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2013年7月

2013年7月31日 (水)

テイルズ・オヴ・ウェイティング

 時間がないのもあるんですが、そもそもネタがないのです。

 だいたい長いんだよ、来年秋(ホリデイシーズン?)まで待つとか。

 JRPG絡みではいくつか気になることもある。アトラス・ブランドはどうなるの? メガテンVは、ペルソナ5はどうなっちゃうの?というネタは非常に興味がありますが、巷で散々やられてるのでしょうから、でしゃばるつもりもない。
 世界樹もドラゴンズクラウンも評判にのせられて少しやってみましたけど、昔の主流、今ニッチ。どちらもゲームとしては成立してるんですけどねえ・・・。

 IGNには「和製ゲームついに復活か?」なんて記事もありました。

"The Return of the Rising Sun"

http://www.ign.com/articles/2013/07/26/the-return-of-the-rising-sun

 要するにここ何年か和製ゲームを英語版でリリースする機運がしばらくしぼんでいたが、最近突如としてその動きが復活し始めたとのこと。中には映画「ヱヴァ」を自主的に翻訳するような本当の好事家もいるでしょうが、あちらで和製ゲーム(特にRPG)を日本語で遊べる人なんて極めてレア。よって英語版が出なければノンエグジスタンス、存在していないのとあまり変わりない。

 かつて洋物タイトルがさっぱり日本語化されなくなった時代(今や信じられないかもしれませんが、このブログを始めたきっかけの一つがそれだった)の逆のケースですが、いずれも問題の主体は太平洋のこっち側にあったんですね。過度の萎縮、リスク・アヴァージョン(リスク忌避)ってやつです。

 背景にはもちろん彼我の嗜好が大きく隔たってしまったことがあります。コンソール、HD、3D、AAAタイトルを中心にビジネスを成立させてきたあちらのパブリッシャーに対し、こちらは諸般の事情から専らハンドヘルド機に注力せざるを得なくなっていった。ハンドヘルド向けは元々数が捌けないから相当自信がないと英語版をリリースする踏ん切りがつかないということでしょう。記事によれば「零式」も「モンハン3rd」も結局北米上陸はあきらめた。

 海外リリースなんて色気出すからロクでもないものができるんだよ。最初からガラパゴ結構と割り切ってこそ和風のいいものができるのだ。それもあるかもしれない。”Bravely Default: Flying Fairy”なんてドメスティック・オンリーだったからよかったものの、あちらではタイトル自体「意味不明」だから当然のように横やりが入ったはず(ネタバレ覚悟で言うとこのタイトルにも「意味」があるみたい)。いまやJRPGとしては名作の誉れ高いペルソナ4が、当初はあちらのテスターたちにケチョンケチョンに貶されたという話は結構有名ですかね。

 そうは言っても、どこでもいいから国内ヴィデオゲームの売上ランキングでも覗いてみてください。素人が見たってわかるように、本当に成り立ってるタイトルはごくわずか。一部を除いて週間売り上げ何千本の戦いです。十万本でとりあえず成功のレヴェルなんですから、国内向けだけ考えたらとても開発にお金なんてかけてらんないですよね。

 “Dark Souls”だって、”Dragon’s Dogma”だってかなりの存在感があるよ。たしかに翻訳すべきセリフは少ないしね(笑)。他にもアクションゲームならいくつか定番タイトルがあるよ。でもその裏側には「目指せ海外で」挫折したタイトルも数知れず。武士の情けで列挙はしないが打率的には相当悪い。ますます萎縮傾向が進む。

 記事によれば、HD/3Dへの移行に乗り遅れ、苦心惨憺した本邦某大手パブリッシャーは、買収した海外メーカーのタイトル・リリースがなければ経営が立ち行かなかったかもしれないという。その真偽は定かではないが、一般にそういう事態を招いたのは本邦関係者の「驕り」に起因するという説は根強い。イナフネ氏などは以前からずっとそう主張している。

 その説を完全に否定はしないんですが、事態の本質はいつも違うところにあるのだと思います。
 この島国の人たちはなぜかいつもとりかかりは成功する。でも結局、なんで成功したのかわかってないままとりあえず進むんですね。そのうち成功する原理原則の追究(アングロサクソンが秀でている)を続けてきたあちらが必勝法を発見し持ち込んでくる。そして自分たちに都合のいいように「ゲーム」のルールをいつの間にか変えてしまう(アングロサクソンが特に秀でている)。こちらはルールが変わったことも知らずに漫然と「ゲーム」を続けて・・・。そういう意味じゃ「驕り」というよりか「慢心」と言えなくもありませんけど。

 ここで「原理原則」と言っているのは開発コスト圧縮。具体的には記事にもあるように開発エンジン(ミドルウェア)に眼を付けたこと。AAAタイトルには最初から巨額の開発資金が必要なのはわかりきっている。島国の人がなんとなーく「それでも売れればいいんじゃない?」、「いいもの作ればきっと売れるよ」、「まあ二年くらいは存分に暴れてみせますよ、あとは知らん」と考えがちなのに対して、あちらは「これだけ売れるはずだからそれで儲かるようにしろ」からはじまる。そこで年季を積んだ職人が手づくりでしこしこ作る発想を否定して(いわゆる「車輪の再発明」問題も回避する)、ちょっとした訓練で誰でもできるように標準化した。職人工房を「工場化」したことによって生産性が向上し、かつ人件費(コストであり納期であり全部一緒)が容易に予見できるようになった。ここで大きな戦術優位性を獲得した。優れた戦術は上位の戦略を生み出し、かつ規定するのです。
 レイオフの有無など彼我の労働慣行の違いを言い訳にすることもできるが、やっぱり本質はそこじゃない。

 EA/BioWareが自社のFrostbite 3エンジンをあらゆるタイトルに用いようとこだわっているのも上と同じ理由であるし、サードパーティーを嫌って「自社で」持つことでさらに優位性を高めようとしているわけですよね。

 「風立ちぬ」はまだ観てないから話題にしないでおこう。でも物語はいつも一緒です。戦闘機だろうが戦車だろうが、造りやすい、壊れにくい、修理しやすい、取り回ししやすいのが肝要(厳冬期にエンジンがかかりやすいも大事!)。いうなれば頑健性(Robustness)と常時有用性(Availability)。秀逸で画期的なテクノロジー(デザイン)を追究する熱いロマンは、無味乾燥な数学(というより統計学ですね)の前には非常に分が悪い。悲しいかな、それが現実。BioWareのコンセプト・アーティストが述べていたように機能優先のデザインはどこか滑稽である。大抵勝った側の兵器はブサイクで、負けた側の兵器が美しかったりする。

 ゲームは(それ以外の様々な製品も)兵器ではないのでそれだけで終わりではありません。でも同じような土俵に無理やりあげられてしまえば同じように戦うしかない。そして「土俵に乗らない」自由はあまりない。土俵を決めているのがいつの間にかあっちになっちゃったから。

 もちろんどれだけ生産性が向上したってデザイン段階でこけてしまえば、どもならんのは言うまでもないし、生産性を過剰に重視してやたらと続編ばっかり作り続けているのもクリエイティヴィティに乏しいのではないかという批判も根強い。エンジンを共有して有名タイトルのクローン、もどきばかり乱造される傾向
もある。
 また、すべての産業(分野)で島国とあちらが上のような関係だと言っているわけでもない。例えばあちらでも自動車産業はやっぱ「驕り」と本質(製造コストや燃費含むユーザーの全出費)度外視の風潮がありました。

 別に戦争しているわけじゃないんで、ほんとに潰れちゃう前に気がついてよかったってことでしょうかね。ブランドが立ち腐れてるわけでもないんだし。そもそも製品をリリースしてないのだから低品質でイメージを毀損したりしていないのだ(笑)。(ちなみにアトラス(インデックス)はゲーム事業で潰れたわけじゃないそうだ)

 本当に賢いやり方は、まず小さくてもいいから自前の土俵を取り戻すことなんでしょう。記事では雪崩をうって(原文は「ツナミ」・・・)英語化されることがE3で発表された様々なタイトルが紹介されているが、あちらのAAAタイトルとガチで当たるようなものはひとつもない。

 IGNの記事のとりかかりはJRPG「テイルズ」シリーズの一部が久々に英語版でリリースされること、でした。
 そちら方面には全く詳しくない(すまん、デモ以外ひとつも遊んだことがない)ので調べてみると、なんと最後の英語版リリースは2008年であったそうだ。
 5年以上も待たされたあちらのコア・ファン(そんなにいることも知らなかった)は本当にお気の毒です。お前、たかだか1年リリース延期で四の五の言うんじゃないよ?

 でもねえ、5年も1年も一緒ですよ。私たち明日をも知れぬレ・・・(よしなさいって)

2013年7月26日 (金)

ジョークは英(略)

 えー、アメリカンの大好きな日本人ジョークに馴染がない方も多いでしょうけど、ネタは大抵「ロボット」、「喋るマシン」、「ウォシュレット」、「自動処理」、「正確な運行・運航」あたりですね。
そのうち「正確な運行・運航」に関するものだとこんな感じです。

 皆様ご存じのこのニュース。私も実は最初にCNNのヴィデオで知ったのですが。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130726-OYT1T00376.htm

 下はCNN。コメントが二、三面白かった。

http://edition.cnn.com/2013/07/23/world/asia/japan-train-rescue/index.html

「電車が8分遅れた? あっちじゃそれで乗務員クビになっちまうぜ!」
(8 minutes late? That is practically a firing offense over there!)

「アメリカじゃありえない! だって太りすぎで誰も隙間にはさまんないから!」
(That would never happen in America! We're too fat to fall in a gap!)

 素晴らしい(笑)。
 もちろん、アメリカンには言わないようにねっ!

コンセプト・アーティスト(DA編)

 続いてDA編です。
 以前ここで紹介した、ゲイダーさんの”on narrative design 4”(リンクは下)というゲームデザインの記事に、ライター衆とアーティスト衆とのキャラクター創出に関する連携と苦労が含まれていました。あわせて読むと理解が深まるかもしれない。
(一言でいうと、ゲームのキャラクターは、書いたライターは自分のものだと信じたいかもしれないが、実際にはアーティストやその他のデザイナーたちとの間の長い討議や試行錯誤から生まれる共同成果物である、というお話でした)

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/02/on-narrative--1.html

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 ゲーム間の粋な連携イメージ。クロスオーヴァー・アーマーの話を聞いたとき、ちょうどME2アーマーを仕上げているところであった。結局用いられることはなかったが、その理由は忘れた。たぶんDA世界に馴染むにはちょっとME過ぎたんだろう。

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DAOのリデザイン。形を変えたり、すでに保有している資産をできるだけ流用しようとしたりした。これらはよりわかりやすく、実用的に見えるようにデザインを強化しようとした二つの試みだ。

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 私たちはこのように簡単な素材をたくさん用意して、設定を理解する助けとし、ゲーム(この場合DA2)の全体的な「最終的枠組み」を示そうとしていた。レヴェル(マップ)開発のずっと初期の段階のものであることは見ての通りだが、早い段階で適切な範囲を設定することに役立つのだ。

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 DA2カークウォールの街並みを具体化する試み。当初はぶっきら棒なくらい「岩山を切り崩した街」であった。岩からそのまま削り出されたような街に見えるようにしたかったのだ。

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 カークウォールの奴隷監獄、テヴィンターの統治下だった過去の姿を想像した。

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 このように手早くまとめたスケッチが、構造的にも造形的にもずっと複雑な要素を整理するときに役立つ。中心的なアイデア(巨大な鎖がカークウォールの港湾を防衛している)はそのままゲーム内に残っているが、奴隷運搬機と奴隷の彫像は変更された。そして残念なことに、鎖に連なる多数の絞首刑者の亡骸も消すことになった。

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 DA2でデザインをやり直すことになったフレメスのずっと初期の姿。以前よりずっと重圧的な感じで、その力が垣間見えるようにしたかった。だが、これでもまだ抑制的過ぎると見なされた。

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 何人かのパーティー・メンバーの初期スケッチ。キャラクターの説明文を読んで手早くまとめたものだ。我々の印象に残った様々な特徴、うわべの見てくれ、立ち姿(ポーズ)などを記憶に留める助けになる以上の意味はない。

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 メリルの設定づくりは、ライティング(チーム)にとってもコンセプト・アート(チーム)にとっても、お互いの話す言語を本当に理解し合うための素晴らしい実地訓練となった。彼女についての初期の記述にはブラッド・マジックを自ら進んで弄ぶという部分があって、私はそれを強く意識していた。文章上はおっかない女であったので、初期の描画はそれを反映している。無理もないことだがライター衆がこれを見てちょっと怒り出し、実は彼女はその好奇心が際限ないほど広がってしまうから危険な存在であるということを理解させてくれたので、相当抑制された表現にすることになったのだ。

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 開発段階が異なる時点での、パーティー・メンバーたちの別のヴァージョン。順番に行くと。
 ・メリルにデーリッシュ・アーマーを着せたもの。
 ・フェンリスの鎧部分を増やし、髪形を整えたもの(だが手遅れだった、なんてことだ、もう手遅れだったんだ)。
 ・イザベラの初期ヴァージョン。DAOではダンカンの見てくれがお気に入りであったので、それをそのまま持ち込んだ。このうちいくつかの要素は最終版にまで残っている。
 ・カーヴァーはあまり変更されていない。腕にタン色のストライプがあるのは風変りなデザインだが、どうしてこれがいいと思ったのか自分でも説明できない。
 ・タリスのオリジナルのコスチューム・デザイン。そのうち彼女には実物モデルを用意することになったので、最終形は異なるものになった。だがそれもまた愉し、である。

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 フェンリス、フェンリス、フェンリス・・・。死をもたらす危険な存在(ウィドウメイカー)。ここに載せたものは私たちがフェンリスを創り出すため試した数多くの苦労のほんの一部である。彼について把握するのは結局不可能であった。まるで椅子取りゲームのようなもの。彼のデザインは音楽が鳴りやむまでいつまでも変更され続け、最終形はそれでなんとか折り合いをつけなくてはいけないものだった。今でも彼のデザインをやり直したいと心から思うが、気に入るかどうかにかかわらず、今のフェンリスがフェンリスだ。

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 フェンリスのタトゥー(ゲーム内で見かけることはないが、我々は素肌がどうなっているか知る必要があった)

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 DA2ではオシノとメレディスは対立する存在だった。メレディスのデザインは最初から完成度が高く、英雄的なパラディンの姿であった(今でもDA2のお気に入りのひとりだ)。それを土台に、オシノは対極的な姿、自分でパクれる限りディズニー映画の悪役そのものとして描こうとした。彼のキャラクターにとってもこの対比は良いことだと思う。見かけはヴァンパイアだが、実はナイス・ガイなんだ。

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 このラインナップは、私たちが手掛けていたヴィジュアル開発プロジェクトの一環として描かれた。一緒に持ち込みたかったすべてのデザイン要素をまとめて観るため、簡単なアニメを創り、全体的なアートの方向性の手掛かりを見つけようとしていた。これらのキャラクターはテンポラリーなキャストの役割を果たしてくれた。

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 これは内部でデザインに関する根本的な議論を行う際に用いた架空のキャストである。キャラクターたちのキャストを、ひとつのグループとしてデザインしてみるというアイデアであった。そのためそれぞれの特徴的な姿かたち(シェイプ)、カラー・テーマなどなどを選ぶことから始めた。これはまだ単純なものだが、要点はおおむねカヴァーしている。

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 初期段階でのホークの変遷。これは親しみを込めて「バイカー・メイジ」(Biker Mage)と呼ばれていて、我々のヴィジュアル開発チームのひとりが私たちの主人公をデザインするにあたっての最初の発射台になってくれた。

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 こうしたものは手直しが行われた後ですぐ削除されてしまいがちなので、そこら辺に沢山散らばっているわけではない。だが工程上重要な要素となるので、できるだけ残すことを心がけることにしている。コンセプトが意図したとおりに3Dに変換されるケースは非常に稀だ。その全部について戦うことはできないが、手早くラフに描き直してみることが役にたつ場合が大変多い。

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 これも賛否両論、議論を呼んだもの。
 ダークスポーンのデザイン見直し。気に入った人もいたが、何か病理学的に問題を抱えているのではないかと疑いたくなるほど嫌った人もいた。私の発想の組み立てはこうだ。

