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2014年1月

2014年1月31日 (金)

Department of Redundancy Department

 書くことがないから何を書いてもいいんだ。

 実は個人的なライフワーク(苦笑)となっている「繰り返し」ネタ、iteration(反復代入)、recursion(反復・再帰)について「魔法少女なんちゃら」をネタに書こうとしてたんですが(それは実は書き上がっているのですが)、そういえばあちらではどんな扱いなんだろうと気になってTVtropesの記事をいくつか読みました。前回書いたように、ひとつの記事には沢山のお約束に関する「造語」(やフレーズ)がリンクつきで説明なしに埋め込まれていて、リンク先に跳んでもまた同じように「造語」の山を目にする。昔の辞書(正直、今に比べると出来はあまり良くなかったんですよ)で言葉の意味を調べると「何々と同じ、そこへ跳べ」と書いてあって、何度かその跳躍を繰り返すと元の場所に戻るという経験をすることがありました。TVtropesでも似たような経験はしょっちゅうですが、厳密な意味のWikiでもないし、面白ければOKという方針なようです。

 で、iteration/recursion関係から読んでいって行き着いたのが表題の記事。
 私儀、リダンダンシーもトートロジーも循環論法(circular reasoning)も見つけるの大好きなんですよね(笑)。

*** 

「オフェンス・ラインメンはフィールド上で一番でかい連中だ。他の誰よりもでかいから、彼らはフィールド上で一番でかい連中ってことになるわけだ」
 (ジョン・マデン、NFL解説者、元スーパーボウル優勝チーム・ヘッドコーチ)
 "The offensive lineman are the biggest guys on the field. They're bigger than everyone else, that's why they're the biggest guys on the field."
- John Madden

 何かを数え上げてリストを作っているとき、キャラクターが同じアイテムを繰り返す。リストを作る際に「あれ、Xはもう言ったっけ?」などと言う場合だ。よくあるケースは、「A、B、C、B、C、D、B、E・・・、あれ、Bはもう言ったっけ?」や、「Xがだぶってる」に対して「Xが好きなので」とか。これらは頻繁に、特にリストを作っているときに起きる。

 またアクロニム(頭文字による略称)を間違えて使う場合にも頻繁に起きるが、特にそのアクロニムの一部がアクロニムそのものに続いて用いられている場合に多い。よそのWikiでは「RASシンドローム」などと呼ばれるものだ(すなわち、リダンダント・アクロニム・シンドローム・シンドローム、Redundant Acronym Syndrome syndrome、冗長略称症候群シンドローム)。

 また一部のウェブサイトや現実の生活(Real Life)でも、デパートメント・オヴ・リダンダンシー・デパートメント(the Department of Redundancy Department、冗語部門デパートメント)は、キャプテン・オブヴィアス(Captain Obvious)によって運営されている実際の役所組織と見なされることがあり、その下部組織としてブランチ・オヴ・オークワード・ウァーディング(the Branch of Awkward Wording、不器用な言葉遣い支局、あるいはさらにボーナス・ポイントを稼ぎたいなら、Branch Of Awkward Wording Branch、不器用な言葉遣い支局ブランチ)が属しているとされる。
 このお約束の命名が由来しているのは、ファイアサイン・シアター(The Firesign Theatre、アメリカのコメディ・グループ)が1970年にリリースしたクラシック・アルバムである「そのドワーフを叩いちゃだめだ、プライヤー持って来い」("Don't Crush That Dwarf, Hand Me the Pliers")という題名のアルバムにこのお約束の名前は由来している(Self-Demonstrating Article)。
 
 類似として、それ自身がお手本(Shaped Like Itself)、壊れたレコード盤(Broken Record)、くどい名前(Repetitive Name)、パン、卵、パン粉でくるんだ卵(Bread, Eggs, Breaded Eggs)、キャプテン・オブヴィアス(Captain Obvious)、 婉曲語法の嵐(Hurricane of Euphemisms)などを参照。

免責事項:DRDデパートメントは、本稿のいかなる記載内容に対しても同意を表明することはなく、それには、無闇に長く続くギャグ(overly long gag)、「ホームスター・ランナー」(Homestar Runner)コミックからの過剰な引用、埋め込み・隠しリンク(pot holes)、無闇に長く続くギャグ(overly long gag)、および行先のない赤いリンク(redlink)の使用などを含む。

*** 

 真顔で「シティバンク銀行」とやっている日本人は実は笑えない。この手の話は役人が絡むと色々起きる。もちろん規制上銀行は「銀行」と表記しなければならないからだが、役人が「規制でそうなっている」というのも循環論法と言えなくはない。そのときはローメイカーである政治家のせいにするんだろうね。

 道路の行先表示や交差点名称などを示す案内標識も探せば色々あると思う。富士川リヴァー(Fujigawa River)とか。調べるとなぜか利根川はTone River。これも役所の基準(が曖昧なため)による。標識関係はオリンピック準備で結構騒ぎになってますけどね。霞が関の役所が変えようとしているほうが「ずっとわかりにくい」という長く住むガイジンさんも多くいるみたい。KokkaiseimonからNational Diet Main Gate、GaimushoからMin. of Foreign Affairsとか。

 日本語の場合は古来重言(「馬から落ちて落馬して」)も多いけど、外来語が絡むとかなりの頻度で発生するし、とくに略号の世界は見渡す限りの地雷原ともいえるくらい外来語が絡むとかなりの頻度で発生する。HIVウィルス(ヴァイルス)、PTSD障害、SCM管理、RAMメモリ、HDDディスク(またはドライヴ、あるいはディスク・ドライヴ)、EVカー(または自動車、車)、ATMマシン。IBMマシンはこじつけだけど。
 オーケストラ楽団(フィルハーモニー交響楽団は・・・、んー、ハーフスイングか)、ビバレッジ飲料、文書ドキュメント、まんがコミック、ラノベ小説、ラム酒、介護ケア、ツアー旅行。
 そしてもちろん、RPGゲーム。

 日本語文は一部省略しても意味が通じるようになっているので、他の言語に比べてわりかしリダンダンシーの陥穽には陥らない(出た)という説もあるそうですが、逆に思考がロジカルじゃなく、ディベートがあれということですね。でも百歩譲って仮にロジカルじゃないとしても、ロジカルじゃないから議論のディベートが苦手なのか、ディベートが必要とされていなかったから論理がロジカルじゃなくなったのか、これも雌鶏が雄鶏とくっついて卵を産むのが先か、卵から鶏のヒナが孵ってそれがたまたま雌で成長して鶏になって雄鶏とくっついて卵を産むことになるのが先か、循環論法と言えなくもない。

 
 
「鶏卵前後論争をやりたいんなら受けて立つがね」
“If you want to get into a ‘chicken or the egg’ debate, let's have at it. I'm game.”

 ― 「攻殻機動隊S.A.C 2nd GIG」より、防衛大臣の発言
 Defense Minister of Defense Agency :) 

2014年1月30日 (木)

True Love Is Boring

 見事に中途半端なままに終わった「ロマンスはオプション」、「ロマンス・ワサビ論」。
 関連しそうなちょっと面白いものを見つけたのでご紹介しておきます。
 何度か引用しているTVtropesから表題の記事。

http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/TrueLoveIsBoring

 押井守さんの師匠(鳥海永行氏、故人、タツノコプロなどに所属)の言葉にも通じるかなと思った。

 そういえば、タツノコプロが日テレの子会社化されるそうですが、それって先日の「ハクション大魔王」に関係あるんすかねと思ったら、あれはフジ? どうでもいいけど、面倒くさいことにならなければいいね。

 以前も引用した押井さんのお話。

「『愛』をテーマにした映画というのは『愛が実現すること』がテーマだから、そのための戦術も戦略もなにも描いてないんですよ。ウチの師匠(鳥海永行氏)が言ってたんだけど、『相手が出てきた瞬間に主役と惚れ合っちゃって、そこから始まるのが恋愛映画。だから、実は恋愛そのものを何ひとつ描いていない』んだよね」

 なおTVtropesの記事には、何の断りもなくフィクションの「お約束」(tropes)に関する用語(造語)が次から次へとバンバン頻出します。原文ではそのほとんどにリンクが貼ってあって説明記事に跳ぶことができるのですが、ここで全部の説明をやるのは至難の業。文章をそのまま訳して、関連する「お約束」を示す造語を( )内に記載しておきますけど、スノビッシュでギークな怪しい雰囲気が伝わるかな。

*** 

「観客は恋愛関係のはじまりと終わりにしか興味がなく、その間の退屈で平穏な時期なんてどうでもいいのだ」
 ウェブサイトCracked、 『映画が偶然教えてくれた欠陥のある四つの人生教訓』から

“Audiences are only interested in the beginnings and endings of relationships, not all the tedious good times in the middle.”
 - Cracked, "4 Flawed Life Lessons Movies Accidentally Taught Us"

 フィクションの世界で、「恋愛」は葛藤を意味する。作品に「ラヴ・ストーリー」がある場合、通常そのストーリーは両極端な場合のみ対象にする。恋に落ちること、速やかに恋に破れること。

 だから読者お気に入りの「公認カップル」(Official Couple)、あるいはその次点である「ベータ・カップル」(Beta Couple)は最後に次の疑問に答えることになる。「くっつくのくっつかないの?」、答えは「くっつく」のだ(Will They or Won't They? They Do)。我々のカップルは気が違ったように恋に落ち、ハネムーンに強制連行され、おそらく「それから子供たちが生まれましたとさ」("Babies Ever After")がどうしたこうしたという話を丸ごとやるんだろう。ハッピーで、皆にとって心地よいときが訪れました(Happy Ever After)ってなるんだって? いや違う

 次のシーズンになるとカップルは、結婚生活というものが思っていたものと違う(Awful Wedded Life)ことに気がつく。旦那は失業し、アルコールに溺れる(The Alcoholic)とか?。奥さんは出入りのイケメン郵便配達人(Good Adultery, Bad Adultery)とよからぬ仲(Your Cheating Heart)になるとか? そして悲惨な(でも都合のよい)流産(Convenient Miscarriage)を経験したふたりの心は互いに離れていってしまうとか? 奥さんは旦那とすでに離婚していて、四年前にはもう再婚してたんだって!?

 本当の恋愛は退屈だ(True Love Is Boring)。ハッピー・エンディング(Happy Endings)が成立するのは、物語が・・・、うーんと、終わるときだけだ(Captain Obvious)。だからラヴ・ストーリーの最後のセリフは恋愛関係のはじまりなのだ。ロマンス・アーク(Romance Arcs)はカップルがそもそも一緒になるところ、ハッピーなストーリーの部分、そこでやめなくちゃならない。そこで終わらないと、上映時間の大部分は恋愛関係が自壊していく様子、浮気の予感(または実際の浮気)、別離、そうした別離に伴う傷心との戦いなどを描き出さなければならないことになる。あるいはその代わりに、ずっと先の後日談(Distant Finale)まで話をとばしてしまって、結婚生活など一つも描かず、二度目のハネムーンとか、歳をとって死に別れる場面などの遠い将来のマイルストーンを示すだけにするしかない。

 そうでなければ、世間一般の通念のとおり個人的葛藤はほとんど起きないことになるのだが、我々がすでに述べたように恋愛のプロット=葛藤でなくてはならない。だからハッピー・エンディングを愉しみたいなら、その時点で読むこと/観ること/プレイすることを直ちにやめるべきだ(Snicket Warning Label)。カップルは一緒になるためにあらゆることを厭わない一方で、一緒に「いること」に関する問題を解決できることなど滅多にない(Love Cannot Overcome)。

 悲惨なことに、これはテレビも真実を描くことがある(Truth in Television)一例だ。恋愛関係の最も大きな浮き沈みは最初と最後にあり、その間はありふれたものになりがちだが、日常の人生がそうなのだから当然だ。「感情が高ぶっているとき」(Love Makes You Dumb)、何か新しいこと、禁じられたことに対する興奮に襲われているとき、恋愛は容易だ。だがひとたびそれを手に入れれば、「次はなんだ?」(Now What?)と自問しなければならなくなる。ロマンス関係は維持せねばならないものであるが、ときとして人々は現状維持に飽きたり、燃え尽きたり、下らないことで言い争う(Toilet Seat Divorce)。一方、このお約束が用いられる場合は、そのようなありふれた平穏な期間の兆しなどはどこにも見当らない。その代わりにフィクションは面白い場面まで一気に跳んで行ってしまう。

 このお約束は、「恋愛関係がセックスレス」(Shipping Bed Death)になることを防いだり、そこから関係を巻き戻したりする際にしばしば用いられるし、「くっつくの、くっつかないの?」(Will They or Won't They?)問題を決して解決しないことを正当化する際にも、あるいはカップルのロマンス・アーク(Romance Arc)が離れたり近づいたりまた離れたりを繰り返す「ヨーヨーのようなプロット・ポイント」(Yo Yo Plot Point)を正当化する際にも用いられる。続編との間、エピソードの間など、スクリーンの外で起きる場合は「非稼働中評価下落」(Downtime Downgrade)と呼ぶ。キャラクターたち(及びそのファンたち)が「幸運」なら、離婚は一時的(the Divorce Is Temporary)で済む。そうでなければ次善に願うことは穏便な離婚(Amicably Divorced)である。

 これは、「スーパーカップル」(Super Couple)に対して最も用いられる可能性がある。 

 これは、「勝利は退屈である」(Victory Is Boring)や、「失敗は避けられない」 (Failure Is the Only Option)など、ロマンスを伴わないプロット上の葛藤にも関連する。 「使い捨てできる女性」(Disposable Woman)や「最初から死んでいる物語」(Death by Origin Story)などはこのお約束を物語自体が始まる前から機先を制して行使したものだ。 「恋愛関係の天井」(Relationship Ceiling)も参照のこと。思っていたのと違う結婚(Awful Wedded  Life)コメディでは、「笑い飛ばせるもの」(Played for Laughs) にもなりうる。

注意:このお約束に適合するためには、以下の三つのフェイズを経なければならない。

 1.困難な、または長く続いた付き合いがあり、

 2.幸せな恋愛関係/結婚生活に関する物語はほとんど語られずに、

 3.死別/絶交/離婚/別離/不貞/不幸な関係に導かれていく。

*** 

 身も蓋もありません。しかしラヴ・ストーリーを色々思い出してみると、かなりの確率で合致する。
(ベータ・カップルは、公認カップル(大抵ヒーローとヒロイン)がアルファ・カップルとみなし、そのふたりと近い関係、例えば友達・同僚同士にある別のふたりのカップルのこと。スーパー・カップルとは、国民レヴェルの熱烈な関心を呼んで公認カップルになったキャラクターふたりのこと。だから、ワッカとルールーがベータ・カップルで、ティーダとユウナは公認カップルであり、かつ、スーパー・カップルだったわけです)

 もちろん、ベタなラヴ・ストーリーも裏返しの「奇策」としてありうるが、一回こっきり、ワン・チャンスですね。そんなシナリオばかり書くライターは呼ばれなくなる。
(作者が堀井さんだから皆黙ってやらせるしかなかったし、鳥山明だからどの編集者も阻止できなかった、など)
 そしてベタなように見えて、ほとんどの場合は「不治の病に苛まれるヒロイン」とか、「道ならぬ関係」とか、「いいところで必ず入る邪魔者」などの装飾を伴う。

「ハッピー・エンディングが成立するのは、物語が・・・、うーんと、終わるときだけだ」

 トートロジー出てきましたね(笑)。キャプテン・オブヴィアス(Captain  Obvious)は、わかりきったこと、見たまんまのことを敢えて述べるキャラクター。

 「川上さん、ノーアウト満塁になりました」、「これはピンチですねえ」
 「山本さん、今のラリアットはどうですか」、「あれは痛いですね」
 ミズ・オブヴィアスはDAOでいったらレリアナちゃん。 

 ロマンスよりももっと残酷な、でも似ている話もあります。

 ビルの屋上から飛び降りようとする自殺志願者を警官が必死に説得する場面。下から見上げる野次馬たちは、最初は踏みとどまらせることができるかどうか、救えるかどうか親身になって気をもむのですが、あまりに長い時間待たされるとイライラしてしまって、いい加減にハッキリしろ(つまり・・・、いっそ飛び降りろ)と思い始める。
 スピルバーグが映画"Schindler's List"(1993)で、このモチーフをまるで悪魔のように鮮やかに、天才的に表現していた。
 人の生き死にや幸不幸よりも、観客の退屈が大問題。ひどい話だ。

 映画"Speed"(1994)や、最近では"Pacific Rim"(2013)のように、映画終了間際の数十秒に初のラヴ・シーンというのが実は「お約束」なんですね。そして"Speed 2"(1997)が始まる前にあのカップルは非稼働中破局(キアヌのギャラが折り合わなかった?)。"Pacific Rim 2"(未定)の場合は・・・、余計なこといわんとこう。

2014年1月29日 (水)

On “What If” and Innovation

 ヘイト問題もロマンス問題も、もう沢山。と思いながら先日訳したゲイダーさんのTumblrの前後を眺めていたら、読み飛ばしていたものを発見した。ほぼ一年前のこの頃はリアル多忙につき丁度ブログもお休みしていた頃で私がe-break状態だったのかもしれない(まったくインターネットを目にしていなかったわけでもないので、厳密にはセミ・ブレイクくらいだったけど)。
 どんな内容か知らずに、今初めて読むことになるので愉しみだ。

*** 

「もし予算も販売も気にせずにどんなゲームでも創ることができたら、どんなものを創りますか? RPGですか? RPGゲームが好きですか? Kickstarterでゲームを創ることはありえますか? もしそうなら私はあなたのゲームにお金を投資したいと思います」(匿名ファンの質問)

 うーん、どれも難しい質問だね。

 まず第一に、私がすでに開発スタジオに働いていることは脇に置いておこう、というのもKickstarterかどうかに限らず、私がプロジェクトを始めることを会社は良しとしないだろうから。会社での仕事の妨げになると見なされるだろうし、実際にそうだろう。

 自分のプロジェクトをはじめる、自分でクリエイティヴな決定を行うという考えは魅力的である一方で、それはまた怖気づかざるを得ない考えでもある・・・よね? 誰もがその手のことに長けているわけではないのは間違いない。誰かがそういう取組みを始めた場合、実際どれだけクリエイティヴな事柄に携わることができるのか、ビジネス上の意思決定にどれだけ費やさなければならないかについて考えてしまう。実際に取り組んだ者にしかはっきりしたことは言えないだろうが、実におっかない問題だ。

 私はまた、今のKickstarterの流れがどこに行き着くかについてもわからない。私の中の皮肉屋の部分が、次のようなことが起きるのを気をもんで待っている(waiting for the other shoe to drop)ということは認めなくてはならないだろう。「大規模な」Kickstarterゲームがキャンセルされる初めての事態、あるいはリリースはされたものの、自分たちが「金を払った」方向とは違うものになったことに腹を立てたファンたちからネガティヴな反応を浴びる事態だ。だが私の中の希望に満ちた部分は、それらKickstarterゲームが皆うまくいき、そのことによってパブリシャーたちがゲームの「ミドル市場」の存在に気づき、大ヒットを狙う方針よりもそっちを目指すほうが長い目で見て持続可能であると気づくことを望んでいる。私はビジネスの専門家ではないから、私の経済に対する認識が甘いことを誰かがきっとこんこんと説明してくれるのだろうが、クリエイティヴな観点からしてさえも、インディ・シーンが業界全体に影響を与えるという発想は好ましい。何かを試すことさえリスキーだから手を出さないというのではなく、少なくともより多くの実験的なゲームが開発されるだろうから。

 それから、私が今の仕事を好きであることも無視しなければならない。そんなことはすべきではない、なぜなら私がそうしないからだ。予算制約の現実を無視することもまた難しく・・・、Kickstarterゲームですら予算は考えに入れなければならないし(いや、実際には他のゲームよりもずっと真剣に考慮しなければならないだろう)・・・、開発スタジオに長くいるとそういった発想が染みついているから、あっさり捨て去るのは難しいことなのだ。

 そうではあっても、「どんなゲームを創るか?」という仮定の質問に答えるのは愉しい試みだ。

 さて、何が思いつくか? ホラー・ゲームなんてどうだろう?

 アクション/ホラー・ゲームのことは必ずしも意味していない。「アクション」を入れてしまえば、プレイヤーは主人公が怒り狂うような類のものを期待するだろうし、私にとってはホラーの側面を損なってしまう気がするのだ。私の最近のKoobismoでのインタヴュー(リンクは下、一時間以上あるので聴きたくない人もいるだろうが、私は面白かったし、リスニングとしても愉しかった)でもAliensフランチャイズについての部分で少し話をしているのだ。
http://www.koobismo.com/2013/03/in-the-workshop-with-david-gaider/

 私にとってホラーとは緊張(tension)のことで、実際の暴力ではなくて死んでしまう可能性のことであり・・・、ストーリーのある一点のことではなく、その様々な部分を分けて散りばめる(punctuation)ことだと思う。実際に気に掛かるキャラクターがいて、ストーリーの中を引きまわすことができ、生存が決して保証されていない場合であっても救うことができるかもしれないのであれば、「このモンスターっておっかない?」というだけのものよりも、プレイヤーが個人的にホラーの中にずっと没入することができるのだ。

 プレイヤーの視点から観た場合は、サスペンス(不安、suspense)のセグメントと戦うためではなく生き残りのためにかける時間のセグメントを分けること。この理由で"Dead State"にはとても期待している。私がミツォーダ(訳注:Brian Mitsodas、Black Isle、Troika、Obsidianなどに在籍していたゲーム開発者、現在は新スタジオDoubleBearを主宰)を狂ったように崇拝しているからのみならず、私にはサヴァイヴァルRPGという発想が魅力的に感じるのである。ホラーにはおっかなさ(scare)だけではなくおどろおどろしさ(dread)、他者の安全についての配慮(リプリーは身の危険を顧みずにニュートを救うべきか?)、予感(anticipation)など数多くの側面がある。インタヴューの中で私は"Vampire: Bloodlines"(訳注:ミツォーダがかつて開発したゲームのひとつ)のホーンテド・ホテルの部分の素晴らしさについて触れているが、あれはいつも私にとって、クエストが心を引き付け、感情を揺さぶり尽くし、プレイヤーにとって端的に面白いものになりうることの証明になっている。それは戦闘が普通に起きるようなゲームの文脈の中でさえ、たとえ戦闘がなくても成立しうるのだ。

 私を良く知る人たちは、私がまたストラテジー・ゲームの大ファンであることもご存じだろう。"Victoria 2"、"Crusader Kings 2"、"Civilization IV"のような大戦略ゲームのことだ。なんと私は、自分で"Victoria 2"のModまで創って大いに愉しんだのだ。私にとってストーリーとはあるキャラクターの足跡を追いかけるものだけではなく、歴史のストーリーでもある。歴史は大好きだ。私にとって、歴史は真実の響きを有しているために最も優れたストーリーなのだ。歴史には盛衰があり、人類の活動を描き出し、ファンタジー世界で我々が目にするいかなるものより壮大な帝国の興亡についての最も迫真的な物語でもあるのだ。

 私の一部は、RPGの良き部分と大戦略ゲームの良き部分を合体させる方法がないのだろうかと思いを巡らせる。それは受け手にとって魅力的だろうか? わからないが、それは問題ではない。問題は、本当に試みられたことがあるのだろうか、そしてもし試みられたのなら、うまく試みられたのかどうかだ。"Crusader Kings 2"はそこに手が届きそうで届かなかった。そこにはプレイヤーが自分の王朝を築くというRPGの要素がある。プレイヤーの操る統治者は顔も資質も有しているし、人生で色々な出来事にも遭遇する。結婚して子供を養い、将来の統治者として教育する(失敗することもある)。政治上の課題もあり、叛乱に対処することもあるのだが、それらすべてを通してみると、戦略メカニズムではなく、そちらの方面にもう一歩だけ進めればよかったのにと思わざるを得なくなる。統治者の人生にもうちょっと踏み込むとか、他の統治者と会合を持って、自分がどんな人物かという感覚と同様に彼らがどんな人物であるかを知るなどのことだ。歴史が繰り広げられる感覚を得て、出来事について聞いて、自分の民がどのように生き、どのように変化していくかを知る。今でも統治者は人格(personality)を有しているのだが、私が欲しいのはドラマ(drama)なのだ。

 でもそれは本当のRPGではないのではないか、と思うかもしれない。本当のRPGは好きじゃないのか? もちろん好きだ。RPGは「歩いて話す」(walk and talk)、プレイヤー・キャラクターという存在の進む一歩一歩を追いかけ、どんなにマイナーなものでも全ての会話を追いかける、だけのものではない。Infocom(私が若い頃大好きだった会社で、今でも特に"A Mind Forever Voyaging"が大好きだ)の最近作である(訳注:1989年、会社清算前の最後の作品でもある)"Journey"を例に取ろう。ファンタジー・アドヴェンチャーのストーリーを語ったものだが、それは主人公によって語られた物語として書かれていて、プレイヤーのために徐々に明らかになっていく小説であり、文章と絵画はプレイヤーの選択によって分岐していく。澱みないライティングで、プレイヤーの一歩一歩を追いかけはしない。別の場所にどのように旅したかを伝える一節があって、皆がどう感じたかについて多少は触れるかもしれず、そして何か重要なことが起きたら詳細に描き出す。

 さて、"Journey"のようにプレイヤーの一挙一動ではなく、プレイヤーのストーリーに注目するようなゲームはどうだろうか? 絵画と物語でストーリーを伝え、重要な場面ではそこからアクション・シークエンスに「跳びこむ」ようなものは? それが決闘なら、プレイヤーは実際に決闘しなければならない。あるいは自分で計画した会戦だったら? ダンジョンに入るのなら、その時点で実際にダンジョンに入ってそこを探索するのか? 人間関係は分岐する物語で展開していき、本当にさまざまな違いを描き出せるように文章と美しい絵画だけでできるだけ安くコンテンツを創り出し、アクション・シークエンス(実際にプレイする部分)は節約してしまって、興奮に満ちた出来事がいつもと逆に物語だけで描かれるならどうだろうか(いつもは、物語はアクションを正当化するための枠組みとしてのみ存在している)。キャラクターの冒険ではなく、その人生のストーリーを語るのはどうか。どのように歳を取り、子供を授かり、王国を統治し、信頼していたコンパニオンが最後には裏切るとか。それはどのくらい興奮に満ちたものになり得るだろうか?

