのものですね。さらにはノルマンディSR-2、あるいはスーサイド・ミッションのクルーたちまで含まれるという。もちろんその場合、計画/陰謀の主体はイルーシヴ・マン(サーベラス)となるわけですが。

 これ以外にもいくつか例示されていますが(例えばサブジェクト・ゼロ)、上のふたつが重要性ではだんとつかもしれません。

 サイファイ世界では非常に例が多いお約束ですが、ファンタジーやアニメでも結構多用されていますね。

2014年3月 3日 (月)

Finagle's Law

 「法則もの」は大好きなんですが、この記事は次の記事につなげるための前振りみたいなものです。

http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/FinaglesLaw

***

「マーティー、未来に関する情報を知るのはとてつもなく危険だってふたりでわかりあったじゃないか! 君の意図が善きものだとしても、ひどい形でバックファイアしかねないんだ!」

"Marty, we already agreed that having information about the future can be extremely dangerous! Even if your intentions are good, it can backfire drastically!"

Dr. Emmett Brown, Back to The Future

 ファネイグルの法則(Finagle's Law)は次のとおり。
 (訳注:「フィネガルの法則」が定着しているようですが、音はファネイグルに近いはず)

「宇宙のつむじ曲がり度は常にその頂点まで達する傾向がある」

 しばしば「動的負の傾向に関するファネイグルの法則」と呼ばれる。その簡素化されたヴァージョンは次。

「何事であれうまく行かない可能性のあるものは、必ずそうなる」 

“Anything that can go wrong, will go wrong.”

 一般的知名度で言えば、「マーフィーの法則」(Murphy's Law)と呼ばれるほうが普通である。しかしながら「マーフィーの法則」は、これとは関連しているものの次の別のものである。「何かを行う二つ以上の方法があって、そのうち一つの方法が大惨事を招く場合、誰かがその方法を用いる」 簡単な言葉に言い直せば、誰かがプラグを逆向きに取りつけたトースターが黒焦げになってしまった場合、問題は逆向きに取りつけたバカのほうではなく、そもそも逆向きに取りつけることができるようになっていたことである。結局誰かがその方法を試してみて台無しにしてしまうのだから(あるいは試すつもりもなかったのに台無しにする(Hanlon’s Razer))。

 「ファネイグルの法則」という名前は、この法則を正しく命名するため編み出された。その用語はSF作家ラリー・ニーヴンがひろめたものである。ファネイグルの法則についてのより詳細は、Hacker’s Jargon Filesを参照(このコンセプトは現実世界の特定の状況下でしばしば真剣な意味で用いられる。例えばコンピューター・プログラミングでは、防御的プログラミングと呼ばれるものの基本的原則になっている)

 真のファネイグルの法則は「何事であれうまく行かない可能性のあるものはそうなる」("anything that can go wrong will go wrong")よりも強い。それは、宇宙が人々を偽りの安全の感覚に誘引するために物事がうまく行くことをまず許容し、その後で台無しにしてしまうのだ。また、うまく行かないはずのない物事がうまく行かなくなることも許容する。そのうち一部のケースは「とてつもなくうまく行きすぎ」(Gone Horribly Right)に数えられる。

 物語の世界におけるファネイグルの法則は、おおよそその存在のすべてをドラマのルール(Rule of Drama)に負っており、とりわけクラップサック世界(Crapsack Worlds)、悪くなる可能性のあるものがありうる最悪の形でそうなる傾向がある世界で見られる。また現実世界(Real Life)でも、エントロピーが示すように限られたペースで発現する。一般的にはこの宇宙が、人々の人生が可能な限り困難で惨めなものになるように執着している悪意に満ちた(少なくとも意地の悪い)神(あるいは著者と呼ぶ人がいるかもしれない)によって支配されているという印象を与える。

 ある程度ではあるが、これはTVプロット、特にコメディの相当な割合を裏付けている。プロットが進むにつれて何かが起きる可能性は、実際にその物事の起きやすさではなく、それがもたらすだろう惨事の大きさに依存しているのだ。

