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2014年2月

2014年2月27日 (木)

English As A Second Language

 声優コンテストへの応募は、やっぱ日本在住じゃダメみたいっすね。真に受けた人はいないと思うけど。
(もちろん、YouTubeにアップするのは自由だ。だから何かが起きるわけではないだろうが)
 ゲイダーさんがTumblrで(自分が答えるべき質問じゃないと)答えている。

*** 

「ヴォイス・コンテストには一部の国々からしか参加できないことに怒っている人がいますが、(参加できない)その理由が法規制のせいなのか英語が第二言語である諸国に対する差別なのかわかりません(差別ではないと思いますが、怒っている人はそれを根拠に用いているようです)。理由がわかりますか?」

 私が思うに、コンテストや懸賞の話になるといつもそうだから法的な理由だと思う。地域や国によってそれに関する法規制は大きく違うからだ。詳しい知識は持ち合わせていないが。私ではなくてコミュニティ担当(例えばジェシカ・メリザン)に問うべき質問だろう。やってごらん。噛まれることはないから。

 あるいは。BioWareが君の国/地方(あるいはワシントンDC)がキライだと単に決めつければいい。我々がDragon Ageに沢山のお国訛り(accents、アクセント)を用いている事実を無視して、または、たとえそれらを用いていないとしても、カンペキに通用するアクセントで話す人は世界中のどこにでもいるにも係らず。どう考えるのもご自由にどうぞ、だ。

 喜んだ挙句に、コンテストの規則/資格の欄を読んで、資格がないことを発見してしまった人たちのことは気の毒だと思う。たしかにひどいよね :(

*** 

 声優コンテストの規則までまだ読んでいないけど、法規制、それも国際条約・協定まで考慮の対象ですね。それから、声優に関することなんで俳優・声優ギルドの縛りも関係あるかな。

 ニンテンドウ(キョウト)のコンテスト・懸賞だって日本在住でなければ受けられないもの。ただしニンテンドウ(あるいはスクエニ、カプコン、コナミ、などなど)の場合は日本以外でも(あるいは他国のみで)似たような懸賞を出している可能性が高いが、BioWare/EAの場合はやっぱ基本はCanada/US限定でしょう(貿易・租税協定で懸賞などに関する例外がある国まで含まれるかな)。

(追加)

 ようやくルールを読みました。以下の国々の正当な居住者のみが対象。そのほか年齢制限や、EAグループの従業員や家族ではないなど懸賞・コンテストに関する通常の縛りがあります。

 Australia, Canada (excluding Quebec), New Zealand, United Kingdom and the
United States (including the District of Columbia)

 ケベック州が除かれている理由は、カナダで同州のみがカナダ新憲法を批准していないからでしょうか。
 ワシントンDCがわざわざメンションされているのは、DCがどの州にも属していないことが理由でしょう。

(追加終わり)

 Canada(BioWare)はともかく、US(EA)にとって他の国は「その他」(the rest of the world)ですから。ベースボールのチャンピオンシップ・ゲームは”World Series”ですから。

 まー、言っちゃ悪いけど、申し訳ないけど、自国(あるいは共通する文化圏)で色々間に合っちゃう国々と、そうではない国々では違いがあって仕方がない。それは「差別」とは言わないでしょう。ある文化の中心部と周辺部ではある(その区別まで「差別」と言い切ることはできなくはないけど・・・)。
(「色々間に合っちゃう」部分には、(自国または共通文化圏の)「消費市場」も入ってしまう。これが単独で重要なのかもしれない)

 かつてIGNの記者がトウキョウ・ゲーム・ショウの記事で、日本について「必要と思ったものはなんでも自分たちで作ってしまう国」と感嘆していた。
 それって、自然なことでも、普遍的なことでも、なんでもないからね。

(もっとも、ゼッタイ作らしてくれないものもまだあるけど。例えば大型旅客機。主力軍用機。F-35は日本のやり方で造るとあまりに安くできちゃうから、予算いっぱい欲しいあちらの産軍共同体がとても困ってしまうんだろう。実際、旅客機も戦闘機も重要部品の大半が日本製だから造っちゃってるのと一緒だけど。あとは、まああれですけど、言わずもがなんでやめとこね)

 あるいは。それができなければ人の創ったものを丸ごとそっくりパクる(しかも、いつの間にか自国で創ったことにする)っていう手口があるが、このブログを下らないネタで汚すのもイヤなんでやめとこう。

 *** 

 かつて、国内に在住するガイジンたちをたくさん集めて騒ぐ趣向のTV番組を観ていたら、イラク戦争だったかアフガン戦争だったか忘れたが、お金(あるいはそれに加えて無償の燃料)しか出さない日本が嘆かわしいという日本人の論者に対して、カナディアンと称するおそらく留学生の女性が(流暢な日本語で、というかそういう人しか番組に呼ばれない点でバイアスかかってることには注意)こう言い放っていた。
「お金で済むならいいじゃない。カナダはお金がないから軍隊を出さないといけないのです」

 それが今でも耳に残ってます。

2014年2月26日 (水)

【DAI】Take Your Place in the Inquisition

 BSNがリニューアルしていますね。

http://social.bioware.com/

 ちなみに見かけが変わっても、学級崩壊状態なのは以前と変わっていないので、あまり読む価値はないと思う。

 またそこから跳べるBioWare BlogでなんとDAIの声優さん(注)の募集も行っています。

(注)「君も実際に出演できる!」というよくある趣向ですが、真面目に募集しているみたいで、もちろんヴォランタリーなんでしょうけど、当選したら二晩宿つき(up to two nights’ accommodation)でプロフェッショナルな録音スタジオで収録がある。出番は意外とあるのかもしれませんね。日本からの旅費が出るかどうか知らんけど。

 下のリンク先からスクリプトが読めるので、村人とインクイジターの会話、またはセネシャルとインクイジターの会話を選んで、村人またはセネシャルのセリフを録音して、YouTubeにでもアップロードして、そのリンクをBioWareに送るだけ。

http://blog.bioware.com/2014/02/25/take-your-place-in-the-inquisition/

 もちろん英語ですが、なんとか頑張ってみてはどうでしょうか。 

 秘訣: どうせ世界中のファンが「自分はアマチュアですが舞台経験があります!」とか「オーソン・ウェルズ級」とか「カナリアの声」とか自分のことをアピールするので、めちゃくちゃアニメ声で出した方が当たる確率高いかもよ。

 あとJapanese訛りを強調。数いないからね(笑)。

 練習用として、古くからのBioWareファンなら知っている、次の超有名なVOをどぞ。

"You have to fight ! C'mon !"
"I didn't wanna do this battle !" 
"You won't win, you won't !"
"I won't wanna let you do this !"
"Oh, I think I'm hurt !"
"Get my needs some help with this !"
"I..., I see our enemy."
"Overrun ! We have to get away !"

 次のYouTubeリンク、くだんのセリフは1:47あたりからのヴォイスセット(ヴォイスセット全部あるんだもの長くて探すの大変だった・・・)。

http://www.youtube.com/watch?v=uA23bH6IlQw 

 男声はこっち。

http://www.youtube.com/watch?v=QkRcNt44eEc

【DAI】Dialogue System(補足)

 二つ前の記事で、DAIのダイアログシステムについてのファンブロガーの要約を紹介しました。
 BSNでゲイダーさん本人のより詳細なポストを見つけたので、こちらをこのブログでの正訳として紹介します。
・なお、例によって訳語は私個人のもので、固有名詞含め、日本語版DA2などの訳語とは必ずしも一致しません。
・また、先の訳にはちょっとした誤訳がありました(誤訳っつうかファンの要約が・・・ぶつぶつ)。それもあってこちらを正訳でお願いします(あっちもいずれ修正します)

(これを探す過程で、必要以上に長い間BSNに潜ることになってしまい、そのせいで血液中の毒素が増大し、くだらない「ファン」のポストに対して殺意を抱きはじめたことはいうまでもありません。簡単に言うとテイントされてしまった)

 *** 

(これ以前に別のBioWareモデレーター(いつものマイク)が何か答えていたようで、彼が触れられなかったものも含めてまとめておくという但し書きがついています)

 インクイジションのライティング・スタイルがDA2と同じ部分。
 
・ダイアログ・オプションは、ホイール・インターフェイスを用いてパラフレイズから選ぶ。
・プレイヤー・キャラクター(PC、主人公)には声優がつき、ダイアログはそれを念頭に置いて書かれる。

 新しい部分

・支配的トーンはなくなる。つまり、プレイヤーが最も多く選んだトーンが、それが現に選ばれた会話以外の他のセリフに影響を持ち越すことはない。DA2では、PCが行動を選択(アクション・チョイス)するときやカットシーンの中で話される実際のセリフが、支配的トーンによって変更されていた(皆が「自動ダイアログ」と呼んでいるものだ)。DAIでは、それらはすべて中立的トーンで置き換わる。

・どれだけの「自動ダイアログ」が、例えばMass Effect 3と比較して、用いられるのかという質問をよく受ける。その答えはDA2よりも少なくなるというものだ(しかも、上述のとおり常に中立的トーンだ)。これらは一般的には、PCが何か当たり障りのないこと(「続けて(喋れ、やれ)」(”Go on.”)とか「それは何だ(どういうことだ)」(”What is that?”)などのホイールすら実際必要としないもの)を喋るときに用いられる。

・「リアクション・ホイール」(レスポンスに味付けするための「トーン・ホイール」及びプレイヤーが何か行動を起こすことを促すための「アクション・ホイール」を上書きするもの)が追加され、重要な出来事の際に感情的なレスポンスを表現することができるようになる。プレイヤーは常に自制(Stoic)オプション(結局は中立的なレスポンス)を選ぶこともできるし、悲哀(Sad)、困惑(Confused)、憤怒(Enraged)、驚愕(Surprised)などを選ぶこともできる。

・アクション・ホイールのダイアログ・オプションは、そのオプションがある程度長い間宙に浮いたままだった場合、その行動が何を意味するかを詳述するためにときどきポップ・アップを出すようになる。これは詳述することが必要と考えられる行動にのみ適用される。PCによって話されることになる実際のセリフを表示することはない。

・三大主要トーンは、上品な(noble)/利口な(clever)/率直な(direct)となり、従前の社交的(diplomatic)/諧謔的(humorous)/好戦的(aggressive)に取って代わる。これらは一義的には、開発内部で用いられるデザイン上の指示用語であり、ライターたちの書くセリフのトーンを規定するものだが、三つのトーンの間の相違に多少の影響を与えるために変更される。それらトーンをときどき代替していたトーンの変形(DA2では、援助的(Helpful)/魅了的(Charming)/実力的(Direct)であった)は用いられない。(トーンの変形については)我々の意図するところが(プレイヤーに)あまりうまく伝わっていなかったのだと思う。

・ホイールから選んだ選択が「中断」され、調査オプションのための質問用サブ・ホイールが(二つ以上の質問がある場合)出るのと似たような形で、ホイールからの選択が同様に中断されて特別オプションを選ぶことができることがある。そこには前提条件付きの選択が設定され、例えばそれは、特定パーティー・メンバーと同行しているかどうか、特定の種族/クラスであるか、ロマンス・オプションがあるか、以前どのような選択をしたかなどに依存するダイアログ・オプションであり、それによってホイール・インターフェイスの構造を変えることなく、望むだけ多くの選択を追加することができるようになる。そのうちのいくつかは、前提条件を満たしていない場合「グレイアウト」(greyed out、ヴィデオゲームのインターフェイスでは、一般には選択可能な選択肢が黒地に白字で表示されるのに対し、選択不可である選択肢が灰色の字で示されること)で表示されることになる。すなわち、プレイヤーはその選択肢を手にしていた可能性があったかもしれないが、今現実には手にしていないことを示す。

 人によってこれらに対する見方は大きく違う。これらは概ねライティングに関する構造的かつ手順的な相違であるので、ほとんど気づきもしない者もいるだろう。究極的には、マイクが述べたようにライティング・スタイルは以前と同じだ。ただ人によって受け止め方は様々だ(”… your mileage may vary.”)。ダイアログそのものがその機能を果たすべくいかに書かれるかということを除き、「ライティング・スタイル」などと呼べるものなど本当はないのだ。

*** 

 ルール#1:ライターと議論するな。
 ルール#2:ライターとライティングについて議論するな。

 実は最後の一文が、DA2の「ライティング・スタイル」にケチをつけた「ファン」の批判に対するきつい一撃なんですが、当該「ファン」はほとんど気づかないだろう。まあ、よくわかりもせずに色々言うものです。
 「文体論」(ここでは、作家(群など)に固有のレトリック、修辞を指す)というと日本では青臭い書生論議と同義で、だから禁忌(タブー)扱いだったわけですが、禁忌とはそのまま思考停止でもあるので、それが故に日本文学には文体論が決定的に欠けているという批判を生み、逆に熱心に論じる論者もおります。

 BSNで話題になったのは、レトリックではありません。ゲイダーさんのいうストラクチャルなプレゼンテーションの部分。だから「開発内部の手続き」だと断っている。

 あんまりBSNにかまけていると、こっちまでダークサイドに堕ちるのでやめといて、いくつかコメント。

 誤訳していたのは「調査オプションの選択が中断してホイールが現れる」ではなく、「通常の選択が中断して調査オプションのホイールが現れる」の部分でした。考えてみればDA2もそうだった。

 「グレイアウト」は、実はMass Effect 3にもありましたね。主としてパラゴン/レネゲイド選択で、通常はふたつの(四つ同時もあったか?)どちらかしか選べないから、片方はグレイアウトして表示されていたはず。

 「エモーション」は、いわばMMO/MOに一般的な感情表現コマンドからの発想でしょうか。ソロプレイ至上主義者の私からすると「マルチプレイ」の準備か?!と色めき立ってしまうのですが(笑)。そんなことはない、上で言っているのはあくまで会話中の文脈に従ったリアクション選択のことであって、MMO/MOの場合は文脈と無関係にコマンド入力できるから。でも、このエモーション選択って何か意味を持つんですかね?(これも裏で蓄積されちゃって後から使うのかな?)

 「ポップ・アップ」、これもユーザー・フレンドリーな仕掛けですね。MMO/MOの(もうええっちゅうの)。

 先の記事のコメントでも書いたように、種族/クラスなどの違いによるダイアログ分岐(概ね一時的でしょうが)は数多そうですね。DA2では見事に少なかった(ホークがメイジであることすら、明らかに文脈上大切なのにメンションされないケースまであった)。DAOも言うほど多くなかった。エルフ・メイジ・女子といえばセダスでの差別三重苦を背負った主人公なのに、ヒューマン・ファイター・男(それ違うゲーム)じゃない、ヒューマン・ノーブル・男子とセリフがほとんど変わらないので、プレイしていて自分が差別される側だと自覚した記憶がほとんどなかった。
 もちろん、ワード・バジェット(BioWareのRPGの開発予算単価(コスト・ドライヴァー)はセリフの「ワード」、単語数です)の制約でバシバシ削られたりしたんでしょうけど。
 DAIはぜひ、山ほど違ったセリフを期待したいところです。開発期間延長したんだし!

 あと、「アクション・ホイール」でアクシデンタリーに「はあと」マークを選ぶことのないように、「本気か?」とか聞いてほしい、そこにこそ注意喚起の「ポップアップ」入れてほしいと思います(笑)。

 

2014年2月25日 (火)

【DAI】Dragon Age Keep Beta Test

 BSNがリニューアルしていますね。

http://social.bioware.com/

 

 ちなみに見かけが変わっても、学級崩壊状態なのは以前と変わっていないので、あまり読む価値はないと思う。

 またそこでDragon Age Keep(注)のベータ・テスターの募集も行っています。

(注)過去のDAゲームのプレイヤー選択を再現し、DAIへのインポート・セーヴ・ファイルの役目を果たすデーターを生成するアプリケーション。マルタイ・ジェネレーション・プラットフォーム化のための措置。

 もちろん英語ですが、なんとか頑張ってみてはどうでしょうか。 

 秘訣: どうせ世界中のファンが「自分はエキスパート・ゲーマーであります!」とか「国士無双級」とか「生き字引」とか自分のことをアピールするので、「うーん、DAゲームとかわかんなーい」とカジュアルぶりっこ(死語か)した方が当たる確率高いかもよ(ケイオティック)。「DA2しか遊んでなーい」とか。ただし「RPGとかよくわかんなーい」と書いたなら間違ってもずらりと並んでいる他のRPGのプレイ経験チェック欄を埋めてはいけない。

 あとJapaneseを力説。数いないからね(笑)。

【DAI】Dialogue System

 ゲイダーさんが、DAIのダイアログ(セリフ)システムについてBSNにコメントしていたそうだ。
 個人的にBSNには立ち寄らないようにしているので、下はDAWikiのファンブログから、そのブロガーが紹介している要約版。
 
***

・DA2と同様、ダイアログ・オプションはホイール・インターフェイスのパラフレイズ(要約短文)から選択することとなり、ダイアログは声優つき主人公を念頭に置いて書かれる。

・主人公が「自動ダイアログ」セグメントの際に用いていた支配的トーンはなくなる。

・「自動ダイアログ」はDA2より頻度が減り、インクイジターが「続けて(喋れ、やれ)」(”Go on.”)とか「それは何だ(どういうことだ)」(”What is that?”)などのような発言をする際にのみ用いられる。

・ホークが用いていた社交的(diplomatic)、諧謔的(humorous)、好戦的(aggressive)トーンはなくなり、上品な(noble)、利口な(clever)、率直な(direct)トーンが取って代わる。以前の三つのトーンの間のギャップを埋めるための試みである。(訳注:nobleはもしかしたら「高潔な」かもしれない)

・DA2で「調査」(investigate)方面のダイアログが中断された場合と似たような形で、「特別」なダイアログ選択やなんらかの行動を起こす分岐が示される。それらは特定のコンパニオンが同行している、ロマンス・オプションがある、以前の選択結果などといった事柄に依存しており、そうした前提条件を満足していないため選択できない場合でも、プレイヤーにそういう選択の余地があったことを示すため灰色の文字(greyed out)で表示される。

*** 

 また「自称オールドスクール派」のエリート主義者たちが「けしからん!」と大騒ぎしていることでしょうが、私に興味があるのは一点のみ。んー、二点。いや、三点か(いくつだよ!)

 DA2の三つのトーンは、社交的、諧謔的、好戦的と銘打ってしまったため、ホークの言動がそれに縛られることになってしまった(カヴァーできないギャップが生まれた)、というのはもっともな反省かもしれません。
 超単純化すると、敵対者または意のままにならない相手に対しては、順番に「まあまあ」(懐柔)、「やめとけ」(ハッタリ)、「やんのか」(挑発)しか対応を選べない。

 三つのトーンは、ホークの「口調・物腰」だけではなく「人格」(パーソナリティ)を示している。それも人格の全体ではなくて一部、「他者との接し方」、「世界の中での立ち回り方」に縛りをかけてしまっている。

 これらは元々、善、中立、悪というDnDでおなじみの三つの倫理観を移植したもの。善だから社交的、悪だから好戦的、残った中立は場当たり的な対応になるので、諧謔的にでもしておくか、という感じで決まったのでしょう。トーンに倫理観が混入してしまったんですね。

 それを上品、利口、率直と呼び換えただけじゃないか、何が変わるのか、と疑問に思うかもしれませんし、(主要な選択肢はおそらく三つのままなので)善、中立、悪の混入が除去されるわけでもないでしょうが、こっちのほうがより幅広い人格を表すことができそうです。

 言ってしまえば、社交的は上品さを、諧謔的は利口さを、好戦的は率直さをすでに内包している。逆に社交的ではない上品さ、諧謔的な部分を含まない利口さ、好戦的とは呼べない率直さはいくらでも考えつきますね。新しいほうがより広い範囲をカヴァーすることができる。

 一方で、品性下劣で(人畜無害で)社交的、無知蒙昧で(傍若無人で)諧謔的、優柔不断で(慇懃無礼で)好戦的な場合だって十分ありえるわけですが、選択肢がその根底で善、中立、悪の三択に縛られている以上、それらの再現は難しそうです。

 だいたい、品性下劣、人畜無害、無知蒙昧、傍若無人、優柔不断、慇懃無礼な主人公を演じようと思います?
 オーグレン/イザベラ、レリアナ/ベサニー、シグルーン/メリル、ステン/シェイル、アリスター/カーヴァー、ウィン/ゼヴラン・・・。そういうのはコンパニオンが担う役割ですね。

 気になるのはそんなところですね・・・。

 ん? ああ、二点目ですか。前提を満たしていない選択肢が「グレイアウト」するというところで、またまたユーザー・フレンドリー(実際にはカジュアル・フレンドリー)な方向に行くんだなあと思いました。
 三点目も同じですね。自動ダイアログの廃止も「主人公がプレイヤーの許可なく勝手に喋るな」という一部ファンの意見への迎合といえる。 

 まとめると。
・声優付き主人公、ダイアログ・ホイール、ロマンスについては前作踏襲。全く譲らない。
・パラフレイズは存続するが(以前ゲイダーさんが触れていたように)ダイアログから大きく逸脱しないように工夫される。
・三つのトーンの内容は変更される。
・自動ダイアログの頻度は減り、かつトーンを持ち込むことは廃止される。
・前提条件を満たさない選択肢もグレイアウトされて「実はここにあったんだよ」と示される。

 自称オールドスクール派にとっては、ほぼゼロ回答。
 私にとっては、(パラフレイズ、自動ダイアログ、グレイアウトなど)ちょっとカジュアル寄りになったかなという気がするが、別にここが主戦場でもないんで、まあいっかという感じです。

2014年2月24日 (月)

A "True Gamer"

 だんだん、ゲイダーさんのTumblrが「人生相談」の様相を帯びてきました。

*** 

「DAやライティングに関する質問ではありませんがご意見を伺いたい。今日ある人から、RPGしかプレイしない私は「真のゲーマー」ではないと言われました。今までそんな考えが自分の頭に浮かんだことは本当になかったのか? 自分はゲームが好きだからゲーマーだと思っていたのではないか? 自分はゲーム・アート及びデザイン方面に携わりたいと思っているので、彼のコメントはほんとにこたえました。定義上は業界内の人間であるあなたの考えをお聞きしたいのですが?」

 彼のコメントは、君についてというよりも、彼本人についてのものだと思うよ。

 子供の頃、「ゲーマー」(”gamer”)や「オタク」(“nerd”)だと虐げられ、見下されてきたであろう一部の者の間には、同じような憂き目を見てきた他の者たちの理解を得るよりも、自分たちの選んだ得意な分野で支配権を勝ち取りたいという悲しい欲求があるんだ。

 彼らはおそらくそのこと自体にも気がついておらず、自分たちを流行の最先端を行く粋な者たち(advanced hipsters)で、愚昧な大衆(“unwashed masses”)と一緒にされてはたまらないと考えたがるので、ゲーミングに関する集まりではその手の話をしじゅう目の当たりにすることになるし、そこではなんらかのエリート主義を見かけることはごく当たり前のことなんだ。男どもがどっちがより男らしいか競い合う(compare dick sizes)のと違いはなく、彼らは現実世界よりもゲーミング世界でやるほうがお気に入りなんだ。

