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2013年12月

2013年12月31日 (火)

A Year of No Dragon

  えー、過去の経験からして、DAIが来るはずだった2013年には、このブログの容量もあっという間に喰いつくし、新ブログに移行しなければならないと思っておりました。 

 よって、ブログタイトルももう面倒なのでRDV2013と西暦にしました。当然次のブログはRDV2014というタイトルにするつもりでした。

 DAIが来ませんでした。 

 ええ、正直、一時期生きる活力を喪っていたのは事実です。私って何? 生きるって何?

 そしてブログ容量は10%も使っていない、だだ余りとなりました。

 明日の元日からタイトルを Rain Dancing Vanity 2013/14に変更することにしました・・・。

 だっさっ。モー娘。のこと笑えんじゃん。(いやモー娘。は陰ながら応援してるんだけど)

 実は来年の干支がわかりません。年賀状なるものはとっくに放棄しておりますし、大抵元日になるとどこにも載るので調べる必要も、自分の年齢から逆算する必要も、敢えてないかと。

 今年も来年もきっとYear of the Dragon(辰年)ではないんだろうなあ。今年最後の記事のタイトルも、だからインパクト弱いよなあ。(ああ・・・、見たらやっぱ違うわ) 

 来年こそ、レイドロウのおっさんが余計なこと口走らないという前提で、DAIの話題だけは豊富に出ることを祈って。よいお年を。

 

 

Teedainquisitionflat

BioWare、なもん作ってる暇あったらゲームつくれや!

 

 

 

2013年12月28日 (土)

On Liking Characters ― Part 1, Part 2

二つのTumblr記事ですが、短いので合体しましょう。
以下、ゲイダーさんのコメントの部分だけ。

Part 1
 ファンその1:ベサニーは嫌いだ、カーヴァーのほうがずっといい。
 ファンその2:カーヴァーは嫌いだ、ベサニーのほうがずっといい。

 ライティング・チーム:うまくいったね!

Part 2
 ファンその1:アノーラは嫌いだ、裏切り者のビッチだ!
 ファンその2:アノーラは大好きだ、だってステキだもの!
 戦いは避けられないようだ。

 ああ、オーケー、つまりこういうことだ。この会話の中で私が気に入らない部分はただ一カ所、アノーラがキライということを正当化するために用いられているところだ。つまり、裏切り者だという部分。
 アノーラを城から救出した際に、兵士の格好に変装している彼女は「父の手の者に身分を知らせないでくれ」とはっきり言っている。次の部屋に進んだところで一部の人たちはサー・カースリアンに「ヘイ、女王はここにいるぜ!」と告げるのだ。誰が誰を裏切ったって?

 それからランズミートでアノーラは自分の父の肩を持つことがあるが、それは主人公の君が事前に彼女と何の密約もしていない場合だ。破るべき密約がないのだから、それを「裏切り」なんて呼ぶのは難しいだろう。主人公が彼女にに裏切られる場合というのは、彼女と事前に密約をする際に彼女の父を処刑するつもりだと告げたときか、あるいは彼女を見捨てて亡きケイラン王の間抜けな異母兄弟を玉座に据えようとしたときだが、なんと驚くことなかれ、それらのことを彼女は自分にとって最も望ましいことではないと思っているんだ。すごいよね、実際。

 だから誰かがそれを間違いなく裏切りであると呼ぶことはできる。またはできない。たしかに議論を呼ぶ。だが「実際に」アノーラから裏切られたことがない者が、彼女をキライになることなど許されないということになるのだろうか? あるいは彼女の計略(アジェンダ)が、プレイヤーにとって最善の結果を生むものでははないのにも関わらず、彼女がそれを即座に捨て去らないことに腹を立てることは許されないのだろうか? そんなことはもちろんない。アノーラが誰かの神経を逆なでする理由も、誰かが単にアリスターのほうが王に相応しいと思う理由もいくらでもありうる。別に立証を求められるわけでもない。

 同様に、誰かが「彼女は自分を裏切った」などということを言い訳にして彼女への嫌悪を立証しようとするとしたら、他の誰かが反論するため出てきても決して驚くべきじゃない。特にその言い訳が、意図するかしないかに係らず、裏にミソジニー(misogyny、女嫌い)を潜ませているように聞こえるなら尚更そうだ。おいおい、勘弁しろよ

 我々に関する限りでいえば? アノーラを愛おしがる人々がいることはとても嬉しい。彼女が嫌いだという人がいることもまったく問題ないし、彼女の名誉のため弁護する必要もない。アノーラはあの父の娘であり、ずっと若い頃かられっきとした大人の態度を身に着けているのだ(put on her big girl panties a long time ago)。もしどこか別な宇宙で、彼女を毛嫌いするプレイヤーの手によって塔に幽閉されてしまったとしても彼女は大丈夫だ。全く問題ない。

 私にとって、ひとりのキャラクターに対してさように異なる見方が存在し、アノーラのような人物の価値について、またどのような女王になるのだろうという点について(ときとして激しい)議論を行うことができるのは、素晴らしいことだと思う。それがこの話の要点なんだろう。もし他人のプレイスルーを自分にとっての個人的な侮辱であると受け止める者が減ってくれるならなお良いのだが、セ・ラ・ヴィ、それもまた人生なんだろう、おそらくね。

(注)put on her big girl panties、子供っぽいこと(発想)をやめて、大人になること、大人らしく振る舞うこと。男性の場合はbig boy pantsだそうだ。元の意味は「おしめを脱いでちゃんとした下着をはくこと」。

 

*** 

 んー、つうかアノーラに関しては引っかけなんですよね。アノーラは、そういう風にプレイヤーを引っかけるように描かれている。ゲイダーさんがミソジニーに言及しているのも、実はミソジニーに捉われる人がいることを想定して描いているからでしょう。
 女王のような高い地位の者が、理由もなく他人を裏切ったりする理由はない。摂政の娘という政治的に万全ではない地位にいるのに、そうやって余計な危険を招きよせる必要もない。いや、そういうサイコパスなキャラクターも確かにありうるが、あそこ(DAO)には必要ない。

 Asunderのロード・シーカーは、宣誓してチャントリーに任官されているのだから「決して嘘はつかない」。敢えて事実を伝えないということはあるが。自己の利益のために動いたりはしない。ディヴァインの目論見がチャントリーの教えに背いているという証拠を握るまでは公然と叛旗を翻すこともしない。
 もしそうでなければ、DA2のシスター/マザー・パトリースのような安ピカの悪党、陰謀家になってしまいます。

 一部のプレイヤーは「陰謀公家」、「不実な悪党」、「毒婦」など、ありがちなステロタイプに捉われてキャラクターをみている。でもそれもまたゲイダーさんたちBioWareの当初の目論見の一部、前提でもある。
 イザベラは(ゲイダーさんも言っていたように)放っておけばふしだらで自己中心的な悪女。アヴェリンは融通のきかない堅物の警察署長。そう見せておいて「実は意外な一面がある」ことを描くというのが常套手段ですね。

 だから、Part 1と同様、Part 2もまた、要点は「わーい、引っかかった、引っかかった」なんだと思う。

Re: On Knights of the Old Republic

 先のKnights of the Old Republicに関する記事のゲイダーさんの曖昧な記憶について、同僚のCori  May、BioWareのテクニカル・デザイナーの方からコメント。

 KotORはNwNのすぐ後に書かれたのです。最初のドラフトは先に仕上げるのが普通だから、KotORのそれが書かれたのはNwNがリリースされる前だった可能性もあるかもしれませんが、私が(NwNの)プロジェクトに参加したとき、リリースまであと六カ月であったNwNは依然としてライティング作業の途上にあったと記憶しているので、KotORの最初のドラフトでさえNwNがゴールド(リリース版確定)になった後に書かれたはずです。それから私たちはほとんどずっとオフィスを共有していたので、あなたがKotORを書く際に悩んでいたこともほとんど覚えていますよ。

 バスティラのロマンスを書いたのは、間違いなくあなたです。(genevreal)

(ゲイダーさん)
 ああ、思い出したよ。

 KotORの最初のドラフトはNwNの前に書いたのだが、それは他のチームがNwNの最初のドラフトを書いていた頃だったんだ。それから我々はNwNチームのほうに呼び出されて、そちらでNwNのふたつめのドラフトをとても急いで仕上げることになったんだ(NwNには当初KotORのライターたちは参加しない予定だったので、ここは間違いないよ)。そして我々はNwNがゴールドになるまでそちらに居残った。その後でKotORの仕事にまた戻ったんだ。

 コメントしてくれたコリは私の同僚でもありルームメイトでもあるが、私が覚えていないことを全部覚えている。彼女はKotORに関するものだけに限らず、ライティングに関する私の悩みを我慢して聞いてくれるんだ。とても素晴らしい人だからね。

【DAI】コンセプトアート(12月24日)

 DA Twitterのヴァース(詩文)付き新コンセプトアート(画像はBioWare Blogで公開されていたものの一枚)。

Fallenbridge  

「かくて彼らの白骨が全土を覆う、愚昧なるが故に滅んだ帝国の残滓として」

"And their bones shall spread across the land, the remains of an empire lost to folly."


*** 

 そろそろ正式公開されたコンセプトアートの数も揃ってきたようですが、依然としてDAIの全体像はさっぱりわかりません。この画像もどこの建物なのだろうか。詩文からみてオーレイのどこでもありうるわけですし。

 今までのものを見比べてみると、なぜか「橋」(陸橋らしきもの含む)が描かれている画像が多いようです。うまいこと立体感が出て絵の見栄えがするのも理由でしょうか。それとも、やはり西欧(というより元はバビロンやメソポタミア)では「橋」がそのまま「都市」(交易・移住)、「帝国」(軍事・外交)、そして「文明」そのものを強く含意するからでしょうか。

 ローマ帝国、クリスチャニティ世界では橋を架けるのは聖職者の仕事であった説まであります(ある程度は大陸国もこの島国もそうだったと言いますが、この聖職者の仕事説は本当かどうかはわかりません。土木建築の知識(大抵はアーチ橋ですからぶっちゃけ数学ですかね)を有している者は当時少なく、多くの場合はインテリ階層の僧侶であった、ということなんでしょうかね)。

 そもそも大した大河もなく、河川にはむしろ戦の際の防壁としての価値のほうを重視していたこの島国では、おかみが架橋を制限したこともあって関連技術も進展せず、つい最近まで「渡し」、「川越し」(かわこし)には人足(にんそく)や渡し舟を用いていた。「橋」に対する感覚はあちらとまったく違うのでしょう。どっちかってと演歌、講談、人情ものの舞台。

 意外にもDAワールドに「河川」が登場する場面は多くありません(渓流などはあります)。代わりに「港湾」はもちろん、「湖沼」が話題になることが結構多い。BioWareがカナディアンの会社だからでしょうか。カナダでは、あまり人が住んでいない土地に河川は多いようですが、それでも大海に流れ出すものは(大西洋側にセント・ローレンス川はありますが)少なく、湖に流れ込むものが多い。DAフェラルデンのカレンハード湖と周辺河川など、そのままカナダにありそうな地形です。

 DnDのthe Forgotten Realmsでも河川がクローズアップされる場合は意外と少なかったかな。Neverwinterの街中を流れる同名の河川は実は「温泉」ですし・・・。Waterdeepは名前に反して意外にも街中に河川はない(地下水脈が流れていたはず)。有名どころではCormyrもAmnも湖の国、Thayも山岳と湖の国。

 そこでJRPGには河川が登場するシーンが比較的多いと言えると恰好がよいオチがつくのですが・・・。たしかにそうと言えるようでもあり、そうでないようでもあり。
 なぜか色々なJRPGには「釣り」がお約束のように登場しますけどね。

 湖沼なら物語は創りやすいが(というかすでに原形になりそうなものが沢山あるが)、河川は難しいのかな。河川下りRPG、ドイツのCRPG、Dark Eyeシリーズにはまんまそのままのものがありましたが、流行らないか。
 3Dになって描写が結構きついのか。
(うろ覚えだけどポーランドCRPGのThe Witcherシリーズは結構河川に関するネタが多かったかな)

(蛇足)ハリウッドを中心とした映画の世界では逆にこれでもかってくらい河川や橋梁のお話が多いですね。戦争映画(A Bridge Too Farなど)は言うに及ばず、他にも相当数あります。動画だと河川は絵になる、風景が目まぐるしく変わるので飽きがこない、ボートが疾走するのは見ていて楽しい、河川は「人生」をコノートしているなどなど、理由が思いつく。

 The Dark Knight Risesの橋梁封鎖シーンなんて凄まじい迫力があった。「なんとかブリッジ封鎖できません」とか言ってる島国の映画と比べるのも失礼だね。(和製作品弁護のため、ジェームズ・キャメロンが腰を抜かしたという押井さんの映画の例のWyvern襲来シーン(こちらはベイブリッジ)をあげておきます。トウキョウ(ヨコハマ等込みでのメガロポリス)が河川の都市であることが今更のように如実にわかりますよね)

2013年12月27日 (金)

On Knights of the Old Republic

 ゲイダーさんのTumblr過去記事で他に見逃しているものがないか見てみました。面白そうなものをいくつか見つけたのでおいおいやります。中でも表題の記事は以前から気がついていたのですが、どうしたものかと悩んでました。

 というのも、Star Warsのジャンルものにとどまらないくらい名作の呼び名が高いにも係らず、Knights of the Old Republicは日本語版になっていないはずだからです。あちらでは2003年リリースというから、ちょうどNeverwinter Nightsの日本語版が出たくらいにあたる(Baldur’s Gateシリーズの日本語版は1998年から2001年にかけてリリースされていた)。そこらへんから日本の翻訳ゲームの活力が喪われたのか、ルーカスとの版権関係がややこしかったのか。あるいは島国では売れないと思われたのか。

 とはいえ、ゲイダーさんの話題には良く出てくるゲームでもありますし(先に触れたカース・シンドロームもこのゲーム由来)、話自体は非常に面白いので紹介することにしました。

 SteamでもGoGでもメチャクチャ安く手に入るはずなので、まだの皆さんにぜひ遊んでみてほしいなあ、とは思いつつ、10年も前のゲームなんで当時の3Dモデルは今見ると辛いものがあると感じられるかもしれないし、なにしろ全編BioWare英語ですからね・・・。

(文中、ボツになったコンテンツに関するネタバレ?があります)

*** 

 お時間がありましたらKnights of the Old Republicでどのような役割を果たされたか軽く一席(short spiel)ぶっていただけませんか。(ファンの質問)

(ゲイダーさん)
 オリジナルのKotORに従事していたのがいつ頃なのか思い出そうとするといつも悩んでしまう。2003年にリリースされたことはわかっているからそれより前であるのは間違いないが、当時自分はNeverwinter Nightsにも同時に携わっていたので時系列がごっちゃになってしまっている。さらにややこしいことに、我々が書き上げたKotORのヴァージョン丸ごとひとつがボツになってしまったので、NwNの仕事がその後だったかその前だったか、KotORがそのどこに収まるのか、もう思い出せない。

 日記をつけといたほうがよかったかな。
 とりあえず覚えていることについて書くとすると。

 ボツになったオリジナルKotORのヴァージョンは、きっと君も気に入らないと言うと思う。BG2のリリースを終えたばかりの会社がワードカウントを悪鬼のように忌み嫌っていた時期だ。なにしろBG2の文章量はとてつもなく大きく、私の記憶では120万語相当にあたるはずで、それに相応した開発コストがかかった。ワードカウントとゲームの長さの相関関係については言うまでもなく、BG2がフルヴォイス・ゲームでなかったとは言っても翻訳コストはかかるので、BG2は本来そうあるべき姿よりもずーーーーーっと長いと見なされたんだ(その通りだと思う。我々はSpellholdのくだりまでお話を進めてそこでお仕舞いにしてもよかったはずだし、それですらすでに物凄いコンテンツ量になったのだ)。

 KotORをフルヴォイスで開発するという計画は、当時としては本当に大変な取り組みであったので(付け加えるなら、会社は自分たちでヴォイスオーヴァーを載せる技術すら有していなかった)、それへの反動として「ワードカウントはできるだけ小さくしよう、でもストーリーの品質は高く維持しよう」というムードが生まれた。誰しもがそれは素晴らしい考えだと思ったのだ。我々ライターには口を出す資格はなく、やるか死ぬかのどっちかしかなかった。だから我々は言われるまま飛び込んで、できるだけのことをした。

 キャラクターたちは原則としてごく数行だけで自己紹介をし、かつ自分の望むことを告げなければならなかった。同じ文の中でそれらを一緒にやらなければならなかったキャラクターもいた。調査(Investigate)オプションは存在しないに等しく、行きつ戻りつする会話もごくわずかに抑えなければならなかった。キャラクター間のバンター(他愛もないお喋り)を入れる余地などなく、全体のストーリーも極めて短いものにしなければならなかった・・・。

 つまりゴミクズになってしまったということだ。上層部(Powers That Be)が介入し始め、なんでこんなゴミクズにしてしまったのかと問い質した。それに答えるのはバツの悪いことではあったが、まあ理由は言わずもがなではあった。

 それでテイク・ツーがはじまった。その辺のある時点で我々はNwNに携わっていたかもしれない。あるいはNwNはその後かもしれない。NwNのほうも全面見直しに入っていたので、その頃我々は色んなことを一遍にやり遂げなければならなかった。だから記憶が曖昧なんだ。「疾風のように書け、デイヴ!」 だからそうした。皆そうしたんだ。

 私が個人的に何をしたかというと、一介のライターに過ぎなかった。「リード・ライター」というポジションは当時はまだなかった。少なくともプロジェクト当初の時点では。ジェームズ・オーレン(James Ohlen)がリード・デザイナーで、BG2と同様に彼が全体のストーリーに責任を負っていた。彼がライターたちを集めてブレインストーミングをやるときもあるが、ストーリーは究極的には彼の産物だ。彼がストーリーをまとめ、主要キャラクターのスケッチを描き、ときには主要プロットまで書き、ライターたちはそれらに肉付けして完成させるため働いた。我々ライターの手でひとつのセクション丸ごと見直ししなければならないこともあったが、そうでないところはほとんど彼の手になる作品だ。ジェームズがデザイン用ドキュメントまで丸ごと一式作成したプロットを受け取るときには、私は自分の仕事のことを「セリフを書くサル(dialogue monkey)」の仕事と呼んでいたものだ。

 後ろ向きな姿勢に聴こえるかい? そうではない。実際に書く作業をするためには受け取ったプロットを揉んで自分のものにして、その構成からストーリーを纏め上げなければならないんだ。私がジェームズから最初に受け取った惑星コリバン(Korriban)に関するデザインと、私が書き上げた最終版とを比べれば、大枠以外ほとんど共通したところがないことがわかるはずだ。私はそれを本当に愉しんでいたし、すべてを一から創り出すよりは、もらった構成をいじくり回しているほうがよかった。まだまだ新米だったからね。

 キャラクター創りにおいて我々ライターがずっと多くのものを言えたのは、そのコンセプト創りではなく、彼らを活写する(actualization)部分にあった。例えば私は、カース(Carth)がハン・ソロ風の船長で軍の将校あがりであるという設定と、彼に関する全体的なプロットについては予め受け取っていたが、それ以上は何もなかった。人格も、詳細設定も・・・。ロマンス・アークや会話はどう進めるべきかについてはグループで検討をしたが、それ以外はライター個人個人が自由に広げることができた。

 そこが自分にとって最も愉しかった部分だ。私はカース、バスティラ(Bastila)、ジョリー・ビンド(Jolee Bindo)のほとんどを手掛けた。ジョリーは予定より一週間早く書きあげたので、今度はHK-47を押し付けられた(セリフもない戦闘ドロイドなんかつまらなそうで、その時は惨めな思いをしたものだが、ジェームスは多少の人格を与えてもいいと考えていた)。私の頭はすでに激務でフラフラ(punchy)になっていたので、そのドロイドは愉快なやつにした。同時に卑劣なやつに。なぜなら私は疲れ切っていて、フラフラであると同時に不機嫌(bitchy)でもあったからだ。

 KotORの最初のリード・ライターのポジションには、プロジェクトの後のほうになってからドリュー・カーピシン(Drew Karpyshyn)が就いたと思う。ジェームスが仕事を少し分担したいと思ったからだろうか? 思い出せないし、ドリューの役目が実際なんだったかもわからない(彼に聞いてみてくれ)。彼が自分のタリス(Taris)に関する仕事を終えてからバスティラを取り上げたことは覚えているが、どの部分を彼が書いたかは覚えていない(ロマンスかな? だがプレイヤーが彼女と対峙して、ライト・サイドに呼び戻すよう試みるシーンを書いたのは間違いなく私で、そこにはロマンスが含まれていたはずで・・・、わからない。なにしろずっと前の話だ)。

 コリバンは私が実際に書いた唯一の惑星だ(カシーク(Kashyyk)とタトーウィン(Tatooine)にも一部は貢献している)。そしてしんどかった。というのも完成するまでに二度ほど全面見直しがあったからだ。シス(the Sith)を描くのもまた容易ではなかった。集団としての彼らに関する設定は大して多くなかったのだ。彼らの理念は何か、ジェダイ(the Jedi)のように規範を有しているのかどうか尋ねたら、自分で決めろと言われたことを覚えている。

 だから、そう、シスの掟が生まれた(ジェダイの掟を裏返しただけさ!)。そしてシスの理念(少なくともコリバンに関する部分は私が書いた)は、「わが闘争」(Mein Kampf)から少なくとも一部影響を受けている(フォーラムの人たちがあれは素晴らしい、全く意味が通じる、と書いているのを見ていると愉快でもあり、また同時におぞましくも感じたものだ)。

 シス内部の裏切り/裏切りの裏切りについて描くのはとても愉しかった。BG2のドラウ(Drow)の都市編でも似たようなことを書いていて、シスの不意打ちや情け容赦のない文化がドラウのそれに似ているから、また使えると思ったのだ。そして裏切りは私の大好きなテーマだ。ジェームズが出来栄えにとても満足してくれたのは嬉しかったが、実際スクリプトに落とすのはめちゃくちゃ込み入っていて大変だった。

 途中には細かいことも沢山あった。当時の管理組織(M.O.、訳注:management organizationか。他に適当な意味が思いつかない)は旧態依然としていた(fly by the seat of your pants、訳注:うんちくは後述)から抵抗のため噛みつかなければならないこともあった。変更はしょっちゅうなされ、しかも時間的余裕もなかった。プロジェクトの最終段階ギリギリまでそれは続き、我々はコンテンツ・カットのためパニックになりながら、話の辻褄が合うようにやり直して細部を磨き上げた(私にとって一番辛かったカットは、ダーク・サイド(the Dark Side)エンディングで、女性の場合のレヴァン(Revan)が愛するカースとともに宇宙船に残って自己犠牲を果たすことを承諾するくだりだ。究極的な贖罪/献身を示す、私が一番気に入っていたエンディングだった)。個人的には、私はKotORの出来上がりにとても満足している。ジェームズは真のスター・ウォーズの物語がどのような手触りであるべきかとてもよく承知していたし、その事実は、ゲームがひとたびリリースされた後に人々がどのように受け止めたかによって裏打ちされたと考えている。

 十年前の話だなんて信じがたいね。いや記憶がここまで曖昧だから、そこまで信じ難くもないのかな。このゲームに対する私の貢献具合の話として、君にとってどれだけ実りあるものだったかはわからないが、こんなところだよ。

(注)旧態依然(としている、としたやり方でやる)(fly by the seat of your pants)。フライトプランも計器類も何も参照せず、航空機を「経験と勘」だけで飛ばそうとすることが語源で、ルーツは1930年代だそうだ(参照したリンクは下)。元々はネガティヴな意味はない(そもそも当時の航空機は経験と勘で飛ばすものだった)が、やがて転じて、(せっかく新しい手法や手段、機器などがあるのに)旧態依然とした自分勝手な(自分だけしかわからない)やり方で物事を進める(進めようとする)ことの意味になった。

“Decide a course of action as you go along, using your own initiative and perceptions rather than a pre-determined plan or mechanical aids.”

http://phrases.org.uk/meanings/139400.html


 Star Warsで言ったら「ルーク、フォースを使え」がありますけどね(笑)。

 逆に私などはF1で車載コンピューターがブラックアウトしても平然と走っているエース・ドライヴァーたちのことを思い出してしまいますけどね。ギアチェンジのタイミングなどメーターがなくてもエンジン音でピタリとわかるそうだ。まあ、あいつら古き良き時代の戦闘機パイロットと何も変わらないからね。

 逆にコンピュータライズされた航空機を飛ばすことは”fly by wire”(ワイヤーは信号ケーブルの意味)と言われ、後に同様にコンピュータライズされた自家用車などにも転用されています。

(なぞなぞ)最新鋭のジェット旅客機のコクピット(操縦室)には、人間ひとりと犬一匹が必要である。なぜか?(答えは最後)

*** 
 KotORをプレイしたのは私も十年弱前ですのでうろ覚えな面はありますが、いかにもBioWareらしいどろどろした人間模様の物語は、本編映画のエピソード1以降を先取りしているような感じもありました。
 ゲームプレイ面で強く記憶にあるのは、ライトセイバーとフォースの表現。当時のゲームとしてあれほど快感を呼ぶものはなかった。フォースについては後にMass Effectのバイオティック・パワーに受け継がれていますが、個人的にはKotORのほうが剥き出しのままの感じがして面白かった。
 ミニゲームでスピーダーのレース(大して面白くなかった)をやらされたのは少々辟易してしまったなあ。オプションとして全部やらずにすっ飛ばせるわけじゃなかったと思う。

 オリジナルのヴァージョンのくだりには笑ってしまいました。ライター衆は出来上がりがどれだけダメになるか、最初からわかっていても指図に従うしかなかったんですね。

*** 
(答え)最新鋭の航空機は離着陸含めコンピューターによる全自動操縦。犬は人間が余計な手出しをしたら(手動で操縦しようとしたら)噛みついてやめさせるため。人間は犬にエサをやるため。

2013年12月25日 (水)

Answering Questions: On Anders

 ああ、このTumblr記事、以前読んでいるのになぜ紹介しなかったか思い出しました。

 その頃あまりにもバイセクシャル関係の話題が続いていたので私も辟易していたし、きっと読者もそうだろうと思って放置していたのでした。

 お断りしておきますが、私はバイ、ホモ、トランスなどについて何か政治的な意見を有しているわけではなく、ゲイダーさんのそれに関する主張などを読んでいても「ふーん、そうなんだあ」という感じです。
 もっとも「どうして非クリスチャニティ圏の日本にはそういう(性的)タブーが少ない(ように見える)のか」など、比較文化論的な話は大好きですが、過去にもいくらか触れているし、またにしましょう。