 ここまで読んだ人は、私が毎日開発に携わっているような普通のRPGにはイノヴェーションの余地がもはやない、と私が感じているとの印象を受けることになったかもしれないが、それは正しくない。私はここでただ空想を弄んでいる(pie-in-the-skying)だけだ。多くのファンがRPGのイノヴェーションを軽んじているように思えるが、その理由はイノヴェーションがどこに向かうかわからないから嫌うのか、またはRPGにはたった一つの形しかないと信じているからだろう。おそらくほとんどのイノヴェーションは小さな変化の積み重ね、リスクが許容できない水準に達することのないように、あっちをちょっと、こっちをちょっといじることに過ぎず、それはビジネスとしては健全ではあるのだが、全ての開発スタジオが勇敢で餓えた挑戦者(underdog)であって欲しいと望むファンにとっては、あまりにも保守的な発想に映るだろう。 

 本当のことを言えば、私は自分がプレイした、あるいは開発に携わったどのRPGに対しても、常に愛憎相半ばする関係にあるのだ。ノスタルジアは強力だ。嫌いな部分や失望させられた部分は全部忘れ去り、最終的に抱いた感情だけを思い出させてくれる。私の場合は"Baldur's Gate 2"に沢山のノスタルジアを抱いている。私がライターとして携わったゲームで、ファンとしてプレイしたものではない。だが本当に回顧してみると、全てのフラストレーションもバグも、決してうまく治らない部分に費やした心の挫けそうな時間も、変更して欲しいと願ったが結局そうならなかった部分も、みんな思い出すことになる。"Dragon Age 2"に至るまでの全てのゲームがそんな感じだ。中身は違うし、長かったり短かったりするだろうが必ずその手のリストはあり、それに対してできる最良のことと言ったら、失望が苦痛に転じてしまうことのないように、前に進んでいくことなのだ。 

 私が言いたいことは、開発者として、常に前に進み、うまく行っていないと思える部分を探して直し、新しいことがうまく行くのか行かないのか試してみることだ。全てのことがリスク分析だけで決まるわけではない。自分の戦いは注意深く選ばなければならず、どの丘を奪取する際にも命を懸ける開発者は、結局どこかで死んでしまうのだ。善かれ悪しかれ、RPGの世界は全体として進化している・・・、今やより数多くの人々を包含し、より数多くのアイデアが生まれ、また"Torment: Tides of Numenara"、"Project Eternity"、そして"Shadowrun Returns"のような素晴らしいKickstarterゲームが生まれていて、"Dark Souls"や"Skyrim"が"Dragon Age"や"Mass Effect"などと肩を並べているわけだから、我々は実際に、今までにないほどのより広い多様性をRPG世界に生み出すポテンシャルを有しているのだ。それだけ多くの違う種類のRPGのタイプが生み出せるという発想、それだけ多くのファンの興味を満たせるということ、それぞれが何が可能なのか(何が儲かるか!)を示しているのだ。ああ、RPGの世界に働くことがなんて素晴らしい時代なんだろう。 

 私は、我々が進んでいる方向、DA3(訳注:当時はDAIがまだこの名前)が進んでいる方向が好ましいと本当に思っている。早くお見せしたくて仕方がない。もちろん、失敗の可能性だってあるが、大きな成功の可能性だってある。我々にとっても、Kickstarterゲームにとっても、その他開発中のどのゲームにとっても同じことだ。この議論は楽しかったし、「もしもの場合」の試みも熱中するほど愉しいものだが、現実の世界にだって探せば他にも本当にすごいものがいっぱいあるのだ。

 最後に但し書き:オリジナルの質問をしてくれて、私がKickstarterではじめたどんなプロジェクトにも投資すると言ってくれたこの親切な匿名のファンの方に(どうして匿名?)。私がそのようなプロジェクトを何も計画していないからではなく、もし仮に私が実際にプロジェクトを立ち上げたとしても、お金を放り投げる前に、まずそれがどんなものか見極めるべきだと忠告しておこう。私の発言や私の考えについて、まるでBioWareの全てを人格化したのが私であるかのような不思議な前提を置いている人が沢山いるようだが、私は組織の中にあっては中間層の開発者に過ぎないのであって、それは肯定的にも否定的にも受け止められて然るべきなのだ。私は書くことについては他のライター同様に仕事ができるが、私のアイデアが(ときにはそう見えるときがあるにしても)全て黄金のようであるわけはない。私はまた優れた仕事をすることもできるし、14年間の業界での働きで沢山そんな仕事ができたことは私の大きな喜びだ。だがお金はよく考えて使わなくちゃだめだ。どこに使う場合であっても、よく考えて使わなくちゃだめだ。好いてくれることは嬉しいが、盲目の信頼は欲しもしなければ期待もしない。私に胡坐をかかせないようにするのと同じように、他のどの開発者に対してもそうした方がいい。気前のよい心とともにそうすることで、君はあとから自分自身に感謝することになるし、開発者たちにとっても、最終的にはそのほうがずっと良いことになるのだから。

*** 

 いつにもまして長いエッセイですけど苦にならない。やっぱ中身ですね。文中の古いゲームは今プレイ困難なものもあるでしょう。Troikaの"Vampire: The Masquerade, Bloodlines"は(今では少々古ぼけて見えるが)確かに優れた作品です。SteamでもGOGでもまだ手に入りますね。  

 昨年のGameSpot、PCのGOTYだったのが"Gone Home"。まだデモ映像でしか知りませんが、読んでいたらあれを思い出した。ホラーではないはずなんですけど、インディ・ゲームがGOTYというのもレアなはずだし、いずれは遊んでみたいと思っています。  

 「いつもは、物語はアクションを正当化するための枠組みに過ぎない」という部分は押井守さんの話を思い出した。「誰かがバカをやらなければ冒険は(アクションは)決してはじまらない」。派手な戦いは(個人の決闘のみならず大会戦まで含めて)、後先考えない人物(大会戦ならナポレオン・ボナパルトなど)がいなければ起きえない。"adventure"は降ってわいた(外からやってきた)出来事だそうですが、リスクを冒して何かを得ようとすること。日本語の「冒険」(険しさを敢えて冒す)がまさにそういう訳語ですからね。

 (ふつうの)RPGファンと歴史ファンが被るというのは、直感的にもわかりやすいだろうし、論理的にも言えそう。
 ただ、RPGファンと(上述のような)大戦略(グランド・ストラテジー)ゲームのファンが被るというのは・・・。ゲイダーさん同様、私はまさにそうなんですが、ちょっとレアな感じがしますけどね・・・。Victoria 2とかプレイするの大変すよね。

 ゲイダーさんがかつて離れ小島にひとりで行くときにひとつだけ持っていくゲームを聞かれたとき、Victoria 2と言っていたかな。何を隠そう、カナダも植民地として大きく取り上げられる形で登場するからなんでしょうけどね。
 たしかにCivなど持っていけば、完全に飽きるまで長い時間がかかりそうではありますけど。RPGはなかなかそうは行かないかな。Skyrimのようにコンテンツ膨大でも飽きちゃったくらいだし。

 DAIもそんなときに選ばれるくらい、とても簡単には飽きがこないようになっていればいいのだが。

 DAIについてのマイク・レイドロウ氏の話を聞いていると、まさにゲイダーさんが空想しているように、RPG要素を中心としてそこにストラテジー要素を加味しようとしてる感じにも聞こえるのだが、そんなゲームは今までうまく行ったためしがないので、実は私はやきもきして待っている。

 そういえば、"waiting for the other shoe to drop"てのも、面白い表現ですね。ホテルの部屋などにいて、隣室の誰かがベッドに横たわるために片方の靴を脱ぐ音(靴が床に落ちる音)を聞いたとき、当然もう一方の靴が落ちる音も聞こえてくるはずだと期待して待っている感じ。入口で真っ先にスリッパに履き替えちゃう(あるいは和室なら入口で脱いじゃう)日本ではまずあり得ない話ではあるけど。

 

2014年1月28日 (火)

On Fandom and Toxic Environments

 前回記事の文中引用記事(ゲイダーさんのTumblr記事で表題はここと同じもの)。

 一年くらい前の記事なのですが、そのくらい昔になると(そのとき実際読んではいるので)ここに訳したかどうかも忘れてしまいがちです。とりあえず過去記事には見つかりませんでした。
 ところが内容の一部は確かに訳した記憶があるんですよね。特にフォーラムの有毒性がどうやって増していくのかについて、また、自分でしてもいない発言について弁明しなければならないことについて。おそらくBSNでゲイダーさんがまだ派手な撃ちあいを繰り広げていた頃に似たような内容を個別にポストしていて、この記事はそれらをひとつにまとめたものなのでしょう。

 本文中にもあるとおり、ネガティヴな内容を続けて読んでいるとネガティヴな気持ちになるのは誰でも同じようです。ネガティヴな気持ちになりたくない人はパスで。
 こちらもさっさとやって、とっとと切り上げましょう。

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「あなたたちは、どれだけ多くの人がBSNを疫病のように嫌っているかご存知でしょうか? あそこがプレイヤー一般を代表している場所だなどと考えてほしくないのです。(私見では)あそこの人たちは本当にムカムカさせる(utterly gross)類の人々である場合が多いのだから」(ファンの質問)

 もちろん、BSNがBioWareファン(あるいは、「ファン」を純粋に肯定的な文脈でとらえれば、単に我々のゲームをプレイしている、または我々のゲームに気がついている人々)の最も重要視すべき(be-all and end-all)部分から構成されてなどいないことには気がついているよ。あそこは確かに情熱的な人々の集まりだし、君が言うように「本当にムカムカする」とは呼ばないにしても、フォーラムの全体的なトーンがどんどん毒を含んだ(toxic)ものになってきているとは言えると思う。

 私自身は最近あそこをできるだけ避けるようにしている。なぜか? なぜなら、あそこであまりに長い時間を過ごすと自分自身もネガティヴな感じになるからだ。我々の開発したゲームについてだけにとどまらず、私自身と人生全般に関してもそうなっていく。それは良い気分ではない。そう言うと苛立つ人があそこにはいるだろう。彼らにとってすべてのネガティヴなフィードバックは正当化できるものであり、それを無視する我々は砂の中に頭を突っ込んでいるのと同じなのだ。我々開発者が聞き分けの良い子供のように、彼らの叱責に耳を傾け、黙ってひどい罰を受け続けなければ、どうしてゲームをより良くすることなどできようか? その考えはもちろん、我々が(肯定的なものも否定的なものも)山のようなフィードバックの全てを咀嚼することなどこれまでも土台無理であったという発想を無視しているし、実のところ実際に反映できるフィードバックなどごくわずかなのだ。最終的には(フィードバックの情報を、ただしその一部を参考にして、どのみち「決して」一部しか参考にはできない)決断をなして、また先に進むしかない。

 また、BSNは数多くの思慮深いフィードバックをもたらすという意見の人々もあそこにはいるのだ。全てが怒りにまみれた喚き声ではない。実際にとても鋭敏で知的な投稿者たちに出会って対話をすることもできる。それは間違いない。もしそうでなければ、もはや私はあそこを覗くことすらまったくしなくなるだろう。だがシグナル対ノイズ比は間違いなく悪化してきているようであり、最終的には自分もまた、全てのメンバーがただ文句を言い続ける一味のひとりであるように感じるようになってしまうのだ。彼らが何に対して文句を言っているのかは大して問題ではなく、遅かれ早かれ文句しか耳にしなくなる。そこに関わりあうことは、文句の言い合いに参加することを意味し始め、そのうち自分はそれしかしていないように感じ始める。そんなことから超然としていようとしても、最もネガティヴな者に見つかって足を引っ張られるのでうまくいかない。私だってただの人間だから、彼ら同様に相手をやり込めるために応酬しなければならなくなるが、そうすることによってクソまみれのような気分になるのがオチなんだ。

 どこのオンライン・コミュニティでも起きていることなのだと思う。ついには、礼儀正しく分別のある人々が、そこが自分たちが寄り付きたい集団だと感じることをやめる。彼らが去れば、残った者たち同志は自分と意見を共有する仲間たちだと見なし、そしてそういう者しか現に見かけないのだから世の中にはそういう者しかいないと考える。彼らによれば、「全ての者が」彼らと同じように感じているのだ。ひとたびその転換点を超えてしまえば、自分は過激思想の持ち主の間に置き去りにされることになる。ヘイターたち(those who hate)、そうしたヘイターたちを嫌うあまりに有毒な雰囲気をものともせずに彼らと戦おうとする者たち。ふたつの集団が衝突するたびに、他の者たちがまたその場から遠ざかる。

 なぜそうであるのかについては数多くのセオリーが出回っているに違いない。そしてそれらセオリーを指し示したがる者にも、いかなる状況であっても彼らのものの見方は「真っ当な」(proper)ものではないという印象を与えようとしたがる者にも、事欠かないのだ。

 だが彼らを中傷する必要はない。インターネットには彼らのような者たち、あることに関して正しい者たちがあふれかえっている。彼らはとても「正しい」あまりに、現実社会の対話では決して許容できないような態度ですら正当化してしまう。インターネットではきっとそれもまた背景の雑音に過ぎないのだろう。我々は彼らがどれだけ正しいかについて拝聴し、論点を承らなければならず、それが君の顔に泥を塗りたくっているというように受け止めてはいけないのだ。我々はゲーマーたちのことを選んで攻撃しがちだが、ゲームに限らずあらゆる種類の理由に基づいてそうやっている人々がいるのだ。例えば社会的正義を目的にしている者もいるだろうし、自分たちが正しいと信じているその事柄のために、ゲーム・メカニズムなどについて口論している者たちより自分たちが上等であると正真正銘信じているのだが、実は大差はない。ゲーマー同様に、確かに彼らにも素晴らしい論点はあるだろうが、その論点もまた同じようにいずれ喪われてしまうし、彼らの態度は依然として許容できない、有毒なものであるのだ。

 とてもよろしくないことだ。オンライン・ゲーマーのコミュニティ一般に関する修辞(rhetoric)の水準やエンタイトルメント(entitlement)について物申さなければならないのだと思う。同じく、BioWareの開発するゲームが依然として我々のコア・ファンを満足させているのかどうかについても語らなければなるまい。どのコンベンションにでも参加してみれば、数多くの肯定的で熱心なファンがいることがわかるのだが・・・、そして皮肉屋は「それらの連中」を好いていることが我々が称賛以外を望んでいない証拠だと揶揄するのだろうが、それは端的に真実ではない。総体的には好きな何かの一部について熱心に嫌うことは可能だし、好きになろうと望んでいたものに総体的に失望することも可能だし、どちらの場合でもどこがキライなのか肯定的な議論をすることも可能だ。私はコンヴェンションの場でファンとの間でいくつかその種の議論をしたことがあるが、対話の口調が敵対的でなかったというそれだけの理由で、相手に対してずっと良い態度のままで議論を終えて別れることができたのだ。

 いずれにせよ、BSNは、「我々のファン」がどう考えているかについて我々が見に行く唯一の場所ではないので心配しなくていい。特定のゲームに特化したオンライン・コミュニティだけを覗けば、ほとんどの場合はそのゲームについて偏った意見を見聞きすることになるだろう。それらはそういう役割を果たしているわけで、ハードコア中のハードコア・ファンのコアな部分に関する意見の熱気を計りたいのなら、それ以上に良い場所はないだろうが・・・、それらが「全ての」ファンを代表しているかどうか? まったくそうじゃない。

 個人的には、私は真に肯定的な対話を望んでおり、私を攻撃するような者たちと関わり合いたくはないのだが・・・、それは「本当に」難しいことだよね?。特に難しいのは、誰かが私が言ったことを取り上げて、それを歪めて、まるで私がそう言ったかのような誤解を与える形で伝えられる場合なのであって、他の人たちはそれが間違いだって知りようがないじゃないか? 虚偽の発言を引用され、かつ誰かがそれを気にしたら、私が現にそう言ったことにされてしまうかもしれない。そこに割り込んで誤りを正すのはほとんど無理だ。それだけじゃなく、そうすることで彼らに論争のための材料をさらに与えることになるわけだから、結果的に自分がアホみたいな姿を曝す以外に何が手に入るというのだ? それはもう懲り懲りなくらい経験済みだ。深呼吸をして、笑って、対話ができる沢山の嘘偽りのない肯定的な人々がいることを思い出すことに優る術はない。こちらの心証を悪くすることのない方法で議論を挑んでくる人々。現実社会でそういう人々に囲まれているように、そういう人々の間に身を置くべきなんだ。

 それが人生の指針なのか? そうありたい。それ以外の方法としては、ファンとの間の全てのオンライン交流をことごとく避けるか、あるいは無害なPR用のものだけにするかしかないだが、残念なことに、怒れるファンですらそれは望んでいないのだろうと思う。

*** 

 早く終わりたいけど、一カ所だけ。これも過去何度か出てきた話題ですが、「オンライン・ゲーマーのコミュニティ一般に関する修辞(rhetoric)の水準やエンタイトルメント(entitlement)」。
 最初は「レトリック」。言葉遣いが悪いという意味ではなく、(それよりむしろ)ものの書き方にさっぱり説得力がない、弁舌が的を得ていない、という点を言っています。主張が様(さま)になってない、不器用である(awkward)とゲイダーさんが言うときがそうである。
 「エンタイトルメント」はちょっと難しいが「まっとうな資格、権利」。見当違いの権利意識を指している場合が多いが、現実社会ではまず許されない、端的に無礼な態度を取る資格や権利が「正しい」ことを述べているのなら当然のようにある(付与されている)と考えることまで含んでいるようです。まあ、現実社会でもモンスター何とかとかいますけどね。

 ヘイト問題やロマンス問題ではない、また開発プロセスの話題でもないDAIの話題をしてほしいんですけどね。とはいえそれ以外は「すまん、まだ話せない」で終わっちゃうんだろうけど。

2014年1月26日 (日)

On Hate for Online Forums

 ゲイダーさんのTumblrから。そしてゲイダーさんが文中引用しているTumblr過去記事を私はサボって(正直には、ネットのヘイト・ネタに辟易していた頃だったので)翻訳していないことに気が付いた。んー、先週末もこればっかやっていた気がする・・・。ま、中毒みたいなもんなんでいいんですが。過去記事は次回にでもやろう。

 ご本人「専門家ではない」とおっしゃっていますが、私は現在のネット・フォーラムなどの悲惨な現状(学級崩壊状態)を彼以上に上手に説明している言説に、日本のものはもちろん、あちらのものでも他にあまり出会ったことがない。それは彼自身が評論家ではなく実務者であり、モデレーターでもあり、かつ頻繁に攻撃を受ける対象でもあるからかもしれない。さらにライターという職業上、言説を主張するやり方に長けていることもあるだろう。ゲイダーさんの場合、それは他の開発者と違ってファンとのコンフリクトを回避しないことにもつながる。他者の揚げ足取りが常套手段のネットにおいて、ライターこそがその本職だから。教訓、「ライターと決して口論するな」(実は私は、ゲイダーさんのその戦闘的なところが好きなんでしょうけどね)。

 大抵の言説は(どこぞの学者も含めて)、ネット礼賛(多数派が偉いのだから少数派は黙ってろ、あるいは、物言えぬ大衆がはじめて言葉を獲得した?)か、ニヒリズム(どうせ人間は全部クズでバカ)かどっちか。そうじゃないと(ラディカルじゃないと)マスメディアとして売れないしね。そのどっちも、別に現状をつぶさに見なくても言えてしまうから薄っぺらい(権威であるべき学者をはなから疑っている時点で、私もまたネット(大衆)文化に染まりつつあるのですが)。

 「アラブの春」などの様子を見てネットが権力を揺るがすと無邪気に喜んだリベラルも誤りだったが(春いずこ?)、ネットは無力と決めつける発想も誤りのようだ。DA2やME3の騒ぎなんて世界に留まらず、大企業は言うまでもなく、マスコミや政治などの既存権力までネットに(すなわち大衆に)媚びを売り始めて久しい。オバマなんてネットで「選ばれた」初の合衆国大統領であったが、ネットで「拒否られる」初の大統領にもなるかもしれない。大陸国政府のネットに対する脅えっぷりなんか、まさに象徴的だ。
 (民間企業はまず権力じゃないし、その性質上ビビりで、構成員のサラリーマンは定義上リスク忌避者(アヴァ―ター)ですから「ネットで騒ぐぞ」だけで恫喝になる、どころか「ネットで騒がれるかも」だけで十分)。マスメディアも民間企業にそっぽ向かれたら経営終わるから結局引きずられちゃう)

***   

「オンライン・フォーラムが嫌悪に塗れているのはなぜなのでしょうか。BSNが特にそうです。BSNについてどうお考えですか? 確かに、何もポストしなくても他人を嫌って辛辣なことを言う人もいます。ですが、友達の誰もヴィデオ・ゲームを遊ばない私からすれば、BSNこそ大好きなゲーム・シリーズについて語ることのできる数少ない拠り所なのです」(ファンの質問)

 BSNについてはすでに次のリンク先のTumblr記事に書いたよ。

http://dgaider.tumblr.com/post/39544291251/on-fandom-and-toxic-environments

 そのときも言ったけど、BSNには鋭く知的な人たちもいまだに数多く残っている。BSNに対する私の考えは私自身のものだし、自分自身がきっかけになって呼び起こした反応についてのみ考慮の対象にしている。君の経験が私と違うのなら、そしてBSNで行われている類の議論を君が許容できるようなら、そこが好きであってもなんら困惑する理由はないと思う。

 私は専門家ではないが、どこのオンライン・フォーラムも長い間にそれ自身の文化を築きあげているように思われ、それもそこに惹き付けられる人々の種類に拠っているのだろう。Tumblrの文化は(全体として考えれば)BSNのものとは全く異なるもので、それはまた例えばSomething Awfulや Penny Arcadeや、その他君の知っているどれとも異なる。それら文化はコミュニティーがどのように仲介(モデレート)されるか、フォーラムのテーマが何であるかどう喧伝されるかにもよるし、そこでどんな議論が起こりやすいか(許容されるか)などによって影響を受ける。

 そうしたコミュニティーは、同時にまたすぐれて同族意識が強く(tribal)、「我々」と「やつら」といった類のメンタリティーを保持している。おそらくそれが今日のインターネットの性格そのものなのだろうし、誰か他の者が好きなことを、君が好きじゃなければ、間違っているのはきっと他の者たちのほうなんだ。そして彼らは間違えているだけじゃなく、下劣で愚鈍なわけだから、この惑星上から叩きださなくちゃならない。BSNに行かない人たちはそのことについて意見を有しているはずだし、以前にそこに行った者からひどい経験をしたとの話を聞いたために近づかないのかもしれない(あるいはバンされたとか。熱心なトロールほど観ていて惨めに思えるものはいない。単にBSNがとんでもないという理由以外の理由もなく、自分がいかに不公平にバンされたかという苦情を他のあらゆるフォーラムで言い募って回るのだ)。 

 皆が皆そんな輩か? もちろんそんなことはないが、そうした話は頻繁に耳にするわけだし、また拡散しやすい。結局のところ、「我々」が「やつら」より優れているという同族意識は本当に抜きがたいものなんだ。「我々」は知的で他より優れていて、他はどこでもくそったれの集まりだ。ああ、よかった、自分があっちじゃなくて、こっちで。 

 実際には、くそったれはどこにでもいる。君の言うようにBSNに辛辣なことを書き込む人もいるし、TumblrでもTwitterでもFacebookでも、インターネットのどこでもそういう人はいる。へっ、私だってときにはくそったれに振る舞うことだってできる。私に対してこんなことを言う人もいる。「一体全体、なんでTumblrなんてやってんだ? 女子高生のファンガールか、社会正義の戦士のものだろ?」 そんなときは溜息をついて、同じことを言い返す。Tumblrには他のところと同じように沢山の本当に素晴らしい人たちがいるのだが、それを抜きにしても私は第一に自分のブログを載せる場所として使っているわけだし、便利な仕掛けも用意されているからだ。例えば「無視」ボタンとか。誰かが無礼に振る舞ったり、あるいは私が、彼らの決めた条件に合致しない限り、彼らの味方じゃないという意見をはじめたときには、あらよっと! もう二度と彼らの話を耳にする必要がないのだ。 

 オンライン・コミュニティーについては、どのように創り出されて維持運営されるかという点について、また現在のインターネットの議論の傾向が変わりうるかという点について、より幅広い議論をしなくちゃならないのだが、それはまた全然違う話だ。私のBSNとの関係は、今のところ職業上のものに限定される(フィードバック収集、観察など)。でも君がそれで良いというのであれば、何も他人の意見を気にする必要なんかないんだ。

***

 かつて自称ファンたちとの論争で、「(自分たちの意見は)大衆の意見だから心して聞け」という発言に、「『大衆』なんて少なくともBSNにはいない」とゲイダーさんが答えていた。BSNにいるのはコアゲーマーたち。本当はそこでジ・エンドなんですが、知的で他より優れていると思っている自称ファンはそのときも「完封負け」を理解できなかったようだ。今回はそれを平べったく言い直したものでしょうね。

 

2014年1月25日 (土)

On Character Visual Design

 文中にあるように以前ゲイダーさんが詳述していたトピックスですが、ご本人もお気に入りの話題らしく、繰り返すことに異存がないようです。

***  

「あなたはDAのキャラクターを数多く書かれているのでお聞きしたいのですが、キャラクターの外見について、どれだけ多くのインプットを持ち込むのでしょうか? それから、キャラクターの人格(パーソナリティ)は、どれだけ多くがデザインに反映されるのでしょう?」(匿名のファンの質問)

 それについては、"On Narrative Design"という記事シリーズの"Creating Characters"の章でも取り扱っていたと思う。リンクは次だよ。

(訳注:原文のリンク:
 http://dgaider.tumblr.com/post/36725834932/on-narrative-design-part-4-creating-characters

 不肖私の翻訳記事のリンク:
 http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/02/on-narrative--1.html

 でも、キャラクターのヴィジュアル面に特化した話をしてくれというのであれば、もちろん、してみたいと思う。 

 最終的には、BioWareゲームに含まれるあらゆるものの見せ方はどんなものであってもアート部門が決める。アート部門はデザイン部門とは別れている。DAについて言えば、マイク・レイドロウがデザイン部門のトップで、マット・ゴールドマンがアート部門のトップだ。彼は配下のコンセプト・アーティストたち、キャラクター・アーティストたち、レヴェル・アーティストたちなどに対して、アーティスティックな方向性を示す。 

 だからアート部門は、どの登場キャラクターについても、全てのヴィジュアル側面を決めることになる。コスチューム、肉体の造作、魅力、人種的特徴(エスニシティ)、髪型、それら全部だ。我々デザイン部門(とりわけライターたち)はキャラクターのストーリーを編み出す責任を負っている。我々はコンセプトを捻り出す役割があるので、プールに真っ先に飛び込むことになるのだが、だからといってアーティストたちにかくかくしかじかに描けと指図するわけじゃない。彼らが我々のストーリー・コンセプトがうまくヴィジュアルにできないと思えば、彼らは何か異なったものを描き出す。 

 だからと言って、アーティストたちはどの道好き勝手やるし、ライターどもなんて知ったことじゃない、なんてふうに受け取ってもらうと困るのだ。これは双方向のやり取りであり、お互いとも許容できる何かを生み出すために、我々はいつでも一緒に作業することになるのだ。結局、創造は両者共同で行われるということだ。ライターたちはこんなことを言うかもしれない。「彼女は私のキャラクターだ、これ以上彼女のストーリーをぶち壊しにするな!」 だがアーティストたちもこう真っ当に答えるかもしれない。「我々のキャラクターでもあるんだ! 楽しみを独り占めにするな、我々にも何か創り出すことができる材料をよこせ!」 どちらかの側がわがままを言い続け、口論が続くなんてことももちろんありうるが、私の経験からしたら、思いやりのあるやり方で協調した場合の創造物は魔法のような出来栄えになる。協業(コラボレイション)とはもともとそんなものだ。 

 皆が良く知っている人物であるマット・ローズ(Matt Rhodes)を例にとってみよう。

  (マット・ローズ氏のTumblr http://mattrhodesart.tumblr.com/ ) 

 私がマイク・レイドロウの下でサブ・リードであるのと同じように、彼はマット・ゴールドマンの下でサブ・リードを務めていて、私がライターのチームに責任を負っているように、彼はコンセプト・アーティストのチームを率いる。彼と一緒に仕事をする愉しさを正しく伝える言葉は見つからない。彼はまず仕事が早いが(キャラクターやプロットについてミーティングで話し合っている間も彼はスケッチをしていて、ミーティングが終わる頃には、話題となっていた事柄についてすでに五種類もの絵を完成させているのだ)、それだけではなく、アートがストーリーラインに果たすべき役割について本物の情熱を持っている。キャラクターについて、キャラクターのバックグラウンドやこの世界の中における位置づけについて、ライターが告げなければならないことを聞くことも、それらをヴィジュアル的にうまく表現するための力になる方法を見つけることも望んでいるが、全てのアーティストが必ずしもそうであるわけではない。キャラクターがどのように見えるかを決める最初の段階を担っているのが彼であり、開発初期には我々はいつも一緒に、緊密な連携のもと作業しているのだ。 

 作業は、次のように進んでいく。

 初期コンセプト(initial concept)は極めてぼんやりしたものであり、細部を詰め過ぎることなく(だから添付書類も多過ぎることなく)、アイデアを皆で回覧するためのものだ。我々はマットと彼のコンセプト・チームと連絡をとり、彼らがどんなアイデアに興味を抱くか、彼らが投入できる材料は何か、といったことを見極める。ある時は我々が彼らをインスパイアし、ある時は彼らが我々をインスパイアする。描画が(または、顔やコスチュームなどの写真でさえもが)自分の頭の中にあるキャラクター像を結晶化する様は驚くべきものだ。

 それから完全コンセプト(full concept)に取り掛かる。まずライターたちが手掛け、これもまたコンセプト・アーティストたちに手渡す。彼らは、マット・ゴールドマンが(「もっとこっち寄りに」、「あまりこっち寄りではなく」など)選ぶためのキャラクター案の候補を複数用意することから始めるときもしばしばあり、フィードバック(「こんな感じに考えていた?」)を得るために我々を通して渡すときもある。これを長い間繰り返すときもあれば(*コホッ*フェンリス*コホッ*)、あっという間に終わるときもある。ときには彼らが我々が承認し難いことをすることもあり、そのときは意見を述べ合って解決することになる(一般には、私が泣き言を言い募るという形をとる)。ときには結果が変更になることもあり、そうならないときもある。ときには、我々が書いていたものにもはやヴィジュアル・コンセプトに似つかわしくなくなった部分が出たため、書き直す必要が生じることもある。まあ、それも仕方がない(Them's the Breaks.)。最終的に、最終版のコンセプトを選択するのは、マット・ゴールドマンの職責だ。 

 この時点でライターたちは実際にキャラクターを書きはじめるのだが、そうしてからですらコンセプトが変更を受け続けるのはよくあることだ。最終的にコンセプトはキャラクター・アーティストたちの手によるモデリング(modelling)の段階に進み・・・、そこでもさらに変更を受けることになる。全てのコンセプトが3Dモデルになるまで生き残るのではない。さらにそれからも細部をいじられ続けるのだ。髪型が変わり、衣装が変わり・・・、我々ライターは色々な段階の進行状況を目にすることになり、キャラクター・アーティストたちも我々とコンセプト・チームの人たちの双方からフィードバックを受ける。そのプロセスが君たちがゲームで目にするキャラクターを完成させるのだ。 

 これで答えになっているといいのだが。このプロセスについてこれ以上のことを知りたいのなら、マット・ローズのような人物に尋ねてみるしかない。

***  

 「仕事が早い」ことは、そうでない場合より「何度もやり直しができる」点で優れている。というか「早い」はそういう意味でしょう。繰り返し(iteration)が必須ともなっているゲーム開発では特にそうでしょうが、世の中大抵のことはそうである。 

 同じような評価を、ICOの開発者である上田氏が周囲の人たちから受けていたが。「トリコ」どこに飛んでいったのでしょうね・・・。PS4対応でまた時間がかかるのかな。

 

 

On Marketing aka "I WANT TO SEE ALL THE THINGS!"