 業界の話をすれば、実際にゲームを作っている男女はとても多種多様な人々だ。我々は全霊を傾けてゲーミングに愛を注ぐ者たちとして理想化されており、地下室にこもって作業を続け、ゲーミングの完全性を探究するためにあらゆる物質的欲求を忌避しているのであって、実はそうではないことは決して明らかになってはいけないのだ。また、我々の多くが彼のいう「真のゲーマー」の定義にはあたらないし、それはそれで良いことだ。ごく僅かのエリート主義者が君(あるいは他の者たち)にどう信じてもらいたいと考えているかに係らず、ゲームは彼らだけのためではなく、より多くの人々のために作られる。

 
 だから彼の考えなんて放っておけ。その一方で、私の考えも放っておけばいい。自分の好きなことをやれ、あきらめるな、そしてそれが自分にとっての幸福だと考えるなら業界に入ることを目指せばいい。結局のところ、自分が幸福を掴めるかどうかは自分のせいなのであって、彼の、私の、あるいは他の誰かのせいではない。

 そして、次また誰かに君は「真のゲーマー」ではないと言われたら? こう言ってやればいい。「つまり『真のクソタレ』じゃないってことだよね? そうなら、自分はそんな人じゃなくてとても幸せだよ」

***  

 男子。 しかも(定義上は高い確率で)肉食男子ですからねえ。
 論点は「真のゲーマー」じゃなくて、「真の男」なんですよね。
 男の子がおはじき、あやとり、人形遊び、ままごとなんかするな。
 RPGはおなごの遊び。ロマンス好きは女々しさの証明。

 一般にゲーマーやオタク男子がもてるはずがない。それとももてないからゲームやオタクに走るのか? 鶏卵前後論争をしたいなら(もういいよ)。
 「女子にもてない」だけなら罪はない(害もない)が、それがあちらの「女性嫌い」(ミソジニー)の域に達すると宗教がかってくるので一筋縄ではいかない。(ちなみに「女好き」と「女性嫌い」(ミソジニー)は両立する。意味わかりますよね?)
 そしてミソジニーは「ホモ嫌い」(ホモフォビア)と必然的に親和的であるという説には私も完全に同意する。ゲイダーさんがいつにもまして敏感に反応するのもそういう理由があるのかもしれない。
 
 さらに、ここでの「真の男」は「ホワイト・ストレート・メイル」(白人ヘテロセックス男性)を指す。
 今からそう遠くない時代、そう断る必要もないほど彼らだけが支配階層だったのが、(特に欧米社会で)色々あってその地盤がどんどん揺らいできた。「真の男」たれという「理想」だけが残されて、「現実」ではワン・ノヴ・ゼムの扱いとなった。いやクォータ制(注)まであるから実質ハンディを背負っているともいえる。

(注)quota、人種別・性別などであらかじめ割り当てられた定員、上限などの数。議会、学校、企業、商業などでマイノリティを優遇するため編み出された施策。

 ヴィデオ・ゲームは、彼らにとって数少ない残された主戦場のひとつであった。
 「ここで死なずにどこで死ぬ」(”No better place to die.”)。
 昨今そこまで「おなご」に侵食されはじめてきて、彼らの危機感も半端ではないのです。

 最後に、この記事をリブログしたファンのコメントが秀逸だったので下にご紹介。

 「RPGじゃないゲームって、いったい何?」

2014年2月21日 (金)

【DAI】キャラクター・キット公開(訳文)

 前記事の英語紹介文の訳文。

***

 高貴な出自にもかかわらず、カッサンドラ・ペンタハーストはとうの昔に虚飾と政治に背を向けて、シルクとレースを剣と盾に持ち替えた。

 カッサンドラはシーカー・オヴ・ザ・トゥルースの古くからの一員である。この表に出ることのない騎士団はチャントリーの守護者であるとともに、治安の維持者でもあり、その捜査には究極の権限を付与されている。メイジ最下層のアプレンティスからテンプラーズの上層部までを含む、全ての者たちから恐れられているのも、シーカーズの正義の制裁から誰も逃れることができないからだ。彼らの裁断が覆えることはない。 

 カッサンドラはその兄の死の直後に騎士団に入団し、速やかに昇格していった。その見かけは厳格で、滅多に感情を顕わにすることはないが、怒りと挑発だけは別だ。鋭敏さ、敬虔さ、そしてその揺るぎない信念をもって、彼女はザ・ディヴァインの右手に握られた剣となり、他の何よりもまず正義を探究するのだ。

***

 ヴァリック・テトラスが語るのは、セダスの歴史とそこに住む全ての者たちの話だが、自らに関することはおくびにも出さない。仲間の窮地には速やかに対処する一方で、ヴァリックは自らの悩みをその得意げな顔の影に隠してしまう。

 地表に住むドワーフの商人ギルドの一員として生まれながら、ヴァリックは一族から袂を分かち距離を置いた。彼は自ら寄り付こうともしない地下の故郷には愛も憧れもまったく抱かず、あまりに多くの地表の貴族たちがこれ見よがしにひけらかす富や特権にも何の意味も持ち合わせていない。むしろこの、綺麗に髭をそり上げて洒落た衣装を着こなすドワーフを見かけるのは、思いもかけなく現れた英雄の傍らに立っているか、地元の酒場にたむろする一番の悪党どもとつるんでいる姿だろう。彼が得意の絶頂にあるのは、酒杯片手に物語を語るとき、事実を思い通りに脚色するときだ。

*** 

 モリガンの画像の英文は、ファッション雑誌風なドレスの説明書き(の洒落)ですので省略。ご勘弁。

(あーっ、でも最後が「レリアナいじめ」ネタなんだ・・・。そこだけ)

"And while keeping to the style of the Orlesian court, the flexibility of her leather corset allows her to cast a spell or two, should a bard step out of line." 

「そして、オリージャン宮廷衣装の形式を踏襲している一方で、しなやかな皮のコルセットのおかげでスペルを一、二発撃つことを妨げることもない、万が一、どこぞのバードが余計なことでも言ったときには。

【DAI】キャラクター・キット公開

 ようやくDAIの新しい画像が、BioWare Blogに登場しました。

 ツイッターばっかやってんじゃねえ、と言った効果が表れた? (出た、雨乞いの踊り)

 ヴァリックとカッサンドラのキャラクター・キット。開発用素材を手直ししたものかな。

http://blog.bioware.com/2014/02/20/dragon-age-inquisition-character-kits-2/

 下ふたつはあくまで扉絵です。内容は下に載せたモリガンのと同じような3Dモデルの画像(両手を広げたいわゆるT字model)。ぜひご覧になってみてください。面倒な方はゲイダーさんのTumblrでも確認できます。これがフロストバイト・エンジンの描写力なのか、って感じですね。

 訳文は後から追加します(記事数を稼ぐため、次の記事に載せました)。

Cassandra_pentaghast

Though of noble birth, Cassandra Pentaghast turned her back on a life of pomp and politics long ago, trading silk and lace for sword and shield.
Cassandra is a long-serving member of the Seekers of Truth. The quiet order both protects and polices the Chantry, and is granted ultimate authority in its investigations. Feared by everyone from the lowliest mage apprentice to the Templar leadership, all are subject to the righteous wrath of the Seekers. Their judgment is final.
Cassandra joined the order shortly after the death of her brother and quickly rose through their ranks. She is outwardly rigid and rarely shows any emotion, save anger and aggression. Sharp, pious, and driven, she is the sword in the right hand of the Divine, seeking justice above all else.

Varric_whosaidanythingaboutabeard

Varric Tethras will tell you the history of Thedas and everyone in it without a word or whisper of himself. Though quick to deal with the troubles of his companions, Varric buries his own problems behind a boastful front.
Born among the surface dwarves of the Merchants Guild, Varric is a man apart from his people. He has no love or longing for the homeland underfoot that shuns him, and has little taste for the flamboyant displays of wealth and privilege displayed by so many surface nobles. Instead, find this clean-shaven and well-tailored dwarf at the side of an unlikely hero or rubbing shoulders with your local tavern’s finest knaves. He’s at his best with cup in hand and tale to tell, rewriting the truth as he sees fit.

 中身一部だけ。

Cass_profile

Varric_profile

 

 ゲイダーさん的には、キャスの造形はパーフェクト、ヴァリックはこの髪型が許せない(side-eyeing)、そうです。まだまだ暫定なのか?

 あちらではヴァリックの胸毛問題でものすごい悲鳴があがっていますが(コスチュームがご覧のとおりなので胸毛の有無が確認できない)、ばかですねえ。フェラルデンやオーレイは寒いのだ。

 なんで#2なのかと思ったら、すでにモリガンのが出ていた。そっちはファンメイクだろ、と思って紹介してませんでした。モリガンのコスプレイヤーの画像がやたら目についたのでその一種かと。

http://blog.bioware.com/2014/02/03/from-us-to-you-introducing-dragon-age-inquisition-character-kits/

Morrigankitweb1024x791

 どんどんこの世の存在ではなくなっているような気が・・・。まあ、しばらくはこの世の存在じゃなかったんだけども。

2014年2月20日 (木)

【NewME】The New Mass Effect Game(補足)

 前回までの記事を書くため参照していたMEWikiに、どうも変なことが書いてあるなと思ったら、私の方が間違えて?いたようだ。

 ME3オリジナル・エンディングと、エクステンデド・カットのエンディングで違いが生じたのか、オリジナルからそうだったのか不明なのですが、ME3のエンディングの、特にシンセティックのその後の運命(アフターマス)について私は勘違いしていたようです。

***

・デストロイ(赤)

→すべてのシンセティックは破壊される。
→しばらくのちに損傷したマス・リレー網は復旧する。 

→ゲスは(その時点まで生き残っていたとしても)破壊される。

・コントロール(青)

→すべてのシンセティック(ゲスを含む)はシェパードの意志に服従する。
→リーパーズはシェパードの意志を受け、マス・リレーの復旧に協力する。

→ゲスは(その時点まで生き残っていた場合)、ラノックの復旧にあたる。

・シンセシス(緑) 

→全てのオーガニックはDNAレヴェルで改変され、シンセティックとの境界が曖昧となる。
→リーパーズは自発的にマス・リレーの復旧に協力するほか、蓄積し続けてきた過去の滅亡文明の膨大な知識を銀河諸種族に供与する。

→ゲスは(その時点まで生き残っていた場合)、ラノックの復旧にあたる。

***

 えー。そんな甘っちょろいエンディングだったかなあ・・・。
 うん、やっぱ違いますね。オリジナルはもっとずっとシヴィアなアフターマスだった。

 MEWikiには両方掲載されているのを見落としていた。

***

・デストロイ(赤)

→すべてのシンセティックは破壊される。
→マス・リレー網は破壊される。シタデルは完全に破壊される。
(キャタリストから、マシンの復活が仄めかされる)

・コントロール(青)

→リーパーズはシェパードの意志に服従し、地球から去る。
→マス・リレー網は損傷を受けるが、完全に破壊されるまでではない。シタデルは無傷。 

・シンセシス(緑) 

→全てのオーガニックはDNAレヴェルで改変され、シンセティックとの境界が曖昧となる。
→マス・リレー網は破壊される。シタデルは完全に破壊される。
(キャタリストから、これが最良のオプション、生命体は進化の絶頂に達すると指摘される)

***

 あーっ、ますますエクステンデド・カットがキライになりました。なんだよ、リーパーズが「協力する」って。気持ち悪いだけだろう!
 (だから当時も、こんな甘っちょろい結末を無意識に受け付けなかったのか)。

 でも、New MEを予想するうえでは両者に大差ないですね。どっちみち「緑」が問題。

 

【NewME】The New Mass Effect Game(2)

 New MEの舞台となる時代がME3のエンディングから「十分に遠い未来」であると考えた場合、かなりよさげになりそうではあるのですが、「緑」エンディングにどう辻褄つけるかが問題である、とまでお話しました。それを考えるのはもちろんケーシーたち開発者です。きっと陳腐な言い訳なんだろうなあとは思いながらも、それ以外の時代を舞台に選んだほうがずっと貧相な絵になるので、強引にこの線に持って行くと思うのですけどね。

 しつこく個人的希望を述べれば(「緑」エンディング問題は依然としてまとわりつきますが)、ME3エンディングから「さほど遠くない未来」、リーパーズを撃退した銀河諸文明がそれぞれの母星系で復興を遂げる姿を描くのがいいと思ってます。それなら主人公は複数の種族から選ぶという趣向も筋が通るし、オリジン・ストーリー的な味わいもある。そして(グレイ・ウォーデンのジョイニングのようにオリジン・ストーリーを束ねる仕掛けが必要ですから)ME3まででほとんど描かれなかったスペクターの話を絡ませ(つまり主人公は最終的にスペクターになる)、今まで描き切っていないME銀河の細部を描く(ME3時点で文明がカヴァーしているのは全銀河の1%に過ぎないそうです)。

 これまで「こうでなければならない」という視点からの話が続きましたが、もう少し広く「こうだったらどうなんだろう?」という話を少しばかり。

1.シューターRPGのままだろうか?
 個人的希望はともかく、うまくいってるんだから、これはこのままじゃないんですかね。New MEも当然マルチプレイで(金銭というよりはどちらかといえば知名度を)稼ぐつもりでしょうから。ME3でいきついた境地をみすみす棄てるのももったいない。
 変えるとしたらメレーに比重を寄せてカイ・レンの使っていた(ニンジャトー)よりもうちょっとましなソードとかアックスでも入れますかね。SWTOR(あるいはSWKOTOR)のようにライト・セイバーぽい武器を多用するのは今更難しいかも。
 この路線を踏襲するなら、武装の違いをもう少しハッキリしてもらうとありがたい。重火器を除くと(ソロプレイに限って言えば)どれもこれも一緒に感じるので。

2.主人公はヒューマン?
 男女別は間違いないとして、DAO、DAIのように「主人公を複数の種族から選ぶ」趣向はきっとやってくると思っているのですが、どうでしょう。
 またしても開発期間に影響を受けてしまってDA2みたいにヒューマン・オンリーになる?
 以下、エキスパンションやDLCまで含んだ総売上ユニット数(total units sold)。単位は百万本。

Dragon Age 4.13
Dragon Age 2 2.26
Mass Effect 3.45
Mass Effect 2 4.68
Mass Effect 3 5.05

 DA2の轍はもう踏まないと思いますけどね。
 ME3で多少話題に出てきた、テューリアンの規範的な社会とか、アサリ(性別はないけど)の複雑な家族関係とか、ネタはいくらでも転がってます。でも見渡す限り周り中がサラリアン・・・。んー。

3.ノルマンディ号の代わりは?
 ME WikiによればME3のエンディングの後、マス・リレーが復旧したことになってるのは既成事実だそうだ。私は何かを見落としていたのかな。
 ということは、依然として銀河航行手段は変わらない。問題はノルマンディ号の代わりとなるヴィークルですね。
 ME三部作にはいわゆる単座や複座のファイター(宇宙戦闘機)が活躍するシーンは、一部ゲスのものを除くとありませんでしたよね。サーベラス・ファイターってのも実際画面に登場したわけではなかったかな? 空中戦(ドッグファイト)はほとんど(まるで?)なく、艦隊戦闘がメインであった。
 主人公が「艦長」ではなく「ファイター・パイロット」ってのはあるかもしれませんね。スペクターの役どころと親和性高そう。ファイター単機がマス・リレーを通過できるとは思えないので母艦とセットで登場でしょう。ドッグファイトのミニゲームは正直あんまりいらないけど・・・。

4.エピックな敵が必要?
 リーパーズ再利用は勘弁でしょうから、ラクナイ級のプレダトリーな種族やサーベラス並みに悪辣な集団を編み出せばいいのではないでしょうか。文明の勃興・復興時や時代の変革期に必ず暗躍する悪のシンジケートとかね(もろサーベラスですが)。
(すでにNew MEに登場すると思われる新種族のデザインがふたつばかりできあがっているとも言います)
 どこかに書いてありましたが、ME三部作のリーパーズは実は「宿敵・仇敵」ではなく、「物語の背景」ですね。お話を駆動して前に進めるための力。直接対決するシーンは本当に数えるほどしかなかった。本当の意味での宿敵の役割はサーベラス、イルーシヴ・マンが担っていたわけです。

 次もまた「銀河文明滅亡の回避」がテーマでは芸がない気もします(そしてリーパーズの「収穫サイクル」を上回るアイデアなんてそうはない)。「探索と発見」でも十分エピックな物語になると思うのですが。フロンティアもの。

5.クローガン?
 エンディングと個別クルーの生死以外で重大な分岐といえばジェノフェイジ。
 何らかの形でジェノフェイジは治っちゃったことにするんじゃないでしょうか。あるいはグラントのような存在が復活の道を切り拓くとか。フェイク・キュアをばらまいたプレイヤーの選択を無視することになるけど、シェパード三部作の間ならともかく、こんなしんどい場合分けを別のストーリー・アークまでずっと引きずるとは思えません。

6.ゲス?
 ゲス・クォリアン戦争も同じくらい重大な分岐を生む。クォリアンがラノック奪還に失敗したらどのエンディングであっても後の時系列には登場しないことになる。ゲスはそれまで生き残っていたとしても、「赤」エンディングの場合に全滅する。
 主人公種族をヒューマンに限定しない場合を考えると、上のクローガンと同じく重大な話になってしまうかもしれない。クローガンとクォリアンは主人公種族の選択肢にならないのです。(ゲスは・・・、最初からやめとこ)

7.ロマンスはあるのか?
 聞くだけ野暮でしょうが・・・。ヒューマン以外の主人公とLI? これはこんがらがりそう(笑)。

【NewME】The New Mass Effect Game

 前回記事を読み直したところ、New Mass Effectがどんな内容になるか、ひとつ答えを思いついたような気がします。

 前回紹介したBioWare Montrealスタジオのボス、ヤニック・ロイ氏の発言は、PR活動に不慣れなせいか意図せず真実を伝えてしまっていると考えてみます(New Mass EffectはBioWare Edmontonスタジオで開発中)。
 彼はWWIとWWIIのアナロジーを用いて、前者がこれまでの三部作(シェパード艦長のストーリー・アーク)、後者がNew MEであるとみなし、後者は必ずしも前者の「続編」である必要はないと述べている。

(ロイ氏の発言自体は次のリンク先記事に記載されています)
http://segmentnext.com/2013/02/07/stop-calling-the-next-game-mass-effect-4-bioware/

 これがこのまんま「真実」を言い表しているとしたらどうだろう。

 New MEがシェパード艦長のストーリー・アーク(ME1-3)の「プレクエル」でも「シークエル」でも「外伝」でもない、というのは端的に「ME三部作と直接繋がるキャラクターが登場しない」と解釈できる。
 ME三部作に先立つストーリーなら、アンダーソンやイルーシヴ・マンなど、その他誰であっても三部作に登場した人物が登場することはない。外伝もシークエルも同様。

 そうであっても、ME銀河の(三部作で描かれた「サイクル」の)「時間軸」を用いることができないことを意味するわけではない、という意味でしょう。

 話を整理するため前提を置きましょう。
 この前提のひとつでも違ったら、以下の私の予想はほとんど無意味となってしまうのですけどね。

・新しい物語はME三部作と直接関連しない。具体的には三部作に登場したキャラクターは登場しない(注)。
・ヒューマニティが活躍する(ヒューマンが主人公とまでは言わない)。
・舞台は三部作で描かれたME銀河で、かつ、同一サイクル内(サイクルが消滅した後を含む)である。
・物語はエピックである。舞台はME銀河の一部分(既知世界、例えば太陽系のみ)に留まらない。

(注)味付けとして、寿命の極端に長いアサリ・キャラクターや、寿命自体がないシンセシス・キャラクターの登場はあるかもしれない。

 これら前提条件は「商売上」の要請とも考えられる。新シリーズなので内容は斬新でなければならないが、ヒューマニティの登場・活躍のない物語はまず受け入れられない(繰り返しますが、必ずしも主人公である必要まではない)。ファミリアな(慣れ親しんだ)銀河という詳細に描きこんだ舞台設定(すなわちロア)を棄てることはしない。MEフランチャイズがAAAタイトルである以上、物語はエピックでなければならない。
 現にBioWare関係者(EdmontonとMontrealのGMであるアラン・フィン氏)も、New MEは”ambitious, fresh yet recognizable”(野心的で斬新だが馴染みあるもの)であると述べていました。

 ヒューマニティに関するMEユニヴァースのタイムラインは次のとおり。

2148CE ヒュ―マニティが火星で高度に発達した技術を有する異星人文明の残滓を発見。
2149CE 冥王星の公転軌道上にマス・リレーを発見。
2157CE テューリアンと遭遇。ファースト・コンタクト・ウォー勃発。
2172CE シェパードがシステム・アライアンス軍に入隊。
2183CE エデン・プライム・ウォー勃発(Mass Effect)。
     バトル・オヴ・ザ・シタデルに勝利。
     SSVノルマンディ撃沈(Mass Effect 2)。
2186CE リーパーズ襲来(Mass Effect 3)

 三部作に「先立つ」時間軸を舞台とすることは難しい。ヒューマニティがマス・リレーを発見する前の時代は、ME銀河のごく一部しか舞台にならない。マス・リレー発見からリーパーズ襲来までは30‐40年程度のタイムスパンしかないわけで、三部作に登場するキャラクターと一切関係しないストーリーをエピックに(注)描くのは土台無理。(デヴィッド・アンダーソンがアライアンス・アカデミーを卒業するのが2157CE)。
(注)マス・リレーを発見する物語では、舞台の範囲も、用いる技術も限定され、登場する種族もヒューマニティに限定されることなどからとてもエピックとは呼べない。

 よって、三部作に「先立つ」舞台設定は「ない」と思われる。同様に三部作と同時代を舞台にした「外伝」(三部作でも数名しか登場せず、詳細ほとんど描かれていない「スペクター」たちの活躍などが思いつく)も「ない」。

 残るは「後に続く」時代の物語となるわけです。「十分に遠い未来」を設定することにより、同一銀河(の同一サイクル)を舞台にして、かつ三部作のキャラクターの登場が事実上不可能になる時代を描くことができる。「ファンの慣れ親しんだ舞台」を用いて、「斬新なストーリー」を展開することができる。ウィン・ウィン・シチュエ―ション(笑)。

 ところが、ここにひとつ大きな障害が残っている。

 ME3エンディングの取り扱いが大変面倒ですね。
 まず、私が「Null値エンディング」と呼ぶ「リーパーズ勝利エンディング」はカウントしない。あれはDLCで導入されたものであるし、ただの「ゲーム・オーヴァー」の一種なわけだから、それをカウントするなんて言っちゃあおしまいでしょう。

 それを除外しても、かなり取扱いが面倒なのは「緑」(シンセシス)エンディングであるのはお気づきのとおり。

 「赤」(デストロイ)と「青」(コントロール)については「歴史は必ず繰り返す」というセシス(テーゼ)を無理やり持ち込んでなんとかなる。「赤」で完全に破壊され、「青」でシェパードの意志に従ってME銀河から立ち去ったとされたシンセティック。「十分に遠い未来」を舞台にするのであれば、シンセティックが復活する理由はいくつか考えることができます(すでに劇中でそう仄めかされていましたね)。または、シンセティックの登場は必ずしも必須要件ではないと考えることもできます(そんな寂しい、もったいない設定にすることはないと思いますが)。

 ところが「緑」(シンセシス)では、全銀河のオーガニックがDNAレヴェルで改変を受けてしまうとされている。シンセティックとの境界が曖昧となり、進化は絶頂を迎える(よってリーパーズ自体の存在・役割が無意味となった)。

 前記事で紹介したプリーストリー氏(当時のPR担当)の発言では、New MEでは「ME3のエンディングから『正典』を選ぶ必要はない」となっている。この発言の解釈が難しい。
 「リーパーズ勝利」以外のどのエンディングでも辻褄が合うようにするには、「緑」をなんとかしなければならない。

 WWIとWWIIのアナロジーを用いるなら、最初の大戦の後、敗戦国は徹底的に武装解除された(「赤」)が、その後密かに再軍備した、国際的平和維持組織(国際連盟)が設立された(「青」)が、個別国家の利害が対立し平和実現に挫折した、などを想起すれば、「歴史は繰り返す」説が(論理的に間違っているのに)いかに強烈な先入観として生き残っているかわかりますね。
 でも人類がDNAレヴェルで改変されて戦争を放棄した(戦争を行う理由を喪った)(「緑」)。これはなかなかひっくり返せないでしょう。
 アナロジーとしては(下手くそですが)、例えば第一次大戦後にEUのような全欧組織が設立されて、域内戦争を合理化する理由が成立しなくなった、など。

 先祖がえり? 
 DNAを変質させる病原体? 
 三部作で活躍した種族を滅び去った「始祖」扱いにしてしまう?(ヒューマニティだけが生き残る?)
 パラレル・ワールド? 