 ゲームプレイとか、物語とか、全体的品質がプアな場合に目くじら立てるのはゲーマーとしてもっともなことだと思います。
 最近の某和製RPGに新奇性もコンバットの出来栄えも優れたものがあって結構はまったのですが、主人公がその性別に係らず、姫君と熱愛関係になってしまう・・・。つまりプレイヤーが意図するかしないかに係らず、女性主人公も姫の恋人になる。開発リソースかけなさすぎだろ!と、そのときは脱力してしまいました。場合わけの労さえもとらなかったのかと。
 バイセクシャルが悪いとかいいとか全く関係なく、つくりとしてあまりにおざなり、プアだよなあ・・・と嘆息したのでした。

(同じゲームでは、ゲイダーさんが戒めていた「プレイヤーにふたつの選択を与えるなら、どちらにも選ぶ真っ当な理由があるように伏線などをしいておけ」という点もすっかり脱落している部分がありました。サイコロ振って決めろとでも言うのかよ、と思った。コンバットがすこぶる良かっただけに、普通にジェネリックな物語さえあればオッケーだったと思うのですが、イマイチ以下の物語しかなかったのは返す返すも惜しかった)

 ところが、上のような話題で騒がしいのには結構うんざりしています。だって自分たちってば、たかがゲーマーだよ? 大騒ぎしている連中って、どんだけ高貴で特別だと考えてるんだろうと思ってしまいますね。
 うん、実際訳してみても、ゲイダーさん自身があまり愉快そうではないですね。私も正直先の記事を訳していたのときのようなノリノリ感はありませんでした。

(文中、DA2でホモセクシャルなロマンスを選んだ場合に関する記述がありますが、私儀、DAO、DA2ともすべてのロマンサブル・キャラクターとのロマンスは経験しておりますが、実は一度も同性愛を選んだことがございません。よって、「なんか自分が見たのと違うぞ?」というご指摘ありましたらお願いします)

*** 

 お気に入りキャラクターについてのポストを読ませていただきましたが、アンダースについてもお話いただけないでしょうか。あなたが彼のことをどう考えているのかとても知りたいのです。(ファンの質問)

(ゲイダーさん)

 アンダースに関する質問もいくつか受けているので、そうだね、多少は語ることができると思う。このTumblrを「誰それについても今すぐ教えて!」という世界にしてしまっていいかどうかわからないが、アンダースについては議論するに値するユニークな特質があると思う。

 アンダースに対する反応は私の見るところ、敬愛から憎悪までのすべての範囲に広がっているようだ。DA2の最後の彼の行いから考えて、それは完璧に予想どおりだといえる。彼は極端に偏向したキャラクターであり、彼の最後の行動に対する反応は、背信(「なにしやがんだ、アンダース!」)、憤怒(「彼について嫌いなところ全部が自分の上に降り注いできたみたいだった・・・、違う、セックスのことは全然関係ない!」)、義憤(「どうして私に相談してくれなかったんだ、助けてやれたのに!」)、支持(「よくやった、権力と戦え!」)まで様々だ。私の見地からすれば、それらを眺めている分には面白い。そのどれかが「正しい」反応だなどと言うつもりはない。彼はプレイヤーから何らかの反応を引き出すように作られたゲームの登場人物であり、その点からすれば彼は立派に成功を収めた。

 見ていてあまり面白くないのは、アンダースの性的嗜好に関するコメントのいくつかだ。我々のフォーラムでも「DA2のすべてのフォロワーがバイセクシャル」であることをどれだけ毛嫌いしているかについての不平不満を述べる者が頻繁に現れる。ときには「違う、彼らはバイセクシャルではない。同性愛オプションはゲイ、異性愛オプションはストレートであり、決めるのはプレイヤー・キャラクターだ」と言って反論する者まで現れる。激怒を呼んでいるのはほとんどが次の点に関するもののようだ。すなわち、アンダースのプロットの後でプレイヤーが好意的な応対を選ぶと彼がいちゃついてくる(なんて不気味な奴なんだ)だけではなく、彼を諦めさせる唯一の方法が、私はそうは思わないが、とても手厳しいものだと見なされていることであり、さらにそれより罪が重いとされているのは、アンダースもその方法を好まないので、それを選んだプレイヤーへのライヴァルリー・ポイントが10点もあがってしまうことだ。私が覚えている限りでは、それこそ彼の脳天を蹴飛ばすのと同義なのだそうで(注意深く見ていれば、Act1だけで彼のフレンドシップを満点にするだけのポイントが二回分も手に入るという事実があるにも係らず)、到底許すことなどできないというわけだ。

 さて、ここには私が頭を悩ます三点の問題が含まれている。

 第一に、ダブル・スタンダード(二重規範)の問題だ。我々は将来、男が男を殴ることが、女が女を殴るよりもずっと嫌悪感を呼ぶことになるという事実に迎合しなければならなくなるかもしれない。なぜなら、イザベラが真っ先に自分にいちゃつこうとしない女性主人公を殴る点については誰も持ち出さず、アンダースだけが問題視されるからだ。ロマンス・キャラクターの中ではこのふたりしか主人公を殴りはしない。我々はこの点について議論をし、「おかしくないよね? 真っ当に思えるんだが」と結論づけた。この種の反応の中には時にとても面白いものもあったが、全体的にみて問題視するような価値はないと思う。

 第二に、性的嗜好に関するものの見方が最終的に現実に影響を及ぼしてしまうという問題だ。例えば男性キャラクターがある女性のことを魅力的だと評した場合、「即座に」また男性たちも魅力的であると言わないと、彼は「永久にストレート」であることにされてしまい、将来そのキャラクターが誰か男性に魅かれることがあれば、彼のキャラクターにとってレトコン(ret-con、訳注:retrospective continuity、継続性上の不一致、矛盾)をひき起こしてしまうというのだ。彼はまるで人格を移植されたかのように全く別の人物に変わってしまう。実際、いくつかのコメントを読んでいると、現実世界で同じ状況に置かれたときにコメントしている彼らは同じように振る舞うつもりだろうかと思い悩んでしまう。ずっとストレートだと思い込んでいた友達の誰かから、同性の誰かとベッドを共にしたと打ち明けられたら。「なに? 君はまるで『全く」別の人格になったみたいだな! ストレートであって同時にゲイであるなんて、わけがわからないよ!」とでも言うのかな。

 それが第三の問題に結びつく。フォロワーたちが潜在的にどちらの性の相手とでもロマンス可能である(本当は周回を重ねて自分で発見するか、どこかで読むかしなければわからないのだが)ということを知って、あまり好ましくないと感じる人々がいることはわかるが、この問題について人々がフォーラムに投稿する内容の多くは・・・、あまりぱっとしない。「キャラクターの一貫性を欠く」というのはつまり・・・、バイセクシャルであること自体が一貫性の欠如を示すってこと? 自分で心を決められない人だけがバイセクシャルだってこと? 「皆がバイセクシャルというのは非現実的だ!」 皆って誰のこと? セダスの全員? それとも自分のパーティーの中にいる、様々な面ですでに尋常とは呼べない四人のこと? かつそのうち二人は過去に性的経験もなく、プレイヤーと話題にするような性的嗜好もないのに? 「まるで皆とエッチできるみたいになっちゃっている!」 それは・・・、DAOのようにどちらの性のプレイヤー・キャラクターにも三人のロマンス対象がいるのも、気に喰わないってこと? それとも、「潜在的に」どちらの性の相手とでもベッドを共にすることができるという考え自体が、根本的にめちゃくちゃだと思うっていうこと?

 おいおい、勘弁してくれよ。皆が皆実際に次のように感じているわけではないのはわかるし、あたかも感じているとわかるように意図しているわけではないのもわかるが、このトピックのコメントは、トピックそのものについてのものよりも、コメントする自分自身について述べているものがはるかに多いように思えるのだ。

 自分のものの見方をとやかく詮索されることが好きじゃない人もいたのだろうが、畢竟、それらもあくまで彼ら自身のものの見方に過ぎなかった。我々はキャラクターをいつもまったく同じやり方で描いていたし、プレイヤーの目に触れるのは変更された最後の姿だけだ。そう、アンダースでさえそうだ。彼はAwakeningからDA2に移る間に突如としてバイセクシャルになったわけではない。Awakeningでは私が彼を書いた。あのエキスパンション・パックに登場するアンダースの外見のデザインを最初に見たときの会話を今でも覚えている。

「ふん。ちょっとゲイっぽいかな」
「それを形容詞に使っちゃいけないと思う」
「ホモセクシャルっぽい、ならいいか」
「ほんとに? 髪形が? それともイヤリングが?」
「わからんが、レーダーに映った空母みたいにビンビンにわかるね」

 そこで我々は笑い出し、そもそもAwakeningにはロマンス・プロットがなかったので大した問題でもなかったが、そのことは私が彼を描いている間、間違いなく私の胸の中にあった。アンダースは女性については評を下すが、男性には言及しないからストレートだろうと人々が考えているのはちょっと不思議な感じがしたものだ。ものの見方とはそういうものだから、それはそれで仕方がないが、避けて通れることでもなかった。少なくともわたしの頭の中ではそうだった。だからといってDA2で実際に描く可能性が生まれたときに楽勝だと思ったわけではない。私に関する限りにおいて、彼のその側面に関する部分はそれまでまったく描きあげていなかったのだから。

 そして、そう、著者の狙いなど大して勘案されない。人々は見たいように物事を見るのだし、おそらく我々はキャラクターのそういう側面について、もっとずっとはっきり分かるように描くべきだったのかもしれない。一体どこまでやれば一部の人々がこの発想について不快に感じないで済むようになるか全くわからない。なぜなら上に書いたように、不快さを感じることについて皆が表明する理由が真に嘘偽りのないものであるかどうか、私には定かではないからだ。個人的には、パーティー全体に性的嗜好別のロマンスを万遍なく与えることができるだけの開発リソースが手に入るのであれば、それらをはっきりわかるように描くのは本当に望むところなのだが・・・、逆にその結果としてゲイ・ロマンスに興味を持つ人々がそうでない人たちと同じだけの数のオプションを手に入れることが制約されてしまうのであれば、お断りだ。公平さとゲームプレイの愉しさが優先されるのだ。

 それ以外については? アンダースについては、たとえ私のお気に入りの一人とまでは言えないとしてもとても満足している(私の個人的テイストからみて彼は自説を居丈高に主張しすぎる)。私はジェニファー・ヘルパー(訳注:ライターのひとり)とDA2に彼を登場させる計画について話し合い(アンダースがAwakeningからDA2に再登場するキャラクターになるかどうかわからなかったのだが。当初はヴェラナが候補だったんだ。興味があるならヴェラナ/ジャスティスについて想像してみてくれ)、彼の行き着く先についてふたりの間では完全に合意した。DA2のAct1のアンダースがもう少しAwakeningの彼に近ければ、おそらくもう少し愉快で軽めだったほうが、物語が進むに従って変わっていく彼の姿を示すにはよかったのかもしれない。また同じ声優を用いることができたほうが望ましかったのであるが、(訳注:DA2の)アダム・ホウデンも「素晴らしい」仕事をしてくれた。もっともこの種のことはどのキャラクターにも起きることだ。ジェニファーの反省のリストはまた違っているだろうし、おそらく私のものより長いだろう。

 他の誰かが、我々がどうして彼をコミックなどの周辺メディアに登場させないのか、彼の将来がどうなったのか描かないのかと質問していた。彼を他の物語に登場させることは「できる」と思う。他のフォロワーに比べて殊更彼のことを避けているわけでは全くない。登場するかしないかだけだ。一部の者たちが、コミックなどの周辺作品の内容が自分の個人的なゲームプレイと継続性の点で矛盾するというとても奇妙な理由で騒いでいることを考えると、結構面倒なことではあるが、だからといって特に考慮から外す必要があるとも思わない。

 アンダースの将来については(それがある場合の話、場合によっては死んでしまっているからね)・・・、うむ、いずれそのうちわかる、ってことだよね?(スマイル)

Answering Questions: Favorite Characters(2)

 前回記事の後半部分です。

*** 

モリガン
 
 彼女は、私自身に最も似ていて、同時に最も似ていないキャラクターである。私には自分の乳首以外ほとんど隠すことのできない紐ビキニを着て森の中を駆けずりまわる趣味はないし、もしそんなことをしたら、野生の獣と勘違いしたハンターにきっと撃たれてしまうだろう。実際、そうされてまったく仕方がないと思う。

 だが一方で私は、ビッチのようでもある。もちろん、私を良く知る者たちは鼻を鳴らして「ようでもある?」と文句を言うのだろう。わかった、オーケー、モリガンの毒舌を描くのにさほど苦労することはなかったと認めよう。おそらく私は眠りながらに「心優しいビッチ」を書くことだってできるだろう。だが初期のころにはモリガンがバスティラ(注)のようにならないように腐心したことを覚えている。ふたりとも氷の女王として似たような地位を共有しているし、私の頭のなかでふたりの違いを創り出すまでにはしばらく時間を要したのだ。だが違いはあった。私にとってバスティラは本質的には屈服する運命にある女だ。彼女は弱い。モリガンはその対極である。彼女は自分自身で考えているよりも強く、気高く、そうした衝動に屈するのが弱さの証であると教え込まれているから抵抗するのだ。彼女は母親から本当に虐げられてきたのだ。

 正直に言うと、彼女のそうした部分がどこから生まれたのかはっきりわからない。最初は彼女のことを、正真正銘のいけ好かない人物にするつもりだったが、(いつものことなのだろうが)書き始めた当初から彼女は私の思い通りに動きはしなかったのだ。そのうちクラウディア・ブラック(訳注:モリガンの声優)が登場してきて、彼女のキャラクター造形は完成した。

 だが、私にはどうして皆が彼女に我慢できるかわからない。君が「ああ」言えば、彼女は「こう」言う。たとえ彼女が本心では「ああ」言うほうが正しいと思っていてもだ。私はいつか彼女に大暴露をさせるつもりだが、そのときプレイヤーは彼女のことを完璧な疑いの眼差しで見ながら「うーん、何か他の話にしない?」と言うだけだろう。そしてモリガンは「バッカじゃないの、今度こそ心底真剣なのに。マジなのに!」って言うんだろう。「謎のオオカミ」が来たとあまりにしつこく騒ぎ立てていると、仕舞いにはそうなるって寸法なのさ(オオカミが来たと騒ぐのは普通と一緒だが、こちらはもっとずっと謎めいているんだ)。

(注)バスティラ、Bastila Shan、BioWareゲームである”Star Wars: Knights of the Old Republic”に登場する女性キャラクター、ヒューマン、ジェダイ、パーティ・メンバーになる可能性があり、その場合はロマンサブル。
(Obsidian開発の二作目SWKotOR2に登場するチャンスあり。MMO、SWTORにも登場)
   他のジェダイ・キャラクター同様、物語の進行に合わせ彼女の道もDark SideとLight Sideの間で揺れ動く。

フェンリス

 あはっ! 私があまり言及することのなかった彼が、まさかこのリストに含まれているとは思わなかっただろうね。実際には、私はフェンリスを愛おしく思っているが、徐々にそうなっていったという感じだ。彼の外見は何度も変更されることになったので(おそらく40から50ものコンセプトが描かれ、他とまったく異なるものも多かった)、私は実際の彼の見かけがどのようなものになるかはっきりわからないまま書かなければならなかった。出来上がった外見はあまりピンとこなかったが(私にとってあのアーマーに意味があるとは全く思えなかった)、この種のことではよくあるように、最後には私も馴染んでいった。私の命名に関するルール(注)と同様に、フェンリスが身に着けるのはあれでなくちゃならないと思うようになった。すでに彼にぴったりなアーマーがあるのに、他に何を着せるっていうんだ? トゲトゲのアーマー。そのとおりだ、ビッチ。それでいいって言ってるんだ。

 一部の人たちは彼があまりにも「メソ男」(emo、訳注:エモ、メソメソする人(ふつうは男子))であるところが好きではないと言うが、結局のところ、それは感情(emotion)に流されやすいどんな男性キャラクターに対してでも用いられるお手軽な呼び方に過ぎない。一部の人たちはとても具体的な何かについてそう指摘したがるかもしれないが、あまりに濫用され過ぎた言葉はすでにその意味を喪っているし、そして本当のところ人々がフェンリスがメソ男だと指摘する点は、彼がたった一度だけ行った事柄についてだったりするのだ。それはクッキーが間違いなく大好きなステンの場合と変わらないはずで、彼だってそのことに言及したのは一回か、せいぜい二回じゃなかったか? アリスターはチーズに目がないが、それさえもふたつのゲームで二度話題に出ただけじゃなかったか? だから、フェンリスのことを即座に切り捨てる人々がいることも知っているが、人々は常に誰かをキライになるのだから私にはそれを気にするつもりもない。誰かが「彼のことはとんでもなくキライで、良い意味でキライなんかじゃない」と言うとしたら、私はただ「そいつは大ごとだ!」(BFD、訳注:big fucking deal)と言い返すだけだろう。そのとおりだ、それでいいって言ってるんだ。

 もしかしたら気がついていないかもしれないが、フェンリスは後ろ向きな態度をとるというちょっとした問題を抱えている。手ひどく打ちひしがれた過去があり、そのため誰とも何も関係を持ちたくなくなってしまったのだが・・・、それと同時にどうしようもないほどの孤独に苛まれている。誰かに触れられると考えるだけで後ずさりしてしまう一方で、それを待ち焦がれている。そんな風に生きていくこと、そしてその問題の原因が他の誰でもない自分自身にあると認めるのがとても辛いことは、誰もがわかることでもないのだ。フェンリスの旅は困難で、プレイヤーの誰しもが受け入れられる類のものではなく・・・、要点はそこにある。私が書いていて愉しかったのもそこだ。自分を変えなければならないという考えにフェンリスの心を開かせるというのは苦労のしがいがある取組みであり、たとえ万人から喜ばれるものではなくなったとしても、私は彼の物語の仕上がりには非常に満足している。今何かを変えても良いと言われたらこれだ。「背筋を伸ばしてシャキッと立ってろ、クソッ!」、エルフの姿勢は最悪だ、間違いなく。

(注)ゲイダーの命名ルール。過去に訳しております。
 http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/02/on-narrative--2.html

 簡単にまとめると、「物事(ゲーム、キャラクター、場所などなど)の名前なんて、どうでもいいじゃないか!」ということなのですが・・・。人々は物事の命名になるとなぜか異常なほど熱意を燃やす。そのくせ結局、意見はいつまでたってもまとまらず、とりあえず仮置きしていた名前がいつの間にか正式名称になってしまう。

事物の命名に関するゲイダーの法則
1)もしその名前があるもののためにでっちあげられた言葉であるなら、すべての者がそれぞれ異なる含意を有し、即座に嫌う。
2)三から六か月の間に、人々はそのでっちあげられた言葉に馴染んでいき・・・、もともと反対だったことなどすっかり忘れてしまう。もちろんその名前に決まってるじゃないか。ほかに何て呼ぶつもりなんだ? 

 ゲイダーさんがリード・ライターになってから次のルールが追加されている。

 事物の命名に関するゲイダーのルール
1)もしその名前が好きじゃなく、だがより良い代案も示せないなら、私はそんな話は聞きたくない。
2)もし我々が合意できないなら、とりあえず仮の名前ということにしておいて、二、三カ月たってからもう一度議論しよう。

――― 

 おそらく、他のキャラクターについても話すことができるだろう。例えばメレディス。だがDA2の彼女の登場部分は大幅にカットされ、私の頭の中に描いたキャラクターとは全く違うものになってしまったので本当に残念だった。それからローゲイン、彼こそ「『元祖』ロクでもない考えの熊ちゃん」(the original Bad Idea Bear)だ。それからDragon Age以前の作品のお気に入りとして、ヴィコニア、ジョリー・ビンド、ディーキン(注)。

 だがそれはともかく。そこまで行くと一日中ここで書き続けることになってしまう。おそらく人々が私にたったひとりのお気に入りキャラクターを選ばせようとするのはそれが理由なのだろう。つまり、私がいつまでも長々と喋り続けるのを聴かなくても済むようにと思ってるんだ(そんなことも実際できるし、する気もあるんだが)。こんなことを言っても気休めにしかならないかもしれないが、上が君の質問の答えになっていればありがたい。

(注)ヴィコニア、Viconia、クレリック、ドラウ(ダークエルフ)女性、BGI、BGII(ゲイダーさんが担当したのはBGII。ロマンサブル)
  ジョリー・ビンド、Jolee Bindo、元ジェダイ・パダワン、ヒューマン男性、SWKotOR
  ディーキン、Deekin、ソーサラー/バード、コボルド、NwN:SoU、NwN:HotU

*** 

 確かにフェンリスについてゲイダーさんが言及するのはこれまであまり多くありませんでした。野郎キャラにほぼ関心のない私にとって、フェンリスのぐずぐずした感じは「ふーん」程度の感想しかないのですが、やたらと嫌う人たちがいるのも事実のようです。姿勢は確かに良くないね(笑)。なんで彼だけガニマタにしたんだろうとは思っていた。

 BioWareライター衆がそのように描いているから当然なのでしょうが、どのキャラクターにもファンとヘイターがつく。言及されている中ではDA2メレディスだって見方によっては秩序の番人として優れているとも言えるし、あの蛇のようなDAOハウ卿だって、続編で息子の話を広げちゃったものだから一部から共感を呼んでいたりするわけですし。んー、ジョワンはさすがに違うか・・・。

 よく見たらこのTumblrの次の記事が「アンダースについて」でした。読んだ記憶はあるがこちらも訳した記憶がない・・・。
 DAシリーズの「パブリック・エネミー・ナンバー・ワン」になってしまった彼ですが、(とくにあちらでは)賛否両論の激しさでもナンバー・ワンかもしれない。暇があったらそちらもやってみましょう。

 今回も訳注が多いのですが、逆にそのことでゲイダーさんが愉しんで書いていることが伝わってきますね。洒落も冗談もいつもより多めです。

 文中、「それでいいって言ってるんだ」の元は、”You heard him.”。直訳は「お前は彼の言ったことを聞いた(聞こえただろう)」で、シチュエーションを考えればわかる。(司令官などの)上位者、(副官などの)中位者、(実行部隊の)下位者といて、中位者が下位者に対して「上位者の発言をお前も聞いただろう、そのとおりにしろ」という命令ですね。もろにそんな場面とセリフのある映画もありましたね、具体的には忘れたけど。
 日本人が意外とはずしやすいのがこういう婉曲の言い回しですね。”I wouldn’t do that.”「私だったらそうはしない」は単に「やめろ、やめとけ」です。ニュアンスを伝えたいなら「およしになったほうが・・・」ですか。日本語だと平気で命令形を使えますが(日常使っているから)、英語では親しくもない相手に対する命令形は一般に失礼だと思っておいた方がいいですね。命令形が普通の刑事もの、兵隊もの映画ばかり観ていると勘違いしちゃうんだよね。

2013年12月24日 (火)

Answering Questions: Favorite Characters

 リクエストにお応えしてゲイダーさんのTumblr過去記事紹介。
 意外にもこういう私が真っ先に飛びつきそうなベタな内容のものを漏らしたりしているんですよね・・・。ご指摘ありがとうございました。
 なお、(ゲーム本編のセリフなどと違い)Tumblr記事などの紹介は極力超訳を避けているつもりなので、「訳が違うんじゃない?」という指摘は歓迎です。意外と勘違いしていることありますから。

*** 

 Dragon Ageのキャラクターで個人的なお気に入りは誰ですか。誰もが素晴らしいので難しい質問でしょうけど。でも、中には他より心惹かれるキャラクターが何人かいるはずですよね?