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 ゲームと言うものは完成してはじめて、どう創ればいいものであるかがようやくわかるのだ。それが現実である。Dragon Ageに関しては幸運なことに、私たちは過去に学んだ事柄に基づいてデザインの修正や微調整ができる自由を有している。最終的にはコンセプト・アートはゲームのストーリーを語るものであるし、私たちはダークスポーンのオリジナル・デザインはストーリーを本当には伝えきっていないと感じていた。
 私たちのゴールはこうだった。
・テイント(汚染)がただ尖がった歯のモンスターを意味するのではなく、かつてヒューマン、エルフ、ドワーフ、クナリであった存在が病理に蝕まれたものであるということを示したかった。
・着ている鎧がまるで洗練されていないように見せることで、連中の脳が病理のため腐っていることを示したかった。(Originsのダークスポーンの鎧はほとんどのヒューマンの鎧よりずっと複雑で込み入っていた)
・すべてのダークスポーンが、同じ病理に侵されていることを示したかった。(Originsでは、それぞれの見かけが少してんでんばらばら過ぎると思われた)

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 これはあまりにやり過ぎた初期の姿。なにも完全なホラー・ショウを創りたかったわけではなかったが、議論のたたき台になった。内部で強烈な反応があったので、私たちも何かを掴んだことはわかった。もう少しヒューマン寄りにすることで、より強く共感を覚えてもらえるようになるのだ。

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 ダークスポーンに関して、私たちが考慮した別の側面は戦闘における役割であった。ほとんどどんな環境にも出現するので、見てすぐそれと知れるようにしたかった。オリジナルのデザインは、幾分背景に溶け込みやす過ぎた。そのため、病理と鎧をはっきり対比させるようなデザインにした。肌は蒼ざめているが、鎧の色は深い。こうすることですぐに判別することができるし、アニメーターたちも、戦闘や移動の際に連中のことを強く印象づけるため必要以上に腐心する必要もなくなるのだ。

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 これらはハーロックとオーガに用いられたデザイン基準である。それぞれもとの種族にちょっと似ているし(ただしオーガに関しては制約が多かった)、共通した明確な色彩コントラストと原初的な美学的要素を有している。それが意図したものだ。実装はまた異なる。だがすべてが学習経験であって、私たちは一歩づつ先に進んでいくのだ。

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 コンセプト・アートは因果な商売だ。あらゆる種類の雑用(odd jobs)があるし、行き着く先のない袋小路(rabbit trails)があるし、不発弾(misfires)もあれば勝利もある。先に述べたように、ゲームは創り終わってみなければ、どう創ればいいのかはわからない。私たちのできることは、たいまつを頼りに、何かを見つけるまで、ただひたすら暗闇の中を走りまわることだけだ。

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 ここまで読んでくれたなんて、信じられない。手間を取っていただいたことへの感謝の気持ちを込めて、用いられなかったクナリ・バーバリアンの姿を最後にご覧いただこう。

 ありがとう!

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「ゲームは創り終わってみなければ、どう創ればいいのかはわからない」
 ”you never know how to design a game until it’s finished.”

 何度か紹介していますが、ヤンキース往年のスラッガー・捕手にして意味不明な名言の宝庫、ヨギ・ベラの語録にもこんなのがありました。

「勝負は終わってみなければ終わらない」
“It’s not over, until it’s over.”

 ヨギ・ベラのほうはトートロジーが可笑しいだけで、言いたいことは「勝負はゲタを履くまでわからない」ということなのでしょうが、ローズ氏のほうは、ゲーム開発がエンジニアリングではなく、クラフティングであること、ゲームが工業製品ではなく、(アート、芸術作品ではないとしても、少なくとも)工芸製品であることを示していますね。
 さらにこう言いかえれば、その奥深さがわかるのではないでしょうか。

「人生は生き終わってみなければ、どう生きればいいのかはわからない」

生き終わってみたらわかるのかどうかも、まだ私にはわかりませんけどね。

2013年7月25日 (木)

コンセプト・アーティスト(ME編)

 ちょろちょろっとやれば終わりかとおもったら、予想外に長かった。

 Mass Effect編から。

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 シェパードのほんとにほんとに最初の頃のアイデアである。彼が最終目的(*ゴホッ* サレン *ゴホッ*)を達成するため、リーパー・テクノロジーによって変異せざるを得なかった姿である。そして新しいヒューマン・スペクター、アシュリーと対峙することになるのだ。

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 サーベラス兵士をデザインするときには、もっと太めにするようにと何度も要求された。私は自然と細く書いてしまう傾向があるのだ(常に意識して逆をやらなければならない自分のハンディだ)。自分が維持したかったのは、ちょっとした「間抜けさ」(goofiness)を表現することだった。なにかを恰好良くデザインしようとすると、大抵失敗するのだと思う。最良のデザインは(特にオッカナイもの、コワモテなものをデザインするときは)、「間抜けさ」の割合を維持しているものだ。現実世界のデザインは典型的にこの要素が持ち込まれている。なぜなら、エンジニアたちやデザイナーたちは、機能を優先的に考慮するからだ。だから意図しないのに可笑しな形が出来上がるのだ。

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 このバブルヘッドは、このコンセプトの究極的なストレステストとして意図したものだった。バカな姿で登場するが、こいつが囚人を冷酷に殺して、君の(主人公の)ヘルスバーを一気にゼロまで奪う様を一たび目撃すれば、次からこのバカな姿を見かけると恐怖を感じるようになるだろう。間抜けな姿と恐るべき凶悪さを並置すると、象徴的な記憶に残る敵が生まれるのだと考えている。とはいえ、この姿はMass Effectの世界観に馴染むものではなかった。

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 カイ・レンの初期のテイクふたつ。Ben Huen(Mass Effect 2のコンセプト・アーティスト)のロボット脚のアイデアを弄んでいたものと、戦闘の傷跡が残るヴァージョン。戦傷のヴァージョンは悪のシェパードを創り出そうとしていた(あたかも、サーベラスが彼を再生はしたものの、出来栄えがお粗末だった場合のように)。

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 リーパー・テックを過剰に取り込んでしまったイルーシヴ・マンの初期のヴァージョンふたつ。

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 アシュリー用コスチュームの初期テイク。ユニフォームとアーマーのハイブリッドを創り出そうとしていた。未来ぽいウェットスーツ風のアーマーのアイデアはいつでも好きだ。フレキシブルなのに頑丈で守りに役立つスーツに見えるようにしたかった。だがフレキシブルで未来ぽいアーマーのコンセプトはゲーム内で説明すべきことがあまりに多すぎた。最後には、堅い甲殻のアーマーにするように決定された。

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 ボツになってしまった、ジャックがプリズンから脱走する場面の絵画。レヴェル(マップ)が見栄えもプレイ環境としてもすでに優れたものであったので、このイメージは不必要となって放棄されたに違いないと思っている。

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 このリージョンのイメージも同様だった。描き始めた頃にもはや必要とされていなかった。

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 レックスの玉座の、用いられることのなかったヴァージョン。レヴェル(マップ)・アーティストに着想の出発点を与える手助けとして描かれたものだ。

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 いずれもデザインに長い時間をかけたコレクター船とヒューマン・リーパー。一番大変だったことはこれらが計り知れないほど大きな規模であることを伝えることだった。これらのコンセプトは開発規模に関する長い議論の間に常に登場し続けたが、また同時にヒューマン・リーパーのアイデアがいかに曖昧なものであったかも示している。初期の実験はずっと胎児の姿に似ていたが、その他のものは成人の骨格と筋肉系に寄っていた。

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 これはあまりに身も蓋もないものであった。ここに含めた理由は、このヒューマン・チューブが私の何人かの友人の間でひどいジョークのネタとしてずっと使われていたからだ。何千もの人間のおしりが、ガラスに擦れて耳を切り裂くような大音響を発する様子を想像してみてほしい。

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 用いられなかったエイリアンのアイデア。そのことにはほっとしている。カンペキにおぞましくて、ヒューマンとの類似点を何ひとつ見出すことができないエイリアンを創り出したかった。実際この方向が採用されて、こいつの「ヒュー・モン」の仮面の裏側には常時変異していく眼と歯があることをプレイヤーが目撃したときのことを想像すると、本当に愉しくなる。とにかく不気味なのだ。

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 シャドウブロウカーの初期ヴァージョン。

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 個人的なお気に入り。最終形に比較すると多少退屈であることは認めるが、この方向に進んで欲しかったという気持ちもある。これは、「彼は結局のところアレース(Ares、アリース)神である」というキャラクター説明に従ったものである。

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 テューリアン建築の内装のアイデアを手早くまとめたもの。放棄された航空機の写真を継ぎ接ぎしたものだ。

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 ゲス・システムがリーパーに感染した様子を表現しようとしたスケッチである。

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 EDIは、初期に頻繁に繰り返し変更された。あるキャラクターの創造が難しそうだとわかったら、早めにたくさんの分野を試してみることが助けになる。私たちは、プラスチックのスキン、蛍光の溝のあるものないものなどを試してみた。

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 ノルマンディー号の文字どおりのアヴァターと呼べるもの。

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 映画「ブレードランナー」のキャラクター、プリスに愛をこめて。

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 落ち着かなくさせるような見かけを持たせて「不気味の谷」(the uncanny valley)を表現しようとしたメカニカル・マネキン。

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 主要キャラクターを両手を広げたT型のポーズで(あるいはただ立っているだけの姿で)描くのは今でも苦手である。アイデアに詰まったと思ったら、何かの背景(文脈)の中に入れてみる。これはEDIが文字どおり直接ノルマンディー号と結合しているイメージである。

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 今でも私のお気に入りのリーパー・ドローンの初期コンセプト。

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 再会時のジャックの描画。
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 プロシアンは面白かった。当初私は、もしかしたら(目を細めて見てみれば)この銀河におけるすべてのエイリアン種族の遺伝子的なルーツを保有していることがわかるようなデザインを狙っていた(そうそう、スター・トレック・ザ・ネクスト・ジェネレーションのエピソードにあったみたいなものだ)。ME1に登場したオリジナルの姿からできるだけ離れないように気を付けていた(最初の姿がぼんやりしていたのは、この理由によって意図的にそうしていたのだった)。だがその試みも長くは続かなかった。
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 これはマス・リレーを連想させることを狙ったスーツのデザイン。
 
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 オーケイ、白状すると、これらの描画はインターネットからしばらく遠ざけていた。色々な意味で面倒な論争に係るものだったからだ。ぜひ見たまま受け取ってほしい。これらは開発途上に描かれたもので、興味を持たれるだろうと思うからアップするのだ。過去これらの対象へのコメントを求められたことがあるが、今でも絵のイメージそのものに語らせたいと思っている。
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 これらは、最後のレヴェル(マップ)の初期段階のイメージである。最初の発想は、大戦闘が繰り広げられているそのただなかに、静謐な空間を創造するというものであった。パネルや防護用の箔から黄金の蓮の花が作り出されていたら面白いだろうと思っていたのだ。
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 プレイヤーの最後の決断によって変化する結末を検討するためのスケッチ類。
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 このイメージは純粋に自分の空想だけに基づくものだった。シンセシスを選択すると銀河は変わるだろうと想像した。生命とテクノロジーが融合するのだから(そしてその頃マス・リレーが破壊されることはまだ知らなかった)、宇宙船の必要はなくなると考えた。どの生き物も最寄りのリレーにリンクすれば、ある惑星の地表から銀河のどの星系の惑星の地表にも自由に跳べるのだと。これによって、ただひとつの惑星に留まる必要がなくなるのだから、銀河のすべての生き物の生態は変わるだろう。これは、ずっと遠い未来に、アサリ/サラリアン/ヒューマン/? が何の心配もすることなく、草原をそぞろ歩いているイメージだ。
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 タリの素顔を見せるかどうかも、長い論議があったものだ。彼女のヴァージョンも何度も作り直された。この三つはそれぞれ成立していると考えていたものだ。個人的にはプレイヤーをぎりぎりまでやきもきさせるカンペキな機会だと思っていた。タリはいわばペンパル、あるいはオンラインでしか知らない友人のような存在だ。プレイヤーがどれだけ彼女に感情移入しているかによって、彼女の見かけが期待に対して納得できるものであるかどうかが決まる。もしほんの少しエイリアンぽかったら、またはちょっとだけ不快に見えたら、それでもプレイヤーは彼女のことを以前どおりだと考えるだろうか? あるいは彼女の人格とプレイヤーとの長い関係が勝っていて、見かけの問題なんて吹き飛ばしてしまうのか?  これは掘り下げるには興味深い分野であり、この問題に答えることのできる別の方法があればいいと願っている。
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 私にとっては、これが今まで常に(これからもずっと)タリである。ME1で最初に彼女をデザインしたとき描いたもので、その頃はマスクの下の素顔の問題はまだ全然大きくなっていなかったのだ。
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 やっぱ長かった・・・。Dragon Age編に行きつく前に、一日が終わってしまいそうだ。そちらは次回まわしです。
 
 
 
 
 
 

コンセプト・アーティスト

 BioWareのアーティストであるマット・ローズ(Matt Rhodes)氏がDAシリーズに関する30枚程度のコンセプト・アートや設定画像をアップしている(一部Mass Effectのものもある)。

 DA Wikiはこっちで。
http://dragonage.wikia.com/wiki/User_blog:IlidanDA/Dragon_Age_Concept_Art_%E2%80%93_Behind_the_Scenes

 ご本人ブログはこちら。
http://mattrhodesart.blogspot.ca/2013/07/concept-art-behind-scenes.html

 BioWareのDAチームも、ようやくDAIに関して「ファンにお見せできるもの」が見つかったようだと思ったらそうではない。これはDA2あるいは中止となったエキスパンション、”The Exalted March”のものが中心なのでしょうかね。ユーザー・コメントを信用する限り、シリーズの「どの」作品のものか明確に区別されているものではないようで、DAIに用いられるものが含まれている可能性もゼロではない。

 それぞれのアートに関する私個人のコメントはやめておきましょう。きりがないし、鑑賞は人それぞれ。

 ローズ氏は、アーティスト部門の中でも「コンセプト・アーティスト」という担当なのだそうだ。こういう細分化があることを私は初めて知りました。
 その役割を述べている部分が個人的に面白かったので紹介しましょう。

「コンセプト・アーティストの役割は、陽光を頼りとせずに世界の地図を描く探検家(エクスプローラー)のそれである。私の口上にしばしの間お付き合い願いたい。

 仕事はまず(参考図画・文書類の)参照とその研究からはじまる。そこが良く整えられたベース・キャンプの役割を果たす。明るい照明があり、多くの人が集っていて安全な場所だ。参照物が優れているほど、手に入る実りも優れている。アーティストの仕事は、たいまつの束を詰めた袋を手にして、このベース・キャンプから暗闇の中に物凄い勢いで飛び込んでいくことだ。落書き、スケッチ、絵画、ストーリーボードのそれぞれがたいまつで、闇の中をいくばくかずつ照らし出す。目にするのは大抵ただの藪だったり、岩だったりする。だがずっと突き進んでいけば、いつか豊かな土地に辿り着くことができ、今度はそこを新しいベース・キャンプにすることができるのだ」

 ローズ氏の友人である同業者、RDR、GTAVなど多くの作品を手掛けたコンセプト・アーティスト(Hethe Srodawa氏)が、アート類をブログで公開したことに影響を受け、今までは「あまり見目麗しくなく、完成度も低いので人前に出すような代物ではない」と思い込んでいた自分のアートを公開することにしたそうである。

「以下は、ごちゃ混ぜのコンセプト・アートのごく一部である。いくつかは日の目を見ることになったし、いくつかは劇的な変更を受けることになったし、またいくつかは完全にボツになったものだ。
 そのすべてが、必要なものだったのである」

 時間ができたら、じっくり眺めることにします。一週間くらいは持つかな。
 一年は長いよ(笑)

(追加)よくよく見たら、それぞれのアートにローズ氏のコメントがついているんですね。それもまとまった時間ができたらやっておきましょう。私は気前がいいのだ(書くネタがないだけだろう)。

2013年7月24日 (水)

サイファイの90%は

 うまいこと新書商法に乗せられていると言えば、そう認めざるを得ませんが、「知の逆転」(NHK出版新書)なるインタヴュー集は(インタヴューが金儲けになるという点について「えー」と思う私は入口でかなり逡巡したんですが)予想外の知見を得ました。

 ジャレド・ダイアモンドやチョムスキーはじめ現代を代表する最高の知性六名へのインタヴュー。
 それぞれの中身はご本人たちの経歴・業績からして、予想どおりの内容で、ビックリするようなものでもないですが、ご興味があるならお読みくださればいいと思います。ご本人たちの書かれた書籍などを読みたくなる副作用もある。