 この用語は真剣かつ愉快な方法でクリストファー・スタッシェフの作品”The Warlock Unlocked”と”St. Vidicon to the Rescue”に用いられており、そこではカソリックのモンク・エンジニアの丸ごと一宗派がマーフィーとファネイグルの法則の思想を信奉し、おまけにつむじ曲がりのインプまで登場している。

 作中の出来事が、当該出来事がプロットに寄与するため、または読者/観客の注意を集めるに足るだけになるのに見合うため、物理学、生物学、礼儀良さ他の諸法則をどの程度まで無視しているかについて、格好良さのルール(Rule of Cool)と比較のこと。

 また、ハンロンのかみそり(Hanlon’s Razor)を参照のこと。フィンガルの採石場(Fingal’s Quarry)、ウェブ・コミック「マーフィーの法則」とは無関係。マーフィーの法則に関する他の用法については、曖昧さ回避ページを参照。

***

 ファネイグル、元の意味はペテン、詐欺などで、上にはラリー・ニーヴンが広めたとありますが、発案はジョン・W・キャンベル編集長だったとよそのWikiにあります。

 調べるとヴァリエーションはいくつかあるようです。 

 さて、上の記事にもいくつか面白そうな関連項目が転がっていますが、ここは"Gone Horribly Right"、「とてつもなくうまく行きすぎ」を選びます。

 そこからMass Effectに連想がとんだ人、私と同じ発想の持ち主かもしれません。

 

 

Japanese Politeness

 困ったときのTV Tropes(笑)。
 マジでネタがないので、いざというときのため貯めておいた面白そうな記事を紹介しておきます。
 この記事は、実は”Asian Rudeness”のほうを先に読んで、そこから見つけたもの。

 http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/JapanesePoliteness

 サブカルのおかげでネット好感度が異常に高い「日本」ですが、知る人ぞ知るように、かつて日本人といえば欺瞞、傲慢など悪徳の代名詞。先の戦争前には印象操作の影響もあって、映画などに登場する日本人は「自動的に」悪人の役でした。上述の”Asian Rudeness”の「エイジア」は今はごく限られた国々を指しますが、以前はそこに日本も入っていたと思う。

 TV Tropesの記事冒頭の詩文は、1932年にLIFE誌に掲載されたニューヨークの詩人オグデン・ナッシュのもの。当時のアメリカン(ウエスト・コースト)の日本人移民に対する心情を表した有名なものだそうだ。ネットの訳文はなんか古臭かったので下は拙訳です。リダンダンシー(くどい言い回し)があるのは日本人のたどたどしい英語の表現でしょうかね。

*** 

とても礼儀正しい日本人
いつも口にするのは「ごめんなさい、お願いです」
垣根を越えて隣りの庭へ
笑顔で言うには「許してね」
お辞儀し、親しげな笑いで笑いかけ
腹を空かした家族を呼び入れる
笑って、親しげなお辞儀でお辞儀する
「本当にすみません、ここ、これから私の庭」

 ――― オグデン・ナッシュ

 日本はその隣接諸国に比して極めて独特の文化を有しているが、多くの来訪者、とりわけ西欧人の指摘する日本の特色は、礼儀正しさ(politeness)に対する異常なほどの強調である。西欧人にとって、他のアジア文化のわかりにくい礼儀作法に辟易することはしばしばあるが、日本人は他のアジア諸国にとっても、そのバカバカしいほどの礼儀正しさで有名である。事実TVでもそのとおり描かれているのだが(Truth in Television)、概ねパロディとして扱っているようだ。そのすべてが封建時代(Jidai Geki)、中世イングランドと同様、日本社会が貴族政の強固な階級システムを中心に構築されていたときの名残りであり、それもあって日本人の礼儀正しさというステロタイプは、英国人(ブリティッシュ)の堅苦しさ(British Stuffiness)の東洋人版になっている。