(ゲイダーさん)
 この質問はとても多い。だからといって別に非難しているわけではないが、おそらくインタヴューで一番多く尋ねられる「どうやってアイデアを見つけるのか?」という質問の次に多いと思う。正直な話、その理由はわからない。私がどのキャラクターが好きで、どれが好きではないか、どうして他の人たちが気にするのだろう? それだけではなく、私とキャラクターたちとの関係は非常に込み入っているので、とあるキャラクターに対する私の感情を「好き」とか「好きじゃない」とかにまとめてしまおうとすることが正しいことかどうかも定かではない。その両方の感情を抱くのが常だったりするのだ。自分で書いたが故にとてつもないほど感情移入しているキャラクターのことですら、ときにはちょっとキライになったりすることだってあるのだ。結局のところ、全ての事柄が絶対的な意味を持つのはインターネット上だけの話だ。

 だから、君の質問には少し違ったやり方で答えることにする。単一のお気に入りを示すのではなく、何人かのお気に入りを選んで、私が彼らを好きな理由、キライな理由、あるいは今と違う風に描きたかった点について述べることにする。

イザベラ

 イザベラが好きな理由は、良く描かれているからだ。放っておけば単調になりがちなこのキャラクターにシェリル・チー(訳注:担当ライター)がニュアンス(微妙なあや)を持ち込んだ。もちろん真っ先に目を奪われるのは彼女の恥知らずなほどセクシャルな外見だが、ひとたび彼女のことを知ればとてもそれだけの人物じゃないことがわかる。彼女は自分の性的魅力を自身の強さの源(self-empowerment)と考えていて、周りの女性を引きずりおろすためには用いていない。事実、彼女とアヴェリンとの関係はゲームの中で最も複雑なものだ(ベクデル・テスト(注)にパスしていることは言うに及ばず)。イザベラが、まるでゲームの中でそう扱われているように、一部プレイヤーからふしらだな女として切り捨てられているのも私にとっては愛おしいところだ。それは何か自尊心に関する部分に触れているわけだから。

 ズボン(pants)をはいていないことは? そう、彼女のチュニックは薄い繊維でできているから、ズボンをはいた方が戦いのときには「ずっと」有利になると言うのだろう。私にはそれが、一部の者たちがアーマーを言い訳にして自分たちの身持ちの堅さを正当化しようとしているように思えるのだが、ヴァリックに胸毛を隠すものがいらないのと同じように、イザベラにズボンはいらない。もっと頑丈な鎧を着ないことが「非現実的だ」というのであれば、私の反応はたったひとつしかない。「そうかね? たった『それだけ』のことで全部がダメだっていうつもりかね?」

 好きじゃないところは? イザベラが何に対しても自分の立場を明らかにしないところだ。彼女を素晴らしいキャラクターにしている点が同時に彼女の悪い点だ。彼女は気ままなピーター・パンで、私が何か意味のあることを彼女にやらせようとした瞬間に、彼女を全く違うキャラクターに変えてしまうことになるのだ。私がコミック”Those Who Speak”で彼女をほんの少し異なるように描こうとしたときですら、シェリルと私の間には「話し合い」が持たれた。悲しいことに、イザベラに何かをやらせようとすると、別の人格に変えてしまうしかない。果たして私は本当にそんなことを望んでいるのか? どうだろうね。

(注)ベクデル・テスト、The Bechdel Test

http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/UsefulNotes/TheBechdelTest?from=Main.TheBechdelTest

 リンク先はtvtropes、TVドラマなど主流メディアの「お約束」や「定番」について蒐集しているサイト。

 ベクデル・テストとは、フィクション世界の女性の役割が限定的であることを示す目的でコミック作家Alison Bechdelが生み出したとされるテスト。TVドラマや映画などで女性キャラクターが「おざなり」に描かれているかどうかをチェックするためのテストであり、以下の三つの質問からなる。

1.少なくとも二人の女性キャラクターが登場し、
2.少なくともひとつの会話を行い、
3.その会話の話題は、ある男性や男性全般に関するもの以外である。

 ほとんどの主流メディアの素材では、このテストにパスするものは「驚くほど少ない」というのがオチ。
 ゲイダーさんの言わんとしているところは、DA2では「少なくとも二人の女性キャラクター(イザベラとアヴェリン)が、男性に関する以外の会話をしている」ので、このテストにパスしているということ。


アリスター
 
 そうそう、いただいた質問に一番簡単に答えるなら、それはアリスターだ。ジョス・ウィードン(訳注:Joss Whedon、Buffy the Vampire Slayer、Firefly等の脚本家・製作者)のセリフのパターンを私が再現できるかどうか確かめるための個人的テストのつもりだったが・・・、少なくとも出だしについてはうまく行ったと思っている。主人公の(先輩ウォーデンであるにも関わらず)後から付き従うことを選ぶ人物であると同時に、カリスマティックでもある人物をもっともらしいように描くというのはなかなか面倒な道だった。また女性プレイヤーからはCarth Syndrome(注)に陥ることなく好きになってもらえるような人物であり、同時に全ての男性からはバカにされるような人物にしなくてはならなかった。

 全体的には、私は仕上がりにとても満足している。もちろんアリスターが父親の問題を抱え込んだ子供のような男である事実を無視したうえでの話だ。彼は考えうる最悪のタイミングで、自分の責務に従って心を決めるのだが、そうしたときには大抵ロクでもない決断をしてしまう(ここでいう「責務」は、まるで彼の肩にしがみ付いている「ロクでもない考えの熊ちゃん(Bad Idea Bear)」みたいだ)。彼は受動的攻撃行動(passive-aggressive)をとる男であり、とりわけ自分で毅然とした態度を取ったり決断できなかったりしたことについて、誰かが代わりに決断しようとすることを批判するときにそういう行動をとり、また自分で責任を負うことを疫病のように忌避している。彼がそんなに悪い王にはならなかったのは、だらしない支配者ではあったが民がそれでも好いていたからだ、というようなDAOエピローグのスライドがあったとしてもまるでおかしくないと思う。彼はウービー(Woobie(注))の謎のパワーを有しているんだから、結局のところ。

 正直に言えば、私にとってはこうした諸々の欠点が彼の人間味を増してくれるのだ。ファンたちが彼の欠点について怒りの声をあげるのも、彼らにとっての愉しみのうちであるように思えるのだ。


(注)Carth Syndrome; BioWareゲーム、Star Wars: the Knights of the Old Republicで、ゲイダーさんが描いた男性キャラクター、カース・オナシ(Carth Onasi)の名にちなんだBioWareゲーム「お約束」のロマンスネタ。

(定型)
 過去に愛した(多くはこの世にすでにいない)女性の想い出が忘れられず、ことあるごとに自分(今のロマンス相手)と比べようとする男性のことを、プレイヤー(概ね女性)がそれが故に一層好きになること。

・プレイヤー(主人公、概ね女性の場合)のロマンス対象である男性キャラクターは、すでにこの世を去った(稀に、「絶交した」)妻、母、娘などの家族、恋人、ガールフレンドなど過去に愛していた女性の思い出を振り払うことができない。
・当該男性キャラクターは、ロマンス関係となる(なった)主人公と思い出の女性をことあるごとに比べる。
・プレイヤー(主人公)は、そういう男性の姿が愛おしく、一層好きになる。

(実例)
・カース・オナシ(KotOR):亡き妻。
・アノメン(BGII):ゲーム内で死亡した妹。
・アーリン・ジェンド(NwN):自分の手で殺害したガールフレンド。
・ヴァレン・シャドウブレス(NwN:HotU)殺害された恋人の女性。
・スカイ(Jade Empire)亡き妻、亡き娘。
・ケイダン・アレンコ(ME)クラスメートの女性
(死亡してはいないが、ある事件のため絶交することになった)
・ゼヴラン(DAO)自分への愛を告白した同僚の女性アサシン。裏切りの言い逃れと思い込んで処刑。
・テイン・クリオス(ME2)亡き妻。

(注)Woobie、これもtvtropesから。

A "woobie" is a name for any type of character who makes you feel extremely sorry for them.

 (観客が)あり得ないくらいとっても気の毒に思ってしまうキャラクター・タイプ。
 ただし、己が招いた艱難辛苦に苦しむのは違うタイプ。見舞われる災難は外的要因によるものでなければならない。
 また「生まれつき病床から出られない病弱な少女キャラクター」は違うタイプ。
 本当に気の毒と思うだけではなく、観客が自分自身を投影しようとするのがWoobie。
 これ以上の説明は上のリンクを読んでくだされ・・・。


*** 

 ううん、さらりとやるつもりが訳注が多すぎる・・・。
 という言い訳とともに二回に分けることにします。

 ゲイダーさんは質問者のファンだけに応えているのではなく、同僚ライター衆、開発者たち、業界内同業者たちに向けて発信しているつもりでしょうから、どうしても(tvtropesに蒐集されるような)業界用語が多くなるんでしょう。

 日本人にはピンとこなくて構わないと思います。なぜBad Idea Bearは、「熊」なのか。肩に乗っかっているのは(私なんかの世代からすれば)「猿」(Monkey)ではないのか。そういう熊のマペットが登場するミュージカルがあるからだし、きっと”Bad News Bears”も関係あんだろ、とか思ってればいいかと。Woobieも語源までさかのぼるのは断念した。

2013年12月23日 (月)

Pillers of Eternity

 作る作ると言ってずっと音沙汰のなかった、Project EternityのBacker Portal(出資者のアカウント・マネジメント用ポータル)がようやくできたらしい。

https://eternity.obsidian.net/

 これでやっと私も、支払ったお金の振り分けができるようになった(アド・オンなどを選び直すこと)。

 この手の家事まわりの雑用仕事を平気で軽んじるObsidianだから仕方ないと思っていたが、まさかここまで延びるとは。しかもこれまでの間、謝罪やユーザーの不便を詫びる言葉は一切、何一つない。アメリカ人の態度はいつもながら徹底している。なにかっつうとすぐ謝りたがる日本のメーカーとは大違い。

 Projectの正式名称(すなわち商品名)も本記事の表題のように"Pillers of Eternity"になったようだ。 

Pelogo915x585

 ふーん・・・。

 Kickstarterで7万人以上のバッカーから4百万UDS弱を集めたこのプロジェクト、さらに腹立たしいことに、リリースは当初目論見の「2014年春」ではなく、「2014年遅く」に勝手に変更されているようだ。もっともObsidianのことだから、よくても2015年春、普通に考えれば本当のリリースは2015年暮れくらいなのだと思う。

 Kickstarterの規約により、プロジェクト側がリリース延期しようが、最後金もって逃げようがばっくれようが、出資者(とは名ばかりのただの被搾取側)にはどうしようもありません。さすがに業界著名人の集まりであるObsidianはばっくれはしないと思うが、この一味が手掛けたものの中には資金切れでメンテを放棄したゲームがいくつかある。

 もっともリリースが多少早くなってもその時点ではバグだらけのはずだから、結局同じことだと思う。

 トレイラーは下のYoutubeから。

http://www.youtube.com/watch?v=HKoDTzea79Y

 ご覧のとおり、BG2、Icewind Daleあたりと何も変わらない。敢えて何も変えていないといったほうが正しいかもしれない。

(ゾンビの動きなんて見てもらえば、これがどれだけオールド・スクール派墨守ゲームかわかります。いまどきどこでもお目にかかることのできないロメロ型ゾンビ。1980年代そのまんまやん)

 オールド・スクール派垂涎の伝統芸、無形文化財と見るか、昔取った杵柄に固執するシニア・クラブ(老人ホーム)の手慰みと見るか。

 残念ながら私には後者に見えてしまう。(見かけ)新しい皮袋に古い酒。ヴィンテージ・ワインならいいんだけど、これ酸化しちゃってないかい・・・。

 ま、自分でもわかるけど年取ると本当に頭固くなるんだよな。

2013年12月21日 (土)

On Character Popularity

 これもゲイダーさんが今まで何度か答えているネタです。キャラクターの人気・不人気と再登場の可能性の関係。

***

 ファンの間で大変人気があることを理由に、次回作にそのキャラクターを再登場させることはありますか? 逆に不人気だから再登場させないことがありますか? 人気はどのくらい影響を及ぼすのでしょう? (ファンの質問)

 

(以下、ゲイダーさん)

(これ以外にもDAIに関する質問が多数続いていたが、この点だけに絞ることにする。失礼!)

 キャラクターがファンの間で好評を博すことは素晴らしいことだが、常に相対的な問題なのだ。ほとんどのキャラクターについて、好きになるファンも嫌いになるファンも両方いて、違いはそのどちらかの(あるいは双方の)側に立つ者たちがオンラインでどれだけ意見を述べたがるかによる。 私の経験からすると、広く誰からも好かれるキャラクターというのは、面白くて、かつプレイヤーの意志に決して反論しない者たち(ミンスク、HK-47、ヴァリック、など)だが、他の者たちと違ってネガティヴな要素を欠いているだけであり、それも再登場には違いない。

 たとえそうであっても、キャラクターの人気には、ある種の秘術(アルケミー)が作用していて、それを次回作の新しいストーリーにそのまま持ち込めるとは限らない。キャラクターは時とともに成長し変化していく必要があるし、そうでなければどうして再登場させる必要があるだろう? 前と全く同じ態度で、前と全く同じキャッチ・フレイズを話し、前と全く同じプロット上の問題を何度も繰り返すなら、いずれ飽きられ愛想も尽かされてしまうんじゃないかな?

 だから、(ただのカメオ出演ではなく、フォロワーとして、物語の主要キャラクターとしての)キャラクターの再登場を検討する場合、それらキャラクターを用いてどのように話を広げられるかだけを考えることになる。ある方向へ進ませれば面白いことが起きそうか? 以前に人気があったのは、そのキャラクターが上手く描かれていたからだとも考えられるので、我々はより多く、よりよく描くことができるかどうかに注目する。我々が飽きてしまうのであれば、結局プレイヤーたちだって飽きてしまうのだ。

 だがときには、ファンはそうは思っていないと感じることもある。

 想像力を一切用いずに再登場を考えるだけの者がいる。どのキャラクターであれ過去と全く同じような形で登場することになるわけだが、以前のキャラクターはすでに飽きられている。皆何か新しいものを必要としている。そのようなキャラクターを再登場させる唯一の理由は「ファン・サーヴィス」であり、彼らはそのキャラクターがうんざりするような同じ道を辿らずに済む方法があるなんて「これっぽっちも」想像できない。

 それからあまりに想像力をたくましくする者がいる。全ての可能性について想像し、ほんのちょっとの糸口さえ見つければ、心の中でキャラクターの背景設定、ロマンス、サイド・プロット、もしかしたらファンフィクションまでを書きあげる。そしておそらく、そのキャラクターが自分の思ったものと違う方向に進むことになってしまうので失望する。それどころか一部のファンたちは、自分の頭で考えたものと食い違うことになってしまったキャラクターを、そのまま受け入れるのではなくキライになってしまいやすい(あるいは明らかに悪意を有しているとみなされるライターたちに怒りを向けやすい)。

 これらの状況にどのように対処できるのか。できることはあまり多くない。どちらもメリットがないわけではなく、ファンは感じるままに感じるわけだし、基礎が敷かれたらその上には必ず期待が生まれるのだから。だが、我々ライターが本当に注目するのはキャラクターとストーリーなのだ。だから結局、そのキャラクターが進むべき面白い方向があると考えるのなら、ファンがどう言おうとも、賛成しようが反対しようが、新ゲームに持ち込むだろう。

 そしてそう、全く同じことが一部に不人気だと思われているキャラクターにも言える。「不人気だと思われている」と言ったのは、あるキャラクターを声高に中傷する者はいるとしても、「誰からも」不人気なキャラクターなんていたとは思えないからだ。たとえそうであっても、そのネガティヴィティは以前のゲームのストーリーにおけるキャラクターの扱われ方が、新しいゲームの文脈の中で全く変更されてしまった結果なのかもしれない。例えばジャヘイラがBG2のパーティー・メンバーであると発表したときには騒々しいほどの反応があったものだ。インターネットが今日のようにまだそれほど普及しておらず、とても平穏な時代だった当時ですら、BG1の彼女のことがいかにキライであるか表明し、再登場させる我々は頭がおかしいとまでいう者たちが大勢いたのだ。だがそうであっても、結局彼女(そして彼女のロマンス)はBG2でとても好印象をもって迎えられた。

 私が見るに、将来再登場することはない確証が得られたキャラクターに対する反応は、ただ「まあ、いっか」が鳴り響くだけであり、誰も何の意見も有していない。我々は、そのキャラクターが好かれようが嫌われようが、気にはしてほしいと思っている、我々のゲームのどれかに登場するそれぞれのフォロワーの全てがプレイヤーに好かれうるし、好かれるべきだという発想は、ファン自身が築きあげたものであり、我々はそんなことは滅相もないと考えている。あるキャラクターについての意見が賛否両論であっても、たとえ嫌われたのだとしても、不人気ではなく無関心こそが弔鐘なのだ。

 ファンがキャラクターについてオンラインで議論する? 素晴らしい、そして有用なフィードバックも、特にその話題がそれらキャラクターたちが何をなして、ストーリーの中でどのように用いられたかについての感情を吐露するものであれば、素晴らしい。ファンがどのキャラクターを再登場させるか、あるいは再登場させないかを宣言する? いや、それは残念ながら我々に対してほんのわずかの影響さえも与えないだろう。

 ところが白状せねばならないが、あるキャラクターは、その存在が未だかつて実現したこともないほどおぞましい最悪のアボミネーションであり、決して再登場させるべきではないと誰かが宣言すると、私はきまってわざとそうしたくなる気分になる。それは私に対する挑戦に聴こえるし、考えうる限りで最も好かれない、最も不人気なキャラクターを手掛けて、まったく逆の姿に描いてみようじゃないかと考えるのだ。もちろんそうしたいと思ったときだけの話である。 

 要するに、新しいストーリーの文脈は、ほとんどなんでも吸収できるということなのだ。そう、すでに目にしたことに対するフィードバックを送ってくれるのは構わないが、目にしたもの以外にはどうにもできないと思いこむのはやめてほしい。

 もちろんそうしたいのなら、好きにするがいい。私がとめる義理もない。私が言いたいことは、我々の決断にはどのような要素が加味されるかについてである。ファンが我々に伝えていることは、彼らが我々に伝えたいと考えていることではないかもしれないし、少なくとも我々が注意を払うべき必要がないことに関するものかもしれない。そして本当に、そこに良きストーリーがあるのであればそれは良いことであり、ゲームがリリースされる一年も前からオンラインで誰かがその良し悪しを決定しようがしまいが関係ない。(ウィンク)

*******

「あるキャラクターは決して再登場させるべきではないと誰かが宣言すると、私はきまってわざとそうしたくなる気分になる」

 たぶん、私がゲイダーさんの話が好きな理由は、こういうところですね(笑)。自称ファンの神経を逆なでするようなことは、どしどしやっていただきたい。

 前と何にも変わらないキャラクターを再登場させるのは「ファン・サーヴィス」。JRPGにとてもありがちで、「なんとかの軌跡」シリーズなど想起させます(あくまで見かけ上の話で、多少の工夫はされているようですが)。

 まあ、是非をとやかく言うつもりはありませんが、キャラクター再登場ありき、人気順でパーティー・メンバー追加・入れ替え、JRPGは結構平気ですからね。忌まわしき「少年ジャンプ」方式。もちろんジャンプの作家連だって、そういう安直な話に抵抗した例はありますが(つっても鳥山明級でなければ編集を黙らせるのは無理かな)。

 自分たちの描いたキャラクターを好きになるのはゲイダーさんと一緒でも、猫かわいがりするかどうかの違いなのかな。
 あるいはキャラクター商売に賭けなければいかんともしがたい状況に置かれているのであれば、JRPGは可哀想なのかもしれない。

 

 

 

【DAI】クリスマス・アップデート

 さすがにクリスマス・シーズンに何も音沙汰がないのはいけないと思ったのか、マーク・ダラー氏がBioWare.blogに以下のご挨拶。

http://blog.bioware.com/2013/12/19/mark-darrah-an-update-on-dragon-age-inquisition/

 新情報はほとんどありません。ヴィジュアル面改良についての画像と、舞台となる場所の開発画像、コンセプト画像が数枚。 

 BioWare開発者たちに配布される「ホリデイ・ビルド」なるDAIのゲームDVDについての記述。ホリデイ中に遊んでみてくださいという代物で、BioWareの伝統的趣向だそうだ。メインストーリーは最初から最後までなぞることができるというのですが、ペーシングとスペーシング、「歩調と間隔」、併せて日本語でいう「物語のペース、お話のテンポ」のチェックに用いるものであり、最終確定版ではない。

 そしてDAI公式サイトには新しいスクショが何枚か。赤魔導士、じゃない、DnDのデュエリスト的なコスチュームを身に纏ったおっさんのイメージ画。むしろヴァッカニアー(海賊)かな?

http://www.dragonage.com/ 

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 この世界、キライというわけではないが・・・。敢えて単発で曝すほどの画像だろうか。

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 むしろ、この背景などに描きこまれたキャンドルとか、お花とか草木とかを見て、「すげえ、すげえ」と騒がないといけないのか、オタクは。こっちはBF4を遊んでいないのでどのくらい違うのかわからない。

 画像の陰翳は素晴らしいですけどね。

The Wall, Pink Floyd (Disc2)

 だいぶ遅れたけど、Disc2。

 自分もかつてそうだったのですが、「壁の煉瓦のひとつ」を「社会の歯車」と勘違いしてはいけない。大名曲、”Another Brick in the Wall Part 2”だけを知っているとそう思ってしまいがちだが(まったくその含意がないとは言わないが)、全曲まがりなりにも意味の通じるように訳したので、それでは解釈が違うことがおわかりになると思う。

 主人公(ピンク)が自分の周りに巡らした「壁」の素材としての煉瓦。
 世の中のいかなる事柄も、自分と関わり合いをもついかなる人物も、その世の中(他者)との関わり合いを拒絶し、全き孤立の中に撤退しようとする男が、そのために築く壁を高くするための素材にしか過ぎない。強烈なニヒリズム。

 ただ残念ながら、自分の求めていた「壁」のテーマとはだいぶずれていた。やっぱ時代が違うんですね。1970年代、戦後に訪れた「現代」に右往左往している無名の若者たちの叫び、疎外、孤独(ピンクが求めていたのは「孤立」)、絶望、虚無。

 安部公房の「壁」を書店で探したのだが、売り切れ・・・。いつまでも入手できないとか、カフカの「城」みたいになってたりして。

 フロイディアンの研究サイトは多数ありますが、ここは面白いかも。

http://www.thewallanalysis.com/main/

*** 

Hey You

 ねえ君、寒いのに外にいて
 一人ぼっちになって年も取ってる君
 僕を感じられる?
 ねえ君、通路に立っていて
 脚は痛んで笑い顔が消えかけている君
 僕を感じられる?
 ねえ君、光を覆う奴らに手を貸すなよ
 戦わずにあきらめるなよ

 ねえ君、ひとりきりでいて
 電話のそばで裸で座っている君
 僕に触る?
 ねえ君、壁に耳を押し付けて
 誰かに呼ばれるのを待っている君
 僕に触る?
 ねえ君、石を運ぶのを手伝ってくれないかな
 心を開いて、僕は家に戻る

 でもそれはただのファンタジーだった
 壁があまりに高すぎた
 見てわかるよね
 彼がどんなに頑張っても
 自由になれはしなかった
 そして彼の脳みそは虫どもが食い散らかした

 ねえ君、道路に立っていて
 いつも言われたことをやっている君
 僕を助けてくれないか?
 ねえ君、壁のあっち側にいて
 広間でいくつも酒瓶を割っている君
 僕を助けてくれないか?
 ねえ君、希望がないなんて僕に言わないでくれよ
 一緒だから立ってられる、ばらばらじゃ挫けちゃう

(TVをつける音)
「さて、日が暮れるまで一時間しかない。そろそろ行こうか」
「夜に旅するのは危険じゃなくて?」
「ここにいたほうがずっと危ない。君の父が僕らの足取りを見つけてしまうから」
「ロカは馬に乗れるの?」
「ああ、乗れる」
「ロカ、出発しよう! チョングラ、色々とありがとう」
「さよなら、チョングラ!」
「さよなら、お嬢様!」
「いつか戻ってくるから」

Is There Anybody Out There?

 誰かいないの?
 誰かいないの?
 誰かいないの?
 誰かいないの?

Nobody Home

「わかった、一時期は私が連中の面倒をみることにするが、ワシントンにも世話しなくちゃならん相手がいるぞ」
「それは誰ですか?」
「ローズ・ピルチット」
「ローズ・ピルチット? それは誰ですか?」
(背後で子供が騒ぐ声、手前で叱る声「うるさい!」)
「36、24、36、(笑い声)それで答えになってるかな?」
(「おい! 僕の詩を書き綴っている小さな黒い手帳があるんだ!」)
「彼女は誰ですか?」
「1961年のミス機甲師団だよ」

 僕の詩を書き綴っている小さな黒い手帳があるんだ
 歯ブラシと櫛の入ったバッグもある
 尻尾を振っていると人が骨を投げてくれるときもある

 靴が脱げないように巻くゴムバンドがある
 気が滅入るほどむくんだ両手がある
 十三ものクソみたいなTVチャンネルがある
 電球がある
 それから僕には予知能力がある
 恐るべき観察眼がある
 だからわかるんだ
 話をしたいと思って
 君に電話をするときも
 誰も家にはいないことが

 お決まりのヘンドリックス風パーマ
 ありがちなタバコの焼け焦げ
 お気に入りのサテンシャツの前が台無し
 指先はニコチンでまっ黄色
 鎖の先には銀の匙がある
 自分の遺骸を仕舞うためのグランドピアノがある

 そして空を飛びたいと言う強い衝動がある
 だが飛んでいく先なんてない
 ああ、ベイブ、電話をかけようとしたら

「サプライズ、サプライズ、サプライズ」(Gomer Pyle showから)

 やっぱり誰も家にはいない

 ゴーヒルのブーツがある
 でも僕のルーツは消えつつある

「一体どこにいるんだ?」
「47機以上の独軍機を撃墜し、わが方の損害は15機にとどまりました」
「一体どこにいるんだ、サイモン?」
(機銃の音、飛行機が墜落する音)

Vera

 誰かヴェラ・リンを覚えている人いるかい?
 彼女がこう言ったときの様子を覚えているかい?
 私たちはまた会うでしょう
 ある晴れた日に
 ヴェラ! ヴェラ!
 君はどうしちゃったんだい?
 誰か他にも
 僕の気持ちがわかる人いるかい?

Bring the Boys Back Home

 兵士たちを国に連れ帰れ
 ボーイズを家に連れ帰れ
 子供だけで放っておいてはいけない、いけない
 ボーイズを家に連れ帰れ

「違う! やり直し!」
「そろそろ出番だよっ!」(トントン、ノックの音)
「大丈夫?」
「電話に出たのは男性ですけど、また切っちゃいました!」
 誰かいないの?

Comfortably Numb

 ヘロー?
 誰かいないの?
 聴こえたら頷いくだけでいい
 誰も家にいないの?
 ねえ、ちょっと
 君の気が滅入ってるのが聴こえるよ
 痛みを和らげてあげるよ
 もう一度立たせてあげるよ
 気を楽にして
 その前に情報が知りたい
 基本的なことだけさ
 どこが痛いか教えてくれるかい?

 やがて収まる痛みなどはない
 遠くの船、水平線の煙
 次々と襲ってくる痛みを耐えるしかない
 君の唇は動いているが何を言っているか聴こえない
 子供のころ熱を出した
 両手がまるで風船になったみたいに感じた
 その感じがまたするんだ
 説明できないし、聞いてもわからないだろう
 僕はこんなんじゃない
 心地よいくらい感覚がない

 オーケー 
 ちょっとだけ痛いかも
 これでもう、あーーーーっ!
 でも多少気分が悪くなるかも
 立てるかい?
 効いてるようだね、よかった
 ショウの間は大丈夫だろう
 さて、そろそろ出番だよ

 やがて収まる痛みなどはない
 遠くの船、水平線の煙
 次々と襲ってくる痛みを耐えるしかない
 君の唇は動いているが何を言っているか聴こえない
 子供のころ横目で何かをちらりと見た
 目の端っこのほうに見えた
 そっちを向いたらいなくなっていた
 何だったのかはわからない
 子供は大人になり、夢は消えてしまう
 心地よいくらい感覚がない

The Show Must Go On

 うーーー、ママ、うーーーー、パパ
 ショウを続けなくちゃダメ?
 うーーー、パパ、おうちに連れて帰って
 うーーー、ママ、ねえ帰ろう

 何かの間違いだ
 僕はふたりにそこまで頼んだつもりはない
 魂まで取り上げろなんて
 年を取り過ぎたかな、もう遅すぎるかな?