 インタヴュアーは、必ず最後に各人の読書傾向を尋ねている。
 なんと意外にも(意外でもないのか)SF(サイファイ)の人気が高い。
 登場する方たちの年齢層からして、若い頃にサイファイの黄金時代を経験している世代なんでしょうけど、まず大見得きって公言しまくってることに虚を突かれた。しかも(周辺ジャンルのミステリーも含めた)わりとジャンク的なものをあげる人もいる。

 サイファイではない一般小説は「全部一緒でつまらん」と切り捨てちゃう人もいる。カート・ヴォネガットが晩年に似たような趣旨のエッセイを書いていたことを思い出した。多くの小説はパターンが決まっていて、しかも世の中ではそんなパターンは決して発現しないという趣旨。それ言ったら表面上サイファイもそう思えるかもしれないが、シェークスピアの「ハムレット」(その非ドラマ性)を称賛しているので、もっと奥深い話。過去ブログに感想を書いた記憶がある。

 ヴォネガットは、サイファイ作家のスタージョンが生み出したとされる次の名言(スタージョンの法則)をひろめたお方。

 「SFの90%はクズである」(SF大会の講演を頼まれた主人公が大勢のSF関係者の前でこうのたまう。当然、場内騒然となる)
 「何事もその90%はクズである」

 筒井康隆先生ではないが「士農工商エスエフ作家」の時代(でも日本SFの黄金時代)に育った島国国民のこっちは、「読む小説は90%サイファイ・ミステリーですが、何か?」と大見得きって言えない・・・。あんた名前知ってるだけで碌に読んでねえだろうと思われる人に限って愛読書は漱石、鴎外、芥川龍之介、太宰治。あるいはチェホフ、トルストイ、ドフトエフスキーなど日本人大好きな(もちろん世界中に愛読者がいる)ロシア文学、ディケンズやらワイルドやらジョイスなどの王道英文学あたりを口走らないといけない雰囲気がある。スノビズム。

 「登場する人みんな理系なんだから、エスエフ好きなんじゃないの?」

 そうかもしれない。「理系」がどうのという発想もかなり島国的なもの(官僚的発想)なんで根拠怪しいけど、例えば坂村教授(トロン開発者)も大のサイファイ好きで「文系は読んでもわからんだろ」とまで言い切っている。まあねえ・・・。

 インタヴュアーはNHK関係者だそうで、NHK的には本書に登場する人たちの多くがサイファイ好きということは書きたくはなかったんではないか(スノッブの権化だから)。
 確かに筒井先生の「時をかける少女」をはじめとしたサイファイ・ジュヴナイルを熱心にひろめたNHKプロデューサーもかつてはおられた。「未来少年コナン」だってNHKだろ、そうそう、よせばいいのにエドモントン・ハミルトン原作「キャプテン・フューチャー」のアニメを受信料で作っちゃったこともあった。

 いやでも基本はスノッブでしょ。サイファイは心の底からは認めていないでしょ。

 小学生の朝読書?とやらの影響で故・星新一氏のショートショートが流行りなのだそうだ。確かに短時間で完結するからね。かつて姪っ子も誇らしげに大ファンだと宣言していた。
 でもそういう類のものは隠れてコッソリ読んでニヤニヤして、同好の士だけで集まってああでもないこうでもないと話すものだった。後ろめたい気持ちで読むものだったはずだ。
 だって、その次はどうせ筒井先生か平井和正にいくんだぜ? どう考えても小中学生が読んじゃいけなかっただろ(思いっきり読んでいたけど)。

http://vanitie4.cocolog-nifty.com/rain_dancing_vanity_13/2013/04/elysium-star-tr.html

 上の過去記事で今年はサイファイ映画の当たり年と喜んでいたが、これまであまり映画館まで観に行く暇がなかった。”Cloud Atlas”はPSNで観て失望を味わったと書いた通りだし、”Oblivion”は残念なことに上映が終わってDVD/BD待ちになってしまった。”Pacific Rim”と”Ender’s Game”は何がなんでも観たいなあ。

 ”Cloud Atlas”の描いている様々な光景にそれぞれ「既視感」があると書いたのですが、メタクリであちらのプロの映画レヴューを拾い読みしていると、具体的にこの映画のあの場面、あの映画のこの場面、すべて過去の映画の切り貼りじゃないかと批判しているレヴュアーがいました。(他に、やっぱりコーケイジアンがモンゴロイド(またはその逆)を演じるのは無理筋過ぎると怒っているレヴュアーもいた)
 つまり暗黒の未来社会は”The Matrix”か“Blade Runner”だし、奴隷密航の場面は“Amistad”だし、その他も“One Flew Over the Cuckoo’s Nest”だったり“Xanadu”だったりと。

 私の感じたデジャヴの理由はそれだったわけか。

 結局のところ、サイファイ映画のアイデアが枯渇してしまったのか飽和しているのか。だとすれば、いずれ「どのサイファイ映画も全部一緒でつまらん」と言われかねない、由々しき事態になりかねないんで、ぜひ斬新なアイデアが生まれてくることを期待したい。

 そして、長いこと話題が出てはまた消える小説”Hyperion”の映画化でもそろそろ実現してくんないかな。”Cloud Atlas”よかそっちが先だったんじゃないのか。

 過去購入したDVD/BDを自宅で鑑賞するコマギレ時間はある。怖がりなのに買ってしまった”Stake Land”、”28 Days later”、”28 Weeks Later”をようやく観終わった。
 それぞれ意外といける(そして私にとってはありがたいことにそんなに怖くもなかった)。これだけサチュって(飽和して)しまったヴァンプ/ゾンビ市場の中で、やはり名前が売れているものはそれなりに面白いということかもしれない。

 怖がりのくせに、なんでそんな立て続けに観ていたのかって?
 決まってるじゃないですか。ゲイダーさんまで話題にしている今旬の”The Last of Us”。買ってもまとまって遊ぶ暇がないだろうからまだ手を出していません。
 その代償行為ですよ。そのつながりで、もうすぐ”The Walking Dead”(ドラマ映画)にも手を出すんじゃないかと恐れています。

 ま、サイファイのファンにとって、面白ければなんでもサイファイだから。

2013年7月22日 (月)

【DAI】PAXAUS BioWareパネル(2)

 前回の続き。

(追加)GameSpot AUがこのパネル全編の1時間15分くらいのヴィデオをアップしています。リンクは下。

http://www.gamespot.com/mass-effect-3/videos/bioware-journeys-down-under-panel-pax-australia-2013-6411947/

(追加終わり)

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・セーヴファイルについて、スタッフは何も公表しなかったが、プレイヤーの決断が後々影響を与えることは間違いない。

・「BioWareスタイルの選択」を捨て去ることはない。説得の選択肢については興味深い議論があった(パトリックによれば、Mass Effectは「青/赤に光る選択肢を選ぶことが勝利への道」になってしまった)。セリフや選択の結果に影響を与えるそれ以外の「何か別のもの」を導入したい。キャラクターのスタッツに拠るもの、特定コンパニオンが同行していることを必要とするもの、以前の会話ですでに触れられた事柄に拠って異なるセリフや選択肢が出るようにするもの、などが考えられる。

・パトリックによれば、最良の選択肢とは、自ら選ぼうとする事柄について人々が心から真剣に考え議論する余地があるものであるという。それぞれの選択肢がプレイヤーの世界観や思想によってどれも「真っ当な(right)」ものに思えるようになるように仕上げたい。単に「赤ん坊を救うか、魔道士を救うか」などという、全く明確な「善と悪」の二者択一(binary)の選択ではないものにしたい。

・パトリック、キャメロンそしてクリス(彼も会話に参加したはず)は、セリフや行動の選択の結果を決定する際に、ランダム・ナンバーを用いるアイデアについて議論し、基本的にはその考えを受け入れないとした。プレイヤーは自分の選択の帰結と、それが導き出された因果関係を知りたがっているのであるから、選択・セリフにランダムの要素を導入すると、プレイヤーに必要以上に理不尽な(unfair)罰を与えることになると思われるからだ。また、プレイヤーは「たまたま(ランダムに)」その「良からぬ」結果が出てしまったと感じたとき、それ以外の場面でも何か気に食わないことが起きたと感じたなら、セーヴ・ファイルをリロードしてしまうだろうし、プレイヤーに逐一リロードさせるような仕組みは、ゲームの楽しみを奪うことになってしまうだろう。

・セリフについて。

・パトリックは、DA2のホークのセリフがプレイヤーが以前の会話で選んだ事柄に影響を受けるような仕組みになっていることに関するプレイヤーの反応について話題にした。一部のプレイヤーがこの仕組みに混乱を感じていたことは、開発スタッフがDAI製作にあたって考慮しているという。またパトリックによれば、開発スタッフはME3の「自動セリフ」に対するファンの反感も気が付いているという。

 DA2のパラフレイズについても(プレイヤーが選んだ短文(パラフレイズ)と、実際にホークが喋る会話のセリフがかけ離れている場合)イライラさせられることがあったようだ。パトリックとカリン夫妻が、パラフレイズを構築する際のむずかしさについて興味深く愉しい話をしていた。DAI開発にあたって、この問題は念頭に置かれている。

 最後に、そのうちいずれ新しい情報が出るだろうと語っていた。気長に待ってほしいとお願いしていたが、本パネル・ディスカッションは、開発期間があと一年余分に与えられたことについては、DAIのポテンシャルにとっていいことだと実に前向き(positive)にとらえているようだった。

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 いくつか感想を。

 まず、トレイラーにあった” Our fragile alliances crumble to dust.”「私たちのもろい同盟は塵埃へと砕け散る」については、ヒューマン諸国・党派の同盟関係であったようですね。

 ウィーケス氏の小説“The Masked Empire”で詳述される、女帝と大公の確執がプロット上重要であることは当然読みどおり。ただゲイダーさんの小説”Asunder”ではオリージャン市民戦争の戦火がかなり拡大している姿が描かれていた。DAIはそれらを前提とした、そこから先の物語になるのでしょう。

 砂漠から湿地帯、険しい雪山まで、幅広い環境(エンヴィロメント)に回帰するとは、BG1/2やNwNあたりのことを指しているのでしょうか。元々BioWareに限らず、CRPGではそういう創りがノーム、普通だったんですよね。ひとつの街に留まったDA2のほうが例外であった。
 もちろんAAAタイトル時代の開発コスト急騰で大きな地図を万遍なく再現することは難しくはなってきているのでしょうけど、BioWareもSkyrimの偉業を無視はできなくなった。

 最近Fallout 3をちょこっと再スタートして遊んでいたのですが、スキル判定のランダマイズについては、「文脈上大して重要ではないもの」、あるいは「仮にしくじっても他の方法で挽回できるもの」という条件で用いているように感じられます。同じように鍵明けスキルはハッキングスキルで代替できるようになっていたり、一部のコンテナには最初から鍵が掛かっていないので鍵明けスキルがボーナス扱いになっていたり、とにかくキャラクター・ビルドによってプレイヤーが立ち往生しないように工夫がされている。BioWareゲームで真似しない方がいいと思うのは私も同意見。ランダムな選択が「あまり意味のない選択」になるなら必要ないですね。

 Mass Effectがパラゴン/レネゲイドのどちらかを極めつくしたプレイヤーにリワーディング(幸多い、実り多い)というのはそうですね。中庸を進むとBioWareの規定する「良い」エンディングにはならない。どれが「良い」エンディングかはもちろん人によるけど。
 DA2の場合、テンプラーにつくかメイジにつくかは強制的に選ばされる(中庸・中立が認められない)けど、結局あのゲームの物語の中で大きな差が出ないんですよね・・・。
 「女神転生IV」なんて中庸が一番リワーディングに見えたりするから、しゃれているのかもしれない。

 気になるのは、BioWareが試行錯誤している色々な会話システムが「一部ファンの混乱」を招いていると強調されていること。BioWareゲームのセリフ・システムなんだからカジュアルでもわかりやすい「水割り」なんて必要ないと思うけど、カジュアルに売れないと元が取れないというジレンマ・・・。

 「PC(主人公)はプレイヤーが思った通りのセリフを、ただそれだけを吐くべきだ」という、ちょっと頭の中身が怪しいと思われる意見に触れると脱力するばかりだが(だってセリフ書いているのはプレイヤーとは他人のシナリオ・ライター衆だよ?)、パラフレイズの妙味もわからず、会話トーンの工夫が粋であることも知らず、「わかりやすさ」を求めるなら、なにもRPGなんてやらなくていいんじゃないのか。世の中には撃たれたら死ぬFPSも、落ちたら死ぬプラットフォーマーもあるんだから。

 DAではOriginsからずっと、Mass Effectでも、セリフは大抵3つ(パラゴン/ディプロマティック、ニュートラル/ユーモラス、レネゲイド/アグレッシヴ)、少なくともニュートラルを除く2つは用意されていた。Fallout 3やSkyrimでは「ときたま」ユーモラスやアグレッシヴが出てくるが、大抵のセリフは無色透明なもの。セリフの分岐にかけている労力が両者で段違いです。オープンワールドをミミックするならわかるけど、セリフまでSkyrimなど他のゲームの真似をするというのは本末転倒でしょうね。

 ただ、ここで触れられた話題だけを考えると、かなりSkyrim(オープンワールド)を意識した創りになっているようですね。BioWareゲームで「プロットやクエストとあまり関係のないダンジョン」てのはかなり稀だった気がしますが・・・。そこまで大盤振る舞いする気だろうか。

【DAI】PAXAUS BioWareパネル

 結局、これしかソースがないようなんで、さらっといっときます。BSN、NeoGAFも他のサイトも元はこのひとつらしい。

 http://social.bioware.com/forum/1/topic/371/index/17019764

 文中、GameSpot AUがパネル全部を録音していて、それが近々Youtubeにアップされるのではないかと書いてありますが、今のところ見当たりません(個人ユーザーがアップしているものは直に録音したものではない)。

 よって本文は一ファンの記憶に基づくサマリー。スタッフの用いた言葉遣いを正確に載せているわけではないので、一字一句をあまり詳細に分析しても意味がないと断っています。

(追加)GameSpot AUがこのパネル全編の1時間15分くらいのヴィデオをアップしています。リンクは下。

http://www.gamespot.com/mass-effect-3/videos/bioware-journeys-down-under-panel-pax-australia-2013-6411947/

(追加終わり)

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・E3トレイラー("The Fires Above")は約30人が5、6週間かけて作製したものだ。製作陣がファンにいくつかのメッセージを伝えるため意図的に選んだシーンも含まれている。

・インクイジターの(指輪が見える)手がヘルメットを掲げているDAIのアートワークは、ゲームに没入することになるプレイヤーのことを表現しているものであり、これがあくまで「ファン」のストーリーであることを示している。スタッフたちは事あるごとにDAIを「ファン」のストーリーとして感じてほしいと何度も強調していた。
 キャメロン(プロデューサー)は、あのヘルメットの装飾の彫像と指輪について皆が謎だと感じていることには触れたが、それらが何を意味するかについては言及しなかった。

・スタッフは「エピックなストーリーと混沌(ケイオス)にまみれた世界」を強調したがっている。Originsのように大きく、幅広いストーリー。キャメロンはトレイラーに登場するクリチャーのいくつかに説明を加えた。ひとつは新しいディーモンであり、クリスタル/岩のモンスターは戦闘に用いる巨大なクラブ(棍棒)を持っており、そして骸骨のような姿のものは「ナイトメア」という名前である。ディーモンがヴェイルの亀裂から侵攻してくるのと時を同じくして、互いに戦争状態に陥ることになるヒューマンの諸国(nations)と各党派(factions)は混沌にまみれることになる。ストーリーは長く・・・(後半聞き漏らした)。

・E3トレイラーの他の部分は、「決断が意味を持つ」ことを表現している。ヴァリックが亡骸を前にするシーンは、現にゲーム内で起きるものだ。村が破壊され、村人が皆殺しにされるのだが、それはインクイジターの行動、あるいは行動の欠如に因るものである。スタッフは、プレイヤーの決断の結果がゲームを通じて波及していくようにしたいと考えている。 

・すでに旧聞だが、プレイヤーはインクイジションを先導する。そしてインクイジションはチャントリーの一部ではない。  

・トレイラーにあるカッサンドラと地図のシーンは、様々な者たちがテーブルの周りに集まり、インクイジションの攻撃計画を練っている場面である。

・キャメロンはE3トレイラーの中から切り取った一枚のスクリーンショット、どこかの土地(要塞)に稲妻が落ちる場面を示し、このようにごく普通に見える風景で不思議なことが起きたのだと告げた。この場面の場所は、彼らがここ何か月かの間開発に取り組んできたのだという。

・三枚の新しいコンセプトアートが示された(自分は撮っていない)。

・砂漠のシーン。キャメロンによればそこにはオアシス(群)があり、シンボルのついた扉がある。

・湿地帯。「埋もれた遺跡」。

・クナリが砂地/乾燥地に座り、その隣に爬虫類ぽい大きな生き物(誰かがドラゴンだといったが、そうは見えない?)がいる、大変興味深い画像。生き物はまるでクナリのようなツノがある。キャメロンは、クナリとその生き物のツノが全く同じ形であることに言及した。

・すでに知られているように、Originsのタクティカル・コンバットとDA2の流れるようなコンバットのミックスを狙っている。

・パトリック・ウィーケス(シニア・ライター)によれば、女帝セリーン(セリーヌ)と大公ギャスパード(ガスパール)の確執はDAIのプロットに重要な地位を占める。彼が小説"The Masked Empire"を書く理由は、オリージャンの政治的内情と、セリーン及びギャスパードのキャラクターについてファンにより深い背景を提供したいと考えたからであり、長さなどを考慮すればそういう物語を語るには小説が適している。

・カリン・ウィーケス(リード・エディター、パトリックの妻でもある)によれば、ライター衆の相手をするのは「いきりたった猫の群れを世話するようなものだ」。

・探索の余地はたくさんある。スタッフはBioWareの過去のゲームの探索について触れ、今回そこに回帰するのだという。

・プレイヤーは地図を探索して、新しいもの、(キャメロンによれば)「小さなダンジョンや大きなダンジョン」を発見することができる。

・DAIは様々な幅広い環境を用意している。パトリックによれば(リード・デザイナーのマイク・レイドロウも別のイヴェントで述べていたように)同じ洞窟を十七回も使いまわすようなことはない。開発チームは、いくつかの環境について列挙した。(ここPAXAUSで示された新しいものも含め)今まで我々が目にしたコンセプトアートについてもすべて提示しておさらいした。

・砂漠、湿地、山岳、草原、雪地帯・・・、(その他もあったかもしれないが聞きそびれた)。

 (私自身の時間が尽きたので、後半は後ほど)

2013年7月21日 (日)

知らぬが仏、言わぬが花。

 先の英語関係の記事のコメントを書くときに、ちょっと長く説明するのが面倒臭くなって、人種民族に関する偏見を元にしたエスニック・ジョークは「知らないに越したことはない」と書いてしまいました。ダチョウの平和主義。知らぬが仏、言わぬが花。"Ignorance is bliss."