 ゲイダーさんのTumblrから。

***

「あなたは、ゲームの中身をスペキュる(推測する)場合は実際公表されたことに拠るべきで、中途半端にちらっと見せられたものには頼らないでほしいと述べてましたね。どこかの場所のイメージ以外のものを公表しない理由はなんですか? いつどんな情報を公開するかはどのようにして決まるのでしょうか」(ファンの質問)

 私などより食物連鎖の頂点に近い、マイク・レイドロウのような階層にある者、またはマーケティング担当が答えるべき内容だ。質問にある意思決定は、最終的にはコーポレート/パブリッシャーの階層でなされることなんだ。

 私が言えるのは、マーケティング・キャンペーンがひとたび始まれば、ゲームに関する情報が怒涛のように公開されることになることだ。キャンペーンの目的は、全ての人たちに対して、我々の開発しているゲームが完成間近で実際にお見せできる状態にあることに気づいてもらい、リリースの時点で最高潮に達するようにゲームへの興味を持ち続けてもらうことだ。それに先駆けて、ファンはいつでももっと情報をよこせと叫び続ける。ひとたび情報の氾濫が始まれば、それはこんな具合に変化する。「勘弁してくれ、そんな情報はもう何十回となく聞いている。よこすなら新しい情報を教えてくれ、さもなくばとっととリリースしてしまえ!」

 古くからのファンが気をもんでいることは我々も皆承知しているのだと思う。オリジナル・ゲームが出て以降、Dragon Ageに関する何かの商品がひとつもリリースされない空白期間では今回がもっとも長いものになるのだし、皆が中身を知って最終的にプレイしたいと思っているのと同様に、我々も早くDAIを仕上げてリリースしたい気持ちなのだ。

「女性インクイジターも男性キャラクターと同じくらいマーケティングやトレイラーに登場するのでしょうか?」(ファンの質問)

 すまん、私にはわからない。マイクが前回のコンヴェンションで同じ質問を受け、そこで彼(さらにその上位者たちもだと思うが)は、トレイラーなどで女性プレイヤー・キャラクター(PC)をこれまで以上に押し出すことには興味があると述べていたのだが、それがいつ、どのように実現されるのかについては個人的に何も知らない。

 女性PCが世間で人気になることについて、会社の者たちが興味を持っているのは間違いないと思うし、私個人は(皆すでにそういう事実を知っているという仮定を置かずに)このゲームは女性の立場でもプレイできると宣伝することには意味があると思っているのだが、そのためにはまず、象徴的(アイコニック)な女性モデルを用意しなければならないわけだ。いずれわかると思っていいんじゃないかな?

***  

 「DAに関するなんらかの商品」、どこまで含むかわからないが(例えばブラウザ・ゲーやスマホ・ゲーもあるし、映画、テーブルトップ・ゲーム、小説・コミックもある)、きっとストーリーDLCまで含めた本編ゲームのことなんでしょうね。まさかデラックス版などは含んでいないと思う。

 はい、リストね。日付は「北米」公開時、現地。DLCはストーリーDLCのみ。
 

Dragon Age: Origins (Nov 9, 2009)

 The Stone Prisoner (Nov 9, 2009)

 Warden's Keep (Nov 9, 2009)

 Return to Ostagar (Jan 29, 2010)(注)

Dragon Age: Origins – Awakening  (Mar 16, 2010)

 The Darkspawn Chronicles (May 5, 2010)

 Leliana's Song (Jul 6, 2010)

 The Golems of Amgarrak (Aug 10, 2010)

 Witch Hunt (Sep 7, 2010) 

Dragon Age II (Mar 8, 2011

 The Exiled Prince (Mar 8, 2011

 Legacy (Jul 26, 2011)

 Mark of the Assassin (Oct 11, 2011)

Dragon Age: Inquisition (Q3 2014)

 (注)Return to Ostagarのリリース延期に関するトダバタ騒ぎをここで長々書いてもしょうがないが、Xboxの最初のリリース(バグのため撤回された)は含まず、XBox/PC同時リリースの日付を表記(PS3はさらに遅れてMar 11, 2010)。

 Witch HuntとDA2の間は、なんと1年ありませんでした。DAOとDAOAのインターバルよりちょっと長いだけ。ラッシュだったんだなあ。

 DA2の最後のDLC、MotAから数えて、DAIは丸三年越しになりそうですね。
(まだ今年出るかどうかわからない? もし出なかったらそんなこと言ったあなたのせいだからな!(言霊思想))

 そんな悠長な計画をBioWare/EAが最初から立てているわけはなく、DA2のエキスパンション・パックがキャンセルされたからもあるはずです。三年に一回しか儲けないシリーズなんて、他にMMOで儲けてるBlizzardでもあるまいし、会社が許すはずがないですから。結果的にMEシリーズの空白期間と重なってしまった不運もある。新IP開発も、EAの収益安定化策以外のなにものでもない。

 女性キャラクターを販売促進に使う。すでにME3がやりましたので、DAIもやるんじゃないでしょうか。

 そうすると今度は「パッケージも男女版ふたつ寄越せ」と騒ぎだすんですけどね。ME3のデラックス版はパッケージ両面のどちらもが「表」で男女シェパードが描かれていました。 

 DAIのパッケージに登場人物が描かれているかどうかもわからないのですが(DAO、DAOAのパッケージには主人公らしき鎧の人物がおそらく男性のつもりで、DA2のパッケージには男性ホークが描かれていた)。 

 もしかしてパッケージにハイ・ドラゴンを描いたら、「メス・ドラゴンを描け!」と騒ぎだすのかな。

 ハイ・ドラゴンは全部メスだっての!

2014年1月24日 (金)

ロマンス・ワサビ論

 先日ここで紹介したゲイダーさんのTumblr記事、”On the Question of Romances”がニュースになった、とゲイダーさんがTwitterでつぶやいていた。UKのXbox関連サイト。

http://www.totalxbox.com/69929/biowares-david-gaider-talks-dragon-age-inquisition-romance-options/

 ほぼ記事全編が引用文で、これで商売になるなんて近頃の産経新聞はじめとしたメディアのネット引用記事と一緒で呑気なもんだな、と苦々しく思いつつ、やってることは私ごときと変わらない訳でそのクオリティも推して知るべし。
 
 ってだけ書くなら、おまえもツイートすれば足りるだろう!とこっちにバックファイアしそうなのでなにか捻りださないといけない。

 UKのお友達はUSの人ほど「自由」を信じていないし(あちらには合法的な検閲がある)、まあニヒルな人多いからコメントも抑制的。なんて話を膨らましてもしょうがないなあ。

 Twitterから関係者のつぶやきを拾ってみると、DAリード・デザイナーのマイク・レイドロウ氏。

“Romances: totally happening, totally optional, just like before. That's all needs be said.”
「ロマンス:間違いなく入っているが、間違いなくオプショナル、今まで通り。それだけ言えばよし」

 上を受けて、モントリオールのGMアーリン・フリン氏。
“Dragon Age without romances is like BF4 without bullets ”
「ロマンスなしのDAは、弾丸なしのBF4みたいなものだ」

 DA新ライター、パトリック・ウィークス氏。
“wait hang on, I'd just finished deleting all the files. Are we doing them again now?”
「ちょっと待って、ちょうどロマンス関係のファイル全部削除するところだったよ。またやるの?」

 それに対してゲイダーさん。
“Just yours.”
「君だけね」

 えへらえへら笑ってればいいんだけど、フリン氏のアナロジーは(レイドロウ氏のコメントの意味とは)ちょっと違うんじゃないのと思うよね?

 BF4(は知らんが過去のBFシリーズから類推して)の弾丸はゲームの「お米」ではないのでしょうか。「なし」で済ませられるプレイヤー(プレイスタイル?)がいない(ない)わけじゃないけど、皆がそうだったらゲーム成立しないでしょう。オプショナルというのだから、誰一人用いなくても成立しないとおかしいわけだから。

 私は以前DAのロマンスを「スシのワサビ」に例えた。それも決して良いアナロジーじゃないけど(多数派がロマンス入りを選ぶということを含意してしまうから)、「サビ入り」、「サビ抜き」という個人的嗜好に他人含め賛否両論あがるという点で似ていると思った。
 ソバツユとワサビの方がわかりやすいか。あるいはソバやソーメンによく載せる刻みノリ?(あれがキライというお嬢様とはじめて食事をしたときには、なんでもオッケーの私ですら「えー」と思ってしまった)
 あ、「きつねうどん」(ネイティヴの発音は「けつね」ですか「うろん」ですか)は冗語、リダンダンシーらしいですね。元々「きつね」=「うどん」だから。同じく「たぬき」=「そば」だから「たぬきそば」も冗語というのは異説ですか。

 「クリープを入れないコーヒーなんて」、どのみち通はネスカフェ(インスタント)は飲まないし、レギュラーに入れるはずもないので無意味。「男は黙ってサッポロビール」は、男がそう発言している時点で矛盾。
(昭和ネタだ、すまん)

 BF4にロマンスは、お米のごはんにマヨネーズ。ってもマヨラー、そういう嗜好の人もいるからなあ・・・。

 年を取ったせいか、最近哲学に凝っていて(運良くというか信仰方面には進まずに済みそう)、それについてはまた書きたいと思っていますが、ヒトは(個体または種として)生き、死に、及び子孫を残すことに関連した部分に特化して様々な認識を膨らませてきたという説がある(非常に不正確な言い方だが、ここで哲学的に長々と書いても私の付け刃(付け焼刃)の理解では破たんするのがおちなので詳細説明するのはやめておく)。
 実在に当てはめれば狩猟採集・漁撈農耕の収穫物、自分(たち)に危害を加える外敵や天災、生殖相手の異性となるわけですが、こんな視点でヴィデオゲームを見るとなるほどねと思う。以下、哲学は関係なし。

 FPSは概ね二番目、主流RPGも二番目で一部一番目、生き死にに関する部分を大きく取り上げている。モンハン系や生産・採集系、Civilizationのゲーム開始劈頭では一番目を、ホラー・アクションやアドヴェンチャーなどの生き残り(サヴァイヴァル)ものなら二番目をクローズアップしている、など。ルート・システムってのも見ようによっては採集です。
(リアリティを追求している主流ゲームはそうだが、パズルやレーシング、スーマリ系プラットフォーマーはちょっと違う。まさしく「主流」かそうではないかという違いに関係あるかもしれない)

 「生き死に」はわかりやすい。結果としての生き死にではなく(それではゲームが終わっている)、その予感、実在としての収穫物や外敵ではなく、不在としてのそれらを認識し、かつ準備や対処を企図することがそれらゲームの本質なわけですよね(ここでいう「不在の認識」はもしかしたら冗語かもしれない、って哲学の話は「なし」だった)。

 だから、時折リアル社会で痛ましい銃撃事件などが起きると、「有識者」のみなさんが世の中野蛮な暴力ゲームばかりじゃないか!と言いつけて回るんですよね。だって仕方ないじゃんというしかない。それらはわかりやすいだけではなく、ヒトの根源的な部分に触れているのでしょう(動物は対象の不在を認識することはしないそうだ)。その種のゲームがあるから事件が起きるのではなく、ゲームがあるから事件があまり起きない、というのはあまりに飛躍した発想だが、間違いと言い切れるかどうかもわからない。

 さて三番目。生殖と恋愛は別なものですが、ロマンス問題についての「間違いなく含まれるが間違いなくオプショナル」というよくわかんない言い方は、おそらくここらがポイントになるんだと思う。
 生き死にと生殖を並べれば個体ひいては種の存続にかかわる点で一緒(個体が皆死んだら絶滅で、種の存続も何もない)。
 ここで生殖を恋愛で置き換えるから色々と齟齬が出る。恋愛も生き死に同様にクリティカル(致命的に重要)だと認識している人の場合、ロマンス抜きという発想に耐えがたい違和感を抱くことになってしまう。あたかも恐ろしい外敵が目前に迫りつつあるのに、日照りで飢饉が避けられないとわかっているのに、何の準備も対処もしないのと同じことになる(いや、私はそうじゃないけど、きっとそんな衝動に駆られるわけでしょ? 「恋愛がないなら死んだ方がまし!」という場合、なんと恋愛は生存より重要性上位にあることになる)。

 でも言うまでもなく、(筒井康隆先生の「野蛮人」ではないが)クリティカルなのは子孫を残すほうで、ロマンスではない。そして前者について主流ゲームにおいては、国や街が守られたとか、種族が生き残ったとか、自由を取り戻したなどという形で間接的に表現される(将来子孫が繁栄することを暗示する)。あるいは子供が生まれたというシンボリックな部分だけ再現される(モリガンの産前の様子とか、産後の肥立ちがいいとか、やらない)。

 生き死にや子孫の誕生は結果がハッキリしている。生きていると同時に死んでいたりとか、生まれてたり生まれていなかったりということは(量子論のパラドックスの世界でもなければ)ない。
 恋愛は・・・。何もはっきりしていない。お互い愛し合っていると同時に愛し合っていなかったりする(というかそれが普通)。ヒトふたり(「政治的に正しく」言うなら「以上」?)が介在する時点で絶望的にそうだ。

(追加) ここが特に言葉足らずであった。

 ふたり(ということにする、面倒だし、論点変わるわけじゃなし)それぞれの「世界」(「宇宙」と呼ぶ人もいる)を取り扱う時点で、お互い同士の異なる「世界」を無理やり融合するというむちゃくちゃな操作が必要になるわけで、これは実は恋愛には限らず、人間関係全般に係ることなのですが、他の人間関係で「死が二人を分かつまで」続くと予期される(実際そうじゃなくてもその時点では皆そうでしょ?)ことは(家族のようにある条件を満足すれば自動的に定義されてしまうことを除けば)ない。
 「人は分かり合える」というのは無理筋で、証明不能であるが、そうであっても「わかるわかる」、「ま、とりあえず、いっか」で済ますのが人間関係、でその最たるものが恋愛。アバタもえくぼ。愛はブラインド。

 こんないい加減なものが人類存続のクリティカルな要件になるはずは決してないし、なっていないから現時点で存続している。私、ジョン・レノンは嫌いです。能天気なポールはまだまし。

(追加終わり) 

 故に、普通は生きることを(あちらでは)神に誓わないし(んー、ジャン・バルジャンが誓ったか)、死を誓うこともしないが(いや殉教者っていうくらいだから十分にありうるなあ)、結婚(恋愛と同義ではないが恋愛が必要条件とみなされる)は神に誓いあう慣わし(ここ、ぐだぐだですね)。

 恋愛はヒトにとってクリティカルではないが、生き死にと同じくらいクリティカルのように感じる人もいる。だからオプショナル。

 こんな感じでとりあえずやめといて、また考えてみよう。

2014年1月22日 (水)

Oblivion

 とあるファンの妄想があまりに高じてしまったらしく、400ページにものぼるMass Effect 3リメイク案(ブループリント)を作成したようだ。Kotakuが報じているらしい(私は読んでいないし、もちろん読むつもりもない)。

 ゲイダーさんのツイッター・コメント。
「ついにここまで来たか」
”So evidently this happened(.)”

 MEシリーズのリード・デザイナー、ジェイ・ワタマニアク氏。
「うわ。そのヴァージョンではグラントはロマンス相手に選べるのかな?」
“Wow. I wonder if Grunt becomes a romance option in this version ?”

 ゲイダーさん。
「それを知る方法はひとつしかないよ!」
“Only one way to tell!”

(読んでいないし、読むつもりもないというファン(コンセプト・アーティスト)が、きっとそれは(1)「Mass Effect 3:無限予算」と呼ぶべきものだし、(2)本編を無視したハッピー・エンディングの嵐だろう、と予想)

 ゲイダーさん。
(「『Mass Effect 3:無限予算』、おそろしいけど、きっとそうだろうね(スマイル)。
“It would need to be renamed ‘Mass Effect 3: Infinite Budget’ -- both awesome and likely true. :)”

 他にも「それだけの労力をかけるなら最初からオリジナルのものを考案したほうがいい」というツッコミもあります。
 私がこのようなファンの行動を「病理現象」と呼びたくなる気持ちがお判りでしょうか。他の「二次創作」とはわけが違う。オブセッションもここまでくるとちょっと洒落にならない。スティーヴン・キングの小説(映画にもなった?)「ミザリー」の登場人物と、物理的に他者を傷つける以外に何が違うのだろうか。
 まあでも、笑い飛ばすしかない。

 こんな内容で終わったら、「バカにしてんのか」、「むしろツイッターでやれ」と言われそう。さすがにそれはまずいかな。

 別の話題。ゲイダーさんのツイッターから。

「ふむ。Oblivionは思っていたより『ずっと』良かったよ。それも『トム・クルーズの映画としては良い』などという意味ではなく、端的に良い」
“Huh. Oblivion was a LOT better movie than I expected. And not even "good for a Tom Cruise movie"...it was just good.”

 映画”Oblivion”(2013)に関して以前少しだけ書きましたが、トム主演であることに文句をつけなければ確かに「サイファイ映画の秀作」と言っていいと思う。ああいう主人公役はもう自分でやらずに、プロデューサーに徹してほしいのだ。それはニコラス(ケイジ)にも強く言いたい(それでは興行が成り立たないというのも悲しい事実であることは承知の上で)。

 ゲイダーさんのツイッターは、”Oblivion”評についても興味を覚えたが、「トム・クルーズの映画にしては」という言い方を(ゲイダーさんがしているわけではなくて)やっぱあちらでもするんだ、というところが受けた。

 ちょっとトムのことを弁護しよう(元奥さんネタやサイエントロジーのネタなどは一切抜き)。
 「ムラがある」というのが正しいと思う。それも何でもかんでも出過ぎだからだと思うけど(ニコラスの場合はムラなくしょぼい。”Kick Ass”(2010)は映画自体は面白いが、彼こそ本当に出るべきではなかったのじゃないですかね)。

 映画デヴュー(1981)以降、ほとんど毎年何かには出ているので、全部やるのはきついから、みんな大好き(?)な”The Last Samurai”(2003)の少し前くらいまで遡って私個人のトム評(俳優の演技などよくわからんので、トムが出るべきかどうかを中心にした好き嫌い。映画評ではない)。
 数字はImdbの評点でユーザーの映画評(10点満点)。私が( )内を書いてから付け足したもの。だから影響は受けておらず、相関があるのかどうか見るために載せた。

1996 Mission: Impossible (かなり良い)7.0
1996 Jerry Maguire   (世の中絶賛してるほどではないが良い)7.3
1999 Eyes Wide Shut (良い)7.3
1999 Magnolia (まあまあ)8.0
2000 Mission: Impossible II (勘弁してほしい)6.0
2001 Vanilla Sky (良い)6.9
2002 Minority Report (違うかなあ)7.7
2003 The Last Samurai (かなり良い)7.7
2004 Collateral (抜群に良い)7.6
2005 War of the Worlds (まあまあ)6.5
2006 Mission: Impossible III (どうかなあ)6.8
2007 Lions for Lambs (違うかなあ)6.2
2008 Tropic Thunder (ちょっと出だが、そこだけ覚えているくらい良い)7.0
2008 Valkyrie (まあまあ)7.1
2010 Knight and Day (うーむ)6.3
2011 Mission: Impossible - Ghost Protocol (悪くはない)7.4
2012 Rock of Ages (もういいよ)5.9
2012 Jack Reacher (相当いけます)7.0
2013 Oblivion (違うと思う)7.0

 世の中は別にトムだけ見て評価をしているわけではないので食い違って当たり前。ただimdb評によれば、「打率」は高いが少し下降気味であると言える。

 これ以前の出演作品でimdbの最高は”Rain Man”(1988)8.0。それに”A Few Good Men”(1992)7.6、”Interview with the Vampire”(1994)7.6が続く。いずれもトム個人だけの高評価ではないですね。上で言えば”Magnolia”もそうだ。

 私個人の傾向としては、なんかヤサグレちゃったりミゼラブルな役だったりすると好印象なのかな。レオ様がそういう役だとあまりに痛々しい感じを受ける(最近そんな役ばかり選んでいる)。ブラピはいくら頑張ってもそう見えないし、ジョニデはヤサグレているかどうかよくわかんない。この二枚目の系列に入るかどうかわからないが、マット(ディーモン)は決してヤサグレないように見えるからアメリカンから人気が高い。あ、思いついちゃった。チャーリーは・・・、逆にヤサグレを売りにしている。

 “Collateral”なんてアイデア一発勝負、かつ、ほぼ個人芸。主役でどうなるか決まっちゃう映画だけど、相当良かったと思う。今となっては他の誰が演じるか考えても皆おかしく感じてしまうほど(例えば”Valkyrie”の役なら似合う役者は他にもいそうだ)。そしてもうあのコンセプトは誰も真似できなくなった。”Jack Reacher”も相当良い。原作にひきづられたのかキャラクターはまだ膨らみ足りなかったけど、この続編は観てみたい。”Mission Impossible”はデ・パルマや周りの役者のおかげが大きいかな(エミリオ・エステべスがなんとuncreditedなのは”Young Guns”(1988)繋がりの楽屋落ち)。シリーズ最近作はおそらく監督のせいでコメディ色が濃かったが、だいぶ良くなりました。無論もはや主役がトムである必要はない。

 私が「ムラがある」と考えていることの根拠になっただろうか。他の役者に比べて当たり外れが大きいと思う。この先も”Edge of Tomorrow”(2014)、”Mission: Impossible 5”(2015)、晴れたり曇ったりが続くんでしょうね。
 
 以下、“Oblivion”のネタばれを含みます。それからカンのいい人は映画”Moon”(2009)のネタもわかってしまうかな。イヤならここまでで。

 “Oblivion”自体は良くできたお話。基本アイデア一発勝負ですし、敵対勢力の話などはまたかよと思うけど、造りが丁寧。メイキングなどみていると、監督の前作”TRON:Legacy”(2010)の臭いが色濃く残るものの、フューチャリスティックなデザイン面も相当練りに練っている。女優の趣味も良い(笑)。
 トリック自体の衝撃は”Moon”などを観たあとではだいぶ減損してしまうが、味付けが異なるからまだいけます。
 逆にそのトリックのせいで(ノー・ネーム扱いだとわかる人物に)いくらなんでもトムはないよな、とメタ的に醒めてしまうのだ。

 冒頭近く、廃墟となっているマンハッタンのフットボール・スタジアムで、主人公がクォーターバックの真似事をしながら言うセリフ。以下、パートナー女性のツッコミ入り。

 “The last Super Bowl was played right here.”
 “Please don't tell me it was a classic.”
 “Classic game. 80,000 people on their feet. Seconds left on the clock. So QB throws a Hail Mary. Touchdown!”

「最後のスーパー・ボウルはこの地で戦われた」
「伝統の一戦なんでしょ」
「伝統の一戦。八万人が総立ち。残りわずか数秒。クォーターバックが運を天に任せるヘイル・メリー・パス。タッチダウン!」

 このシーン。無名に近い比較的若いあんちゃんの俳優ならすんなり受け入れられたのだろうけど。
 トムだったらそういう試合はVIPルームから観戦してるはずだろう、と思わず考えちゃうんですよね。

(以下うんちく)
 作中でいうマンハッタンのフットボール・スタジアムというのは、おそらくNew York Jetsのフランチャイズとして現在も建設計画中のものでしょう。現時点でスーパーボウルを開催できるようなスタジアムはない。
 このスーパーボウルの日(2017年)は作中でとても大事な意味があるのですが、残念ながらその最後となったと言われている2017年(第51回のはず)のスーパーボウルは実際には(ニューヨークではなくて)ヒューストンで開催される予定になっている。

 ちなみに今年(2014年)のスーパーボウル(第48回)は、現在のJets及びNew York Giantsの共用フランチャイズであるメットライフ・スタジアム(マンハッタンからハドソン川を挟んだ西岸、ニュー・ヨーク州ではなくニュー・ジャージー州内に位置する)で2月はじめに開催される。 

(追加)
 よくよく調べたら、“Collateral”のシナリオライターはスチュアート・ビーティー(Stuart Beattie、AU)で、彼が若干17歳のときに着想したアイデアだそうだ。私のウォッチリストにある“I' Frankenstein”の監督。

 さらに、この映画は本来俳優のラッセル・クロウ(NZ)が手掛けていたプロジェクトであり、マイケル・マン監督の起用まで進めていたが、本人のスケジュール問題で降板。トムじゃなかったら誰がやっていたのかと思って真っ先に思いついたのがラッセル・クロウ。やっぱそういうもんですね。今思えばあまりにはまり過ぎていて逆につまらなそう。
 それからキャブ運転手にはアダム・サンドラ―(アメリカンは彼が大好きですからね)がずっと予定されていたとか。

2014年1月21日 (火)

Dragon Age Library Edition Volume 1 HC

 Dark Horse ComicがDragon Ageのコミックス・ライブラリー・エディッション第一巻を6月に発売予定。
 下のリンクはDAWikiのユーザーBlogから。

http://dragonage.wikia.com/wiki/User_blog:IlidanDA/Dragon_Age_Library_Edition_Volume_1_HC

Coverart

 Dragon Ageのコンセプト・設定集としてすでにDark Horseから販売されている”The World of Thedas”のときもそうでしたが、「第一巻」というのが気にかかる・・・。
 もしやゲイダーさん原作の三つのコミックを「小分け」にして売るつもりか?
 説明書きを読んだら三作品(注)とも含まれているので、そのような阿漕かつ子供だましの手は使っていないようだ。

(注)三作品とは、”The Silent Grove, Those Who Speak, and Until We Sleep”ちなみにここで用いられているのはOxford comma(笑)。

 私儀、このブログで記事を書くときは予め複数の記事になることが薄々わかっていても一回目の表記をしないことにしている。なにが理由で二回目がなくなるかわかりませんからね。出版の世界では(現物で出版したものは後から取り返しがつかないので)「とりあえずそう表記しちゃえ」なんでしょう。ゲイダーさんは「自分がDA小説を書くことはもうないのではないか」とコメントしていたので、今後の小説版は新たにDAチームに加わったパトリック・ウィークス氏に譲り、自分は今後コミック原作に特化するつもりなのかもしれない。

 説明書きで笑っちゃうのは次。

“An essential addition to the Dragon Age canon!”