 うーーー、ママ、うーーーー、パパ
 あの感覚はどこにいっちゃったのかな?
 うーーー、ママ、うーーーー、パパ
 あの歌をちゃんと歌えるように覚えてるかな?
 ショウは続けなくちゃダメなのだから

In The Flesh

 そうさ
 そうだと思ってた
 ショウに行くのは好きなんじゃないかって
 混乱して心地よいスリルを感じられる
 あの頭がぼうっとするような幸福感
 言い出しにくいことがあるんだよ、サンシャイン
 ピンクの具合が良くない、ホテルで寝ている
 代わりに僕らに代理のバンドを送ってきた

 今夜の劇場にホモの変態は来てるか?
 壁際に押し付けちまえ!
 スポットライトが当たっているそいつ、僕の眼を直視していない
 壁際に押し付けちまえ!
 そいつユダヤじゃないのか!
 こっちのやつはクロだよ!
 誰がこんなゴミクズどもを中に入れちまったんだ?
 マリファナ吸ってる奴はいるし
 こっちの奴は吹き出物だらけ!
 僕が好き勝手やっていいなら
 皆撃ち殺しちまってるぜ!

Run Like Hell

「ピンク・フロイド! ピンク・フロイド!」

 逃げろ、逃げろ、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン
 逃げろ、逃げろ、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン
 顔は隠しておいた方がいい
 お気に入りの扮装で
 唇にはボタンダウン、瞳にはローラーブラインド
 空虚な笑いと、餓えた心
 過去の罪への呵責がもたらす不愉快さで
 神経はズタズタに切り裂かれる
 貝殻が割られ
 ドアがハンマーで打ち破られそうだから
 逃げた方がいい

 逃げろ、逃げろ、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン
 逃げろ、逃げろ、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン、ラン
 昼も夜も
 休みなく逃げた方がいい
 薄汚れた感情は
 心の奥に仕舞っておいて
 今夜ガールフレンドを連れ出す気なら
 車は人目のつかないところに停めておけ
 なぜならバックシートでその娘の
 鍵開けに勤しんでいるのを見つかったら
 母親のところに送り返されちまうから
 段ボール箱に詰め込まれて
 逃げた方がいい

「おい、開けろ! ハハハハハハハ!」
(車のタイヤが空すべりする音、追いかける怒号)
「ハンマー、ハンマー持って来い!」

Waiting for the Worms

「アイン、ツヴァイ、ドライ、アレ!」

 うーーー、僕はもう捕まらない
 うーーー、そっちがどんなに頑張っても
 さよなら、残酷な世界、もう終わりだ
 諦めて立ち去れ
 壁の中の掩蔽壕に座っている
 虫どもが来るのを待っている
 壁の中の完璧な孤立
 虫どもが来るのを待っている

 枯れ木をどかすのを待っている
 街が掃除されるのを待っている
 虫どもの後に従うのを待っている
 黒シャツを着るのを待っている
 弱虫どもを取り除くのを待っている
 窓をぶっ壊すのを待っている
 ドアを蹴り破るのを待っている
 最後の解決を待っている
 緊張を強めながら
 虫どもに従うのを待っている
 シャワーを開き
 オーヴンに点火するのを待っている
 オカマとクロとアカとユダヤを待っている
 虫どもに従うのを待っている

 今一度ブリタニアが
 この世を支配するのを見たいかい、友よ?
 虫どもに従うだけでいいのさ
 色付きのいとこどもを
 やつらの故郷に送り返したいかい、友よ?

 虫どもはブリクストンのバス停留場付近に集結する。正午ごろにはストックウェル通りに沿って移動をはじめ・・・、アボット通り・・・、三時十二分前にはランベス通りをヴォクソール橋に向かって進む。ヴォクソール橋の対岸に渡ったら、そこはウエストミンスター地区だ。道中、我々は非常に高い可能性で障害に遭遇・・・。

Stop

 もういい!
 家に帰りたい
 この制服を脱いで
 ショウの舞台からも立ち去って
 でも僕はこの独房で待っている
 なぜなら答えを見つけなければならないから
 僕はこれまでずっと罪を犯し続けてきたのだろうか?

The Trial

 おはようございます、虫けら閣下
 この道化めが率直に申し上げます
 囚人が閣下の前に起立していることを
 感情をむき出しにした現場を押さえられました
 まるで人間そのもののような感情をむき出した
 それは許されません
 校長を証人台へ!

 ずっと申し上げていたのです、閣下
 彼はロクなものにはならないと
 私の方針で教育できていたなら
 鞭打って根性を叩き直していたらと悔やまれます
 でも私の手は縛られていた
 温情主義者と芸術家たちが
 彼の殺人の罪を見逃したのです
 今ここでハンマーで撃つことをお許しいただけますか

 気が狂ってる
 屋根裏部屋のおもちゃみたいに僕は気が狂っている
 間違いなく常軌を逸している
 僕の頭がおかしくなったに違いない
 気が狂ってる、屋根裏部屋のおもちゃみたいに彼は気が狂っている

 このクズ野郎、ついに年貢の納めどきね
 牢の鍵なんてどこかに投げ捨ててしまえばいいのよ
 もっと沢山あたしと話をするべきだったんだ、でも無理ね!
 どうせ自分勝手にやるしかなかったんでしょう
 最近またどこかの家庭をぶち壊しにした?
 五分間だけもらえませんか、虫けら閣下
 彼とあたしだけにしてほしい

 ベーーーーーーイビー!
 母さんのところにきてベイビー
 抱き締めさせて、私の腕で
 閣下、私はひどい目になんて合わせなかったのに
 どうしてこの子が私の元から離れなければならないのでしょう?
 虫けら、閣下、この子は家に連れて帰ります

 気が狂ってる
 虹の彼方に行ったあの娘のように僕は気が狂っている
 窓には鉄格子がはまってる
 壁のどこかに扉があるに違いない
 気が狂ってる、虹の彼方に行ったあの娘のように彼は気が狂っている

 本法廷に差し出された証言によれば
 議論の余地はなく、陪審は評決のため退席する必要はない
 本官の長い判事生活でも
 このような例は初耳だ
 法の名における完全な処罰に
 これほど値する者を知らない

 被告が他者を苛んだその仕打ち
 気品に満ちあふれた奥方と母上に対するそれらにより
 本官は強い浄化(排便)の衝動を禁じ得ない!

「判事! 奴にクソしちまえ!」

 友よ、心の最奥に秘めた恐怖を明らかにしたことに鑑み
 本官は被告に対し、仲間にその姿を曝す刑を申し渡す
 壁を取り壊せ!

Outside the Wall

 皆ひとりきりで、あるいは二人組で
 君を本当に愛している者たちが
 壁の外側を歩いて回る
 手を繋いでいる者たちも
 群れを作っている者たちもいる
 温情主義者と芸術家たちが
 主張を述べている

 そして全力を尽くした者の中には
 怖気づき倒れ伏す者もいる、だってそれほど容易なことじゃないから
 どこかの狂ったクソ野郎が造った壁に、自分の心を打ちつけるなんてことは

「あれ、ここってさっき?」

*** 

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2013年12月19日 (木)

景気が上向いていると宇宙ものが流行る?(3)

 前記事の結論で「けむに巻かれた」ように感じた人がいるかもしれないので、もう少し詳細にやってみましょう。

 お題は「景気が上向いていると『宇宙もの』(の映画)が流行る」という言説が、実は「景気が上向いていると映画が流行る」、「景気が悪けりゃ映画は流行らん」というだけの話であるということを示したいというもの。あくまでUS国内に限る(単一の国についてはリセッションが比較的わかりやすいが、世界景気は判定が難しい)。
 本当は全ての映画についてやればいいんだけど、他のジャンルに大して興味もないんでサイファイに限ります。よって上の命題ではなく、「景気が上むきゃ(悪けりゃ)サイファイ映画は流行る(流行らん)」を示すことになるかな。

 実はこれも簡単に言うのは難しい。まずリセッション期間の長さがそうでない時期に比較して短いので、確率的に考えたら少数のサイファイ映画(というか映画)しか最初から公開時期がひっかからないかもしれない。
 また制作・配給側だって動員状況がヤバいと思っている時期のリリースは避けるかもしれない。投資面を考えたら、制作リードタイムがあるんで資金がつく(ゴーが出る)時期も違ってくる。景気好調時に制作はじめたけど、できあがったら不景気という場合だってある。
 色々考えなければならないことは多いですが、手持ちのデーターだけで好きでやってる一種のお遊びなんで、まあいっか。

 今回は「宇宙もの」にも限らずサイファイ全部並べる。かつ、前回US Box Officeで500位までに入っている映画しかリストアップしていなかったので1000位まで。
 なお、やっていて気がつきましたが(やらなくても気がつくが)、Box Office上位作品と「名作サイファイ」とは一致しません。あくまで映画館興行収入ですから、Blade Runner, 1982(2058位)のように、サイファイど素人、失礼、門外漢が見逃して上映打ち切りとなり、その後再演や他メディアでじわじわ稼ぐような作品は漏れています。押井さんによれば廃タンカー(VLCC)まで用意して大赤字こいたWaterworld, 1995(764位)がその際たるものだそうだ(最後はVHS/DVDやテレビからの収益でキッチリ浮いたそうです、タンカーだけに?)。
 それからSolaris, 2002(3391位)のような渋い文芸調もダメ。オリジナル(Solaris, 1972)に至っては「大名作」であるにも関わらずソヴィエト映画ですから、まあ当然のように圏外です。

(古い映画はディズニー映画を典型として何度か再公開を繰り返すケースがあり、その場合は合算して計算しているようです)

 サイファイかどうかは、一個づつタイトルで目押ししてますので、もし「ちがうんじゃない?」という異論があったら教えてください。95%近く観ているはずなんで大丈夫だとは思うけど。

 リセッション期間中にUSで公開開始された作品には頭に*をつけました。なんかどーでもいいような映画ばかりに*がついたような気がするが、*がついてなくてもどーでもいい映画もあるので何とも言えない。

 「景気が上向いていると『宇宙もの』(の映画)が流行る」といえるかどうか。限りなく違うと思うが、結局確証はないという結論になりそうです。

 やっていて「波」があることがわかりました。1992年が抜けているのは湾岸戦争の余波かな。Universal Soldier、the Lawnmower Man、Freejack、Alien 3の年か。うーむ・・・、ユニソルは個人的にはまあ悪くないと思うが一発ギャグだし、この年は不作ぶりがひどいね。

 2006年も抜けている。実は数こそ多いがA Scanner Darkly(サイファイかどうかは微妙)の他本当にお奨めが少ない。唯一真正サイファイの名作と言えるのはGravityのキュアロン監督の出世作Child of MenですがUKものだし、渋すぎたしね。

 それから最近の一年あたりの数はたしかに増えていますね(名目ドルでリストしてるからかな)。少なくともアメリカ人は最近不景気だとは思っていないということでしょうか。

 上位1000位中、リストアップされたのは89作品。約9%(上位500位中は54作品。約11%)。前回申し上げたようにコテコテのサイファイしか数えていない。これを多いと思うか少ないと思うか。一番古い1968年の2001は名目ドルでは1000位からはずれます。
 (実質ドル換算のオールタイム上位200位中、サイファイは26作品、13%)

 そういえば、Cloud Atlas, 2012がなかったな。2367位だそうだ。

114(25) The Hunger Games: Catching Fire, 2013
(75) Gravity, 2013
(99) Star Trek Into Darkness, 2013
(134) World War Z, 2013
(531) Pacific Rim, 2013
(611) Elysium, 2013
(647) Oblivion, 2013

93(14) The Hunger Games, 2012
(179) MIB 3, 2012
(366) Prometheus, 2012
(852) John Carter, 2012
(972) Looper, 2012
(992) Battleship, 2012

(183) Rise of the Planet of the Apes, 2011
(361) Super 8, 2011
(563) Cowboys & Aliens, 2011
(699) Battle: Los Angeles, 2011

191(51) Inception, 2010
(196) Tron Legacy, 2010
(594) The Book of Eli, 2010

14(1) Avatar, 12/2009
(210) 2012, 11/2009
(436) District 9, 8/2009

(12/2007-6/2009)
*(372) Terminator Salvation, 5/2009
*(71) Star Trek, 4/2009
*(758) Knowing, 3/2009

*(104) Wall-E, 2008
*(532) Journey to the Center of the Earth, 2008
*(754) Cloverfield, 2008
*(765) The Day the Earth Stood Still, 2008

*192(72) I Am Legend, 12/2007

60(20) Star Wars Episode III, 2005
194(95) War of the World, 2005

(157) The Day After Tomorrow, 2004
(272) I, Robot, 2004
(745) Alien vs. Predator, 2004
(955) The Forgotten, 2004

111(60) The Matrix Reloaded, 2003
(251) Terminator 3, 2003
(296) The Matrix Revolutions, 2003

87(38) Star Wars Episode II, 2002
(151) Men In Black II, 2002
(335) Minority Report, 2002

(3/2001-11/2001)
*(170) Jurassic Park III, 7/2001
*(173) Planet of Apes, 7/2001
*(774) A.I., 6/2001

(634) Space Cowboys, 2000

17(5) Star Wars Episode I, 1999
(197) The Matrix, 1999
(444) Wild Wild West, 1999
(874) Galaxy Quest, 1999

138(136) Armageddon, 1998
(290) Deep Impact, 1998
(906) Star Trek: Insurrection, 1998
(928) Lost in Space, 1998

79(79) Men in Black, 1997
97(98) The Lost World: Jurassic Park, 1997
(547) Contact, 1997

37(41) Independence Day, 1996
(617) Star Trek First Contact, 1996

162(190) Apollo 13, 1995
(653) Waterworld, 1995
(736) Congo, 1995

(811) Star Trek: Generations, 1994
(875) Stargate, 1994

16(16) Jurassic Park, 1993

102(133) Terminator 2, 7/1991
(830) Star Trek VI: The Undiscovered Country, 12/1991

(7/1990-3/1991)

(407) Total Recall, 6/1990
(657) Back to the Future Part III, 5/1990

(454) Ghostbusters II, 1989
(416) Back to The Future Part II, 1989
(340) Honey, I Shrunk the Kids, 1989

(471) Star Trek IV, 1986
(681) Aliens, 1986

61(124) Back to The Future, 1985
(803) Cocoon, 1985

33(90) Ghostbusters, 1984
(797) Star Trek III: The Search for Spock, 1984

15(40) Return of Jedi, 1983
(764) Wargames, 1983

(7/1981-11/1982)
*4(9) E.T.,6/1982
*(768) Star Trek II: The Wrath of Khan, 6/1982

(1-7/1980)
*12(56) Empire Strikes Back, 5/1980

(722) Star Trek: The Motion Picture, 1979
(739) Alien, 1979

2(6) Star Wars,1977
71(334) Close Encounters of the Third Kind, 1977

(11/1973-3/1975)
*117(669) Young Frankenstein, 12/1974

134(1183) 2001: A Space Odyssey, 1968

(4/1960-2/1961)

景気が上向いていると宇宙ものが流行る?(2)

 さて、「景気が上向いているとき」というのだから、次に参照すべきはUSのリセッション(景気後退期)。すなわちリセッションの終わったと見なされる時期が景気が上向き、景気回復期。

 あちらでも定義は比較的ハッキリしている(もちろん異説は常にある)ので、Wikipedia(en)のリストで十分でしょう。近い方からあげてみます。ただしリセッション期間というのは終わってしばらく経ってからわかるので足下の2012年、2013年あたりは何もまだ判定されていない。( )内がリセッション期間。実質ドル換算上位作品を当てはめて見る(最初の三作品は実質ドル上位にはランクされていない)。

Gravity, 2013
Star Trek Into Darkness, 2013
Star Trek, 2009
Avatar 2009
(12/2007-6/2009)
Star Wars Ep 3 2005
Star Wars Ep 2 2002
(3/2001-11/2001)
Star Wars Ep 1 1999
Armageddon, 1998
Apollo 13, 1995
(7/1990-3/1991)
Return of Jedi 1983
E.T. 1982
Empire Strikes Back 1982
(7/1981-11/1982)
(1-7/1980)
Star Wars 1977
Close Encounters of the Third Kind, 1977
(11/1973-3/1975)
(12/1969-11/1970)
2001: A Space Odyssey,1968
(4/1960-2/1961)

 まあ、やってから失敗したと思いましたね。
 これって「不景気の期間には映画はあたらん」と言ってるようなものじゃないのか。
 概ね見事なまでにリセッション期間を避けている。映画の公開月まで出せばもっといいのだろうが、これ十分ですね・・・。

 本来であれば、「不景気の期間には映画はあたらん」ということをサイファイ以外の映画も含めて示せばいいのだが、もういいや。「不景気の期間にはサイファイ映画だけあたらん」となるはずないでしょうし。
 当たり前のように「不景気には映画館に行く人(頻度)が減る」ということがわかるだけでしょう。

 故に、Gravityについても(特に足下不景気とは思っていない)アメリカ人は、ジョージとサンドラという美男美女のラブロマンス(観ていないのでどうとでもいえる)を観たさに、あるいは観て喜んだ人の口コミ(つぶやき?)に乗せられてみんなで観に行きましたとさ!というお話ですかね。

 ところで、Gravityと似たような話のはずの、Red Planet及び Mission to Mars(デ・パルマ)はいずれも2000年の作品であり、リセッション期間ではないのだが大して当たらなかった。火星探査ブームもあり、21世紀到来を見据えて打ち出した「火星もの」(似たような脚本が複数出回るのはハリウッドでは日常茶飯事、Armageddon、Deep Impact然り)が共倒れに終わったのは単純に「凡作」だったってことですかね。
 そういえば2000年にはSpace Cowboysもあった。そちらは634位(名目)。
(追加)気になるPacific Rimは531位(名目)。なにもジャパンだけイマイチだったわけじゃなさげ。

景気が上向いていると宇宙ものが流行る?

 まだ観てもいない映画のことなので何でも言える(何も言えない)のですが。Gravityがあちらでバカあたりしている理由として「景気が上向いていると宇宙ものが流行る」とか、どこかに書いてありました。

 ほんとか?
 それがほんとかどうかなんかより、それって最悪の論評(思考停止)じゃないのかな。

 なんでも「経済」に結び付けたがるのは日本に限らずあちらのメディアも一緒。景気がいいから映画の動員数が増える、あるいは、もっとバブっちゃうと映画すら観ないでもっと高級な遊びに走る、なんていうならまだいいけど。「景気が上向いていると宇宙ものが流行る」、すなわちスカイロケット(skyrocket、急上昇、急伸、高騰)繋がりはいくらなんでも単細胞すぎませんか?(それともアメリカ人が単細胞の集まりなのか)

 まあ、「宇宙もの」ってのをどう捉えるかでどうとでもなる、どうでもいい言説と考えればいいのか。
 
 「流行る」の定義も曖昧なので、Box Officeでいってみっか。Gravityバカ受けはアメリカの話ですから、USでいいっすね。imdbのデータは「名目ドル」なんで細かい点では色々指摘ありそうだけど、ザックリわかればいいんで、そこまで真剣にやる気はない・・・、と思ったら「実質ドル」に変換してくれているサイトがあった!
 んー、オタクの力を見くびってはいけないですね。

 ただし用いるべきなのは「名目」か「実質」かの議論は依然としてあります。アジャストしたからといって第二次大戦直前の数字と21世紀をベタで比べて何かがわかると断言できるわけはない。
 名目でやってしまうとどうしても最近の作品が上位にはり付く傾向になるので、できるところは実質で並べておきます。

 下のリンクから閲覧することができるラインナップ(US国内)は、Gone with the Wind(1939)、Star Wars(1977)、The Sound of Music(1965)、E.T.(1982)、Titanic(1997)となっていて、悪くないかなと思うので、まずこれでやってみよう。

http://www.boxofficemojo.com/alltime/adjusted.htm

 実質ドル換算では上位200がリストアップされている。
 「宇宙もの」の定義は非常にきっついね。これは私の独断で選ぼう。
 順位は実質ドル順で並んでいて、( )内が名目ドル。

 2(6) Star Wars,1977
 4(9) E.T.,1982
 12(56) Empire Strikes Back, 1980
 14(1) Avatar, 2009
 15(40) Return of Jedi, 1983
 17(5) Star Wars Episode I, 1999
 60(20) Star Wars Episode III, 2005
 71(334) Close Encounters of the Third Kind, 1977
 87(38) Star Wars Episode II, 2002
 134(1183) 2001: A Space Odyssey, 1968
 138(136) Armageddon, 1998
 162(190) Apollo 13, 1995

 - (71)Star Trek, 2009
 - (75)Gravity, 2013
 - (99)Star Trek Into Darkness, 2013

 Apollo 13は入っているがThe Right Staff,1983が抜けている。ドキュメンタリーベースの固い作品だったので名目ドルで2784位。
 Gravityが入ってるならRed Planet, 2000、Mission to Mars, 2000はどうかというと3117位、1081位。

 ちなみにサイファイと思われるけど「宇宙もの」じゃないと思って外したのは次。ただし、007シリーズ、スーパーヒーローズ(AvengersやThe Dark Knight)、トランスフォーマー、モンスター(ゴジラ!)、ファンタジー(LotR、ハリポタなど)、オカルト、ほとんどのアニメは除いた。

 16(16) Jurassic Park, 1993
 33(90) Ghostbusters, 1984
 37(41) Independence Day, 1996
 61(124) Back to The Future, 1985
 79(79) Men in Black, 1997
 93(14) The Hunger Games, 2012
 97(98) The Lost World: Jurassic Park, 1997
 102(133) Terminator 2, 1991
 111(60) The Matrix Reloaded, 2003
 114(25) The Hunger Games: Catching Fire, 2013
 117(669) Young Frankenstein, 1974
 191(51) Inception, 2010
 192(72) I am Legend, 2007
 194(95) War of the World, 2005

 以下、実質ドルでは200位圏外の作品。順位は名目ドル。

(104) Wall-E, 2008
(134) World War Z, 2013
(151) Men In Black II, 2002
(157) The Day After Tomorrow, 2004
(170) Jurassic Park III, 2001
(173) Planet of Apes, 2001
(179) MIB 3, 2012
(183) Rise of the Planet of the Apes, 2011
(196) Tron Legacy, 2010
(197) The Matrix, 1999
(210) 2012, 2009
(251) Terminator 3, 2003
(272) I, Robot, 2004
(290) Deep Impact, 1998
(296) The Matrix Revolutions, 2003
(335) Minority Report, 2002
(340) Honey, I Shrunk the Kids, 1989
(361) Super 8, 2011
(366) Prometheus, 2012
(372) Terminator Salvation, 2009
(407) Total Recall, 1990
(416) Back to The Future Part II, 1989
(436) District 9, 2009
(444) Wild Wild West, 1999
(454) Ghostbusters II, 1989
(471) Star Trek IV, 1986

 以上500位まで。

 さて本題(本題なんてないようなものだが)に移る前に、ざっと眺めてみてどうでしょうか。
 スピルバーグ、ルーカス外しちゃったら、実質ドルの「宇宙もの」上位なんてAvatar、2001、Armageddon、Apollo 13しか残らない。
 Armageddonが「宇宙もの」で、Deep Impactがどうしてそうじゃない? あんまし真面目に考えていないけど、物語の力点の置き方の違いかな。個人的には後者が好きだが、世の中は逆のようです。

 Ghostbustersがどうしてサイファイか? って、え、じゃあサイファイ以外のなに?

 Alien、Aliensなんてどこにいるのでしょうか。739位、681位(いずれも名目)。

 The Hunger Gamesは(お約束のお話なのに)二作目も絶好調ですが、これについては島国の「進撃の巨人」人気とあわせて、似たようなムーヴメントの産物だと思っているんですよね。恐怖と不安のグローバリゼーション。いつか書きたいと思っていてなかなか手につかない。二作目を観てからかな。

 だいぶ長くなったので、ひとまずここら辺で。つうか本題(なんてないんですが)をちゃんとまとめ切れるかどうか不安・・・。

2013年12月18日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(12月17日)

  DAI Twitterの新コンセプト・アート。

Blackest_night

「ああ、メイカー、我が願い聞き届け給え。闇最も黒き夜に我を導かんことを」

“Oh Maker, hear my cry. Guide me through the blackest nights.”

Cloud Atlasについて(バンク記事コピペ)

 コメントでお題をいただいたクラウド・アトラス、実は以前どこかに書いたような記憶があります。
 いつものように一記事一トピックスではないので読みにくいでしょうから、もう一度整理しましょう。バンク記事のコピペは楽(笑)。

 ちなみに過去記事はここかな。

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/07/post-fd17.html

それと補足的なものもあった。

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/07/post-ff6b.html

 上映以前は”Magnolia”(1999)の再来などとも宣伝され、「解釈」は観客がいかようにでもして下さいという典型的オムニバス形式だが、例えるなら数多くの皿を一斉に回す曲芸の皿回しが、あんまり見事に回しすぎるので結局本来のスリルがなくなってしまった感じ。

 (記憶にある限り本格的サイ・ファイ映画への出演は初めての)トム・ハンクスはじめ、ひとりで数役(最大六役かな)を演じなければならない主要俳優陣の苦労は確かに見もの。メイキャップは素晴らしい。コーケイジアンなどがモンゴロイド(またはその逆)を演じるのはモンゴロイドのこっちからみたら確かに無理があるが、そんなの本質的問題じゃない。メイク技術と演技が優れているから、エンディングで示されてはじめて誰が演じているかわかるケースもいくつかあった。少数の俳優が役を掛け持ちせざるを得ない小さな劇団の舞台のような風変りな味わいがある。

 いくつかの印象に残る光景も、たぶんに既視感があるものの心地良い。

 そしてひとつひとつのエピソードは確かにそれなりに面白い。もちろんサイファイとしてみたら陳腐なものも含まれてはいるが、陳腐でないサイ・ファ イのアイデアなんて今時期待するほうが無理でしょう。ひとつひとつはそこそこでも、きっとすべて集まれば「クラウド・アトラス」、作中登場する交響曲のよ うに、壮大なクライマックスであっと言わせ、しばらく余韻が残るんだろうと期待して最後まで見続けましたが・・・。

 残念なことに、特にここで吐露できるような感動もなく終わってしまった。結局、なんだったんだっけ?