 お詫びして下のように訂正します。

 「エスニック・ジョーク」(人種民族に対する偏見)が生まれた背景はできるだけ知っておくべき。もちろん生半可な知識で不用意に使わないほうが良い。

 「国際社会に通用する英語」などと言うのであれば、ジョークに限らず、まず(日本語の知識でいいから)国際関係の機微について多少なりとも知らなければお話にならないと思う。こういうことをしつこく主張し続けている論者が少ないのが、島国根性丸出しの一つの証明であると思います。

 だいぶ昔の話ですが、英国企業主催のパック旅行(という言葉で呼ばれるのか定かではない)で様々な国籍の人たちと一緒に一月くらい欧州各国を旅行したことがある。
 豪州の老夫婦も参加していて、会食の席でテニスとかフットボールとか(マイン・コートがテニスのメイン・コートのことだとわかるまで豪州英語を理解するのに苦労はしたが)、最初は他愛もない話をしていた。

 酒席が進むと、ご主人のほうが先の大戦(太平洋戦争)の話題を持ち出してきた。
 おそらく彼の人生で日本人に出会う機会はそんなになかったのだろうと思う。軍隊に入って戦場に出ていた年齢では辛うじてないはずだ。
 このツアーに参加した様々な国籍の人々のうち、実際に日本人との付き合いがあった、知り合いがいたのはシンガポールの会社員だけだったと思う。

 筋金入りでもないがウォーゲーマーあがりのミリタリー・オタクなので、日本が何を非難されているのかはもちろんわかった。

 ご存じない方が多いかもしれないが、豪州海軍(Royal Australian Navy)は、太平洋戦争で(元々の規模を考慮すると)甚大な損害を受けている。対日戦以前は大英帝国海軍(Royal Navy)海軍本部(Admiralty)の要請を受け、地中海で独・伊海軍、のちにヴィシー政権下となった仏国海軍(大部分が戦火を交えないまま無傷で枢軸側の手に渡り、連合軍と戦わなければならなくなった。この話は長くなるので別途)と対峙していたが、主要艦船のほとんどを自国防衛のため太平洋に戻さざるを得なくなったのである。

(蘭国海軍も大日本帝国海軍に比べれば極めて小規模ではあったが、当時の同国経済を支えていた植民地インドネシア防衛のため、そのほとんどが太平洋に集結していた。欧州の対独戦では海上戦闘がそれほど熾烈化しなかったこともある。そしてこのハプスブルグ家が創設したとされる、黄金時代には東インド会社の権益を防衛しつつ英国海軍と並んで七つの海に名を轟かせた由緒正しき蘭国海軍は、帝国海軍との戦いで事実上壊滅してしまった。この遺恨も根深く残っている。殴った方はもう覚えてないが、一般に米国、英本国以外の連合国は日本に殴り返す機会のないまま先の大戦を終えた。こういうことも覚えておいて損はない)

 豪州軍(及び米軍)と帝国日本軍はニューギニアの戦いなどで陸戦も繰り広げている。ポートモレスビー爆撃もあった。
 つまりご老人は、親戚や知り合いが先の大戦で亡くなったことを言っていたのだ。

 こちらは上のような戦史があったことを知っていると告げ、戦争で亡くなった方への遺憾の意を伝えた。それだけ反応をお返しした。
 へえ、そんなことあったんだあ。なんも知らん、という返答だったらどうだったろうか。

 当時は日本バカ勝ちの時代で、特に工業分野で日本の連戦連勝が伝えられていた。かの工場生産性向上に関するベストセラー”the Goal”のイスラエル人著者は日本語版だけは出しちゃいけない、ますます日本が勝ってしまうと本当にのたまったくらいだ(今は日本語で読める)。まるで日本人の大半は英語が読めないとでもいうように(事実か)。コメディ・ショーのサタデー・ナイト・ライヴでは「冷戦が終わった。勝者は日本だ」”The cold war is over. Japan won.”という笑えないジョークが受けまくっていた。

 そして日本軍(外から見たらどのみち軍隊)は太平洋で依然第二位の海軍力を保有していた(実は今でも大して変わっていない。もうすぐ第三位に落ちるのかどうか、それは見守るしかないが)。
 過去のことなんて知らんということは、こいつらなんにも懲りてないということになる。朝日新聞のように事あるごとに「小国づら」を振り回しているから火に油を注ぐだけになる。戦後は平和憲法があるとかどうのと言っても足しにはならない。ひとつかふたつを除いて自分から戦争をはじめると宣言している国はない。太平洋戦争当時だって武力による国際紛争の解決はパリ条約でもとから禁止されていた(日本も批准していた)。

 あの戦争の「正義」がどうとか「植民地主義」の是非とか、そういう話をしているのではありません。また国家戦略・国是として対日批判をいつまでも繰り返す一部の国の話とも違う。
 祖父母やそれ以前の時代に起きた戦争に、どうして現世代が、しかもたかが一国民が責任を感じなければならないのか、というかなり奥深い、難しい議論をするつもりもありません。

 それより以前に、自国との戦闘で相手国の多数の艦船が沈没し兵士が戦死したという事実(こればかりはねつ造のしようがない)を知らなければ、話の土俵にすら上がれないということが言いたいだけです。

 アメリカンも一般的に日本人と同じくらい国際情勢や歴史に疎い人たちである。自国以外の物事にとても鈍感である。地理・歴史の知識も大学に入ってから真面目にはじめるケースも多い。日本と異なり外国(フォーリン)映画や作品は専ら受けない。ハリウッドのリメイク・ブームはそういう背景もある。
 中には突出した物知り(オタク)がいるけど、それはどちらも一緒。なんでも自国でだいたい間に合っちゃう国ってのは外を見る必要がないんでしょう。先進国では世界の田舎もんのツートップだと思う。

 英文法は高校の文法教科書で必要十分と書きましたが、歴史はそうはいかないでしょうね。教科書は取り掛かりでしかない。どこぞの世界史教科書が隠れたベストセラーになっているそうですが、私も英語版の歴史地図は好きなので過去沢山買ってきました。それらを踏み台にして、色々読んだり見聞きしたりして、さらに教養を深めればいいのだと思います。

 また池上なんとかなどのテレビ番組を観れば「わかりやすい説明」は手に入るかもしれませんが、それもあくまで入口の話。教養は身につきません。テレビで言えることは限られているし、必ず嘘と誇張と省略がある。また解釈も論者によって千差万別で為政者サイドによる歪曲・ねつ造・拡大解釈は世の常。

 なにも戦争や軍事の知識ばかりが必要なわけではない。上に書いた旅行でも、引退したロンドンの銀行員とそのご夫人になぜか旅行中いたく気に入られ、外交辞令には違いないが、引退してなければうちの銀行で採用したかったとまで言われたくらいだ。どんな会話もhave、get、takeで済ませるアメリカン・イングリッシュは許せないとふたりとも言っていたから、学校で教わったブリティッシュ・イングリッシュが好感度アップに役に立ったのかもしれない(笑)。それは冗談で、やはりそれなりに英国のこと、日本との歴史上の関係を知っていたからだと思っている。

 もちろん、観光以外で日本から出ない、旅の恥はかき捨てと決めるなら、そんな教養も必要ないかもしれません。CNNの日本語音声でも垂れ流していれば、中身ほとんどアメリカ・ローカルの話題とはいえ、たまには国際情勢のニュースもやるでしょう。それで十分かもしれない。アメリカン程度の国際知識は持てる。
 英語ができないと国力が落ちると脅迫しているわりには、軍事・外交含めた国際教養を身に着けるべきと言っている人があまりに少ないのでこんなことを書きました。

 英語だけうまくても、ゴシップねたの茶飲み話の席以外では相手にされないんですよね(茶飲み話の席も大事ですけどね)。

 

 

【DAI】PAXAUS 

 BioWareは今年のSDCCにはまともに出展していないようで、ほとんどニュースがなかったのですが、PAXAUSにはパネル参加していたようです。参加していたのはCameron Lee (プレオデューサー)、Patrick Weekes (シニア・ライター)、Karin Weekes (リード・エディター、パトリック氏の妻でもある) 、そして“Evil” Chris Priestly (コミュニティ担当)。

http://dragonage.wikia.com/wiki/User_blog:HD3/News_from_Bioware_Panel_at_PAXAUS

 PAXAUS自体がメディアであまり話題になっていなかったのですが、上のリンクにDAWikiに参加したファンの報告が載っています。

 最初のスクショがとある「ディーモン」であるとか、二枚目のモンスターはわかりにくいが巨大なクラブを持っているんだとか、三枚目はその名も「ナイトメア」という悪夢なような敵であるとか、私個人にはまったく興味のない話題(今知ってもどうしようもないもの)ばかりなので最初はスルーしようかと思ったのですが、次のスクショで少しはまともな話題になったらしい。

 あのDAIトレイラーでは、大勢のメイジ(簀巻きにされていたのだからそうだと思う)が殺戮された骸を前にしてヴァリックが嘆き悲しむシーン。 

 あのシーンは、プレイヤー自身の決断の結果なのだそうだ・・・。

"It seems the field of corpses Varric was standing among is actually the result of a player decision from during the game. Depending on player choices, a village may or may not get wiped out and this is a potential result of that."

 えー、うそだろー、と思ったのでこの記事を書いている次第。とある「村」と言ってますね。プレイヤーの決断によってある村が全滅したり、あるいはしなかったりすると。

 DAIプロット予想の数少ない貴重なよりどころのひとつがなくなった感じ。あのシーンが選択可能な分岐の結果だったとしたら、それはコア・プロットに直接関係ないことを意味する(プレイヤーが選択できるものは「正典」ではない)わけですからね。

 次はグレイ・ウォーデンとシーカーズが戦うことになるとの噂でもちきりだった、カッサンドラが攻め入ろうとしている「要塞」。

 この「要塞」のシーンを注意深く見ているとグリフォンの彫像、グリフォンの紋章、がたくさん見つかる。「グレイ・ウォーデンが攻撃を受けているのかどうか」筆者自身がキャメロン・リー本人に尋ねたそうだ。正確な答えは「(そこに登場する者たちが)グレイ・ウォーデンの鎧を着ていることは間違いない、とは言える」であった。

"Regarding the fortress which we see getting attacked. If you look carefully you'll notice plenty of the Griffon statues and similar heraldry decorating the place. I asked Cameron Lee point blank if it was the Grey Wardens being attacked here. His exact reply was "I can confirm those are people in Grey Warden Armor". 

 ここも誤魔化しましたねえ。アンデッド・ウォーデンやダークスポーンの可能性を残したということか。もうちょっと要塞(城塞)そのものに踏み込んだ回答をしてもらいたかったんだけどなあ。

 いくつか新しいコンセプト・アートもPAXAUSの場で公開されたようですが、こういうときはマーフィーの法則で決まってそうであるように、報告者のカメラ(スマホ)が故障したそうで、写真は一枚しかアップされていない(新しいコンセプト・アートの中には、湿原の中で草木に覆われるばかりの廃墟の扉にシーカーズの紋章が見えるものなどがあったそうだ)。

 「インクイジションはチャントリーの一部ではない」という指摘もあった(ここでもくどくど書いてきたように、そのとおりですね)。

 DAWikiの情報はここまで。PAX AUSのBioWareパネルをフォローしている記事はさすがに少ない(だいたい記者が参加していない)。次のリンクが多少詳しいかもしれませんが情報量はそれほどでもない。

(Official XBox Magazine, UK)

http://www.oxm.co.uk/58721/more-dragon-age-inquisition-details-exploration-world-choices-dialogue-systems-enemies/

(VG24/7)

http://www.vg247.com/2013/07/19/dragon-age-inquisition-dialogue-system-exploration-details-come-out-of-pax-australia-panel/

  結局これらの元ネタは次のNeoGAFフォーラムの記事ひとつであった。

http://www.neogaf.com/forum/showthread.php?t=628256

2013年7月18日 (木)

BSNは進んでいたのかもしれない。

 先の記事とコメントに関連して、どうしようか迷っていたふたつのネタをやっぱり書こうと考え直した。まずIGNの新しいディベート・ガイドラインについて。

http://www.ign.com/articles/2013/07/12/changing-the-comments-at-ign

 すでに以前から一部ユーザーのまき散らすブライトで汚染(テイント)まみれとなったBSNは、ヴィデオゲーム界における炭鉱のカナリア(酸欠状態が近づくと人間より先に死ぬ)だったのか、フェラルデン国内で真っ先にダークスポーンに蹂躙されたオステガー砦だったのか。

 IGN編集長自らの署名があるメッセージによれば、最近のIGNのユーザー・コメントの多くはひどい(terrible)というレヴェルを超えて、もはやおぞましい(horrifying)ものに近くなっているという。たった一つの敵意に塗れたコメントで、せっかくのスレッド全体が台無しにされるのは耐えられない。放置すればするだけ、そういう言動を推奨していることに等しいとようやく悟った。

 遅ればせながら、IGNにおけるコメント文化とモデレート(議論管理、仲裁)についての新ガイドラインを制定し、即日実施する、というのがこのメッセージの趣旨である。

 そういう敵意まみれの(ホスタイルな)環境に陥っている原因を列挙しているところは少し面白い。

"Some of what we're dealing with is an extension of the trash-talking that's part of a competitive gaming culture. Some of it is just the bold lack of empathy that the facelessness of the internet allows. Some of it is just the natural tendency of some people to find happiness in making other people miserable. The excitement over next-gen consoles and the increasing popularity of games in general means that we're seeing more new users on the site each and every day. When you add all those factors together, it's clear we need to pay more attention to our interactions with each other."