 どれも、あまりに陳腐ですよねえ。

(BioWareがME3からのセーヴ・ファイル・インポートを計画しているという説もある。この場合、全てのエンディングに辻褄をつけて「ひとつ」の未来に収束させることは可能。あるいは、「新しい未来」を全てのエンディングに見合った形で分岐させることも可能。前者は「プレイヤー選択に意味はなかった」批判を浴び、後者はNew ME冒頭から今後の全編にわたる辻褄合わせが大変。故に私は、インポートはしないと予想しているのですけどね)

 続きは後程。

2014年2月19日 (水)

【NewME】Stop Calling “the Next Game Mass Effect 4″

 Mass Effectフランチャイズの次回作(BioWareは”Mass Effect 4”というタイトルで呼ぶことは「営業妨害」であるとかつて非難していましたので、New Mass Effect、 New MEと呼ぶことにします)のリード・デザイナー、イアン・フレイジャー(Ian S. Frazier)氏のTwitter。現在「リサーチ目的」でMass Effect三部作をプレイし直しているそうだ。

http://segmentnext.com/2014/02/14/next-mass-effect-lead-designer-re-playing-original-trilogy-for-research/

 ちなみにイアン・フレイジャー氏は”Kingdoms of Amalur: Reckoning”のリード・デザイナーであった。”Reckoning”といえば、その開発会社38Studios(倒産)のオーナーであった元大リーガーのカート・シリング氏は、ロードアイランド州政府から同社が借り入れた資金の返済不能問題に関連して訴えられていましたが、先日ガンとの闘病中であることを公表していました。それは別の話。

 Mass Effect 3リリース後に、当時のPR担当、イーヴィル・プリーストリー氏は、BSNで次のように述べていた。

「すでに述べたとおり、シェパード艦長の三部作は終わりを迎え、次のゲームに彼/彼女は登場しない。新しいゲームについて皆が知りうる詳細はそれだけだ。「ふん、BioWareは正典エンディングを選ばなきゃならないな」と言う声が聞こえてくるが、それは違う。なぜなら新しいゲームは後に続くものでなければならないわけではないからだ。あるいは先立つものでも、横道に逸れたものでなければならないわけでもない。さらに、プレイヤーたちの良く知るキャラクターたちが登場しなければならないわけでもない。さらに、だだだだだだだ・・・」

“We have already said that the Commander Shepard trilogy is over and that the next game will not feature him/her. That is the only detail you have on the game. I see people saying ‘well, they’ll have to pick a canon ending’. No, because the game does not have to come after. Or before. Or off to the side. Or with characters you know. Or yaddayaddayadda.”

 次は、BioWare Montrealスタジオのボスであるヤニック・ロイ氏の最近の発言。

「次のMass EffectゲームをMass Effect 4と呼ぶことで、最初の三作品のゲームプレイとストーリーがそのまま進化するという、ある種の連続性(linearity)を想起させてしまう。最初の三作品の出来事とプレイヤーの選択を無視するという意味ではなく、この新しいストーリーが中心に据えるものではなくなるだろうということだ。
 
 最初の三作品が、いわば第一次世界大戦中のUS陸軍のカギとなる兵士たちを中心に取り上げていたのだとして、今度は第二次世界大戦中の別のグループの人々に関するゲームを開発することに決めたのだとしたなら、両者は多くの部分で共通し、お互いが本当である感じを受けるだろう。

 最初の戦争中の出来事が次の戦争にどのような影響を与えたのかは踏まえなければならないだろうが、だからといって続編の関係にあると考える必要はない。繰り返すと、アナロジーはあまり上手に行ってないが、私が言わんとしていることは、MEユニヴァースはあまりに豊穣であるので、新しいストーリーを思いつく際に、一本道の発想に限定する必要はないのだ」

 Thinking of the next Mass Effect game as Mass Effect 4 would imply a certain linearity, a straight evolution of the gameplay and story of the first three games. That doesn’t mean that events of the first three games and the choices you made won’t get recognized, but they likely won’t be what this new story will focus on.

If you had three games centered around a group of key soldiers in the US army during World War I and then decided to make a game about another group of people during the Second World War, the games could have many points in common and feel true to one another.

You likely would have to recognize how the events of the first war influenced the ones of the second, but you would not necessarily think of it as a sequel. Again, the analogy is not great, but what I’m trying to say is that the ME universe is so rich that we are not limited to a single track when coming up with a new story.

 ご本人も述べているように、とても下手くそなアナロジーになってしまっており、それがまた混乱を呼ぶことになった。ME3までの三部作がWWIの物語なら、ME4・・・、んーとNew MEはWWIIの物語? それって時系列的に「後に続く」ってことじゃないですか(つうかUS陸軍がWWIでまるで活躍したみたいになっているのがスゴイけど・・・)。

 プリーストリー氏の発言だけを「公式見解」として取り上げれば、「シェパード艦長は登場しないが、他なんでもあり」ということしかわかっていない状態は変わっていない。New ME開発風景の画像・映像から、どうやら「慣れ親しんだ」銀河の物語であることは間違いないだろうという、ゲーム・アナリストもいる。
 
 リリース時期もまだ明確にされていませんが、私の希望(ME3に続く銀河復興の物語)の線は最初から薄いみたいですね。
 「悪の主人公」はME2サーベラス編でやってしまっているし、リーパーズ襲来以上のクライマックスを用意することなんてできるのかしら?

 

2014年2月17日 (月)

It's (Not) a Sony.

 世の中話題はPS4なんでしょうけど、ゲームソフトが・・・。

 珍しくファミ通のサイトなど眺めていますが、同時発売な感じのリリースで気になるのは、ドリームク・・・、じゃなくて(あんた、Vita新発売のときもそのネタ使ったよね!)、いや、他に(他にとか言うな)何もないんですよ!

 某サイトなんか分類すらPS3と分かれていない。

 アサシンズ・クリードはあせってやる気はないし、MGSはまだ一部分だそうだし、MMO/MOは足を洗ったし。

 "The Evil Within"とか、なんで日本で売らんの? あ、売るけどあちらが先行発売なの?

 "Dark Souls II"(苦笑)。若い子に任せます・・・。

 つまり、私のようなセミリタイア・ゲーマーのためのものではないんでしょうね。DAIもPCで遊ぶ間、PS4いらないし(遊ぶとしてもまだ出るかどうかわからない日本語版のときかな)。

 期待しているのは、結局まったくやり切れていないPS3のゲーム("The Last of Us"も"Beyond"もやってません!)を配信したりしてくれるのかしら、ってこと。

 ちゅうか、だったらPS3でそうゆうの遊べばいいじゃん、ライトニング・リターンズだって全然やってないじゃん!(あれは、このまましばらくやらないかも・・・。GameSpotケヴィンの辛口評、いつになく大きく頷いてしまった) 
 ペルソナ5だってPS3だし。

 部品調達間に合わないからか、XOneを脅威と思っていないからか、なにがどうだかしらないけど、日本リリースを後回しは確かに賢かったということか。 

 ノルウェーの監獄じゃ、まだPS2しか遊べないと奴が騒いでいるくらい、EUじゃPS3すら普及してないようだが(おいおい、そのネタやめようぜ)。 

 もう日本のものでもなんでもないんだから仕方ないのか。 

 真夜中のソニービルにSCEのアンドリュー・ハウスが現れて、そのあとギンザで朝まで酒飲む前に何を口走るかしらんけど、「日本の皆さんお待たせしました、皆さんの求める品質は世界一高いので、満を持してついに今日この日に」とか嘘を言うのはやめてほしい。あっちじゃ、もう同じもの売ってるじゃねえか。

「プレイ・ステーションは、もう日本だけのものではありません。海賊版しか出回らない半島・大陸や、紛争に明け暮れる一部の地域はおいといて、この世界の隅々までチャント・オヴ・ライト、チャントリーの教えが行きわたりつつあることこそ、あなたたちオリージャンは謙虚に寿(ことほ)がなければならないのです」

 いつにもまして毒あるね? ・・・なんかね。 

 

 

 

2014年2月16日 (日)

Hawke’s personal arc

 DA2ホークの物語はどうなったのか。いくつかのTumblr記事から。

***

「DA2についての質問です。LegacyとMotAの後にDLCは計画されていたのでしょうか。そうであればそれについて話してもらえませんか? ゲームに含めようとしたカークウォールに関する物語で、何等かの理由でそうならなかったものがあったのでしょうか?」(ファンの質問) 

 MotAに続いて出るはずだった第三のDLCが計画されていた。やがてそれがDA2のエキスパンションに含まれることになり、今度はそのエキスパンションが、開発時間をもっとでかくていかついDA3(それが今やDAIとなった)に集中するためキャンセルされた。

 そのエキスパンション(あるいは第三のDLC)について話すことはできない。双方ともその大きな部分がDAIに含まれることになるからだ。永久にボツになったのは、DA2フォロワーたちに、またはホークの個人的物語に直接関係ある部分だけだ。

 そう、カークウォールのストーリーだったよ。DA2のために計画していたプロットの半分は最終的にカットされたのだが、ほとんどがまだ開発作業を開始する以前の計画段階で削られた。とはいっても、それらについて話をする意味があるとは思えないのは、「もしかしたらそうなっていたかもしれないのに」という苦々しさを味わう以外、なにも得られないからだ。

*** 

「DA2フォロワーたち、またはホークの個人的物語に直接関係あるプロットの部分はDAIでは永久にボツになったと言われました。それを目にする機会は本当にないのですか? または、もしかしたら小説やコミックなど他の形で示されることはないのでしょうか?」(ファンの質問)

 それらのプロットの文脈としてホーク本人の存在を必要とするのだから、そうでなければまったく違うものになってしまう。小説やコミックに登場することが不可能とは言わないが、それらもまた同じものではない。それらのメディアでは、ストーリーはどの道変えられてしまうからね。 

 自分としては代わりにショート・ストーリーの形にはできると思うが・・・、それもまた奇妙な感じがすると思わないかい? 私は奇妙に思う。 

 だが、それら喪われたプロットについて過度に嘆き悲しむのではなく、我々DAライターたちがどれだけ意地悪であるか思い出して・・・、むしろ喪われてよかったのではないか、と自問してみたらどうだろうか。:)

*** 

「お願いです。ほんの少しでもマゾヒスティックでなければ、最初からDAファンなどにはなっていません。最悪な目にあわせて」 (ファンの声)

 では、こう言えば満足するんじゃないかな。それらのプロットがよみがえることはありそうにないからといって、DAIや他の将来のストーリーの中で、我々のホークおよびその一味に対する慈悲の心がもはや示されることはない、ということを意味するわけではない。:)

***

 うひひ。最後はクリティカル・センテンスなので原文も載せておきましょうね。 

"Then you’ll be happy to know that, just because those plots are unlikely to ever be resurrected, doesn’t mean that Hawke and company aren’t still available to our tender mercies for Inquisition and future stories. :)" 

 "tender mercy"は、「深い慈悲」、「お情け」ですが、反語的に「とんでもない目(にあわせる)」、「ひどい扱い」という意味もある。どっちの場合でも無視することなく話題にはするわけですが。

 さあて、一体どういうつもりなんでしょうね。

 ホークご本人の再登場は最初から無理という見方が支配的(まず、「顔」をどうする?)。
 ホークのコンパニオンたちは逆に、生きていればどこかで出てくるという見方がふつう。
 そうなると、問題はホークに関する話題の持ち出し方ですよね?

 アヴェリンとドニックが結婚していれば(アヴェリンが死ぬことはなかったはずなので)赤ん坊が登場するという可能性が成り立ちます。
 その連想から、主人公にヘテロ・ロマンスが成立していればホーク家(アメルの家系)の跡継ぎ誕生? でもこれ、そうじゃない場合(ロマンスなし、またはホモセクシャル)との(DA2場合分けによるリワードの)落差があまりに大きすぎるからやらないだろうなあ・・・。

 もちろん用心深いゲイダーさんは、「DAIまたは他の将来のストーリーの中で」と安全弁を用意しているので、実現するとしても、いつになるかはわからないんですけどね。

 そして、いつ実現するかわからないなら、やっぱ実現とは言えない、というサディスティックな(放置プレイな)お答えだったわけです(笑)。

Jade Empire

 BioWare亡者を名乗りながら、実は今まで"Jade Empire"をプレイしていなかったことを告白しなければなりません。 

 言い訳は色々ある。Xbox専用RPGとしてMicrosoft Gamesからリリースされたのが2005年。日本語版も出ていたのですが、Xboxユーザーではなかった(今でもない)ので手も足も出なかった。

 サード・パーティーが開発したWindows版(英語版)は2007年にSpecial Editionとして出た(パブリッシャーは2K)。これはいまだに日本語版がない。個人的にも色々あった頃、DnDのMMO/MOであるDDOにはまっていたこともあり、その年末にはMass Effect英語版も出たので、面目ないことにJade Empireには全く注目していなかった。カンフーものRPGですか、くらいの認識だった。 

 ときどき話題に出るたびに、やろうかなあとは思ったのですが、DDO日本語版が運営終了した2009年秋にはDAOが出て、その後はDAとMEの本編やエキスパンション、DLCが怒涛のように出続けた。 

 2009年にはEAがBioWareを買収していたのですが、"Jade Empire 2"の企画が検討中、あるいはとん挫した、などという記事も何度か出て、そのたびにオリジナルを遊んだことがない私は内心忸怩たるものを感じていたのですが、ま、他にやること一杯あるからいっか、と放置していた。

 今回、ゲイダーさんのTumblr記事で、マイク・レイドロウ氏(現DAシリーズのリード・デザイナー)がJade Empireのリード・ライター(のひとり、もう一人はルーク・クリスチャンセン氏がクレジットされている)であって、かつ、当時ライティングの方向性で頭を抱えていたから、話を聞いてみればいいという記述があった(このブログでも訳しました)。 

 レイドロウ氏がライター出身であるのは知っていたし、上のTumblr記事で振られた話題についてもTwitterで(予想どおり)ごく簡単なコメントをしていただけであったのだが、そこではたと気が付いた。

 DAIもまだ先だし、小説"Masked Empire"も四月発売だし、え、もしかして今? 

 GoGでもSteamでもSpecial Editionが売っていた。とりあえずSteamで買って、例によって「Steamが見つかりません」エラーに腹を立てながらもなんとか起動できるようにこぎつけて、少し進めてみています。 

 PC版はリリースからまだ10年経っていないんですけど、やっぱ・・・、ヴィジュアルは今見るとかなりきついっすね。ゲームプレイ(操作)のほうはXbox版は優れていたがPC版はイマイチと書いてあったので、その部分は我慢することにした。たしかにコンバットは今遊ぶとイマイチかな。 

 ざっと言ってしまえば、BioWareはRPGの造り方をほんとうにそれしか知らなかったんだな、という感じです。SWKotOR(2003)や、同時期に出たMass Effectと全体の造りがそっくり。あきらかにそれらと共有しているアイデアも仕掛けもいくつかある(もういいよ、という仕掛けもある。住民が古い言葉を喋ると意味不明で字幕で意味を知るしかないのだが、SWKotOR、ME、それからSWTORで共通語を用いないエイリアンの言葉がそうなっているのと同じ)。
 よく考えたらそれらは皆Xbox版先行リリースが前提のゲームだった。

 物語の造りまでかぶっているところもあるのですが、それも仕方ないでしょう。ジェダイとモンクなんて結局一緒だもの。Jade Empireはサイドクエストも結構な数があって、今思えばDAOなんて意外にその部分スカスカだったなあと感じました。もちろんオリジン・ストーリーの部分はわりと新しかったけど(これも枠組みだけなら前例がないわけではない。例えばSacred(2004)とか)。

 でもJade Empireには、レイドロウ氏がDAIについてたまにコメントしている内容に結構似ているところがあることもわかった。

 今のRPGの枠組みで「斬新な」プロットとかストーリーが編み出せるはずがない(かなりやり尽くされている)と思っているので、それ自体悪いこととは思わない。ゲイダーさんの記事からだって、ルーク・スカイウォーカーとか、コナン・ザ・グレートとか、ハリポタ、コミックス、あるいはDnDのシステムそのものからの連想でアイデアを出していることがわかるし、レイドロウ氏もDAIでは「ジェダイのひとりを演ずるだけではなく、ジェダイを組織する」と言っている。 

 実はJade Empireには・・・、んーと、「帝国」が出てくる。それだけじゃなく、インクイジター、「審問官」も出てくる。もちろん、そのままDAIに当てはまることはないでしょうが、手掛かりにはなるかもしれない。
 DAシリーズ以外の古いゲームをプレイしながら、DAIの妄想を拡げるのも悪くないかもしれないと思い始めています。まあ、禁断症状ってやつですかね。

 

 

 

2014年2月15日 (土)

12の元型(アーキタイプ)

 先日紹介したゲイダーさんの記事で、どんなキャラクターでも見ようによっては「大まかなアーキタイプ(元型)」に分類することができてしまう、という記述がありました。

(文脈としては、いかに書き手が苦労して創出したキャラクターであっても、無理やりこじつければどこかにいたキャラクターに似ていると主張できる、という意味)

 どうやらリンク先はメンタル・セラピーのページであり、推奨しているみたいに思われるといやなので紹介するのはやめておきます(どうしても原文が知りたいなら、ゲイダーさんのTumblr記事、"On The Fade"から探してください)。 

 中身についてもユングの「元型」を踏襲しているようにみえて違う。どちらかというと、心理テストや占いに近い。
 実際、12の全体が網羅的でもないし、個々が排他的でもないのに、あたかも分類が成立していると誤解されても仕方がないような説明の仕方をしている。 
 内容もつっこみどころ満載だが、細部には確かに面白いところがある。

 その前提で、どうぞ。

エゴ(自我)タイプ

1.The Innocent

 純真な者

 モットー: 私もあなたもあるがまま自由
 核となる欲求: 楽園に至る
 ゴール: 幸せになる
 最大の恐怖: 悪、あるいは過ちのため罰せられる
 戦略: 善をなす
 弱点: うぶな無邪気さに退屈する
 才能: 信念と楽観主義
 別名: ユートピアン、伝統主義者、うぶ、神秘的、聖者、ロマンチック、夢見がち

2.The Orphan/Regular Guy or Gal

 孤児/ふつうの男または女

 モットー: 全ての男女は平等に創造された
 核となる欲求: 他者との結びつき
 ゴール: 所属する
 最大の恐怖: 取り残される、または群れから外れる
 戦略: 普通の揺るぎない美徳を身に着ける、堅実に生きる、親しみやすさ
 弱点: 目立たないように、または表面的な付き合いに努めることで自分自身を見失う
 才能: 現実主義、共感、嘘偽りのなさ
 別名: お人よし、どこにでもいる人、ご近所の人、現実主義者、
      労働者、堅実な市民、良き隣人、声なき大衆

3.The Hero

 英雄

 モットー: 意志あるところ道が通じる
 核となる欲求: 勇気ある行動で自分の価値を示す
 ゴール: 世界をより良くする方法の熟達
 最大の恐怖: 弱さ、脆弱性、「腰抜け」になること
 戦略: 可能な限り強くなり、役に立つ力を得る
 弱点: 傲慢さ、常に戦いを追い求めること
 才能: 有能さと勇気
 別名: 闘士、クルセーダー、ドラゴン・スレイヤー、勝利者、
      チーム・プレイヤー

4.The Caregiver

 世話役

 モットー: 自分を愛するように隣人を愛せ 
 核となる欲求: 他者を保護し、または世話する
 ゴール: 他者を助ける 
 最大の恐怖: 身勝手さと恩知らず
 戦略: 他者のために物事を為す
 弱点: 殉教すること及び搾取されること
 才能: 慈悲の心、気前の良さ
 別名: 聖者、利他主義者、親、手伝い、支援者

ソウル(化身)タイプ

5.The Explorer 

 探索者

 モットー: 私を束縛するな
 核となる欲求: 自分を発見するため世界を巡る自由 
 ゴール: より良き、よりれっきとした、より満ち足りた人生を体験すること
 最大の恐怖: 囚われること、服従、心の空虚さ
 戦略: 旅、新しいことの探求と体験、退屈からの脱出
 弱点: あてどない放浪、はみ出し者になること
 才能: 自律、野望、自分の魂に忠実なこと
 別名: 探究者、偶像破壊者、放浪者、個人主義者、巡礼

6.The Rebel 

 反逆者

 モットー: ルールは破るために作られる 
 核となる欲求: 復讐または革命 
 ゴール: うまく行っていないものの転覆
 最大の恐怖: 無力または無為に帰すこと
 戦略: 混乱、破壊、または打撃
 弱点: 闇の世界への転落、犯罪
 才能: 非道さ、過激な自由
 別名: アウトロウ、野蛮人、革命家、はぐれ者、偶像破壊者