 「DAの正典に不可欠な内容」というのは、また即座に物議を醸しだしそう。もちろんこの売り口上はDark Horseが表明しているものであり、それにBioWareが介入できるはずもないのでしょうが、読みたいように読む、見たいように見るファンはそんなことはお構いなしだ。これを受けて最近では鎮静化したと思われていたDA「正典論争」がすでにはじまっているのかもしれない(BSNを読む気は起きない)。

 ゲイダーさんは「正典論争」について次のように述べている。

「DAの『正典』というものはない。過去作品でのプレイヤーの選択・決断がどんなものであっても必ず発現するプロットが後続作品に引き継がれる、ただそれだけだ。故にコミックは『正典』とも、ゲーム本作とも関係はない」

 そうでなければコミックに、DAOで死んでしまう可能性や、呑んだくれになっちゃったり、ウォーデンの使命を貫くことになる場合もあるアリスターが王として登場するのは「おかしい」し、(ハードカヴァーの表紙にデカデカと出ているので、これももう言っちゃっていいでしょうね)同じくDAOでクナリの名誉を挽回できなかった可能性があるステンがアリショクとして登場するのは「おかしい」ともいえる。

 フェラルデンを襲った第五のブライトはグレイ・ウォーデンの働きによってあっという間に終息した。とあるメイジの手によってカークウォールのチャントリーが高僧たちもろとも爆破され、それに端を発して多くの犠牲者を生むことになるメイジ・テンプラー抗争が巻き起こった。それ以外にもいくつもあるでしょうが、メイン・プロットではこんなところ。それがそのままDAIに引き継がれる。必ず発現しないプロットはすべて「場合分け」プロットの対象になる(あまりに膨大な数なので、そのすべての場合わけがDAI以降で実現するはずもないのでしょうが)。

 上述のゲイダーさんの発言の揚げ足をとって、ゲイダーさんの小説・原作コミックまでを「ファン・フィクション」と揶揄する自称ファンもいる。自由のはき違えもここに極まれり。原作者のものとそこらのファンの書いた二次創作ものは違うでしょう。ここまでくると私は病理現象とまで呼びたくなります。

 これを機にDAコミックで英語に挑戦と思っている奇特な方。ほとんどいないと思いますが・・・。
 実は電子版がDark Horseから格安で販売されていることをお伝えしておきます(先日までのセールではさらに格安だったけど)。それを集めている私はこのハードカヴァーは不要。コミックをスマホの画面で読むのはあまりにキツイのでお奨めしないが、PC/MacあるいはAndroid/iOSタブレットがあれば難なく読める。場所もとらない。
 英語は細かい言い回しを除けば比較的平素なので、DA世界をご存じなら筋を追うのはそんなに難しくないと思う。中身は・・・、まあDAゲーム本編より面白いわけがないんですけどね。あちらの他のコミックがずっと面白いわけでもないので、ゲームのファンが何か読もうとするならとりかかりやすいDAとかMEが良いという程度。

 ちなみにDragon Ageコミックには、オーソン・スコット・カード(Orson Scott Card)原作の一作目がある。今や幻の作品、ファンの間でもなぜか最初からなかったことにされている(私はご丁寧に買ってしまったが、メイジ女性とテンプラー男性の間の禁断の恋と、二人の間に生まれた子に対する差別の物語。まあジェネリックなつまらい作品だったし、絵柄も複数の画家が分担していてテイストもいまいち。私には必要なかったです)。彼は映画になった「エンダーのゲーム」などでヒューゴ賞・ネヴュラ賞を複数回同時受賞した著名なサイファイ作家であるが、宗教的信条からか、かねてからゲイ嫌いを公然と表明している(最近では主張を一部修正)。そのためあちらではリベラル方面から差別主義者のレッテルを貼られているようだ(とあちらの映画評にそのまま書いているレヴュアーがいた)。

 (これは個人的推測だったが、リベラル偏重なあちらの映画レヴュアーが彼の原作映画に高評価を与えることは決してないのだろうと思う。今みたらX-Menシリーズと大差ない結果であった。レヴュアーのバイアスが果たして評価に影響しているかどうか、実際自分で観て確かめることにする)

 Dragon Ageコミック一作目の原作に起用する作家を選ぶ権利がBioWareにあったかどうか不明だが、今やコンテンツのインクルーシヴィティ推進を表明する会社にとって、後知恵では迂闊な一手であったということになってしまう。作品自体がことさらメンションされなくなったのもそれが原因だろうか。また同時に、作家のほうは(DAOがすでにリリースされ、バイセクシャル・コンテンツが含まれていたにも関わらず)ゲームの中身をロクすっぽ確認せずに仕事を受けたのかと勘ぐってしまう。人気作家かつ宗教的指導者でもある多忙な人なので、仕事の受注は他人まかせにしちゃってたんだろうね。

2014年1月20日 (月)

RE: On the Toggle Solution

 ゲイダーさんのTumblr記事"On the Toggle Solution"に質問した匿名ファンの受難編。

 このブログでは、ひとつとんで前の記事への補足になっています。
 素人さんの文章をまじめに訳すのはあまりというか、基本やりたくないのですが、流れ上はしょることができないので仕方がない。 

 こちらを読む前から、質問者は「迂闊やなあ」と思ってましたが、案の定。ア・バオア・クーからの決死の脱出を試みるグワジン(注)のように、物凄い集中砲火を浴びてしまったようです。いい勉強になったのならいいが。

(注)これ、私の忌まわしき「脳内リアリティ」のひとつ。キシリアは間違いなくグワジンで脱出を試みたとずっと信じていたのだが、どうやらその頃グワジンは航行できる状態ではなかったようで、(何度観なおしても)本当はザンジバル。んー、脳内では絵コンテまでできてるんですが、というか彩色までされてアニメーションしているんだけど・・・。勘違いって怖いねえ。まったくついてこれない人ごめんなさい(全然そう思ってないけど)。

***

「私は不用意にも『トグル』について質問した匿名の者である。不愉快な話題に踏み込んでしまったのなら謝りたい(真剣に)。あなたの以前の記事で話題にもならなかったことに驚いたから、ロジカルだと思われることについて正直に尋ねただけであるのだが、突然次のようなコメントが届くようになった。「この匿名ユーザーをしばきたおしたい」とか、「ホモ嫌い」とあるものだけでも少なくとも二、三、それから「大人にならなくちゃならない間抜けなホモ嫌いのオタク」など。お前ら何がしたいんだ? 質問しただけじゃないか? 私が心の狭い者だと決めつけ、質問しただけなのに魔女のように火炙りにするつもりか? もしこの方法がうまく行かないと感じるなら、ファンの問題を他の方法で示すなりすればいいし、そうでなければ放っておいてくれないか?」(ファンの質問、読解可能なように修正済み)

 通常、私はひとたび答えたことに対して再度答えることはしないのだが、その種のレスがいかに君の気分を害しうるものだったかはわかる。だから、もう一度この話題について述べてみよう。 

 第一に、私個人は君の動機について何も深読みしていなかった。「トグル・ソリューション」は頻繁に持ちだされる提案であり、私の印象では提案する人々は一般的に良かれと思ってやっているようだ。愉快に感じていないファンを見てとって、(提案者自身にとっては)全ての者に望むものを与えることができると思われる提案をしようと試みている。それ以上良いことなんてあるのか? カンペキに意味が通っている。そしてそういう提案をする君の心が狭いなどとは思っていない。

 「ゲイ・トグル」自体に関して(君の提案の全部がそれではないが、多くの者たちが注目してきたものであることは間違いないのだ)、君に理解して欲しいことは、君が気分を宥めるべきだと考えているファンの者たちの性質についてだ。

 私の経験によれば、ゲイであるプレイヤーの中で、キャラクター・クリエーションの段階で自分の主人公キャラクター(PC)の性的嗜好を、異性との関係に陥ることがないように設定させてほしいと要求する者は多くはない。それは主としてストレートのプレイヤーが求めるものであって、同性との関係に陥ることのないようにしたいと望んでいる。まさしく、一部の者はそれをさらに超え、(私が冗談で言っているのではなく)「ノー・ホモ」オプションを付けることで、(ロマンスに関するものかどうかに係らず)ゲイに関する一切の事柄とゲーム内で遭遇しないで済むようにしろと要求しているのだ。

 であるから、君がその種の人たちといっしょくたにされて気落ちしているのはわからんでもないが(Tumblrの世界では、読んだものをこの上ないほど最悪の観点から解釈するのはよくある話だ)、君は同時に他の者たちの反応に対して、疑わしきは罰せずと考えて、大目に見る必要がある。BioWareはプレイヤーが不快に感じるかもしれない他の種類のコンテンツにフィルターを掛けるようなオプションは与えないのであるから、君の提案が特に価値があるともいえないのではないか。それは全てのプレイヤーが求めているようなものではなく、(すでに上述したように)ゲイ・コンテンツも(そしてその延長線上でゲイ・キャラクターも)一切存在しないほうが良いと思う者たちが求めているものなのだ。そう言えば、それを神経質(touchy)な話題と取る者がいてもおかしくないと思うよね? 

 だから、まず一度深呼吸してみてくれ。彼らは、君がそのトグルによって喜ばせようとしている人々について語っているのだし、最悪の場合、君の動機がその種の人々を喜ばせることにあるのではないかと疑っているのだ。 

 だって、それが問題ではないかね? そもそもそれこそは解決すべき問題なのか? 私が前の記事で指摘したようなトグルを実装する際の実務上の問題を無視するとして、全ての者がDA2の「全員バイセクシャル」なロマンス・オプションを好いているわけではないのは明らかだ。この点について以前長々と述べたことがあるが、すべての反論がどれもこれもホモ嫌いやバイ嫌いに安易に集約できてしまうわけではないにしても、それらの議論の多くにはその要素が間違いなく含まれているのが私が不快に感じる理由だ。その問題に手をうつとしたら、ゲームの内外でプレイヤーに(トグルによって)「オフにするオプション」(opt-out)を与えることでは少なくともない。ストーリーの途上において、ロマンスがゲームに導入される方法の中で示されるほうが良いはずだ。

 結局のところ、プレイヤーがどんな種類のストーリーを体験したいかについて我々に示してくれる手段を改良することが、いつであっても我々にとってのゴールだ。だからといって、プレイヤーの求める特定の要求仕様に基づくストーリーを手渡さなければならないことを意味するわけじゃない。それは我々が解決すべき問題じゃない。人々の反応を惹起する(triggering)すべての事柄について考慮すること、ファンが一般的には我々に対してもっとちゃんと創れと求めてはいるが、彼らの好みによって丸ごとフィルターで除去するなどとは求めていないことについて、同性のキャラクターから誘いを受けることが、その相手に「ノー・サンクス」と言えば二度とそのトピックスについて耳にしなくて済むにも係らず嫌でしょうがない人の苦境について考慮することは、多くの共感を集めるようなものでは決してないのだ。

*** 

 まず「以前のくだんの記事で触れられていない」は間違い。お読みいただければわかるが、しっかり触れられていて、かつ即座に打ち消されている。

 もちろん同情する余地はあって、(すでに私も書いたように)ロマンス嫌い、異性嫌いなら、単に趣味趣向で片づけられてもおかしくない。本人がそれでいいと言うなら(一般的には)誰もそれで恣意的に排除されたとか否定されたなどと思わないし、イヤな気持ちにならない。そこはまあ「自由」でしょう。ところがこれがゲイ嫌いになると、一転して「政治的に正しい」かどうかの問題に変質してしまう。質問者は迂闊というか、初心(うぶ)だったんでしょうね。

 ただし広い意味では、迂闊も初心も「無関心」ととらえられかねず、それは即座に「差別」の文脈に受けとめられてしまいかねない。ゲイダーさんがかつてそれこそ長々と書いていたように、「くだんの問題について無関心でいられる、気にしなくて済む特権」こそ、「差別する側」の問題である。

 だから、私もこの記事を無視することはできなかった。他にもやりたいことがあったのに一晩丸ごとこれだけで終わった。何とかして下さい。

On the Question of Romances

こちらもゲイダーさんのTumblrから。

*** 

「ロマンス抜きのゲームを創ろうと考えたことはないのでしょうか。私個人はBioWareのロマンスが大好きだし、とりわけBioWareは私の性的嗜好を表現できるゲームを創っている数少ない会社です。それでもこれまであなたのチームは、そのような定番をお仕舞いにしよう(breaking the norm)と考えたことはなかったのでしょうか?」(匿名のファン)

 ときにはそうしたくなるよ。

 DAIのロマンスが公表されたとき(それがリリースの前なのか後なのかはわからない)の様子は容易に想像することができる。自分の望むキャラクターとのロマンスがないことに失望した人々からの避けられない反応があり、中には、なんらかの策略があったが故に、当該ロマンスは自分たちの手から奪い去られたにちがいないと長々と苦情を言い募る人々がいるだろう。我々開発陣が意地悪であるが故に、あるいは我々が飽きてしまって、ファンの求める当該ロマンスにあまり興味を抱くことがなかったが故に、そのロマンスをファンから取り上げたのだ。そして我々がゲーム内で実現したロマンスは、ただとんでもなくひどいだけにとどまらず、ホモ嫌いで/バイ嫌いで/人種差別的で/小児性愛的で/などなどであり、一方ファンが求める件のロマンスのペアではそうではないのだ。

 そう、そんなとき、我々はどうしてこんな面倒にかかずらわなくちゃならないんだという話がチーム内であがってもおかしくないし、現にあがるだろう。ほとんどの部分においては、我々の書いたロマンスをとても愉しんでくれる沢山の人々がいるからわざわざやってるんだ、ということを思い出すのは難しくはない。そして怒りまで感じる人々がいるのであっても、それは情熱的なまでに気に掛けているからだろう。そしてまた我々がときには誤りを犯すこともあれば、次はもっと見事に仕上げることもできるからだろう。

 我々がそうした努力を一切捨て去ることを歓迎する一部のファンもいるだろう。一般的にそれはどのみち我々のゲームのその種のコンテンツを用いることのない人々であり、我々がロマンスを追求しなくなっても当然気にも留めないだろう。ロマンスが「ファンガール」のためだけのものであり、故に「真のゲーム」に対して劣位にあるとみなす者たちのことは無視しておく。

 私はBioWareが一番得意なのはストーリーではなくて、キャラクター創りだと思っている。私は、我々のキャラクターたちは、他のゲームがまず狙ったこともないような水準に到達していると考えていて、ファンの琴線に触れるようなエイジェンシーの要素を伴い・・・、そしてロマンスはそこから当然のように発展したものである。止めてしまうことはもちろん可能だが、それにより我々は他の誰もが手掛けていない分野に背を向けることになる。その場合の問いは「どうしてそんなことをする?」だろう。そしてそれを何で置き換えようとしているのか。

 その問いに答えることは可能だ。我々はかつてロマンスのないゲームもいくつか創ったし、またやることもできる。おそらく新IPを立ち上げるなら、ある種のパンドラの箱(すなわち、ロマンスは常にそうだった)は開けない方が良いと考え、別の何かに向かうべきだと決断するかもしれないが・・・、その「別の何か」は今よりおそろしく優れているものでなくちゃならない。なぜなら我々のゲームのロマンス部分を大いに楽しんでくれている多くの人々は、新シリーズにそのコンテンツがないと知れば遊ぶ気が起きないかもしれないからだ。そういう種類のファンをことさら熱心に切り捨てようとしている者たちもいるだろうが、BioWareが同じように感じているとは私は思えないのだ。

***  

 BioWareが得意なのはストーリーではなくキャラクター。一部は開発仲間に対するリップ・サーヴィスも含まれていると思います。ストーリーはあくまでライターが書き出すものが主体。リード・デザイナーはじめとした職責の者たちのダメ出しはあっても、基本はライターが手を動かさなければ出てこない(例外あり(注))。これがキャラクターとなると、ここでも何度も話題に出たように、ライター、アーティスト、シネマティック・デザイナーに限らず、あらゆるデザイナー部門の仕事の総決算ですからね。

(注)「例外あり」としたのは、主流ゲームの世界では、テキストやセリフではなく、環境でストーリーを伝える手法があるから。一言のセリフも一行のテキストもなくても、主人公が目にする光景を用いてそれをプレイヤーに伝えるのはある程度は可能。ただしシューティングやホラーなどのジャンルの、やはり予め脈絡がはっきり定められている限定的な場面で、かつ一人称(限定三人称)の場合に通用する程度ではありますが。 

 とは言え、上の文脈で言っているのは、何もコンバット・メカニズムやキャラクター固有のフィート(タレント)や武装などのことを話題にしているのではなく、あくまでも(プレイヤー)エイジェンシーをもたらすような、選択と決断に係る部分のことでしょう。それはやっぱ、シナリオ・ライターが捻りださなければならない分野であるわけです。

 そもそもBioWareほど、多数のインハウス(社内)ライターを常時雇用しているゲーム会社こそがレアなんですけどね。

 

On the Toggle Solution

(追加)
 下の記事は、文中にも書きましたが「そのネタ前回ゲイダーさんがもう答えてるじゃん」というファンの質問に答えるもので、それが故に訳していても気乗りしなかったのですが・・・。

 訳し終えてから、さっきTumblrを見たら、この質問をした匿名のファンに対する誹謗中傷で大変なことになってるらしい。そのファンの恨み節(ゲイダーさんに対するものではない)が載っており、ゲイダーさんが珍しくそれに丁寧にコメントしていた。流れ上、そちらも紹介せざるを得なくなり、私はさらにグッタリすることになった。そちらを紹介しないと私が恣意的に選別・操作していることになってしまう。この話題丸ごとやらないという手もあるが、他の同種の話題はやっているのに、なぜこれだけ外すと指摘されれば結局同じこと。

 これは私が踊りたい雨乞いの踊りと違うので、本当に勘弁してほしい。

 実はこの記事の匿名ファンの質問部分は当初バッサリ要約してしまっていたのだが、くだんのTumblrの記事の内容に鑑みてまじめにやり直さざるを得なくなってしまいました。

 次にアップする記事にはすでに訳してあった"On the Question of Romances"をあてておきます。上でいうゲイダーさんの返答はその次になる模様(他人事かよ)。

(追加終わり)

 ゲイダーさんのTumblrではロマンス・ネタはやっぱ一番盛り上がってしまうネタのひとつのようで、しかも今回はご本人がアイデア募集とやっちゃったものだから、きっとさぞ沢山のコメントが集まっていることでしょう。

 私としてはBioWareゲームに関するロマンス・ネタの(過剰な分量までの)多さには辟易する面もあるのですが、同時にそれらはプレイヤーが勝手に思い込んだ「自由」、というとてもおいしい、面白いネタでもあるんで無視はできません。

 次のやりとりは、こちらからすると「前回ゲイダーさんが答えたじゃん!」という論点のもの。どうしてちゃんと読まないんでしょうね、と思いつつ、「人間はたとえ目に映っていても、(見たく)読みたくないものは決して(見ない)読まない」ということも確かなのでしょう。リダンダント(冗長)だと思うのですがゲイダーさん真面目に答えています。

 「トグル」(toggle)はコンピューターの世界では当たり前ですが、日本語には成りきっていないのかな。元々は留め木、その小さな棒状の形を模したダッフルコートなどのボタン、そこから開閉(オン・オフ)を切り替えるスイッチの意味になった。(つうか「スイッチ」も日本語では今や元とは異なる意味になっちゃってますけどね)

 
*** 

「ロマンスの裏側のメカニズムが垣間見られること、あるいはBioWareゲームではそのロマンスが容易に手に入ってしまうこと(DA2のロマンス候補者が全員バイセクシャルであり、どちらの性別の主人公とも関係しうること)に誰もが問題を抱えているようだ。オプション・メニューにチェック・ボックスを用意して、好感度を目にしたくない、あるいはロマンスに関わり合いたくないのなら、プレイヤーはそれをオフにする。キャラクター創造の画面でプレイヤーの性的嗜好(sexuality)を選ばせ、それ以外は目に触れないようにする。そういう仕組みの実装は難しいのだろうか?」(匿名のファン)

 ああ、そうね、「トグル解決法」ね。

 もし否定的に聴こえたら許してくれ。それはBSNなどのフォーラムでこれまでもあまりに頻繁になされてきた提案なので、私などは目にすると思わずひるんでしまうのだ。それは本質的には、ファンの間で合意できないどんなデザイン上の問題であっても、全ての者にその望んでいるものを渡せばよいという発想だ。論争となっているあらゆる趣向について、オプション・メニューにオン・オフの選べるトグル・ボタンを用意すれば解決するって寸法だ。

 開発者の見地からはいくつか問題がある。第一に、ある趣向がオンオフされるかどうかに係らず、我々としてはゲームの全てのヴァージョンがまっとうにプレイできるように仕上げなければならず、故にテストしなければならないという点だ。変更を受けるメカニズムが基礎的なものであればあるほど、(ときには予期すらしなかった方法で)それが影響を及ぼす範囲は広がり、テストの必要も多くなる。我々は新しい変更点が機能するかどうかを確かめるだけではなく、プレイ体験にどのように影響を及ぼすかにも配慮する必要がある。

 別にこれはプレイヤーの手を縛ったり、そのゲームを決められたひとつの方法で体験するよう強要しているわけではなく、オプションを与えることにした我々のせいで、プレイヤーが知らないうちにあまりに異なる体験をしてしまうことを避けるためなのだ。プレイヤーが設定画面で何かのオプションをクリックする際には、特定の何かが起きることを期待しているわけだが、結果はそれと異なってしまう。我々はそうなることを避けるように配慮しなればならず、(オプション設定を持ち込まかった場合に)我々が創造し、後押ししようと狙っていたゲーム体験とできるだけうまく噛み合わせることができるように努めなければならない。

 結局のところ、我々がオプション・メニューに何かを投げ込んだら、次のように言ってその責任を逃れることはできないということだ。「ヘイ、それを選んだのは君だろう? 君のゲーム体験が変わってしまったのは我々のせいじゃないぜ」 だから我々は提供するオプションを慎重に選ぶのだ。

 それ以外のことについて言えば、いわゆる「ゲイ」トグルと呼ばれるコンテンツ・オプションなどの話になれば・・・、私の質問は「どうしてそんなことをする?」だ。我々はプレイヤーに、それ以外の種類のコンテンツをオフにする(de-select)ことは許していない。「暴力」トグル? 「奴隷制への言及」トグル? 「性的場面」のトグル? どうして「ゲイ」トグルだけ必要なんだい? それがプレイヤーの個人的な嗜好の設定だけを意味するのだとしても、我々はそれが改めて重要視しならないほど、際立ってまっとうな主張だとは思っていないし、そもそも「ゲイ」トグルをオフにすることは、プレイヤーがゲイのキャラクターと永久に出会わないことを意味するのだろうか? そんなふうに真に受けて解釈する人がいるなんて、まさか思っていないよね?

 自分自身の選択にプレイヤーがある程度は責任を持つべきであると私は思うし、それは不快に感じる可能性があるあらゆる事柄をフィルターがけして排除することを意味しない。少なくともどでかいM、マチュアの印がついたゲームの世界なのだから。我々は常に、プレイヤーのゲーム内における望みをかなえてあげたいという考えと、適切なリアクティヴィティを提供したいという考えとの、ふたつの考えの間の際どい狭間を注意深く歩くことになるのだが、だからといってストーリーのオプションをしょっぱなから排除するようなカスタマイズを許すことまではしないのだ。

 その手の発想が好きな人たちもいるのかもしれないが、彼らは純粋に空想理論上の理想的な意味でそう思っているのだと思う。実務上の話をするなら、これは決してどこにも行き着かない不毛な議論のウサギ穴なのだ。

*** 

(以下、すでに感想として書いてしまったもの。状況が変わったからといって書き換えるのもどうかと思うので、そのまま載せておきます)

 ここでも何度か紹介しているとおり、サブ・プロット、オプション・プロット、味付け(フレイヴァー)(ゲイダーさんはtertiary、カソリックでいう在俗会員、すなわち重要度三級のコンテンツとまで言っている)でしかないロマンスの扱い方についてファンからあんまりうるさいことを言われると、ゲイダーさんは「最初からロマンス一切抜きのゲーム」というオプションを行使したくなると言い出す。
 一方で、BioWareのRPGの評判の一部は、間違いなくロマンス・コンテンツに関するものである。
 元々中間階層のデザイナーであるライター陣にそんな権限はないだろうが、ロマンス抜きのDAやMEが近々実現する可能性はかなり低いでしょう。

 と書いてから覗いてみたら、次のゲイダーさんのTumblrがそのネタでした。そちらの紹介も次にやってみよう。

 RPGのロマンス。スシのワサビでしかないと考えるか、ワサビこそスシになくてはならないと考えるのか。

 私はワサビ抜きのスシはまず選びませんけど、ワサビ抜きを選ぶ人と一緒に食事をしていても何も感じない。たとえBioWare作品がロマンスありでも抜きでも別段どうこう感じない。「無差別」。そんなにイヤなら自分でそれを選ばなければいいだけなんですけどね。

 ロマンス嫌い・異性嫌いは、程度問題ですが一般には「差別」まではいかず、趣味嗜好の問題。女嫌いもアメリカン・ミソジニーの世界までいくと微妙、つうか一種の差別でしょうけどね。

 一方で「ゲイ・トグル」、ある嗜好(行動様式)の人物のことを、その嗜好(行動様式)を理由として最初から見たくもないから視界から消し去ってくれ、というのは「差別」かどうか。ユニヴァーサルな定義も定まっておらず線引きは難しいのですが、最低でも対象となる個人(集団)に対する除外行為や拒否行為を必ず含むとされる。そうであれば形式的には差別と考えていいのではないか。仮に差別であるとなると、少なくとも商業ゲームでは、プレイヤーの選択の自由に任せるというわけにはいかなくなる。差別推奨ゲームになるから。

 ここのところBioWareがロマンスを描くときは、異性同性間に関わる色々な性的嗜好を、それを理由にしょっぱなから排除することをしていない。「最初から描いてなければ、それは排除行為や拒否行為と同じである」という発想に基づくポリシー。それは私個人も頭ではわかりますが、なかなかピンとこないのは認めざるを得ません。

2014年1月18日 (土)

2014サイファイ・ウォッチリスト

 作っておいてすっかりアップするのを忘れていた、恒例?の今年のサイファイ映画リスト。US公開日基準なので、ほんとに2014年中に日本に来るかどうかわかりません(永久に来そうにないものは外したつもり)。
 あちらで2013年までに公開されたものが今年日本に来ることもありますが、それは除いた。

 imdbで検索するとわかりますが、サイファイ映画の制作パイプライン(ここでは2015年以降公開予定として制作されている・されようとしている作品群のこと)はかなりの数にのぼります。もちろんそこからさらに延期されるものも、ぽしゃるのもあるでしょう。それから既成作品のシークエルも多数ある。もう最近では「三部作」なんて言わない。売れる限りやる。超大作もいくつか並ぶ一方でインディも沢山混ざっている。

 やっぱ金になると思われてるんですかね。サイファイの90%はクズだから、中身の保証は一切ないが。

 以下、私の気になる映画、順不同。また今年もトムがんばってますよ(笑)。50になっても(だからか)バリバリ。

 例によってスーパー・ヒーローものは除く。
(何を言われようが"Robocop"はゼッタイ入れる。"Ghostbusters 3"は入れたかったが、またしても延期になっちゃったのかな)

The Hunger Games: Mockingjay - Part 1 (Francis Lawrence)

Transcendence(Wally Pfister、初監督作品)

Interstellar(Christopher Nolan)

Edge of Tomorrow(Doug Liman、Jumper(2008)、Fair Game(2010))

Jupiter Ascending (Wachowskis)

Divergent (Neil Burger, The Illusionist(2006), Limitless(2011))

I' Frankenstein(Stuart Beattie、Tomorrow, When the War Began(2010))

Robocop (José Padilha、Tropa de Elite(2007))

Godzilla(Gareth Edwards、Monsters(2010))

The Next Generation: Patlabor (Mamoru Oshii)

 きっと日本で公開されたら、ノーラン監督やウォシャウスキーズの金掛けまくった作品ではなく、スパイク・ジョーンズの手なりで撮っただけの"Her"(2013、日本は2014年6月公開予定)が大変な評判をとるに違いなく、私はとても腹立たしい気持ちになる予定なのです。こんなもんまでサイファイに入れなくてはならないのか。

 それと同じAIネタですが、"Transcendence"はシンギュラリティ(singularity)問題を敢えて「超越」と呼び換えている。シンギュラリティ問題とは、「人工知能がヒトの知能を上回ったら、その先その知能が何をするか、ヒトにわかるわけがないじゃないか」というジレンマ。

 この話題、きっとハリウッド映画では哲学的な味わいにはならないでしょうね。トレイラーを観てもそういう期待は持てそうにない。まあ普通に面白そうではあるけど。

 imdbのリストを見ると、この人工知能、シンギュラリティに関する作品が山ほど制作されている(または制作が予定されている)ことがわかる。映画業界では同じシナリオの企画を使いまわししているというのでそのせいでしょうか。