 まず前半部分。

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 我々が相手にしなければならないのは、元々競争意識を前提にしているゲーミング文化ならではのくだらない罵り合いかもしれない。インターネットの匿名性が増長している他者への共感の全き欠如かもしれない。他者を悲惨な姿に貶めて喜ぶ一部の者の天性の性癖なのかもしれない。

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 BioWareはBSNで食っているわけじゃない。どのゲーム会社もフォーラムやSNS自体で儲けようとはしていない。確かにファン・サーヴィスにとって有用だが、それが利益の源泉じゃない。

 一方IGNなどのメディアにとっては、死活問題である。

 まさかここの読者に騙される人はいないと思うが、なにもこの編集長は善なる文化を広めよう、世界に平和をなどという徳のある心でこんなメッセージを流しているのでは決してない。 

 一銭も払わず出しゃばってきて、むごたらしい罵り合いを繰り広げる一部の者のせいで、IGNの記事とコメントはとても読むに堪えない、腹立たしいと思う読者が増え続け、現実にPVが激減しているのだと思う。あるいはその予兆を察知したか。

 放置すればIGNは潰れます。

 その気持ちがにじんでいるのが、上に訳出した箇所のすぐ次の部分だ。

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 新世代コンソールを待ちかねている業界全体の興奮と、ゲーミングの人気が全体的に向上していることから考えて、これからも新しい、いたいけな、カジュアルの、IGNの業績にとってとっても大事なお友達が大勢次々とここを訪れることを我々は期待しているのだ。
 お前らみたいなゴミクズが店の前にたむろしていると、誰も客が入ってこねえんだよ。とっとと帰ってクソしてネロ。二度と来るな。次来たらケーサツ呼ぶからな。

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 私などは、こんなの民間の私的ネットワークなんだから、気に食わないコメントは片っ端からバンすればいいと最初から言っている。裁判になったっていいじゃない。

 アメリカンにはできんのですよね。やはり編集長も「皆が好むプラットフォーム、タイトル、思想も違う。テイストの違いを主張しあう激しい討論であっても実りあるものならウェルカムだ」なんて、言い訳をしています。  
 日本の場合はそんな口上すら述べずに、そのまんま放置ですかね。

 きっとBSN以外は私が知らないだけで、これまでも似たような話があって、これからも増え続けるのだろうと思う。GameSpotがIGNより真面目に雑草刈りや害虫駆除に取り組んでいるとも思えないし。 

 ちなみにコンビニの前にたむろしたり、回りで用事もなくうろうろしている(loitering、ロイタリングといいます。ネットワーク上ではtrolling、トローリングといいます)連中を排除するのは、あちらではフランチャイズ契約上、コンビニ側の責任なんですね。
 日本ってどうなんだろう。

 一昔前、GameSpotの記者のファンボーイを揶揄する記事をブログで紹介した。

 X360とPS3がガチンコ対決をはじめたくらいの時代だったと思うが、その頃はまだ、「君たち大人になれよ」と宥めすかす優しい論調ですんでいた。「もー、しょーがないわねー、バカは」(VOアスカ・ラングレー)という程度でした。

 ビジネスに影響が出始めると大人は怖いね。問答無用、寄らば斬るになったんでしょうかね。

 「ふん。あれじゃあ、バカじゃなく、ガキね」(VO、くどいって)

 (本編と若干セリフは変えてます)

 

 

2013年7月17日 (水)

BioWare New IP

 しょーもない記事を書くことにかまけていて、大事なニュースを見落としていました。

 BioWareの新IP(フランチャイズ)について。

 2003年リリースの"Star Wars: Knights of the Old Republic"(SW:KotOR)を開発したコアチームは、これまで"Mass Effect"シリーズの開発に携わってきたが、今後は「まっさらな」IPゲームを開発する予定だ。Mass Effectチームのボス、ケーシーがツイート。

http://www.gamespot.com/news/kotor-team-making-new-ip-at-bioware-6411500

 以前からケーシーは、シェパード艦長のストーリーアークが完結したMass Effect三部作に続いて、Mass Effectユニヴァースを用いた新作ゲーム(フルゲーム)を開発すると言っていたが、それに加えて「あるフィクショナル・ユニヴァースを舞台にした全く新しいゲーム」(an all-new game set in a fictional universe)の開発企画にも言及していた。

 「あるフィクショナル・ユニヴァース」とは、とりあえずサイファイ・セッティングであると考えていいのでしょう。ただしケーシーは「プロジェクトは一から作り上げる」"This project is being built from the bottom up."とは言っていますが、これから「まっさらなユニヴァース」であるとは読み取れない。既存の、あるいはStar Warsのように他のメディアですでに用いられているものかもしれない。もちろんまっさらかもしれない。

 残念ながらMMOのSWTORはWoWキラーにはなれなかった。Star Wars関連の版権はたしかディズニーにそっくり移っているはず。ヴィデオゲーム開発にディズニーの許可が必要となると、EA/BioWareがいい顔するとも思えないし、巨額の開発費を注ぎこんだにも係らず失望を招いたSWTORは「羹に懲りて・・・」の恰好の例になりそうだ。

 ひとつのスタジオでサイファイ・ゲームふたつを並置させるのって、一体どうなんだろうと思いつつ、"Uncharted"と"Last of Us"みたいに似たようなものタンデムで稼ぐ可能性もあるし。

 そうそう、RPGだとも言ってないんだよね。ケーシーはこうも言っている。「我々は、Mass Effectの開発劈頭でそうだったように、何か新しいものを生み出すことに注力しているところだ」("We're focusing on delivering something new, the way we did at the very beginning of Mass Effect,...") 

 EAのラインアップからみたらFPSもサードパーソン・シューターも人口密度高いしなあ。
 まさか今時スーパーヒーローものじゃないだろうし(バットマン以外軒並みしくじっている)。
 それともサイファイ・ステルス・アクション?(これも人口密度が高いジャンルですねえ) 

 どんなんですかね? やっぱRPGを期待したいですね。

英語はゲームで覚えるもの2013(3)

 マスコミが常用する「若者のなんとか離れ」は、全部ジョークか書き手の思考停止か、新聞雑誌などの読者がじじばば、失礼、ロートルばかりだから「日本人のなんとか離れ」の一部だけ取り上げて扇情的に言っているだけだと考えていたのですが、「若者のビール離れ」ってニュースにはちょっと驚きました。それは実感として容易に腑に落ちなかった。

 よくよく読めば、まず今年上期の天候不順があって、次にやっぱり節約志向で日本人がビールを飲まなくなっている(第三のなんとかを飲む比率が増えている)のが主要因で、若者に関係あるのは「若い女性はビールを飲まずにリキュール、ワインなど他のものを飲む」という話題の部分。二十代の女性の半分がビール党ではなく、現にリキュール・ワインの出荷は増加している。それなら頷けるし、街の酒場での私のフィールド観察とも合致するし(大抵どこでも若い女性がめちゃめちゃ多い)、何か酒を飲んでるならいいじゃん、だったら最初からそう書け、と思った。

 さすがに「若者の英語離れ」は聴いたことがないし、若者じゃない者たちだって最初から離れてるだろう(ちっともできてないだろう)と思っていたが、調べるとむしろ一大英会話ブームなんだそうだ。ただしこういう一見ポジティヴな話題のときは、その中で若者はどんな感じなのかはだいたいわからないようになっている。じじばばにとって若者に関する良い話題にはニュース性がない。また英会話スクールが軒なみつぶれはじめたりすると、「若者の英語離れ」のせいにされるんだろうな。

 一方、「若者のコンソール離れ」は仕方がないと思う。ファミコン発売30周年。なんのこたない「お茶の間」の遺物。ビジネスとしても随分とうがたってきてますしね。
 しばらくすると、きっと「スマホ離れ」が騒がれるんでしょう。

 前の記事では私が好き勝手言っているように思われるかもしれませんが、実はそうでもない。

 ニューズウィークの記者が専門家の意見等をまとめた記事が参考になるでしょう。

・楽をすることを考える。
 会話(コミュニケーション)に苦労するのが当たり前という発想自体が間違い。「英語学習とは知らない単語がたくさん含まれたテキストを使って、新しい表現を覚えることだ」という刷り込みが原因だそうだ。会話なんだからできるだけ自動的にできるようにならないといけないが、新しい表現をいくら覚えてもそうならない。簡単かつ大量のインプットに曝されることが必要。難解な文章をうんうんうなって必死に訳すより、辞書すらいらない文章を沢山読むのが効果的。

 好みのジャンルを掘り下げるのも大事。背景の知識をたくさん持っていれば脳にも余裕が生まれ、内容の理解にまわす余力が生まれる。例えば歴史や化学の知識まで英語で学べというわけじゃない(そのほうが大変望ましいには違いないけど)。日本語で学んだ知識が消え去るわけじゃなし、特定の分野にあまりに詳しくなってしまえば英文など最初から読まずとも解釈できてしまうんですよね。 

 私が主張していることの根拠はここまでの部分です。ヴィデオゲームについては、インプットの部分だけでいいんですが、ついでだからアウトプットの部分も載せましょう。

・アウトプットを心がける。
 読む・聴くことで大量のインプットに触れたところで、実際話したり書いたりしてみないと細かい文法を整理できない(読む・聴くだけでも意味はなんとなく通じるので文法などの知識・情報を再整理しなくなる)。インプットとアウトプットのバランスをとらないと効果的学習にはならない。

・決まり文句をもつ。
 会話の相手が身近にいるなら言うことはないが、そうでない場合、会話の常套句がとっさに口をついて出るように日頃から自分で訓練する。何か読み聴きしたものへのリアクションを実際ひとりで声に出して言ってみる。シャドウ・トレーニング。

 んー、エアー英会話? ひとりで"Oh, my goodness!"とかやるん? ネイティヴの友達探したほうが早いと思うんですが。でもシャドウイングはなんであっても大抵役に立ちますけどね。

・まず日本語で論理的に話すようにする。
 いわずもがな。島国国民は特にそういう訓練を積んでいないので、ちょっとしたディベートで舞い上がってしまう。日本人はシャイだから英語が話せないのではなく、ロジカルではないから、そういうスキルの訓練が足りないからというご意見。
 論理的に話せるようになるためには、一定程度の知識だって必要になってきます。
 日常的な茶飲み話にはあんまし必要ないですけどね。

 やっぱ、魂胆が見え透いている話はつまらんね。根本的にそんな頑張る必要はないですよ。ヴィデオゲームを英語で遊ぶのなら、上のインプットの部分だけでも参考にしてください。

 

英語はゲームで覚えるもの2013(2)

 だいたい「語学」って言っちゃうのが問題だと思う。もちろん、「英文学」とか「言語学」としての「語学」は必要でしょうが言ってることは英語技能(スキル)だもの。「国語」と並置するのも違いますね(国語の授業の本旨は日本語スキルを磨くわけじゃない、ってネイティヴなのに日本語いまいちな人はいるけど)。
 以下、ヴィデオゲーム(に限らないけど)を英語で遊んでみることについてのQ&A。
 「お前が勝手に言っているだけだろう」というご意見もあるでしょうが、それに対するお答えは次回。

・敷居もハードルも高い?
 なにをおっしゃる、英語と日本語両方のテキストがすでにあなたの目の前に与えられているんですよ?
 最近ではご丁寧に日英両言語の声優たちのVOまで漏らさず聴くことができるのです。足りないのはあなたが喋る機会だけ(いや、RPG主人公にVOがあるとかないとかの話題じゃないから)。
 わからなきゃ日本語見ればいい。全部そらでわかる必要なんてない(そうなるとさらに愉しいんだろうけど)。

・一銭の得にもならない?
 得どころか、日本語版と英語版両方遊べと言うと出費がかさむね。
 んじゃあ、どんな具合か試しにYouTubeでお気に入りのゲームの英語版でも観たらいい。ガイジンは字幕を出さないからできればデフォルトで会話などが表示されているもの。例えば「ペルソナ4G」のあのセリフってどう言うの?
 ♪“Everyday’s great at your Junes.”♪
 ね、得した気分にならない?(私はなるぞ)

・うちのコンソール/ハンドヘルドで英語版は遊べないけど?
 え、そうなの? 最近はだいたいできるんじゃないの? ニンテンドーは良く知らないが。
 そういうときはニンテンドーとかソニーのえらい人にツイートすればいいんじゃないの?(自分じゃようせんけど)
 ま、何事もあまり潜って色々やるのはお勧めしません。ゲームを遊ぶのが本旨じゃなくて、潜ること自体に生き甲斐を見出してるように感じられるしね。

・だいたいゲームはバカ高い?
 君らがゲーム好きだと思うから言ってるんじゃないか。でもいい。アニメでもなんでも好きなものでやればいいんです。
 ただし、しょーもない翻訳もあるから注意したほうがいい。映画版「ヱヴァ」などクオリティが高いものお勧め。
 私は「Q」(3.33)の英語版BDが出るのを心待ちにしています。「(親の)七光り」(daddy's boy)、「優等生(新映画版では使われない)/えこひいき」(Teacher’s pet、Commander's pet)ときて今度は「コネメガネ」。これ難しいと思う、きっと。

 自主的に英語に翻訳しているあちらのギークたちも悩んでいる。”Networking Four-eyes”?(長すぎるかな)、“Kitty four eyes”?(「子猫メガネ」。猫真似を表現したいようだが、コネクションの意味が消えちゃってるな)、“four eyes has big-shot sponsors”(そういう意味なんだけどあだ名の形にしなきゃならない)。うーん、自分もなかなか思いつかないなあ。Nepotismは血縁の縁故だけの意味か。どっちみち「ネポメガネ」じゃなんのことやら。メガネとネコとコネクション全部表現するのは無理臭いけど、どうするんだろう?(また愉しみが増えている(笑))

・辞書を引きながらゲーム? ふたつのことを同時になんてできません!
 そんなことは一言も言っていません。むしろそれこそ、やってはいけない英語嫌いになる王道路線。
 だから馴染のありそうな、簡単なものから始めるというのが大事なんです。全く調べないも無理だろうけど、語彙の解釈などであまりに引っかかるようなら、それはまだ手を出すのが早いってこと。

・英文法のことを考えると頭が痒くなる!
 残念なことにこれに王道はありません。特にBioWareのRPGなどライティングのクォリティを追及する作品群のテキストは確かに難物である。Fallout 3だってSkyrimだって背景世界を表現するための独特の言い回しが頻出する。特に会話時の口語体(colloquialism)は取っ掛かりがないと途方に暮れちゃいますね。Mass Effect ジョーカーのように、発言全部が若者スラングでかつジョークという二重苦の場合もある。

 ここは逆に考えましょう。クオリティ・ライティングは英文法を厳密に守っている。それをお手本にしちゃうんです。なんか意味が通じないかなと思ったら、それは十中八九こっちが間違っているからだと考える(そして十中八九そうである)。
 繰り返しになるが、なにも難しいものからやることはない。映画で言えばディズニーが、全世界に通用する平板な英語しか用いない世界征服主義を企業コードとしている。世界征服を狙っているかどうか知らないがニンテンドーもテキストには簡単な言葉しか使わない。和製ゲームならそういうものが沢山あるし、概ね英語になっている。
 お子ちゃま向けで我慢しろと? 何事もはじめの一歩がある。ディス・イズ・ア・ペンからやれとは言っていない(日本の英語テキストって、世界中でおそらく誰一人実際に用いたことのないだろう会話のオンパレードなんですよね。あるとしたらMI6の007とQのやりとりくらいか?)。

 よく洋物ヴィデオゲームでも「高校卒業程度の英語力でOK」とか言う人がいるが、これ何を言っているかさっぱりわからん。まるでそれ以上の水準があるみたい。たぶん言っている本人もわかっていない。私の知る限り英文法は高校でひと通り学ぶはず。高校の教科書で必要十分なのだ(個人的にはさぼって苦労した)。語彙のことを言っているなら確かに絶望的に足りませんけど。それこそ好きなジャンルを取り掛かりにすればサクサク覚えていけるでしょう。

・でも込み入った洋物RPGが好きなんです!
 そうなると、もうグッド・ラックというしかないですね。ただRPGのプロットや会話は「お約束」(trope)を多用しているから、似たものに触れ続ければ学習曲線は急激にあがっていくと期待できるでしょう。

・中世ヨーロッパとか、銀河系世界の英語が現代に通用するとは思えないけど?
 しませんね。「源氏物語」や「万葉集」の言葉が今通じないように。
 でも商業主義の作品が本当に現代に通じない言葉を使うはずがない。日本の時代劇だってほぼほぼ現代標準語になっている。全編シェークスピア英語で貫くようなヴィデオゲームはさすがにないはずです(あったら驚く)。

・ゲームで英語を覚えたらガイジンさんと話せる(チャットできる)ようになるかな?
 なりません。だって(オンラインを除く)ゲームでは自分から話さないし、何か書くことも滅多にない。それは別の取り組み。
 でも会話(またはテキストチャット)したければ、共通のネタがあればなんとでもなります。上の「コネメガネ」のネタの場合なんて、明らかにそんなに英語が得意でもない日本人がテキストチャットに参加していたはず(逆に、話したいネタもないのに「さあ会話しましょう!」と強要する英会話勉強の意義は薄いともいえる)。
 幸いに趣味の世界では小難しいことを言う必要がない。あとは場数ですね。

・でも、英語ってありえないくらい難しくありません?
 そうなんですよ。なんか格変化とか女性形とか他のヨーロピアン言語が見た目不気味に見えて、それに対して英語が平易に思える気がするけど、あっちには比較的厳密なルールがあるんですよね。

 英語の句動詞(動詞+副詞/前置詞)などはまず覚えるしかない。(私ではなく)真剣に英語以外の外国語を勉強した人は「なぜ日本は一番面倒な英語を選んだのか」と口をそろえて言いますね。ま、パックス・アメリカーナの時代がきたので結果オーライなんですけど(実際教わってるのはブリティッシュ・イングリッシュだったりするけど)。さらに、かつての英語の教え方・学び方が漢文由来だったため逐語訳が蔓延し、日本人の無駄な苦労を助長したことを指摘する論者もいます。句動詞などは逐語訳できない場合のほうが多いのに、個別の単語からなんとか無理やりこじつけたがる(私もやりがち)。ときにまったく意味不明な翻訳ができあがる。

 ヴィデオゲームに限れば、(アメリカンでもブリティッシュでもいいけど)英語版にならない場合のほうが少ない。これも結果オーライと考えましょう。日本語と英語で遊べたら、世界の98%くらいのゲーム・タイトルをカヴァーできるんですぜ?