7.The Lover 

 恋する者

 モットー: 君だけを愛する
 核となる欲求: 愛情と体験
 ゴール: 自分の愛する人々、仕事、身の回りの物事との関係を持つ
 最大の恐怖: 孤独になる、壁の花になる、求められない、愛されない
 戦略: 身体的にも感情的にももっともっと魅力的になること
 弱点: 他者を喜ばせたい外向きの欲望によって自分を見失うこと
 才能: 情熱、感謝、好意、深い関与(コミットメント)
 別名: パートナー、フレンド、親友、情熱家、好色家、
     伴侶、チーム・ビルダー

8.The Creator 

 創造者

 モットー: 想像できるなら、実現できる
 核となる欲求: 不朽の価値あるものを創造すること
 ゴール: ヴィジョンの実現
 最大の恐怖: 凡庸なヴィジョンまたは実現
 戦略: 芸術的コントロールとスキルを身に着ける
 タスク: 文化の創造、自分のヴィジョンの表現
 弱点: 完全主義、不出来な解答
 才能: 創造力および想像力
 別名: アーティスト、発明家、革新者、音楽家、作家、夢見る人

セルフ(自己)タイプ

9.The Jester 

 道化師

 モットー: 人生一度きり
 核となる欲求: 享楽に満ちた今このときを生きる
 ゴール: 楽しいときを過ごし、世の中を元気にする
 最大の恐怖: 退屈になる、または他者を退屈にする
 戦略: 遊興、冗談を言う、可笑しなことをする
 弱点: 軽薄さ、時間の無駄
 才能: 喜び
 別名: 愚者、トリックスター、おどけ者(ジョーカー)、
      悪ふざけする者、コメディアン

10.The Sage 

 賢者

 モットー: 真実があなたを解放する
 核となる欲求: 真実の発見
 ゴール: 知性と分析を用いて世界を理解する
 最大の恐怖: 騙される、間違いに振り回される、または無知に陥る
 戦略: 情報と知識を探求する; 内省、および思考過程への理解
 弱点: 詳細の研究に永遠に囚われて決して行動を起こさない
 才能: 智恵、知性
 別名: 専門家、学者、探偵、助言者、考察者、哲学者、
      学識者、研究者、指導者、教師、瞑想者

11.The Magician

 魔術師 

 モットー: 事を起こす 
 核となる欲求: 宇宙の根源的法則を理解する
 ゴール: 夢を現実のものにする
 最大の恐怖: 予期せぬネガティヴな帰結
 戦略: ヴィジョンを生み出し、それを指針とする
 弱点: 煽動者になり下がる
 才能: ウィン・ウィンの解決策を発見する
 別名: ヴィジョナリー、触媒、発明者、カリスマティック・リーダー、
      シャーマン、ヒーラー、メディスン・マン

12.The Ruler

 支配者  

 モットー: 権力が全てにあらず、権力が唯一無二 
 核となる欲求: 支配
 ゴール: 一族または共同体の繁栄と成功を生み出す
 最大の恐怖: 混沌、地位を転覆されること
 戦略: 権力の行使
 弱点: 権威主義者になること、権力を委譲できないこと
 才能: 責任感、リーダーシップ
 別名: ボス、リーダー、貴族、王、女王、政治家、
     ロール・モデル、マネージャー、管理者

 

 「ソウル」を「化身」は苦し紛れですが、我ながら良く思いついたと思う。

 原文では、さらに以上12元型を四つの主要指向(Cardinal Orientations)に基づいて、次のように配列している。

       自由

        6
       5    9
     8       7
自我  3         4 社会
     11      2
       10    1
         12

       秩序

 

 あえて、ナンバリングで示しました。上で三つの大分類(エゴ、ソウル、セルフ)に分けておきながら、この図はそれとなんの脈絡もないんだよね・・・。いくら睨んでも何かの法則性が見えてくるわけじゃない。
 さらには四つの指向に「自我」(エゴ)が入ってしまっている。入ってしまっているのに、そこに分類されたはずの1、2、4がすごい遠いところ(「社会」の近く)にある。じゃあ「化身」(ソウル)と「自己」(セルフ)どこいった? こりゃどうしようもないですよね。全体でなにかシステムを表そうとしているように見えるけど、見事に破たんしている。

 細部は確かに面白かった部分もあった(特に「別名」)ので紹介しましたが、疑似科学には気を付けましょうね。くりかえしますが、心理テストか占い程度と考えておくべきだと思います。

 

2014年2月14日 (金)

On The Fade

 同名のTumblr記事から。

:***

「フェイドのインスピレーションは何から生まれたのでしょうか?」(ファンの質問)

 これまで何度も何度も、我々のアイデアが何かの映画や書籍のある部分を間違いなく剽窃(ひょうせつ)しているとBSNに書き込む者たちが現れてきた。そのある部分というのが、ある特定のジャンルの作品群ではずっと流用され続けてきた事実を無視しているのだろう。また、あるものをインスピレーションの源泉に用いても依然として「剽窃した」わけではない場合があること、または最終的にはその源泉と共通している部分が必ずしも多いわけではないということも無視しているのだろう。

 我々の全てのゲームのフォロワー・キャラクターが、ある範疇に当てはまると宣言する者が現れる、洞察に満ちたスレッドも似たようなものだ。そう、境界を曖昧にしてしまい、そのキャラクターがその範疇に「当てはまらない」部分を無視してしまい、最初から疑い深く見れば・・・、どんなキャラクターでもある大まかなアーチタイプに分類されるという、驚くべき発見をすることになるだろう。新世界へようこそ、みんな。
(訳注:原文には、「よくある12のアーチタイプ」という外部記事へのリンクが貼ってあります。メンタル・カウンセラーの記事らしいので(ゲームに直接関係ないから)ここには貼りません。ご興味があればそちらからどうぞ。私に暇ができ、かつ興味をそそるくらい面白かったら、ここに訳すかもしれない)

 ああ、そうだ、フェイドの話だったね。

 そう、だから、”Dragon Age”のフェイドは”The Wheel of Time”(訳注:ロバート・ジョーダンのファンタジー小説)からの盗用であると主張しているスレッドがあった。私はそれらの本を読んでいたが(読んだのは一部で、たしかプロットが後ろ向きに進むようになる第五巻で止めた)、そんなものは記憶していないので私は頭を掻くしかなかった。調べてみなければならなくなったが、”the Tel’aran’rhiod”、これのことだろう。(訳注:原文にはWikipedia(en)の同名項目へのリンクが貼ってある。ご興味があれば直接どうぞ)

 それが面白い考えだと思ったことには、この作品が出るまで、どんなファンタジー・シリーズも「夢の次元」を描いたことがなかったということを言ってるのだ、そうだよね? 私はその当時、自分がフェイドのアイデアを思い付いたプロセスを説明しようと思っていたのだが、断念した。他の作品との共通点を示すことができれば、それは創作者が剽窃したことと同義だとまでロジックが拡張されるのであれば、私がやろうとしていた説明がただの言い訳にしか受け取られないだろうと思ったからだ。つまり、「オリジナリティ警察」が私を捕まえにこないように、自分の身を守るための言い訳だ。

 DA世界の他次元の最初のアイデアは、DnDのプレイン(planes、次元、次元界)から得たものだ。私はこのプレインのアイデアが好きだ・・・、理屈の上では。プレインスケープ(Planescape)界設定が好きだ。しかし、それを用いる際には、プレインがほとんどの場合DnDのアライメント(訳注:善・中立・悪、秩序・中立・混沌の二軸から生まれる九つの倫理・道徳観の組み合わせのこと)に従って分かれていることを無視しなければならなくなるし、プレイン間の旅がごく普通になってしまうと、プレインそのものが退屈な日常と化してしまうことも無視しなければならなくなる。幻想の世界(astral space)や異世界(Outlands)に赴くのはステキだと思ったが、倫理的アライメントが不気味に人格化された世界や、三大地獄絵図を廻る旅などは嫌だ。

 我々は、その形はともかく次元間旅行を認めるか否かについて議論をしたのだが、それは宇宙観(cosmology)そのものの議論に直結していた。「幻想の世界」があるというアイデアは個人的に好きだったが、そこへの行き来を自由にするつもりはなかった。実際、全く逆を考えていた。信仰そのもののように、いまだほとんどが謎であり、ほとんど理解されていないルールに従って動く何か。

 「幻想の世界」の具体的な姿として、最終的に「夢の王国」のようなものを提案した。限定された方法で(言わば「幻想への投射」を通じて)しか行き来できず、物理的肉体のまま次元間を渡り歩くことはできない。そして私のお気に入りの夢の王国がニール・ゲイマンの「サンドマン」コミックに登場する「ドリーミング」(”The Dreaming”、Wikipedia(en)記事へのリンクは省略)であることは間違いない。フェイドはドリーミングには今やそれほど似ていないだろうが、ドリーミングを「ぼんやりした、象徴(シンボル)、信念(ビリーフ)、空想(イマジネーション)の移ろいゆく王国である」と考えた場合、私の思考プロセスの方向がおわかりになるだろう・・・、特にスピリッツとディーモンのことを想起すればいい。

 ゴールデン・シティ/ブラック・シティは、一方でまったく別なものだ。そしてロアの深い部分(Deep Lore)についての議論抜きでは話をすることができない。我々の社内WikiにはDAの歴史の根源的真実のいくつかに関するページがあり、それを閲覧できるのはごく数名の者だけだ。大真実(The Big Stuff)、我々が首尾一貫した物語にするために知っておくべき真実だが、その一部ですら暴露することは必ずしもないかもしれない。とどのつまり、謎の中には、定義された瞬間に減ってしまうものがあるのだ。

 こんなところだ。これがストーリーとコンセプト方面からみたフェイドの起源だ。どこかでまだ、それは”the  Tel’aran’rhiod”に過ぎないと言い募っている者がひとりいるのかもしれないが、グレイ・ウォーデンが実際にはナイト・ウォッチズ(訳注:マーティン原作小説の「ア・ソング・オヴ・アイス・アンド・ファイア」と「ゲーム・オヴ・スローンズ」Wikiへのリンクは省略)であるとの主張に力を結集するほうがまだ見どころがあるかもしれない。そっちのほうがより根強い意見だしね。 :)

***   

 剽窃の話は、いつもの「ただのこ汚い嫉妬の心に、正義という大義名分を塗して取り繕い、有名人(金持ち、権威、エスタブリッシュメント)を弾圧する反知性主義アメリカンの手口」ですから、腹は立つけどバカとケンカしてもしょうがない。ケンカしてもゼッタイ譲らないからするだけ損。

 個人的に「夢ネタ」への思い入れはゼロなのでフェイドのネタが出ると辛いところです・・・。ファンタジーやサイファイ自体が(あるいはフィクション全般が)「夢物語」なんで、さらに「夢中夢」いわれてもなあ・・・。夢を主題に取り扱うならまだわかります。映画なら"Inception"(2010)や、厳密には夢ではないが「無意識」を扱った"Trance"(2013)なんかやっぱオシャレだし、全体が夢の中(冬眠状態だったかな)なんてコンセプトの"Vanilla Sky"(2001)も悪くない。そうそう、"The Matrix"(1999)が広い意味でそうでしたしね。

 そうではなくて、少し気分を変える意味で「とりあえず夢の中いっときます?」となると、「えー」と思ってしまうのだ。

 つうてもDAシリーズは、どの作品でも必ず一度はフェイドに侵入することになるし、プロット的に避けて通れない、クリティカルな場合が多い(DA2だけはオプショナルだったかな?)。DAIにも主人公がフェイドに侵入する場面が間違いなくあることがすでにゲイダーさんから予言されています。 

 もちろんゲイダーさんのいうDA世界のコスモロジー、宇宙観にフェイドの存在は欠かせないわけだから、そこを舞台にして重要な物語が展開するのは必然ともいえる。DAOAのジャスティスとザ・ファーストのくだりとか、まだドラマチックで我慢できたので、そんな感じのやつをお願いしたいところです。

 

 

2014年2月13日 (木)

The Human Commoner Origin (DAO)

 Tumblrの記事に表題はないのですが、DAOの(ボツになった)ヒューマン・コモナー・オリジンについての質問にゲイダーさんが答えます。これは初公開じゃないでしょうかね。

*** 

「ヒューマン・コモナー・オリジン及びアヴァー族(Avvar)オリジンについて、どんなものだったか知りたがる人はいつもいましたが、根本的な問題がどこにあったのか、詳細に立ち入ることができるなら教えてもらえませんか? ときには切り捨てなければならないことがあるのは承知しているので、カットされたことに怒っているのではありませんが、それらがどんな内容だったのかはずっと気になっており、どこに問題があったのかにも興味があるのです」(匿名の質問)

 ふむ、いいだろう。もう随分経ったので、中身について議論しても害はないだろう。

 ヒューマン・コモナーは、当初「ルーク・スカイウォーカー」(Luke Skywalker)オリジンとして想定されていた。農園で単調な生活を送っていた主人公(プレイヤー・キャラクター、PC)は、飼牛の夥しい亡骸を見て、それが来るべきものの単なる前兆に過ぎないと知り、ついにはダークスポーンの包囲から農地の屋敷を守ることになる。事態が最悪な展開を迎えた頃にやってきたダンカンが、主人公の才覚を気に入ってリクルートする。
 
 ここでの問題は当初は技術的なものであって、具体的には屋敷の包囲戦をうまく効果的な形で創り出せなかったのだ。主人公は自分の家族に何をすべきか伝えるため走り回り、扉や窓に板を打ちつけていくのだが、ダークスポーンがそれを打ち破って侵入する姿をしっかり描くのが難しかったし、レヴェル1のウォーリアー/ローグにとっての難易度を調整するのが困難なのは言うまでもない。

 だがより大きな問題は、ストーリーがうまくかみ合わなかったことだ。ダンカンが主人公に興味を抱くことを正当化するために、奇妙に行きつ戻りつする紛糾した議論(convolutions)を強いられたし、ストーリーの最初の部分はあり得ないほど「退屈」だった。最終的に我々は、「ルーク・スカイウォーカー」オリジンと「選ばれし者」形(a Chosen One-type)を合体させるほうが良いことに気がついたのだが、DAOの物語に選ばれし者の存在はあり得ない。ヒューマン・コモナー・オリジンは、ドワーフ・コモナー・オリジンの類比、すなわちダヴェス(Daveth)みたいな山賊や盗賊の一味の立場として始めたほうがより良かったと思うが、その時点では、書き直しをするにはもはや手遅れだったのだ。だからそのオリジンは、悪しきコンセプトであったが故にカットされた。

 ヒューマン・バーバリアン・オリジンをカットするのは、実際これよりずっと難しかった。何回かの書き直しを繰り返したが、チームのほとんどの者は気に入っていたのだと思う。記憶によればそのストーリーは、自分の才覚を示すためにアヴァー族の集まりに参加した主人公が、他の部族の族長が権力簒奪を企む場としてその集まりを利用しようとしていることに気がつくというものだ。主人公の部族は皆殺しにされ、同じ運命をたどるはずだった主人公はダンカンの手によって救われる。ずっと後になってから、主人公がその相手の族長と決着をつけるプロットだった。

 
 当初の問題は、このオリジンがあまりに「コナン」ぽいというもので、ゲームの他の部分とうまくまじりあわなかった。「おれ、おまえら文明の民のこと、何も知らん」という問題が常に発生することを避けるため、アヴァー族を最初に想定していたよりも少しばかり「文明化」しなければならなかった。その問題は解消され、あるいは少なくとも改良されていったのだが、その先でアート・リソースの問題に突き当たった。具体的には、すでに計画されていたアートの多くをカットせざるを得ない事態が持ち上がり(クナリの外見もそのカットの対象だった)、アヴァー族のコスチュームや建物に要するリソースが真っ先にカットされることになった。結局そこで用いるつもりだったリソースは、オリジン・プロット以外の部分で必要とされなかったからだ。カットされることによって、アヴァー族の社会がフェラルデンのその他の部分とほとんど見かけが変わらないことになると見通せたので、オリジン自体をカットすることにした。そんな事態は単に許容できなかったのだ。

 以上がオリジン部分の二つの大きなカットだ。それらが完成までこぎつけたとき、最終的に楽しいものになったかどうかまったくわからないし、そうなっただろうと「想像」することは常に容易なのだが、そのふたつから選ぶのだったらアヴァー族のほうを残したかった。アヴァー族のロアについては本当に気に入っていたし、それ以降、我々がそれを他のどこにも用いることができていないことについては慙愧に堪えない。

*** 

 ダヴェスは、DAO冒頭のジョイニングに参加したローグですね。

 「ルーク・スカイウォーカー」オリジンは、実質的にDA2ホークの物語冒頭部分に転用されたと考えるといいかもしれませんね。
 ゲイダーさんが「ルーク」オリジンと「選ばれし者」(チョウズン・ワン)の物語を組み合わせることを考えたと言っていますが、ルークの物語は最初から貴種流離譚、彼は「チョウズン・ワン」なわけですから、良く考えると冗長な気はします。

・農園でのんびり生活していた若者が、銀河の勢力争いに巻き込まれる。
・若者は、実はジェダイの血を継ぐ数少ない生き残りのひとりであった。

 上のうち、最初の部分だけを「ルーク」オリジン、後半を「選ばれし者」形物語と呼んでいるのでしょう。
(ルークの農園が襲われるのは、完全な偶然ではありませんよね。アンドロイドたちがオビワンの居所を探すために近くに着陸したのですが、そのオビワンはルークの素性を知っていて、傍から見守っていたわけですから。ふたりが同じ惑星上にいなかったら物語はこのままでは成立しなかった。「たまたま」いたのはハン・ソロとチューイ)

 DAOでこのコンセプトは使えないという意味は、DAOは「たまたま」選ばれたフェラルデンの民がグレイ・ウォーデンとなる物語であるという意味でしょう。貴種流離譚の役どころには、すでにアリスターがいます。
 
 アヴァー・オリジンが「コナン」(ザ・グレート)に酷似していたと言うのも、「コナン」があまりにも基本的な物語原型であるから仕方がないのでしょう。むしろずっと後になって宿敵と再会して仇を討つという部分は、他のオリジンでも出てきますね。ヒューマン・ノーブル、ドワーフ・ノーブル、ドワーフ・コモナー。

 前の記事では、メイジ・オリジンとして書かれたいくつもの案があまりにも「ハリポタ」に似すぎていた、とありました。「ハリポタ」のどの部分を言っているのかな。サークル・オヴ・メジャイが魔法学校に似すぎていたという感じだったのでしょうか。

2014年2月12日 (水)

On Re-Writes: the Bane of My Existence

 引き続きゲイダーさんTumblrから。表題は「書き直し:私の存在を苦しめる災いのもと」。
 前回記事の最後が、「(我々ライターは)そういう定めなんだろう」(Such is our lot in life.)だったことに呼応していますね。

*** 

 書き直しを沢山すると言っていましたが、そんなにしょっちゅうですか? そうであれば、平均してどのくらいの回数書き直すことになるのでしょう。一番多く書き直したのは何回くらいだったのでしょう」(ファンの質問)

 そう、沢山起きる。主要プロットが書き直しを受けることも多い。主要キャラクターを書き直すことはそれよりは少ないが、それでも起きうる(ライター仲間のレヴューを受けることになる初期の段階で起きるほうが多く、プロットの書き直しはほとんどが各チームのリードによる評価を受けてから起きる)。

 平均的なキャラクターは、一つのゲームの中で少なくとも一回は完全に書き直され、つまり上から下まで丸きり書き直された二番目の案を試してみることになる。運が良ければ、最初のドラフトの出来栄えが十分良くて、主要な修正だけで済むこともある(つまり全部の書き直しでなく、会話の半分以下の書き直しで済むということだ)。

 一般的にプロットに関してはなお悪い。「最低でも」一度はプロット丸ごとを一から書き直し、何度も書き直すこともしばしばある。私はルールを決めていて、ライターがそうした完全な書き直しに二回見舞われたら、別のライターに委ねたほうがいいかどうか検討することにしている。プロットに求められることを書くことができないなら、そのライターは間違いなく基本的な問題を有していると見なされるからだ。彼らの責任では必ずしもなく、ときにはバッサリ切り捨てるべきストーリー要素に対してのめり込んでいない別の者の手を借りる必要があるのだ。私がこのルールを導入したのは、ひとりのライターが何度も何度も同じプロットに立ち戻ることを余儀なくされ、あげく心が挫けてしまってその問題にどう対処すべきかわからず途方に暮れるという、いくつかのホラー・ストーリーを経験したからだ。

(ちなみに、マイク・レイドロウがそんなホラー・ストーリーのひとつの例だ。”Jade Empire”の時代のことを彼に聞いてみればいい。きっと教えてくれると思う)

 書き直しの総回数? 自分たちにどのくらい時間があると思っているかによる。私にとってはそれは金魚のようなもので、許される限り大きくなっていくんだ。だから”Dragon Age: Origins”が一番多く、”Dragon Age 2”がそれよりずっと少ない(プロローグを除く。私にとって永遠の宿敵だ)。
 
 DAOのメイジ・オリジンはDAライターにとっての通過儀礼のようなものであったことを覚えている。製品が出荷されるまでの間に、ほとんど全員が打席に入ることになった(私が本当に残念だったのは、初期のヴァージョンの多くがあまりに「ハリポタ」然としていたことだ)。ヒューマン・コモナー・オリジンはまた別の例だ(四回書き直してから、その前提部分に基本的な部分で問題を抱えていることに気がつき、カットされることになった)。オーザマー(三回完全に書き直され、その後さらに主要部分の修正が行われた)、ランズミート(カットされ、戻され、今度は野外で開催されることになり、それに伴い導入部にあたるデネリムのプロットのうちふたつがカットされ、おっと、それ以外にもひとつふたつのヴァージョンがあったことを忘れているかもしれない)、などなど。

 書き直しが必ずしも悪いことではないと言っておかねばなるまい。別名「イタレーション」(iteration、ここでは開発工程内の繰り返し、やり直し)と呼ばれ、それはプロジェクト全体にわたって発生するものなのだ。まずプレイされ評価され得るものを造り出し、それから問題点が抽出される。問題点が十分大きければ、設計図まで立ち戻らなければならない。一般的に言って次のヴァージョンは前より改善されている。物事はそのように進む。

 自分がその元に戻ってやり直しする張本人だったら居たたまれない気持ちになるし、特に最初のヴァージョンを自分が気に入っているときにそうであるのだが、さらに悪いのは、書き直しの理由が自分自身に起因するのではなく、他のどこかの部分がカットされたなどの外部要因からくるものの場合だ。しかしながら、それこそ我々がプロフェッショナルである所以でもある。意思決定がなされたら、つべこべ言わずに大人になって(you put on your Big Girl panties)それに取り組まなくちゃならんのだ。

 それがゲームが出荷されるまで続く。その時点になれば、もうその忌々しいプロットを書き直せなどと誰も二度と言って来なくなることを予測しても構わないわけで、誰にも気兼ねせずその場に崩れ落ちることができる。しばらくの間は。