 下は、まず日本には来ないだろうけど、シノプシスを読んで気になったインディものです。

Flytrap

After the World Ended

 下は、題名だけで。受ける。

Minor League of Justice

 下は、工業デザイナーでもある監督の作品。トレイラーはスタイリッシュで、観てみたい気がするが、ま、きっと来ないんだろうなあ・・・。

Koyakatsi

2014年1月17日 (金)

The Wolverine

 これも書こうかどうか迷っていたが、流れでいってしまおう。

 先の産経新聞の記事で、クール・ジャパンは”The Last Samurai”(2003)、"Letters from Iwo Jima”(2006)"、マイケル・ベイの”Transformers”シリーズ(2007-)、”Speed Racer”(2008)、”47 Ronin”(2013)などに代表されるようなことが書いてあった。

 ニューヨーク特派員はあんまりお忙しすぎて、"Pacific Rim"(2013)や"The Wolverine"(2013)を観る暇がなかったのだろう。それとも新しすぎるからまだ評価が熟成されていないとでも思ったのかな(だったら”47 Ronin”がおかしいし、”Speed Racer”は普通は恥ずかしくて、あるいは吉田さんに顔向けできなくて挙げないよね)。”Transformers”を挙げる前に”Resident Evil”シリーズ(2002-)でしょうし。

 “The Wolverine”(2013)を観て。トウキョウ、オオサカ、ナガサキが舞台のあれ。多少ネタバレがあります。

 もともと”X-Men”(2000-)シリーズはあちらでそれほど評判のいいシリーズではない。Imdbのファン投票はネットに大きく偏っている点を考慮しなければならないが、そこで有利であるはずのコミック由来作品なのにだいたい7/10前後。プロのレヴュアーの場合はリベラリズム偏重、スノビズム、メディア資本の圧力などを考慮しなければならないが、Metacriticでも40/100あたりで、”The Wolverine”はそれぞれ6.8、43と際立って良くも悪くもない。X-Menシリーズ他の作品と比べて「無差別」と考えていいかもしれない。

 物語を無理矢理日本にこじつけたいのは、ザック・シュナイダー監督の”Sucker Punch”(2011、邦題:「エンジェルなんとか」)でもそうだったけど単なるフレーヴァーのつもりなのか、タランティーノ風押しかけ女房的悪趣味なのか。どういうことかわからないが、映画の評判には特段影響を及ぼしていない。

 言いたいことは、上述の「日本」は別段クール扱いでもなんでもなく、他の諸文化・サブカル同様、単にハリウッド/アメリカという文化の一大魔窟に呑みこまれただけ。昔はよく「人種のるつぼ」(るつぼは普通はmelting pot)と呼ばれていたが、なかなか融合しないので(というよりも多元文化主義的には融合してしまってはいけないので)「サラダボウル」(salad bowl)への「政治的に正しい」読み替え進行中。

 melting pot(チーズ・フォンデューとかのあれ)やsalad bowlだとなんとなくかわいらしいが、るつぼ(坩堝)は、本来金属を高温で融解して合金にする器具のcrucible。crucibleにはそれら金属用るつぼ、魔女の窯、地獄の煮え湯などのイメージで「厳しい試練」の意味もある。
 そのていで言えばsalad bowlもむしろ「ゴミ圧縮機」garbage pressのほうがいいんではないだろうか。環境にも優しいしね。

 "The Wolverine"について特筆すべきところは、予告編で散々やっていたシンカンセンの戦い(制作側はこの島国特有の自主規制でかなりご苦労されたようだが)くらい? オオサカのホテルでのネタはもう少し広げてもよかったと思うけど、テンポが損なわれるからカットされたかな。
 最後の最後のシーンで「この話は別にシリーズになくてもいいエピソード、外伝だから」ってわかるのもどうかねえ。

 ああ、またかよ、と思ったこと。

1.日本人の女はアメリカンの男を即座に好きになる。
2.日本人の女は日本人の男が家父長制的威厳を振りかざすのでキライである。
3.日本人の女との恋愛は一過性である。後腐れが一切なくすっきり。
4.日本人の男は皆ヤクザかチンピラである。
5.日本人の男は大事な時に裏切る。
6.日本人の男はバンザイ突撃、ハラキリ、カミカゼ特攻などを平気でする。

 他の項目は「日本人の」を別の人種に置き換えても成立する("Avatar"(2009)のように異星人でも成立する!)のでいいとして、5.と6.は日本人男性キャラクター特有。
 大昔からある日本人のステロタイプはやっぱり生き残っている。かつてBioWareゲームでも同じことをやられて(設定上日本人ではないが、日本語喋ってましたからね!)、ガッカリしたことがある。

 特に6.については「あーあ・・・」と嘆息することしきりでした。"The Wolverine"にも出演している真田(広之)さんが出演したサイファイ映画の名作でも似たようなことになって「やっぱりなあ」だったし。
 昔のハリウッド映画だと、千葉(ソニー、真一)ちゃんが最後になぜかゼロ戦に乗って特攻するんですよね("Aces: Iron Eagle III"(1992)、千葉ちゃんの役名はなんと「堀越」)。
 トム・クランシーの小説のあれでもそうだし。
 こうなるともう、共同幻想的な強烈なステロタイプのイメージがハリウッドを支配していることになる。

 どうにかならんもんですかね。

2014年1月16日 (木)

クール国家

 前記事のコメントにつなげると、後出しジャンケンみたいでバツが悪いが、これ最初から記事にしたかったものですのでご容赦。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140115/amr14011508200000-n1.htm

 だいぶネット文化、クール・ジャパンに迎合してしまって、昨今、「何がしたいのかわからん」とよく批判される産経新聞ですが、「儲かってないから何をしてもいいんだ」とか、それはともかく。記者個人の意見にはほぼ全面的にアグリー。

 お読みいただければいいだけですが、私が共感したのは次の部分。

***

 だが、稲田氏(注:稲田朋美行革担当相)の講演後、隣に座った(注:アメリカ人の)司会役が質問した。「政府が関与している時点で、『クール』とはいえないのでは?」。反権力・自由主義という文化の本質をこの司会役はよく理解している。 

***  

 まったくそのとおり。国家権力は「クール」の対極。ほっときゃ勝手に膨らむものを役人風情がしゃしゃり出てきて、角を矯めてなんとやら。クール国家はオクシモロン、形容矛盾だ。

 役人の介入を鼻で笑って退けた本邦自動車産業。唯々諾々と従ったかつての日の丸家電・半導体コンソーシアム。一体どうなったのでしょうか。宅急便(といったらヤマトですが、宅配便でもいいや)の展開に役所からどれだけひどい横やり入ったか、奥さん知ってます? クール宅急便(ちょっとミソつけちゃったけど)なんて、今だに実現していなかったかもしれないんですよ。

 「経済というよりも、外交という位置づけの方がクールジャパン戦略にとって座り心地は良いのではないか」という筆者の結論にもほぼアグリー。

 いっそ外交の武器として使って、大陸国へのコンテンツ輸出を遮断してはどうか。あと隠れた一大人気コンテンツのAVも。物凄い暴動起きるかもよ。

Oxford Comma

 このトピックスはなぜ可笑しいのか。ライティング・スタイルに関する説明が面倒だし、だからなんなんだと思われるかもしれない。置き去りにされても文句を言わないように。どのみち大した話題ではありません。

 ゲイダーさんのTumblrで、次のリンク先のThe Onionの記事を引用し、「BioWareでもライター陣とエディター陣の間で、去年もその前の年も、”s’”や“s’s”などの表記の正当性について揉めていたのでありうるなあ」というコメント。

 http://www.theonion.com/articles/4-copy-editors-killed-in-ongoing-ap-style-chicago,30806/

 The Onionの記事自体はこんな内容。
(まさかとは思いますが、The Onionに書いてあることはひとつも信じちゃダメですよ!)

「(ニューヨーク)警察当局によれば、The Associated Press StylebookとThe Chicago Manual Of Styleのふたつのライヴァル・ギャング間の抗争に伴い、さる金曜日、さらに四人の整理担当編集者(コピー・エディター)が殺害された。「お互いのアメリカ英語文法・表記ガイドラインの違いに端を発した争いが、このような血腥い悲惨な状況を生んでいる」と述べるFBIのスポークスマンは、anti-socialという落書きが、antisocialと修正されていたことを記者らに指摘した。このふたつに悪名高いMLA Handbookギャングを加えた三組織は、今年だけですでに63名以上の出版関係者を殺害したと宣言している。当局はさらに、シリアル・コンマ(serial comma)、別名オックスフォード・コンマ(Oxford comma)、のコンマのつけ方に関する長く続いている争いに巻き込まれた35歳の無辜の通行人男性が、自らを銃で撃った傷が元で死亡している事件についても言及した」

 笑い方も「クスッ」くらいですけど。ちなみにアメリカで主流のシリアル・コンマ(別名オックスフォード・コンマ)の表記法は”A, B, and/or C”と列記する際の接続詞の直前に挙げられた言葉の後にもコンマがつく。英国で主流なのは”A, B and/or C”。記事原文ではご丁寧にどちらの後にもコンマがついている。
“a long-winded dispute over use of the serial, or Oxford, comma”

 どちらの場合にも意味的に誤謬や曖昧さを招くケースがあるので、要は決め事である。

(追加)ゲイダーさんTumblr記事を読者がリブログしたものには、Oxford commaが必要だという意味で以下の例がイラスト入りで載っている。イラストはちょっとここに載せるのが憚られるので、見たければご自分でどうぞ。

 Oxford commaあり。
"We invited the strippers, JFK, and Stalin."

「私たちがパーティーに呼んだのは、ストリッパーたち、JFK、それにスターリンでした」

 少なくとも4名は呼んでいますね。 

 Oxford commaなし。
"We invited the strippers, JFK and Stalin."

「私たちがパーティーに呼んだのはふたりのストリッパーたち、JFKとスターリンでした」

 呼んだのはふたりのストリッパーだけですね。  

 逆にOxford commaが誤謬や曖昧さを招く場合もある。下は、ベティ―がメイドなのか、それともベティーではない人物がメイドとして一緒だったのか曖昧。Oxford commaを取り除けば、ベティー、メイド、コックの三人一緒だったことになる。

They went to Oregon with Betty, a maid, and a cook.

(追加終わり)

 アメリカンが「スタンダード・イングリッシュ」、「エスタブリッシュメントのイングリッシュ」というときはこうしたガイドラインに厳格に従っていなくてはならないのですが、それもいくつか分派があるというお話。MLAはthe Modern Language Associationの略。英語で記述するような試験を受けたり、論文など書きたいならこのような表記違いも少しは知っておいて損はありません。ちなみに私が教わったのは英国で主流の方なので、シリアル・コンマには多少違和感を抱くことがある。
 
 と、ようやく下準備が整ったので、本題の記事。

*** 

 BioWareはカナディアンの会社なのに、どうしてアメリカンのスペリングを使うのか?(ファンのコメント)

(ゲイダーさん)
 イングリッシュが合衆国発祥なので、アメリカンは違う綴りを見るとたちまち混乱してしまうからじゃないかな?

「みろよ、このゲーム、COLORの綴り間違えてやがんの!(笑)」

(まともな答えは、「知らないけど、いつもそうやってる。うちの国の下の方にはアメリカンが沢山いるからね。我々よりずっと多いんだし」)

 さらに、なんらかのローカリゼーションを施す考えはないのか?(同じファンのコメント)

 いつか、イングリッシュの違いによって異なるヴァーションのローカリゼーションが必要になるかもしれない。今の若者たちがスマホのテキストで用いている言葉がそれを指し示すのだと考えれば、それはそんなに遠い未来でもない。でも今現在で言えば、しない。

*** 

 数は力ですからねえ、覚者様。しかも多数決主義、民主主義、売れてなんぼの商業至上主義。カナディアンなんて陸続きで隣にいるから結構苦々しいことは感じているのでしょうね。アメリカンと間違われるとキレるカナディアンいるからね(今はブチきれる人多いだろうけど、かつて島国人は半島国人・大陸国人と間違えられても苦笑いするだけであったが)。

 「日本語の乱れがどうしたこうした」と騒ぐ国語審議会まがいの連中はそこら中に沢山います。「最近の日本人はこんな言葉も間違えている!」、「こんな言葉の意味も知らないなんて信じ難い!」、「ら抜き言葉が耐えられない!」、「カタカナ語が多すぎてけしからん!」、「最近の若者たちは敬語もまともに使えないざます!」って、「ざます」は丁寧語じゃないと思うけど。

 今にはじまったことではありません。乱れてるっていえばずーーーと長い間いっぱい乱れている。じゃなくて「紊れている」。間違っているといえばずっと昔から間違えている、じゃなくて「誤っている」。カタカナ語(外来語)云々言うなら漢字仮名混じり文を使うのを止めてください。昔の仮名遣(づか)ひを貫きたまへ。土台今使っている日本語なんて、漱石とか諭吉とか、あそこら辺の人たちが外来語を翻訳するために「発明」した言葉のオンパレードです。
 お、「紊乱」(びんらん、ぶんらん)もまた「超越」(ちょうえつ、ちょうおつ)、「存在」、「社会」などのように意味冗長な重ね言葉であることを今更ながら発見した。得した気分。

 「美しい日本語」というのもなんか違う。「日本語」は「日本語」ではないから(これはトートロジーでも矛盾でもないですよ!)。「うつくしきやまとことば」というなら上に書いたように漢字表記・読みをやめてください。

 余談だけど、日本語、じゃない、古いやまとのことばでは、「ら」行で言葉がはじまることはなかったんだって。あるとしたら外来語だそうだ。しりとりで「ら行」で苦労するのもうなづける(国語審議会的にはうなずけるだってさ)し、RとLでみんな一回は絶望するのも関係ありそうだし、じゃあ「ら抜き言葉」って意外に日本語、んーやまとことばの世界にあってるようにも見れるじゃんね。(ねえ、ちゃんと気がつきました?)

 私個人は「ヴァニティ」を公的には「バニティ」と表記しなくてはならないのが許せない。というのは半分冗談だが、そんなことより某新聞や公共放送はじめマスコミの過剰な「言葉狩り」をやめてほしい。国家側の何がしたいかわからない外来語の日本語化マニュアルや国語審議会風の過剰統制もやめてほしい。どちらもとてもうなずけない、じゃなくて、うなづけない。よっぽどそれらのほうが問題ではないだろうか。とはいえ入力用IMEまで統制されちゃってるから、私なんざきっと滅びゆく種族なんだけど。
 無論、ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい表現)は、あちらでも蔓延(蔓衍)しているんですけどね。

On the Gamey Nature of Relationships in Games(2)

 同名のTumblr記事でゲイダーさんが呼びかけたアイデア出しに対するファンのコメントと、ゲイダーさんの回答。

*** 

 「好感度スコアボード」を隠すことが「カーテンの裏の男」を隠すための小さな一歩で、故に人間関係をよりリアリスティックにするための小さな一歩になる。(ファンのコメント)

 良いコメントだ! 実は我々も折につけ議論してきた内容であるので、この点について説明させてもらおう。

 「プレイヤーへのフィードバック」(player feedback)はゲーム・デザイン上の課題のひとつであり、本質的には、プレイヤーの取った行動がゲーム内にもたらした影響について彼らに情報を与える必要性に関連している。プレイヤーが敵を攻撃したときにダメージを示す小さな数字やヘルスバーを示さないほうがよりリアリスティックではないか? もちろんそうだが、その場合にプレイヤーが自分の攻撃がどれだけ効果的だったか、今戦いの情勢はどうなっているかを知ることができるだろうか? 敵の状態や攻撃の効果を数字データーで示すまでもなく、事細かに精緻なやり方でヴィジュアル的に表現できるほどの能力が当該ゲームにあるのだろうか?

 好感度に関する問題も同じことだ。好感度が変化したことや、自分の現在の状況についての知識を欠いているのに、プレイヤーはその人間関係が進展していると判断するに十分な情報を手に入れることができるだろうか? 現実社会では別の方法によって手に入れるだろうソーシャル・キュー(social cues、社交関係を示す手掛かり)を別な方法でプレイヤーに与えることができるだろうか?

 以前、「闇の中のカード手品」というような話をしたことがあるが、プレイヤーが気がつかないリアクティヴィティ(プレイヤーの行為に伴うゲーム内の変化)であってもリアクティヴに違いはないという意味だ。何かが起きても、プレイヤーはそれを自分の以前の行為に結び付けてみる方法がなく、だから彼らの心の中では、それはリアクティヴィティでもなんでもない。そしてデザインとしても良いものではない。

 ベストなシナリオは、プレイヤーが自分の想像力により頼ることができるように特定のフィードバックを使えないようにするオプションを用意することである。いつもと同様に「どのプレイヤーの望むものでもなんでも与える」のは、実際には実現可能な選択肢ではない。我々が提供する結果の変化全てについて、ゲームプレイ上も通用することをテストしなければならないときには尚更そうである。だから我々はプレイヤーへのフィードバックを用いない方法より用いる方法に傾きがちであるのだが、これは常に議論すべき価値のある論点であるし、人間関係の問題に関する場合、プレイヤー・フィードバックは、現実の人々の間には存在しているソーシャル・キューや会話の広がりが欠如していることを補完するために存在しているのだ。

*** 
 ソーシャル・キュー。Wikipedia(en)によれば、会話上または社交関係上で、言語及び言語以外で肯定的または否定的感情(態度)を示す手掛かり(hint)。言語以外では、表情(facial expression)、声の調子(vocal tone)、身振り・仕草・立居振舞(body language)、姿勢・態度(body posture)、ゼスチャー・(身振り手振り)(qestures)、相手との距離・間合い(proximity)。

 訳語は「身振り」が二回出てくるとか、もちろんいい加減ですが、そんなに綺麗にわかれるはずがない。だいたい意味はおわかりですよね。日本語には「立居振舞」(たちいふるまい)という「身のこなし」を示すなかなか素晴らしい言葉がありますが、body languageでもbody postureでもどちらの意味にもなりそう。

 ここまでくるとフェイシャル、モデリング、モーション・キャプチャー、人工音声(リアリスティックな声の調子なんて声優さんにどれだけの回数吹き込ませても無理だろう)など、テクノロジーの話題になるので、私個人としてはちょっと興味が減退する。いつごろ「十分にリアリスティック」なキャラクターが実現するのか(「不気味の谷」を越えるのか)わからないし、そもそも実現すべきなのかどうか、その必要があるのかどうかもわからない。

 また当然ですが、これらの手掛かりは言語同様に文化的要因に大きく依存する。ハリウッド映画に散々さらされている日本人なら、だいたいの(アメリカンの)ボディ・ランゲージやゼスチャーの意味するところはなんとなくわかる(ものすごい誤解をしているケースもある)が、自分で使ったりはまずしない。つうか「肩をすくめる」、「額を叩く」、「親指をたてる、下げる」、「中指を(よしなさいって)」、「両手を顔の両脇にあげて人差し指と中指でクォーテーション・マーク(”  ”)を表現する」、なんて多用するのはイヤな奴ですよね。似合わないレイバンのサングラスをかけて調子に乗っている人くらいイヤ。

 ちなみに「中指」はアメリカン以外だと「片方の肘の内側をもう一方の手のひらで叩く瞬間にその肘を自分の身体に向けて素早く折り曲げる」なんて、こんな簡単な動作を言葉で説明するのもイヤになるけど、そういう動作で示すことがあるようだ。日本では違う意味(バッキンバッキン?)だけど、どのみち人前でやってはいけない。

 JRPGのキャラクターの仕草に対する違和感も以前はあちらでだいぶ批判されていた。海外で売ることを前提にしていた時代の作品であるはずのFFXも、FFXHDなどプレイしていると「これ通じんのかなあ」という例も散見される。「ペルソナ」やら「何とかの軌跡」なんかの、あまり最初からあちらで売るつもりでもなさげなJRPGキャラクターの仕草には相当ドメスティックなものがありますよね。そういう作品に登場する「お弁当箱」までなんとあちらの一部で受けてるそうだから、それらもぜんぜん「違うもの、異質な文化」として認知されたのかな。(ただしFFXIIIのヴァニラちゃんはあちらではまったく受け入れられなかったそうだが、日本でもあんまり受け入れられなかったようなので、おあいこ)

 間合い(proximity)を見てもまるで違う。ニューズウィーク誌日本語版のアメリカンのコラムニストがよく書いている。「トウキョウは狭い空間を万遍なく共有する」文化だが、彼にはそれが頭ではわかっていても、ときとして苦痛や困惑の種であるそうだ。これは平均的日本人よりも間合いを多く取りたがる私なんかわりとわかりやすい意見。また彼が書いているように、そうであるにも関わらずトウキョウでは人前で抱きついたり身体を寄せ合ったりすることはあまり見かけない。「親密さ」をしめす間合いもやはり異なる。あちらのストーカー裁判や親権裁判ではよく「誰それは誰それの半径何フィート以内に近づいてはならない」という判決が出るが、フィートやヤードどころか、「何マイル」などのとんでもない判決もある。他人に進入されると不快に感じる空間、パーソナル・スペース(personal-space)は個人の性格や対象によって変わるのはともかく、文化、民族によっても大きく左右されるそうである。

 ゲイダーさんのAsunderを訳していて、ソーシャル・キューに関する場面でいちいち違和感を抱くことは少なかったのですが、登場人物がびびるシーンで決まって「眉毛が汗で濡れる、眉毛から汗がしたたる」ってあるのは違うなあ、と思ってました。日本人は普通そんな冷や汗・脂汗のかき方をしないですよね。そういう汗のように自律的なものではない(生理的?)なものでもソーシャル・キューには違いないと思いますが。

 FFXHDをプレイしていてようやく気がつきましたが、隠し好感度があるんですね。ゲーム全体ではその影響が比較的軽微なので知らなくてもゲームクリアには困らないが、異なる展開になる。JRPGは「ゲームへの影響は比較的軽微だが、隠しファクターがやたら多い」と言えるかもしれない。

 文中にある、攻撃のダメージ度合を数値データーを用いずに示すのも、実はすでに一部和製ゲームで実現しているようにも思えます。もちろん「このバトルはきっと一分以内におわるから・・・」、「このシリーズのゲームだからきっとボスバトルは30分以上は続くかな」なんてメタ的に推量してしまうのは避けられないけど。

 いずれも目指せ販売500万本、いたいけな「カジュアル」にどう売り込むかで苦心惨憺しているあちらのメガ・パブリッシャー系ゲームの悩みではありますけどね。ガラパゴス列島のコアゲーマーだけ相手にするつもりなら必要のない悩みかもしれない。ああ、これでは「カジュアル」には(目に見えたものを補完する)想像力が足りないという意味にとられてしまうか。まあねえ・・・。(否定せんのかい)

2014年1月15日 (水)

On the Gamey Nature of Relationships in Games

 ゲイダーさんTumblr。

*** 

 ゲームの中の人間関係は、現在の融通のきかないみたいな状態から進歩すると思いますか?最近のゲーム内のロマンスは、このセリフを選び、こっちの行動を選ぶなどの正しい選択をすることによって進展するようです。現実の人間関係はもっとずっと複雑です。そのような複雑さをゲームにもっと持ち込むことはできないのでしょうか。ライターだけではなくプログラマーにとっても面倒なことはわかります。どのようにお考えか教えてください。(ファンの質問)

(ゲイダーさん) 

 つまり、こういうことだよ。 

 ゲーム内の人間関係(ここでいう人間関係は予め決められた主人公による予め決められたストーリーではないものだ)は、もともとゲームぽい(gamey)ものにならざるを得ず、その理由は・・・、うーん、だってゲームの文脈の中にあるからだよね。そう、現実の人間関係はずっと複雑だ。でもここは現実じゃない。他のどんなプロットとも同じようにプロットのひとつであり、プログレッション(進行)とエイジェンシー(行為者性)が必要で、故にその両方をうまく回すメカニズムもまた必要なんだ。

(訳注:この「プログレッション」は、まあ、RPGでいう経験値による「成長」と似たようなものと考えればいいでしょう。「エイジェンシー」はもう何度も注釈していますが、プレイヤー・エイジェンシーのことで、プレイヤー自身が自分で何かを決めた(決められる)、やり遂げた(やり遂げられる)という感覚(実は幻想)を抱くこと) 

 BioWareのロマンスについて「コインを入れれば恋愛関係が出てくる」と揶揄しているヴィデオを観た記憶があるが、私の反応は、「そうだよ、だから?」だったよ。だってそれがゲームだから。「コイン」は費やす時間と努力を表し、プレイヤーがどのコンテンツを一番面白く感じ、どのように進行させたいと思うかを我々に知らせてくれる手段であり、「好感度」とか「経験値」などの進行メカニズムによって表現される。カーテンの裏側にいる男に気が付いて、彼がどのような仕組みで動かしているかわかってしまえば、それはゲームぽいように見えるだろうし・・・、なぜなら現にそうだからだ。ゲーム内の全ての事柄はそうであるし、そうでなくちゃいけない。

 それが仕方ないとしても、より多くの変化および/または障害を導入することによって人間関係をより複雑にすることはできるのか? 可能だが、そのためにはより多くのコンテンツを必要とするし、それらをゲーム内にうまく当てはめるためのメカニズムが一切不要になるわけではまったくないのだが、そのメカニズムこそがゲームぽくなる原因なんだ。

 だからより複雑にしたからといって、より「生々しく」(lifelike)なるとは限らず・・・、究極的にデザイナーは、そのコンテンツが本当は何を実現しようとしているのか自問しなくてはならなくなる。我々は「生々しい」人間関係を提示しようとしているのか? それともプレイヤーが興味を持てば進んでいってくれるストーリー・アークを提供しようとしているのか?

 我々にとって実現したいのは後者だ。それらロマンスのプロットに対して、他のゲーム内プロットのようにより多くの障害、より多様な結末を持たせることはできなくはないが、すでに述べたようにより多くのコンテンツを要し、ゲームの他の部分用に取っておいたはずのコンテンツの分量(我々の用語ではバジェット(予算))がロマンスのために圧迫されてしまう。ところが我々は、重要性の面でロマンスに脇役以上の役割を持たせようと思ったことは決してないのだ。 

 必要とするコンテンツが手に負えないくらい増加することがなく、そのコンテンツを実際にゲーム内にうまく当て込めなければならないという事実を無視することもなく、うまく行く方法というものに出会ったことはまだないのだが・・・、もし誰か提案があれば、せひ聞きたいと思う。「もっとちゃんとして欲しい」なんて意見の変化形でもなければ喜んで聞きたいと思っている。そういう意見も面白いといえばそうだが、実務的見地からは何の価値もないわけだから。

*** 

 今回のキモはトートロジー(tautology)ですね(笑)。

「ゲームはゲーミー(ゲームぽい)に決まってるよ。なぜなら、うーんと、ゲームだから」

 ゲイダーさんに限らずあちらの人は、トートロジーを言うときは、お約束として一回必ず言いよどむようです。 

 論理学でいうトートロジーとは、真理条件がゼロの命題、必ず「真」になる。だからことさら述べる意味はない。

 トートロジーという用語は「同語反復」などと訳される。あまりうまい訳とは思えないが。

 ちょうどMass Effectシリーズに例があった。モルディンの歌。

「僕は生物学の中の遺伝学に長けている、だって僕は専門家だから、ってトートロジーだね!」

"I am the very model of a scientist salarian - I've studied species Turian, Asari and Batarian - I'm quite good at genetics as a subset of biology - because I am an expert which I know is a tautology! My xenoscience studies range from urban to agrarian - I am the very model of a scientist salarian! "(ヴィデオゲーム"Mass Effect 2"(2010))

 「冗語」と訳される場合があるが、これはリダンダンシーでトートロジーに限らない。リダンダンシーはこんなの。

 「バッファローで自殺する」、アメリカのバッファローはもともと何にもない絶望の街。

「いつもいっそ死ぬ方法を見つけたいと思っていたんですが、バッファローで自殺するなんて、ちょっとくどいなって気がついたんです」

"I would always try to find ways to kill myself, but then I realized to commit suicide in Buffalo is redundant. "(映画"A Chorus Line"(1985))

 必ず「偽」になる命題は「矛盾」。

 オクシモロン(oxymoron)は矛盾した形容。「形容矛盾」とか「撞着技法」とか呼ばれることがある。

 「小さな巨人」か「優しい悪魔」とかが例にあがるが、そんな生易しいもんじゃない。次の英語のリストがすごい。 

http://www.oxymoronlist.com/

 adult children「おとなの子供」は、まあそうねえ、と思うけど、次がadult male(笑)。「おとなの男」。

 私が好きだったのは、Microsoft Works(笑)。

 映画の引用でまとめるとすると、これかな。 

 「中央情報局? その名前、矛盾してるよな」

"Central Intelligence Agency... Now, there's a contradiction in terms."