 DA世界のクナリはなぜ異文化の者(他言語話者)に対して無口なのか。あの世界観では何事もエキスパティーズ(専門性、熟練)にしか意味を見出していないので、片言のたどたどしい言語を使うことは未熟と見なされ、認められない。
 私たちはクナリじゃないんだし、ましてや趣味の世界。気にすることなんてないんです(でも未熟を「恥」と感じる文化は根強くあるね)。

英語はゲームで覚えるもの2013

 今週号ニューズウィーク日本語版がTOEFL特集。世界で最も英語が苦手な日本人(統計的には事実)の英語学習についての記事です。扇情的ぃ!(VOアスカ・ラングレー)

 そういう業界方面に疎いので、なぜこの時期に英語教育特集号なのかわかりませんが、真夏には学習意欲が湧くのでしょうか? 勉学の秋ってのは聞いたことがあるのですが。休みに入る学生向けの記事なのでしょうか。

 季節はともかくなぜ今この話題なのか。英語技能の測定手段として、従来の読む・聴くだけ対象のTOEICではなく、話す・書くを加えたTOEFLを用いようとする動きが実際に出ているからですね。
(私が必死こいて受験した時代のTOEFLは筆記試験で、内容も読む・聴くだけだった気がします。近年、実用性を強調するため試験内容も見直し、コンピューター・ベーストになったりとヴァージョンアップしているそうだ)

 当然のことかもしれませんが書き手は同誌の日本人記者たち。日本人以外は日本人の英語など気にしないでしょう。

 いつも決まって、英語学習の話題は「脅迫」と「煽動」(アジテーション)から入る。将来の熾烈な国際競争環境下では英語ができないと日本のガラパゴ化が進行するばかりである(脅迫)、追い落とされないためには半島国のように国民こぞって英語力を高め、国際競争力を増大させなければならない(煽動)、のだそうである。

 そもそもビジネスなどに活用しようという魂胆がある時点で「入口が違う」と思います。また国民全員が英語に堪能である必要も感じない。元MS日本社長の成毛氏によれば国民の10%程度ができれば事足りるという(正しくは9割に英語は必要ない、かな)。そのパーセンテージや、細かい根拠のすべてに同意するかどうかはともかくとして似たような意見です。

 ニューズウィーク記者によれば、日本人の英語ができない言い訳もいつも一緒で、(1)言語レヴェルで全然違う。(2)普段使うチャンスがない、のふたつだそうだ。
 アメリカンから見て習得が難しいのがアラビア語、大陸語、半島語、そして島国語であるという事実は、たしかに言い訳の(1)を補強している。ところが記者は、半島国は英語試験で優れた成績をあげているから(1)も克服可能だという。

 言い訳の(2)は、日々のニュース、映画、小説なども日本語で十分楽しめるから必要性を感じないということ(ヴィデオゲームだって忘れないでほしい!)。ここがアジテーションの出番で、将来の国際競争力の低下という不安を煽って国民を「脅迫」する手口ですね。日本語でしか世界を知らなくなれば情報統制の厳格な北朝のようになるぞ、と記者が新手の殺し文句を持ち出しているところは、うまいこと言うね、北朝よりずっと脅迫が上手だなと思った(笑)。

 記者の主張をひっくり返せば、(1)土台無理筋なんだからそんなに無理すんなよ、(2)使う機会のある人だけやればいいじゃんとなって、MS成毛氏の主張に、そしてほぼ私の主張になる。

 第一、連日垂れ流されるニュース、ほぼ全世界同時公開が常態化した映画、あまたの洋ドラ、小説(そしてヴィデオゲーム!)などの字幕、吹き替え、翻訳を支えるかなりの数の翻訳者がすでにいる。ケーブルのチャンネル数など考えれば(あんまり想像したくないが)バックヤードはとっくに「工場化」している。私たちがそれらを日本語で知ったり、愉しんだり、恩恵を享受できるのは広い意味での国力だ。佐藤優氏によれば中東世界では地域大国のひとつトルコが日本と似たような地位にあるそうだが、それら以外の国では極めて少数のエリートを除いて外国語情報は入手できない。そういう状態の国民は比較的容易に体制に誘導される。

 日本企業が他国企業の後塵を拝しているとか、アカデミックの世界で国際的に劣後だとか、確かにネガティヴィティは蔓延しているが、それらの理由が英語にあるという納得できる話を聴いた試しがない。問題の本質はそこじゃないでしょう。問題がないと言っているわけではなく、ずっと根深い社会的文化的要因があるに違いないです。万が一、皆が英語ペラペラになったとしても、それは容易に変わらない(笑)。

 いずれかつての半島国のように国際貿易で必死にならないと国が立ち行かないという事態になれば、国に言われずとも皆喜んで必死にやるのだと思う(そういうところも変わらない)。それが幸せな将来かどうかはともかく。

 もちろん、上は「ビジネスで有用だから英語やれ」という功利主義者たちへの返答である。「入口」を間違っているからそうなっちゃう。

 英語は愉しい。そこから入らないと。
 そしてなかなかそう言う人はいない。だってヒミツだから(笑)。あんまり皆に広めてほしくないから。

 「そもそも英語教育とは」などという、どうせ終わらない空中戦は専門家や有識者(?)たちに任せて(きっと、今までそうだからダメだったんだけど)、少なくともお気に入りのヴィデオ・ゲームくらいは英語でも愉しんでみてはどうですか、愉しいよ、という話に行きましょう。またスマホで記事がちょん切れるといけないので、次回。

2013年7月16日 (火)

わかりやすくない物語(2)

 ノーラン監督と言えば”The Prestige”(2006)をようやく観た。稀代のマジシャンふたりのライヴァル関係を描いたクリストファー・プリーストの小説の映画化だが、原作とはプロットがそこかしこで異なる(そもそも原作は枠物語だが映画は違うなど)。原作があまりに不気味なので、映画はDVDを入手したのに躊躇して観ていなかったのでした。今回色々あって、なぜか急に観たくなった。

 こちらは推理小説の趣きもあるので、奇術トリックの謎解き、「説明」を追い求めるのがプロットの中心だ。もちろん優れたミステリーの十分条件である複雑な人間模様については「解釈」の余地も沢山ある。映画の脚本が原作以上に優れている点もある。原作の言いようのないおどろおどろしさが薄められてしまった面もある(私にはありがたかったが)。

 作中でも触れられるように優れたマジック(奇術・手品)の流れは基本三つの部分からなる。カードやハト、あるいは人間など、ごく普通のありふれたものを観客に示すのが”The Pledge”。次にそのごく普通のものを普通じゃない形で示すのが"The Turn”。例えばそのありふれたものを観客の目の前で消してみせる。だが優れたマジックはここで終わらない。最後に“The Prestige”、普通じゃなくなったものを普通の形に戻すことが必要だ。例えば姿を消した物(人物)を再び元通りに登場させること。マジシャンが一番心血を注いで練り上げる部分だ。

 人はなぜマジックに騙されるのか。作中人物によれば、観客は見るべきものを何も見ていないから。逆にタネを知りたくないから。むしろ騙されたいから。
 マジックの場合、「わかりやすい説明」は最後までもらえないのだが、プレステージですべて元どおり。皆騙されているが、だからこそハッピー。結局求められているのは「わかりやすい結末」であることに違いはない気がする。

 ”Magnolia”のアンダーソン監督の作品、”There Will Be Blood”(2007)も観るのを逡巡していた映画だった。20世紀初めのカリフォルニアのオイルマンの物語だと知って、きっと空恐ろしい「アメリカ」そのものを描いているだろうことが容易に想像できたから。コーエン兄弟作品はじめ「生の」アメリカそのものを描く映画はとても怖くて、私の場合観るには心底勇気がいる(クリント・イーストウッド監督の作品もここのところずっとそうなっている気がするので、いくつかまだ観ていないものがある)。

 主人公オイルマン(元はゴールドラッシュ時代の銀鉱夫)は、油田開発で富を獲得していく立身出世の過程で、他の色々なものを次々と喪っていく。DA2の「獲得と喪失」のプロットがけしからんとののしる向きには、この映画こそ観るに堪えないものかもしれない。DA2のようにロマンスに逃避することもない。「アメリカ」を描く物語のご多分に漏れず、女性の出番はごく少ない。

 そしてどこにもまともな「説明」がない。生のアメリカを描く映画は大抵そうだが会話自体少なく、ほとんどが「取引」、「目論見」や「指図」に関する乾いた実務的なもので(スタンダード・オイルもユノカルの前身ユニオン・オイルも実名で登場するので、金儲けの手口に関する説明は豊富にある)、登場人物の内面をさらけ出すような会話はまずない。全体として「説明」を避けているだけではなく「共感」すら拒否している感じだ。自分以外誰も信用せず、他者への同情を欠く(そういう登場人物の演技で定評のある俳優が演じる)主人公が静かな狂気に陥っていく姿を、最後にはこちら側も愛想を尽かして、冷淡に突き放して見届けることになる。

 唯一、本当に意味のある主人公のセリフは、(多くの場合同様)映画のラストのたった一言かもしれない。それですら解釈がいくつもできる。

“I’m finished.”

「俺はもう駄目だ」

 こうやって映画の感想を羅列してみると、これ自体まとまりとか貫くものがあるのかどうか、こちら側がテストを受けているような気がしてきますね(笑)。まとまりはいつもどおりなさそうだが。

 こじんまりまとまって「説明」がつくよりも、まとまりがあるのかどうかなんだか良くわからんけど、その分「解釈」の余地があるもの。そういうもののほうが好ましい、という話でした(たぶん)。

 前にも載せた”Inception”の登場人物のセリフ。近年の映画クォートでは私の一押しだ。

“You mustn't be afraid to dream a little bigger, darling.”

「夢なんだから、もっと大きく持たなきゃダメ」

わかりやすくない物語

【修正】わかりやすくないどころか、スマホで読むと途中で切れることが判明。長すぎる(笑)。記事をふたつに分けました。

 案の定ゲイダーさんが「クナリ」問題へのコメントを載せたTumblrブログは一大ヘイト旋風を巻き起こしているようです。
 もちろん中には援護射撃のブログもあって、それを引用してゲイダーさんもコメントしていますが、みなさんの気分が悪くなるだろうからここで紹介することはしません。中身は容易に想像がつく範囲ですし。

(以下、映画の中身を記載する際には、ネタバレは極力排除してあります)

 週末・海の日はお休みで、リアル方面で色々なことがあったんで、ゲーム関係の話題には乏しい。
 ちょっとした舞台劇を観に行ったら、(お互い出演者に対する義理もあったのですが)連れの女性があまりにツボってしまった。確かに暑い日だったし、日ごろの疲労もたたったせいか身体の具合が悪くなってしまったようだ。介抱がてらずっと話を聴いていた。舞台は人の生き死にについての物語だったが、私自身にはさほど響かなかった。ふんふん、そういうことねとそれなりの「説明」をつけてお仕舞かなと思ったが、彼女のほうは語られるエピソードにいちいちハマってしまったらしい。物語の「解釈」は人それぞれ、いかようにでもなるんだなと「物語性」について改めて考えさせられた。

 気にはなっていたが時間がなくて観ていなかった映画をいくつか観た。”Cloud Atlas”(2013)がPSNで安くなっていたのでまず手始めに。
 上映以前は”Magnolia”(1999)の再来などとも宣伝され、「解釈」は観客がいかようにでもして下さいという典型的オムニバス形式だが、例えるなら数多くの皿を一斉に回す曲芸の皿回しが、あんまり見事に回しすぎるので結局本来のスリルがなくなってしまった感じ。

 (記憶にある限り本格的サイ・ファイ映画への出演は初めての)トム・ハンクスはじめ、ひとりで数役(最大六役かな)を演じなければならない主要俳優陣の苦労は確かに見もの。メイキャップは素晴らしい。コーケイジアンなどがモンゴロイド(またはその逆)を演じるのはモンゴロイドのこっちからみたら確かに無理があるが、そんなの本質的問題じゃない。メイク技術と演技が優れているから、エンディングで示されてはじめて誰が演じているかわかるケースもいくつかあった。少数の俳優が役を掛け持ちせざるを得ない小さな劇団の舞台のような風変りな味わいがある。
 いくつかの印象に残る光景も、たぶんに既視感があるものの心地良い。

 そしてひとつひとつのエピソードは確かにそれなりに面白い。もちろんサイファイとしてみたら陳腐なものも含まれてはいるが、陳腐でないサイ・ファイのアイデアなんて今時期待するほうが無理でしょう。ひとつひとつはそこそこでも、きっとすべて集まれば「クラウド・アトラス」、作中登場する交響曲のように、壮大なクライマックスであっと言わせ、しばらく余韻が残るんだろうと期待して最後まで見続けましたが・・・。
 残念なことに、特にここで吐露できるような感動もなく終わってしまった。結局、なんだったんだっけ?

 英国サイファイの久々のヒットとなったデヴィッド・ミッチェルの原作を弁護する向きは、たかだか3時間で小説の味わいを再現することは無理だという。

 (残念ながら原作は読んでいない。ミッチェルのテーマのひとつは永劫回帰(eternal recurrence)だというが、映画からそれを感じることはできなかった)

 観終わってから考えて、「解釈」の手掛かりがおもちゃ箱をひっくり返したようにどちゃっと散らばっているかなと思ったけど、逆に綺麗に「説明」され過ぎちゃっている。ひとつひとつのエピソードがそれぞれきちんと完結(解決)しちゃってる。さらに言えば、せっかく観客を混乱させるためにお膳立したはずの仕掛けをそういう風に使いきっていない。「解釈」するところがあまりない。

 何を言うか、それぞれのエピソードは他のエピソードと密接に絡み合っているじゃないか。お前がちゃんと観ていないだけだ。
 違うんです。それぞれのエピソードが他と絡み合い過ぎなんです。それがあまりに整然としすぎている。人類の長い歴史をとても小綺麗に描いている。歴史はさらりと説明できるようなものなんかじゃない。

 もちろん、それぞれのエピソードが歴史上の様々な「差別」や「格差」を縦糸にしているのはわかる。思いつくままに挙げれば、人種・文明、性嗜好・名声、資本・貧富、加齢、性・身分、暴力・テクノロジーなど。「宗教」だけは大人の事情のせいかうまいこと避けてるかな。悲しいのはそれが「頭では」良くわかるレヴェルに留まっていること。

「すべての者を縛るのはたった一つの掟だ。一つの原則が神の創り給うたこの緑の星のすべての関係を規定する。弱者は肉、強者が食らう」

“There is only one rule that binds all people. One governing principle that defines every relationship on God's green earth: The weak are meat, and the strong do eat.”

 監督の一人は批評に対する反論で「我々はこれこれこういう意図で映画を撮ったなどとは言いたくない。最も興味深い芸術には、幅広い解釈の余地があるものだ」(原文は下)と述べているようである。後半の発想はそれ自体全く正しいと思いますが、この映画に関しては、むしろ「解釈の余地」があんまし残っていないことが問題だと思う。

“We don't want to say, 'We are making this to mean this.' What we find is that the most interesting art is open to a spectrum of interpretation."

