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2013年5月 8日 (水)

RPG Archetypes (4) まとめ

 「昨今のRPGにおけるクラスは三原型しかない」と主張しているIGNの記事を紹介しました。(筆者によれば、それらは昨今のRPGの重要なオリジンのひとつであるDnDの発想を踏襲しているという)

 この主張が正しいかどうか、正しいとすると、なぜこの三原型しかないのか、というのが次の話題になります。
 「三原型しかない」と言い切れるなら、これらは“generic”(ジェネリック、包括的・網羅的)なクラスを構成していることになります。「概ねこの三原型である」としか言えないなら、これらは”general”(ジェネラル、一般的)なクラス構成です。

 それだけですべてを表現・説明しているわけだから、ジェネリック・セオリーを目指すべきなのは言うまでもない。ジェネラル・セオリーの場合、”special”(スペシャル、例外的、特殊)な場合が存在します。

 ジェネリックであるためには、「例外的なもの」がないことを示さなければなりません。

 例外を探す努力も確かに必要です。Final FantasyとかBravely Default方面では「すっぴん」とか「たまねぎ」?とか、いわゆる「ヴァニラ」(vanilla、ヴァニラ以外の味が何もない)クラスがあります。DQシリーズなら「漁師のせがれ」、「旅芸人」(途中からヴァニラではなくなるけど)とか。専らまだ「冒険者」としての自覚がない、凡人とは異なる能力を身に着けていない段階の表現として用いられる。
 でもそれらだって、ファイターやローグ(バード)の一形態ですね。DQでいう「遊び人」もバードの一種だ。

 例外を探すのが難しいうえに、根本的にこういう例示式のアプローチ(列挙式帰納法)では、「だいたいそうなっているね」しか言えないのが難点です。

 前提においている部分、「昨今のRPG」という議論の範囲を掘り下げて攻撃してみましょう。例えば「恋愛RPGにはファイター、マジック・ユーザー、ローグは登場しない」という反論をしてみる。最初の主張を守りたい側は「恋愛ゲームはRPGではなくシミュレーションだから議論に含まれない」と論駁しようとするでしょう。そして「RPGとシミュレーションの違い」論争に入り込む。(ロールプレイはシミュレーションの一部であり、シミュレーションはロールプレイの一種だから)その論争自体は「不毛」ですが、実は、大事な論点を洗い出してくれている。

(もちろん下手くそなアナロジーを用いて、「恋愛ハンター」にはRPGの三原型に酷似した三つのアプローチがある、なんて言ってみても構いません。しかもそんな陳腐な物言いですらことの本質に近づいていないわけじゃない)

 MMOを見ると、プレイヤーはまず間違いなく強制的に(上述の三原型か、それらのハイブリッドの)キャラクター・クラスを選ばされる。でも便宜上のクラスとは関係なしに採集/狩猟、クラフティング、売買などに明け暮れるプレイヤーがいる。これなんかも、話の取り掛かりとして重要なことだと思います。

 便宜上のクラスが無視されているのは「なぜか」、無視されている部分は「何か」ってことですね。 

 私の説とはだいぶ異なりますが、IGNの記事のユーザー・コメントに面白い説があったので紹介します。

 「この三原型に収束するのは必然である。なぜなら、それはHeart、Soul、Mindという人間の心の基本的な三つのコンセプトの適用であるから」というものでした。他のユーザーからの関心はあまり得られていないであっという間にスレッドに埋もれて行きましたが。
 言いたいことは、「心/意志」、「心/魂」、「心/精神」の三つに対応しているということだと思う。Heartは、もちろん"Brave Hearts"というように「心/勇気」も示すのでファイター、「心/魂」が霊力も含めた意味でメイジ(マジック・ユーザー)、「心/精神」は知性・知恵を表現するからローグ。

 面白い説なんだけど、例えば「心/意志」は別にファイターだけに必要不可欠でもないし、「心/魂」には感情・情念(パトス)が含まれているに違いない けど、それだってメイイジ固有でもなく、「心/精神」には理論・言語(ロゴス)が入るが、これも完全に切り分けられるわけでもない。
 でも、なかなか高尚な説なので、私は後のち別な機会に使えるのではないかと思って覚えておくことにします。

