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2014年1月 8日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(1月7日)

 DAI公式コンセプト・アートがかなり増えているので、あとでカテゴリー”DAI: Concept Arts”を作成しておきます。

Abyss

「ここなるは底知れぬ淵、魂皆がらの井戸。緑玉色の水面(みなも)より、命再び生まれ出づ」

“Here lies the abyss, the well of all souls. From these emerald waters doth life begin anew.”

*** 

 おお、ついに湖沼が来ましたね!(笑) 森と泉に囲まれた遺跡。
 やっぱそうですよねえ。ファンタジーだからねえ。

 下に長々と書いていますが、何が言いたいかというと、死者の霊魂が現世に「再生する」(”Life does(dothは古語)begin anew.”)という発想はチャントリーの教えにはないということ。そこでは霊魂はヴェイルの彼方のフェイド、どこかメイカーのおわしますところに集う。

 (物語中での)最近の時代のエルフの葬送の儀も「フェイド送り」であるから、やはり違う。またクン(キュン)の教えに霊魂云々の話があるかというと、これはない。クンの教えはあくまでこの世の成り立ちを表す現世宗教であり、むしろ仏教的な、その中でも哲学的な部分の世界に近い(クナリは鬼神を語らず。神々(deities)の存在については一笑に付す)。

 であれば、上の詩文が伝えるのは古のエルフの教えなのでしょうか。それともチャントリー普及以前の(野蛮人時代の)ヒューマンの原始宗教なのでしょうか。

(以下、だらだらと根拠)

 チャントリ―の教えによれば、かつてすべての亡き魂(souls)は、メイカーがその定命(じょうみょう)の子ら(His mortal children、注)のためフェイドに創り給いしゴールデン・シティに呼び集められた。

 人の(テヴィンター・マジスターらの)愚かな侵犯により、ゴールデン・シティは腐敗と堕落に満ちたブラック・シティと化してしまう。定命の子らの行いに愛想を尽かされたメイカーはこの世界を離れていずこにかお隠れになった。

 それ以降、生前篤信であった亡き魂はメイカーそのお方の傍らに集うこととなり、そうでない者の魂は永久にオブリビオン(Oblivion、忘却界、ここではフェイドのこと)を彷徨うこととなった。

 それからはるか後に、メイカーの預言者にして妻でもあるとされる定命の子アンドラステが現れ、彼女曰く、メイカーから定命の子らに対するご容赦をいただくことに成功する。それを受けてメイカーはこの世界に一時帰還されるのだが、彼女が人々の裏切りによって処刑されると、再び愛想を尽かされてお隠れになった。

(注)チャントリーの教えでは「メイカーへの信仰を抱いている者ら」、すなわちヒューマノイド(エルフなどヒューマン以外も含むの意)のみ救済対象であると考えられます。犬猫など獣は除かれる(クリスチャニティが原罪を背負った人類しか救済しない、救済する必要がないと考えるのと一緒)。

 メイカーがお隠れになり、人の祈りをお聴き届けになられなくなったのは、決して人に対する罰ではない。チャントリーの教え、すなわち「チャント・オヴ・ライト」がセダス大陸の隅々まであまねく行きわたり、世界の至るところで詠唱され、メイカーの御耳にまで届くようになれば、メイカーは三度(みたび)帰還されて、この世界を楽園に変えるであろう、とカソリック教会、じゃないや、チャントリーは信じております。

 なお、魂を有しているのはこの世界(現世)の生き物のみである。メイカーが初めに創り給うた最初の子ら、フェイド界のスピリットたちは魂を持たない。スピリットは世界を自由に改変できるとはいえ、なせることはあくまでもすでにあるものの複製のみであり、想像力もなければ新たに何かを創造することもできない。メイカーはそのことにいたく失望され、フェイド界はそのあるがままに任せ、代わりにこの世(現世)をお創りになられた。

 フェイド界の部分で幾分ひねりが入っていますが、ようは創世記、天地創造からはじまるクリスチャニティ、ユダヤ教、イスラム教の正典をお手本にしている。

 次はチャント・オヴ・ライトから。

 言葉はなかった
 あめつちや うなばらやおおぞらを呼ぶものさえも
 まったき静けさのみありしところに
 メイカーの御声が鳴り響いた
 それがはじめの御言葉で
 その御言葉がありうべきものすべての形をなした
―挽歌(Threnodies)5:1-8より

There was no word
For heaven or for earth, for sea or sky
All that existed was silence
Then the Voice of the Maker rang out
The first Word
And His Word became all that might be
-Threnodies 5:1-8

 はじめに言葉(ロゴス)ありき。光の前に(世界の前に)言葉があった。言葉はすなわち神を示すとされる(ヨハネ伝福音書「太初に言あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき」、創世記「神光あれと言たまひければ光ありき」を指す)。

 ちなみに日本神話、「古事記」(天地開闢)ではすでにあめつち(天地)が分かたれていたところからはじまる。つまり世界の「はじまり」ではなく、あくまで国つくりにフォーカスしたお話。クリスチャニティのように天地創造と最後の審判というこの世界の始点と終点がはっきり定まっているのと異なり、始まりも終わりも不明。というか無頓着。考えもしなかったが正しいのかな。

 被創造物である人々が不出来なのですぐに愛想を尽かしちゃうのはあちらの創造主も一緒ですが、怒れる神のあちらはリセット・リブート、サーバー巻き戻しでもするかのように大洪水などでチャイにしてしまうのに対し、メイカーはひがみやすく、すぐに引きこもっちゃう。なにやら天照大神に似ていなくもありませんが、こちらは弟神のぐれっぷりに愛想を尽かしたわけで、言わば家庭内不和、骨肉の争い(受胎を経て生まれるわけではない神々には使えないか)ですからね。

 Mass Effectシリーズは巧妙にクリスチャニティ色を隠しているように見えて、もろそのまんまの世界観、思想観です。表面上でもヒューマニティの価値観を銀河中に押し付けてまわってるわけですし(教化ならぬ感化して回っている)、リーパーズ来襲の含意するもの、それからシェパード艦長ジーザス説まで考えれば自ずとわかりますね。

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