 英国サイファイの久々のヒットとなったデヴィッド・ミッチェルの原作を弁護する向きは、たかだか3時間で小説の味わいを再現することは無理だという。
 (残念ながら原作は読んでいない。ミッチェルのテーマのひとつは永劫回帰(eternal recurrence)だというが、映画からそれを感じることはできなかった)

(注:「永劫回帰」はもちろん、ニーチェのコンセプトです)

 観終わってから考えて、「解釈」の手掛かりがおもちゃ箱をひっくり返したようにどちゃっと散らばっているかなと思ったけど、逆に綺麗に「説明」され過ぎちゃっている。ひとつひとつのエピソードがそれぞれきちんと完結(解決)しちゃってる。さらに言えば、せっかく観客を混乱させるためにお膳立したはずの仕掛けをそういう風に使いきっていない。「解釈」するところがあまりない。

 何を言うか、それぞれのエピソードは他のエピソードと密接に絡み合っているじゃないか。お前がちゃんと観ていないだけだ。

 違うんです。それぞれのエピソードが他と絡み合い過ぎなんです。それがあまりに整然としすぎている。人類の長い歴史をとても小綺麗に描いている。歴史はさらりと説明できるようなものなんかじゃない。

 もちろん、それぞれのエピソードが歴史上の様々な「差別」や「格差」を縦糸にしているのはわかる。思いつくままに挙げれば、人種・文明、性嗜好・名声、資本・貧富、加齢、性・身分、暴力・テクノロジーなど。「宗教」だけは大人の事情のせいかうまいこと避けてるかな。悲しいのはそれが「頭では」良くわかるレヴェルに留まっていること。

「すべての者を縛るのはたった一つの掟だ。一つの原則が神の創り給うたこの緑の星のすべての関係を規定する。弱者は肉、強者が食らう」

“There is only one rule that binds all people. One governing principle that defines every relationship on God's green earth: The weak are meat, and the strong do eat.”

 監督の一人は批評に対する反論で「我々はこれこれこういう意図で映画を撮ったなどとは言いたくない。最も興味深い芸術には、幅広い解釈の余地があるものだ」(原文は下)と述べているようである。後半の発想はそれ自体全く正しいと思いますが、この映画に関しては、むしろ「解釈の余地」があんまし残っていないことが問題だと思う。

“We don't want to say, 'We are making this to mean this.' What we find is that the most interesting art is open to a spectrum of interpretation."

 ”Magnolia”を弁護するほど好きなわけじゃないが、あの映画のエピソード群は他のエピソードとそんなに絡み合ってはいない。正しくは絡み合っているように見せていない。それがあの賛否両論あるエンディングで「でも、ま、いいか」、なんかうまいことまとまったような気になる(何もかも洗い流される気がする)。その理由は(貫くものが何かは)観客が「解釈」するしかない。

 あるいは舞台の一つにトウキョウも登場するのでご覧になった人が多いかもしれないが”Babel”(2006)だってそう。あれも本当はうまくまとまっているのかどうかよくわからない、ある一点のみでルーズに結びついた4つのエピソードの羅列だったが、貫くものがあるような気にさせる。

 ノーラン監督の”Inception”(2010)は、夢の中の話なのにロジカルでクリアカットすぎると強く感じたことを記憶している。夢なんだからもっとメチャクチャやればいいのに。残念なことに夢に侵入する(そして脱出する)際の組立てがすごくわかりやすい。悪口としての「ゲーム感覚」が強すぎて、そこがとても残念。
 なんとなくわかってきたのはこれらは作り手側固有の問題じゃなくて、観客側の要求に問題があるのではないかと思えること。結局必要なものは「解釈の余地」ではなくて「わかりやすい説明」なのかもしれない。

***

(次は別記事での補足)

 ”Cloud Atlas”の描いている様々な光景にそれぞれ「既視感」があると書いたのですが、メタクリであちらのプロの映画レヴューを拾い読みしていると、具体的にこの映画のあの場面、あの映画のこの場面、すべて過去の映画の切り貼りじゃないかと批判しているレヴュアーがいました。(他に、やっぱりコーケイジアンが モンゴロイド(またはその逆)を演じるのは無理筋過ぎると怒っているレヴュアーもいた)

 つまり暗黒の未来社会は”The Matrix”か“Blade Runner”だし、奴隷密航の場面は“Amistad”だし、その他も“One Flew Over the Cuckoo’s Nest”だったり“Xanadu”だったりと。

 私の感じたデジャヴの理由はそれだったわけか。
 結局のところ、サイファイ映画のアイデアが枯渇してしまったのか飽和しているのか。だとすれば、いずれ「どのサイファイ映画も全部一緒でつまらん」と言われかねない、由々しき事態になりかねないんで、ぜひ斬新なアイデアが生まれてくることを期待したい。

 そして、長いこと話題が出てはまた消える小説”Hyperion”の映画化でもそろそろ実現してくんないかな。”Cloud Atlas”よかそっちが先だったんじゃないのか。

*** 

 コメントをいただいた元記事で、2009年(Avatarの年)のボナンザに比べ、2013年(Cloud Atlas、Pacific Rimの年)ジャックポットはいまいち?と書いたのですが、その理由にはわりと自分で気がついていたみたいです。

 「既視感」なんですね・・・。2009年(Avatar、Star Trek、Moon、District 9、一年後だがInception)で斬新と感じたテーマ、アイデア、ギミック(仕掛け)、ガジェット(小道具)などが今ではもうすでに陳腐化しているという恐ろしさ。サイファイのアイデアがある種の「お約束」として記号化されちゃってる。「ああ、あのMoonの仕掛けのヴァリエーションね!」、「ああ、District 9の敵が上流階級になっただけね!」
 (ほんと、例外はPacific Rimくらい。TranceでさえInceptionと比べられてしまうだろう)

 上にも書いたようにCloud Atlasの個々のエピソードはヴィジュアル的にもとても優れた「どこか懐かしい」サイファイ世界。でも、それぞれが小奇麗にまとまっていて、口ではそれら繋がりを鮮やかに説明できるのですが、それらを繋ぐものがとっても弱い(むしろ「ない」)と感じた。

 やっぱ興行的なこと考えて、誰でもわかりやすい(でも全体としては何が言いたいかわからない)映画にしちゃったのね、というのが率直な感想なのです。

2013年12月17日 (火)

The Wall, Pink Floyd (Disc1)

 Disc1はわかるとしても、今の子はA面、B面知らないって? 

 いや、℃-uteだって両A面いうてるでしょ。ポルノもオールA面いうてるでしょ。(言ってない。オールタイムシングルしか言ってない)

 ま、ターンテーブルにかまけずに、彼女口説いている時間が(アルバムで)たかだか二十数分刻みだったって時代の話。

***

In the Fresh

「…入ってきた所じゃないか・・・」

 そうさ
 そうだと思ってた
 ショウに行くのは好きなんじゃないかって
 混乱して心地よいスリルを感じられる
 あの頭がぼうっとするような幸福感
 何か解せないことがあるかい、サンシャイン?
 こんなもの見るつもりじゃなかったかい?
 皆の冷たい視線の裏に何があるか知りたいなら
 この見せかけの世界を掻き分けていかなきゃならないんだぜ

「光を! 音響効果オン! アクション!」
「落とせ、落とせ、奴らの頭の上から落としてやれ!」

The Thin Ice

 ママはベイビーを愛してる
 ダディも君を愛している
 君には海は暖かく見えるかも
 空も青く見えるかも
 だけど、ああ、ベイビー
 ベイビー・ブルー

 スケートしなけりゃならないなら
 今の世の中の薄氷の上を
 静かな非難を引きづりながら
 涙に暮れた何百もの瞳の
 氷が割れてもあわてるな
 足下に穴が開いても
 深みから抜け出した君の 心も君から抜け出して
 後ろから恐怖が垂れ流れている
 君が薄氷にしがみついている間に

Another Brick in the Wall Part 1

 ダディは海を越えて飛んで行った
 思い出だけを残して
 家族アルバムの写真だけ
 ダディ、他に僕に何を残してくれたんだい?
 ダディ、僕のために何を残したかったんだい?
 とどのつまり、壁の煉瓦のひとつに過ぎなかった
 とどのつまり、壁の煉瓦のひとつに過ぎなかった

「お前! そう、お前だ! しゃきっと立ってろ、若造!」

The Happiest Days of our Lives

 年頃になって学校に行くと
 そこにはいかなる手を使ってでも
 子供を痛めつけようとする類の教師がいた

「いてっ!」

 奴らは嘲り笑いを浴びせ続ける
 僕たちがやったどんなことにも
 それは奴らのあらゆる弱みの裏返しだが
 子供たちの眼からは巧妙に隠している
 だが街では良く知られていた
 奴らが夜家に帰ってからは
 太って頭のいかれた妻どもから
 半殺しになるまで打ちのめされていることを

Another Brick in the Wall Part 2

 教育なんていらない
 思想統制なんてまっぴらだ
 陰険な皮肉を教室に持ち込むな
 教師どもは子供たちを放っておけ
 おい! 教師ども! 子供たちを放っておけ!
 とどのつまり、壁の煉瓦のひとつに過ぎない
 とどのつまり、お前らも壁の煉瓦のひとつに過ぎない

 教育なんていらない
 思想統制なんてまっぴらだ
 陰険な皮肉を教室に持ち込むな
 教師どもは僕たちを放っておいてくれ
 おい! 教師ども! 僕たちを放っておいてくれ!
 とどのつまり、壁の煉瓦のひとつに過ぎない
 とどのつまり、お前らも壁の煉瓦のひとつに過ぎない

「違う! やり直し!」
「肉を食べないならプリンはお預けだ。肉も食べずにプリンを食べるなんて何考えてるんだ?」
「お前、そう、その自転車小屋の影のお前! しゃきっと立ってろ、若造!」

Mother

 母さん奴ら爆弾落とすかな?
 母さん奴らこの歌好きかな?
 母さん奴ら僕をこてんぱんにしちゃうかな?
 ねえ、母さん、僕は壁を造るべきかな?
 母さん僕は大統領に立候補すべきかな?
 母さん僕は今の政府を信じるべきかな?
 母さん奴ら僕をぼろかすに言うかな?
 ねえ、母さん、そんなの時間の無駄かな?

 しーっ、かわいい子、ベイビー、泣いちゃダメ
 母さんがあなたの悪夢を全部実現するから
 母さんが抱く恐怖をあなたに全部押しつけるから
 母さんの羽根の下からあなたを離さないから
 彼女は君を飛び立たせはしないが、歌うことは許すかもしれない
 ママはベイビーを心地よく暖かくしておくもの
 ああ、ベイビー、ああ、ベイビー
 もちろん壁を造るのだって手伝ってくれる

 母さんあの娘って相応しいかな・・・、僕に?
 母さんあの娘にひどい目に合わされるかな・・・、僕が?
 母さん彼女はあなたの可愛い坊やの心を引き裂いてしまうかな?
 ねえ、母さん、彼女は僕を捨ててしまうかな?

 しーっ、かわいい子、ベイビー、泣いちゃダメ
 ママがあなたのガールフレンドを全部品定めするから
 ママはあばずれ女なんて全部見分けるから
 ママはあなたが帰ってくるまで起きているから
 ママはあなたがどこにいたかいつでもわかるから
 ママはベイビーを元気でキレイなままにしておくから
 ああ、ベイビー、ああ、ベイビー
 あなたはいつまでも私のベイビーよ

 母さん、こんなに高くする必要があるの?

Goodbye Blue Sky

「みて、マミー、お空に飛行機だよ!」

 おっかながってる奴らを見た?
 爆弾が落ちてくる音を聴いた?
 どうしてシェルターに逃げなきゃならないか考えたことあるかい?
 素晴しい新世界の兆しが透んだ青空の下に広がっているときに

 おっかながってる奴らを見た?
 爆弾が落ちてくる音を聴いた?
 焔はみな消えてしまったけれど、痛みはずっと残っている

 さようなら、青空
 さようなら、青空
 グッバイ

「11:15着ニューキャッスル便が接近中」
「到着は11:18・・・」

Empty Spaces

(逆録音のメッセージ)
「おめでとう、秘密のメッセージを見つけたね。
 答えは『オールド・ピンク』の元まで送ってくれ
 愉快な農園、チャルフォント気付で・・・」
「ロジャー、キャロラインから電話だけど・・・」

 何に使おうか
 空いているスペースは
 よくそこで話しをしていたけど?
 どうやって埋めようか
 最後の場所は?
 壁はどうやって完成させればいいだろう

Young Lust

 僕はただの新入り
 街のよそ者
 良き時代はどこに行った?
 誰かよそ者を案内してくれないか?
 ああ、あばずれ女が欲しい
 ああ、あばずれ娘が欲しい

 この乾ききった土地に冷たい女はいないのか
 僕を本当の男だと感じさせてくれるような
 このロックンロールの難民を
 ああ、ベイビー、解き放ってくれ

 ああ、あばずれ女が欲しい
 ああ、あばずれ娘が欲しい

(電話呼び出し音、受話器を取る音)
「もしもし?」
「フロイド夫人にご主人からコレクトコールです。合衆国からですがお受けになりますか?」
(電話をガチャンと切る音)
「ああ、切っちゃった! あなたのお宅ですよね? どうして切っちゃうんでしょう。奥さん以外に誰かが傍にいるんでしょうかね?」
(再び電話呼び出し音、受話器を取る音)
「もしもし?」
「合衆国からです、失礼ですが・・・」
(電話を切る音)
「同じですわ。電話に出たのは男性でしたけど」
(通信切断)

 
One of My Turns

「まあすごい! なんて素敵なお部屋! これ全部あなたのギター?」
(映画の音声)「失礼しました、サー、驚かすつもりはなかったのですが!」
「あたしたちのアパートより広い!」
(映画の音声)「入っていいと言うまで待っていてくれ」「わかりました、サー!」
「ねえ、お水一杯もらっていいかな?」
(映画の音声)「しかしそれにしても・・・」
「あなたもいる?」
(映画の音声)「はい」
「まあ、みてこのバスタブ? ねえ、お風呂にするう?」
(映画の音声)「バンクロフト夫人が我々と何時に面会するか確かめないと、彼女の・・・」
「何を観ているの?」
(映画の音声)「できるだけ早く教えてほしいのですが、バンクロフト夫人」「バンクロフト夫人・・・」
「ねえ?」
(映画の音声)「意味が分からない・・・」
「大丈夫?」

 毎日毎日、愛は灰色に褪せていく
 死の迫った男の肌のように
 毎晩毎晩、大丈夫なふりをしている
 だが自分は年を取り続け
 君は冷たくなり続け
 もはや楽しいことなど何もない
 そして自分が曲がり角に差し掛かったことを感じている
 自分が剃刀の刃のように冷たく
 止血帯のように固く
 葬儀の太鼓のように乾いていることを

 寝室に駆け込む
 左手に持ったスーツケースの中には
 お気に入りの斧が入っている
 そんなに脅えたような顔をするな
 ただの通過段階だ
 不愉快な日だってあるんだ
 テレビでも観るかい?
 それともシーツにくるまるか?
 あるいは静かなフリーウェイでも見つめているか?
 なにか食べたいか?
 空を飛べるようになりたいか?
 どうだい?
 僕が試すのを見てみたいか?

 おまわりを呼ぶつもりか?
 僕もここまでにしとけと思うか?
 どうして逃げようとするんだ?

Don't Leave Me Now

 ああ、ベイビー
 行かないでくれ
 ここが終点だなんて言わないでくれ
 花束を贈ったじゃないか
 いてほしいんだ、ベイビー
 ずたずたに切り裂くなんて
 僕の友達の目の前で
 ああ、ベイビー
 行かないでくれ
 どうしてそんなことができるんだ?
 どれだけいてほしいかわかってるじゃないか
 土曜日の夜にこんなひどい目に合わせるなんて
 ああ、ベイビー
 どうしてそんな仕打ちができるんだ?
 逃げ出すなんて
 いてほしいんだ、ベイビー
 どうして逃げ出すんだ
 ああ、ベイビー

Another Brick in the Wall Part 3

(多数のテレビチャンネルの音声)
「ブルズはすでに来ています」
(ピンク)「あーーーーーーーーっ!」
「ローマン・ミール・ベイカリーからのお奨めです」

 抱き締めてくれる腕なんていらない
 落ち着かせてくれるドラッグもいらない
 壁に書かれた落書きを見た
 勘違いするな、何もいらないんだ
 違う! 勘違いするな、僕は何ひとついらない
 とどのつまり、ぜんぶ壁の煉瓦に過ぎなかった
 とどのつまり、お前らもみんな壁の煉瓦に過ぎなかった


Goodbye Cruel World

 さようなら、残酷な世界
 今日旅立つことにしたよ
 さようなら
 さようなら
 グッバイ

 さようなら、みんな
 何を言っても無駄だよ
 僕の気持ちは変わらない
 グッバイ

***

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2013年12月16日 (月)

2013年はサイファイ映画当たり年ではなかったのか。

 下の4月の記事で2013年はサイファイ映画のジャックポット、当たり年かと書いた。

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/04/elysium-star-tr.html

 現段階でまだ観ていないものがありますが、その時注目していたラインナップ。
 
・Star Trek Into Darkness (J.J.エイブラムズ)
・After Earth (ナイト・シャマラン) 
・Oblivion (ジョセフ・コシンスキー、Tron: Legacy) 
・Pacific Rim (ギレルモ・デル・トロ)
・World War Z (マーク・フォースター、Quantum of Solace )
(以下個人的に未鑑賞)
・Elysium (ニール・ブロムカンプ)
・Ender’s Game (ギャヴィン・フッド、X-Men Origins: Wolverine)

 このリスト外で、以下の作品もある。

・Cloud Atlas (トム・ティクヴァー、ワォシャウスキーズ)
・Trance (ダニー・ボイル)
(以下個人的に未鑑賞)
・Gravity (アルフォンゾ・クアロン)

 「サイファイとは何か」は特に定義していないので、Tranceはちゃうやろとか、なんでIron Man 3はいってへんねんとか、そういうのは気にしないで。

 正直に言ってしまえば、すでに観たもので(英語版BD/DVDを入手したものもあるにも係らず)もう一度観たいと断言できるものは辛うじてPacific Rimくらい(ようやくAmazon.co.jpで吹替版を観る決心をした)。
 それからTrance。さすがに英語(UKです)の言い回しが個人的にきっついのもあり、話を整理するためにもう一度観るはず。

 それだけ言うと、最初の花火の威勢良さに対していくらなんでも惨憺たる状況ではないかということになってしまうのですが・・・。
 実はそれぞれは良くやってるんですよ。WWZなんてお金かけたゾンビ映画としてみれば、正直Resident Evilシリーズよか好感度高い。28 Days/Weeks Later(ダニー・ボイル)のほうが面白かったけど。Oblivionだって、After Earthだって、「お話」としてみればサイファイ心をくすぐるし(でもその世界でもMoonが上だけど)、そして何しろいずれもいきなり金かかってるし。 

 でもねえ・・・。

 Avatar(ジェームズ・キャメロン)、Star Trek(J.J.エイブラムズ)、District 9(ニール・ブロムカンプ)やMoon(ダンカン・ジョーンズ)という傑作群が生まれた2009年のボナンザに比べると、かけたお金のコスパからいってどうなんでしょうね・・・(Inception(クリストファー・ノーラン)は2010年だった)。

 つまりその2009年ボナンザのおかげで、トムとか、トムとか、ブラピとか、スミス親子とか、ドル箱俳優がこぞって参入してきやがったのだろうけど、それはいいとしてもおかげで何かが喪われてしまったのかなあ・・・。
 まさか主演のギャラが製作費を圧迫しているわけじゃないだろうし。主演のスケジュールで制作が圧迫されてんのかなあ。

 個人的に観ていないものにもマット(デイモン)とかジュディ―(フォスター)とかハリソン(フォード)とかが出演しているんで傾向は一緒。
 Gravityにいたっては(観ていないので何でも言えるが)ジョージ(クルーニー)とサンドラ(ブロック)で、あちらじゃバカみたいに当たっているようで逆に怖い。この二人だからラブロマンスなんでしょうね。間違ってもSunshine(2007、ダニー・ボイル)のような傑作ハードコア・サイファイではないはずだ。

 Star Trekなんて一作目があんだけ面白かったのに、一体どうしちゃったのという感じ。JJがスターウォーズでクソ忙しいから自分で撮ってねえんじゃねえのと邪推したくなるくらい。あんな二作目じゃ過去のトレッキー映画(おしなべて凡作)と変わらないですよ。Starship Troopers(1997、ポール・ヴァーホーベン師匠)に負けてるよ。

 一歩引いて考えれば「お前たちサイファイ・ファンでもないのに、ドル箱俳優出てるからっていい気になってほいほい観てるんじゃねえっ! ここに登ってくんじゃねえっ!」という自分自身のスノビズム、エリーティズムが適正な評価を邪魔しているのか。あたしゃ「蜘蛛の糸」のカンダダか。

 いや、そうではないと思う。

 スタイリッシュに洗練されるのも、絢爛豪華なヴィジュアルを駆使するのも、巨額の制作費用を投入するのも、サイファイファンにとってウェルカムであっても何ら問題視する必要はない。ただ、2013年作品群からは何か本来のサイファイらしさの大事な部分が「毒抜き」、「漂白」、「除菌」、「クリーン化」されているのだ。その何かがAvatarの年の作品群には色濃く出ていたのだ。

 もしかしたらPrometheus(2012、リドリー・スコット)あたりにその答えがあるのかもしれない。検証するためもう一度観る元気が出るとは思えないのだが。

追記:まったく本題と関係ないが(このブログに本題なんてないが)、Pacific Rim、それからWWZでも(ネタバレになるのでぼやかすが)「巨大な壁」が登場する。某島国では「進撃の巨人」がバカあたりしてる。個人的にはOne P**ceなどがあたるよりよっぽど健全だと考えているが、この「壁」の解釈って面白そうですね。もちろん、こじつければどのサイファイ映画にも「壁」のメタファーは登場するのですが(宇宙船の隔壁は居住空間と真空とを隔てている)、あからさまに天まで届く壁が色々なところに登場するのは偶然ではないと思います。なんだろうね。

2013年12月15日 (日)

【DAI】On Writing Different Perspectives

 これもなかなかそそられるTumblrの記事。perspectivesというのは常に訳に困る言葉ですね。辞書的には「見方、態度、視点」ですが、インプライしているものはかなり広い。 

 目で見えているものを心の中で(メンタル的に)どう見るかつうことでしょう。風景や光景が最初から「目で見えている」わけじゃないことに気が付けばすんなりわかるはずなのですが・・・。とても難しい。

 幸いなことに、ここでは男性ライターが女性の視点で物語を書くことについての話題に限定されている。んー、この世の中でもっとも縁遠いかもしれない二つの世界、決して「幸い」ではないかもしれない・・・

***

「女性キャラクターについて書く場合、彼女らの(基本的な)ストーリーの流れについて概念的にはわかっているとしても難しいと感じることはないですか? もちろん彼女たちを(できるなら)面白いように描くにはどうすればいいかわかっているのですが、だからといってパースペクティヴの問題を避けることはできません。恐怖がその根幹にあるのかもしれない・・・」(ファンの質問)

(ゲイダーさん)

 ふむ。難しい質問だし、簡単な答えもなさそうだね。 

 私は女性キャラクターについて書くことを難しいと「思う」ことはないが、だからと言って、私が女性を描くのが得意だということを意味するわけではない。そう言ってくれる人も、違うと言う人もいる。個人的には、描く対象が自分と大きく異なった性質を持っているということではなく、私のライターとしての腕前に拠っているのだと思っている。 

 キャラクターを描く際、「どんな」キャラクターでも、自分と何らかの繋がりを持っているべきだ。Asunderではコールを描くことができたが、それは彼の真の姿に共感できたからでも、誰かを殺すことがどんな感じか知っていたからでもなく、他者と切り離されてとてつもなく孤独であるのがいかなる感じか知っていたからだ。回りから姿が見えないように感じること。フェンリスを描くことができたのも、奴隷制やエルフの苦境について意見があるからではなく、過去に虐げられたことがいつまでも纏わりつくことへのやり場のない憤怒がどのような感じか知っているからだ。モリガンにも同じことが言える。私は女性同士の共感について言うべきことがあるから書いたのではなく(偶然そういうことになっているかもしれないが、少なくとも狙ってはいなかった)、彼女の皮肉ぶりと、他者との関わり合いを忌避する態度に繋がりを持てたからだ。

 同じことが、私の描いたアリスターのようなまっすぐなキャラクターにも通用する。誰かに惹かれること、内気なこと、男女の付き合いに不器用なこととはどういう感じか知っているからだ。大した違いはない。

 躊躇する場合があるとしたら、そのキャラクターについて正しく描かなければならない部分を盛り込もうとする場合だろう。女性キャラクターを描く際に、自分の身内であるかのように感じられる部分に入り込むこともできるし、(正直に言えば)自分自身の女性的な部分に入り込むこともできるが、彼女に女性独自の経験についてのストーリーを語らせることはできない。同じように、黒人キャラクターにアメリカにおいて黒人が実際経験することについて語らせることもしたくない。だからと言って女性キャラクターや黒人キャラクターを書かないというわけではないが、その場合のストーリーは自分で真実であると確信できる範囲に限定したい。 

 そして、自分の書いたものが予期せずそのルールを破ってしまっているのではないかと憂慮するのであれば、自分には何の洞察もないと感じているにも関わらず、削ることはしたくないという話題に彼らの物語を迷い込ませてしまっているからかもしれない。その場合は知っている者の意見を聴くべきだ。DAコミックスに登場したMaevaris Tilaniにはトランスジェンダーの経験について語らせていないが、予期せず誤ったことを言わせていないかどうか、実際にトランスジェンダーの者にチェックをしてほしいと考えていた。 スタッフには女性ライターもいるので、彼女らには自分の書いた女性キャラクターをレヴューしてもらい、世界中の女性の誰一人たりとも言わないようなことを私が言わせていないかどうかチェックしてもらっている。実際過去に一回引っかかったことがあった(そして、まったくそのとおりその意見に従ったのだが、正直に言えば私はその指摘に心底困惑したのであった)。だからそうするのが手っ取り早い。うっかり危険な領域に踏み込んでしまう可能性は減るし、自分が正直な気持ちで書ける部分により深く気を配ることができるのだ。 

 なぜなら君の言う通り、本質的に自分自身ではないキャラクターを書いているときに、恐怖こそが間違いなく介在してくる要素だからだ。しかしながらその理由の一部は、君が疑っているよりも多くの部分が、君が自分自身に貼っている数多くのラベルでさえ示すことのできないくらい数多くの部分が自分にはあることに気が付いているからなのだ。我々は誰であっても男性的な特徴と女性的な特徴について少しばかり知っている。我々は我々とは通常異なる人々について空想するものだし、我々の規範から逸脱するような部分に性的魅力を感じることだってある。心の奥底では、我々は皆狭量とか憤怒がいかなる感じなのか、自殺の願望や殺人の誘惑がどういうものなのかわかっている。人間であることの一部は、善か悪かにかかわらずそれらすべての事柄についての能力を有していることであるし、ライターであることの一部は、それらに近づくことを恐れず、必要なときにはそれらを感じ取ることなのだ。