 映画"The Hunt for Red October"(1990)

 

 「情報は現場にしかない」という強烈な皮肉ですが、今やNSA、National Security Agencyも「国家安全保障を脅かす役所」になっちゃった。

 失礼、ゲイダーさんの呼びかけに答えた人がいたらしく、また新しいTumblr記事が増えているようだ。それは後ほど。

BioWare New IP ワイルド・ゲス(3)

 ようやく本題に向かう(はず)。

 BioWareの新IPはどのようなものか、当てずっぽう(ワイルドゲス)をやってみようという趣向。IPとは「インテレクチャル・プロパティ」、知的財産(権)のことですが、ここでは単に「フランチャイズ」、日本語では「シリーズ」、「タイトル」とかそういう程度の意味。

 まずこの新IPは「PC、XOne/PS4向けAAAタイトルのソロプレイを主体としたRPGである」という前提を置いてしまいます。

 理由:そうでないと私自身の興味が湧かないから。

 プラットフォームと開発規模に関しては間違いないと思います。iOSやAndroid向けだったらなにもケーシーのチームがやる必要はなく、今までどおり外注するでしょうし。コンソールも新世代向けと考えていいと思います。

 マルチプレイヤーについては、もちろんME3のように付録としてつくことは当然ありうるし、むしろ全てのプラットフォームを制覇するというEAのポリシーからみたら、当然なんらかのマルチプレイ・ソーシャル部分がくっついてくると考えたほうが確からしい。「主体とした」まで言わなくても「ソロプレイ・キャンペーンがある」くらいでもいいかな。

 次に、一体どこまでが「RPG」に含まれるのかというのは即座に不毛になってしまう議論ですが、例えば到底RPGとは呼ばれないシューターのBFシリーズ、パズルのPortalシリーズはRPG臭が少ない(むろんゼロではない)、ステルス・アクションのMGSシリーズはRPG臭いというように周縁部分を線引きするしかないでしょう(それですら個々人で意見が異なるので収拾はつかないと思うのですが)。

 「すべてのヴィデオ・ゲームはシミュレーション、すなわちロールプレイである!」という正論を吐かれてしまうと身も蓋もないのですが、買い手は実はそうは思っていないわけで、ある程度緩い定義をする意義はあると思います。

 前提はそんなところ。あ、あとやっぱ狙うマーケットは欧米ですね。頑張っても10万本くらいしか売れないガラパゴス列島は視野に入っていない。

 それで考えてみましょうと言っても、実はほとんど答えが絞られていると考えることも可能なので、悪あがきともいえてしまうのですが。

 以下、とても単純な考え。

 根拠はMass Effectシリーズのエグゼクティヴ・プロデューサーであるケーシー・ハドソン(Casey Hudson)のTwitter。
(Twitterに関しては、あれもこれも適当にフォローしまくっていると大変なことになってしまうので、本当に絞りに絞っていた。そのためケーシーのつぶやきをなめて読むのは実は初めて。大事なこと以外ほとんどツイートしないとても男前な人であることがわかった)。

“Most of our core team that worked on SWKOTOR has been together throughout the Mass Effect series, and now our new IP project.”

「SWKOTOR(Star Wars: Knights of the Old Republic)に過去携わったメンバーのほとんどがMass Effectシリーズを手掛け、今また新IPゲームのプロジェクトに移行することになる」(2013・7・15)

 やっぱサイファイRPGか・・・。

 人によっては、新生Star Wars(すなわちルーカスではなくディズニー)のRPGだろうという人もいる。
 BioWareが開発したMMOのSWTOR(Star Wars The Old Republic)がWoWキラーになれず、サブスクライバー数もなかなか伸びず、早々にF2Pに移行してしまったので「羹に懲りて」の物言いをもち出す人もいるにはいるけど、Star Warsの新シリーズはあり得ますよね。
 問題は「Star Warsそのものは果たして新IPか」という疑問(当然ながらSWKOTORの三作目は候補に入らない)と、世界制覇をもくろむ悪の二大帝国EAとディズニーが組むことなんてあるのか、というあたり。

 サイファイかあ・・・、Mass Effectじゃ何がダメなんだろうか・・・。
 ここで終わってしまってもいいのだが。

 以下、込み入った考え。

 一般的に考えれば、DAが(ダーク)ファンタジー世界を舞台にしたRPG、MEがサイファイ銀河世界を舞台にしたRPG、いってしまえばふたつのRPG「王道」路線だと言えます。
 ここに新IPを投入しようというのですから、棲み分け、少なくとも縄張りは考えるはず。 

 ジャンルで考えてみるのが妥当でしょうか。具体的作品は膨大なので、(果たして正しいかどうかは問わずに)Wikipedia(en)を参照して、ここ数年くらいのAAA(及びそれに準ずる)タイトルっぽいものから挙げてみました(2008~2013)。シリーズもの(シークエル・プリクエル)は特に断らずにシリーズ名、代表作のみ記載。

 「ジャンル」の定義もかなり諸説が出そう。背景となる世界観で分けてしまうと、ファンタジー(ハイ/ダーク)、サイファイ、リアル(現代)、レトロ(近代)、スチームパンク、ニアフューチャー(近未来)くらいでカヴァーできちゃうし、これですらいくつかの軸が混乱している。リアルのダーク・ファンタジーはあり得ます(ハリポタ)し、リアル(あるいはレトロ)のサイファイ(バック・トゥー・ザ・フューチャー)もある。ファンタジーにサイファイやスチーム・パンク(さらには学園もの!)を持ち込むのはファイナル・ファンタジー・シリーズのお家芸で、ニアフューチャー・サイバーパンクならRPGではないが臭いが強いBorderlandsシリーズとか。

 正しさよりも面白さを狙って、ごちゃごちゃな軸でやってみましょう。
 ( )はとてもAAAタイトルとは呼べそうもないもの。人口密度を表すために載せてみました。

一枠:ファンタジー
 Dragon Age、TES:Skyrim、Diablo、Final Fantasy、Fable、The Witcher、Dragon Quest、(Dragon’s Dogma、Sacred、Tales of Destiny、Divinity、Risen、Kingdom Hearts、White Knight、DrakenSang、Super Mario RPG、Last Remnant)

二枠:サイファイ(スペース・オペラ)
 Mass Effect(Phantasy Star、Xenogears、Xenoblade、Space Ranger)

三枠:サイファイ(スチーム/サイバー・パンク)
 **出走中止**

四枠:ニア・フューチャー(ポスト・アポカリプス)
 Fallout3、Fallout New Vegas(Shin Megami)

五枠:モダン・レトロ(現代・近代)
 (Chrono Trigger)

六枠:ステルス
 Alpha Protocol(The Last Story)

七枠:タクティクス/ダンジョン
 (Disgaea、Grimrock、Etrian Odyssey、Fire Emblem、Legend of Heroes、Pokémon、Valkyrie)

八枠:マルチプレイ・アクション
 (Monster Hunter)

 まあ、私も色々とつっこまれるのは覚悟の上ですが、自分としてもつっこみたいこともある。リストにはDeus ExやDark Soulsが入っていないのですね。あまり網羅的ではないし、それからやたらMac偏重だったりと、Wikipediaのダメなところも散見される。それもこちらで補完してやればいいだけですが。

 では馬券予想、当落予想、ではなくて勝手分析を。

一枠:ファンタジー
 列挙するのが嫌になるくらい過密、稠密ジャンル。Dark Soulsは当然ここに入れるべき。それを含めて作品あたり百万本以上の売り上げが期待されるものだけで十シリーズは下らない。Dragon’s Dogmaなどの準AAAで漏れているものがありそうだし、インディなど予備軍まで入れたらまだまだありそう。そういえばTwo Worldsも抜けているな。Kingdom of Alamurはカート・シリングに敬意を表して、というか武士の情けでやめとこう。

二枠:サイファイ(スペース・オペラ)
 Mass Effect独占区。
 Star Warsなどスぺオペ映画とのタイアップ作品は専らアクション・ジャンル(Force Unleashedなど)に向かい、開発の面倒なRPGはMMOを除くと最近はほとんどない(最も売れているLEGOシリーズはアドヴェンチャーとみなして除く・・・)。

三枠:サイファイ(スチーム/サイバー・パンク)
 意外にも「該当なし」という穴場。そんなはずはないと色々見てみたが、Dishonored、BioShockなど他ジャンルに作品があるので勘違いしていたということでしょうか。
 Fallout 3とNew Vegasがここを埋めているとみることもできそうだが、Chrono Triggerも見方によってはここ。時代を遡ればもちろん色々出てくるのですが、旬は過ぎましたかね。そういえば最近、ウィリアム・ギブソンって今なにやってんのかなあ、と調べてみたら、あんまりなんにもやってなかった。時代の寵児、一世風靡。

四枠:ニア・フューチャー(ポスト・アポカリプス)
 破滅もの、終末もの。他のジャンルではResident Evil、Borderlands、The Last of Usなどなど、他にも沢山目白押しですが、RPGジャンルはFalloutの後光が眩しすぎて誰も近づかないのか。いや、後光ではなくて熱核爆弾による汚染か。
 ここでいう破滅は熱核爆弾、生物・化学兵器やその人体実験など人類自身の愚かさの結果として起きる破滅を指し 異星からの侵略と戦う場合はスぺオペに入れたほうがいいかもしれない。異星からの侵略によって地球が完全統治下におかれてどうしようもなくなるゲームなどアメリカンやカナディアンは作らないだろう。「銀魂」じゃないんだから。

五枠:モダン・レトロ(現代・近代)
 英語版は出ていて高評価なのにリストにはなぜかPersonaシリーズが入っていない。ここは本当に少ないですね。JRPGなら他にも学園ものを中心にバシバシ思いつきそうですが、あちらでは受けないという前提か。近代と言えばCthulhu(クトゥルフ)のRPGって最近なかったっけ。Call of Cthulhuは遥か大昔の作品か。Chrono Triggerがリストにあるのはリメイク版ですかね。ああ、DS版か。ファンタジーにしちゃってもいいんだけど、わかりやすいんで入れときました。

六枠:ステルス
 The Last Storyはプレイしていないので、レヴューを鵜呑みにしてここ。間違っていたらごめんなさい。Deus ExはRPGだと信じているのですが、凡作Alpha Protocolを含めてもそんくらいしかありません。RPGではないがMGSやSplinter Cell、Assassin's Creedなどがあるので飽和しているということでしょうか。特にRPGである必要もないのか。

七枠:タクティクス/ダンジョン
 まだまだいくらでも列挙できます。JRPGとそれを手本にしたインディもの数知れず。正直飽和状態だし、BioWareが手掛ける必要もない。Orge Battleが抜けているのは時代違い。

 何の気なしに調べたら、FFTのクリエーター(松野 泰己氏)がKickstarterで資金集めているそうな。

http://www.ign.com/articles/2014/01/14/ff-tactics-creator-launches-kickstarter-for-new-rpg

八枠:マルチプレイ・アクション 
 あちらではあまり受けないようだ。はたしてRPGかどうかって話もある。 

 他にもスーパーヒーロー、ホラー、ウェスタン、ヒストリカル、などなどジャンルはありそうですがニッチ過ぎてBioWareが参入するようなものではない。

 分析すると何か違う絵姿が見えないかと期待していたのですが、上の単純な答えを補強することになってしまった。
 やっぱ、サイファイ・ジャンルが完全に狙い目ですね。人口密度が薄いので共食い(カニバリズム)は起きないと考えていいのかもしれない。

 正統派ミリタリー・サイファイ・スぺオペのMass Effectとは趣向を変えてくるのでしょうが、それがどんな感じかは予想は難しい。消去法でしかないが、スチームパンクはすでに古い。Deus Exでやりきったとも思えないサイボーグ系もRPG以外のジャンルではかなり飽和状態。ステルスも混雑がひどい。ホラーはDeep SpaceやBioShockなどに任せとけばいい。

 なんだかんだで、Mass Effectとは味わいの違うスぺオペ風味の作品になるのではないだろうか。
 いっそSpace Ranger以上にオフビートでファンキーなサイファイ活劇をやってくれると嬉しいのだけど。密輸とか、脱走とか、詐欺とか、外交とか、裏切りとか。宇宙船サルヴェージなんかもいいなあ。とはいえMMOのEVEみたいにクソ真面目なかんじではなくて、銀河万(よろず)屋、何でも屋、「銀魂」以上にしみったれたやつ。いつもいつも銀河の破滅を阻止するのが愉しいわけでもないだろうし。

 

2014年1月14日 (火)

BioWare New IP ワイルド・ゲス(2)

 そういえば、DA2では主人公は「ヒューマンのみ」という設定が発表されたとき、ファンから怨嗟の大合唱があがりました。DAI主人公も開発サイドは当初ヒューマン一本と考えていた節がありますが、今ではクナリまで含めた四種族に広がった。
 DAOでは三種族から選ぶことができたので、DA2での「縮小再生産」に怒ったと考えるのが自然でしょうね。

 Mass Effectシリーズでその手の嘆き節が聴かれたことは寡聞にして知らない(なんでもくれくれ言うファンはいるだろうから、どこかで騒いでいたのかもしれない)。

(ME3マルチプレイでは、プレイヤーが操作するキャラクターは当初ヒューマンのみ選択可能だが、功績によるアンロックを通じて複数種族から選べるようになる。最後はヴォラスまで選べるそうだ。まったくプレイしていないので知らんけど)

 ME4(仮称)がDAOのように複数種族のオリジン(背景物語)を有する作品になるって考えたらどうなんだろう、そう書いてしまってから「ひょっとするとありそうかな」と思っちゃいました。
 リーパーズ撃退後の世界が舞台ならバッチリはまりそうですね。主要種族はボロボロになった自らの主星系に戻り、その主惑星で復興を進める立場にたつ。主人公は銀河文明社会の再建・復興者である。シェパードは軍人・戦士のロール・モデルだったけど、今度は大工・石工のイメージ。

 反論どうぞ。

1.「どの」エンディングのシークエルだよ? ファン(?)はあの中の「どの」エンディングも認めていない。さらに言えば「赤」でも「青」でも「緑」でもないNull値エンディング(エクステンデド・カットで導入されたリーパーズ勝利のエンディング)の場合どうすんだよ。BioWareが勝手に「正典」(カノン)を持ち込むのが許されないのはわかっているんだろうな。

 まあ、Null値エンディングを選んだプレイヤーはご愁傷様と切り捨てることにしても、「緑」は確かにきっついなあ。ぶっちゃけ不老不死でしょ? 物語として成り立たないよね(皆が不老不死なのに、どうして戦争でわざわざ死ぬのか。かなりのこじつけが必要)。ケーシーたちがME3以降のシークエルを予め計画していたのだとしたら、そこは考えなかったのかと真っ先につっこみたいところ。だからME4はシークエルではないという強烈な根拠にもなりうる。

 ME3のエンディングにあわせてME4の設定が(物語冒頭からはじまって全編)変わるなんてことはとてもできないという前提。一本の設定で、すべてのエンディングのその後として描かれるようにしなければならないと考える。その場合、「赤」と「青」のエンディングの辻褄合わせは、「緑」に比べれば遥かに楽ちんですね。

 「緑」の苦しい言い訳として思いつくのは範囲を限定してしまうこと。「最後の戦いに臨んだオーガニックとシンセティックのみ融合してシンセシス・ハイブリッドとなった。他は影響を受けなかった」とか? ロンドンの戦いに参加した兵士がハイブリッドに変わるシーンはあったので、「地球の戦いに参加していた者のみ」シンセシス・ハイブリッド。これならなんとかマネジャブルかな。ただし、どの場合でもシンセシス、それからシンセティック(ゲスの皆さん、とは数えないか)は、主人公オーガニックと二度と接触しないということにしないと成り立たない。「青」と矛盾するからね。

2.マス・リレーも使えなくなったのに、それぞれどうやって母星系まで戻るんだよ。FTLジャンプを繰り替えすってのはいかにも無理があるぞ!(タリが生き残っていたとしても、その旅でおばあちゃんになってしまう)。

 そこはそれサイファイご都合主義。例のなんとかいう未発見素粒子かなんかを手掛かりに、あるいはダーク・マターでもなんでも使ってマス・リレーなしでも星系間航行が「できちゃいました!」とかしちゃえばOK。この銀河にはウラシマ効果だってないんだからなんでも大通しだ。

3.シークエルなら、当然シェパード艦長やノルマンディ・クルーの偉業が「伝説」として語られるはず。ところが前作までの場合分けがあまりに多すぎるので、すべてをフォローするのは大変である。 

 いやそんなことをする必要はない。ノルマンディとシェパードの活躍は途中までハケット提督はじめアライアンス他の銀河連合軍がトレースしていたのですが、シェパードもアンダーソンもロンドンの戦いで消息を絶ってしまいました。ノルマンディ搭乗員についてもシタデル起動後に戦闘中行方不明(MIA)。
 シタデルがどうして起動して、何故に銀河諸種族が救われたのか、シェパードとノルマンディがそれにどのように寄与したのかは、まさに「神話」、「伝説」として後世の皆が好き勝手に語っているだけになるでしょう。  

 ご指摘のとおり、キャラクターの運命についての場合分けがあまりに多すぎるので、すべての主要人物を実際に登場させる(あるいは死んでいる場合は誰かにエピソードを語らせる)ことは難しいし、なによりファン・サーヴィスでしかない面もあるので冗長でしょう。各種族(とびぬけて長寿なアサリを除く)の世代が何度か変わったあたりに時代を設定する必要があると思います。100標準年後とかですかね。そのくらいの期間ではリーパーズに蹂躙されたどの惑星も復興はまだ途上のはず。

 個人的には、シリーズ通じてコンシステント・クルーであったジョーカーとリアラ(ME2ではわけあってサボりましたが)は、何らかの形で「真実」を伝える役目があると思う。ジョーカーは日記やヴィデオを残しているとか。リアラについては、まだその時点でぜんぜん生きているはず。たかだか200歳ちょいですからね。
 まことに残念なことに、(シンセティックまたはシンセシスとなった)EDIは全部のエンディングをひとつの設定で満足させるという条件に抵触するので登場させられません。「緑」エンディングは選択肢に含めることを避けるべきだったとつくづく思う(もちろんシークエルを出す気がないなら構わない)。

4.やめろ! すべては洗脳だったのだ! こんな話は最初から不毛だ! 

 まだ言っとんのかい。

 ということで、ME4がシークエルであることを希望する私にとっては、非常に厳しい状況にあることがわかります。バッサリ、実は「赤」が「正典」でした、とやっちゃえばいいのに、とまで思うのですが、その意味での「正典」が「緑」なんですよね・・・。

 いっそ、「緑」の世界でシークエルをやるのか。皆がシンセシスになっていて、長寿どころか、事故や戦闘でもない限り永久に死なないの。イモータル。とってもつまらなそうなので、避けてほしいなあ。

 そろそろ新IPの話題に移りたいのですが、またしても余談で力尽きました。下準備もあるので一旦終わり。

BioWare New IP ワイルド・ゲス

 ここのところDAIリリース延期恨み節ばかりやっていたので、Mass Effect方面の話がすっかり抜け落ちておりました。

 実は昨年のうちにME4(仮称)の開発風景が公開されていたようです。主としてBioWareスタジオにおけるMEチームの開発作業風景の写真ですが、開発者PCのディスプレイに映った画面をIGNエディターたちが分析したヴィデオがIGNサイトで閲覧可能です。下のリンク。

"Next Mass Effect Game Described As Fresh, But Familiar "

http://www.ign.com/articles/2013/12/20/next-mass-effect-game-described-as-fresh-but-familiar

 次はそのうちYoutubeで鑑賞できるヴィデオ部分。

"Mass Effect 4: Image Analysis "

http://www.youtube.com/watch?v=4Kx9AANJTOk

 ただしそこでは、ケーシーのかねての約束通りMass Effect銀河を舞台にした作品であるということがわかる程度。シェパード艦長のストーリー・アーク(リーパーズ襲来)以前のお話なのか(例えばテューリアンとのファースト・コンタクト戦争、バタリアンとのスキリアン・ヴァージをめぐる植民星紛争)、それともリーパーズ撃退後の銀河復興のお話なのかもわからない(上はStar Trekオリジナル・シリーズの時系列的なプリクエルであるEnterprise、シークエルであるStar Trek Next Generation他からの連想)。シェパード艦長の物語と同時進行、「外伝」扱いだとすると、リーパーズ撃退以上のクライマックスを用意することなどまずできないはずだから、ちょっとどうかと思います。

 IGNエディターによれば公開画像の画面にはテューリアン似のキャラクターなどが見えているそうで、(銀河航行可能レヴェルまで進化・進歩した有機生命体がリーパーズによって一掃される「収穫」サイクルでいうところの)異なる時代サイクルのお話ではなさそうだ。

 異なるサイクルにおいては、シェパード艦長のサイクルと同じようにアサリなどが銀河航行種族になる保証はなにもない。現に直前のサイクルで銀河を制覇していたのはプロシアンだったわけで、彼らがアップリフト(知性化)しなければアサリは数もまともに数えられない程度の知性のままだったかもしれない。ヒューマン、テューリアン、サラリアンなどで言えばそれぞれ(地球でいうところの)猿、鳥、両生類(サイクルを跨いで生き残ったプロシアンのジャヴィックはトカゲと間違えていたが)に似た状態のままだったのかもしれないし、それら同様アサリ独自で進化したとしても、アップリフトがなかったら全く別の方向に進んだかもしれない。

 そしてジャヴィック曰く、「このサイクルには眼がふたつしかない種族が多すぎる」。他のサイクルでは、左右対称ベース、酸素呼吸(あるいは酸素に害されない)、最大身長6フィート以内の、音声(言語)を介してコミュニケートする生物が知能の面で優越的になるかどうかわからないし、そもそも「視覚器官」に大きく頼る生命体かどうかもわからない(まあ、Mass Effectのようなヴィデオゲームでそれやっちゃうのは無理でしょうが)。

(余談)アサリのモデルはハッキリ明言されていなかった気がするが、退化した触手からみてタコなどの軟体動物だったのだろうか。そういうジョークはジョーカーがしつこく繰り返していたはずだが。ところがリーパーズ自体の形状・洗脳能力は、自らを生み出したリヴァイアサンと呼ばれるコウイカに似た(ただしとても巨大な)水棲種族のそれらを模している。アサリ・タコ起源説はこれと被っているのでどうかなと思うし、ハナ―もどうやら軟体動物がモデルのようだ。またアサリの生殖に関する特徴は地球上の「動物」の「生殖」とは異なっているのでオリジンは別なところにありそう。もしかしたら(ミトコンドリアのイメージで)共生(寄生)生物由来なのだろうか?

(余談の余談)ちなみに(リアル地球では)コウイカは軟体動物の中で最も知性が高い生物とされているそうだ。

 わざわざ断る必要もないくらい、ここまで全部「余談」の塊ですし、表題である新IPの話題の入口にすら到着しなかった・・・。

 登場人物の誰もガンやソードを振り回さない(振り回せない)、紛争解決に暴力を用いない(用いることのできない)、ハナー、エルコア、ヴォラスなどの種族が大活躍するヴィデオゲームは(シャレ以外で)作るはずがないし(ゲーム内には内輪のシャレでハナ―のスペクターが大活躍する映画がありましたし、BioWareはそれを題材にしたコミックまでリリースしましたが)、平均的プレイヤーと知性のレヴェルが変わらない(失礼)、ヴォーチャが主人公になることもありえない。
 結局はシェパード艦長のシリーズの遺産を引き継ぐことになりそうですね、というお話でありました。その物語の時点から見て将来のことが読者・観客に予めわかっている「プリクエル」はどうにも好きになれませんので、個人的には時系列的な「シークエル」を希望。一旦終わり。

2014年1月13日 (月)

BioWare New IP

 昨年末の記事を見落としていたので、かなり旧聞に属しますが、Mass EffectとSWTORのチームが新しいIPゲームを開発し、プレイアブルな状態であるとのこと。次のリンクはBioWareプロデューサー、ケーシー・ハドソンのTwitterに関するGameSpotの記事。

http://www.gamespot.com/articles/new-ip-from-kotor-mass-effect-team-at-bioware-already-playable/1100-6416828/

"Exciting times around the studio. Playable internal builds of the next Dragon Age, Mass Effect, and new IP. My task today: play 'em all!"