 私の説はずっと「俗」です。

 むしろ、IGN筆者が指摘していたように、DnD創設者のゲイリー・ガイギャクスがRPGを着想したのは、テーブルトップ・ウォー・ゲームからだった、というところに着目すべきだと思う。今の日本ではもう馴染みのある人はあまりいないだろうけど、あちらでは根強い人気を誇るのがミニチュア・ウォー・ゲームです。主としてナポレオニック・ウォー、あるいはそれより古い時代の中世ヨーロッパの戦争などが人気ジャンルですね。アメリカ合衆国では、独立戦争、市民戦争(南北戦争)もはいるかな。Wikipedia(en)の記事に詳しく載っています。

http://en.wikipedia.org/wiki/Miniature_wargaming

 このWikiの記事にも触れられてるとおり、ガイギャクスがTSRのデザイナーとして1974年に世に出したオリジナルDnDルールセットは、Chainmailという集団戦用ウォー・ゲームのルールセットを私家版として個人兵士戦闘用にリメイクしたのでした。

 私の説は、上でいうRPG三原型は、ミリタリー・アナロジーから生まれたものであるというもの。戦場に登場する陸戦兵科を主戦(歩兵・重騎兵・弓兵)、支援(砲兵・弩兵・攻城兵器)、偵察・攪乱(軽騎兵・偵察兵・工兵)の三つに分けた、それぞれの類比でしょう。

  よって、上の主張は「昨今のコンバット・ドリヴンRPGにおけるクラスは三原型しかない」と言い直したほうがいいことになります。

 それによって、MMOのフォレイジャー(採集狩猟人)もクラフター(工芸人)もマーチャント(商人)も戦闘職種ではないから議論から除外される。恋愛RPGもコンバットと関係ないから埒外である(「愛の狩人」を気取るなら依然としてアナロジーは成立するかもしれないけど)。

 そうなると、次の問いは「ではRPG三原型以外にミリタリー・アナロジーが成立するような原型はないのか」ということになるのでしょう。おまえの主張(セオリー)はジェネリックなのかどうなのか。

 残念ながらミリタリーの世界に「ジェネリックな」ポリシーやドクトリンというものはありません。仮にユニヴァーサルな(どんな時にも使える)ドクトリンがあって、誰かがそれを用いるとしたら、必ず敵にその裏をかかれるため、必敗の戦略・戦術となってしまう。そうなることが予見できるのであれば、双方が身動きとれないステイルメイト(千日手)の状態に陥ってしまう。

 「そもそも無理に戦わない」というポリシーを抜きにすれば、考えうる唯一のユニヴァーサルなドクトリンは「兵は詭道なり」(To fight is to deceive.)、「戦いは欺瞞に尽きる」というものであるという皮肉。「どんな場合にも使える」忠告は、「どんな場合にも使える手口を使うな」というもの。「機に臨み、変に応ずる」(臨機応変)。

 私の説をジェネリック・セオリーであると証明することはやはり難しい。 

 ヨーロッパ中世時代やナポレオニック・ウォーの戦いに比べて、現代地上戦がだいぶ様変わりしているのは確かです。空爆、へリボーン、ミサイル兵器、熱核兵器、BC兵器、電子かく乱戦、指揮命令通信情報システム、ドローン(無人攻撃機)。これらのテクノロジー・戦術からRPGの独立したクラス原型として回収できるものは本当にないのだろうか。

 コンバット・ドリヴンRPGが表現しようとする小規模チームによる戦闘がどれだけ様変わりしたかというと、大して変わっていないのでしょうね。偵察、制圧、殲滅が戦闘の基本であるから。

 ましてや、ファンタジーRPGには「マジック・ユーザー」というお手軽な「なんでも屋」がいるおかげで、仮に回収可能な新奇なテクノロジー・戦術戦法のアイデアがあっても、(通常はスペルの形で)どんどん吸収していってしまう。上に掲げたテクノロジーをマジック・ユーザーのスペルに変換するなんてのは、大したイマジネーションも必要としない、ごく容易いことですよね。
 万が一、画期的な原型を思いついたのであれば、誰かに告げる前に、ぜひご自分の手でゲームの形にしてください(笑)。それから教えていただけると助かります。

 結局のところ、Falloutシリーズを貫く、このフレイズで締めるしかないようです。含意若干違うけど。

「戦争は、いつの時代も変わらない」

“War. War never changes.”

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