 人によっては、それをライターであることの呪いと呼ぶかもしれないが、同時にそれは愉しみと優れた共感の源にもなりうるのだ。

***

 ジェームズ・ティプトリー・ジュニアという大変著名なサイファイ作家がおりました。一番有名な小説集、「たったひとつの冴えたやりかた」など今でも手に入ると思います(つうかこれは表題の訳も冴えまくりなんですが)。 「接続された女」という名作短編もどこかのアンソロジーで読めるはず。

 女流作家があちらのサイファイ界を席巻していた頃、かのスタージョンをしてSF大会で「最近男子が元気ないな。がんばってるのティプトリーだけじゃん」とのたまわせたほどの才人なのですが、なんとティプトリーもまた女流の覆面作家だったことが判明するという、まるで小説みたいなオチがつく。 

 「彼女」の作品には、男子が読むと背筋が凍り付くものもいくつかあります。人間の男性と女性とは全く異なる二つの世界であって、決して相容れることもなければ、わかり合うこともない。

 それらの作品のオチはネタバレになるのでやめときましょう。

 ゲイダーさんのエッセイを読んで、知らないことには不用意に踏み込むな、というのはとても優れた態度かもしれないと再認識をしました。

 

【DAI】On the Characters I Didn't Write

 年末の開発マイルストーンが迫っていてライター陣の出番が一段落したのか、ゲイダーさん結構暇そうですね。Tumblrで立て続けにファンの質問に答えています。

 今回は、自分が担当しなかったキャラクターについての思い。

***

「リード・ライターとして最初に選ぶ権限はお持ちでしょうが、他のライターが担当しているキャラクターを書きたくなったことはありませんか? 端的に随分面白くなりそうだと思ったとか、話が進むにつれてどんどん面白くなってきたとかの理由だと思いますが」(ファンの質問)

(ゲイダーさん)  最初に選ぶ権利は持っていると思う。あるキャラクターを指で押さえて「いいから皆すっこんでろ、こいつは私が書く」ということも、やろうと思えばできるんだろう。実際にはそのキャラクターをどうしても書きたいと望んでいて、しっかりしたアイデアを得ているライターが他にいるのなら、そちらにあてがう傾向がある。

 (開発陣の中で)中間階層でしかないライターはプロジェクト全体のストーリーに影響を及ぼすことなんてできないから辛いんだ。他のライターにはとにかく「何か」ひとりでできる仕事を与えたいし、できることなら愉しめる仕事を与えたい。

 もちろん事態はそれよりもう少しこんがらがっている。我々がキャラクターのコンセプトをまとめる際には、ライターの誰かがキャラクターの誰かにあまりにのめりこみ、他の者たちは知らないうちに道を譲っているというソーシャル・ダイナミクス(社会動学)が作用する。私がリストの割り振りを終える頃には、だいたい納まるところに納まっている。DAIで私が書いたキャラクターについてはこんな感じだ。私にはBioWareに働き始めた頃から書きたかったストーリーがあって、誰もがそれについて知っていて、だからわざわざ自分から主張することもなかった。どんな艱難辛苦に見舞われようが(come hell or high water)、私がその人物について書くつもりであることは、ただ単に受け入れられたのだ。

 ときには驚きもある。DA2でいえば、私はアンダースを書くつもりだった。何しろ彼はAwakeningで自分が担当したキャラクターだったし、ジャスティスとのストーリー・アークをまとめる(そしてゲームの最終章へと結びつける)というのが私の計画だったのだ。ところがジェニファーが彼にとてものめり込んでいたので、彼女に引き渡すことにした。私の心の一部では、自分が彼を書いていたら一体どうなったのだろうと考え続けているが、その場合フェンリスは書かなかったわけで、果たしてどちらがハッピーだったかはわからない。フェンリスを書くことで個人的なカタルシスを味わうことになった。実際フェンリスが純粋な憤怒を爆発させる場面を沢山書いたが、あれは実はアンダースのものだったのかもしれない。今となっては果たしてどんな風になったかなんて知る由もないわけだよね?

 同様に、私は当初メリルを書くはずだった。結局自分にはそれだけの時間的余裕がないことがわかったので、メアリーに手渡した。彼女は最初メリルの声を見つけるのに苦労していたが、最終的にはものにした。それについては私もハッピーだった。自分のヴァージョンのメリルがどんなだったかなどと思い悩んだりは全くしない。それは全然違うものになったはずだからだ。もっとずっと真剣で、むしろ邪悪で、メアリーが書き上げたように善良な人物ではなかったはずだ。

 そのキャラクターを自分が書いたらどうなっただろうと思いを巡らすことは、「そのキャラクターがとても面白そうだから書いてみたい」という場合でも(他者の仕事に対する)称賛と考えるのは難しいと思う。それとは逆に「自分が書いたらもっと良くなったのだろうか」と思うのはちょっとおこがましい感じがする。

 もし、彼ら彼女らについて書くとしたらどうなるかと思い描いているお気に入りのキャラクターを何人か選んでみたらどうなるか。BG2のイモエンについて言うと、Throne of Bhaalでも私が少し書いたが、のちにDAOのアリスターが進んだような方向にもう少し変えてみたかったし、そうなったら素敵になるかもしれないとも思っていた。私が一度も携わっていないMass Effectシリーズについて言えば、アシュリーやテインを手掛けてみたいとは思う。あるいはジャック。彼女ら彼らは、もし私があちらのチームにいたのなら惹き付けられる類のキャラクターたちだ。

 私が本心から手掛けたいと思っているキャラクターがいるとしたら、DAOのジョワンだろう。彼を登場させるのは我々にとって冒険だった。卑怯なキャラクターを選び、贖罪の道に進ませることで、勇気について、恐るべき行いを購う代償がどれだけ大きいかについて語るわけだから。

 彼がパーティーに参加することは計画されていなかった。だがある一時期、彼もメンバーに加わることになって、私は非常に触発されて色々考えたんだ。ところが後にカットせざるを得なくなった。チームの他の者たちが、あの男は情けなさすぎると思ったのも理由の一部かもしれない。もちろん情けない男なのだが、私は彼のことをプロットで描かれるままの姿ではなく、将来変わりうる姿として見ていたんだ。だからカットされたときは辛かったよ。

 いずれにしろ、こんな答えで面白いかどうかはわからないが、そんなところだよ。

***

 遊ぶだけのこちらはむしろ、「別の書き手の書いたキャラクター」なんて想像したくないですよね。メリルは今のままのメリルでいいし、アンダースだってあのままでいい。フェンリスが妙に理屈っぽいところもゲイダーさん丸出しでよかったし。

 まさしく、ジョワンのようなキャラクターが登場するところがBioWareゲームの面目躍如というところでしょう。

 何重にもクソ野郎ですからね。ダメンズの鏡。

 そもそも真っ当なメイジじゃない(ハロウィングに受かっていません)。若い娘を騙して、見捨てて、逃亡して、結局知らんぷり。リリィさんあの後どうなったんだよ。おかげでメイジ主人公までグレイ・ウォーデンのコマンダー・ダンカンさんに連れていかれちゃったりするし。

 さらには家庭教師として潜り込んだ先でイーモン卿の若夫人を誑かし、ローゲインに言われるまま卿に毒を盛り・・・。

 コナー救出のためフェイドに侵入するメイジ(ジョワンは正確にはそうじゃないけど)のひとりとしてアーヴィングを選べると知ったときも笑ったけど、ジョワンも選べるというのはすごい。それはすごすぎます。しかもそのケースではイゾルデまで犠牲になる。

 ここら辺の(ジョワンのくだらない人生の)ぐだぐださ加減、堕ちるところまでどんどん堕ちていく加減が、圧倒的に素晴らしいですよね・・・。

 さらにそれ以上ジョワンに出番が用意されていたなんて素敵すぎます。きっとリリィさんを探し出して、やっぱりあっさり見捨てる場面もあったのでしょうね。

 残念ながら日の目を見ることはなかったようですが・・・。

【DAI】universally pretty(2)

 先日のゲイダーさんのカッサンドラのルックスについてのTumblr記事、やはり反響がかなりあったようです。

 相変わらずの、胸のすくような直撃弾でファンの質問に答えています。

*** 

「カッサンドラのBSNスレッドに対するコメントには笑ってしまいました。ファンがキャラクターの見かけにとやかく言うのは気に障りますか? 大抵は女性キャラクターについてですよね。開発者たちは、「DA2イザベラの肌を白くする」Modのような、キャラクターのルックスを変更するModについてどう考えているのでしょうか」(ファンの質問)

 (ゲイダーさん)くだんのBSNスレッドを読みたいならここ。読んで頭にくるような人にはお奨めはしない。

http://social.bioware.com/forum/1/topic/371/index/17669454

 むしろ私のレスだけ読んだ方がいいかもしれない(訳注:私も下のゲイダーさんのコメントのみ抽出したリンクだけ読むことを強くお奨めします)。

http://social.bioware.com/forum/1/topic/371/index/17669454&lf=8

 それで、まあ認めざるを得ないが、私のレスはめちゃくちゃな中身のコメント群を茶化すためのものだ。言えることは、そこではまともな対話は成立しないということだ。我々がやっていることの合理性や開発プロセスについていくら説明しても、自分たちのコメントで何を言っているのか自分たちですらわかっていない者たちの考えを変えることなんてできないのだ。

 最後のレスで書いたように、キャラクターの見かけについて誰かが批判するなんてとんでもないなどと言いたいわけでは全くない。アートがどのように見えるか、キャラクターが何度描き直されているかなどにかかわらず、誰でも自由に好き嫌いを言えるのだ。私がイライラする理由は、多くのコメントが話をそこで終わりにしないことにある。そしてその理由といったらゲームに登場するキャラクター、とりわけ女性キャラクターは(それには限らないが)魅力的でなければならないというただそれだけであると思われるからだ。目の保養(eye candy)としての価値しかないということだ。

 そこが苛立つ部分で、ルックスを変更するModも(程度問題だが)同様に思う。我々のチームは、キャラクターそれぞれの物語を体現するような見かけを造るのに大変な労力をかけている。もちろん、アート・チームが非常に素早く仕上げて、ゲーム間の見かけ上の連続性が保たれないことだってときにはあるが、何も全ての変更が新しいエンジンのせいだとか、(DAOとDA2の間のように)ゲーム全体の美術的趣向の変更に起因するわけではなく、そのキャラクターについてより良く表現できるように狙って変更しているのだ。

 見かけを変更したほうが良くなるか、それともただ以前と同じようにするため変えないでおくべきかは我々が常に行わなければならない議論だし、その場合の論点は常に、そのキャラクターについてより良く語れるのかどうかに尽きる。我々にとってそれらのキャラクターたちは実在の人物のようなものだ。マット・ローズのようなコンセプト・アーティストたちは、キャラクター・アートによって人物のストーリーを語らせようとすることに極めて熱心である。それらキャラクターが喋るセリフ以上に、アートに物を言わせることはできるし、実際しばしばそうなんだ。

 だからイザベラは、あのままの姿でいての彼女だ。私は彼女の肌を白くしてブロンドにしてみたいなど思わないし、それはアヴェリンをスーパーモデルの姿に変えたいと思わないのと同じだ。自分で手に入れたゲームに対してそうすべきだの、すべきでないだの言うつもりはないし、そのほうがましに見えるというなら好きにすればいいだけだ。だが開発者たちがそれをどう感じるかに思いを致すというのなら・・・。君たちはどう思うんだね? アヴェリンは必要なくて、バービー人形が欲しいというのなら。

 アーティストとライターがそれらによって多少なりとも傷つかないとでも考えているとしたら、私は、君たちが自分自身の妻の見かけを向上させるModをいつリリースしてくれるのか待ち焦がれて仕方がないだろうね。

*** 

 神の前に人は皆平等である。ゲイダーだろうが、レイドロウだろうが、ローズだろうが、スピルバーグ、キャメロン、ルーカス、押井守、宮崎駿だってみんな自分と同じ、平等だ。

 だから自分たちには好き勝手に文句を言う権利もあり、かつ、(どうせ自分じゃまともに作れやしない無能者の集まりなもんだから)キャラクターの外見などを変えるModを要求する。

 スーパーモデルがいい、ブロンド白人美女にしろ、ソバカスはいらない、赤毛は嫌い、顎が張りすぎている、短髪はマンリー(男っぽ)すぎる、などなど。

 ところが、だ。 

 とても悲しいことに、人類の90%以上は不細工か、せいぜい凡庸な見かけだ。その意味で決して平等ではない。

 ましてや「スーパーモデル」って、だって世界中で人数一ケタかせいぜい二ケタでしょ? 何億分の一だよ。ppbとはいわないけど、ppm以下のオーダーだよ。  

 誰も彼もが美形モデルであるなら、それは「平等」とはいわない。「平準」という。

 ファンタジー(いろんな意味で)だからいいのか。いいんだろうな、きっと。

 だったらそんなゲームいくらでもあるぜ。いや整形美女だらけの店だっていくらでも世の中にあるよ。そっち行こうよ。

 「神の前に人は皆平等」は実は大事なことを言っていなくて(嘘はついていない)、「神の前に人は皆おしなべてみすぼらしく無能な点で平等」なのだ。民主主義、つうか、まあアメリカはそこを見事にごまかしている。そうじゃないとみすぼらしく無能な者たちが、熱核弾頭弾のスイッチを押す役割を背負っている大統領を選んじゃってることになるから。

 もちろん、この見かけの問題だけに限って言えば、ホワイト・ストレート・メイル(男性)の声が突出してでかいというネット特有の問題もあるが、実は同根。深いところでつながっている。民主主義は容易にファシズムに陥りやすい。別に某大臣が間違っているわけじゃない(言わなくていいことを言っただけ)。

 そしてナチスこそが、国民の見かけに異常にこだわったのだ。

 ルーカスの「スターウォーズ」の反乱軍やジェダイが雑多な種族から構成されていて、帝国スターフリートのオフィサーがみな白人男性なのは、そういうこと。

2013年12月13日 (金)

【DAI】universally pretty

 知り合いの先生によれば、学級崩壊というのはごく少数の問題児童(小学校の話ですね)がいると当然のように起きるそうです。業界(というのかどうか知らないが)では統計的に確認されていると聞きました。今の標準クラス規模であれば実は数名も必要なく、二、三名いれば事足りる(という使い方があってるのかどうか知らないが)。
 もちろんあまねく広くそうなっているわけではないのはご存じのとおり。でも薄々お気づきだと思いますが逆に危ないところでは「必ず」崩壊する。

 BSNはすでに学級崩壊の様相を呈してから久しいのでまったく読んでいません。ゲイダーさんは懲りずに(というかお仕事だから)たまに読んでいるようですが、Twitterでも「(BSNに)何度かコメントしようと文案を書き直してみて、結局なにもしないのが得策だと気がついてやめることが多い」とこぼしていた。
 別段BSNに限った話しでもないのでしょう。GameSpotやIGNのユーザー・コメントは以前はなかなか面白い、役立つものが散見されたのですが、ノイズレシオが物凄いことになってしまったのでほとんど読まなくなりました。

 ネットの学級崩壊具合は日本が特にひどいと某新聞あたりが盛んに糾弾していますが、一番攻撃されているから悔し紛れだと思います。とはいえその記者ら「ほんとにあっちのネット読んでいるのかね」と思っちゃいますね。最悪レヴェルを競うならアメリカも到底上品とはいえない。

 ゲイダーさんが珍しくBSNに言及したのは「カッサンドラに関する話題」だそうだ。なんのことはない「マンリー(男っぽ)すぎて気に喰わない」という意見でドンパチが始まっているらしい(BSNは読まないつもりだったが、ゲイダーさんが何度か書き込んでいるようなので覗いてみた)。

*** 
(ゲイダーさん)
 自分はとても女らしい(feminine)女性に魅かれる。
 この女性には自分は魅かれない。
 故に、この女性は男のように見える。

 悲劇はそう遠くない。間違いなく。
***

 ようは上のゲイダーさんの書き込みのようなことです。
 
 他にもいくつか書き込まれているが、次はなかなか面白いかも。

*** 
(ファン)新しいエンジンが描写できないわけじゃないですよね。同一エンジンを用いているBF4では、特に特徴のないマルチプレイヤーのキャラクターでさえイケメンにできるのですが!(訳注:BF4触ったことはないが、女性兵士は出ないと想定)

(ゲイダーさん)
 ああ、気がついたね。実際カッサンドラとモリガンについては小奇麗なヴァージョンも造ってみたのだが、新しいエンジンがそれらをペッと吐き出して、「おたく何考えてんだよ、BF4のつもりか?」って言ったのさ。まったく気まぐれなゲーム・エンジンだぜ。

 私は実際にアート・ディレクターのマット・ゴードンのところにそれらを持って行ってこう言ったんだ。「新しいエンジンのことはともかく、少なくともカッサンドラとモリガンは以前とまったく同じ顔にしてくんないかな。ごく当たり前の綺麗な顔だった頃のほうがいいんだ。最初のスクリーンショットを見せたときから、社内のフォーラムの誰もがそう思っていた。ところが今ときたら・・・」

 彼は泣いていたよ。いやまったく、泣いていたんだ。
 ちぇっ、アーティストはつらいんだね。

*** 

 ごく当たり前に綺麗。universally pretty。誰もが例外なく綺麗と思うことですが、蓼食う虫も・・・というように、それはまずあり得ない。んまー、普通に考えてミスコンに出てくるような人たちのことですかね。出てくるのがスーパーモデルばかりじゃつまらんだろう、という書き込みもあった。

 新しいエンジンのくだりは、サイファイ作家ラファティーの小説に出てくる、わけのわからん人工知能マシーン(Ktistec Machine、クティステック・マシン)を彷彿とさせます。頭が良いのか悪いのか、良すぎてバカなのか、悪意があるのかないのかわからない。

2013年12月12日 (木)

年末の愉しみ

 Heroes of Dragon Age、マーク・ダラー氏、レイドロウ氏、ゲイダーさんなどDA開発者たちのTwitterによればかなり「はまっている」ようです。
 ゲイダーさんなどは、対戦相手のグレイ・ウォーデン・メイジに散々足止めされて怒り心頭とか(笑)。

 日本語版でかつ私の場合Android版しか遊べないことがわかったのですが、うかうかしているうちに他のプレイヤーたちが強くなりすぎてしまって、なかなか先に進めなくなった(笑)。最初からやる時間もほとんどないのですが。

 この手のゲームは普段あまりやらないので、他と比べて出来不出来を判断することはできませんが、暇つぶしにはなるかと思います。DAを詳しく知っている者にとってはいらないキャラクターばかり手に入るのでイライラしますが(笑)。
 開発サイドによればまだフル・ローンチではないようで、お金をかけるべきものもあまりない。DAIのリリースが近づくと俄然課金アイテムがてんこ盛りになるのかな。
 
 その話ではありません。

 年末年始にじっくり観ようと思って取り寄せていた英語版BD/DVDの”Game of Thrones” Season 1。例によって例のごとくAmazon.comのETA(到着予定)よりずっと早く届きました。Season 2も同時に買おうかどうか迷ったのですが、BD/DVD全部買いして結局いまだ観ずじまいのあちらのドラマ(英語版)多数あり・・・。全部老後の愉しみになってしまっている。また、GoTも来年Season 3も出ればもう少し安くなるだろうし。
 丁度季節も冬なんで、読む/観るには絶好のシーズンかも。

 小説(翻訳版)も読み始めていたのですがドラマ版は相当違うんですね。プロットの流れは一致しているのでしょうが、小説で思い描いていた内容、特に著者がしつこく描写しているところがドラマではさくっと割愛されている。逆に小説ではまだ登場しないはずの部分(なのでしょう)がすでに描かれているとか。

 原作からビタ一文ずれてはいけないかのような造りの和製アニメやらに馴れていると、わりと新鮮ではある。
 それで気がつきましたが、小説版と映画・ドラマを読み比べ・観比べることも昔からすると随分と減りました。「読んでから観るか・・・」なんつう往年の角川が煽っていた時代でも実はわざわざ読み比べはしなかったのですが(もっぱら、すでに小説を先に読んでいて、その映画版を後から見ることが常であった)。もう映画の原作を読んだりしなくなってしまった。「ダ・ヴィンチ・コード」のダン・ブラウンの「インフェルノ」も「どうせ映画になるでしょう」と手に取りもしないこの態度。「神曲」を今丁度読み進めているのにですよ・・・。
 ラノベとコミックス・アニメの関係でも易きに流れて愉しむのは後者ばかり。

 1996年から実質スタートしたマーティンの原作は、一作目翻訳版を持っていたにも関わらず読んでいなかったのはまさに不徳の致すところ。もしかしたらボックスセットでも買っていたのではないかと探したが、どうやらこのシリーズにボックスセットはないようだ。別のファンタジーシリーズと間違えているに違いない(そっちも読んでいない・・・)。

 Amazon.comから購入するときは輸送費を薄めるため色々まとめて注文するのですが、今回は”Star Trek into Darkness”など観逃した映画十本くらいかな。Star Trek今作については正直「うーん」でしたが、世間の評価は一作目と変わらず高いのか。

 この手の話題をすると、きまって”Hyperion”の映画版がどうなってるか知りたくなるのですが、依然として動きはないみたい。作者ダン・シモンズが元気なうちにできるのか。それよりも”Ilium - Olympos”「イリアム」・「オリュンポス」のほうが先に映画になっちゃうかも? そっちもまるで進んでいないみたいですが。

 Amazon.co.jpでもインスタント・ビデオのサービスがはじまりましたが、期待が大きすぎたせいか今のところ失望中。Amazonいうから、他じゃ手に入らないニッチな作品とか、日本上陸していない作品とか期待したのですが。数ある競合サービスと違うところは古い作品を(クラウドだけに)多数ストックしようとしているところくらい?

 新型Kindleを買って2000円のクーポンがもらえたのですが正直使い道がありません。
 目玉商品らしき「パシフィック・リム」がHD2500円とかわかりやすい商売しているし。2000円だとクーポン使っておしまいだからでしょう。
 欲しい映画はBD/DVDで買ってしまう。古い洋画もこんなラインナップじゃ全部観ている、邦画は基本観ない、アニメは高すぎだし、いずれどこかでやるし。

 文句を言うべきはわけのわからない日本の商慣行であるのはわかっているのですが・・・。TPPでなんとかならないのかな。

2013年12月11日 (水)

【DAI】コンセプト・アート(12月11日)

 とても久々ですが、Dragon Age twitterに詩文(ヴァース)つきのコンセプトアート。

Foulandcorrupt

「忌わしく邪なるは、彼より授かりし才をもて彼の子らに仇なしたりし者ら」

"Foul and corrupt are they who have taken His gift and turned it against His children."

 「彼」とはメイカー。天賦の才を悪用して同胞たちに撃ちかかるのは邪悪なるメイジたち。普通に読めばそういうことでしょう。もちろんチャントリー・テンプラー側にたった見方には違いない。メイジ側にたってテンプラーのことを指弾しているという解釈をしようとする向き もあるが、「天賦の才」という部分でちょっと弱い。テンプラー騎士のマジック・スポイル能力の源泉は定期的に摂取するレリウムであって、天賦の才ではないから。

 

2013年12月 9日 (月)

【DAI】悪徳と美徳(3)

 さて宿題に戻りましょう。

 「Faithのスピリットが堕落(corrupt)したらPrideディーモンになることがある」とゲイダーさんがBSNで言っていたそうな。では他のスピリッツはどうなるのか。
 勝手に予想するのはファンの自由。だが、ゲイダーさん他BioWareのメンツは整合性を保って設定しているのではないか。なにしろ業界には「ウルティマ」のアヴァターというあまりに有名な先達がいるのだ。

 (benevolent、善意ある)スピリッツの序列。下に行くに従って強力。

 Compassion (同情)
 Valor (武勇)
 Justice (正義)
 Faith (信仰)
 Hope (希望)

 (malevolent、悪意ある)ディーモンの序列。下に行くにしたがって強力。

 Rage (憤怒)
 Hunger (飢餓)
 Sloth (怠惰)
 Desire (欲望)
 Pride (傲慢)

 ここでFaithとPrideを対にしてしまうと具合が悪そうなので、未登場だがコンファームされているものを追加しよう。

 Compassion(同情):Rage(憤怒)
 ?     :Hunger(飢餓)
 Valor(武勇):Sloth(怠惰)
 Justice(正義):Vengeance(復讐)
 ?     :Desire(欲望)
 Faith(信仰):Pride (傲慢)
 Hope(希望):Despair (絶望)

 ディーモンの最上位にDespairを加えてみると多少しっくりくる。
 ここでVengeanceがディーモン(悪意あるスピリッツ)かどうかは微妙なところ。正義と復讐(報復)は裏腹ですからね。個人的にはそれは外してJustice/Desireのペアでもいいかと思ったが、そうすると説明がちょっと迂遠。
 上の表のままでDesireを「我欲」とみたら、対になるのはSacrifice、「献身」あたりですね。Hunger「飢餓・貪欲」の対になるのはFortitude、「不屈・堅忍」なんていいかもしれない。たしかそれぞれDAワールドの設定に出てきたはず・・・。DAwikiには載っていないので、「ワールド・オヴ・セダス」の記述かな。

 ディーモンのほうもDespair(絶望)と同様に未登場とされるFear(恐怖)、Envy(嫉妬)、Remorse(悔恨)もどこかに入れないといけないが、序列がハッキリしないのです(Despairも勝手に置いただけ)。
 Fearはそれ以上「約分」できない純粋な感情といいますから序列の上のほうかもしれないし、逆に原始的すぎるからRageと同様に一番下のほうかもしれない。EnvyはDesireの変化球ですが、Desireより上等なのか下等なのか。Remorseに至ってはどう考えればいいんだろう。

 それよりも、これらに対となるスピリッツなんているのかな。

 Fearの反対語(antonyms)は確かにUnconcern(無頓着)やFearlessness(恐れ知らず)だけどちょっとね。
 反対語に近いのはCourage(勇気)、Bravery(勇敢)など。
 Envyの反対語に近いのはSympathy(共感)、Kindness(思いやり)あたり。むしろ上のCompassionと対かなあ。
 Remorseの反対語はImpenitence(頑迷)、Remorselessness(無慈悲)って、どっちが悪徳だよ・・・。

 やっぱ、ゲイダーさんたちってば、あんまし考えていないようですね!
(というしょぼい結果が見えたので「ウルティマ」でお茶を濁したわけなんですが・・・)

【DAI】悪徳と美徳(2)

 最近、ココログのアクセス解析が更新され、固定読者の方々(ありがとうございます)以外読者数の少ないここにとっては特段どうでもいいことなんですが、プラットフォーム別の分析が出るようになった。
 やっぱスマホが相当多いようです。
 今回のような記事をPCの大きな画面のつもりで書いていると、いざ小さな画面で閲覧したときに「わやくちゃ」なわけわからない画面になってしまう。気をつけるつもり。

 少し迂回路を進みます。
 さて、この手の話で行数を稼ごうとすると(別に稼ぐ必要はないんですが)、やはりロード・ブリティッシュ(LB、及びそのブレーン)の造りだした「八つの徳」に触れるのがいいでしょう。自分のバンク(過去)記事を使えるので効率良いし(おいおい)。

 とはいえ探すの大変なんだよな・・・。ここかな。
 この一個前の関連記事で、「天狗」と「武士道」とアングロ・サクソンの思想について言及していたが、今読むとまるで他人の記事のように面白い(自画自賛)。ずっと忘れていた。

http://vanitie3.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cc55.html

(スマホ閲覧では画面がわやくちゃになると思いますのでご注意)

 ご存じ「ウルティマ」シリーズに登場したアヴァター(アバタール)となるための「八つの徳」は、三つの理念(Principles)に裏付けられております。これが非常に優れているのは、その三つの有無の組み合わせ(2の三乗=8)で八つの徳を表現していること。三つの理念がいずれもNullの場合に「謙虚」、なんてなかなか出てこない発想ですよね。ヴィトゲンシュタイン?