 「Dragon Age、Mass Effect、および新しいIPゲームの社内用プレイアブル・ビルドをプレイしたおすのが今日の自分の仕事だ」とのことで、私のPCで見ると日付は去る12月20日。Twitterの日付システムがどうなってるかよく知らないが、ケーシーのTwitterはマイク・ダラー氏がDAIの新情報をBioWare Blogに掲載した12月19日(現地)と同じ週に発信された(すなわち同日ではないと言う意味)との記載があるので、「現地時間」でしょう。

 新IPはともかく、Mass Effectの四作目も開発進行中とのことですので、私の雨乞いの踊りは今後次のような祈りを込めて踊ることになります。 

 DAIが、予定通り2014年秋ごろにリリースされる。

 Mass Effectの四作目が、2015年中にリリースされる。
 

 新IPゲームは(どんなものか一切不明ではあるが、MMO/MO、MPオンリーのゲームではないという前提で)2016年中にリリースされる。 

 DA4が、2017年ごろに・・・(もうええっちゅうの)

 

On Plots Returning as DLC(2)

 前回記事に凝りもせずつっこんでいる質問。前々記事にすでに書いたように、起きもしなかったことを起きたと信じ込んでいる人(その逆のケースもあり)には何を言ってもダメなんですが。

*****

 本編リリースからコンテンツがカットされることに関する唯一の不満は、有料デイワンDLCとするためにそのカットが「意図的に」行われることだ。 (匿名)

(ゲイダーさん)

 そんなことは起こらない。 

 そしてそれが起きたからといって、どうして大問題なのかもよくわからない。すでに述べたように本編ゲームが首尾一貫していて楽しく、クリア可能である限り、DLCの有無がそれにどんな影響を与えるというのだろう? 販売するゲームの内容が人々が支払うその価格に見合っているかどうか請け負うべきなのは我々なんだ。 

 おそらく「意図的なカット」という部分で君が間違えているのは、DLCが以前から計画されていると思っているところだ。ある時期になればDLCを開発することがわかるので、我々はそこからどのようなものにしようかと相談を始める。そのDLCを作成しないのであれば、そのコンテンツも決して開発されることはない。「いつ」開発されたものかという問題もない。そのコンテンツがDLCにならなかったなら、本編ゲームはずっと大きなものになっていたはずだという前提を置くことが誤っているのだ。開発予算はそのような仕組みにはなっていない。

 一方で「カット」される内容とは、オリジナルの開発期間では完成できなかったからカットされたに過ぎないのだ。そしてDLCはその内容を救うことができるかもしれないひとつの手段だ。最初から内容を「カット」することを前提としてゲームの企画を始めたりなどはしない。

 我々が開発工程を適当にごまかしてインチキ商売をやることに一部のファンが共感を抱いていないのと同じくらい、我々のほうは彼らの認識によるところの「完全な」ゲームと彼らの考えるそのあるべきコストについて共感を抱いていないのだろうね。それも別に構わない。開発コストは現に高騰し続けているのにも関わらず、ヴィデオゲームはインフレーションとは無関係であると考え、ゲーム・パブリッシャーたちが何をするにしても真っ先に考えているのは金儲け(monetize)だと見なす。ゲーム・メイカーが地下室で活動している清貧な芸術家たちの集まりであって欲しいと考えるファンにとっては、それが忌むべき言葉であるのだとしても、実際問題として金儲けなのだ。

 私個人はDLCの必要性に関して諸手をあげて賛同しているわけではない。私は一回こっきりで開発が完成して仕事がお仕舞いになるのが望みだが、DLCの必要性はわかっているし、追加コンテンツ(あるいはその手段がなければ永久に日の目を見ないコンテンツ)を希望する者たちへ提供する手段と見ることもできるわけで、何もファンたちが当然手に入れてしかるべきだと考えているものを、悪意を持ってその手から取り上げる手段なんかじゃないんだから。

***** 

 「自称ファン」の認識(perception)違いに関する記事の場合、ゲイダーさんの文章はいつにもまして皮肉に塗れ、複雑に込み入ってしまうので、こちらが読むのも辛いものがあるのですが・・・。 

 ゲーム本編と同時にリリースされる追加コンテンツ、デイワンDLC(day-one DLCs)という手法そのものを発明したのがBioWare/EAかどうか定かではないのですが、少なくとも耳目を集めるようになったのはDAOからだと言っていいと思います。

 やがて「怒れる消費者然としたファン」が煽動したヴィデオゲーム糾弾キャンペーンの矛先のひとつとして、デイワンDLCを継続していたDA2やME2/ME3に向かったわけです。

 BioWareがカナダの一スタジオのままであれば(地下室で開発している清貧な芸術家集団とみなされ)決してそういう羽目にはならなかったと思いますが、悪の大帝国EAと組んでしまったからやり玉にあげられる(しかもDLCがらみのアイデアの出どころはEAのマーケの要請なんでしょう、きっと)。
 一連の騒ぎは、EA憎けりゃデイワンDLCまで憎いというだけの話だと私は思っている。

 Bethesda/ZenimaxのOblivion、Skyrim、Fallout 3、Fallout New Vegasの粒ぞろいとはとても呼べないDLC群はあまり俎上に上がらない。それらがデイワンDLCではないからだけの理由じゃないと思います。Zenimaxは実態に反して「大企業」と思われていないからでしょう。スポークスマンを比べると、EAのCOOムーア氏とBethesdaのトッド・ハワード氏は、まさしくヒールとベビーフェイスに見えるのもあるだろうし。

 ゲイダーさんもDLC商法があまり好きそうじゃないのも当然でしょうね。BioWareの過去の例からして本編リリース後9か月間はDLC開発が続行するのだから、いい加減に休ませろということでしょうね。

 むろん、本編から「意図的に」切り出して、いたいけなユーザーから小銭を稼ごうとしていることが「明らかな」DLCも世の中に沢山あります。

 BioWare/EAのそれなりの労力をかけたストーリーDLCが、キャラクターの水着とかコスプレとか、なんだかどこが違うかわからない武器セットとか、適当に開発していればいいだけなのにクソ高いマップ・パックなどと同一視されるのはどうかと思う(DA2、ME3あたりは武器セットは確かにあったけど)。 

 「なんとかの軌跡」には追加コンテンツ・ドラマCDってのまでありますからね。ラジオドラマのように声優さんたちが集まってシナリオ読んでるだけ。

 もちろんそれも聴かなければ「カンペキ」な物語を知ったことにはなりません、と信者が煽動してイニシエイツ(新入信者)たちに豪華コレクターズ版を買うよう促してるんでしょうね。

 ん? ええ、買いましたよ。そうじゃなきゃこんなところで文句言えませんからね。
 つうか、たかがゲームの、しかもそんな程度の金額に目くじら立てて怒っている人たちの風情こそ、いとあわれ。

2014年1月12日 (日)

On Plots Returning as DLC

 続いてゲイダーさんのTumblrから。他にネタがないんだもん。

***** 

 とても優れたプロットが単にワード・バジェットのせいでカットされた場合、DLCで復活することはありうるのでしょうか。(ファンの質問)

 (ゲイダーさん)

 ありうる。DA2では、あるプロット・チェインを丸ごとカットしたが(コウタリの盗賊ギルドに関するもので、ほぼ全部ヴァリックに関連付けられていた)、常にいずれDLCで復活させたいと思っている。問題はどんな脈絡で持ち込むかによるのだ。PRC(post-release content、リリース後追加コンテンツ)にはアドオン(add-on、ゲームプレイの進行中にプレイできる可能性がある場合もあるが、ゲームをクリアした後でプレイできるようにデザインされている)とアドイン(add-in、ゲームそのもののコンテンツに追加される、つまり通常のゲームプレイの一環としてプレイされるもの)がある。

 アドインDLCの場合にはそうしたプロットを復活させるのは容易だが、これまでの我々のストーリーDLCのほとんどはアドオンだった。そちらの場合はプロットの大部分を意味が通じるように書き直すことを迫られ、それが故に効率性の面で疑問視されてしまう。一から書き直したほうがましなのではないかと考えはじめてしまうんだ。 

 いいかい、DA2の三つめのDLC用に長大なプロットが用意されていていたのだが、それはカットされてDA2のエキスパンションに盛り込まれるはずだったのだ。それからエキスパンションの開発がキャンセルされ、今度はDAIに持ち込まれることになった。もちろん、その二度ともカンペキな書き直しを迫られたが、アイデア自体は生き残っている。だからそう、ありうる。

 予算のせいでカットされながら、DLCとして復活した格好の実例はシェイルだろう。のっぴきならない理由があまりに多かったので主要開発工程の期間内に完成させるのが困難であったのだが、DAOが認証を取得するための期間中には解決可能なほどまで問題が減ったのだ((訳注:デイワン・DLCが)インチキ商売だと見なしている人も多いのだろうが、開発工程がどのような仕組みになっているのか理解していれば納得できるはずだ) 

 DLCとして持ち込むためだけにコンテンツの一部を切り出していると非難している人々もいるのだろう。だがその選択肢が許されなければもちろん、コンテンツはカットされて二度と日の目を見なくなる。DLC以前の時代にはその通りだったわけだが、それらを存在すらしていなかったものと見なして無視するほうが満足だと思う人たちもいるのだろう(「完全ゲーム」を手に入れるための追加購入という亡霊に怯える必要がないからね)。それはわかるが、オリジナルのゲームが首尾一貫していて楽しく(full and fun)、購入したままでクリア可能(completable as-purchased)である限り、共感するつもりはないけどね。

*****

 DLC問題については、マーケティングの要請上やむを得ないのでしょう。「いずれ有料になるものを無料で提供」という売り口上は有効だと考えられているのでしょう。どうせ無料でつけるなら本編に入れても一緒じゃねえか、なぜわざわざ開発コストをかけて切り出すのだ、インチキ商売っじゃねえか、という批判が出るわけですが。 

 BioWare/EAが特にそうだとは言わないが、「露骨に」ユーザーの小銭を取りに行くのは、どこでもやっていること。何度も書きましたがコンジューマー・サープラスを漏れなくいただくのがマーケティング・プロモーションの目的で、簡単に言えばお客様個々人のサイフ(バジェットですね)にあわせてお買い求めいただけるように価格・バンドリング・エディションはじめの販売政策を計画し、お客様のご予算がすっからかんになるまで金払わせろ、ビタ一文残させるな、生かして帰すな、ということです。「おもてなし」? 「まごころ」? バッカじゃなかろか。 

 ネットではアイテム課金がその究極に近い姿を実現しているわけですが、類型的にはトヨタ自動車だってパナソニックだってどこだってやっていること。たかが1000円くらいのDLCで年がら年中騒いでいる連中のオポチュニティ・コストがどんだけ安いのかって話でしょう。シューターの連中はバカ高いマップ・パックを文句も言わずいっぱい買っている。あんな箱庭にどんだけ開発コストかかんだよと思うけど、シューターの連中って金持ちが多いのかな。

 私はBioWare亡者なので、DLCがアドオンだろうがアドインだろうが、出れば無条件で全部買う。とは言え個人的には、DLCみたいにパラパラばらまかれるのは造りとしてはあんまし好きじゃない。PCぶっ壊れたときなんかの乗り換え、管理が面倒ですもんね。DAやME並の作品だと再現するまでに丸一日かかります。 

 そういう世界も、どでかい物理ディスクを後生大事に自宅に抱えていないと気が済まないこっちが古いってことになるんでしょう。以前も指摘いただいたように、MGSの分割リリースの世界は今後主流になるはずです。MMOではとっくにモジュール化が標準になっているわけですし、PS4もXOneもそういう思想じゃないのかな。ボトルネックはいまだにUS(EUもかな)のネットワーク環境だったりするんですよね。

 

 

Alistair Never Loved You

 ゲイダーさんのTumblrから。

 この表題の記事の一つ前のconfessionsの記事へのコメントから話題はつながっていますが、こんな感じ。

*****

(告白)

 DAOをウォーデン女子としてプレイすると、初の女子ウォーデンだといってめちゃくちゃ大騒ぎされるのだ。実際にはすでに三人も女子がいたというのにふざけている・・・。

(ゲイダーさん)

 間違いなく起きたはずだと思いこんでいることについて不平不満を述べているのを見ているのは愉しいものだ、実際にはゲーム内で決して起こっていないことなのにね。 

 あれもそうだ。アリスターは君のことを決して愛してはいなかった。

*****

 まず、過去に三人というのも疑わしくて、誤りを指摘する目的で数え上げるとDAOのDLCに登場する過去の時代のウォーデン・コマンダーであったソフィア・ドライデン。DA小説The Callingに登場しているのは少なくとも三人で、ジェネヴィーヴ(仏:ジュヌヴィエヴ)、ウーサ(DAOAで再登場)、フィオナ(小説Asunderで再登場)とこれだけで四人になってしまう。DA2のDLCに登場したジャネカもDAOウォーデン主人公より先輩にあたる可能性はある(確証はない)。

 DAWikiでちょっと調べればすぐわかるレヴェルです。ウォーデンのリクルート方針には性差別含め一切の差別はないので他にだっているはずなんだ。 

 だが、ゲイダーさんが笑っているのはそっちではない。

 初めての女子ウォーデンだといって大騒ぎされるシーンなどDAOのどこにもない。私も自分のプレイスルーでどこか見逃したのだろうかと思ったが、ゲイダーさんのコメントではっきりしました。もともとそんな場面はゲーム内にない。

 この手の脳内リアリティ。映画などの場合だと、自分で間違いなくあったと記憶していて、そのシーンの構図、俳優のセリフ回しまで覚えているつもりなのに、あとから何度観直してもそういうシーンがないという事態に出くわすことは私にもあります。「DVD/BDやテレビ上映時にカットしてんじゃねえよ!」と怒ったりするんですが、公式版でもそうなので完全にこちらの記憶違いなんでしょうきっと。

 その、おそらく誤った記憶のあまりの鮮明さに(コンテ再現できます)自分でも不気味になるし、面白いネタにもなりそうだけど、歴史問題なんてそういうことも含めて不毛な議論を重ねることになるわけで。「確かにあった(なかった)」と言い張ってる連中に何を言っても無駄だし、それにはどれだけ反証があってもダメ。戦争ムードを煽動しまくっていた某新聞だって同じ。もっと言えば何に対して「誤った」のかも本当は言えない。「記憶」は定義上は人々の脳内にしかないのだから、それが「正」でなぜ悪い。 

 そのように「過去」とはすべて「現在」のことなんですね(「未来」も「現在」のことであるのはお気づきか。ここら辺、英語など外国語の世界では大変重要なことなんで、私は忘れないようにしています)。過去形、未来形なんて言いますけど、すべて「現在」の人々が考えている「過去」または「未来」です。現在完了形なんてネーミングが悪いせいで英語に絶望する人が多いのかもしれないが、「現時点でとーっくに終わってしまっている過去」なんて意味だと思えばすんなりおわかりになるでしょう。それ以外の意味も同様に考えればわかります。「現時点からみたらとーっくの昔から始まっていること」など。

 さらに言えば、「未来」(まだ来ぬとき)はなんと「今までまだ到来していなかったという事態の続き」、すなわち「過去」の延長であるという話もある。対して「将来」(まさに来らんとするとき)は人々の「意志」が介入するとか。

 "will"は現在形だ、なんて主張する説もそれでわかりますね。「意志」の意味と「将来」の意味は一緒と思えばいい。人々がそうしたいから「将来」なのだ。

 もっとも、じゃあ「現在」って何ですかと問われると、とたんに哲学の世界に突入して私の手に負えなくなるのでやめときましょう。

(蛇足)

 お前はじゃあ、"It will rain tomorrow."と言うときは雨乞いでも踊るつもりか。だからブログ名がそうなっているのか。迷信に惑わされているのか。

 んー、きちんと思いつくことができないが雨乞いのときはそれとは違う表現になると思う。これは例えば天気予報なら「過去の経験からしてそうじゃねえかなあと思う、確からしい」、過去の延長としての統計的発想が含まれている現在の人々の予想、期待。漠然とした経験と勘で農家とか漁村の人が「降りそうだなあ」と考えるのも一緒。最初に"I'm certain"とか"I believe"とかが隠れている。つうか人々が「気にかけなければ」明日の天気なんてどうでもいいじゃないですか。雨に降られると嬉しいから、あるいは困るから予想するんでしょう。

  "Dragon Age: Inquisition will be released later this year."

 信じます。頼みます。祈ります。命賭けます。

*****

(ファンの質問)

 「アリスターは君のことを決して愛してはいなかった」というのは以前にも聞いたことがありますが、出所はどこでしょうか。内輪の冗談か何かでしょうか。意地悪な感じがするのですが。

(ゲイダーさん)

 そうそう、内輪の冗談と言っていいと思うよ。 

 DAOAには、ケイランとアノーラの結婚記念の品であるとの銘板が付いた古いスノーグローブが登場する。確かギフト用アイテムかな。 

 ともかく、あるファンがBSNにやって来て、この「アリスター」とアノーラの結婚記念のスノーグローブの存在が、主人公ウォーデンがアリスターと結婚したという自分が選んだ結末をいかに疎かにしているかについて激怒していたんだ。ゲームの中身がどうであれ、自分の唯一真なる恋愛はアリスターに捧げたものだ、などなど。大文字やらビックリマークやら怒りの言葉やら多用して書いていた。 

 私はそのファンの彼女にこう言ったんだ。そのスノーグローブの銘板をとても注意深く読めば、そこには実際には 「アリスターは君のことを決して愛してはいなかった」と書いてあるってね。 

 私のデスクの上には、とあるコンヴェンションでファンのひとりからいただいたスノーグローブが置いてあって、それにはそれとまったく同じ内容の銘板がついている。見ると笑っちゃうんだよね。

****** 

 おあとがよろしいようで。

 

 

2014年1月 9日 (木)

【DAI】コンセプト・アート(1月7日)(追記)

 前回コンセプト・アート(1月7日)で、「命再び生まれる」がチャントリーの教えではないのであれば、何の教えだろうと書いたのですが、すぐ後からリード・コンセプト・アーティストのマット・ロード氏のTumblrにこんな追記がありました。

(ええと言っちゃ悪いのですが、さすがにプロライターが書いた詩文(ヴァース)と、素人さんの書いたものではクオリティがまるで違います。話の流れ上訳しますが、こちらもかける気合いと時間が全然違っている(上の詩文の訳は一時間かかりました。下のは三十秒くらい)ので、ご了承ください。

 こちらはすでに訳しておいたDA公式Twitterの詩文。

「ここなるは底知れぬ淵、魂皆がらの井戸。緑玉色の水面(みなも)より、命再び生まれ出づ」
 “Here lies the abyss, the well of all souls. From these emerald waters doth life begin anew.”

 こちらは素人さん(だと思う)のファンブログTwitterで追加されているもの。

「そして偉大なるアーラサンが埋もれしところ、かの民ら闇に呑まれ、再び現れること能わず」
“And thus was mighty Arlathan cast down, its people swallowed by darkness-never to rise again.”

(以下、マット・ローズ氏コメント)
「コンセプト・アーティストの究極的な願いは、完成ゲーム内のアートが対応するコンセプト・アートを凌駕することにある。このイメージの場合は間違いなくそうなった。DAIがリリースされた暁には、ゲーム内ヴァージョンをご覧になった誰しもが、このイメージのほうが控えめで古臭く感じると思ってくれるだろう」

“The ultimate hope for a concept artist is for the final in-game art to surpass its concept art. That has definitely the case with this image. Come Inquisition’s release, I think everyone will agree that the in-game version makes this image look restrained and quaint.”

 残念ながら、アーラサン(エルフの古代都市)に関するコメントではありませんでしたが、このイメージを元にした場所がゲーム内に登場することは間違いないと思われます(これから先当該コンテンツがカットされる危惧がないからコメントしているはずなので、メインプロットに登場することになるのでしょうか)

 アーラサン(Arlathan)は、古の時代にヒューマン(テヴィンター)によって滅ぼされたセダス先住種族であるエルフ文明(Elvhenan)の首都。伝説によればテヴィンター・マジスターの強力な魔法により都市全体が大地の中に沈められたとされている。
 果たしてこのイメージがそれにあたるかどうかは不明ですが、かつてアーラサンが存在していたとされるアーラサン・フォレストはアンティヴァの北部にある森林地帯。DAIのテリトリーには入っていないと思われるのですが・・・。ここまでカヴァーするほどコンテンツを増やしたりしているのかな?
 どうなんでしょ。

The Palace Job

 新年早々ネタ日照りで、どんどん細かいネタを漁っていくことになりそうですが・・・。

 ゲイダーさんがDAIリリース後に新しいDA小説を手掛けるかどうかとTwitterで訊ねられて、「おそらくやらないだろう」”Doubt it. I think my days of writing Dragon Age novels are probably done.”と答えている。DAライター陣にMEチームから新しく加わったパトリック・ウィークス氏のDA小説”The Masked Empire”が四月にリリースされる予定であり、それ以外にも小説版が出る可能性は「ありそうだ」”It's possible. We'll have to wait and see.”。

 実はパトリックは、2012年に”The Palace Job”というファンタジー小説を上梓している。この作品はスコット・リンチ(Scott Lynch)の大盗賊/詐欺師ものファンタジー、Gentleman Bastardシリーズ(”The Republic of Thieves”など)に似ているようなことがAmazonのタグに書いてあります。スコット・リンチはあちらではかなり好評を博しているファンタジー作家で、R.R.マーティンもいたく称賛しているとか。上述のシリーズ原作一作目の小説(”The Lies of Locke Lamora”)は映画化も進行中のようです。かつて日本語訳(「ロック・ラモーラの優雅なたくらみ」)も出ていたようだが中古しか手に入らないようだ。ハヤカワのことだからあっさり絶版ですかね。そういうのもどしどし電子化してくんねえかなあ。マーティンの作品だって、TVドラマのおかげで翻訳者よってたかって新訳を出すことで復活することができたわけだし。

 で、ですね。
 DAIリリースを待つ間、中毒症状が出ないように”The Masked Empire”をぼちぼち紹介していこうと思っているのですが(正式日本語版が出るならもちろんやりません)、それには大きな不安がある。
 ゲイダー節についてはこれまでかなり付き合ってきて、筆の運びが何となくわかるようになってきましたが、パトリックについては個人的にまったく未知数。彼はスタンフォード大出身のバリバリの英文学士だ。Twitterなどを覗いていると言い回しもかなり小じゃれている(スノビッシュとまで言えるかも)。
 ということで、準備・訓練としてこの”The Palace Job ”を読まないといけないことになりそう。

 残念ながら、大のサイファイ小説好きだからといって同じくらいファンタジー小説が好きだとは限らないのです。両者はほんとに違うものですから(両方のファンがかなり被っているのは、「そういうものが全部好きな自分が好き」という人が多いからだと思う)。私の場合、ファンタジー小説への興味は、一般国民レヴェルよりは高いだろうが、まあほどほど。「ハリポタ」なんて一作目だけ原書で読んでみただけで、確かに面白かったけど、あとは映画で誤魔化した(小説まで読んだファンが映画には省略が多くて怒っている意味もだからわからない)。

(面白いことに、ヴィデオゲームだとこれが逆で、ファンタジーものにはあっさり手を出すのだが、サイファイものにはまず二の足を踏むんですね。サイファイもので素晴らしいゲームが限られているということも影響しているんでしょうけど)

 年末年始に観終わるべきだったGame of Thrones(Season 1)のBDも、あまりに寒々とした光景が続く前半部分で辟易して(真冬に観るべきじゃなかった)、まだ丁度半分終わったあたり。だから大河ファンタジーどころか、まだ物語は家族ゲーム、醜い骨肉の争いがはじまるあたりのレヴェルに留まっております。小説もドラマに対応させながら読んでいるので同じあたりまでしか進んでいません。

 とはいえファンタジー分野の中でも、大草原(大雪原)を大きな斧振りかざして長髪半裸のマッチョが駆け巡るようなものよりは、シティ・シーブズもの、都会の雑踏に紛れて暗躍する大盗賊もののほうが飽きがこないから好きであることは間違いなく、上述の作品は題名からしておそらくそれに近いであろうから(”The Bank Job”(2008)、”Inside Job”(2010)といったら、銀行強盗、内部の犯行(仕業)で銀行勤めや内勤の意味じゃないですね。”The Italian Job”(2003)もありました)まあ覗いてみようかあ・・・、と今覚悟を決めようとしているところです。手に入れると決まったらKindleで一瞬ですから。
(DA2のカークウォールなんて大盗賊ものの恰好の舞台なんですが、ゲームではその部分がすっぽり抜け落ちていたので当時はいたく失望してしまいました。「定番」を避けたってことなんだろうけど、一つぐらいあってもよかったのではないか。MotAの一部が比較的その世界をカヴァーしてますけどね)。

 やることだけどんどん増えていくんですよねえ。増やしてるの自分ですが。

2014年1月 8日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(1月7日)

 DAI公式コンセプト・アートがかなり増えているので、あとでカテゴリー”DAI: Concept Arts”を作成しておきます。

Abyss

「ここなるは底知れぬ淵、魂皆がらの井戸。緑玉色の水面(みなも)より、命再び生まれ出づ」

“Here lies the abyss, the well of all souls. From these emerald waters doth life begin anew.”

*** 

 おお、ついに湖沼が来ましたね!(笑) 森と泉に囲まれた遺跡。
 やっぱそうですよねえ。ファンタジーだからねえ。

 下に長々と書いていますが、何が言いたいかというと、死者の霊魂が現世に「再生する」(”Life does(dothは古語)begin anew.”)という発想はチャントリーの教えにはないということ。そこでは霊魂はヴェイルの彼方のフェイド、どこかメイカーのおわしますところに集う。

 (物語中での)最近の時代のエルフの葬送の儀も「フェイド送り」であるから、やはり違う。またクン(キュン)の教えに霊魂云々の話があるかというと、これはない。クンの教えはあくまでこの世の成り立ちを表す現世宗教であり、むしろ仏教的な、その中でも哲学的な部分の世界に近い(クナリは鬼神を語らず。神々(deities)の存在については一笑に付す)。

 であれば、上の詩文が伝えるのは古のエルフの教えなのでしょうか。それともチャントリー普及以前の(野蛮人時代の)ヒューマンの原始宗教なのでしょうか。

(以下、だらだらと根拠)

 チャントリ―の教えによれば、かつてすべての亡き魂(souls)は、メイカーがその定命(じょうみょう)の子ら(His mortal children、注)のためフェイドに創り給いしゴールデン・シティに呼び集められた。

 人の(テヴィンター・マジスターらの)愚かな侵犯により、ゴールデン・シティは腐敗と堕落に満ちたブラック・シティと化してしまう。定命の子らの行いに愛想を尽かされたメイカーはこの世界を離れていずこにかお隠れになった。

 それ以降、生前篤信であった亡き魂はメイカーそのお方の傍らに集うこととなり、そうでない者の魂は永久にオブリビオン(Oblivion、忘却界、ここではフェイドのこと)を彷徨うこととなった。

 それからはるか後に、メイカーの預言者にして妻でもあるとされる定命の子アンドラステが現れ、彼女曰く、メイカーから定命の子らに対するご容赦をいただくことに成功する。それを受けてメイカーはこの世界に一時帰還されるのだが、彼女が人々の裏切りによって処刑されると、再び愛想を尽かされてお隠れになった。

(注)チャントリーの教えでは「メイカーへの信仰を抱いている者ら」、すなわちヒューマノイド(エルフなどヒューマン以外も含むの意)のみ救済対象であると考えられます。犬猫など獣は除かれる(クリスチャニティが原罪を背負った人類しか救済しない、救済する必要がないと考えるのと一緒)。

 メイカーがお隠れになり、人の祈りをお聴き届けになられなくなったのは、決して人に対する罰ではない。チャントリーの教え、すなわち「チャント・オヴ・ライト」がセダス大陸の隅々まであまねく行きわたり、世界の至るところで詠唱され、メイカーの御耳にまで届くようになれば、メイカーは三度(みたび)帰還されて、この世界を楽園に変えるであろう、とカソリック教会、じゃないや、チャントリーは信じております。

 なお、魂を有しているのはこの世界(現世)の生き物のみである。メイカーが初めに創り給うた最初の子ら、フェイド界のスピリットたちは魂を持たない。スピリットは世界を自由に改変できるとはいえ、なせることはあくまでもすでにあるものの複製のみであり、想像力もなければ新たに何かを創造することもできない。メイカーはそのことにいたく失望され、フェイド界はそのあるがままに任せ、代わりにこの世(現世)をお創りになられた。

 フェイド界の部分で幾分ひねりが入っていますが、ようは創世記、天地創造からはじまるクリスチャニティ、ユダヤ教、イスラム教の正典をお手本にしている。

 次はチャント・オヴ・ライトから。

 言葉はなかった
 あめつちや うなばらやおおぞらを呼ぶものさえも
 まったき静けさのみありしところに
 メイカーの御声が鳴り響いた
 それがはじめの御言葉で
 その御言葉がありうべきものすべての形をなした
―挽歌(Threnodies)5:1-8より

There was no word
For heaven or for earth, for sea or sky
All that existed was silence
Then the Voice of the Maker rang out
The first Word
And His Word became all that might be
-Threnodies 5:1-8

 はじめに言葉(ロゴス)ありき。光の前に(世界の前に)言葉があった。言葉はすなわち神を示すとされる(ヨハネ伝福音書「太初に言あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき」、創世記「神光あれと言たまひければ光ありき」を指す)。

 ちなみに日本神話、「古事記」(天地開闢)ではすでにあめつち(天地)が分かたれていたところからはじまる。つまり世界の「はじまり」ではなく、あくまで国つくりにフォーカスしたお話。クリスチャニティのように天地創造と最後の審判というこの世界の始点と終点がはっきり定まっているのと異なり、始まりも終わりも不明。というか無頓着。考えもしなかったが正しいのかな。

 被創造物である人々が不出来なのですぐに愛想を尽かしちゃうのはあちらの創造主も一緒ですが、怒れる神のあちらはリセット・リブート、サーバー巻き戻しでもするかのように大洪水などでチャイにしてしまうのに対し、メイカーはひがみやすく、すぐに引きこもっちゃう。なにやら天照大神に似ていなくもありませんが、こちらは弟神のぐれっぷりに愛想を尽かしたわけで、言わば家庭内不和、骨肉の争い(受胎を経て生まれるわけではない神々には使えないか)ですからね。

 Mass Effectシリーズは巧妙にクリスチャニティ色を隠しているように見えて、もろそのまんまの世界観、思想観です。表面上でもヒューマニティの価値観を銀河中に押し付けてまわってるわけですし(教化ならぬ感化して回っている)、リーパーズ来襲の含意するもの、それからシェパード艦長ジーザス説まで考えれば自ずとわかりますね。

2014年1月 7日 (火)

On Polyamory in Videogames

 ゲイダーさんのTumblrから。

  えーと・・・。こんなネタでもいちいち拾うのかという感じでしょうが、実は反響が結構あって、後々これに関連した話がTumblr上でも膨らみそうな気配があるんで、とりあえずやっときます。他にこれといったネタがないというほうが大きな理由ですが。

*** 

「ポリアモリー(polyamory、訳注)が描かれないことについてはどうなんでしょう? ゲームデザインの見地からみて興味があるのですが、検討はされたものの関係のダイナミクス(変動具合)が指数関数的に増大するとの理由で却下されたのでしょうか? 一部のキャラクターは、沢山の現実の人々と同様にポリアモリーを好む/求めることがあってもいいと思います。そのほうがステキだし。でも一部には奇妙に感じるものもあります。DA2ゼヴランのエッチは、DAOでウォーデンと恋仲になっている場合にはバグと見なすべきだと思います。いかがでしょう?。(ファンの質問)

(注)ポリアモリー、同時に複数の恋愛関係をおおっぴらに持つこと、またはその状態。

“the state or practice of having more than one open romantic relationship at a time”(メリアン・ウェブスター)

(ゲイダーさん)

 ポリアモリーについてどうとも思っていないよ。知り合いにはポリアモリーな交際を実行している者もいるし、他の交際関係に比べて良いとも悪いとも思えない(ただし彼ら/彼女らの力学関係(ダイナミクス)はもちろん「普通の」カップルとは少し違っているようだけど)。当人たちがそれでうまく行くっていうなら、それでいいんじゃないの。

 ところが、ヴィデオゲームの文脈ではポリアモリーはとてつもなく複雑な取り組みになる。少なくとも我々のゲームのように、関係するキャラクターが自分を含めたポリアモリーな交際が進行中だと気がつくことになるのが自然な場合にはそうだ。我々はすでに、プレイヤー(主人公)との関係がどうであるかに従ってキャラクターの反応を変化させるという面倒を抱えているのだが、その(一対一の)関係ですら十分複雑になりうるし、我々もそれを数多く書くことは避けているのだ。

 よってポリアモリーに関して、我々には二つくらいの選択肢しか残されていない。

a)プレイヤーに複数のロマンスを同時に許すことにするが、関係するキャラクターは、バンターやときたまコメントを述べる以外にプレイヤーの交際する他の男性/女性に関心を寄せない・・・、でもこれじゃあ、本当のポリアモリーではないよね?