*** 

 「ヒューマン・コモナー・オリジン」ってなんだよ、聞いてねえよ、という人がいるかもしれないが、それは次のお題になっています。

 マイク・レイドロウ氏は”Jade Empire”のリード・ライター(ふたりいたそうだ)でした。

 イタレーション(笑)。何度そのネタに戻るんだ、もう飽き飽きしたと思われる方もいるかもしれませんが、それもまたイタレーションの一部。世の中の作品(とりわけJRPGや日本のサブカル)でこのイタレーションが頻繁に用いられていると言うお話は、別に目新しい発見でもなんでもなく、むしろ普通になってしまっているという話を何度もしましたが、これこそまさにコンピューター・ゲームが得意とするところ。スーマリやゼルダを想起してもらえばすぐわかる。何度も何度も同じステージでプレイを繰り返す(プロ・ゲーマーでもなければ毎回同じではないのでイタレーションですね)プレイヤーが求めるものはハイスコアという最適解(カジュアルならゴールという満足解)。FPSで何度も何度も殺されて、都度何度も何度も蘇るのも同じ。

 上の話は、その開発工程まで似たような絵姿になっているということですね(もちろんイタレーション手法を用いるのはゲームの開発現場に限りません)。
 開発者であるゲイダーさんたちだけが知っているプロットやストーリー、あるいはキャラクターのイタレーション(すなわちいくつものヴァージョン)は、例えば日本のラノベやコミック作品内でしつこく繰り返される(んー、ここは反復、レペティティヴの意味)イタレーションと同形、実は見分けがつかないのです。

 開発初期段階では、無数にあったかもしれない世界(ヴァージョン)のごく一部が(でも十分に数多くが)、開発途中までその実現を狙って創り上げられていくが、書き直し・やり直しとカット(ボツ)などを繰り返してどんどんある狭い範囲に収束していく(別段そうであった必然性のない、偶有的なヴァージョンのいくつかが生き残る)。製品出荷の段階でその収束は凍結されるのですが、今度は製品を手にしたプレイヤーが(開発者たちが定めた範囲の中で)無数に近くあったかもしれない世界(プレイスルー)のうち、最低ひとつの、またはいくつかの偶有的なヴァージョンを実現しようとしてプレイする。本当に単純なパズルやなぞなぞを除き(別に除く必要もないかもしれない)、それがコンピューター・ゲームの絵姿。工業製品でもなく、芸術作品でもない、言わば工芸製品たるゆえんですね。
 

2014年2月11日 (火)

On the Early Days of Dragon Age(3)

 前回までの記事、ゲイダーさんも、今までなかったような目新しいことはそんなに語っていませんでしたが、ひとつだけ新しくて気になる部分。

 DnDが「信仰の重要性をカンペキに取り除いている」部分を批判的に考えて、DA世界にチャントリー(というよりも、すなわち不在の神メイカー)を生み出した、というところ。 

 ゲイダーさんが言っている時代のDnDでは、プレイヤー・レヴェル10でほぼ超人、もっと進むと半神半人(デミゴット)、さらに上に行けば神(ゴッド)のレヴェルに到達すると見なされていた。

 DnDの世界設定は(フォーガットン・レルムズはじめ、多くは)多神教の世界であり、それもギリシャ神話のオリュンポス(オリンパス)の神々をモチーフにしている。そして実際に神々(Deities)が存在する。ゲイダーさんが言うように、神は人(レヴェルアップし過ぎて化け物になったヒューマノイド)によっても倒される可能性がある。

 ゲイダーさんが言わんとしていることは、「倒せるからダメ」ではなくて、倒せる可能性がある、ということは現に存在していること(実存)の証明であり、実存していたら神でもないし、そんな存在を「信仰」することはない、という意味。

 現に存在して目の前にいたら、おっかないから機嫌を損ねないように、ことを荒立てないように拝むじゃないか、と勘違いするかもしれないが、それってまず相手は「神聖」な存在ではないし、「信仰」でもないですよね。つうかそんなこと「日常」、普通に起きうるじゃん。

 そして神の鉄槌が「任意に」何度も下ったり、蘇生(リザレクション)を平気で繰り返したら、それらは「奇蹟」とは呼べない。その世界では「日常」だ。 

 ここら辺が「なんちゃって宗教国家」の日本ではわかりにくいのかもしれないが、神が(あるいはその存在の痕跡とも言われる奇蹟が)日常化するはずがない。神(あるいは神々)の存在が不明、不確実だからこそ、人の信仰が重要となる(人が艱難辛苦に見舞われることこそが神の存在を示すとまで考える説もある)。逆に、信仰が深まれば深まるほど、人は神(神々)の存在に疑念を持つようになる、というのは(クリスチャニティでは)一般的な発想だ。神の存在証明のために頭を悩ませた賢人たちはアクィナス、カントが有名だが、他にも数限りなくいた(今もいる)。

 ただし、上のことと、ゲイダーさんが「一神教を信仰するチャントリーを登場させた」というのとは直接繋がらない。例えばオリュンポスのように十二神でもいいし、ヤマトのように八百万(やおよろず)のアニミズムだっていい。その存在が不明、不確実ならなんだっていい。

 ここで敢えて一神教で、かつ(古代エジプトなどのそれではなく)不在の神(創造主)を選んだ理由はリアリズム重視だけだと思います。「原罪」を持ち込んでいるところから見てもクリスチャニティからの連想以外の何ものでもない。(ただしアンドラステは預言者であってもただの人。神であり人であるジーザスの代わりではないので、クリスチャニティのアナロジーからは逸脱している)

 そしてDA世界の魔法は、(神の奇蹟の痕跡である)ディヴァイン・マジックとは厳然と区別された。DnDパラディン命の私としては悲しいけど、それで辻褄はあっている。

 DA世界ではデーリッシュ・エルフ社会が多神教、アニミズムを信仰していますね。

 ドワーフが儒教系、クン(キュン)の教えが道教あるいは仏教系というとかなりこじ付けになるけど、リアルの世界宗教で言えばそこらへんを連想させといて損はないのかもしれない。

On the Early Days of Dragon Age(2)

 前回の続きです。

*** 

 この時点から我々は、最初のゲームの舞台となるいくつかの場所、潜在的に闘争がありうる場所に関してより細部を詰めていった。最終的にはそれは、新しいブライトが発生するフェラルデンに落ち着き、そこで(プロジェクトに参画したばかりだった)ライティング・チームが、フェラルデンの歴史やその社会に関するさらに多くの細部を追加していった。ジェニファー・ヘルパーはドワーフ社会についてさらに多くの細部を追加し、その歴史についてはほとんど丸ごと彼女に手になるものだ。メアリー・カーヴィーはステンのライティングを担当したが、クナリ語(クンナット)のほとんどを編み出し、すでにあったクナリのロアにさらに細部を追加した。 

 これら新しいライターたちが参加したことは、ロアがより素早く追加されることを意味したが、同時に私の最初のドラフトに対して多くの変更がなされることも意味していた。ライターの誰かが、自分の取り組んでいる何かについて必要と考える何らかの解釈を思いついたとき、それはしばしばこんな会話を呼ぶことになった。「これは一体全体どういう意味でこうしたの?」 我々はチームとして話し合い、ブレインストーミングをし、皆が納得するように変更していった。

 アート・チームがやりたいことを提案してくると、さらに多くのことが変更されていき(そして彼らはゲームがどのように見えることになるかの全てを決定する者たちなので、もはや見かけにそぐわなくなったと感じた部分について、我々にストーリーまで立ち戻って変更することを求めてくることすらよくあった)、それが故にDAOのリリースまでの数年の間、設定はとてつもなく変貌し続けた。だから私は「セダスを創り出した男」などという称号に値しないし、欲しいとも思わない。ジェームズ・オーレンの導きに従って最初の絵姿を沢山描いたのは私だったが、今や私が持ち込んだものはインプットでしかないような数多くの部分から成り立つものになっており、それはそれで構わない。今あるロアの深さは、私ひとりで思い付けるようなものを遥かに越えているし、遥かに優れていると言っていいだろう。言えるとしたら私はセダスのおじいちゃんで、私の仕事はチームの他のメンバーとの間でロアについて連携し、調整することなのだ。

 だが、設定を別々な者たちが手掛けるということは、それを全部追跡していくという問題を生むことになる。我々は全ての情報をオンライン化していたが、それら情報の面倒を見る者は誰もいなかったため、だんだん手に負えなくなっていった。すでに陳腐化した(legacy)ロアが沢山あったのだが、それが依然として残っていても、その変更について責任を負っているライターしかボツであることに気がつかない。それでベン・ジェリナス(ロアブックであるThe World of Thedas編集の多くを担った エディターである)を雇うことになった。彼の最初の仕事は、全てのロアを新しい社内wikiに移すことで、全ての陳腐化した内容を削除し、それらを人間がなんとかアクセス可能な形にオーガナイズすることだった。そして彼はそれをやり遂げた。(訳注:あの12の偉業を成し遂げた)ハーキュリーズ(ヘラクレス)でさえ、感動したことだろう。 

 一番難しい部分がどこか知ってるかい? 物事の命名だ。何かに名前をつける際にチームが経験する議論の紛糾(convolutions、ああでもないこうでもないと行きつ戻りつすること)のことだ。例えば国々、グレイ・ウォーデン、世界そのもの、生き物、とりわけ"Dragon Age"というタイトル・・・。それらはホラー・ストーリーが生み出せるほどひどい有様で、だから私は命名のルール(注)を作ることにしたんだ。ブレント・ノウルズ、その後を引き継いだマイク・レイドロウは、それらのルールがあるおかげで私が不機嫌にならないよう配慮してくれたし、命名問題が巻き起こったときにはそれを鎮静化することに役立ってくれた。ありがたいことに。

(注)何度もリンク貼った記憶ありますが、拙訳の記事は下。記事内に原文へのリンクもあります。

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/02/on-narrative--2.html

 もちろん、間抜けなことに、私はどこが変更になって、どこがそうじゃないかをときどき忘れてしまう。すでに変更されて陳腐となった多くの事柄は、それでもある時点までは私にとって本物で、何年もそうだったものもあり、だからせっぱ詰るとそれらのどれかが頭に浮かんできてしまって、他のライターから睨まれて、もうそれは用いていないと叱られるんだ。アンダーフェル(Anderfels)は、もうオースランド(Orthland)じゃないの、デイヴ、思い出した? アンティーヴァ(Antiva)は、カラブリア(Calabria)じゃない。出来事の時系列(タイムライン)は、プロットやストーリーの変更に最も影響を受けやすい。フェックス種族(Fex)の話はもういい、やめてくれ。 

 だから社内wikiが必要なんだ。気づいてないなら教えてあげるが、デヴィッド・ゲイダーの物覚えが悪いからだ。でかいことなら良く覚えているんだが、細部になるとチームの誰かに頼らなければならなくなるし、まさに勘違いしてしまうこともたまにある。幸運なことには、間違いをやらかしたらファンがいちいち指摘してくれるんだ。そういう定めなんだろう(Such is our lot in life.)。たぶんね。

 さて、これが粗々答えだ。間違いのないことを願うが、十年前の話だから違っていたら勘弁してほしい。なにしろ私の細部の記憶は曖昧なものなんで、何かを勘違いしていたとしたらいけないから、先に謝っておくことにしよう。

***

 Mass Effectのリード・ライター、マック・ウォルタース氏も「レトコン(過去との継続性矛盾問題)で困ったらユーザーのWikiを見る」と言ってましたね(笑)。

 ゲイダーさんの勘違いは・・・。数もあるし、結構きついのありましたからね・・・。武士の情けで繰り返すのはやめとくけど。

 上のフェックスはパー・ヴォレンの原住種族のこと。インタヴューで答えた内容がロアと矛盾したのかな。詳しくは何があったか私も知りません。

On the Early Days of Dragon Age

 ゲイダーさんが暇なのかTumblrのブログを連発している・・・。
 しかもどれも無視できる中身じゃないうえに、いつも以上に(?)長い。

 やれるところまで行ってみよう。
 つうか、記事ふたつくらいに分けます。

*** 

「DAの初期の時代、世界設計をしていた頃の話をしてもらえませんか。すべて一発で決まったのか、ひとつづつ決めていったのか? エルフ、クナリ、テヴィンター、レリウムなどに関する決定は誰がしたのか。だれに決定権があったのか? 誰に発言権があった(ある)のか?DAの設定をインスパイアしたものは何で、どのように影響を与えたのか?」(匿名ファンの質問) 

 こいつは心底驚いた(Christ on a cracker)、そんな昔のことを思い出せと言うのかい?

 まあいい、やってみよう。 

 "Neverwinter Nights"のエキスパンション"Hordes of the Underdark"の仕事が片付いた頃(だから、いつだ? 2003年の末?)、ジェームズ・オーレンがやってきてファンタジー・ゲームの構想を伝えてくれた。それは固有のIP(知的財産、フランチャイズ)になるもので、他のチームが開発していたサイエンス・フィクションのIP(最終的に"Mass Effect"となった)と一緒に、会社が次に手掛ける「でかい目玉」("big things")になるものであった。 

 ジェームズ・オーレンについて知らない人のために言うと、初期の時代のBioWareのデザイン部門のボスで、その当時はデザイン部門が今のようにサブ・リードによって細分化されていなかった(彼は今、オースチン・スタジオのシニア・クリエイティヴ・ディレクターだ)。その頃は彼がデザインのあらゆる側面の責任者で、"Baldur's  Gate"、"Baldur's  Gate II"、"Knights of the Old Republic"などの立案者であった。あるいは少なくとも私の立場からはそうだった。ゲームとストーリーのすべての主要な側面を決定し、会社の初期からのメンバーのひとりとして社内の尊敬を当然のように沢山集めていた。

 その時点で彼とは数年にわたって密接に仕事をしていたので、新ゲームのコンセプトを考案するための小チームに召集されたことはこの上ない幸せであった。他のチームのメンバーがルック・アンド・フィールの側面からプロトタイプを造っていた(2004年E3で公表されたものだと思う。リンク:http://www.ign.com/articles/2004/05/13/e3-2004-dragon-age?page=1)。私は彼らからはずれて、世界(セッティング)と設定(ロア)の最初のドラフトをまとめはじめた。

 最初のドラフトはジェームズから与えられていた非常に限られた方向性に基づいて創り上げた。端から端まで(whole nine yards)、メイジ、エルフそしてドワーフが登場するような伝統的なファンタジー世界だった。私はもう少し魔法に拠らない(ロウ・マジックな)方向に進めたかったのだが、ふたりで「ダークな要素を含むハイ・ファンタジー」、言わば「魔法とエルフがより現実感(リアリズム)を伴う形でそのような設定に存在していたらどうなるか?」、というようなアプローチを採用することで合意した。 

 ジェームズとふたりで、DnDの世界の魔法がその世界の住人たちから正しく認識されていないというような話をした記憶がある。こんな話だ。レヴェル1のマジック・ユーザーがチャーム・パーソン(Charm Person、人間魅了、訳は以下すべて私のもの)の呪文を使えると知っている者が、彼らのことが好きだから彼らと親しく付き合っているとどうして信じることができるのか、それが彼らの魔法のせいでないとどうしてわかるのか? そこからサークル・オヴ・メジャイの発想が生まれた。次に、私がいかに神々やディヴァイン・マジック(Divine Magic、聖なる魔法)などの類を嫌悪していたか、神々の存在が現に証明可能なことによって、信仰の重要性がカンペキに取り除かれてしまっているかについて話をした。神々にはスタッツまで用意されていて「ほんとに強いけど殺すことができるかもしれない存在」にまで貶められているのだ。そこからチャントリーが生まれた。DAの内容のすべてがDnDへの批判から生まれたわけではないが、その影響がないなどと言うのもバカげている。とどのつまり、ジェームズはミスター"Bldur's Gate"その人であるのだし、BG2は今でも、私の仕事の思い出の中でもっとも好きなもののひとつなのだ。

 だから最初の世界設定のドラフトは、結局のところ私がひとりでロアの山を捻りだしたことになる。 地図の簡単なスケッチを描き、主要人物と歴史上の主要な出来事の概要をまとめた。エルフとドワーフに関する基本的な設定も思いついた。ジェームズはDA独特である種族を(そして、擬人化したものではないものを)ひとつ入れるよう望んでいたので、私はクナリを創造した(当初は最初のゲームのストーリーの基盤をなすと見なしていたので、かなり詳細まで描きこんだ)。宇宙観(コスモロジー)、フェイドの性質、レリウムの正体、魔法がどのように用いられるかについても詳細を練り上げた。 

 それら大きな枠組みが最初のドラフトから大きく変更されることはなかったが、他の事柄はそうではなかった。ダークスポーンに関する側面は、ジェームズの意向に従って全部後から追加されたのだが。その性質や、それに伴う詳細な事柄(ブライト、ブルード・マザー、グレイ・ウォーデン)を捻りだしたのは私の仕業だ。彼はまたドラゴンを再登場させるよう望んでいた(私の最初の案では絶滅したことになっていた。その時はまだゲームが"Dragon Age"ですらなかったことを忘れちゃいけない)。私の最初のヴィジョンのサークル・オヴ・メジャイは、メイジに対して今よりもっとずっと熾烈な扱いをすることになっていたのだが、メイジをプレイすることが、私がどうやら望んでいたほどまでには最悪の体験になることを避けるため、少し緩められた(このことから、良きストーリーが必ずしも良きゲームプレイを生み出すわけではないことを学んだ)。

*** 

 続きは後ほど。

 

 

 

 

2014年2月10日 (月)

Elysium

 この週末は記録的な大雪だった。以前から愉しみにしていた外出の予定は泣く泣くキャンセルして、溜まったBD/DVDや見逃した映画をオンラインでまとめて観ようと思いました。

 Amazonのインスタントビデオ・サービスがPSNやその他動画サーヴィスとほとんど変わらないことについては、すでにはじめから愛想を尽かしていました。
 だいたい洋画で「セル」を先行配信ってのが気に喰わない。私にとっては一週間か二週間後に「レンタル」がはじまるシグナルでしかないけど、永久にレンタルしないものまであるようだ。
 唯一の期待は過去の洋画作品のライブラリーが充実することなのですが、これも他のサーヴィスと同じリーガル上の面倒を抱えているのかあまり進んでいない。私ごとき普通の映画ファンにとってすら、まだ観たことのない作品は数えるほどしかない。ロングテイル・マーケティングとか、君たち本業じゃないのか。

 一方、ハウトゥーものや似非ビジネス書や池上なんとかの類しかなくて完全に失望していた電子書籍方面では、ここにきてようやく大手出版社が古い作品を中心に怒涛のように品数を拡充してきているようです。カドカワはじめ強烈なディスカウントをはじめているところもある。再販価格制度はどこに行ったのでしょうね(なくていいけど)。また販路による違いも出はじめていて、例えばSony ReaderとAmazonでは後者が圧倒的に安い作品も見かける。Sonyは品数も格段に少ないし、これ本気でやばいよ。

 せめて映像作品(私の場合は洋画ですが)についても、過去作は概ねなんでも揃っているようになってくれるとうれしんですけどね。
 それか(まず無理だろうけど)直接Amazon.comのインスタントビデオを視聴させてくれれば早い。

 すでに「セル」が先行配信されていたニール・ブロムカンプ監督(”District 9”(2009))の”Elysium”(2013)。昨年の私のサイファイ映画リストで見逃していた最後の作品。Amazonのクーポンがまだ余っているのでレンタルで観てみました。
 予定より二週間も早く届いた新しいDellの27インチ・ディスプレイにKindleから繋いで!
(結果的に大雪の土曜日配達指定になってしまって宅配便には悪いことをした)

(以下、”Elysium”やその他映画のうっすらしたネタバレがある。書いてないことからすら中身がわかってしまうような、リアル・ウィズダムの高い人はご注意)

 なんか、ブロムカンプ監督の手癖がわかってしまった。

 世代も、ジャンルも、そしてオタク方面のカリスマ性からしても、ダンカン・ジョーンズ監督(”Moon”(2009)、“Source Code”(2011))とどうしても比べてしまう。ジョーンズ監督の場合はワン・アイデアを手に入れたら、それを頭割れるくらい考えて話を広げるところが素晴らしいのだ。もちろん、上述の二作品はどちらも頭が痛くなるほどこんがらがるネタなのだが。

 ブロムカンプ監督はどちらかといえばこうだ。ワン・アイデアを手にすると、予めケツを決めてしまって、あとはその間をキャラクターが勝手に動くように動かす。だから結末は予定調和的で、必然的にディテール勝負になる。もちろんツイストが幾つも仕掛けられているから、ベタなメロドラマや勧善懲悪にはならないけど、オチは「まあ、そうなるんだろうねえ」というもの。

 “District 9”は、ご本人の良く知るジョハネスバーグ(ヨハネスブルグ)が舞台で、監督がいくら否定しても100%アパルトヘイトの物語。さすがにそこで目撃した人にしかわからない(だろう)「スラム」、そのスラムと付き合わなければならない周辺住民の微妙な感情などのディテールがとても素晴らしい。また、Half-life 2やHaloなどヴィデオ・ゲームへのオマージュ(これもディテール)もそこここに埋め込まれ、またその扱い方が上手で、向こう正面のうるさいオタクも唸らせた。

 今回”Elysium”も「クラス」(階級)の物語だからテーマは近似している。アイデアは使い古されたベタな階級差別、階級闘争である。ごく一部の上流階級だけが、劣悪な環境となった地球を棄てて宇宙コロニー(ガンダム世界のあれ)であるElysiumに移住している(メルセデス・ベンツのマーク形なのは洒落かもしれない、とはニューヨーカー誌のレヴュアー)。最新の(特に医療分野の)科学技術はコロニーの住人にしか提供されない。地球はコロニー住人のための(マルクス的な意味での)生産手段としての意味しかなく、住人はその労働力(とその再生産)以外に生存価値がない。つまり「宇宙コロニー」は地球を「植民地」として用いている。

 植民地物語、階級闘争テーマとしてのベタさ加減では”Avatar”(2009)も、”Cloud Atlas”(2012)のエピソードにも似たようなものあったし、記憶にあるもので言えば”The Island”(2005)、”Gattaca”(1997)あたりは面白かった。
 それから「黄禍」テーマ以外の何ものでもないので日本人として入れたくないけれど、”Planet of the Apes”(1968-)もそうだ。サイファイに限ったとしても、他にも数限りなくあるでしょう。”The Matrix”(1999)まで入れてしまうことができるかもしれないが、”The Terminator”(1984)はマシーンが人間の殲滅を狙っているので違う。”Soylent Green”(1973)は人口爆発問題がテーマなので違う。

 ダンカン監督も実は上の二作品で「クラス」(階級)を扱っているとみることもできるのだが、どちらかというと中心は「デューティー」(義務)。あくまで私的な物語。それも主人公が騙されて、あるいは巻き込まれて、自ら望まずに、嫌々遂行しなければならない類のものだ。やがて主人公の「セルフ・アイデンティティ」(自己同一性)を揺るがす隠しテーマが明らかになっていくので、この「嫌々」感が素晴らしい(つまり観ていて本当に嫌気がさす)ものになっていく。