 日本文化の礼儀正しさに関する一般原則は、不同意や拒絶の明示的表明を避ける(Hint Dropping)ためにはいかなる手段をも講じ、よそ者の前で仲間(家族、会社、部活動仲間などなど)を決して批判しないが(My Country, Right or Wrong)、自分の仲間集団を自慢することもせず(よそ者との会話中には身内の者に対する敬語は用いない)、一般的に他者、とりわけ権威を有する者に対してとてつもなく慇懃であり(Extreme Doormat)、自己の業績を遜(へりくだ)る(Think Nothing of It)ことによって間接的に他者を称賛する。それらがあまりに極端な域に到達しているために、日本語で礼儀正しさの度合いを表現するためには、劇的に異なる語彙に加えて異なる文法規則(Keigo)まですら学ぶ必要がある。

 それらの規則は外国人にとって予測困難な形で用いられる。例えば、ある状況では、外部の者との会話において自分の上司を貶めることはカンペキに礼儀正しいのであるが、本人がその場にいる場合はそうではない。なぜならその(本人がその場にいない)状況下においては、自分も、自分が応対している相手も、ともに自分の身内ではなく、第一義的にそれぞれの集団の代表者であり、その場合は謙遜ルールが適用されるからだ。一方、どちらかの集団の他の者がその場に居合わせた場合、彼らを貶めることは集団内部の緊張を招く兆しであるからご法度(big no-no)である。

 一部の人々、記事、あるいは書物が述べていることと反して、中立的な質問に対して日本語で「いいえ」("no”)と答えることは完璧に許容されうる。「ベンをご存じですか?」、「これまでにトウキョウにいらしたことはありますか?」(訳注:って、ここ、なんで自分が敬語になってんだよ(笑)原文は"Do you know Ben?"、"Have you ever been to Tokyo before?"と平文なのに)などの場合だ。ただし、礼儀正しい申し出に対する拒絶の「いいえ」は無礼である。「申し訳ありませんがちょっと無理」("I'm sorry that's a bit difficult...")や、単に「ごめん、ちょっと・・・」("I'm sorry, a bit...")が正しい答えだ。
 偶然ではあるが、いくつかの状況では西洋人も同じことをする。欧州で職に応募して不合格となった場合は、直接「不合格、能力不十分」("no, you are not good enough")と回答されることはなく、回りくどい言い方で「別の応募者がポストを先に埋めてしまいました(先に合格してしまいました)」("the vacancy has been filled by another applicant")と回答される。両者の相違は、日本人の場合、ある程度礼儀正しいあらゆる申し出に対して間接的に答えることだ。

 日本人側の視点(すなわち、他の全員が「無礼」(Cluster F-Bomb)、とりわけ西洋人、中でもとりわけアメリカン)からは、しばしば「イーグルランド」の第二形式(Type 2 Eagleland、America, the Boorish、アメリカ、粗野な乱暴者)の発想が生まれる。西洋人、特に中西部アメリカンで礼儀正しい日本人と同等なのは、ミネソタのいい人(Minnesota Nice)である。

 日本人の現実での礼儀作法は事実そのとおり(Truth in Television)だが、このステロタイプが英国人の堅苦しさの東洋版同等物となったのは、日本文化とアメリカ文化の間の文化的相違によるものである。

 この礼儀正しさに秀でることを志向する、ヤマトナデシコ(Yamato Nadeshiko)を参照。
 対極は、アジア人の無礼さ(Asian Rudeness)。

*** 

 果たして中世イングランドと日本の封建時代を等価で扱っていいのかという大きな問題はありますが(基本そう考えている学者はあちらでは少ないらしく、それもまた西洋優位説に立脚しているのかもしれませんが)、まあまあ面白いのではないでしょうか。

 この手の話になるとどうしても「敬語」の話になってしまって、かつ、敬語を上述のように英語で説明するというのは、結構暴挙に近いと思ってしまいます。もちろんTV TropesにはKeigoを説明した記事もありますが、非常に基礎的なことしか記載されてません。

 例文の英語を敬語に訳してしまう私自身のことも笑ってしまいますが。

 例示によれば、Mass Effectシリーズのハナーが、「日本人の礼儀正しさ」を体得しているのだそうだ。遜った態度、一人称は無礼にあたるので用いない、そして暗殺者集団(ニンジャ?)を常時雇用していること。ちょっとこじつけかもしれない。

 

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