 これにヴァリエーションを持ち込めば持ち込むほど、ダイナミクスがもたらすコンテンツが指数関数的に増大しはじめる。実際、これについて「うーん、そのキャラクターはちょっとした反応を返すようにすればいいじゃない。他のロマンス・キャラクターとの関係も持たせることにして、それからたぶん他の・・・」というような意見を述べる者がいるならきっぱり拒絶してしまって構わない。

 なぜなら、そう、ロマンス・キャラクター全員分のコンテンツを三倍に増やせば、それら反応を含めた以上のことを表現することは可能なのだが、ロマンスがサイド・コンテンツにしか過ぎないゲームではそんなことは決して実現しないのだ。

b)ポリアモリー・カップルとして「のみ」ロマンサブルなふたりのキャラクターを用意する。これなら実際うまくいくのだが・・・、問題はかなりの分量のコンテンツが(ひとつのロマンスではなく事実上ふたつのロマンスに相当する分量になるわけだから)ポリアモリーを導入するだけのために必要となることだ。

 ライティング・チームはこれについて折につけ議論してきたが、結果は一般的には(a)理想的でもなければ、特に実現可能性が高いわけでもなく(パーティー内の恋愛関係が知れ渡ることに伴うダイナミクスだけでもいじり回すのが大変なのに、キャラクターが通常の関係に加えて、複数の同時並行的な関係に気がついているという複雑さを加えれば結果は言うまでもない)、かつ(b)端的に言って取り組むのは大変過ぎる。

 我々もときには、例えばBGのジャヘイラとカリードのように、フォロワーのふたりがカップルである場合については、それ自体として面白いダイナミクスが描けるものとして議論してきたし(この場合彼らがロマンサブルかどうかは関係ない。一般的に我々がコンセプトを思いつく場合は、キャラクターがロマンサブルになりうるかどうかという点に純粋に拠ることはなく、むしろ彼らのストーリーがどのようなものに仕上がりそうかという点に拠る)、我々が実際にそういうカップルを登場させようとするのであれば、上の(b)について真剣に考慮すべきときなのだろう。

 ところが自分でも幾分悩んでいるのは、我々も最後にはポリアモリー「のみ」のカップルを、主人公がどちらか一方とロマンス関係になった結果として二人の破局に立ち会うことになるようなカップルの代わりとして選ぶのではないかという点である。なぜなら、我々はいまだかつて後者についても手掛けたことがないからだ。ところが実際書くにあたってそのどちらがより複雑な状況になるか考えていると、私としては「または、ロマンス一切なし」という選択肢を加えたくなるのだ。

 なぜなら、そのレヴェルの複雑さに直面すると私の一部はロマンスを丸ごと窓から外に投げ捨てたくなるからだ。もっと普通の複雑さ、例えば「ゲームのプロット」を生み出すためにエナジーを温存するほうが手堅い選択であるし・・・、我々(あるいはファンたち)が「ロマンスを『より一層』複雑にするなんてほんとにできるのか?」なんてわけのわからない不毛な議論にかまけている(going down the rabbit hole)ときには立ち返るべき道でもあるんだ。

 ゼヴランの話はちょっと異なる問題だと言っておこう。ゼヴランのキャラクターそのものに関係はなく、元恋人が以前のプレイヤー・キャラクターである主人公を、たとえ同じプレイヤーの手によるのであっても、(事実上)裏切って浮気する(cheating)ことになるような状況には陥りたくないという我々の発想のほうに関係がある。それはプレイヤーたちに躊躇わずに飛び込めと言うには少々風変りな精神領域であるし、我々はいつもそういった事態からは完璧に身を外に置いておきたいと思っているのだろう。

***

 私個人はこのように、まあどうでもいいようなネタを深刻に吟味検討する話が大好きです。

 あちらの連中は「ポーリイ」と呼んでいる上述の恋愛関係ですが、一夫一婦制に対してどうのこうのというような「学術的」な考察は私には相応しくない(つうか端的に興味がない)。

 AVではもちろん一般的・・・、んー、であると話には聞いてますが、最近はラノベやらコミックやらでその手のネタもあったような気がします。調べると1994年から使われたそうで、かなり最近の造語ですね。スワッピング(スウィング)違う、不倫違う、セフレ違う、ハーレムは・・・これはアリの場合もあるのか。

 ヴィデオゲームにポーリイを導入するか(すべきか)どうかはプロであるゲイダーさんたちに任せるとして、最後のゼヴランの話は興味深いですね。
 元の英文がかなり込み入っているので、うまく伝わっているかどうかわかりませんが、言い換えてみますと、こうです。

「自分が操るウォーデンとDAOで恋仲であったゼヴランが、DA2でこれまた自分が操るホーク、イザベラ他とエッチをするのを躊躇わずにいられるのは『少々風変りな精神領域』(some weird-ass mental territory)にあると言える。人々は、そうした事態からは常にカンペキに身を外に置いておきたいのだろう」

 たかがゲームで何言ってんすか、といえば確かにそうだし、結構奥深いと言えば深い。アイデンティティとか、アヴァターとか、まーなんかこじ付けて解釈はできそうですが。

 しかもこれは別段ロマンスに限った話でもないのかもしれませんしね。

なお、"going  down the rabbit  hole"は、もちろん「不思議の国のアリス」から。事態がしっちゃかめっちゃか(chaos or confusion)になる様をいうそうです。

2014年1月 6日 (月)

キャメロン・リー・インタヴュー(XboxUK)(2)

 前回の続き。

***

Q:BioWareがDAIマルチプレイヤーのデザイナーたちを雇ったと聞いた。現時点で公表できることは何かあるか。

A:「雇った」の意味がわからないが、Mass Effectのマルチプレイヤー部分はとても優れているので、我々も当然その線は考慮に入れている。だがマルチプレイヤーに関することは現時点で何も決まっていない。

Q:プレイヤー・カスタマイゼーションを考慮に入れれば、マルチプレイヤーRPGはマルチプレイヤー・シューターより開発が難しいのではないか。

A:もちろんシューターは開発が容易で、まあ言うほど容易じゃないが。ああ、言うんじゃなかった! だが何をどう開発すればいいか知らしめてくれるものは数多く出回っているからね。

Q:リリース時期は2014年遅くまで延期された。あなたは手に入れた時間をプレイアブル種族にクナリを追加することに費やすと言っていたが、それ以外に活用することはあるか?

A:良い質問だ。我々は当初取り組んでいた規模からスペースもコンテンツもさらに増大させようとしている。プレイヤーが手にするスコープは、どれだけ愉しめるか、どれだけ世界に没入できるかという点で本当に重要であるので、時間のある限りそれらを増やすことになる。それ以外には出来栄えをより良く磨き上げることに費やすだろう。

 90パーセントの出来栄えのものを95パーセントに磨き上げるのはとてつもなく難しく、大変な時間とエナジーが必要だ。時間があるのでこれまで取り組んだ以上に磨き上げることができる。プレイアブル種族を増やすことはゲーム開発の広範囲にわたって、ストーリー全体の至るところを含めたあらゆる細部、声優の録音などにまで影響を与える。ほんといやになるくらいにだ。四つ目の種族としてクナリを追加するというのはそのくらい大きな方向転換だ。

Q:ヒューマン世界を闇から守る組織の長にクナリを据える、それを正当化するのは難しそうだが。

A:クナリとその宗教的信仰、それがどのように機能するか理解している者たちがいる。クナリがインクイジションの長になるれっきとした理由がある。あるいはエルフにもある。今まで迫害対象だったエルフのインクイジターと対面しなければならないヒューマンの国々はいかなる感情を抱くのだろうか。それらの辻褄が合うようにデヴィッド・ゲイダーとライターたちは腐心してきた。その結果、出来上がりは興味深い内容になった。

Q:スキル・ツリーはどのように変更されたのだろうか?

A:詳細には触れられないが、スペシャリゼーションなどの意味でのスキル・ツリーはクラス別に用意される。今回は戦闘を以前よりも幾分自由度が高い(open)と感じられるようにしたい。つまりパーティーのメンバーは特定の役割を自由度の高いスキル・ツリーと、様々な武器や装備で埋める形になる。究極的にはパーティー・メンバーの役割をプレイヤーが好きなように埋めることができるようになるはずであり、それは我々にとって大変重要なことだ。

Q:DA2で気に入っていたところは(DAOでどうだったか失念したが)各キャラクターがそれぞれのストーリーラインに関連した二、三のスキルツリーを有していたところだ。たとえばヴァリックのクロスボウなど。それらは今回の狙いに入っているか。

A:アンロック・システムについては実のところまだ決めていない。キャラクターのユニークさを感じさせるような取組みは間違いなく考えているが、詳細はまだはっきりしていない。

Q:オーレイとフェラルデンの違いは何かあるか? DAI世界では文化的な大きな隔たりのある地域が含まれている。オーレイがあまり好きではない人々もいることは知っているが・・・、つまり「あまりにフレンチ過ぎる」から。

A:確かに! パトリック・ウィークスのオーレイを舞台にした新しい小説は、そういう情報を得る絶好の手段だと思うが、オーレイは言わば、壮麗さを示す薄いべニアの化粧板の下に沢山の暗部や恥部を隠している。一方フェラルデンは、階級差に対しても社会的地位の違いに関しても、目指す目標についてもずっとあからさまで挑戦的だ。もちろんオーレイの北に位置するテヴィンターもDA世界では重要な地位を占めており、語られる中身も多い。

Q:かつて世界を支配していた帝国だ。

A:そのとおり。最終的には長い年月のうちに押し戻されて、DAIの世界でもそこらじゅうで見かけるテヴィンターの遺跡を残すことになった。それら三つの主要な地域の他にも、横から眺めているクナリがあって、アンティヴァなどもある。DA世界のロアは深くて豊かなので、多くの大ファンがそうしているようにすっかり没頭してしまうことも可能だ。

Q:こういうと計算高く聴こえてしまう懸念はあるが、BioWareは性差と性嗜好に関する取組みで「その名を歴史に刻んだ」スタジオと言える。DAIにもその関連で何か取組みがあるか。

A:ライター陣はゲームができるだけインクルーシヴ(訳注:性差、性嗜好の違いに関わらずあらゆるマイノリティをも許容しようとする取り組みをinclusivityという)になるように心掛けている。我々は何百万人単位の人々向けのメディアを有しており、ある種の社会的なコメントを披歴する能力があるわけで、それは大変な機会であると考えている。だから今後も継続していく。

 ストーリーとキャラクターを企画する際に、性差と性嗜好に関する内容についても一定の配慮をするのが普通だ。DAIでも同種の状況にあるが詳細はまだ触れられない。だが中には素晴らしい出来栄えのものもあると聞いている。

Q:マバリ犬は再登場するか? 

A:まだ答えられない。

Q:Xbox One限定の趣向はあるか?

A:SmartGlassもKinectもMoveもすべて考慮すべき対象となっていた。(新世代コンソールのリリースから)一年後にゲームを出荷するメリットは、他のゲームがどのような反応を受けたか知ることができることだ。プレイヤーが望むかどうかわからないものに飛びつくことはしない。時間をかけることのできる贅沢はあるので、人々の反応を検分し、自分たちで何か創りだせるかじっくり吟味するのが正しいやり方だと考えている。

Q:Mass EffectのようにKinectを用いるに相応しい絶好の機会だと思うが。

A:そのとおり。Mass EffectにおけるKinect体験は興味深かったし、Mass Effect 3からはプレイヤーがKinectをどのように用いたかに関する多くのテレメトリ・データーを入手した。我々は異なる意見それぞれについて真剣に吟味してきており、今後の進むべき方向を決めたいと考えている。

*** 

 もしかして期待している向きがあるなら申し訳ないが、DAIマルチプレイヤーの開発が手つかずなのが何ともありがたい・・・。
 マルチプレイヤーがあることがイヤなのではなく(好きな人が仲間を誘って多数遊んでもらえば、スタジオも儲かって続編も途切れず出るから皆ハッピー)、マルチプレイを経験しないとソロプレイに影響が出るという趣向がいまいち。

 その点Mass Effect 3のマルチプレイは「無関係で済んだ」と言えるかというと微妙。初期バグのせいでソロプレイだけでは必要ポイントが稼げなかったらしい。また個人的にはアチーヴメント/トロフィーにあまり固執しないので気にならないが、ソロプレイのみで完遂するのはかなり難しいはずであった。

 クナリのインクイジターってのはどうなんだろう。(エルフやドワーフも含め)敢えてそこまでやるんですねえ、という感じかな。宗教・種族絡みの部分だけ捉えるととても神経質(touchy)な話題にならざるを得ないのですが、宗教(メイジ・テンプラー抗争)に関する部分はDAIのテーマのごく一部分というのだから辻褄はつけられそうですね。ただしライター陣がそれにどう辻褄つけようともまた恰好の火種になりそうです。そういう意味で「敢えて」やるんだという感じ。

 そもそも、この場合のクナリはツノの生えた種族のクナリではあってもクナリ(クン(キュン)の教えに従う民という意味)ではなくタル・ヴァショスでないといけないのだろうか。「インクイジション」はチャントリーとは別組織というのであるから、(種族ではない方の意味で)クナリのままでも可能ではあるのか。
 DAWikiによれば、DAIに登場する新インクイジションは「他のどこにも隷属しない独立組織であり、セダス大陸に脅威を与える混沌の担い手ら(agents of chaos)を狩り立てることに注力する」。この文脈ならリーダーや構成員がヒューマンである必要は確かにない。

"Like its ancient predecessor, the new Inquisition is an independent body, beholden to none. The organization's efforts to track down the agents of chaos threatening Thedas lie at the heart of DAI."

 
 少なくとも、今までゲイダーさん原案コミックスにしか登場していなかった女性クナリ(ツノの生えた種族のほうの意味)は主人公キャラクターとして潜在的には(つまりプレイヤーが敢えて選択すれば)登場確定になったわけです。でもDA世界では女性クナリのあり方も(クナリ社会の中においては)メチャクチャ制約のきつい設定をしてるはずなんですよね。

 かくいう私、クナリを主人公にしてプレイするのはおそらく四周目か五周目(ヒューマン男・女、エルフ女、ドワーフ男、クナリ女?)。男女のセリフの違いまで見るためには最低八周しなければならないのか・・・。

 マバリのネタは、並び的には最後にするべきですよね(笑)。UKとは笑いどころが違うのか。

 それと「シューターは開発が容易」。業界の秘密をバラしちゃいけませんよね。

キャメロン・リー・インタヴュー(XboxUK)

 他にネタはまったくないので、DAプロデューサー、キャメロン・リーのインタヴュー記事でも。UKのXBOXオフィシャルサイト。

http://www.oxm.co.uk/68769/features/interview-bioware-on-bringing-dragon-age-to-xbox-one/

 記者によるイントロ部分は省略。リー氏の答えもできるだけ要点のみ。

*** 

Q:DA2からカッサンドラとヴァリックはどのように変わったのか?

A:詳細に触れることはできないが、ふたりはしばらく行動を共にする間に面白い関係を築いた。DAIではずっと親しい間柄になっているが依然として面白いやりとりを繰り広げることになる。

Q:それぞれのキャラクターが、揺るぎない、はっきりそれとわかる道徳観を有しているようだ。

A:キャラクターたちの道徳観が異なる程度は幅広い。元ファースト・エンチャンターであるヴィヴィアンは厳格極まりなく、ヴァリックなどとはまるで異なっている。「善」という意味にも両面あって、カッサンドラは妥協を許さず正面から追及するタイプ。彼女は必要とあらば村を焼くことも辞さないが、ヴァリックは村を救うことを願う。フォロワーそれぞれに様々な観点があり、それによって興味深い対話や関係が生まれることになる。

Q:OriginsのDLCなどのプロットは反映されるのか?

A:Dragon Age Keep(訳注:DAK、シナリオ選択用のDAI専用アプリ、詳細は下記参照)には、シリーズの過去作品と全てのDLC(flashゲームのうちひとつも含まれるはずだ)における意思決定や分岐点を再現する機能がある。DAIのストーリーにも、舞台となる世界にも、それら意思決定が影響を与える場面は沢山ある。プレイヤーがDAの世界を自分自身のものとしていかに形作るかどうかは我々にとっても大変重要なことであり、DAKを用意する主な理由もそのためだ。

(訳注)Dragon Age Keep:DAI専用シナリオ生成用アプリ。過去のDAゲームでプレイヤーが意思決定すべきだった選択肢群のすべてをDAIユーザー自らが任意に選択し、DAIの新ゲームにインポートすることができる。DAIは新旧コンソール四種にPCを加えた五つのプラットフォームで一斉にローンチされることになるため、過去ゲームのセーヴファイルを(特に新プラットフォームに)持ち込む仕組みづくりが困難となった。PCからPC、旧コンソールから同一コンソールへの従来どおりのセーヴデータ・インポートの実装について、BioWareは否定も肯定もしていない。

Q:多くの反目しあう派閥があり、ずっと大きな脅威には誰も注目していないというDAIの前提となる設定がMass Effect 3のものとよく似ていることに驚いた。似たような内容をただ反芻することなく、ふたつのフランチャイズでDNAを共有することは可能なのか。

A:興味深い指摘だと思うが、実際にはあたらない。ある出来事のため世界が混沌に包まれるというのは同じだが、Mass Effectではリーパーズが脅威であることが最初からわかっている。DAIでは空に巨大な亀裂が生まれ、全ての大派閥勢力も国々も一斉に混沌にまみれるが、それらがただの偶然と考えるのはいささか奇妙だと思う。

 だからプレイヤーは何が進行しているのか暴くためより注力することになる。とはいえ、いくつかの真実を暴いて誰かを味方にして最終的結末に備えるよりはずっと複雑な話になる。なにしろプレイヤーは軍勢(a force)を指揮することになるのだ。プレイヤーは世界、様々な派閥勢力や国々に重大な影響を与えるインクイジションという組織のリーダーでもあるのだ。

 Mass Effectでプレイヤーが形成する派閥勢力はほとんど個人的なスケールのものだが、DAIでは個人的影響力も行使するものの、ほとんどの場合は事態の核心を突くような重大な決断を通じて、インクイジションが世界にどのような影響を与えるか決めることになる。言うならばひとりのジェダイとして振る舞うか、ジェダイ騎士団を創設するかの違いだ。

Q:DAIの戦略的部分はどこから生まれたのか? DAOで中途半端に終わった「城塞」(the keeps)などの発想からか。

A:DAO時代の経緯は詳しく知らないが、そうではないと思う。ここまで大きく細部にわたって深みのあるゲームを開発する以上、全体を包み込む(overarching)ストーリーの目論見は当初からあった。戦略的部分については後から追加されたのかもしれない。

 我々は第四世代プラットフォームのテクノロジーを手に入れ(第三世代ですらグラフィックなどのダウングレードを一部要求されていたのだが)、それを新エンジンと組み合わせることで、より面白いゲームプレイ体験の提供機会を掴める地点まで差し掛かってきたということだ。それが戦略、城塞、戦術などの面であり、それら一切合財をDAIに盛り込むことになる。

 ハードコアRPGプレイヤーとして個人的に本当に嬉しいのは、一方に印象深いストーリーがあると同時に、城塞や軍勢を指揮するなどの趣向を通じてオープンワールド風の体験ができることだ。とてもクールだし、自分としても熱望している。

Q:DAIに関して、主人公キャラクターに完全なカスタマイゼーションを許す一方で、ストーリーの中でそのキャラクターの位置づけを明確にすることはどのようになされるのか?

A:全体を包み込む物語とストーリーがあるDAOを考えてみれば、DAIで我々が同じような状況に置かれていることがわかると思う。DAOでは種族とクラスを選ぶことができたがDAIのスコープもとても似たようなものであるし、今度はずっと広いかもしれない。

 DAIのカスタマイゼーションは、クラフティング、外見、フォロワーに関するものも含めDAOよりずっと多く、プレイヤーがキャラクターを自分自身のものであるとより強く感じることができる選択肢がより多く与えられると思う。
 
 そうしたカスタマイゼーションをストーリーとバランスさせるのは常に興味深い取り組みだが、それもプレイヤーに任されているのだ。セリフ、ストーリー、ストーリーに関与する機会などがとても多く与えられるのだし、プレイヤーがひとたび自分自身のストーリーを創り出したと感じたら、それは当事者(ownership)としての体験にも通じるのだ。DA2では「このキャラクターを選ぶ」という感じがより強かったが、それよりはDAOの感じに近いと思う。

*** 

 記事の紹介は二回に分けることにしました。

 いつものインタヴューのようにとおり一遍の内容かなと思ったら、Xboxだからか、UKだからか、それともDAだからか、いやらしい「いけず」な質問がいくつかありますね。私も触発されてしまいました。

 まず、「(全体のプロットが)Mass Effect 3に似ていて驚く」という話はRPGの「お約束」を揶揄する意図ですが、私などは逆に「似ていなかったら」その「新奇性」に驚く。
 私のRPG勝手格付けにもあります。「ルール#1:メインプロットはこの世の破滅の阻止。それ以下のテーマは小さすぎる」(もちろん皮肉です)

 結局、大資金をかけて開発するAAA級のRPGゲームは「世界を(宇宙を)救う」ものでなければならないんでしょう。日々の生活の瑣事(こまごました事柄)や個人的恋愛を成就してもしょうがない(んー、その世界はすでにSimsがあるし)。
 良くも悪くも周りみんなそうです。OblivionもSkyrimも、The Witcherも、FFXIIIシリーズも、なんとかの軌跡も、そこら辺の連中が派閥争いや勢力争いに明け暮れている中で、主人公(一派)だけがこの世の破滅を阻止するために戦っているというプロット。

 それが定番になっていて、しかもDAOのように定番そのままだと大うけしたのに、DA2のように少し趣向を変えてみたら非難轟々(とはいえ批判の多くは短納期対応によるやっつけ仕事に対するものですが)。

 リー氏の言い訳も苦し紛れに感じます。Mass Effect シリーズでリーパーズ襲来が脅威(あるいは好機)だと知っていた者は主人公シェパード艦長、イルーシヴ・マン他は極わずか。DAIの主人公インクイジターが(彼/彼女だけがモリガンに示唆されて気づいた?)隠された脅威を暴く話と実は相似形でしょう。

 DAOは「目に見えているはずの脅威(=ブライト)」をまるで存在していないかのように無視して派閥・勢力争いに明け暮れる、ゲイダーさんいわくの「ロクでもないアイデアの熊ちゃん(Bad Idea Bear)」ローゲインのおかげで多少ひねりと味付けが利いているけど原形は一緒。

 「世界は混沌にまみれ、勢力争いに明け暮れる各派閥は真の脅威に気がつかない」ってのは冗長表現ですよね。各派閥が最初から一致団結していたら世界は混沌にまみれていないわけだし、それらはすでに意味のある派閥じゃないし。
 必然的に似てしまうのだから、開き直ればいいと思うのですが。
 
 さらに「今回は組織・軍勢を指揮するから違う」って言ってますが、言い訳になってないしね。
 その部分と、次の質問にある「DAOで中途半端に終わった城塞のアイデア」とがつながって、個人的には多少不安を抱かざるを得ない。
 「中途半端」の原文は”something that you were throwing around for Origins…”で、DAOで「無駄に金をかけまくった」、「いじくり回したあげくに放り投げた」とか、ほんとはもっと悪い意味なんですが、確かにDAO(正確にはDLCか)の「城塞」は中途半端感が爆発していた。

 個人的な経験からして、「軍勢(armies)を指揮先導する」と「城塞(strongholds)を維持管理する」と銘打ったRPGにこれまでロクなものはなかった。そういうものに出会うと、どうしてそんなところに行きたがるのかといつも嘆いていた。
 Skyrim程度の住居・城塞くらいでやめといてくれたらよいのだが(あれも個人的にはトゥー・マッチ)、DAIではどうやらコア部分に据えようとしているようなので危惧も大きい。
 
 そういうの好きならEA/BioWareで最近引き継いで開発しているRTSのC&Cでもやればいいのに。
 カスタマイゼーションはもちろん「あればあるだけ嬉しい」ので期待していますが、軍勢と城塞・・・。
 んー、出来が良ければいいのだが、そうでない場合に一切やらんで済むような創りにはしないんでしょうねえ。

2014年1月 1日 (水)

【DAI】コンセプトアート(12月31日)

 あけましておめでとうございます。

 ちょうどよく、コンセプト・アートがアップされていたので。

Untouched

「人跡の未だ踏み入らざる地の、正義の焔に暴かれざる闇の中で」

"In places untouched by the feet of Man, in shadows unspoiled by the fires of Right."

 原生林・・・。まあ、現代のカナダ同様、オーレイにも沢山ありそうですが。

 カナダも(USのように)新年は元日のみお休みですかね。DATwitterのアップデートは表題の日付だったんだけど大晦日。仕事してたんだなあ。(Twitterの設定はよく知らないけど、今トウキョウ21時の時点で18時間前アップとなっているのでJP時間ではすでに元日でした)

 今年もよろしくお願いします。

(追加)

 上の和訳を修正したのでついでに。

 カナダというかUSでもカナダ国境に近いあたりの原生林など、個人的に足を踏み入れたことが何度かありますが(あっと、「原生林」(米:old-growth forest、英:ancient woodland)に「人跡未踏」という意味はなく、「人間の手がまだ触れない」、「伐採されたことがない」くらいの意味なはずです。一方で「こないだまで無人島で生活してたんだが」は(足を踏み入れた瞬間から)誤りで、それを言うなら「それまで人の居なかった孤島で生活してた」だとアメリカ風刺漫画の蒐集家でもあった星新一氏がかつて書いてましたね。「無人島マンガ」ではなく「孤島マンガ」)、って別にカナダやUSまで行かずとも日本にだって(人跡未踏の森林はたぶんもうないが)原生林はあるわけですが。そういう場所に足を踏み入れるときは、自分はきっと「森の民」だなあと自覚します。

 先にDnD由来のファンタジーでは橋・河が舞台になることが比較的少ないが、湖沼が登場することは多いのではないかと書きました。やっぱ森と湖。昭和の歌謡曲ではないが、ファンタジーではそういうことになるんでしょうね。

 ちなみに「人間の手がまだ触れない」(Untouched by Human Hands)はサイファイ作家シェイクリイの短編集ですね。同名の短編もあってそちらは・・・、ってネタバレになるからやめとこう。しかし、これも表題の和訳が絶妙だな。上の自分の訳も反省してまた修正しました。

(追加の追加) 

 えー、上の"the fires of Right"はもちろんテンプラー騎士団(そのシンボルによる換喩)ですが、"the feet of Man"については注意がいる。DAワールドでは、(ヒューマンより遥か以前からセダスに住んでいた)エルフは分け入っていたはずだよね、という話になるわけで。

 まったく同じ理屈でカナダ・USならネイテヴィヴ・アメリカン(かつてのインディアン)が、アマゾンだってインディオなど原住民が、もしかしたら往来・居住していた(今もしている)かもしれないわけで。

 (DAのライターだってどこまで考えて書いているかしらないが)、こういうとき文明人(と自分で思ってるんですが・・・)視点は厄介ですね。

(さらに追加) 

 コンセプト・アーティストのマット・ローズ氏がTumblrでこのアートについてコメントしていた。ここでは、primordial forest、「原始林」と呼んでいますね。

「黄金比率の螺旋をひとたび見れば、眼に触れないようにできはしない。それを隠すに相応しい場所が、原始林以外にあるだろうか?」

"Once you see the golden spiral you’ll never un-see it. Where better to hide it than a primordial forest?"

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