 最近の映画ではリメイク版の”Total Recall”(2012)が未来の地球上には二つの共同体しか残されていないという設定を用いた(オリジナル映画では、植民地は火星にある)。主として生産手段を有している支配者階級が住むThe United Federation of Britain(今のUK)と、労働者階級が住むThe Colony(今のオーストラリア)。双方とも十分な人口を維持することが出来ないので、生存のためには互いに相手を必要としている。その意味でヒネリとしては”Elysium”より洒落ている(映画の出来栄えはともかく)。
 双子の世界が逆向きの重力で分断されている設定の"Upside Down"(2012)も、なぜか片方の世界が裕福で、貧困なもう一方の世界を搾取している設定だ。格差が不可避な現象だと見なさないとドラマにならないからだろう。

 このやり尽くされたと言ってもいいようなベタベタな設定を、どうやってひっくり返して驚かせるのかが“Elysium”に期待する愉しみだったわけですが。何もひっくりかえらない・・・。ニヒリズムやアンタイ・クライマックスという意味ではない。確かにど派手なクライマックスはあるのですが、仕掛けがありきたりなので結局「そのまんま、手なりですか」というオチに過ぎない。前作で抜群の効果を発揮したガジェット類も、本作での導入はおしなべて無理やりである。意味ないやん、あったとしてもこじつけやん、とつっこみたくなることがしばしば。
 また宇宙コロニーの住人は仏語を喋る。生活様式はヴィクトリア朝(白亜の邸宅)だかビヴァリーヒルズ調(プライヴェート・プール)だかわからんが、「特権階級」の表現としてありえないくらい陳腐。

 先ほどから必死に何か褒めようとしているのだが、ジュディ・フォスター(敢えてブリティッシュ・アクセントを使っている)がやっぱ綺麗、くらいしか思いつかない(監督の手腕と直接関係はない)。前作の主人公役だったシャルト・コプリーが悪役として登場しているので、駆け出しの頃の関係を大事にしてるのね、というところは素晴らしいけど(監督の次回作もサイファイで、ヒュー・ジャックマンとコプリーが共演する)、これも映画と直接関係ない。

 あちらのレヴュー(ニューヨーカー誌)では、コロニーの陳腐な安寧、無臭さこそが、カンペキな生活のどうしようもない退屈さを表していると評価している向きもある。そうかなあ。それすらほとんど描かれていないから伝わらなかったけどなあ。つうか描かれている地球上のロサンジェルスがまるで臭く感じなかった。一体どこに消えたのかわからないあの「私たちは99%」運動や「アラブの春」に絡めて観ているから、階級闘争ネタに甘いのかな。同じ「どリベラル」なタイム誌のレヴュアーは辛辣にこの映画の陳腐さを批判している。最近のサイファイ映画失敗作でトムやウィル・スミスに枕を並べて討ち死にしてしまったマット・ディモンは、そもそもこのような粗暴なだけの役を演じるべきではないとまで言っている。

 上述したような数々の映画をまったく観たことのない人たちにとっては斬新なのかもしれない。でもそれなら”Gattaca”とか観た方がずっとましでしょうけどね。

2014年2月 9日 (日)

On the Meaning of ‘Playable’(2)

 前回の記事で、「それじゃあDAIは今どこの段階?」という疑問が浮かぶわけですが、ゲイダーさんは具体的には答えていなかった。

 別のファンの質問で、それについても答えているようです。

*** 

「次の質問はこうでしょう。『どの開発段階が一番好きですか? 一番嫌いなのはどれですか?』」

 製作開始前の初期段階、コンセプトを練り上げているときが最高だ。自由にできないことは何もない。どんなことでも前作より優れたものにすることができる。皆がワクワクしている。

 最悪なのはアルファに向かう段階で、DAIの開発は今そこだ。ライティングにとっては厳しいカットに見舞われるときだ(後工程のチームは、一般的にはあとしばらくしてから影響を被る)。自由にできることは何ひとつない。すべてのことが徐々に悪化していくように思える。皆がゲッソリしている。 

 だが、ベータ段階になればましになる。いつでもそうだ。もしそうでなければ、我々は・・・、おっと、危うくほんとに性根が歪んだ(catty)ようなことを書きそうになった。PC上のフィルタリングが作動した。自分でインストールした記憶さえないんだけど。

***  

 今依然としてプレ・アルファ段階にある、と平気で書けるということは、開発がオン・スケジュールだからでしょう。リリース前のレイティングとかもろもろの認証期間がどのくらいかによりますが、ざっと逆算しても(色々公表できるのは)早くて春以降でしょうねえ・・・。 

 主要ゲームサイトの「2014年期待の新作」にはDAIが含まれていないことが多い。BioWare/EAがまだ正式に2014年内リリースを発表していないからでしょうか。中身がわかるろくな情報がないということもあるでしょう。

 いざほんとに間に合わなくなったら、ゲイダーさんもTumblrで軽口叩いているわけにはいかなくなるはずなので、こういう記事はビーコン替わりに思っておけばいいと思うのですが・・・。 

 もし本当に遅れたら? おっと、危うく本気で性根の腐ったようなことを書きそうになった。このPCに「罵詈雑言フィルター」なんてインストールしていないから(つうか日本語版でそんなものあるのか)、やめとこう。

On the Meaning of ‘Playable’

 表題と同名のTumblr記事。

*** 

「 あなたの経験上、ゲーム開発の基本的順序はどうなっているのでしょう? つまり、ライティング、ゲームプレイ、声優の吹き込み、音楽などのことです。お聞きしているのは、DAIのいくらかプレイアブルなビルドができているなら、後にはどんな開発作業が残されているのか知りたいからです。吹き込み、音楽、最適化、圧縮、書き直し、そのほか多くのことがあると想像できますが、単に好奇心からの質問で、他の皆も知りたがってると思います」(ファンの質問)

 「いくらかプレイアブル」

 うはははははははは、げほっ。 

 失礼、失礼、笑いものにするつもりはないんだ。(DAチームがクリスマスに家に持ち帰ったような)「最初のプレイアブルな」ゲームのビルドができたと耳にした人々の反応は、決まって「わあ! もうできあがりそうなの?」というものだからね。

 誰の過ちでもまったくなく、開発者にとっての「プレイアブル」とエンド・ユーザーにとってのそれの意味が違うなんてことを、誰かが即座に気づく理由なんてないのだ。我々がプレイできるなら、エンド・ユーザーだって理論的にプレイできるってことになるよね? 

 信じて欲しい。ファンである君がどれだけ乱暴に夢を膨らませたところで、「最初のプレイアブル」段階のゲームをプレイしたいなんて思うことは決してない。

 「最初のプレイアブル」が実際なにから成っているかは、開発する会社によってさまざまだ。漠然とした意味以外に本当に標準化された開発用語なんてものはないのだが、我々にとって「最初のプレイアブル」は、文字通りプレ・アルファ段階のものを指す。つまり、ゲームのストーリーを最初から最後まで、デバッグ・コマンドを用いることなく進めることができることを意味しているが、それも運が良ければの話だ。そして意味はそれしかない。

 エリアのいくつかは完成に近いもので、その時点で公表できるものがそうなのだが、それを目にした君は、「おい、もうちゃんとしたゲームに見えるじゃないか!」と思うだろう。だが次のエリアは何もない灰色の平面で、(両手を広げただけの)T字型の敵が君に向かって走ってくるのだ。話しかけるキャラクターの髪は頭から少し浮き上がってしまってるし、顔のFXが唇をひん曲げてしまうから歯がむき出しのひどい形相になっている。そして文が終わるたびごとに、一瞬キャラクターの目玉が顔から一フット(foot)も飛び出してしまうんだ。

 ほとんどのコンバット・アビリティは使えず、多くのエンカウンターは「ここでモンスターと戦う」と書かれただけのポップアップしてくるテキストだし、ヴォイス・オーヴァーが録音されているセリフもあるかもしれないが、多くはロボットのようなTTS(テキスト・トゥー・スピーチ)だし、ライティングが終わっていない部分すらある(セリフの代わりに、キャラクターが「ここで自分がどれだけ悲しい気分かを述べる」と喋るかもしれない)。 

 それですら遭遇するバグの数々のことを無視しているわけで、その時点ではまだ数多(あまた)(Legion)ある。「なんだよ、また地面から落ちちゃったよ」 

 我々がストーリーのペースなどを評価しはじめるのがこの段階なのだが、情報の流れがうまくいっているかどうかについても確かめる(特にゲームの冒頭部分についてで、通常一番進んでいる部分だ)。我々は、後から全てのアート、音楽、声優の吹き込みが完成したとき、どのように見え、感じられるかを想像しながらゲームをプレイして、またそこから開発作業を進めるんだ。 

 最終的にアルファ版、別名「コンテンツ完成版」となり、そこには第一段階をパスした全てのものが入る。全てのレヴェル(マップ)にレヴェル・アートがつく。全てのライティングができている。コンバットのタレントも全て入っていて、音楽や背景音もつく。どれもまだ磨き上げられてはいないし、それからまた何度もやり直し(iteration)が行われるのだが、アルファ版になれば大きなコンテンツの塊がカットされることもなくなり、我々はそれらバラバラの物事がうまく組み合わされるように注力することになる。コンテンツを完全にやり直すよりはカットしたほうがいい部分を選び出す。テストを何度も何度も繰り返すので、バグの数は指数関数的に増加していく。

 この時点でゲームは一体化をしはじめ、楽しさが生まれてきて、変更のペースも指数関数的に増大する。まさしく、日々改良を重ねていく。一体となって動いたりしそうもない、まだ間違いなくぽんこつに過ぎない状態だったものが、魔法のように姿を変えて、頭を悩ませることなく、あれ、もう出荷できちゃうんじゃないか、と呼べるものに仕上がっていく。

 そうしてベータ版、「最初の出荷可能」版に向かって進んでいく。そのまま出荷しようと思うかどうかはともかく、形式上はすでに出荷できる状態だ。その時点からすべてのバグ・フィックスと磨き上げられた内容が盛り込まれたものになっており、修正が追加されるよりカットされる確率が高くなる。リリースの時点までずっと、どんどん増えていくバグの山と戦っていくことになる。

 だから、そう、まだまだ「山ほど」やるべきことが残されているように思えるだろうし、現にそうなのだが、私が携わったプロジェクトではいつでもそうだった。そう言えば、私もこれから仕事に戻らなくちゃならないところだったのだ。

*** 

 映画"Trance"(2013)のメイキング映像で、監督ダニー・ボイルが言っていました。99.9%の観客はたった一回しかこの映画を(あるいは、どの映画であっても)見ない。一方、監督は制作段階で210,000回も観る(具体的な数字はジョークですよ)。よって作り手は映画との「距離感」を見失ってしまいがちになる。はじめてその映画を観て、かつ二度と観ない観客の視点に立ち戻れなくなる懸念があるという。

 ゲイダーさんも、自分が参加したプロジェクトのゲームは(千回近くも通してテストするので)自分で遊ぶ気がなくなるし、現に遊ぶことはない、と言っていた。

 かつてドラクエ(FFかもしれない)の開発者も、作品のリリース時点で「これから何の予備知識もなく初めてプレイできる人たちは(自分たちに比べて)幸せ者だ」と言ってましたね。 (一方で、これから日本中で300万人のデバック作業が始まると思うと夜眠れない、とこぼしている開発者もいた)

 私だって、まだDAシリーズもMEシリーズもプレイしたことのない人たちには嫉妬します(笑)。だってこれから先に機会があるわけですからね。

 

The Girlish Adventures of Shale and her Search for Dwarfiness

 以前ゲイダーさんが冗談で、「シェイルの乙女チックな冒険と、ドワーフらしさの探索」なる物語について言及した。風変りな相棒にフェンリスを選び、テヴィンター帝国の案内役として同行させるというもので、愉快でかつ平然と血の雨を降らせる話だそうだ。DAIのDLCになるのかと期待するファンがいる。

 (シェイルの用いる二人称代名詞(下ではフェンリスに呼びかけるとき)が"you"ではなく"it"なので、(日本語だから省略してしまえばいいんだけど)どうしてもあったほうがいいというところは「そこな者」としておきました。もっとましなものがあればいいのだが。

 ***

 シェイルとフェンリスが、闇の中に隠れているマジスターの邸宅前に立っていた。全身に水晶をまぶしたゴーレムと、光り輝くレリウムのタトゥーを彫られたエルフですら、身を隠すことができるほどの闇だ。近くに転がる衛兵たちの死骸が、ここまでのふたりの隠密行の首尾を物語っていた。

シェイル: ここのマジスターがあたしの求める情報を持っているのかい?

フェンリス: おそらく。 

シェイル: そんな答えじゃ自信が湧かないね。

フェンリス: 自信に満ち溢れたゴーレムの姿など目にしたくもない。 

シェイル: だろうね。

 その後、さほど経たずに、ふたりは敵の連中の返り血を全身に浴び、周囲を多くの死骸に取り囲まれていた。フェンリスはマジスターのワイン瓶をぼんやりした様子で検分していた。今となっては、邸宅の主が客人たちに振る舞う必要もなくなったわけだが。

シェイル: そこな者、マジスターに話をさせる暇さえ与えなかったね! 

フェンリス: そんなことはない。奴は「うへっ」と言った。 

シェイル: これまで三人のマジスターの居場所に連れまわされたが、結果はいつも同じじゃないか。

フェンリス: であれば、ここの奴が違う結果をもたらすと考えていたことは面妖。

シェイル: ひどい案内役だ。もうこれっきりにする。

フェンリス: そう言うな、岩石の友よ。おぬしの目的のためどこに向かうべきか、俺には確かな考えがある。あともうひとりだけマジスターの元を訪れ、その情報をもって代金満額に見合うかどうか考えることにする。

シェイル: 代金はすでに支払ったよ。

フェンリス: (鼻を鳴らして) 何で? 侮辱でか?

シェイル: あたしの侮辱は格別だよ。

フェンリス: これならどうだ、この最後のマジスターが・・・、ミンラソウスで一番大きい鳥小屋を持っていると言ったら?

シェイル: ・・・。

シェイル: そこに連れていけ、輝くエルフ。できるだけさっさとね。  

(ゲイダーさん: 放っておいてもこんな感じになりそうだね? :)

*** 

 どこが乙女チック(ガーリッシュ)なのか、わかりませんが・・・。

 

2014年2月 8日 (土)

Canon Fodder

 カノン(キャノン)・フォダー(Canon Fodder)という言葉がある。カノンは「正典」、真正とみなされる書物、その内容、物語。フォダーはまぐさなど飼料用の植物、エサ。

 クナリ/コシス論争を惹き起こすクナリという言葉の「曖昧さ」が、カノン・フォダーという概念の全体にぴったりあてはまるわけではないが、その一部であることは間違いないし、故に根は一緒のものだ。

 TVtropesから、カノン・フォダーに関する記述をみてみよう。

***

Canon Fodder

 創作者が造りだした正典内に残されたルーズエンド(Loose ends)、答えられていない疑問、興味をそそる細部、そしてヌードル・インシデント(Noodle Incidents、意味は後述します)などのことであり、ファノン(Fanon、ファンによる正典)及びファンフィク(Fan Fic、ファンによる二次創作)を生み出す格好の出発点となる。

 すべての現在進行中のシリーズ、とりわけ終点を明確に定めていないものは意図的なカノン・フォダーを有しており、創作者自身がそこから将来のストーリーラインを始めることになる。予期せず打ち切られた作品にも沢山のカノン・フォダーがある。だがカノン・フォダーを残すことを回避しようとした作品の中にすら、偶然の形で生まれたものが見つかることも少なくない。

 チェホフ(チェコーフ)の銃(Chekhov’s Gun)とそれに関係づけられた出来事(物語、relations)は、その紹介から実際に用いられるまでの間に十分に長い時間がある場合、カノン・フォダーとなりうる。薫製のニシン(Red Herrings、レッド・へリング、物語上のミスディレクション、観客を誤った解釈に誘導すること、のために用いるおとり)は「常に」潜在的カノン・フォダーであり、とりわけミステリー以外の分野でそうである。謎めいた素性への言及(Cryptic Background Referenes)でさえ、特にカノン・フォダーにならないように意図された場合ですら、創作者が予想したよりもストーリーが長く継続する場合、または物語が脱線(Off the Rails)する場合などには、創作者の狙いが長く維持されることはない。ハッフルパフ・ハウス(Hufflepuff House、「ハリポタ」由来、強力な二大勢力の狭間を埋めるために創造される、目立つことも活躍することも期待されない第三勢力)もまた、しばしばカノン・フォダーの豊富な源泉となる。

 作品に対するファンベースの献身度合が増せばますほど、カノン・フォダーとして用いられることを誘引する細部はどんどん細かなものになる。進行中の作品の創作者がカノン・フォダーの一部を取り上げて、ファノンの大部分が思い描いた展開に反する展開を生み出した場合、無礼なファンの大騒ぎ(Fan Dumb、Fandomがマチュアで知的で上品な雰囲気を期待されるのに対して、ガキでバカで下品で野蛮でどうしようもないファンが主流となること)が巻き起こり、それに関する創作者への罵倒が浴びせられるのはよくあることである。創作者がさらに一歩進めてカノン・フォダーへの答えとしてファノンを用いた場合は、「あ、それいいね」(Sure, Why Not?、または正典の地位まで登りつめたファンフィク、Ascended Fanon)である。
 ファンフィクの火に注ぐ油(Fanfic Fuel)お約束の下位形態である「大砲のこやし」(Cannon Fodder、キャノン・フォダー)と混同しないこと。

*** 

 Chekhov’s Gunとは、ロシアの大作家チェホフ(チェコーフ)が示した小説(ドラマ)のお作法のひとつ。

 「物語中に銃を登場させたなら、どこかで必ず発砲させなければならない」

 お気づきのように「登場させたもの(多くの場合は伏線)は必ず用いよ(回収せよ)」と「用いることのないものは登場させるな」との二つの意味がある。

 戯曲や短編の名手であった作家の言葉ですが、昨今の連載ものだとそうはいかない。上述のように不人気や作者大病などの理由による打ち切りや、作者自身がネトゲにはまりこんだり、家族を持ったり、海外旅行が好きになったり、嫌気をさしたりしての打ち切りや休載もあるし、柔道漫画から野球漫画への突然の方針変更(当初計画からの「脱線」ですね)もあり、連載十回目で死ぬはずだった国際的スナイパーの物語はギネスブック的記録更新中ですし、世の中何が起きるかわからない。そんな事情でなくたって、単にコンテンツの分量制約上、広げてしまった伏線を物語終了までに回収できなくなってしまうのがもはや趣味ではないかと思える作家もいる。意図しないカノン・フォダーはそこここにある。

 カノン・フォダー(Canon Fodder)とはなかなか粋な語呂合わせだと思います。
 もちろん「大砲のこやし」(Cannon Fodder)のほうが先にあって、これは専ら歩兵を指す。ただ大砲に撃たれるためだけに進軍する、無名の、使い捨ての、沢山の歩兵。消耗品、エクスペンダブルズ。軍隊でなくたって、現代だってどこにでもいる。
 日本語では「塹壕の埋め草」などともいう。塹壕戦で朽ち果てて臭骸をさらす沢山の歩兵のこと。日本の場合はナポレオニック時代のような一大砲撃戦を国内でほとんど経験することなく(もちろん、大筒自体は関ヶ原などでも用いられました)、いきなり機関銃と塹壕戦の世界に飛び込んだ。「埋め草」自体は、城攻めの際、壕を埋めるために土と一緒に草を用いたことに由来。転じて新聞・雑誌に空白が生まれないように入れる短い記事。

 ハッフルパフなんて、調べるまでハリポタのハウスのひとつであることなんてすっかり忘れていた。まさに目立たず、活躍せず、リアリティを醸し出すためだけに登場する第三極の鏡ですね。

 このカノン・フォダーの分野に関係する「お約束」はどれもこれも興味深いのですが、「ヌードル・インシデント」だけさわりを。命名理由の説明はないが、「ヌードル」(ラーメンやうどんなどの麺類)は大部分がツユの下に隠れていて実際どうなっているかわからないというイメージですかね。

 「ヌードル・インシデント」とは、意図的にまたは意図せずに何の説明もされないまま、物語中でしばしば引用される過去に起きた(らしい)出来事。
 観客にもたらされる情報が大部分欠如していて、想像するための手掛かりを欠いていることが重要である。
 登場人物が別の登場人物に「あの銀行を襲ったときのこと覚えているか?」と尋ねるのではダメ(それで何が起きたかだいたい想像できてしまう)で、「あの銀行を覚えてる?」はOK。
 地名などが多用されますよね。スパイが「あのセント・ピータースバーグの冬は寒かった」とつぶやくが、そこで何があってそのスパイが何をしたのか何ひとつ触れられない。

 例えば、ジョン・カーペンターの傑作映画”Escape From New York”(1981)で、主人公スネーク・プリスキンが出会う相手皆から「スネーク、お前は死んだと思ってた」と言われること。何があってどんな理由で死亡したことにされたのかは決して明かされない。これはヌードル。

 “Mass Effect 2”で、主人公シェパード艦長が出会う相手皆から「あなたは死んだとききましたよ」と言われること。これはヌードルではない。なぜなら、その「死んだと思われた」理由となる出来事の顛末を、観客(プレイヤー)はすべて目にしているから。

 逆にシェパード艦長がとある戦いの唯一の生き残り(ソロ・サヴァイア―)であるという話はヌードルになりうるのだが、CODEXなどで説明されてしまっているとしたら違う。ME3ジェームズにも似たようなケースがあるが、これも概要説明しちゃってるから違う。一方リアラについては、シャドウブレイカー時代にどこぞのフィクサーとやりあった噂話が語られるが、これはヌードル候補(コミック版で説明されてしまったかもしれない)。

 語られない過去を持つのはローグ・キャラクターの定番ですが、DAO遺灰探索の場面でゼヴランの過去が暴かれそうになるくだり。「その話はやめろ」で終わっていればヌードルだが、これもやがて真相が明らかとなってしまうので違う。レリアナの過去もシリーズであらかた暴かれてしまったし、DA2ヴァリックとバートランドの関係も(ヴァリックがお喋りなせいもあって)かなりわかってしまう。イザベラの過去(奴隷船に積んだ奴隷たちを丸ごと解放した、はそのままではヌードルではないが、隠された部分があった)についてもコミックスでだいぶわかっちゃった。

 インディアナ・ジョーンズはヘビが大嫌い。観客は過去に何かがあっただろうと想像するので微妙なところだが、これも三作目で理由をあからさまに(まさに超「お約束」な形で)説明してしまっている。中折れ帽のくだりがあまりに素晴らしかったのに、ヘビのくだりはスピルバーグにしてはへたくそですね。まさに「蛇足」(われながらうまいなあ、と言うこと自体も蛇足(笑))。

 映画のように尺がうるさいメディアでは頻繁に多用されるが、ヴィデオ・ゲーム、特にRPGのように最初から数十時間のプレイを想定している場合や連載小説・コミックなどではどうしても「ディテール過多」、「説明過剰」になってしまう感じですね。ましてやロマンス・プロットなんてはじまると間違いなくそう。なぜならロマンス(恋愛)とは、相手の過去を「無条件に」すべて受け入れることだから。まあ、それでも決して話したがらない「過去」ってのは物語になりうるのだが、それはまだ違う話。ヌードル・インシデントは、作中人物同士が話題にしたくてしょうがないものですからね。

 「源氏物語」の昔から、人の最大の愉悦は他人の(恋愛はもとより)人生の覗き見なのだそうだ。ツイッターの時代になっても変わらない。悲しいかなそれが人の性(さが)。

2014年2月 6日 (木)

On Qunari and Kossith and Never the Twain Shall Meet(2)

 以下、ゲイダーさんのTumblrから。

原題の意味は、「クナリとコシス、決して交わらないふたつについて」である。

 なんとなーく、前にも紹介したようなことが書いてある。コピペで済む部分もあるかもしれないが、まあ他にネタもないし、やってみよう。

*** 

 以前も書いたが、この問題がまた持ち上がったときに示せるようにここで記事にしておこうと思う。もし十分聞き飽きた話であれば、読まずにおいてもらってよい。

 参考のために:

・クナリとは何か?