 また「八つの悪徳」とその理念(むしろ衝動かな)については「八つの徳」ときちんと対応しているのがおわかりでしょう。ただしオリジナルで記述がとんでいたり抜けていたりするので、私が一部補完している。そちらは必ずしもLBオリジナルではないかもしれない。

*** 

八つの徳の理念:
・勇気(Courage)
・愛情(Love)
・真実(Truth)

八つの徳(対応する理念の頭文字):

「正直」(Honesty)(T)
「慈悲」(Compassion)(L)
「武勇」(Valor)(C)
「正義」(Justice)(T+L)
「献身」(Sacrifice)(C+L)
「名誉」(Honor)(C+T)
「信仰」(Spirituality)(T+L+C)
「謙虚」(Humility)(Null)、「傲慢」(Pride)の対極

 八つの悪徳の理念(衝動?):
・臆病(Cowardice)
・冷淡(Apathy)
・虚偽(Falsity)

「欺瞞」(Deceit)(F)
「侮蔑」(Despite)(A)
「怯懦」(Fearfulness)(C)
「不実」(Treachery)(F+A)
「強欲」(Greed)(C+A)
「卑劣」(Vileness)(C+F)
「怠惰」(Sloth)(F+A+C)
「傲慢」(Pride)(Null)

*** 

 「悪徳」は私が手を入れているのでともかく、「八つの徳」についてはカンペキとしか言えない。
 そして後続のファンタジー系RPGには、この原形を踏襲して物語を組み立てるものも出てくる。
 LB自身によれば、キッタハッタのみだったヴィデオゲームRPGに物語を導入したいというのが、アイデアを出すキッカケだったようです。

 一見すると、これこそクリスチャニティの教えそのものを表現しているように見えます。
 勇気、愛情、真実が揃わなければそれは信仰ではなく、信仰にはそのうちひとつも欠けてはいけない。
 ここまでなら誰もが納得するところでしょう。信仰を貫くに勇気が必要なことは論を俟たない。ジーザスの教えに従い隣人愛(博愛)を旨としなければならない(神の前には皆平等)。全知全能の神の前にどんな嘘も通用しないのであるから真実のみ語ることは必然である。
 さらに言えば、上の六つの徳(正直、慈悲、武勇、正義、献身、名誉)は部分集合であるから、それらすべてを包含している。絵に描いたような篤信、信心深さ。

 ところが理念を三つとも欠いた(不在の)状態は「謙虚」。しかも最も重い悪徳である「傲慢」の対極にある。
 「謙虚」を体得した姿は「羊飼い」。
 ここがウルティマのアヴァター・システムのキモですよね。

 もちろんクリスチャニティ世界の住人たちが創造したシステムであるから、「謙虚」とは「神の前に人は皆無力である」という教えとも読める。人は原罪を背負っているのであるから、いかに三つの理念を極めても不完全な存在である。カンペキでなければそれはないのと同じ。人は迷える子羊である。羊飼いであるジーザスなくして神の国への正しい道を進むことはできない。そう見ればそれで完結している。その理解が足りないことを「傲慢」と呼ぶ。

 同システム初出の「ウルティマIV」発表当時には、こてこての聖書の教えに基づく抹香くさい、とは言わないかインセンス(焼香)くさいヴィデオゲームとみなして辛辣に批判する向きもあったようです。ゲーマーがまだまだアウトロー気取りだった時代ですね。

 一方で見方を変えると、この「謙虚」は仏教でいう無智(無明)を現わしているとも読める。人は(つうか輪廻があるから生きとし生けるものは全て)誰しも智慧を体得していない、覚り(悟り、あわせて「覚悟」)に至っていない、迷いを断ち切れない煩悩にまみれた存在である。そしてアヴァターに必要なのは「修行の道」。覚りの境地(涅槃)に至るための修練である。涅槃に至れば覚者、ブッダとなる(ウルティマの場合はアセッション、「昇天」してしまう)。

 それもそのはずで、LB自身もアヴァターと八つの徳について、元々はヒンドゥーの神話(アヴァターは十六の徳を体現しなければならない)からインスピレーションを受けたといいます。仏教はヒンドゥー教の影響を受け、それへの批判から創始されたものである。ちなみに、三つの理念の(それらを欠いた)元型は映画「オズの魔法使い」に登場するフォロワーたちのことですよね。

 まあ、1985年という(ヴィデオゲームにしてみれば)随分と古い時代の話で恐縮ですが、このくらいのことをすでにやり遂げてしまった先達が(アヴァターだけに)燦然と光輝いているので、DAで不用意なことをやってしまうとかなりみすぼらしいことになる。それが言いたかっただけかもしれない。

【DAI】悪徳と美徳

 ゲイダーさんが「Faithのスピリットが堕落(corrupt)したらPrideディーモンになることがある」とBSNのどこかで言っていたらしい。DAwikiにも引用の記載あり。

 それなら他のスピリットはどうなるか、というのがDAWikiフォーラムで話題になっています。

 以前何度も触れたように、DAワールドのディーモンはカソリック教会の「七つの大罪」(the seven deadly sins、the cardinal sins、数違い版もありましたがここは映画”Se7en”でも用いられた一番著名な版)をリファーしています。この概念は最近でも「鋼のなんとか」など各所で用いられているのでご存じの方も多いでしょう。日本語では「大罪」と呼ばれることが定着していますが、あちらでは「悪徳」(vices)と呼ばれたりもします。ディスカヴァリー・チャンネルではこれに関する仰々しいドキュメンタリーなんかも常時繰り返してやってますね。教会が金出してるのかな。”→”の右は対応するDAワールドのディーモンで、「嫉妬」と「絶望」がDAI(または後続作品)に登場することはゲイダーさんが明言している。

 Lust (色欲) → Desire (欲望)
 Gluttony(暴食) →Hunger (飢餓)
 Greed (強欲) → Desire (欲望、再出)
 Sloth (怠惰) →Sloth (怠惰)
 Wrath (憤怒) → Rage (憤怒)
 Envy (嫉妬) → Envy (嫉妬、未登場)
 Pride (傲慢) → Pride (傲慢)

 ―      → Despair (絶望、未登場)

(先行するカソリック「八つの大罪」の時代にはあった「虚飾」(Vainglory、Vanity)が「傲慢」に、「憂鬱」(Acedia)が「怠惰」に吸収され、「嫉妬」が追加された)

 さて、稼ぐ必要もないが行数稼ぎをすると、これらにそれぞれ対応する「美徳」(virtues)をカソリック教会が定めているとのこと。順番は上の「悪徳」と対応しています。
 つまり「色欲」には「貞操」、「暴食」には「節制」などなど。

 Chastity (貞操)
 Temperance (節制)
 Charity (慈善)
 Diligence (精励)
 Patience (忍耐)
 Kindness (親切)
 Humility (謙遜)

 DAWikiフォーラムでは、ここから対応するスピリッツを見つけようとしたようですが、はじめから無理。それがわからないのがクリスチャニティにどっぷり漬かっている証拠。

 なぜなら、これはあくまでカソリック教会のいう美徳であるから。
 神(全知全能の創造主)の前には人間皆平等、というか誰しもが取るに足りない迷える子羊、塵芥同然。ジーザスが述べているのは実はこれだけであって、逆にその意味からして神をも畏れぬ所業をなす(「信仰」を欠いている)ことを「傲慢」と呼ぶ。これはいいですよね。

「大罪」は信仰を普及させようとした教会の都合で造りだされただけの方便。これらを浄化する場であるとされる「煉獄」も教会の造りだした方便。もっと言えば教会自体が方便。

 Faith(信仰)は教会存在の大前提となっているので登場しません(最も近いのが「謙遜」と言えなくもないが苦しい)。Justice(正義)は人がなすものではない。神の裁きそのもの。また暴力を忌み嫌う教会にとってValor(武勇)はそもそも美徳ですらない。Valor(武勇)は戦争の場面におけることしかインプライしていませんので、一般のCourage(勇気)とは異なります。その意味でValor(武勇)の定義はとても簡単でたったひとつしかない。「どんな厳しい状況であっても最後まで踏み止まって戦うこと、その気概、ガッツ」。

 つまり、ここからDAワールドとの連携を探ろうとすることは筋違い。がんばって組み合わせてみても「信仰」とは「謙遜」のこと、「正義」とは「慈善」のこと、「武勇」とは「精励」のこととなると、私にはこじつけにしか聞こえない。

 DAワールドに登場したとされる「美徳」のスピリッツは多くありません。明示
的には未登場なものも含むと次のとおり(「明示的」と断るのはAsunderに登場したスピリットがどれかに含まれるかもしれないから)。序列は低い方のCompassionから高いほうのHopeまで順番に並んでいます。

 Compassion (同情、未登場)
 Valor (武勇)
 Justice (正義)
 Faith (信仰)
 Hope (希望、未登場)

 DAディーモンの序列は次の通りで、Rageが低く、Prideが高い(未登場は序列不明)。

 Rage (憤怒)
 Hunger (飢餓)
 Sloth (怠惰)
 Desire (欲望)
 Pride (傲慢)

 このままで「Faith(信仰)が堕落したらPride(傲慢)になる」というと(その文章自体はあたっているが)、他の整合性が取れない。思いつきでぽっと出たものになってしまいますね。
 DAのライターがそんないい加減なことをするはずがないじゃないですか。
 いや、最初は思いつきだったのかもしれないが、辻褄をあわせてきているに違いない。私なりの答えは次回。

2013年12月 6日 (金)

【DAI】職場内恋愛

 どこまで続く泥濘ぞ。ロマンスに関する話題は絶えません。嘆願、愚痴、呪詛、恫喝、抗弁、拒絶・・・、詠唱。
 リタニー(連祷)のように延々と繰り返される同じ話題。
 最近では「シュレジンジャーのロマンス」(翻訳記事は下のリンク)でもゲイダーさんが述べていたように、過去何度もロマンスはあくまで追加的コンテンツと断っているにもかかわらず。

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/09/as-4fc0.html

***

「(告白)アヴェリンがロマンサブルではないとわかって心底困惑した。二周目のプレイの間中、彼女といちゃつく選択をし続けたのに、ドニックのほうが好きだと肘鉄をくらわされたときは、本当に驚き、腹が立ったものだ」

 それで何の問題もないよ。

 「全ての相手とバイセクシャルな関係を可能とする」("All-bisexual")ロマンスという論点は、私の見るところ(少なくとも多少は何らかのメリットがあるとは思うが)ひとつのものの見方だ。そこではDAのフォロワーが、それぞれ独自の価値観と独自の動機づけを有するキャラクターではなく、単なるロマンス相手としての役割しかないと見なされる。プレイヤーが「あなたが欲しい!」と言ってあるフォロワーを選べば、そのフォロワーは突然自らの主体性(agency)をすべて投げ打ってプレイヤーの思い通りになる。

 実際そんなことにはならないのだが、私は、ファンの一部がロマンスに非常に重きを置いているという事実に対する過剰反応がそういうものの見方(への批判)を煽り立てているのだと思う(さらに言えば、ロマンスがゲームの中で最も重要な部分であるという考えに猛烈に反対するファンもいる。今までもそんなことはなかったし、今もないのだが、彼らは我々BioWareの開発者たちがそういう意見にいずれ屈服するだろうという考えを積極的に否定するわけでもないのだ)。私はロマンスがそのような方法で持ち込まれても気にしないファンもまたいると考えている。お好みの相手を選べば、そのまま愛情を返してくれる。なぜか。なぜならプレイヤーがそう望むからであって、ゲームはそもそもファンタジー(夢)を充足させるためのものじゃないのかね。

 そう望む者がいても何ら悪くはないし、ゲームとはこういうもの、ゲームとはかくあるべきものと考えている人たちがいることも完璧に理解できるのだが、実際にはそうではない。これまで常に、ありそうな世界、どこかにいそうなキャラクターを創造することに興味を抱いてきた我々にとって、ロマンスはその延長線上であってそれ自体目的ではないのだ。ロマンス・プロットにも対等な地位を与えるのは公平の問題であって、それらのプロットの目的が変わったということを示すわけではないし、私としては制約が「多い」ほうが少ないよりもありがたいのだ。あるロマンスは失恋に至るとか、ロマンスの数そのものが少ないほうが良い(たとえロマンスが平等に割り振られていたとしても)。

 DAIの計画を示しているわけではないから注意してほしいが、上で述べたことは、ロマンス・プロットがゲーム全体の中で占める位置づけについての私の(そして我々デザイン部門の)見方だと思ってもらってよい。すなわち「素晴らしく愉しいとしても、本質的には脇役(tertiary、在俗会員)」。当たり前だが受け取り方は人によって様々だろうし(YMMV)、(いつものように)読者は自由に違ったように望んでいただいて結構だ。
*** 

 All-bisexualについては、別な記事で話題になっていたのかと思いますが、極論すれば主要キャラクター全員とそういう関係になるようにすべきという意見が出てもおかしくない。でもそれってSkyrimの結婚システムなんだよね。
 
以下、押井さんの話。

「『愛』をテーマにした映画というのは『愛が実現すること』がテーマだから、そのための戦術も戦略もなにも描いてないんですよ。ウチの師匠(鳥海永行氏)が言ってたんだけど、『相手が出てきた瞬間に主役と惚れ合っちゃって、そこから始まるのが恋愛映画。だから、実は恋愛そのものを何ひとつ描いていない』んだよね」

 まあ、(恋愛映画をさほど観ていない私でも)例外となりそうな映画はいくつか思いつくが、「戦術・戦略」と言った瞬間に大抵ラヴコメになりますね。言われれば確かに「いきなり相思相愛」なケースが多いかもしれない。Skyrimの場合それすらすっとばした「お見合い」システムですから。

 DAもMEも、さらにはBGIIもNwNもKotORも、BioWare作品の場合は基本的にみな「職場内恋愛」。あー、アノーラとくっつくパターンあるけど、あれは「恋愛」ではないし。

 職場内恋愛に決まってしまうのももっともで、めちゃくちゃ長い間行動(どころか生死の狭間)を共にしているのだから、そういうメンツを捨ておいてそこらの街娘(あるいは野郎)にぞっこんてのは違和感があるということなのでしょうか。んー、どっちが現実的な(もっともらしい)のか。

 職場内恋愛だから、関係性の構築に長い時間がかかってもさほど違和感がないということかな。
 主人公が街の居酒屋の娘(またはバーテン野郎)にぞっこんになって、街を訪れるたびに花束やら宝石やら携えてせっせと通いづめ・・・。世界を危機から救う冒険者としては絵づらが悪すぎますよね。それか、どこぞの姫(王子)に惚れるんだけど、毎回衛兵が出てきて門前払い・・・。んー、意外にあってもいいかも。

 「閃のなんとか」では学級(学校)内恋愛。といっても「マメ」にお付き合いした相手と最後にはちょっと親密になる程度で相手に断る(選ぶ)権利はない。そこでもデフォルトの「出来合いカップル」が最初から設定されているし、まさに出会った途端に好きになるケース(お約束のようによそ見していたふたりがぶつかりますし(笑))。まあJRPGの場合は、やっぱり原則は学級(学校)・職場内恋愛で、人気者同志の自他ともに認める相思相愛カップルって場合が多いのかな。つまり押井さん(の師匠)に言わせればどこにも恋愛は描かれていない。ペルソナ・シリーズもだけど、せいぜい「マメ」であるかどうかだけ問われる。

 BioWare作品だって、言ってしまえば選択ミスが許されないだけの話で、解法は相手ごとに最低ひとつは存在する。プロセスをいくら複雑にしたって本質は同じですよね。恋愛シミュレーションと変わらない。

 そういうこともあって、あくまでオマケ、味付けというBioWareの方針は正しいのだと思います。
 どうしても我慢できないなら、ファンアートでもファンフィクションでも自分でやると。

勝利条件

 押井守さんの書籍がいくつかKindleになっていて、物珍しさから読んでみましたが、予想に反して面白い(笑)。彼の言いたいことがとても明快である。映画もそう作ればいいのに(こらこら)。
(以下いくつかの映画のびみょーなネタバレがあるかもしれない。モロバレにならないように気をつけますが)

 一番最近が「仕事に必要なことはすべて映画で学べる」。題名は日経ビジネスがつけているので、しょぼくれてます(現に日経ビジネスのネットで一部読めますが、そちらはインタヴュー形式で、書籍のほうは再構成されている。中身は一緒)。彼の「ものの見方」の是非をとやかくいう気はなく、とにかく個々の映画の「見方」が風変りで面白い。彼曰く凡百の映画評は「感想文」だが、自分がやっているのは「答え合わせ」だそうだ。

 そしてこの書籍自体が、押井さんてば最近は大したヒットもないのに、どうして次々と仕事が舞い込んでくるのだろうという誰もが抱く疑問の「答え合わせ」にもなっている。一言でいうと彼曰くの「勝利条件」を限定すること。映画監督の場合、それに売上とか観客動員数とかハリウッド進出などを選んではいけないこと。戦う相手が誰かを見極めること。負けないこと。

 ジョージ・ルーカスの本拠地に訪ねたとき、相手が顔色も悪く、憂鬱そうで、ひとつも幸福そうには見えなかったというエピソードは、すとんと腑に落ちました。自分の人生から自分自身がスポイルされている。ジェームズ・キャメロンにしてもそうだという。
 押井さんが選んでいる映画自体が興味深いラインナップというところも良いのですが(格好つけたがる評論家は「ハスラー」とか「ロンゲスト・ヤード」なんてゼッタイ選ばない)、彼の考える「種明かし」がいちいち面白い。

 スピルバーグの「プライベート・ライアン」についての解釈は相当秀逸だと思う。映画の最初と最後に戦後のシーンをいれたのはスピルバーグの「詐術」の最たるものであって、(そうしないと)スピルバーグの正体がばれてしまい、彼が大好きなお子ちゃま向け映画がそれ以降撮れなくなって、スタッフたちが路頭に迷うから、という説には思わず笑いました(これはネット版だけにある記述で、書籍では割愛されちゃってるみたい・・・。そうやって一番面白いところは「格式」のせいで削られるんだよな)。

 くやしいので、以下ネット版。会員登録(無料)が必要かな。ただし登録メアドに連日山のようなメールが来ますので、メインのアドレスを使う場合はご注意。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130107/241891/

 「スカイフォール」の解釈も、いちいち、そうそう、うんうんと頷きながら読んでしまった。自分で思っていたこととほぼ一致していたが、「珍しくボンド・ガールがしょぼくれている」という指摘は圧巻ですね。すなわちMがMother、母であり、ボンド・ガールだったというのが彼の解釈。言われてみればその通りというしかありません。

 むしろ自作「パトレイバー2」の「謎解き」は、そんな話観た人はみんなわかってたんじゃないのか、と思っちゃいましたが・・・。原作者を怒らせるのが大得意な押井さんらしく、特車のレイバーはただの見せパイですもんね。陸自の主力戦車や攻撃ヘリと戦えるはずがない。

 全体通じて、押井さんは選んだ映画の監督本人だけではなく、脚本家たちを高く評価しているのが印象深い。元々ハリウッドは脚本に異常なまでの労力をかけることで知られていますが、彼によれば、特に「レッド・パージ」(赤狩り)時代の修羅場を潜り抜けてきた脚本家たちは、激烈な競争環境に置かれていることもあって相当な腕前を発揮していたといいます。最近のリメイク・ブームはそういう過去の遺産に安住しているのか、はたまたハリウッドですら脚本家の腕前が劣化したのでしょうかね。
 以前もした、ハリウッド映画の主役に大英帝国(コモンウェルス)の出身者が多くなってきた説に通じるのかな。

2013年12月 5日 (木)

Heroes of Dragon Age

 BioWare亡者なので無視することはできません。
 Heroes of Dragon AgeがiAppとGooglePlayでリリースされたようです。
 とりあえず両方インストールしてみますが、あんまりのめり込むこともなさそうなんで週末にでも自宅のiPod Touchでやってみるかな。

 説明はDAWikiが詳しそう。

http://dragonage.wikia.com/wiki/Heroes_of_Dragon_Age

 まだリリース前の段階の記述のようですが。

 この種のゲームはあまり遊ばないので、日本語でなんていうか知りませんが、”Consuming”というのが集金システムのようです。下位レヴェルのキャラクターをストアで購入して、上位キャラクターの能力を上昇させるため「消費」すること。なんかウェブゲームなんかでよくありますよね。

“The game encourages the purchasing of lower rank characters in order to use their abilities to develop more desirable characters in a process called "consuming." The abilities of unused characters can be applied to--or consumed by--other characters to strengthen them and improve their abilities. Common units in particular are encouraged for use in consumption.”

 あくまで課金ゲームですので、個人的にどこまで付き合うかというとおそらく無料の部分だけ。
 一番恐れているのがDAIとどこまでどの程度コラボするかなのですが、それも未定のようです。つってもDAIリリース一年後だけどな。
(DAO、DA2
のタイアップ・ウェブゲーでは、無料プレイでもユニーク・アイテムを全種類いただけたが・・・)

 まあ、でもねえ。DAのキャラクターってこういう世界は成立するんだろうか? Collection Battlerとか銘打っているらしいですが、ぶっちゃけポケモン?(いや君、ポケモンすらプレイしたことないやろ)。
 
(追加) 帰宅中にAndroid版やって見ましたが、日本語版!
英語版はさすがにないのか。黒いカラスってなんだろう。クロウ? アンダース?
200円だけ試しにつかったらダンカンがきた。他にテヴィンター奴隷商マジスター、レヴナント、アシャード、蜘蛛(汚染ずみ)。ガテン系のこきたないパーティーになってしまいました。

【DAI】名前のリスト

 BioWareが太陽のあっち側にいる間(外惑星の「合」)、ネタを探すのに苦慮するのは常でしたが、今回は相当長い(笑)

 Tumblrのdragonageconfessionはたまにどうしようもないバカが登場するのでフォローをやめていたのですが、逆にそれが良かったのかもしれない。ゲイダーさんがリブログした記事だけ読んでいれば十分であることに気がついた。
 なぜなら、あまりにアホな記事はスルーしてくれますから。

 開発が終了したゲームについては守秘義務から解放されるのか、ゲイダーさんも最近はDAO、DA2に関してな生生しいこぼれ話を披歴することが多い。次はDA2のDLC、Mark of the Assassinについて。

*** 

(告白):タリスが本当に大好きだ。彼女のDLCを買って、プレイするときは毎回いちゃつく選択をしている。フェリシア・デイの大ファンだというのが原因なのかもしれない。

 私自身もタリスを書くのは愉しかったよ。MotAがDA2の最後のDLCにならずに済めばよかったのだが(当初計画ではさらに続く予定だった。中止の計画を少し前に知らされていたのなら、あのDLCに登場する「名前のリスト」についての展開もずっと違うものにできたはずだ)、まあ仕方がない。

 フェリシア・デイと一緒に仕事をするのは大変面白かったし、彼女が自分自身をロアに組み込もうと画策している(それは事実ではなく、タリスとベン・ハスラスの中における彼女の位置づけは「我々」が用意したいくつかのコンセプトのひとつで、プロジェクトに初めて参加したときに彼女が選んだものだ)と糾弾する人がいると身構えてしまうのだが、彼女とのプロジェクトが成就したのは嬉しかった。彼女は愉しく、タリスは将来膨らませる余地の非常に多きなキャラクターであったし、誰かが彼女についてとやかく言うときは、ただ肩をすくめるしかなす術がなかったね。

*** 

 MotA自体にはDA2への様々な批判(ほとんどが短納期を迫られた結果としてのやっつけ仕事批判)に応える目的もあって、それは概ね成功していたと思います。個人的には侯爵邸におけるオフビートっぽいノリの探索は風変りでよかった。上でいう「続き」とは開発中止となったエキスパンション・パック”Exalted Marches”のことか、さらにそれのDLCかもしれない。エキスパンション・パックで予定していた内容はDAIにも一部取り込まれるといいます。
 なによりも、このDLCのアフターマス(その後)で主人公ホークはタリスらしき人物を目撃しており、いずれ近いうちに再会することを予感します(そのとおり「続き」が予定されていたわけです)。

 「名前のリスト」とは、ヒューマン世界に埋伏しているクナリの「草」、スリーパーズの名簿。このクナリはあのツノのある大柄な種族のことを指すのではなく、クン(キュン)の教えに従う者たちのことで、ヒューマンの場合も、タリスのようにエルフの場合もありうる(そうでなければヒューマン世界で「草」になるのは難しそう)。

 スリーパーズに関するエスピオナージ小説の定番みたいな内容を予定していたのでしょうか。冷戦時代のように(おそらく今でも続いているだろうが)仮想敵国内の市井の人々として生活している場合もあるが、相当高い地位にも潜んでいるんでしょうね。