 ”Magnolia”を弁護するほど好きなわけじゃないが、あの映画のエピソード群は他のエピソードとそんなに絡み合ってはいない。正しくは絡み合っているように見せていない。それがあの賛否両論あるエンディングで「でも、ま、いいか」、なんかうまいことまとまったような気になる(何もかも洗い流される気がする)。その理由は(貫くものが何かは)観客が「解釈」するしかない。
 あるいは舞台の一つにトウキョウも登場するのでご覧になった人が多いかもしれないが”Babel”(2006)だってそう。あれも本当はうまくまとまっているのかどうかよくわからない、ある一点のみでルーズに結びついた4つのエピソードの羅列だったが、貫くものがあるような気にさせる。

 ノーラン監督の”Inception”(2010)は、夢の中の話なのにロジカルでクリアカットすぎると強く感じたことを記憶している。夢なんだからもっとメチャクチャやればいいのに。残念なことに夢に侵入する(そして脱出する)際の組立てがすごくわかりやすい。悪口としての「ゲーム感覚」が強すぎて、そこがとても残念。

 なんとなくわかってきたのはこれらは作り手側固有の問題じゃなくて、観客側の要求に問題があるのではないかと思えること。結局必要なものは「解釈の余地」ではなくて「わかりやすい説明」なのかもしれない。

2013年7月12日 (金)

【DAI】混乱のクナリ(2)

 先のゲイダーさんの記事に対する読者のコメントとゲイダーさんの返事。

(ファンの発言を太字にしました)

 ファンが混乱しているところを示そう。ファンはクンの教えに従う者たちがクナリであるということは「知っている」。誰もそれについて議論してはいない。タル・ヴァショスについても、彼らが何者であって何をしたのか、ファンはその意味するところをハッキリ理解している!
 だがクナリでもなければタル・ヴァショスでもないフォッグ・ウォーリアーズ(Fog Warriors)のような存在についてはどうだろうか? フォッグ・ウォーリアーズにはクナリではない種族、ヒューマンやエルフもいると推測されるが、それ以外の者たち、クナリであったがもはやクナリではない者たちのことはなんて呼べばよいのか?

(ゲイダーさん)フォッグ・ウォーリアーズはクナリではない。彼らはセヘロン諸島の原住民だ。

 あるいは、マラース(Maraas)やアルマース(Armaas)のようなクンとのかかわり合いをもたない者たち、私の記憶が正しければ、後者のようにそう呼ばれると侮辱と受け取るような者たちについてはどうか。彼らのことは何と呼ぶのか? クナリ? 本当はクナリではないクナリ? クナリぽい者?

(ゲイダーさん)タル・ヴァショス。徒党を組む傾向があるため他者からそうみなされることも多いが、タル・ヴァショスは組織ではない。でもそれはゲームの世界観の中での定義であってそれについては気に掛けていないとのことだね。マラースのようなクナリがゲームの中でアイデンティティを主張しなければならないかもしれないのが問題だと考えているなら、下を読んでほしい。

 さらに私が基本的なレヴェルで混乱しているのは、種族を示す言葉が必要でかつ有益であると、クナリたち自身が感じていると思えるからだ。

(ゲイダーさん)
 クナリが自分たちをどう呼ぶかについて考えると混乱するという点については、私も同意する。彼らの言葉の用法は、その組立てからして他者との交流を容易にするものでもないし、積極的にそうするためのものでもないが、彼らは物事がなんであるのか、なんでないのかを「正確に」定義する沢山の言葉を有しており、それらの言葉に重きを置いている。
 クナリではない者は、そういう物事に余りにも沢山の言葉を用意している一方で、例えば種族のような「一般的な」概念を示す言葉に何ら重きを置いていない文化は奇怪であるとみなすのだろう。

 ただしクナリが自分たちのために用いる多くの言葉は、オンラインで物事を議論するためには役に立たないし、彼らの種族を現わす単一の言葉を導き出す足しにもならない。誰かが「クナリについては本当に混乱させられる、特に彼らの名前といったら・・・」と言う風に感じているとしたら・・・、実際その通りなんだ。だがそれはまったく別の話題の会話だろう。

Tldr(要するに)ファンが深読みしすぎなのが理由ではなく、現実のファンたちと、フィクション世界のキャラクターたち自身の双方の世界で、言語がどう用いられるかを理解するに必要な知識(ロア)に基本的な欠落があることが理由なのだ。彼らが従っている道教世界の戦闘部隊の外側にいる誰か/何かについて我々が議論しているとき、自分たちが話している物事にとって重要な標識を特定することに関する話だ。
 これはセダス大陸の人々が彼らをどう呼ぶかについての議論ではない。なぜなら我々はどのみち皆が彼らを「クナリ」と呼ぶことは知っているからだ。これは我々ファンが彼らをどう呼ぶかについての議論だ。

(ゲイダーさん)
 この問題が基本的には、一部のファンがファンフィクションに書いたりオンラインで議論するために、正しい単一の言葉を要求して騒いでいるということは十分理解している。だが、ファンが使うことができる言葉、ゲーム内やゲームの世界観の中で我々が使う言葉についてはすでに話したのに、それでもまだ「でもこういう場合はどうする?!」という悲鳴が挙がっているのだ。まるで入り組んだ理由づけを十分重ねれば、この問題は本当に複雑でとても納得することができなくなるとでもいうように。

 生物学的な種族を示す単一の言葉など必要ではない。もし、大きなツノがある者たちの中でクンの一部ではない者を示す用語が必要と考えるなら(そしてタル・ヴァショスではダメだというなら)、「クナリ」という言葉に勝手にくそったれな形容詞をつければいいだけじゃないか。種族を分類する科学者でもなければ、それで十分じゃないか。

 あるいは「コシス」という言葉を不正確に使えばいい。私は単にDragon Ageの中で用いる言葉を述べただけであり、ゲーム内の用語を知りたい人もいるだろうと考えただけだ。そんなことにはお構いなしで、それ以外に何か用語を追加すべきだというなら、そうすればいい。ここで私にとって唯一意味のある問題は、あるファンが他のファンに対して「正しい」用語とやらを指導するとか(実際にやっている)、ファンがまるでその用語が多くの人々にとって意味をなすかのように気軽に用いておきながら、それから混乱を招くロアについて非難すること、それだけだ。

****

 ゲイダーさんは、怒っていないといいながら、相当怒っている感じがします。それもクナリなのにクナリではない者をどう呼ぶという内容そのものではなく、一部のファンの他のファンに対する指導(原文では”…some fans school other fans on the “proper" term …”)が気に食わないようである。
 それもよくわかる気がします。安易に説明を求める方も非常によくないのだが、ネット社会ではごく普通のことになった(その手の者たちはネット社会以前からいたはずだが)。

 それよりも気になることは、BSN内の「ファン」の垂れ流す汚染がこっちにも及んできた感じなこと。
 もちろんきっかけはゲイダーさんだし、放っておけばいいものをという気もしないではない。

 なお、リアル欧州におけるクナリのモデルについては、ゲイダーさんがイスラム社会との類似に言及したことはあるが、それはセダス大陸の他の国家群(チャントリー世界=クリスチャニティ世界)との関わり合いの部分に関してであった。ファンの間ではクナリのモデルは漠然と非クリスチャニティ世界だと考えられていて、特にユーラシア大陸を席巻したモンゴルの進撃(ゴールデン・ホード)モデル説や、(セダス大陸からクナリ支配を排除することを目的に行われた)エグザルテド・マーチを十字軍だとみなしてオスマン帝国モデル説もあったようだ。
 その後者の場合、クナリの仇敵テヴィンター帝国がビザンチン帝国にあたるので辻褄があう(ゲイダーさんはテヴィンター帝国は特定のリアル欧州の国家をモデルにはしていないと言明していましたが)。

 私のDAI「ユグノー戦争モデル説」にとっても、クナリのモデルをオスマン帝国と見なすのは都合がいい。もちろん非チャントリー(クリスチャニティ)世界の勢力という意味と、版図拡大志向があるという類似だけを言っています。

 クナリは私有を否定する厳密な共産制を敷いているし、貨幣も商取引も認めない世界。家族をもつ習慣もないし、個々の構成員を名前で呼ぶ風習もない(アリショク、ステンなどの役職で呼ばれる。組織を維持管理するための固有名詞はあるがナンバリングに近い)。そんな大規模な国家がリアル欧州に存在していたはずがないですよね。

【DAI】混乱のクナリ

 ゲイダーさんも暇になったのか、tumblrに記事ふたつ更新されていた。
(この記事を書いた日の翌日に覗いてみたら、下で紹介している記事について、読者とのやり取りがあったようです。それはのちに追加しましょう)

http://dgaider.tumblr.com/

 ふたつともDragon Age confessions(告解・懺悔)というtumblrブログの投稿へのコメントの形になっている。

http://dragonageconfessions.tumblr.com/

 
 ゼヴラン・ラヴのほうの話は都合により省略します・・・。これは本当に個人的な懺悔だもの。ただし、ゲイダーさんによれば、DAOの四人のロマンス候補(LI)のうちゼヴランが一番不人気であったというのは新しい話かな。相思相愛になる(ゼヴラン・ラヴのアチーヴメント”Easy come, easy go”を手に入れる)だけなら一番簡単なはずなんだけど、意外。(この根拠はプレイヤーの送ったDAOテレメトリー・データーでしょう。私はラヴ・アチーブメントを手に入れたプレイヤー数が四人中一番少なかったと言う意味にとりました)

 クナリのほうの話も個人的興味からするとあんまりそそらないが、ちょうどこんくらい訳せるだけ暇なのでやってしまおう。

懺悔: コシス(kossith)がクナリという種族だと見なされていることが許せない。クン(キュン)の教えに従う者のみがクナリであり、どんな種族でもクナリになりうるのだ。

以下、ゲイダーさんのコメント。

 それ以上のことは何もわかっていないセダス大陸の誰にとっても、クナリはクナリだ。文化と宗教が同一のものだとみなしている。

「でも、クンの教えに従う者のうち、あの大きなツノの生えている種族ではない者は何ていうの?」

 正しくは、彼らはヴィダサリ(viddathari)である。だがその意味を知る者が誰もいないので、代わりに「エルフのクナリ」、「ヒューマンのクナリ」などと呼んでもいい。彼らは、とどのつまり、掟の例外なのだ。

「でも、クンの教えに従わない、あの大きなツノの生えている種族の者は何ていうの?」

 正しくは、タル・ヴァショス(Tal’Vashoth)だ。だがまたしてもその意味を知る者はごく僅かなので、結局クナリと呼ばれる(当人らには不満だろうが、もう慣れてしまっているだろう)。

「でも、それだとこんがらっちゃう!」

 そんなことはない。「ユダヤ人」(Jewish)という言葉についてのこんがらがり具合と同程度だし、いくつかのコーデックスに記載があるということを根拠にして、まるでその方が多くの者にとって意味が明瞭であるからと断じて彼らを「コシス」と呼ぶのは、ユダヤ人を全部アシュケナージ(Ashkenazi、かつてのドイツ・北欧系ユダヤ人)とかセファルディ(Sephardim、中世スペイン・ポルトガルに居住していたユダヤ人)と呼ぶくらい意味がない。

 もちろん、私がこんなことを言い出すと「あーあ、またゲイダーが怒ってるよ」という反応が沢山くるのだろう。私はひとつも怒ってなどいない。単にコシスという言葉が、クナリにとってもタル・ヴァショスにとってももはや使われることのない、またセダス大陸の他の者たちにとっては過去一度も耳にしたことのないものだから、今後のゲームの中ですぐ用いられるようなことにはならないのだ。それが故に、ゲームのプレイ経験がある人々のほとんどですら聞いたこともないような言葉を「正しくは」用いるべきだと主張する人々がいると、私は困ってしまって頭をポリポリかくしかない。特に変だと感じるのは、他のファンたちのことを、まるでそれが混乱すべき話であるとわかるほどには十分な教育を受けていないみたいに扱って、誰かが指導しているという奇妙な場面に出くわしすときだ。

 我々はこれからも彼らのことをクナリと呼ぶ。その基準から逸脱して、種族あるいは宗教を区別する必要を感じる場合があるのなら、我々はそうするだろうが・・・、混乱するのは、それについてあれこれ考え過ぎることを愉しんでいる人たちだけだろう。

***

 もしかしたら大方の人々の好みに反するかもしれないが、私はクナリに対して(種族も宗教もどっちの意味でも)基本的に無関心である。DAOステンはベンチウォーマー率たぶんナンバーワンだったし、DA2アリショク他のキャラクターも(カークウォールに長く居座るプロット自体は面白いと思ったが)別に思い入れがあるわけじゃない。でもそんな私だって、クナリとは特定宗教(仏教がしばしばそう呼ばれるように、むしろ「哲学」と呼ぶほうが近いかもしれない)を信奉する者たちのことだが、一般にはその信奉者の中で支配的な(おそらく当該宗教の発祥に関わった)種族のことを指している、ってことくらいすぐにわかったし、DA2にエルフのクナリ(後のMotAのタリスも含む)が登場したときは「わざわざややこしいことするんだな」とむしろ笑っていた。

 ゲイダーさんが言わんとしていることは、「百科事典的に」表面上な知識を何でも集めれば何かがわかったつもりになる風潮に対して、それじゃ何もわからんのだよな、ということでしょうか。

 だったら、コーデックスに余計なことを載せなければよかったんだけどね。「謎」のままにしておけばよかったのに。

 「解釈」と「説明」は私もインターチェンジャブルに用いることもありますが、実は違うもの。
 先日もある文芸評論家が書いていたが、小説やRPGなどの物語が愉しいのは「解釈」(interpretation)の余地が豊富にあるとき。物事を「解釈」するためには歴史、伝統、慣習など背景に関する知識・情報を総動員しないといけない。それがまた愉しい理由なのですが。そして書き手が「解釈」の余地を沢山残せるかどうかは、たぶんにテクニックによるのだそうです。

 逆に「説明」(explanation)は、科学的立証に代表されるようにクリアカットなものが求められる。曖昧な説明というのは一般によろしくない。

 推理小説を例に取れば、トリックは「科学的に」立証されないといけない、漏らさず「説明」されないといけないが、殺人事件の真犯人の動機については探偵が「解釈」するしかない。もしかしたら真犯人は自分でもわからなかった動機(殺しの理由)を探偵の解釈によって逆に知ることになるのかもしれない。

 すべての解釈は「誤読」なのだろうし、読者には「誤読」する権利があるとも言われる。読者(オーディエンス)の数だけ解釈がある。つまり解釈の幅が広い、ってことは誤読を招きやすい(故に優れている)ってことなんでしょうかね。
 ゲイダーさんの話にもどれば、読者(プレイヤー)の混乱する権利、解釈(誤読)する権利を奪うなよ、ということになるのかな。

2013年7月 9日 (火)

【DAI】On Bringing Them Back

 公式にはDAIの話題が全く出ないので、BSNでは最近また過去のネタを蒸し返しているようです。と言っても私はゲイダーさん他BioWareの開発者の発言のみ探して読んでいるだけですが。

 レリアナ・チートデス問題がまた話題になっているようで、ゲイダーさんは自分の過去のtumblrブログ記事を読んでくれと言っています。

http://dgaider.tumblr.com/post/52199343217/on-bringing-them-back

 

 ブログは、シリーズ過去作品からキャラクターを再登場させるには何かのルールやプロセスがあるのか、という読者の質問に答える形になっています。ストーリーアークを決める段階で決まっているのか、それともギャップを埋めるために開発の途中から投入されるのか。 

 以下ゲイダーさん。

 そういう共通ルールについて語れるほど、私は過去のゲームからキャラクターをたびたび再登場(bringing back)させてきたとは思っていない。Baldur’s Gate IIに再登場させるパーティー・メンバー(プロジェクトが開始される前から決まっていた)以外では、DAO: AwakeningのオーグレンとDA2のアンダースくらいのものだ。レリアナや他のDAOキャストもここに含まれるのかもしれないが、それらは「再登場」と言うより、むしろカメオ出演と考えている。だから、これまではほんとに純粋にケース・バイ・ケースでやってきたのだ。

 どのような考えによるものだったか? 我々は(DA2のように)ストーリー・アークが新しいものに移り、全く新しい舞台設定を用いる可能性があることがわかっていたので、以前のゲームとの何等かの紐帯を求めていた。それは、ひとりかふたりの顔馴染をパーティーに入れることかもしれないし、あるいは最低でも、セーヴファイルをインポートしたプレイヤーの以前の判断が反映されていると、それとなくわかるようにすることかもしれない。

 一部のファンの反応を鑑みるに、ゲームというものはこれまで常にそのように作られてきたと考えているのだろう。プレイヤーが以前のゲームで行った判断に伴って完璧に分岐するような違いがないのなら、彼らにとって以前のゲームは「台無し」にされたことになる、そう非難するBSNのポストは数えきれないくらいあった。

 だからこそ、ほとんどのゲームでは過去の判断に基づく分岐など全くせずに、作品間をつなぐための正典を用意するとか、過去の判断を無価値なものにするような仕掛け(例えば、以前とまったく異なる時空へ物語舞台を跳躍させること)を導入するのだ。

 だからこそ、そもそもファンが想像するような理想的な形では実現し得ないのであるなら、過去の判断に反応しようとする試みは果たして本当に価値があるものなのだろうか、という疑問が生まれるわけであるが、個人的には平均的人物はそうした反応に出くわすと大変喜ぶのだろうと思うし・・・、だから我々も試してみたいと思ったわけだ。 

 いずれにしろ、パーティー・メンバーを再登場させることについて我々が議論を始めるときはいつでも、潜在的候補のリストを念頭に置いている。誰か特定のキャラクターを脇にのけておいて「このキャラクターは将来のゲームのパーティー・メンバーとして間違いなく用いることにするんだ」とはじめから決めているということはなくて、むしろ「この人物にはまだ語り尽くしていない、広げることができそうな物語があるね」といったふうに決まるほうが近い。

 キャラクターが(物語の中で)出くわす可能性のある運命は多岐にわたるため、そのリストは複雑なものになる。そのキャラクターが死んでしまう可能性はないか? 新しい物語と矛盾するようなことを前作のエピローグで語ったりしていないか? それでも辻褄があうような言い逃れができるか?
 