 クナリの直訳は「クンの民」である。種族に係らず、誰であってもクンの哲学に従う者を意味する。しかしながら、命名に関してクンの教えは難解な部分があり、クナリは極めて特定の物事を指し示しているのだ。物事は他の何ものでもなくその機能のみに基づいて呼ばれ、そして名前は極めて厳密なのである。

・コシスとは何か?

 クンの教えが編み出される前のクナリの呼び名である。種族そのものの呼び名かもしれないし、現代のクナリが生み出された文化の呼び名かもしれないが、クナリがその用語を完全に捨て去ってしまったので真実はわからない。セダスのほとんど誰もがその呼び名を知らず、クナリも教えることがないので、ほとんどのクナリの知るところではなく、仮に知っていたとしても用いることを拒む。

 またそれはコーデックスの記述以外にゲーム内で用いられたこともなく、世界設定(ロア)について良く知るファンと話をする以外の場面では誰も聞いたことがないはずである。

・それでは、あのツノの生えた種族は何と呼ぶのか?

 クナリ。

・それじゃ意味が通じない!

 そんなことはない。このように複数の側面を示す言葉は沢山ある。「ボブはドイツ人だ」と言った場合、ドイツ系の子孫であることを示す場合も、先祖に係らず彼がドイツ国民であることを指す場合もある。「ボブはユダヤ人だ」と言った場合、そのエスニシティ、その信仰、またはその双方を指しているのかもしれない。

・でも他のすべての言葉についてはどうなのか?

 それらはクナリ自身にとっての重要性しかないものであり、彼らの衒学的執着に従ってあらゆる物事を分類し、またその分類に従ってあらゆるものを定義する。その二つを混同してはならない。

 ほとんどの者にとってクナリは、種族と信仰の両方を意味する言葉だ。クンの教えを棄てたクナリも、依然としてクナリだ。他の種族のクンの教えに従う者たちを呼ぶ必要があるときには、彼らは「エルフのクナリ」など特定する。特に断りのない限り、「クナリ」がツノの生えた種族の一員であることを示すためだけに用いられることは、極めて稀なことなのだ。

 さて、実際クナリに話かけてみると事態はさらに難解なものとなる。彼らの種族の者のうちクンの教えを棄てた者はもはやクナリではなく、タル・ヴァショスと呼ぶ。他の種族の改宗者はヴィダサリだが、最終的には彼らも単にクナリと呼ばれることになる。彼らにはもっと厳密な呼び名もあるが、問題はクナリが用いる数限りない分類に絡め取られるつもりがあるかどうかだ。一部のファンは望むところだろうが、特定の状況でもない限り、意味のあることではない。

・でも書くときにこんがらがるのではないか?

 いいや。

 上述したように、我々が「クナリ」と書くときは、その言葉を用いる脈絡によって、具体的種族を指しているか、または、その文化全体を指している。「ドイツ人」や「ユダヤ人」の場合と同じことであり、現実社会には必ず脈絡があるので誰もこんがらがったりすることはない。もし特定しなければならないときには、我々は形容詞を用いる。

 さて、我々が実際のクナリについて議論する場合は、さらに曖昧な話になっていくのだが、それも意図的なもので、なぜならクナリそのものが曖昧なのだ。誤解が生じる可能性もまさにあるし、我々がそうしたければそう書くこともできるだろう。パーティー・メンバーが「あの先にクナリがいる」と言ったのに、プレイヤーがそこに辿り着くとエルフが立っていて、「え?」となるとか。
 
 我々がそう望めば、そんなことが起きることも可能だ。だが常に必ず起きるという発想は正しくない。そのパーティー・メンバーにもっと分別があれば、たやすく「あの先にエルフのクナリがいる」と言えばよいだけなのだから。

・あの種族の名前が欠かせない場面があるのではないか?

 分類学上の議論を除けば、まずない。もしあったとしても、あの種族の名前は(クナリ自身を除く他の誰にとっても)依然として「クナリ」だ。

・ファンがあの種族の名前を「コシス」と呼ぶのは構わないか?

 どうぞ。

・ほんとに?

 そうだよ。私の許可も、他の誰の許可も必要としない。ゲームの中で用いることは決してないが、そのほうがうまく伝わると思うのであれば、クナリをどう呼ぼうが好きにしてもらっていい。「コシス」がどんな意味か知ってる人たちに話すなら、そうしない理由はないのでは?

・でも怒ってますよね。

 双方からの議論に対してイライラしているのだ。誰かが「コシス」と言うと、それが何を意味しているのかカンペキにわかっているくせに、ただその誤った用い方を非難するため喉元に噛みついてくる者がいる。同様に、誰かが「クナリ」と言うと、単に議論をますます増幅させるためにその用いられた脈絡を全く無視する。議論とは、あの種族を示すためには別の用語がゼッタイ必要であり、それなくしては世界設定の一部に遺漏または脱落の一種が存在するからだという。ところが言葉というものは、間違いなくそのようには働いていないのだ。

 「コシス」でいいじゃないか。その用法について議論できるほど詳しいのなら、その意味するところは知っているわけだから、くだらないことをあげつらわなければいいのだ。

 「クナリ」でいいじゃないか。その言葉がいかに曖昧であるかなどと他人に説教するのはやめてほしい。もちろん、自分自身がたまたまクナリであり、そしてそれらの言葉の誤った用法が本当に混乱を招くというのであれば別だ。好きにしてくれ。

・「コシス」なんて名前を出してしまって後悔してるんじゃないの?
 クナリ文化を見かけ上全く異質なものにしてしまったことは後悔するときもある。もう少し擬人化した種族にしておけばよかったかも。キャット・ピープル! おしまい! トカゲ人間! 一丁あがり!

 だがほとんどはファンのほうの問題だろう。とはいえ、ファンは愛があるが故に偏執的であるのだから、何をかいわんや。ときたま私に頭痛をもたらすのだとしても、楽しんでいるようだしね。

On Qunari and Kossith and Never the Twain Shall Meet(1)

 クナリ・コシス論争がまた再燃している、ということに絡めて先日から記事を書いていたのですが、民族や民族国家などへの理解が自分に不足しているようで、なかなかまとまらなかった。おかげで、また読まなければならない書物が増えた(笑)。

 ボツにしようと思っていたところに、ゲイダーさん本人がTumblrで話題にした。
 前半(というかこの記事)は、Twitterの騒ぎについて、私が少し前に書いていた部分。どうしてこのクナリ・コシス論争が「危うい」のかについては、うまくまとまってから載せることにします。
 後半(というか次の記事)が、ゲイダーさんのクナリに関するTumblr記事。

―――

 どうやらBioWare関係者のツイッターがきっかけでクナリ論争が再燃している。
 ゲイダーさんがまたしても怒りまくっているようだが、その中身を紹介してもしょうがない。

 でもまたリダンダンシー見つけたので(笑)。そこあたりだけ。

*** 

 ゲイダーさん。
「クナリ・コシス論争・・・、別名『文脈に何の意味も見出さない人々による衒学への誘い』」
“The Qunari/Kossith argument... aka ‘Adventures into Pedantism: by People for whom Context has no Meaning.’”

 ファンのひと、その1
「すごい単純なことだと思ってた。私がひどい間違いをしてたのか、それとも他の人たちを過大評価していたか(笑)」
“I thought it was quite plain. o.0 I'm either horribly wrong or overestimate other people. :P”

 ファンのひと、その2
「待った、廃れて(セダスの人々のほとんどから)忘れ去られてしまった用語をクナリの代わりに使えと言ってるのか? あほか」
“wait, people are arguing that an outdated, forgotten term (by almost everyone in Thedas) should be used instead of Qunari? Daft”

 ファンのひと、その3
「衒学的な重箱の隅つつきは、世界設定に対するこの上ない形のお世辞なのである。それは、んーと、本当のお世辞以上である」
“Pedantic nit-picking is the highest form a flattery for world building. Beyond, you know, actual flattery.”

*** 

 DA世界セダス大陸の住人が、
・あのツノの生えた種族を何と呼ぶか。クナリ。
・クン(キュン)の教えを信奉する者たちを何と呼ぶか。クナリ。
・ツノが生えた種族以外の者(例えばヒューマンやエルフ)でクンの教えを信奉する者たちを何と呼ぶか。クナリ。あるいはヒューマン(エルフ)・クナリ。あるいは単にヒューマン(エルフ)。
・ツノが生えた種族であるにも関わらず、クンの教えを信奉しない者を何と呼ぶか。クナリ。ただしクンの教えを信奉している者たちはタル・ヴァショスと呼ぶ。
・ツノが生えた種族以外の者(例えばヒューマンやエルフ)で、かつてクンの教えを信奉し、その後信奉しなくなった者を何と呼ぶか。ヒューマン(エルフ)。(ただしクンの教えを信奉している者たちは彼らのことをタル・ヴァショスと呼ぶ)

 なお、クナリとはクナリ語(クンラット)で「クン(キュン)の民」、「クンの教えを信奉する民」の意味。
 一方タル・ヴァショスとは「真に灰色の者」の意味。

 クンの教えが広まる前、あのツノの生えた種族はセダス大陸で何と呼ばれていたか。太古の昔、セダスのごく一部の地域に棲み付いた者たちは(専らアカデミックな研究を進める一派から)コシスと呼ばれていたとの記録がある。

 以上、DAロアとしてはすべて正規のものである。ゲイダーさん他BioWare関係者がこれを否定することはない。
 ところが、ここから下のような奇妙な結論を導く連中がいる。

「故に、あのツノの生えた種族はコシスである!」

 *** 
 上の「コシス」に関する記述は、DA世界設定上のプロットホール潰しのための窮余の策であったのだと思う。
 ダークスポーンはブルードマザーから生まれる。ブルードマザーの元となったヒューマノイドに従って種類が異なる。ヒューマンならハーロック、ドワーフならジェンロック、エルフならシュライク、クナリ(あのツノの生えた種族)ならオーガ。

 ところが設定上は、セダス大陸にクナリが侵攻した時代はダークスポーンが(オーガが)生まれた時代よりずっと後であり、そのままでは辻褄が合わなくなった(ダークスポーンは、というかブルードマザーはさすがに海を渡ることはできないはずだ)。よって、太古の時代にもあのツノの生えた種族がセダス大陸に棲みついていたことにしなければならなくなった。それでコカリ荒野に小さな共同体があったことにした(その時点ではクンの教えはまだこの世にないので、その共同体を構成していた者たちは「クナリ」ではない)。
 そこまででよしておけばいいのに「名前」をつけてしまった。これが言ってみれば余計だった。

 ただし、あのツノの生えた種族の名前(すなわち分類)に異様にこだわること自体が無意味であることはいうまでもない。騒いでいるゲーマーのほとんどは、ただの「分類学上」の興味でしか議論していないから放っておけばいいのだが、実はそれも「危うい」論点になりうるので考えてみた(未完)。ゲイダーさんが怒っているのは、分類も命名もファンが勝手にやればいいが、その自説を他者に「押し付ける」のが許せない、という点ではあるのだが。

2014年2月 4日 (火)

On Who’s in Charge

 ゲイダーさんTumblrから、これもゲイダーさんが何度も回答しているお話。
 まあ、きっとお気に入りの話題だからでしょうね。

*** 

「あなたはBioWareの責任者なのでしょうか、それともDragon Ageに限っての責任者なのでしょうか? 皆がBioWareについて不平不満を言うときは、大抵あなたの名前が挙がるのでお聞きします」(匿名ファンの質問)
(他の質問部分は割愛)

 私はBioWareという会社の責任者でも、Dragon Ageフランチャイズの責任者でもないよ。個別プロジェクトである”Dragon Age: Inquisition”の責任者ですらない。
 
 私はオンラインでとても積極的に活動しているが、それは1999年にBioWareに入社して以来ずっとそうだった(Baldur’s Gate IIの開発中、BioWareフォーラムの担当になったときからだ)。他のBioWareの開発者でそうしている者は多くないので、我々が行った意思決定や我々が開発中のプロジェクトに関するオンラインの議論が持ち上がると、そこに私が参画している可能性はかなり高い。それが故に私の名前は多少認知されているわけだから、人々がBioWareや我々のプロジェクトと私を結びつけて考えるのだろう。

 はっきりさせておくと、私は中間階層のマネージャーで、我々のどんなプロジェクトについても最終決定を下す立場にない。今までそうであったこともない。リード・ライターの立場(プロジェクトごとに定められる職責のひとつであり、私はNeverwinter NightsのHordes of the Underdarkを開発していたときからその立場だった)としてだって、何を書くか決定できるわけではない。私は何を書くかを指図される立場であり、私の仕事は自分のライター・チームを率いて、その指示された方向に従ってストーリーを造り出すことだ。そしてその方向もプロジェクトが続く限り継続していくものであり、ストーリーがレヴューされ、またはプレイテストされるにつれて、上層部から方針変更の指図を受けることになる。

 私もそれなりの影響力を行使することができるし、特に個別プロットやキャラクターなど下層レヴェルの事柄に関する場合によりそうであるのだが、ゲーム開発のような協業(コラボレーション)環境における仕事と、例えば小説などの物を書くことを混同して考えるべきじゃない。私が「ストーリーを書いている」なんて言ったら、Dragon Age チームの他の者たちにとって不公平であるし、他のライターたちにとってもそうであることは言うまでもない。我々は一緒に働いているのだし、数多くのクリエイティヴな者たちが、血や、汗や、涙を、例えば今ならDAIに注ぎ込んでいる。私が個人的に書く事柄以外については、私の立場の大部分は調整役のひとりなのだ。

 しかしながら、人々が私の名前をDragon AgeやBioWareに結び付けて想起することは仕方がないと諦めている。知名度の問題でもあるし、それは良きにつけ悪しきにつけつきまとう。どちらかと言えば、良い方に取られるときに悪い気分がする。私がDragon Age: OriginsやDragon Age 2のストーリーに全幅の責任を負っていると誰かが示唆する場合、それが単なる賛辞を意図するのであっても、ちょっと不快な気分になるのだ。それらのゲームにおけるジェームズ・オーレンやマイク・レイドロウのような立場の者たち、あるいはその上位者であるプロジェクト・ディレクターのことを無視しているからだ。自分が手掛けた個別キャラクターやプロットに関するものであれば多少は賛辞を受け入れる気になるが、それらにしても私とともに働く多数の他の人々、アーティストたち、声優たちなどなど、がいるのだし、依然として進むべき方向が提示されることや、テスト、開発プロセス上のやり直し(iteration)が必要だ。例えばアリスターについて、私が最初に書いたドラフトのままだったら、誰一人の心も打つことができなかっただろう。

 それらに対する批判についても甘んじて受けるつもりだし、たとえ自分が手掛けているよりも大きな問題についてだって、自分で知っている範囲において説明を試みるつもりだ。それがたとえ自分自身で変更することができない場合でもだ。

 もし私が本当に、良いことであっても悪いことであっても名前を援用されることを避けたいのだとしたら、オンラインに何も書き込まないようにすることだってできるだろう。我々のプロジェクトの意思決定に関する話題を避けるだろう。自分でどう感じるかに係らず、そうした説明に対しても結局慣れていくのだ(たまたまその決定に反対だった場合にそう述べることもしない。ひとたび意思決定がなされた後から誰かを糾弾する(バスの下に放り投げる)なんてことはしないし、私の仕事はその決定に従ってできるだけ上手に造りあげることなのだ)。私の知っている大方の開発者はオンラインに何も書き込まないという道を選んでいるのは間違いない。彼らは世論(パブリック・オピニオン)と詮索(スペキュレーション)に満ちていることが明らかな法廷の場に決然と臨むことに興味を抱いていない。ほとんどの者はそれを完璧に無視するのだ。

 それにも係らず私がそうし続けているのは、対話はしばしば愉しいものだからだ。私が開発に携わっているゲームについて意見を述べたがる沢山の知的で上品なファンがいるし、私もそれに応えたい。フィードバックは好きだ。正直に言えば、私はそれを生き甲斐にしている。もし何かを公共の場に曝してみて、それに対する思慮深いフィードバックを得たことがあるのなら(称賛ももちろんありがたいが、嘘偽りのない批評も同様にありがたい)、そしてそれによって創造する意欲が高まったことがあるのなら、私の言いたいことがおわかりいただけるだろう。

 私はまた意地でも自説に固執するし、事を荒立てることを恐れて本当の意見を心の中に仕舞っておくこともできなくはないのだが、そうはしたくない。自分が働いている会社を不愉快にさせることや、これから発表されるプロジェクトに関する議論でマーケティングの人たちの神経を逆なでするようなことこそやめておくが、自分の意見は望むように表明する。そうすることのひとつの結果として、実際そうである以上に私がBioWareのゲームに責任を負っているという誤った印象をしばしば与えるのであれば、私にできることはそういう話題が持ち上がった都度修正することでしかないのだが、何度そうしても決して払拭することはできないのだ。誰かの名前をあげつらいたい人はいるし、その場合は当然知っている相手の名前を使うだろう。

 最初の質問をいただいたファンに対しては、私の具体的な仕事の中身についてずっと詳しく説明したブログ・シリーズ(Narrative Design)があることを申し添えておく。もし文字の壁(walls of text)を厭わないのであればだけどね。まあ、私の回答はいつでも文字の壁なのだが。文字の壁からなるゲームを造るために働いている者として、自分のやり方はこうだ(just how I roll)と言うしかないのだけどね :)

*** 

 文字の壁が大好きなもので(笑)。
 若いときにゲイダーさんが大好きだったというInfocomのゲームではZorkが超有名でしょうか。テキスト・ベースのアドヴェンチャー・ゲーム。今でも遊べるヴァージョンはだいぶ洗練されてしまってますが、オリジナルは本当にテキストのみでインタラクトするゲームだった。
 ほぼ同時期に(PnPのDnDや紙製・ミニチュア製のウォー・ゲームに触発されて)RPGもテキスト・ベースからはじまった(つってもメインフレーム上で遊ぶ好事家の嗜み)。さらにMMOの遠い前身にあたるMUD、マルチ・ユーザー・ダンジョンという多人数リアルタイム・ゲームが生まれたが、これもテキスト・ベース。あちらでは一世を風靡した。

 お前なんかがアタリやコモドール、ましてやメインフレーム時代を知っているわけがないと言われるでしょうね。高貴な生まれにも係らず、はからずも身分を秘匿して田舎の貧乏な家で育てられたのでそのとおりである。

 むしろ私の世代なんかは、安上がりな紙の本の「ゲームブック」あたりでRPGに馴染んだのかな。趣味が高じて(というか日本語版の出版が遅いので)洋書店で(Amazonなんてまだない!)原書を買い漁って(その頃はまさしく辞書片手に)遊び耽ってました(おひとり様で(笑))。ペーパーバックだとまるで辞書のようにとてつもなく分厚いものもあり(後に日本語版も出たはずの「ソーサリー」シリーズだったかな)、サイファイもの(タイトルを失念、”Starship Traveler”?)には最後まで日本語版にならなかった名作もありましたね。

 単純明快な造りなのでKindleやタブレットですぐ再現できちゃうと思うんだけど、今どき流行らないでしょうね。さすがにスティーヴ・ジャクソンのはもう売ってないかな。
(この名前が出たら「どっちの?」と必ず尋ねるのが当時のゲーマーの慣わしでした。上は文脈上あっちのほうの彼ですね)
 今Amazonをみたら、「ソーサリー」は改訂版で書籍で出ているのを発見した。へー、他にまだ新作も出ているんですね。
 CRPGオールドスクール派のオリジンはDnDなどのPnP(TRPG)だけではなく、上述のテキスト・ベースのコンピューター・ゲームでもあるんですが("Wizardly"と"Ultima"よりも少し前)、日本の場合はゲームブックも含まれると思う。

 「言いたいことを言う」は、実は組織の上層、(ゲイダーさんのいうところの)食物連鎖の上に行くほどできなくなる。
 「好きなことをしたければ偉くなれ」というのは半分正しく、半分間違い。一番上まで行かないといけない。クリエーターに限る話でもないでしょうが、マネジャリアルな仕事ばかり増えていって最後は90%が雑用みたいなことになる(根拠を示せというならぜんぜん示せます)。マネージャーは一面雑用係でもある。だからこそ待遇が人より上(そうでなければ誰もしたくない)。

 ニューウェル氏のValveでは、開発者の組織階層がまったくない。まあ、ボスはニューウェル氏だけど。そんなことでプロジェクトが成立するわけはないので、誰かがボランタリーにプロジェクト・マネージャーとして名乗りを上げる。その分の報酬はおそらくないし、あっても労力に見合わない。経験した誰もが(あんな雑用係は)できれば二度とやりたくないというのだそうだ。私が予想するに、長くやっていくときっと自然と輪番制になっていく。日直当番みたいに(笑)。それも一考すべきマネジメントの形かもしれないが、きわめて水準の高いメンバーが揃っているということが暗黙裡に前提になりますね。

 ゲイダーさんは、今のリード・ライターという立場が自分にとってコンファタブルであると以前から何度も言っていました。おそらく、クリエイティヴな仕事とマネジャリアルな仕事の配分具合が心地よいのでしょう。
(彼はBioWareに入社する直前まで地元ホテルの支配人(GM)だった。友人に誘われるまま気乗りせずにBioWareのライター職に応募して面接を受けた。その直後に買収に伴うリストラでホテルから解雇された。それでBioWareに入った。本当の話だそうだ)

2014年2月 3日 (月)

NHKいい加減にしろ。改め、ゴー、ホークス!