 チャントリーにとってクナリは異教徒ですから、こういう問題への対応はシーカーズかインクイジターの管轄になるのでしょう。そうであればDAIに引き継がれる可能性もないわけじゃない。タリスというキャラクターがDAI本編にフェリシアのVOで出るかと言えば、これは色々面倒そうです。

 フェリシア登用に関する非難のほとんどが、自称ハードコア・ファンの「ひがみ」。横から割り込んできた(ように見える)ポッと出のネット・タレントが「私の」DAの世界で大きな顔をしていることが気に喰わないというだけ。
 私の場合はDAのほうがネーム・ヴァリューがあると思っていたので、なにもマイナーなネット・コスプレイヤーに頼らなくてもいいじゃないか(相乗効果はないのじゃないか)と思っていました。EA/BioWareの目論見は周辺部分(ウェブ・ドラマ)のファン層を拡大したいということだったのでしょうが、うまくいったのかなあ・・・。ゲームの外部になると、どうもやることがちぐはぐ。

On Game Writing - Nuts and Bolts(Part5-2)

 ワード・バジェット(ボトルネック)についてのファンの質問にゲイダーさんが答えます。
 直感的に言うなら、音を入れる必要のなかったBG2では、全般的にひとつひとつのセリフが長かった気がします。もちろんDAシリーズも他の作品に比べればずっと長ゼリフが多いのですが、実際に声優が喋るセリフと目で読ませるためのセリフは全然違う、とゲイダーさんも以前述べていました。

 余談ですが、日本で「読む」といったら昔はひとりきりの場合でも、公共の場でひとりで何かを読むときも「音読」、声に出して読むことでした(今でいう人に聴かせる「朗読」のことではありません)。いつから「黙読」になったのかというと、明治以降、図書館普及にあわせてという説が多い。「読み耽る」はそうすると明治以降の造語なんだろうか? たしか欧米との違いについての解説もどこかで読んだ(黙読した(笑))記憶があるが忘れちゃいました。

 さらに余談。フランス語を学ぶ日本人たちの話で、会話教室の際にあやふやな単語を思い出そうとする日本人の誰もが、指で空中にスペルをなぞろうとするのを見てフランス人教師が驚くという話があります(フランス人は決してしない)。(大人の日本人は)まず書こうとするのでしょうか。余談終わり。

 ひとりのキャラクターが延々と喋り続けるという場面はBG2では(NwNキャンペーンでも)結構ありましたが、DAではあまりなかったと思います。
 シネマティックの隆盛で、PRGが大きく変質してきたということでしょう。

 (シネマティック中心に移行する時代にはじまった)Mass Effectはハード・ボイルドの風味と戦場のテンポを損なわないようにセリフはぶっきらぼうで短い。まだオールド・スクールの世界を色濃く残すSkyrimなどは結構長ゼリフありますね。そこら辺のMMOでは(ボトルネックでもなんでもないので)だらだらと冗漫な記述が散見されますが、BioWareのMMOであるSWTORは長いセリフのまま、その大部分に音を入れる方針をとった。開発費が極大化してしまった理由のひとつとされています。

***

(ファンの質問)「あなたがゲーム・ライティングの記事で、ライン・バジェットについて触れている部分への疑問。声優が全てのセリフには声をあてていなかったBaldur’s Gateシリーズでは、全体のバジェットは単に大きかったのか、それとも事実上無限大だったのでしょうか(ここでは、ありきたりのセリフのみで構成されるサイドクエスト群について考えています)。

 シネマティックがBioWare作品群の中心的部分ではなかった頃でも、我々はワード・バジェットを用いていた。その頃でもライティングはゲーム全体の長さ、翻訳、とりわけテストなどについて下流に影響を与えていたのだ。だが一般的にはバジェットは今より大きかった。「一般的」と言った主な理由は、我々のライティングのコストが、たとえ今よりも低いとはいえ、我々が開発しているゲームの総売り上げ予測と比較するとずっと大きかったからだ(BG2の巨大なスコープ・クリープを経験した後では、シネマティックスや声優部門が彼らの要員を賄うことになるよりずっと前の段階からワード・バジェットは厳しく切り詰められることになった)。

 だからといって、BG2の時代に開発ボトルネック(最もコストを要し、他の全てに制約を与えることになる開発過程)が存在していなかったというわけではない。あの頃それは、ライティング部門ではなくてアート部門であったというだけの話だ。

 常になんらかのボトルネックはある。唯一の違いは、もっとも制約を受けるその部分が他の部分よりも大事だと思うかどうかだ。

2013年12月 3日 (火)

On Game Writing - Nuts and Bolts (Part5)

 例によって、ゲイダーさんが前回予告した内容ではありません。ファンの疑問に答えています。
 数あるゲイダー節のうちでも、私が最も愛する「コンテンツ・カット嘆き節」。
 恨み節ですから、例によって長いこと長いこと。
 書き手がどんなに愛するプロットであっても、プロジェクト全体の都合であっさりカットされる。それがひとつ。
 盲腸のようにカットされた傷口だけ縫合すれば済むことは少なく、通常はプロジェクト全体を生き続けさせるためにあらゆる部分を手直ししなければならなくなる。それがもうひとつ。

 プロジェクト全体の残り20%のクソのような雑務を誰かが仕上げなければヴィデオ・ゲームは完成しない。別にゲーム開発に限ったことではないですね。身の回りにも多くいるのではないでしょうか。花火とかアドバルーンを上げるときには大騒ぎしているけど、いざ汚れ仕事がはじまったり、つまらない手間のかかる仕上げ作業になるといつのまにか姿を消す輩。「自主制作」とか「自主プロジェクト」とか、チームでやるとほとんどが残り20%の段階で頓挫する。なぜならアマチュアだから。完成させるに必要な矜持も持ちあわせていないから。雑務を一手に引き受ける人がたったひとりでもいれば、完成の確率は高いはずなんですけどね。
(もちろん私だって忙しさにかまけて中断したままのコンテンツがあるが、ひとりでやれるものならいつかはできるものだ)

 そんなことも黙々とやり遂げる。それがプロ。

"No wander they call him 'Dirty Harry' , always gets the shit end of the stick."
「あの人がどうしてダーティー・ハリーと呼ばれているかわかりましたよ。クソみたいな仕事ばかり押しつけられてる」(同僚サンチェスが刑事課長を非難)

"Now you know why they call me Dirty Harry: every dirty job that comes along."
「俺がどうしてダーティー・ハリーと呼ばれているかわかったろう。汚れ仕事が全部来る」(ハリーがサンチェスに嘯く)

*** 

(ファンの質問)「バジェットを超過しているという話ですが、私の計算が正しければ200行のところ270行になってます。この(「ファインディング・ベサニー」)クエストは、だいたい22%の発生確率です。主人公がウォーリア―/ローグに限られる(2/3の確率)、かつベサニーがサークルに収監されている(ディープロードで死んでしまうかウォーデンになることを考慮すると1/3の確率)。78%のプレイヤーは(周回を重ねて色々な可能性を試さない限り)このクエストを愉しむことができないことになる。
 22%の発生確率は(開発コストと、ディスク・スペースの点から)70行の超過に見合うのでしょうか? そういう場合はどう考えるのでしょうか?」

 ワード・バジェットは私が生きる上での苦悩の種だ。

 そして君は正しい。指摘の点は考慮されることになるが、その理由を敷衍してみよう。
 第一に、BioWareゲームにとってライティングは開発ボトルネックと見なされている。ライティングのどの部分でも後工程をたどって他の開発者の作業を増やすことになる。ある一行のセリフは編集・校正されなければならず、数か国語に翻訳されなければならず、声優が(最初は英語版で、それから他の言語版で)音入れをしなければならず、シネマティックをデザインしなければならなくなることもよくあるし、次も決して軽んじることのできないことだが、コンテンツを増やせば必要なテストも増えていく。だから我々のバジェットは非常に真剣に考えなければならない。ライターの許容仕事量だけではなく、他の部門のそれまで含めて計算されているからだ(ライティングを修正するたびに発生する遅延時間まで考慮に入れている)。

 だから、私は誰であれこのプロットを書いたライターと話し合い、200行までスコープを切り詰めることに意義があるかどうか決めなければならない。一方ではプロットの面白みが減じるかもしれないので、どこまで削るか、削ること自体に意義があるか考えなければならない。もう一方ではバジェットに対する(他の開発者の時間に対する)責務を果たす意義がある。270行のままで素晴らしいものになると決断したなら、そのまま書き始めることになる。

 次の問題はスコープ・クリープと呼ばれる現象だ。これは時間の経過とともにプロジェクトの範囲がどんどん広がっていくことを意味し、間違いなく常にそうなる。私が携わったどのプロジェクトも、時間とともに少しずつ肥大化していった。

 なぜか。なぜならゲームをテストしてみて突き当たる問題の多くは、コンテンツを増加させることでのみ解消可能となるからだ。我々がプロットをテストしていて、どこかに追加のステップが、別の40行分の会話が必要だと感じたとしよう。QAテスターが、ベサニーとの間の結末には真に論理的なステップが欠如していると感じたので、我々は彼女の分と、リアンドラのセリフ30行も追加する必要があるとすると、プロットは合計340行になって140行のバジェット超過となる。

 またライティングを定量的に見積もることが困難なことも理由のひとつだ。40行分で済むと思ったキャラクターについて書いてみたら55行とか100行を要することに気付く。40行書いたところで止めてしまうわけじゃないんだ。削るべきところを探すが、どこも削れないかもしれない。それら超過分の行数が必要なのかもしれない。
 
 そのこと自身は問題ではない。ここでちょっと、あそこでちょっと増えているだけだ。だがそれが全てのプロットとキャラクターについて発生すると、プロジェクトの半ばごろになって、30,000行のバジェットだったゲームが突如として35,000行になっていることに気がつくんだ。しかもそれでもまだ途中だ。その軌道のまま進めば、最後には40,000行かそれ以上の出来上がりになってしまうだろう。

 このプロジェクトは、つまり我々の下流にいる開発者たちすべての工程は33%もの余分な作業を吸収できるのだろうか。できなければスコープをカットする部分を探しはじめなければならない。

 それは苦痛を伴う作業だ。私はどこもカットなんてしたくないんだ。カット自体が問題を引き起こすことだってある。物語の一部を削れば、別な場所でも書き直しを余儀なくされる。中間部分のプロットひとつをカットすると、それを引用している後続のプロット全部変えなければならない。これは非常に頻繁に発生するが、追加の仕事をライターたちがまとめて一度でやったほうが、他の皆が呑みこめないほどの仕事で喉を詰まらせることになるよりましなんだ。

 この場合、最もカットしたくなるものは十分に孤立しているプロットだ。他に影響を与えず丸ごとカットできてしまう、低い枝に成った果物だ。プロットにとってあまり羨ましい居場所ではない。なぜならスコープ・クリープが引き起こす身体検査(gut-checks)はプロジェクトの様々な部分を巻き込み、(訳注:「指輪物語」の)サウロンの眼はまっさきにそこに向かうからだ。このような(ベサニー・クエストのような)類のプロットは、あまり多くのプレイヤーの眼に触れることがないにも関わらず、実装にかなりの作業と相応のコストがかかるので、削られる可能性が高い。

 もちろん、我々の造るようなゲームは物語が枝分かれするからこそ愉しいのだ、という指摘に答えられないという代償を伴う。例えばDAIで種族選択を復活させたが、それはプレイヤーの大多数がそれらの種族を用いるからそうしたのではなく、ヒューマン以外で決してプレイしないプレイヤーに対してもそれらの選択肢があること自体が価値を与えるからだ。同じことがプロットにも言えるのであって、大多数のプレイヤーがプロットを自由に選べる十分な余地を与えることが理想だが、たとえほとんどの者がこぞってたったひとつの答えを選んでしまうような選択であっても、選択の余地がひとつもないよりましなんだ。

 このことはもちろん、ゲームの種類に完全に依存する。我々はRPGを開発しているので、この点がいつも論争のタネになる。当然ながら、我々はゲーム全体のプレイ時間も同時に考慮に入れなければならない。三時間で終わってしまうプレイスルーのプロットに一千もの選択肢があったとしたらあまり楽しくはないだろう。

 だから100%のプレイヤーが全てのコンテンツを見ることができるようになるまであらゆる枝を切り落とす必要はない。例えば、多くのプレイヤーはカーヴァーかベサニーのどちらかとは永久に出会わないわけだし、出会った者の多くの中でもテンプラー/サークル・オヴ・メジャイの一員となった彼らを見るものは少ないが、少なくともそこまで辿り着いたプレイヤーにはその道筋は意味があるわけで、そこでしか起きないことがあるという事実には価値を見出すのだ。

 だから君の質問に対する私の最終的な答えは、もちろんそれらの要素は考慮される、というものだ。最も厳しく考慮されるのはバジェットをどこにどれだけ割り振るか決める計画段階であり、次に個々のプロットを実際にデザインする段階だ。計画が優れているほど、後々スコープ・クリープの問題が起きる心配も少なくなる。このクエストのような「境界ケース」に割り振るための一定のバジェットは残しておくので、プロットそれ自体がゲームの内容に影響を与え続けるものであれば、最終製品に織り込まれる可能性も高くなるだろう。

 言うまでもなく、これは外的要因が何もない場合に限る。DA2でも、それ自体何の問題もないクエストがいくつかカットされた。プロジェクト側の状況が変化して下流のチームが減らされてしまえば、我々のライティングの許容分量にも影響を与える。メアリー・カーヴィーがすでに書き上げていたコウタリ(カークウォールの盗賊ギルド)に関する一連のプロットが丸ごとカットされた。メイジ主人公限定のAct1のプロットは、テンプラーの脅威に見舞われたホークたちが素性を隠し通すため腐心するものだったが、これもカットされた。その他にもあるし、全てのカットが私をたじろがせ、(それらのカットが必ずもたらす)全体のストーリーが不統一になる様子を見て絶望的な気持ちになるのだが、それはゲーム開発者としては克服しなければならない問題である。

 なぜなら、ゲーム開発者は優れた書き手であるだけでは不十分だからだ。カンペキな計画を練り上げることはできるかもしれない。カンペキなストーリー・アークがすでに素晴らしい開発デザイン文書に書き上げられているかもしれないが・・・、それが完成した頃にはすでに周囲の事態は丸ごと変化している。ゲーム開発における激務の大部分は出荷前の最後20%に発生するが、その際開発者は最も鋭敏に立ち回らなければならない。自分の産んだ可愛い赤ん坊のうち、いずれ真っ当な大人に成長すると思う子を残し、そうでない子を冷酷にも間引きしなければならないのだ。

 もちろん、それができなければゲームは出荷されない。それこそ開発者の全ての努力が無に帰すことを伝える究極の弔鐘だ。

2013年12月 2日 (月)

クォーター・ミリオン・RPG・ユーザーズ

 そのファミ通の増刊号のほうですが、1300号記念ということで過去何年かの売上ランキングなども載っていた(日本国内)。もちろんスーマリ、ポケモン、モンハンあたりが上位を独占していて、辛うじてドラクエが食い込んでいる感じ。上は300万本クラス、200万本クラス入りしないとランキングされない。

 先の記事で触れたアトラスの最近のヒット作はよくて25万本。プラットフォーム云々のせいもあるでしょうがケタが違う。
 「閃のなんとか」のシリーズは、全作合わせて(別プラットフォームも合算して)160万本だそうだ。どこからカウントしているかによるが、英雄伝説合計ではそれ以上というから「なんとか」シリーズだけ合算でしょう。タイトル6つかな(7つ目発売前の数字でしょう)。単純に6で割って27万本。善戦してもこれ。つまりJRPGユーザーは(FF、ドラクエを除けば)最大このくらいのオーダーなのでしょう。
 
 モンハン・シリーズは2000万本をとっくに越えている。

 もちろん「なんとかシリーズ」は新作6作と数えるのもはばかられる内容で、実際にはコンテンツ流用は一緒とカウントすると新作3作分。でもそう考えてもそれぞれ50万本クラス。

 「閃のなんとか」は二周目が終わりそうですが、中身決して悪くはないのですね。今頃3D化も(乗馬はともかく、戦車とか装甲車とかあまりにデザインがショボくて見たくないけど)まあまあってところじゃないですか。変なやり込み要素のおかげでペースが悪くなるだけで、それを無視すれば(私はできないが)非常にスムーズに話が進むのもいいところ。以前言ったように「この先は続編で」という終わり方には脱力を禁じ得ないが、上に書いたようにそうじゃないと開発費を回収できないのでしょう。続編も(プレイすればわかるとおり)舞台が二、三追加される他は、同じマップを流用して繰り広げられるはず。

 青春学園もの、剣豪開眼もの、政治動乱もののお約束な内容ですが、お約束(トロウプ)と陳腐(クリシェイ)は違いますからね。むしろ「お約束」を避けているはずの「ペルソナ」でも王道踏襲の「真・女神」でも数字は大差ない。(余談ですが「ライトニング・リターンズ」も日本だけみたら似たようなレヴェルという悲惨さ。ただしそっちは海外市場がある)

 見事に確立されたガラパゴス市場。

 ファルコムIPもアトラスIPもこの売上レヴェルでスマホゲーム・コンテンツとして期待されるってどうなんだろうってお話。何にもないより、あったほうがいいという話でしょうか。でもいくら売れてもこのレヴェル以下なんだよね・・・。

 よくスーマリ、ポケモン他について、任天堂は自社プラットフォームに固執するな、スマホで荒稼ぎしろと株屋が言いますが、それは(お子ちゃま向けに徹するという)倫理的理由で社是に照らしてできない。案の定バカが露出写真を流してファイル交換禁止になったし(自慢じゃないが、自慢だが、3DS発売前から、わしゃそんなことになるととーーっくにわかっていた)。エミュったもぐりはあるそうだけど。

 任天堂の自由にならないドラクエがそちらの展開をはじめていて、次は本編もスマホに行くのでしょうが、腐ってもスライム、それは確かに勝算ありそう。FFもとっくにやってるし。

(丁度なんとか隊長氏の記事があった)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20131129-00030206/

 ゲームの中身は残念な結果だったようです・・・。

 でも「ペルソナ」?
 藁にもすがりたいということなんだろうか。

 いっそコスプレ、パン●ラの嵐にすれば、ゼッタイ売れるのに。
(そんな理由で「閃のなんとか」遊んでいるのか!)

セガ社長インタヴュー

 とっても久しぶりに「ファミ通」と増刊号をコンビニで買った。
 自分でやらないゲームのいらない付録がすさまじい数ついてましたが、目当ては当然、P5とPQについての情報。
 予想どおり「えー」という程度の内容でした・・・。まあ、他の部分では相変わらずバカやってるので愉しめましたけどね。

 セガ社長(COO)が浜村通信氏へのインタヴューで、「セガは伝統的にRPGがプア。アトラス(インデックス)はJRPGのIPを多数持っている(から取り込む価値はある)」みたいなことを語っていた。どうやらこの人がIPと呼ぶときは「キャラクター」のことを言っているようで、ペルソナ格ゲーに味をしめたその続編、ダンジョンゲーム、ダンス音楽ゲームと矢継ぎ早に発表したのも、キャラクター展開を教科書通りやるつもりみたい。

(追加)今見たら、ファミ通のサイトに転載されていました。

http://www.famitsu.com/news/201312/02043751.html

(追加終わり)

 「(セガは)場は提供するけど口は出さない」といいつつも「セガの持っているノウハウは使ってもらう」とか、意味がよくわかんないことも言っていますが、マーケティングのノウハウのことかな。
 むしろ浜村氏のほうが的確に「『サクラ大戦』他のセガの死蔵IP掘り起こしたら」みたいなことを言っていて印象深い。だったらインデックス買収する必要ないやんともいえるけど(既存IP掘り起こしすらできなかったのだ)。

(追加)「セガの死蔵IP」、本誌には「サクラ大戦」、「ジェットセットラジオ」、「スペースチャンネル5」と並んでいたのに、ネットでは最後ひとつが落ちてる。なんだろう。ただの文字カウント制限? それとも・・・。(追加終わり)

 あとは、なぜアトラスだけではなくインデックス(のゲーム・コンテンツ部門、ほぼ全事業)を丸ごと買収したかの言い訳。なんのことはないそれ以外(買収が)許されなかったからでしょうけどね。そしてインデックスの人気IPを用いてスマホゲームに注力するとか。これだけでは意味不明ですよね。別にインデックスが人様に誇れるようなノウハウを蓄えているわけではない。

 日経電子版にもインタヴューがあったが、こちらは株屋向けなので基本つまらない。ただし上に関連して気になることも言っている(インタヴューをまとめた記者の責任も多分にありそうだが)。

***

 スマートフォン(スマホ)ゲームの台頭にソフトの老舗セガが苦しんでいる。主力の家庭用ゲーム事業は2期連続で営業赤字に陥った。経営再建中のインデックスを事実上買収するなど立て直し策を打ち始めたが勝算はあるのか。鶴見尚也社長に聞いた。

 ――業績が振るわない。
 「セガが得意としてきたゲームセンター向けのアーケードゲームは市場が縮小する一方だ。収益の柱だった家庭用ゲームは2008年のリーマン・ショック以降振るわなくなったが、スマホゲームの台頭でさらに厳しくなっている。昨年3月に欧米では大規模なリストラに踏み切ったが道半ば。新たなビジネスモデルの構築が急務だ」

 ――どう変える。
 「アーケードゲームや家庭用ゲームは発売前に開発がすべて完了する。これに対して成長しているスマホゲームはネット経由で提供しており、ユーザーが何を楽しみ、何をつまらなく感じているかがわかる。このため発売してからゲーム内容を更新していくのが普通だ。同じゲームでも開発スタイルが全く異なる」

 「今後はユーザー管理を徹底しネットを通じてニーズを的確に把握し、開発者の独りよがりにならない開発体制にする。人気がないゲームには早く見切りをつけ、有望なソフトに経営資源を集中投入できるようになるだろう」

 ――ゲーム・コンテンツ製作のインデックスを事実上買収することを決めた。

 「この業界で生き残るカギは徹底した顧客管理と、看板となるゲームやキャラクターだと考えている。しかし今のセガは看板ソフトやキャラクターに乏しく、ゼロから育てるには10億~50億円の投資が必要になる。インデックスは『真・女神転生』や『ペルソナ』といった強力なソフトを持っている。セガの再生には非常に有効と考えている」

 ――家庭用ゲームを縮小するのか。
 「家庭用ゲーム市場がなくなるとは考えておらず、ソニーの新型機『プレイステーション4』へのソフト供給も決めた。技術の蓄積のためにも最先端のソフト開発は手を抜くつもりはない。家庭用やアーケードゲームで50年間培ったものはスマホやオンラインゲームでも活用できる」
*** 

 こちらも正直に「セガは金がない」(10~50億円の投資はできない)、「人気IPに乏しい」と言っているところはわかりやすくていいのですが。インデックス買収費用150億円として、確立したアトラスIPがいくつか手に入ったからチャラって勘定ですね(だからいらんもんまでバンドリングされても買ったのだ)。よくM&Aは「時間を金で買う」なんていいますが、目的はそれだけじゃなく(資金投入したIPが結局立ち上がらない)リスクもヘッジしてるんですね。これが蔓延するとハリウッド映画のリメイク・シークエルの嵐になる。

 ただし「ユーザー管理」、「顧客管理」ってなんのことでしょうか? 課金ゲーのKPIモニタリングのことでしょうか?
 それならわかるが、こう書かれるとどうしても「顧客囲い込み」とか「カスタマー・サービス」に聞こえてしまうのですが、それは日経の記者が曲解したせいだと信じたい。なぜならそれこそ滅びの道だから。

 以前Steamのニューウェルがいみじくも語ったように「Valveはユーザーの意見は聞かない」。なぜなら「特定の(声の大きな)ユーザーが他に勝るという考えがないから」。これ自体はクリスチャニティの教えどおりなんで、まあそう言うだろうなと思いますが(逆に隣人愛にかまけすぎたBioWareはユーザーと称する者たちの意見を聞きすぎて深い手傷を負った)、Valveが実践していて他が追いつかないだろうなと思えるのは「詳細なデーター分析と仮説検証サイクルの徹底」です。

 もちろん下世話な話ではデイリー・アワリーでプライスをいじくるSteam名物のマーケティング上のマイクロ・マネジメントも含まれますが、ご存じのとおりこれは模倣が非常に簡単。いまや徹底度合は違えどこでもやっている。
 むしろ本質はオンラインゲームのパラメータをある仮説に基づいて細かくいじり、その効果を検証し、ユーザーの滞留時間というアウトカムを向上させることのほうにある。これぞノウハウであり、しかも模倣が非常に困難である。なぜなら大した資金こそ要しないが(オンラインゲームにはすでにモニタリング機能が最初からある)、分析者が熟練するまで相当の時間がかかるため。

 セガがそんなこと今更言ってるのかというところが気になるのではなく(なぜならそのノウハウを最初から有していないから仕方がない)、口では(株屋へのリップサーヴィスとして)上のように言っているが「コンソール・アーケードで取った杵柄はスマホ・オンラインでは役に立たないんだよねえ」とちゃんと気がついてるのかしら、というところ。しかもご本人が最初に両者の「開発スタイルはまったく異なる」とのたまっているわけだからね。

 だってコンソール・アーケードで名をあげた会社でスマホ・オンラインで成功しているところは数えるほどしかないんじゃないでしょうか? 昔取った杵柄が役に立たないことは歴史が証明している。その理由も随分前になんとか隊長氏が詳しく説明してしまっている。いい加減に気づいて。

 「開発者があぐらかいているから」というのも(事実としても)ことの本質ではなくて、問題はむしろアーケード方面のストランデド・コスト(注)にあるんじゃないかとも思います。それを抱えたままで果たしてカジノ解禁で儲けるまで生き残れるのか、それともスポーツ・ジムで稼いでカジノに参入する会社のほうが賢いのか?

(注:stranded costs、埋没しない投資コスト。状況変化によって冗長・過剰となり、回収が困難になった投資コスト。自由化された場合の電力事業の既存設備投資や、無線化が主流になってしまった電信事業の交換機投資などが例。それらのコストは新規ユーザー(新規参入者)に押し付けるのが常だが、アーケードの場合はそうもいかないですね)

 セガに何の恨みも愛着もないが、アトラスがせっかく乗り換えた船もいずれ撃沈されてしまうという事態は避けてほしい。セガが「よくないこと」を自ら認めるときは過去ろくなことが起きなかったのだ。

 ま、とはいえ私もPQは言うに及ばず、ダンス・ゲーだって買うと思いますよ。
 だって、りせちーが出てるから!(だめだこりゃ)

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