 こうした問いへの答えがすべて否定的だからといって、必ずしも候補から消さなければならないわけでもない。もちろん普通は候補から消すことになるし、いくら再登場させたくてもあまりに込み入った状況になってしまうため候補から除外せざるを得ないキャラクターも事実何人かいたのではあるが、そのキャラクターを使うだけの十分な理由があり、そのキャラクターをさらに掘り下げることに我々が喜びを感じることができ、再登場させることに不安を感じないのであれば、そうするだろう。

 レリアナがその一例だ。DAOでウォーデンの手に掛かって殺される可能性もあるが、例えそれが現実のことになったとしても、彼女は生き残っていてDA2に登場する。我々はまだその理由を説明していないし、このことに対する一部の反応を考慮すると、たとえ説明したところで不満が解消されるわけではないだろうと疑っている。BSNでこんな感じのやり取りがあった。

ファン:私の決断をまるっきり無視して彼女を生き返らせたのか?

私:無視はしていない。君が決断したとおりの物事は確かに起きた。ただその結果が、君が期待したとおりではなかっただけだ。

ファン:だが、あの女は死んだと思ったのだ!

私:だから死んでないんだ。

ファン:あなたは生と死の意味するところを勝手に操ることができるということか?

私:そうだ。実のところ、それが私の仕事だ。

ファン:なんて傲慢な!!


 このやり取りは今思い出しても愉快だ。(実際私自身が決めているわけではないが)プロットの進むべき道を決める立場にあるらしいから傲慢だって? 私自身いくつかの理由で傲慢と呼ばれても仕方がないと思っているが、これはその理由には入らないだろう。

 たぶん驚くべきことでもないのだろう。ゲームや小説のプロットがある特定のファンが望むようにならないときには、そんな反応が普通なのだろう。結果に対するエイジェンシー(注)をいくばくかでも有していると、個人的没入度は増大していくようだ。

 (注)行為者性。ヴィデオ・ゲームの場合、プレイヤーが重大な選択を行うことができる(結果に対してなんらかの重大な影響を及ぼすことができる)能力。実際にはそういう能力があるという幻想を抱くことが可能なこと。プレイヤー・エイジェンシーと呼ぶ。一般の小説・映画などの読者・観客にエイジェンシーはない。

 たとえそうであっても、プロットは書かれなければならず、最終的に我々は他の数多くの可能な筋書きの中からひとつの方向を選ぶことになる。その上で、本当はどの筋書きに進むべきであったか、そのほうがどのくらい明らかに優れているのかを決めるのはファンに任されている。
 それが物事の自然な流れだ。

 我々が最終的に行った選択は、これまでのところは、プロジェクトがスタートしたときの選択とは異なっていると付け加えるほうがいいかもしれない。Awakeningへ再登場させるキャラクターの私の第一候補はオーグレンではなかった。DA2にアンダースを再登場させるなんて議論の俎上にも上がっていなかったし(最初はヴェラナが候補であったと以前言ったとおりだ)、ナサニエルの可能性もしばらくの間考慮していたと記憶している(彼が絞首刑にかけられてしまう可能性もあるのに、そこからどうやって生き永らえたのかまともな説明を思いつくため呻吟する価値が本当にあるだろうかと皆で悩んだものだ)。

 皆が想像するよりもたぶんずっと深く、我々はこうした決断について苦悩を重ねており、折につけて「誰かを再登場させる必要なんてあるのか? みな新登場でいいじゃないか?」という議論に立ち戻ったりする。

 
 結論を出すに至った理由はその時々で違うし、私がそれらの理由をここで思い出すためには、各キャラクターの完全なリストが必要なのだが、実際に思い出してみたいとはとても思わない。そうした決断はしばしば困難な過程を経ており、同じくらい不愉快な欠陥のある選択肢の間でどちらかを選ぶことを強いられることも時にはあるのだし、そんな追加材料を与えなくたって、我々の決断だけを種にして他によりましな方法があったのじゃないかと批判の目で捻り回して時間を潰せる人だっているのだろうからね。 

 DA3(訳:当時はまだDAIの名称ではなかった)について、誰が再登場するのか、そもそも誰かが再登場するのか? うーむ、それはいずれその目で確かめていただくしかないだろうし、それから後もまた、きっと長い議論が続くんだろうね(笑)。

**********

 レリアナのチート・デス(殺されてしまったことをチャイにすること)の真相はDAIで示されるようなことをゲイダーさんがBSNで語っていますが・・・。そもそもレリアナがウォーデンに殺められたセーヴファイルを私は持っていない。だからDAIで理由を示されても私は観れない!(だってレリアナはどのウォーデンにも一回も殺されてないから)

(そしてそんなことのためにわざわざレリアナと戦う場面のあるDAOのセーヴファイルを作ろうとも思いません。もしDAIで本当にレリアナ・チート・デスを説明するシーンがあるなら、誰かがきっと映像アップしてくれんでしょ。Youtube万歳)

 Dragon Ageの再登場キャラクターは、行き当たりばったりに決めていることがハッキリわかると思います(笑)。プロットでさえ、都度都度決めているのだから、当然といえば当然。

 Mass Effectのほうがまだ計画的ですかね(とはいえME2で「そして誰もいなくなった」エンディングもあり得るんですが)。 

 ヴァリック、カッサンドラ、モリガン。コンパニオンかどうかはわからないが、とりあえず過去作品からDAIに再登場することは決まったようです。語り尽くしていない物語がある、まだまだ動ける余地がある、という基準で選ばれたのなら確かにそうかもしれないですね。

2013年7月 8日 (月)

【DAI】9:40 Dragon(補足2)

 引き続きDAIのプロット予想です。小説版のネタバレ、DAIの潜在的ネタバレを含みます。

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【DAI】9:40 Dragon(補足)

 引き続きDAIのプロット予想です。小説版のネタバレ、DAIの潜在的ネタバレを含みます。

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2013年7月 6日 (土)

【DAI】 9:40 Dragon

 さて、リアル欧州の歴史の勉強はほどほどにして(いずれまた戻ってくると思いますが)、今度はセダス大陸の歴史を書きましょう。

 
 ネタバレがあります!と書くと一気にアクセスが増えるので書くわけではないですが、DA小説”Asunder”とまだリリース前ですが小説”The Masked Empire”のプロットのネタバレがあります(笑)。
 やはり当たり障りのないネタより、ちょっと危ないかもしれないカスリ気味のネタがいいんでしょうかね・・・。

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2013年7月 5日 (金)

【DAI】Luther, in time. Christian changer.

 ネタがないというのに、思いついたものをコメントで放出してしまうなんて、バカバカ。

 DAIのネタ元はリアル仏国における新教・旧教間の長く続いた激しい抗争(ユグノー戦争)に違いない、と書いてみて自分の世界史の知識があまりに足りないことに気が付き、あわててKindle本を物色しました。

 というのも、一般に宗教改革という場合は16世紀独国ではじまったとされていて、仏国のみならず英国(イングランド、スコットランド)、他の欧州諸国にも大きな影響を与えたわけですから、オーレイ=リアル仏国という点ばかりに注目して決めつけちゃって大丈夫かしらと考えたから。
(特に、DA2アンダースのクエストには英国の国教反対を意味する”Dissent”というものがあったこともある)

 Kindleで読めそうな本には見当たらなさそう。
 というかKindleで読める本には、そもそもまだロクなものがない・・・。
 いったいどこが電子書籍元年なんだろう。コミックとラノベのことかな?
 ちょっとだけ関係がありそうな「ハプスブルグ家」ってのはそそりましたけど。こういうのが突然現れるのはKindle化人気投票で選ばれたせいなのでしょうか。学生あたりの組織票?

 仕方がないので、手持ちの関連書籍(言うほど多くありません)やWikipedia(en)などに頼って読んで、色々書き始めたのですが、歴史の教科書みたいになったらつまんないですね(笑)。

 とはいえ、日本人にはあまり馴染がない(すっかり忘れている)かもしれないが、普通に教養のあるクリスチャンなら、マルティン・ルター(マーティン・ルーサー)の教会批判やサン・バルテロミ(セント・バーソロミュー)の大虐殺を知らない人なんていないはずです。DAIは間違いなくリアル欧州の宗教改革をリファーするという読みは変わらない。

 随分書いてしまった「歴史の教科書」はとりあえずおいておいて、関連しそうなセダス大陸の年表でも書いておきましょう。

 もちろん、後からじっくり眺めるとリアル欧州の宗教改革と酷似している部分が目に留まってくるだろうという目論見があります。さらに言えばユグノー戦争などのリアル仏国での出来事に限らず、DAIの物語はリアル欧州各国の出来事・事件のハイブリッドになっているんじゃないか、ということも読み取れるのではないかと予想しています。

 またしても、ゲイダーさんの小説”Asunder”あるいは、まだリリースされていない小説”The Masked Empire”(著者はMEライターからDAチームに移籍したパトリック・ウィーケス氏)のプロットが関連してきます。
 内容自体はすべて”The World of Thedas”から引用しているので「公開情報」なんですが・・・。
 小説・DAIのネタバレ防止は考慮することにします。
 それは次回。

 やっぱり書いたものがもったいないから、マルティン・ルター(Martin Luther、マーティン・ルーサー)の話しでも載せておこう(笑)。
 年号や長たらしい君主名など羅列すると(本当は重要だけど)、世界史の授業を思い出して途端に読む気がなくなる人も多いでしょうから、そこは割愛します。

 個人的に、マルティン・ルターのお話そのものはDAIと直接の関係はないと考えています。
 つまり、ルターがアンダースそのものである、などと言うつもりはない。
 第一、ルターは思索家・論客であって、何かを爆破したり物理的に偶像を破壊したりした活動家ではない。また教会の堕落を糾弾し、聖書への原点回帰を唱えたが、民衆暴動に加担したり、暗黙裡に認めたわけでもない。

 しかし、ルターの苦悩の核心は、義(正義)とは何か、それはどのように実現できるのか、というものでした。
(そして、それは善行などではなく、信仰そのものによってしか実現できないと悟るのですが、それが下に述べる教会糾弾のきっかけにもなっている)。
 正義のスピリットと融合したアンダースとの関連性は、表面上は認められるのではないか、とも考えられる。
 ここで言っている「正義」(「義」)の意味が違うんですけどね。

 宗教改革自体を教科書的に表現してしまえば、「ローマ教会勢力の減衰を狙った体制・諸侯側のパワープレイ」であったということでしょう。バチカンが自国から財源を吸い上げていることをよしとしない各国体制側が自国教会のローマからの独立を後押しした。
 ちなみにDAシリーズでもたびたび触れられる”Tax Collectors”とは、教会税(十分の一税)の徴税請負人のこと。非情・苛烈な取り立てと私腹を肥やす堕落ぶりで悪名高かった。

 とはいえ当初の活動家たちにとって教会批判の動機は、教会・聖職者らの堕落に対する糾弾、聖書への原点回帰といった純粋な宗教的「情熱」(zeal)であったことには相違ありません。ご承知のとおり、発端のひとつは教会による贖宥状(indulgentia、免罪符とも呼ばれるがちょっと意味が違う)の販売問題でした。マインツ大司教がローマ教会内部の自己の立場を強化するため(前例のない二管区の大司教任命を実現するため)教会本部に巨額の献金を行う目的で発案されたもので、販売自体は当初サン・ピエトロ(セント・ピータース)大聖堂建設資金の「献金」という名目として扱われた。
 宗教改革の先駆者とされるマルティン・ルターは、ローマ教会が贖宥状販売にあたって宣伝文句として持ち込んだ「煉獄(Purgatory、浄罪界)における霊魂の贖罪をもたらす」という概念が聖書の教えを踏み外していると糾弾します。煉獄というのは聖書には何の記述もなく、ローマ教会の発明なんですね。特に贖罪(Atonement)を悔改め(penitence)なしに金銭(だけ)で手にいれるという発想は、善行によって義はなされないとするルターにとって納得しがたいものであった。

 一神父が(本人は全くそれと知らずに)大司教の野望を阻止することになりかねないわけですから、教会はルターをローマ教皇への敵対者、異端者としてなんとか排除しようとする。一方で当時のドイツ国内にはカソリック教会体制の集権化に憤懣やるかたなさを感じていた向きも多く、ルターの主張は盛んに議論されることとなった。ザクセン選帝侯(ハプスブルグ家)を含む貴族党派がルターを後押しし、教会勢力の力を殺ぐ運動が様々な階層ではじまる。
 財政的に困窮していた騎士階級は教会財産の押収を狙い(騎士戦争)、農奴制からの脱却を目指す農民階層は叛乱を企図する(これに端を発した農民戦争をルターは支持していない)。これらの運動はいずれも鎮圧されるが、その後も新旧両派諸侯の戦いは長く続く。

 ルターの問題提起から30年以上経った頃、オスマン帝国の版図拡大の圧力が増してきたことから、邦内不安を払しょくしたい諸侯の宗教和議によって「領邦君主」に領邦内の宗教選択権が与えられることになった(依然、個人では選択できない)。ドイツの宗教改革に伴う内乱は、約60年後の三十年戦争のはじまりまで一旦収束する。

 ルターは宗教改革の創始者として名高く、事実上ルター派はプロテスタントの母体となった。旧約聖書をドイツ語に翻訳するなどの偉業もある。
 一方でアンタイ・セミニズム(反ユダヤ主義)的な声明がのちにナチス政権に利用されてもいる。
 また後のニーチェは、キリスト教的弱者のルサンチマンを利用する教会(現世の幸福を犠牲に来世での報酬を与えるとするクリスチャニズム)を否定していたが、ルターこそ、諸悪の根源である教会そのものを叩き潰す機会を手にしたのに、それを逸して復興してしまった張本人と断罪しています。

 表題は、知る人ぞ知る、Siberian Khatruから。
    
     ダダダダッタッタターー!

2013年7月 1日 (月)

【DAI】要塞か城塞か(3)

 どうも思いつきでちょこちょこ書くのに慣れていないせいか、いつも書き足りなかったり、書きたかったことを忘れたりしがち。自分でツイッターには向いていないことがよくわかる。

 以下もDAIのプロット予想である。とはいえもっぱら私個人のごくふつーの予想なので、大したネタバレにはなりそうにないですが、前回からの流れもあるので、先入観を持ちたくない方はパスしてください。

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【DAI】要塞か城塞か(2)

 前回一つ書き忘れていました。
 こちらも依然としてDAIプロットの予想。潜在的ネタバレ含みですので、先入観を必要としない方はパスしてください。

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【DAI】要塞か城塞か

【警告】これはDAIプロットの予想に関する記事ですが、(ヒットしなかった場合でも小説”Asunder”の内容についての記述があり)ヒットした場合にはかなりのスポイラー(ネタバレ)になりそうなネタです。
 DAIに余計な先入観を持ち込みたくない方はパスしてください。

 DAIのプロットに関するtheories(予測・説)がいくつも出されていて、中にはヴァリックが恋愛対象(LI、Love Interest)に違いないなど完全に個人的希望のみの内容もあります。

 個人的に一番気になっているのは、公式トレイラーの中でカッサンドラが攻め入ろうとしている城塞に関する説。
 一説には、これはGrey Wardensの居城のひとつであって、Seekersが戦っているのは「ウォーデン軍団に違いない」というものがあります。

 最初に聴いたときには他愛もない支離滅裂な話しだと思ったが、当たらずとも遠からずかもしれない。

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