 なんでこれから放送するスーパーボウルの結果を直前のニュースで長々やってんだよ! 

 こっちは一日ネットニュースは何も目にしないように心がけて、慌てて帰って来たのに、なんて仕打ちだ。 

 って、え?! 

 やったーーーー!!!

 (スコアが目にはいらないように慌てて画面を消した) 

 以下、ネタバレになるので後で追加。

*** 

 デンヴァー、ファースト・プレイでスナップ・ミスからセイフティ献上はプロでは結構珍しい。舞い上がってんなあ。

 キャプテン・オブヴィアスみたいなど素人の解説と実況いらない。いつまでたっても日本でフットボールがはやらない最大の理由のひとつがこいつら。できるだけわかりにくく、つまらなく説明する才能が抜群。あとフィジカルがどうした、気合がどうしたとかオカルトな説明。または誰が間違えた、失敗したとかネガティヴィティの嵐。そんなの観てりゃわかんだろうし、観てわかんない人にそんなこと言っても無駄。プロ野球のだるい実況が(こぼれ話満載だし)まだましに思えてしまう。

 日テレから後藤さんとオードリー呼んでほしい。

 音声を英語版に変更する。 

 うわあ、デンヴァー、ディフェンスもボロボロじゃないか。と思ったらシアトルのオフェンスがシックスメン・ラインなんだ。いきなり奇策かましてくるね。

 んー、やっぱプロのアナウンサーの説明はわかりやすくて素晴らしい。ラテラル・パスは落としてもライヴ・ボールのくだり(フォワード・パスならインコンプリート・パス)。たしかにデンヴァー・ベンチがチャレンジするくらい微妙なところに落ちた(チャレンジ失敗)。

 アメリカンは誰でもベースボールやフットボールのややこしいルール知ってるかと言うと、結構違う。つうか知らないほうがふつう。
 キックオフがバーにあたったらボールデッドとか細かいところもアナウンサーがさらっと説明していて粋です。 

 ああ、デンヴァー・オフェンスまたファンブルですか(ボールはデンヴァー)。舞い上がってるなあ。そのすぐあと続いてマニングのパスがインターセプションされる(シアトルのディフェンス・ラインのラッシュがすごい効いてる)。シアトルのセカンダリー(ディフェンス・バックス)四人中三人がプロボウラー(オールスター選手)というから、マニングがプレッシャーを受けないといったらうそになるのでしょう。

 第1Q終了。デンヴァー、いまだファースト・ダウンなし。開始早々のセイフティと、ハウシュカのフィールドゴール2本(それぞれ31、33ヤード)で8、0、シアトルがリード。

 シアトル、タッチダウン(RBリンチ、1ヤードラン)。 15、0、シアトル。

 マニングが短いスクリーン・パスを延々と続けるのは、シアトルのセカンダリーの意識を前に残しておくため。たまに長めのパスで脅かしてオフバランスにしようと画策してる(今のところうまくいってなさげ)。外ばかり続けるのも中への注意を散漫にするため。あたしが言ってるのではなく、そう解説者が言っている。
 しかしショート・スクリーンすっきやなあと思ったら、シアトルのラッシュが強すぎるから逆手に取ろうとしているのだそうだ。これもうまく行ってるように思えない。

 デンヴァー、ここまでお得意のパスがまったく活かされていない・・・、と書いた瞬間にインターセプション(スミス)。あらら、そのまま69ヤード・リターン・タッチダウン。22、0、シアトル。
 マニングのスローイング・アームがディフェンス・ラインの手に当たったせいですけどね。
 デンヴァーのラインはディフェンスのラッシュを持ちこたることができなくなっている。

 直後のキック・オフ・リターン、デンヴァー・リターナーがファンブル、ボールはまたしてもシアトル・・・、ではなかった(すでにダウンしていた)。そうだったらもはや試合になってない。なんとかしてくれよと、デンヴァー・ファンは悲鳴をあげていることでしょう。

 ツー・ミニッツ・ウォーニング。前半シャットアウトは避けたいデンヴァーだが、フィールドゴールで良しとする点差ではない。 

 デンヴァー、結局一点もとれずに前半終了。22、0、シアトル。 

 マニングのパスがなかなか安定しない。昨年プレイオフでは極寒の試合でまさかの敗北を喫したため、今シーズンは手袋を外さないと誓ったそうだ。この日のスタジアムは結構暖かいから裏目に出たのかな。

 なんだ、ハーフタイムは話題のジャスティン・ビーバー君じゃないのか(こらこら)。

 後半開始。シアトルのリターナーはハーヴェン、87ヤード、キックオフ・リターン・タッチダウン。えー。

 29、0、シアトル。シアトルはこの時点で、オフェンス、ディフェンス、キッキング・チームそれぞれがタッチダウン。

 もはやデンヴァーのロング・パスが通る気配はまったくなく、あげくワイド・レシーヴァ―がインターセプションを避けるためコーナー・バック(シャーマン)の腕を抑えつける始末(ノー・フラッグ)。一体何をやったらいいのかわからなくなってきたマニング。このドライヴも実らず、パント。

 NHKが勝手にニュース入れるのでよくわかんないが、次のデンヴァーのドライヴ。ようやくトーマス(WR)にミドル・パスが通ったと思ったら、CBマクスウェルがかき出してファンブル、LBスミスがリカヴァー、自陣40ヤードあたりでシアトル・ボール。
 もう、めちゃくちゃです。

 あちらの放送では、過去スーパーボウルでシャットアウト・ゲーム(零封)は一度もないとの説明。それからペイトリオッツのQBブレイディがスーパーボウルで過去三回優勝しているが、マニングは一度しか優勝していないと、これはしつこいくらい繰り返される。どちらもアメリカン好みのザ・クォーターバックですから比べられてしまうのは仕方がない。またマニングの弟イーライはジャイアンツのQBでこちらは二回優勝している。VIPルームで(ホームスタジアムなのに自分が出場していないのと、兄貴が苦しんでるので)渋い顔しながら観戦中。

 一方、シアトルQBウィルソンのパスはどんどん通る。
 カースへの短いパスが通り、その後三人のタックルをかわしてタッチダウン。23ヤード・レセプション。36、0、シアトル。

 またしてもぐだぐだでファースト・ダウン獲得が危なかったマニングをCBマクスウェルのパス・インタフェアランスが救う。第3Q終了間際、デンヴァーは敵陣14ヤードまで進み、ようやくタッチダウンのチャンス。次のプレイでWRトーマスへのタッチダウン・パス。2ポイント・コンヴァージョン成功。36、8、シアトル。第3Q終了。

 第4Q最初のデンヴァーのキックオフは点差から考えて当然オンサイド・キック。失敗、シアトル・ボール。 

 シアトルは短いパスやランプレイを重ねて残り時間をできるだけ潰していけばいい世界だが、その有利な立場を逆手に取ってミドル・パスをどんどん決める。28点差はまだ逆転不可能とは言えないが、タッチダウンあとひとつの差で万事休す。

 敵陣10ヤード。ウィルソンからボールドウィンへのパス。ゴール・ライン前でふたりをかわしてタッチダウン。43、8、シアトル。 

 残り5分。デンヴァー・ボール。事実上試合は決まってしまったので、フィールドに出ていないシーホークスの選手はホームパーティー状態。ブロンコス・ベンチはお通夜。

 この、決まっちゃった試合の最後あたりのだらだら感、サイドラインでは勝ちチームがもう大騒ぎしていて、ヘッドコーチにゲータレードをポリバケツごとぶっかけるとかのばかばかしいお約束は、フットボールの醍醐味でもある。

 試合終了。43、8、シアトル。第48回スーパーボウル・チャンピオン。

 MVPはLBスミス。

  ***

 シーホークスの優勝はとてもうれしい。

 実は、シアトルもデンヴァーも個人的にゆかりのある街なのですが、思い入れはシアトルの方が強い。しかもシーホークスは私のよく知っていた当時、「ノー・エグジスタンス」オフェンスと呼ばれたことがあるくらいのへっぽこチームだった。

 もちろん今はまったく違うチームなわけですが、フランチャイズとしてスーパーボウル・チャンプというのは感激もひとしおです。

 シーホークスは1976年のNFLエキスパンション・チームですが、MLBマリナーズも1977年設立のエキスパンションという似たような境遇(実はシアトルのフランチャイズ問題にはややこしい歴史があるのだが、それはよそのWikiでも読んでください)で、こちらはワールド・シリーズ進出も今までない。

 (NBAにはソニックスがいるけど)、なんとなく寂しかったシアトルにようやく冠が。
 んー、開始前はどうなることかとどきどきしていただけに、このワンサイド・ゲーム、拍子抜けした勝利でした。

 マニングはお気の毒。まあ、また来シーズン頑張ればいいさ。38歳? まだ若い。

 

2014年2月 1日 (土)

ディスプレイが何もディスプレイしません。

 いや、まじで。第二のセカンド画面用のディスプレイ、HP製のやつ。2309p、23インチ。

 リダンダンシーで遊んでる場合じゃない、マジ。

 といってもDVIとVGAは映るんですよね。HDMIだけがダメ。PS3弐号機(赤)が映らない。

 ところが、弐号機(赤)を初号機(黒)が映ってる別のディスプレイにつないでも映らない。 

 初号機(黒)をHPのやつ、2309p、23インチに映そうとしても映らない。

 コード二種類を取り換えたが映らない。

 えーと、PS3弐号機(赤)がアウト、かつ、HP2309pディスプレイがアウトってこと??

 それかコードが二本ともアウト? 

 昨日夜まで観てたブルーレイのBD観れてたんすけどね。  

 そんな全部いっぺんに逝ってしまうことってあるのかしら。 

 Vitaから弐号機(赤)PS3のHDDディスク・ドライヴは読めるんですけどね。ファイルはなんとか救えそう。

 いつかは第二のセカンド画面用ディスプレイを大き目の27インチくらいのDellの新品27インチに変えようと思ってたんですが、またしても故障してから対処するブレイクダウン・メインテナンス。

 最近Dellも即納じゃないんですね。なんか二週間もかかるとか? 非上場になってやる気もなくなったか?(なこたないでしょうけど、たかがディスプレイで)

 まあ、実際できなくなることは何もないから困ることはないんだけど、PS3でライトニング・リターンズのプレイをますます遊ばない言い訳になるくらい。ほんと、ここのところ見事にやってない。

 そろそろPS4がどうのとか余計なこと書いたからでしょ!(言霊思想)

 そんでもって、Dellの新品27インチのディスプレイが実際到着すると、ケロッと直るんだろうなあ・・・。(マーフィーの法則)

 物入りでお金を払う出費ばかりがかさむ今日この頃(三重に冗長)。  

Recursive Reality

 Iteration(繰り返し)もの、あちらで一番有名なのは映画”Groundhog Day”(1993)でしょうか。ある一日を永久に繰り返すループに落ちた主人公男性が、そこから脱出するための手掛かりを手に入れるため、同じ一日を延々と体験する(iterationする)という、まさにそれだけのワン・アイデア映画。公開当時に観た記憶があるが、悲惨な状況でのやせ我慢が似合うコメディアンのビル・マレー主演で、ラヴ・ロマンス風味(いつまでも成就しないのだから退屈なわけがない!)でもあったので、あちらでは大絶賛であった。
 私個人としては、まあまあかな。邦題は悲しいことに「恋はデジャ・ブ」。実際にはデジャ・ブでもなんでもないんですけどね・・・。

 類似品は他にも沢山あるようですが、最近の映画では”Source Code”(2011)がお奨め。上がラヴ・コメディなのに対し、かなりシリアスなドラマですし、だいぶ趣向も変わってますが、8分間のループを繰り返して(iterationして)事件の謎を解く主人公の話。監督は”Moon”(2009)のダンカン・ジョーンズ。”Warcraft”(2016予定)なんかやらずにサイファイ映画撮ってほしいのだが。

 TVtropesも述べているように、Jアニメではこのモチーフを”Groundhog  Day”の以前からすでに頻繁に用いている。影響力から見ても嚆矢はやはり押井さんの映画(1984)。
 洋の東西の時間感覚の違いがどうとか、ここでまた繰り返す(repetition)つもりは今のところない。

 Iterationものはループに陥った理由などのヴァリエーションはあるが、基本はある時間を繰り返す一形態(もちろん、8分間程度のものから、一日間、一年、さらには人類社会のはじまりから終わり、あるいはこの銀河の盛衰、果ては宇宙の誕生から終焉まで繰り返す場合もある)。

 類似品であるRecursive Reality(リカーシヴ・リアリティ、こなれていない訳語だが「再帰的現実」か)はいくつか類型があるそうで、そっちにいってみましょ。

*** 

「リカージョンを理解するためには、まずリカージョンがなんであるかを理解しなければならない」
"To understand recursion, one must first understand recursion."

 複数の世界が並行して存在している(Multiple worlds that exist side-by-side)という発想は、ファンタジーやスペキュラティヴ・フィクション(サイファイ)の世界では極めてよくあるものだが、ときには夢の世界(dream world)、異次元(Another Dimension)、単なる別の宇宙(Alternate Universe)、またはただの劇中劇(Show Within a Show)よりも複雑なものにもなりうる。

 キャラクターがより多くの階層を現実の中に、または外に(あるいはストーリーの中で階層の存在が示唆されていることを)発見した場合、それはリカーシヴ・リアリティ(Recursive Reality)となる。

 リカージョンは数学やコンピューター・サイエンスで取り扱う現象で、方程式がそれ自体を参照することを指し、有限の関数で無限の対象の集合を表現することができる。現物の世界では、あるひとつの人形が他の人形の中に入るように作られたロシアのマトリョーシカ人形(Matryoshka dolls)に似た構造となる。

 基本的な形態は次のとおり。

・ロシア人形の世界(The "Russian Doll World")

 世界は物理的に他の世界の中に組み込まれている。それらの世界の間を旅するもっともよくある方法は自分のサイズを変えること(changing size)だ。用いられた例は1930年代サイファイ・パルプ時代にまで遡るが、このお約束の連想の元となった原子モデル(原子核の周りを回る電子が太陽の周りを回る惑星に対応する)は1925年にはすでに否定されていた。

・入れ子状のストーリー(The Nested Story)

 最も古い例はアラビアン・ナイト物語(The Arabian Nights)だ。シェラザードが語る物語の登場人物が語る物語の登場人物が語る物語の登場人物が語る物語、というふうに連なっている。基本的には話中話(Story Within a Story)または枠物語(Framing Device)、10を超えて11まで(Up to Eleven、すなわちLayers Deep)のことだ。

・リカーシヴ・シミュラクラ、またはマトリックス仮説(The Recursive Simulacrum, or "Matrix Hypothesis")

 基本的には、瓶の中の船上にある瓶の中に船を作ること。まず誰かがコンピューター・シミュレーション、ヴァーチャル・リアリティ、ポケット宇宙、ミニチュア惑星などの人工世界を創り出す。次にその世界の中の誰かが別のシミュラクラを創り出す。ボーナス・ポイントを稼ぎたいなら、最後のシミュラクラが別の世界を創り出したり、オリジナルの創造者の世界自体がモデルになるようにする。ゲーム中のゲーム(Game Within a Game)はこのお約束の下位形態。

・夢中夢(The Dream Within a Dream) 

 キャラクターが別の世界の夢を見る、理想郷にいると錯覚させるための夢を創り出す何らかのマシン(Lotus-Eater Machine)に囚われている、またはもうひとつの人生の幻覚を見始めるなどすることであり、さらにその状況のドラマ性、あるいはキャラクターの混乱度合及び/または狂気の深さを強調するため、キャラクターはさらに深い夢の階層に陥っていくか、または現実世界に脱出できた(Up the Real Rabbit Hole )と思ったにもかかわらず、その夢のさらに外にある夢の階層(Schrödinger's Butterfly)にいるだけに過ぎないことに気が付く。

・物語越境(Transfictionality)

 リカーシヴ・カノン(Recursive Canon 、物語内正典、その作品自体または同一著者の別の著作の一部)が作品内に登場する。次にその作品の物語が現実となる。なぜならその話中話(Story  Within a Story)の著者(実際の作品の著者の場合も、そうでない場合もある)が、実際には自ら創造した世界内世界(sub-created universe)の神であるから。もしその物語内の著者が精神に異常をきたしている状態(Creator Breakdown)であれば、結果は予期せぬホラー物語(Fridge Horror)(あるいはプロットがそう意図していたのなら通常のホラー物語)となる。作中キャラクターの作者に対する怒り(Rage Against the Author)も参照のこと。

 これ以外の頭痛を招きかねない候補として、著者は以下のものも組み合わせて用いることがあるかもしれない。、

・変更できない物語のループ(Stable Fictional Loop)

 変更できない過去への旅(Stable Time Loop)に類似しているが、タイム・トラヴェルではなく物語を用いたもので、上述のどの形態とも組み合わせることでパラドックスを形成する。例えば、ふたつの代替宇宙(Alternate Universe)がリカーシヴ・フィクション(Recursive Canon )を通じて相互に参照している場合、通常は逆説的(パラドクシカル)な出来事フラグ(Event Flag)を導入することで、どちらのストーリーのヴァージョンが「外側にある」ストーリー、すなわち「真の」ストーリーであるか特定できないようにする。テレビ世界に囚われて(Trapped in TV Land)を参照のこと。

・ずっと下まで亀が続いてる(Turtles All The Way Down)

 無限後退。すなわちキャラクター/神/著者の心の中以外、どこにも「現実」が存在しないこと。どんなに動き回っても(Up the Real Rabbit Hole)、そこから外には出られない(Closed Circle)。おそらく自らが高次の存在平面に昇華(Ascend to a Higher Plane of Existence)したのか、臨終の夢(Dying Dream)を見ている最中。単に気が違った(Through the Eyes of Madness) のかもしれない。幸運な場合、それは唯我論的悪夢(And I Must Scream)ではなく、複数人物の共有幻覚(Interactive Fiction)であるかもしれない(この形態の命名は、引力を説明する方法の一つである亀の島(Turtle Island)宇宙についての有名な「議論」に由来する)。

・単一現実(Single reality)

 世界はたったひとつきりで、どうにかしてその中に納まっている。もしかしたらいくつかの事例においてありうる。

 絵画やグラフィックの分野における類似の現象は、ドロステ効果(Droste Image)と呼ばれるもので、画像内にその画像自体を小さく描き、その中にもさらに小さい画像を描く形で連なっていくものである。

 ここでは、ふたつより多い階層が示されるか、または示唆されなければならないこと、あるいは内側への道が逆説的に外側の世界への道を示していなければならないこと(実際の再帰方程式に近い)に注意。そうでない場合は、より単純な「別の世界」のお約束の一形態に分類される。例えば原子より小さい世界に自分のサイズを縮小して乗り込むことなどは、キャラクターがさらにサイズを縮小して、その中にさらに小さい世界を発見するか、あるいはなぜか元の世界に戻って来てしまうのでもない限り、リカーシヴ・リアリティではない。

 リカーシヴ・カノンは、その作品自体がストーリー内部に存在することを前提とする、またはフィクショナルなヴァージョンの著者がストーリー内部に存在することを前提とする(登場キャラクターが作品自体または著者を批判すること、あるいは作品そのものを変更することが可能となるのは言うまでもない)特殊な下位形態である。相互にフィクショナル(Mutually Fictional)を参照のこと。 

 作品自体が、またはその作品の著者自身が現実社会に存在していることが(もちろん、真の著者の「調査」によって判明することが)前提となる、作家エイジェント仮説(Literary Agent Hypothesis)と混同してはならない。白昼夢の現実混同(Daydream Believer)、神話創造(Mythopoeia)を参照のこと。

 別の世界(Otherworld)のお約束の大部分、特に、「現実世界」の権利として代替世界の重要性を卑小化する類の使い捨て可能な代替宇宙(Expendable Alternate Universe )、マトリックス仮説(別名リカーシヴ・リアリティ(Recursive Reality))、またはキャラクターたちが「他より優先されるべき」階層の存在であることを前提とする、この世界は現実世界じゃない(Up the Real Rabbit Hole)を参照のこと。とくに後者は、リカーシヴ・リアリティ(Recursive Reality)の頭痛を招きかねない(Mind Screw) 候補と組み合わされる場合が多い。白昼夢の現実混同(Daydream Believer)、現実世界にようこそ(Welcome to the Real World)も参照のこと。

 また、これらの実例となる作品を読む場合は、これは現実じゃなくただの創作だ真言(MST3K Mantra)を常に忘れないこと。信じて欲しいが、こんなもののために正気を喪う価値はない。なぜならリカーシヴ・リアリティは物理的に不可能で、決して発現しないからだ。

*** 

 題材どおりに非常に込み入った話のため、ここまで真面目に訳すの大変なんですが(柄にもなく相当真面目にやった)、あの作品がそうなか、この作品がそうかと想起しながらできたのでかなり愉しめました。 

 洋の東西の違いを言わないつもりだったのですが、言ってしまう。どうやら円環時間(iteration)がJアニメで多用されているのに対し、このリカージョン宇宙(Recursion Reality)は、あちらの映画やサブカル作品で非常に多用されているようです。特にサイファイの分野ですと、考え得る形態はほぼ全部、網羅的に誰かがやってしまっているのではないでしょうか。   

 ここら辺、ひとつはUSオリジンの「科学万能」(Science Marches on)な世界観の発露がありそう。もうひとつはEU大陸やUKの実存論的な、哲学的な世界のあり方についての考察に由来しているのかもしれません。本文中の「無限後退」なんてまさにそうだし、「私」は実のところ誰か(何か)という命題にも深くつながりますね。

 アイデア借り物以外の日本作品で、上のように頭痛を招くような世界観を見事に表現したものは今のところちょっと思いつかないのです。大抵の作品は、本文中にあるふたつより多い階層("more than two layers")が登場しなくては(または示唆されなくては)ならないという定義に引っかかりますね。二つの世界を行ったり来たりだけではダメ。 

 どの作品がそうだ、いや違うか、といつまでも愉しめそうなネタですし、いくつか注釈が必要なこともありそうですが、記事作成にあまりに長く時間をかけ過ぎて疲れたので、一旦ここでアップしておきます。

(補足)

 本文中に登場する、亀宇宙の「議論」のオリジナルはスティーヴン・ホーキングかバートランド・ラッセルか、あるいは別の物理学者・哲学者かもしれないそうですが、こんな話ですね。

 ある著名な学者(哲学者ラッセルともいわれている)が、市民向けの天文学講座で、地球が太陽の周りを公転し、その太陽は銀河の中心に対して回っていることを説明した。
 ところが出席していたある老婦人が「その説明は全部でたらめで、この世界は平たい亀の甲羅の上に乗っている」と主張する。
 学者が微笑みながら「ではその亀は何の上に乗っているのでしょうか」と丁重に問い返す。
 老婦人は、そんな質問をするあなたは大変賢い若者だと言いながら、こう言い放つ。

「ずっと下まで亀が続いているのです!」

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